メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第53回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2005.8.12
■死者との契約
Part2
それから、10日後のことやった。
「ゲンさん、助けて貰えませんか……」
その販売店の店長からの電話や。かなり、声が怯えとった。
「どないしたんや?」
「実は、あの幽霊屋敷から、電話がありましたんや。何で、新聞入れへんねんて……」
今日は1日。あの、契約書では、今日からの配達ということになっとったはずや。
「やっぱり、誰か、引っ越ししてたんやなかったのか?」
「そう、思うて、今日の新聞持って、その家に行きましたんや。すると、郵便ポストは新しいのが、門にあったんですけど、家は相変わらず荒れたままで、とても、人が住んでるようには見えませんし……」
念のために、恐る恐る中を覗いても人の気配はまったく感じられんかったと言う。
「どうでも、ええけど、手の込んだいたずらやな。分かった。今日、ワシが行くから……」
と言うて、電話を切った。本来なら、契約書を無効にして、ないことにしたわけやから、ワシらには関係ないことやで済む。いたずらまで、相手にすることはできんからな。
まあ、そうは言うても、むげにはできん。元はと言えば、班員の宮本の取ってきた契約や。販売店とは、なるべくなら、持ちつ持たれつで行かなあかん。助けてくれと言われて、放っとくこともできんしな。
「ああ、ゲンさん、待ってたんや」
その販売所に着いたのは、午後2時すぎやった。店長が、待ちかねたように、出迎えた。
「早速やけど、その家に今から行こうか。今日の朝刊忘れたらあかんで。それと念のために夕刊も一応、持って来てや」
「今から行くんですか……」
「何、怖がってんねん。心配せんでも、昼間から幽霊なんか出ぇへんわい」
もっとも、本当に幽霊というものがおるんやったら、そういうのは、何の根拠もないことやがな。
幽霊というのは、元は人間の霊魂やとされとる。その中で、この世に恨みや未練の強い霊が幽霊やという。主に、地縛霊と呼ばれとるものがそうや。
幽霊には、人間の肉体はない。せやから、食うたり寝たりする必要もない。昼夜の区別も関係ない。せやから、それで出る出んというのも変や。
本当におるものやったら、ずっとそこにおるはずや。地縛霊というのは、文字通り、そこから離れられん霊のことやからな。
それが見える見えへんというのは、人にもよるらしいけど、見える者には、いつ、行っても見えなおかしい。せやけど、幽霊は夜更けになって、人が寝静まった時分に出ると相場が決まっとる。それも、夏に多い。
ワシが幽霊の存在そのものが嘘臭い、信じられんと言うのは、それがあるからや。これは、どう考えても、その幽霊という存在を怖がらせるための演出にしか思えんからな。
人が本当に怖がるのは、暗闇やと言う。おぱけ屋敷でも、人を本当に怖がらせようと思うたら、真っ暗闇の区間を作るのが一番効果的やと聞いたことがある。実際に、怖いと評判の高い「おばけ屋敷」にはそれが必ずある。
人は太古の昔から、夜行性の肉食獣に襲われる恐怖が遺伝子の中に根深く刻みこまれとると言う。人が、夜を怖がる理由はそれや。
せやから、人を怖がらせようと思うたら、必ず暗闇か夜を設定する。幽霊に限らず、妖怪変化の類も皆それや。洋の東西を問わずな。幽霊が夜、出現せなあかんという理由は、それ以外にないやろと思う。
「それに、心配せんかて、幽霊にドツかれたちゅう話は聞かんから、大丈夫や」
もっとも、とり殺されたという話は多いけど、ここで、そういうことを言うてこの店長を脅かしても始まらんから、それは黙っといたがな。
ワシは、嫌がる店長に、その現場まで案内させた。言うまでもないが、店長の車でな。
