メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第50回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2005.7.22


■拡張員事情の昔と今


拡張員には歴史がある。新聞の普及率がそれほどでもない昭和20年代から、本格的に拡張員による新聞の勧誘が始まった。今から、50年以上も昔のことや。

今にして思えば、各新聞社も初期の段階で、その営業の選択を誤ったことになる。それは、自社で営業員を養成しようとせんかったことやと思う。

新聞社にも販売部という購読客確保のための営業の専門部署がある。しかし、その社員が直接、各家庭を一軒づつ廻り「新聞いりまへんか」と言うて勧誘することはない。ここが、他の業界と違うところや。

普通、どんな企業の営業でも、自社の営業部の人間が中心になってする。少なくとも、その売り込みには、そこの社員が動く。

ところが、新聞業界は、肝心の購読者確保のための営業は、多くを業務委託という形で外部に任せとる。もちろん、それには、それなりのメリットがあったからやけどな。

それには、膨大な数の営業員を使えることが可能になったということがある。その営業組織が、新聞拡張団や。それが、全国各地で爆発的に増えた。

業務委託契約を交わせばええだけやから、仕事のほしいところは何ぼでも集まった。それで飛躍的に、新聞の部数が伸びた大きな理由なわけや。

終戦後の昭和20年には、新聞の総部数発行は1400万部ほどやった。それが、拡張団の本格的な勧誘の開始により、昭和27年には2200万部に増えた。

更に、昭和40年頃には3000万部、昭和50年過ぎ、4000万部、昭和60年前後、5000万部と順調な伸びを見せた。

この背景の裏には、新聞各社の熾烈な競争があった。その根底に部数至上主義というのがある。どの業界でも、日本一ということを目指していた時代や。新聞社がそうしていたとしても、何の不思議もない。

特に新聞の場合は、そのもの自体の影響力が大きい。業界人にとって、そのトップに君臨することは、天下を取るほどの値打ちがある。せやから、その競争も尋常やなかったと容易に想像できる。

この頃が、新聞拡張の全盛期やったと昔からの古い拡張員は話す。彼らなりの古き良き時代やったわけや。しかし、それは、言うまでもなく拡張員にとってのことという意味やけどな。

ただ、新聞の増加もいつまでもというわけにはいかん。新聞は人間が読むものやから、その部数には限界がある。普及率の限界というやつや。

平成3年の5200万部をピークにその伸びにかげりが見えた。平成15年ですら、5300万部やから、ここ十数年間は、ほとんど横這いということになる。

宅配率93%ということから見ても、明らかに普及率の限界と言える。それに貢献したのが、拡張員やったというのは疑いの余地はない。新聞社自体が営業活動をほとんどしとらんのやからな。

新聞には宅配制度というものにより、地域毎に宅配、販売をする販売所が決められとる。新聞社は販売所と「業務取引契約書」というのを交わす。

多くは、専属契約になる。つまり、新聞社専属の販売所やから、その新聞しか売らんという契約や。

もっとも、新聞社と業務提携や協力しとる他新聞の宅配と販売はしとるがな。業界専門紙と呼ばれとるのが、それや。それでも、それらの新聞の積極的な営業は、ほとんどの販売所ではしとらんけどな。

販売所の経営者は、その販売権を取得して、新聞販売をする。販売所は、その契約新聞社の顧客を増やす義務を負う。新聞社の販売所への評価は、その増減で決まると言うてもええ。