現場に着いた。なるほど、噂通りのあばら家や。土地の広さは結構ある。ざっと、二百坪ほどや。家の建坪が40坪前後。もとはしっかりした造りの二階建ての旧家やったようや。
しかし、屋根は波打って、瓦も何枚もずれ、その下から土が至るところで覗いとる。木製の雨戸は化粧ベニアが風化でめくれ、壁も何カ所かはがれ落ちとるから、見た目にもボロボロに映る。
ワシは、元は建築屋やから、この家を住めるようにリフォームするのは、かなり金がかかるというのは分かる。もし、ワシがここの家主にそう依頼されたら、躊躇なく、建て替えた方が得ですよと答える。そんな家や。
庭も雑草が伸び放題やし、真ん中に立っとる恐ろしげな雰囲気の松の木も、妙に家とマッチしとる。正に幽霊屋敷という趣がある。夜中に来たら最高やと思う。
明らかに、誰も住んでないというのが分かる。せやけど、万が一、中に誰かおって不法侵入やと言われたらかなわんから、一応、大きな声で呼んでみた。
「石川(仮名)さん。頼まれた新聞、お届けに来ました」
石川というのは、契約者の名前で、5年前、ここの庭の松の木で首吊り自殺したという人間や。
予想通り、どこからも返答はない。
ワシは、なぜかそれだけ新品の郵便受けを調べた。材質はステンレス。おそらく、どこかのホームセンターで売っとる安物やと思う。
「新しい郵便受けちゅうのは、これやな……」
中には何もない。取り付けて間もない。取り付け方も素人か、下手な職人やとすぐ分かる。
木ねじで木製の門扉の柱部分に取り付けとるんやが、電動ドライバーを使うとるようや。ねじの頭部がつぶれとるのがあるし、木ねじが斜めに打ち付けられとる。
「店長、持ってきた朝刊と夕刊をこの郵便受けに入れといてくれ」
「えっ、でも……」
「ええがな、読みたい言うんやから、読ませたれや。読んだかどうか、明日になったら分かるやろ。読んどるんやったら、この新聞はなくなっとるはずや。明日の朝、なくなっとるようやったら、明日の朝刊も入れといたらええ」
「明日の朝て……、配達人は、このこと皆、知ってますから、嫌がりますよ」
「別に、配達人に頼まんでも、あんたが朝、確認して入れといたらええやないか」
「でも……」
「心配せんでも、明日の朝、なくなっとったら、次の日、その幽霊を教えたるから」
「すると、ゲンさんは、幽霊やなく誰かの仕業やと……」
「当たり前やないか。ホームセンターに行って郵便受けを買うて、インパクト(電動ドライバーの別名)でネジを打ち付ける幽霊がおらん限りはな」
「そう言われれば、そうですね」
間抜けな答えに聞こえるかも知れんが、怖い怖いと考え、幽霊の仕業やと思い込んどる者には、どんなことでも、そう思えてくる。冷静に考えれば簡単に分かることでもな。
ワシは、念のために、近所の住人に話しを聞いて廻った。もっとも、今、起きとることは何も言わんがな。
しかし、案の定というか、一応に皆、口が重かった。特に、首吊りのことになると、そのことについては誰も話たがらん。その気持ちは分からんでもなかったが、誰もというのが、解せんと言えば言える。
大抵は、こういう場所では、一人くらいは、おもしろがって喋る人間はおるもんやけどな。
「店長、法務局に行ってんか」
「ほ、法務局?」
「せや、犯人探しや」
そう言われても、店長には、その意味が良う分からんようや。
何でも、そうやけど、何かを推理するときは、まず、そうすることで誰が得するかということを考えるのが基本や。この幽霊騒ぎにも必ずその理由がある。
特に、今回のように、皆が忘れかけとることを手間暇かけて、ぶり返えそうとするようなときにはな。
ワシも最初は、新聞の拡材、この場合は商品券やが、それを狙ってのしょうもない仕掛けやと思うてた。
しかし、それはどうも違うようや。それやったら、後届けで店の者が商品券を持っていくと言うたときに、時間を決めて、そこで落ち合うたら終いや。
引っ越しして来ると言えば、販売店は疑うようなことはまずせんからな。それで、簡単に目的達成や。
つまり、今回のことは、新聞屋狙いやないとなる。そうやとすれば、後、考えられるのは、あの土地のことくらいや。
ワシは、そう思うてこの法務局に来た。ここで、現在の土地の所有者を調べるためや。土地は登記せな誰のものかという所有権が発生せん。その土地を登記する場所が法務局や。
ここに来れば、大抵の土地の所有者が誰か、簡単に調べられる。所有者の名前と住所さえ分かればええ。この場合、前の所有者は死んだ石川やから、その名前で調べる。
結果は、すぐ分かった。現在のその土地の所有者は、息子の石川達夫(仮名)という男やった。おそらく、財産分与でそうなったのやろと思う。
その男の住所は、近所やないけど、同じ町内や。
「店長、この石川達夫という男の所へ行ってくれ」
「この男が犯人ですか?」
「いや、違うな。おそらく、この件の一番の被害者のはずや。この幽霊の狙いはこの男で、あの土地のはずやからな」
そこに行くと留守やったから、夜になって出直すことにした。それまでは、ワシも仕事しとかなあかん。こういうことは、嫌いやないけど、これだけをしとってもカードが上がらんしな。
ワシと店長は、引継(その日の契約カードの確認)の済んだ後、夜の9時頃、その石川の家に行った。もちろん、アポを取っておいてからやけどな。
「そうですか……。そんなことが、あったんですか」
石川というのは、それだけ言うと、深くため息をついた。まだ、30歳そこそこということやけど、50歳くらいに見える男やった。老け顔の上に頭も薄いからよけいや。もっとも、髪のことはワシも人のことは言えんけどな。
「どこからか、あの土地を買いたいと言う人がおられるのでは?」
「どうして、それを……」
石川の話では、ある不動産屋があの土地をしきりに売れと言う。石川もあの土地を持っていても仕方ないとは思うとった。一時は、借家にもしたが、幽霊騒ぎになって誰も借り手もないままやからな。
その不動産は、過去の幽霊騒ぎも聞きつけ、相場よりもかなり安い金額の提示しかしとらんかった。足下を見るというやつや。
それが、いたずらかも知れんが、今回の幽霊騒ぎで更に、買い叩かれるやろと言う。
「大丈夫ですよ。その不動産屋に、相場以外の値段では絶対に売らんと言えば、おそらく、それに応じるはずです」
その理由を、石川に言うとほぼ納得した。
ワシらは、それから、また、あの幽霊屋敷に行った。さすがに夜は気持ちのええ所やない。
「ゲンさん、やはり、新聞はありませんよ」
ワシの種明かしに納得したのか、店長も新聞がなくなったというくらいでは、もう怖がることもなかった。
ワシは用意して来た用紙を、その郵便受けに貼り付けた。それには、こう書いておいた。
『○○不動産屋さんへ。新聞代の集金は、事務所の方に寄せて頂いた方がよろしいでしょうか ○○新聞○○販売店』
これが、効いたのか、翌日、石川から、相場での売買にその不動産屋が応じると連絡が入った。
その感謝ということで、うちの新聞を購読すると言う。後日、その不動産屋からも新聞の契約は貰うた。もちろん、ワシのカードになる。どさくさ紛れのようやが、仕事になるときは躊躇せんとそうせなあかん。
種明かしは簡単や。その不動産屋は、ある建設会社の依頼でマンションの建設予定地を探しとった。
その場所に、石川の土地が最適やと目をつけた。しかも、調べると幽霊騒ぎも過去にあった場所や。上手くやれば、買い叩けると考えた。
その騒ぎに、新聞販売店を利用しようと思うた。せやけど、それは、特に計画したことやなかった。
あの日、たまたま、その土地を調べるために庭におった所に、宮本が新聞の勧誘を始めたので、とっさに、引っ越し客を装うたということや。
試しに、幽霊騒ぎを起こすつもりで、販売店に電話した。そして、郵便受けも揃えたというわけや。
完璧にと思うたのやろが、それが返って墓穴を掘ることになった。思慮の足らん人間のすることはそんなもんや。どこか抜けとる。
ワシが、この不動産屋が一枚噛んどると思うたのは、何もその新しい郵便受けのためばかりやない。