それが極端に悪いと新聞社が判断したら、販売所との契約を一方的に解除することがある。

業界で言う「改廃」というやつや。これは、実質、店がつぶれることを意味する。多くは、経営者の交代ということになるんやがな。

せやから、ほとんどの販売所はこの購読客を増やすということに力を入れる。単に、その販売所が維持できる程度でええというわけにはいかんことが多いからや。

客が減り続け、増える兆しが見えん販売所は、やる気がないと思われる。新聞社にそう思われたら終わりやから、購読客確保に必死になる。

販売店は、従業員にもノルマを与えて勧誘させ、購読客確保をしとるが、多くは、勧誘の専門会社に営業業務を依存しとる。ワシらが所属しとる拡張団がそうや。

販売所は新聞拡張団に営業の依頼をして、購読客を増やす。表向きはそうなっとる。それに対して、新聞社は関係ないという立場をとる。

新聞社は、販売店からの要請に応じて新聞を卸すだけやと言う。実質は違う。新聞社の意向を汲めなんだら、販売店や拡張団はやっていけん。

新聞拡張団は、新聞社の公認があって存在する。やはり、販売店と同じ「業務取引契約書」というのを、ほとんどの団でその専属新聞社と結んどる。

新聞社の販売部に、その地域を受け持つ販売所と拡張団を束ねる「担当」という人間がおる。この人間が、販売所や拡張団の勧誘に対しての全権を握っとる。

担当の指図によって拡張団は、勧誘する販売店に行く。これは、大抵、1ヶ月単位で日程の調整をして、販売店、拡張団の双方に伝える。これに異を唱える販売店、拡張団はおらん。

このシステム自体が問題なわけやない。もっとも、各新聞社はこのシステム自体の存在も否定する。別に隠すほどのことでもないと思うがな。

勧誘や購読客の確保は、あくまで販売店各自の責任でしとるというのが、新聞社としての基本的なスタンスやから、あれこれと指図しとるというのは知られたないということかも知れん。

問題は、その初期の頃において、新聞社が拡販のための組織をヤクザに依頼しとったということに尽きる。初期の拡販団は、ほぼ100%に近い確率で、その手の組織やったと言うことや。

その当時、訪問販売というのは、その法律さえ、まだ確立されとらんかったから、押し売り営業というのが大半やった。

訪問販売イコール押し売り営業というのが、あたりまえの時代やったわけや。今でもそうやと言う意見も聞こえてきそうやが、法律が整備されとる今のそれとは比べものにならん状態やった。

新聞社が、そのヤクザを使うという発想も、今やったらとんでもないことやと非難されるやろけど、その当時、てっとり早い組織としたら、それが一番、都合が良かったわけや。

その管理を新聞社がすれば、問題はないと踏んだ。そのためかどうかは不明やが、ある新聞社は、その管理に元警察官を使うとったと聞く。短絡的と言えば、言える。

ヤクザ組織に拡販団の会社を興させたのは、押し売りは素人営業ではできんという考えからや。スタートがそれやから、どうしても、その流れを受け継ぐ拡張団の営業は脅しや強引な営業が主体になりやすい。

ただ、何ぼヤクザでも、脅しや強引なだけでは、そうそう契約は取れるもんやない。そこで登場するのが拡材なわけや。

これは、ヤクザの常套手段やが、アメとムチを巧みに使うという勧誘をするわけや。脅しながら、一方では拡材という甘いアメを使い、徐々に購読客にそれを浸透させる。

せやから、営業やと言うても世間一般のそれとは全く異質のものやった。ワシからしたら、それを営業と呼ぶには抵抗があるがな。

ワシがこの世界に飛び込んだのが10年ちょっと前やったけど、その時分もその体質がまだ色濃く残っとった。

ワシが以前おった建築業界の営業も確かにええ加減な部分があるのは否定せん。今でも、ニュースを騒がせとる悪徳リフォーム会社の暗躍も昔からあるしな。

それでも、営業という基本的な考えは、建築業界にはあった。どこの建築会社にも、営業の心得やそのマニュアルがあるのが普通や。

しかし、この新聞勧誘業界にはそれがなかった。あるのは脅しと騙しのテクニックやったと言うてもええくらいや。

しかし、数年前から新聞各紙が、その勧誘実態の評判を気にするようになった。その大きな要素は、やはり、インターネットの急速な普及やろと思う。

インターネットが登場するまでは、マスコミの主たる情報は新聞社から出とった。今でも、そういう構図は残っとる。

この拡販の揉め事やトラブルは、その新聞には載らんかった。というより、載せへんようにしてたと言うた方がええのかも知れん。それで、世間の目を欺いて何事もないかのように装うてたわけや。

新聞に載ることは絶対的な事実として受け取られるが、反対に載ってないことは、そういう事実がないかのように錯覚しとる人間が圧倒的に多い。

人は他人と議論をする場合でも、そのことが新聞に載ってるか載ってないかで、その意見の優劣や有利不利ということが左右される。新聞に載ってるから、正しいという意見が勝るわけや。