マンション用地を手に入れても、そこで実際にマンションが建設できんと意味がない。その障害の多くは、近隣住民の反対や。ワシも建築屋におった頃、それで苦労したことがあるから良う分かる。
ワシは、異常なほどの近隣住民の口の重さに何かあると思うた。一人二人なら、そういうのも分かるが、ほとんどすべてやったからな。人が、こういうように同じ態度をとるというのは、共通の利益を守るためということが考えられる。
そして、この場合は、ほぼ間違いなく、その利益のために、この不動産屋は、近所の住民に、このことの口止めを依頼したはずや。
この不動産屋は、あの場所にマンションが建てば、近隣の土地評価価格は上がる。今のままやと、あの幽霊屋敷のおかげでそれもおぼつかん。そう説いたのやと思う。
そう言うことで、自然にマンション建設の反対運動を押さえることもできる。せやけど、そのマンションを建設しようとする建設会社もアホやないから、下調べは必ずする。
その際、幽霊騒ぎを発覚させんためにも、近隣住民を押さえる目的があった。住民の異常な口の重さはそれやと思うた。
そのことを確かめるために、法務局まで行って、石川の家を突き止めたというわけや。必ず、何らかのアクションがすでにあるはずやからな。
不動産屋も、幽霊騒ぎを大きくするつもりはなかった。ただ、新聞販売店を揺さぶることで、石川にそれを知らせるのが目的やった。この幽霊騒ぎは、石川だけが知れば、目的は達せる。安く買い叩くためというな。
ワシは、こういうことが分かったからと言うて、どこかに訴え出ようとは思わん。結果的には、誰が困るでもないしな。
石川は、相場の値段で土地を売れたし、不動産屋もそれなりに利益を上げたはずや。ただ、ぼろ儲けができんかったというだけのことや。
近隣住民にしても、長年の懸案やった幽霊屋敷がなくなり、土地の下落を抑えることができたと思うとる。マンションの建設会社も反対運動もなかったから、文句はない。優良物件やとなる。
ワシらにしても、この件で、石川と不動産屋の2件の契約が上がったから、動き損ということでもない。新聞屋は現金なもので、カードさえ上がれば、少々のことは目をつぶる。
そのマンションに知らずに住むことになった、住人はええ迷惑やないかと言う人もおるかも知れんけど、もともと、その幽霊なんか本当におったのかどうかさえ怪しいんやから、それが、被害と呼べるのかということになると思う。
もっとも、それと知れば誰でも、ええ気はせんやろうけどな。黙っとれば分からん。実際、そういう曰く付きの土地というのは、それこそ日本中至る所にあると聞くからな。
それでも、わざわざ広言することはない。そういうこともあって、この場所の地名を言うのを控えたわけや。
ただ、ワシは良う分からんことやけど、最初の幽霊騒ぎは何やったのやろうかと考える。最初の幽霊騒ぎの背景は、その場におらんかったということもあるが、ワシにも良う分からんからな。
後日、そのことを、石川に聞くと「親父の幽霊は本当におったと思うてた」と真顔で言う。「実を言うと、今まで、あの土地を手放すと、その親父の祟りがあると思うてたから、手放したくとも手放せなかった」とも話した。
石川が、そう思うてたということは、近隣住民もその幽霊の存在を信じとる者がおったと考えられる。あるいは、実際にそれを見た者もおるのかも知れん。口の重さは、それも原因の一つやったとも考えらんこともない。
何で今更、ワシがそんなことを言うのかと言うと、その数ヶ月後、その販売店に行くと店長に「例の石川さんな、交通事故で死んだんやて」ということを知らされたからや。
さすがのワシも考えさせられた。石川の告白もまだ耳に残っとったしな。もちろん、人間には常にそういう危険がつきまとうとるわけやから、それと関連付けて考えん方がええのかも知れんけどな。
ただ、その後も、その販売店ではしばらくの間『幽霊の仕業や』ということになっとったのは確かや。