せやから、新聞勧誘に関するトラブルを掲載せんことで、そういう事実を隠蔽できた。少なくとも、新聞社はそう信じとったはずや。

それが、インターネットの普及で状況が変わってきた。インターネットは個人レベルで情報を発信できる。

そこで、誰かが新聞の勧誘に対してその実態を言う。こんなえげつないことがあったと。すると、それに似た経験を持つ者が、それに賛同する意見を発信する。

それは、今まで表沙汰にされとらんかっただけで、そういうことは腐るほど存在しとったから、当然のことながら、その輪も急速に拡がった。

そういう声が大きくなれば、新聞社も自然に、世間の評判を気にするようになる。インターネットの普及につれて、無視できんようになったわけや。

今や、そのインターネットの普及率も報道関係のそれと比肩するまでになった。すでに、凌駕しとるかも知れん。

新聞各社は、ここにきて従来の方針転換に出た。野放し状態やった拡張員の締め付けを始めたわけや。これ以上の悪評を押さえるためと、新聞社の自浄をアピールする狙いやと思う。

各販売店や拡張団に社員の登録制を義務付け、拡張員という呼称を廃止し、セールス・スタッフと呼び習わせた。

現在「拡張員」という呼称は、新聞関係及び放送各局では、放送禁止用語ということになっとる。「拡張員」という言葉を使うこと自体がご法度なわけや。

形から入る改革の典型というやつやな。ワシも、内容がええように変わるということに対しては反対やない。ただ、これは短絡的すぎるし、あまりええ考えやとも思えん。

拡張という言葉自体が悪いわけやない。拡張員というのも、放送禁止用語にまでするという意味が良う分からん。言うとくけど、これは、蔑称でも差別とも関係ない言葉や。

当然、死語とも違う。なぜなら「拡張」というキーワードをGooGleあたりで検索すると240万サイトほどヒットするが、その上位のほとんどが、コンピューター用語関係のものや。

どさくさに紛れて、このサイトも第7位くらいにおるが、それでも、新聞に関係したサイトは少ない。「拡張」という言葉は、必ずしも、新聞拡張員と直結するとは限らんということや。ワシらが思うほど、ポピュラーなものやないということになる。

辞書で「拡張」を調べると「範囲・規模などをひろげて大きくすること」とある。これこそ、正に、新聞業界が成長してきたそのものやないかと思う。

その言葉がなぜ放送禁止用語になって、新聞業界での使用禁止用語とし、セールス・スタッフと呼び換えられなあかんのか理解に苦しむ。

その言葉のイメージは、その根本を変えな、変えた言葉も同じことになる。セールス・スタッフという言い方も、その評判が悪くなれば、他の言葉に置き換えられることになるやろうからな。

ただ、ここにきて、新聞各社が本気で新聞勧誘業界を変えようという動きが活発になったということは確かや。

勧誘員登録制度に始まり、社員証や業務委託証明書の携帯を義務づけ、拡張団の雇用時に今まで不要とされてた住民票の提出まで必要になってきたということがその表れや。

勧誘員の不法行為を新聞各紙が紙面やそのWEBサイトで報道するようになったということもある。警察もそれに呼応するように、今まで、罪に問われることすら少なかったような新聞勧誘の事案で、逮捕するまでになった。

ただ、そういう動きが10年ほど前やと言うのなら、それなりに英断と思うんやがな。今は、拡張団ではヤクザの関係者も少ない。普通の人間が大多数を占めとるのが現状や。

もっとも、そういう時代になったということと、インターネットに代表される社会の変革が、そうさせるということやろけどな。

この流れは悪いと思わん。むしろ、遅すぎたくらいや。これで、良うなるということよりも、やっと他の業界並の姿勢になったなというのが、正直な感想や。

ワシには、歓迎するべきことやけど、昔ながらの勧誘しかできん者には辛いと思う。おそらく、廃業者もかなり出るのやないやろか。

なんでも、そうやけど、時代の変革期に対応できん人間は滅びるしかない。近い将来、悪質なと形容される勧誘員は激減するやろと思う。

そうなれば、当然やけど、勧誘員は怖がられる存在やなくなるやろと思う。普通の営業員ということになる。

それが、ワシの最終的な望みや。但し、新聞各社の姿勢がこのま続けばという注釈付きやけどな。


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