メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第54回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2005.8.19


■それぞれの事情Part1  飲酒運転の果てに


どこにでも付き合いの悪い人間というのはおる。ワシら拡張員の世界でもそれは同じや。そして、こういう人間は総じて気難しい者が多い。

岩谷(仮名)という男も、その類に漏れず気難しい男やった。団員と喋ることは少ない。拡張員には珍しいタイプや。ワシらの団の人間は良う喋る人間が集まっとるから特に目立つ。

「あの岩谷ちゅうガキ、つき合いの悪い奴やで。そこそこカード上げとるから、金持っとるはずやけど、飲みに誘うても来んしな」

「ああ、そう言うたら、麻雀に誘うても、ボート(競艇)に行かへんかと言うても、知らん顔しとるからな」

「パチンコしとるのも見たことないで」

「女にのぼせ上げとんのと違うか」

「それでか、あいつに若い女の客が多いのは」

「そうやな、金でも使わな、あんなのに女ができるとも思えんしな」

「それで、カードは上がるけど、金はないっちゅうことか」

「団にも、ごっつい借(借金)があるらしいからな」

「どのくらいや」

「片手(500万円)は下らんらしいで」

「それで、決まりやな」

と、つき合いが悪いと、この世界では勝手なストーリーをでっち上げられてしまうことになりかねん。

そういう話が、ワシの耳にまで届いとるのやから、本人にも知れとるはずや。せやけど、岩谷は、それを否定しようとはしとらんようやった。

後になって知ることになるのやが、岩谷は岩谷なりの理由があって、つき合いの悪い男になっとった。拡張員には、それぞれに事情がある。岩谷の場合も例外やないということや。

その岩谷が、帰りの車中で、班長の太田(仮名)という男と揉めて喧嘩をしたと聞かされた。

入店する販売店と事務所との往復は、多くの場合、団専用のライトバンで移動する。大抵は班毎の編成で7〜8人程度になる。行く場所にもよるが、近場やと片道で30分程やけど、遠距離やと2時間という所もある。

その日、太田の班はカードの上がりが良うて、皆が浮かれとった。それもあり、太田は、帰りに、ディスカウントショップの酒屋に入るように指示した。太田のおごりで酒を買うためや。

「皆、今日は良う頑張ってくれた。好きなだけ酒とビールを買え。つまみもええで」と、太田が太っ腹なところを見せてそう言うた。

「おおきに」

大抵の班員は素直に従う。得することで逆らう者はおらんからな。ただ、この場合は、その例外として、岩谷が乗ってたということやった。

その岩谷は、皆が入るその酒屋にすら足を踏み入れず、車中で待っとたという。岩谷のつき合いの悪さは今に始まったことやないから、誰もそのことを気にする者もおらんかった。

「カンパーイ」

車に戻り乗り込むと、当然のように祝杯が始まった。

「こら、お前、運転するなら酒を飲むな!!」

いきなり、岩谷が怒り出した。運転手まで、調子に乗って缶ビールを飲んどるのを見たからやった。

「まあ、ええやないか。そんな警察みたいな堅いこと言わんでも、ちょっと、くらいなら汗で出てしまうわい」

と、太田が言う。実際、こういう帰りにビールを買うて車中で飲むちゅうのはありがちな光景や。特に、この夏の暑いときはな。ちょっとくらいは、ええやないかと思う人間は多い。

「それなら、班長、あんた、これで事故でも起きたら責任とれるんか」

「おお、何ぼでも、責任取ったらぁ」

もう、太田も後に引けんようになった。班員の手前がある。

「そうか、俺はあんたらみたいなんと道連れにされるのはごめんやから、ここで降ろして貰う」

「何ぃ、あんたらみたいなもんやとぉ?」

そう言いながら、太田は岩谷の胸ぐらを掴んだ。岩田がその手をふりほどこうとして小競り合いになった。すぐ他の班員たちが二人を離した。

「けったくそ悪いガキや。好きにさらせ」

太田がそう喚いた。ライトバンは、降りた岩谷をその場に残して走り去った。

団長からワシの携帯に連絡が入ったのは、そのすぐ後やった。

「ゲンさん、頼みがあるんやけど、帰りに岩谷を拾うてくれへんか」

「どういうことです?」

団長から、その揉め事を聞いた。ワシはその日、自分の都合もあり、自家用車で現場に行ってた。岩田のおる所からそれほど離れとらんから、ワシに迎えに行ってやってくれということやった。

岩田も怒りに任せて降りたものの、電車で帰るにもその駅までかなり距離がある。それで、団長に電話したらしい。

団長も本来なら、勝手な行動をとった岩谷を責めるところやが、話を聞けば岩谷の方に理がある。飲酒運転を団長として認めるわけにはいかんからな。

「それと、岩谷から話を聞いてほしいんやけど。ゲンさんになら、やっこさん話すやろ」

つき合いの悪さで有名な岩谷もワシとは話すことがあった。もっとも、ワシも拡張員仲間とは一線を引いて付き合うとるから、その点で、岩谷も話しやすかったのやと思う。

例え理由が何であれ、団員がその班長に向かって喧嘩を仕掛けるというのは、許されんことや。団としての示しがつかんからな。

しかし、岩谷は仕事ができる。せやから、借金もそこそこさせとる。はっきりした額を聞いたわけでもないが、片手(500万円)というのも、まんざら、噂だけでもなさそうや。

示しはつかんが、団長としても追い出すわけにもいかん。そこで、ワシに岩谷から話を聞いてほしいと言うことや。できたら、岩谷に謝らせてほしいと、暗に仄めかしとる。

「おやっさん、今の話を聞くだけでも、今日のは、太田班長の方が悪いのと違いますか。そっちにも、注意せんとあかんのやないですか」

「分かっとる。太田にはワシから釘を刺しとく」

一番ええのは、両方が手を打つことや。ただ、こういう場合は、お互いに相手の気持ちを考えることがなかなかできん。歩み寄れんというやつや。

太田も馬鹿やないから、運転手にまで酒を飲ませたというのは、多少はまずかったと思うとるはずや。ただ、あういう口の利き方をされたら、立場がないという思いが強い。

どんな仕事でもそうやが、管理職としてのプライドがある。特に、この世界には昔から縦社会としての不文律のようなものが、根強くあるから、よけいや。

しかし、岩谷の言うのも正論や。間違うてはない。運転手が酒を飲むのはいかん。ただ、岩谷が喧嘩してまで、何でそれを言うたのかが良う分からん。つき合いは悪いが、その分、どちらかというとおとなしい奴やったからな。

そのディスカウントショップの酒屋は国道沿いに面してあった。岩谷は、その駐車場の入り口辺りにおった。

「ゲンさん、すみません。ご足労かけます」

そう言いながら、岩谷は助手席に乗り込んだ。

「帰り道のついでやから、それはええが、何や喧嘩したとか言うてたけど。岩ちゃんにしたら珍しいな」

「……」

「まあ、そない気にせんでもええ。悪いのは、太田の方やとワシも思うしな。団長にも、そう言うたった。明日、お灸をすえられるやろ」

太田という班長は、あまりできのええ人間とはお世辞にも言える男やない。ええ格好するのが好きな奴や。もっとも、この世界には、こういうタイプは多いがな。

ただ、調子乗りやが、腐った根性の男というほどでもない。どちらかというと、下の者には面倒見のええ男やからな。今回のことも、班員の労をねぎろうてやろうという気持ちからで、悪意はないとは思う。

「いえ、僕の方が少し言いすぎたんです。どうしても、黙ってられなくて……」

岩田は、重い口を開き始めた。

3年前、岩田は交通事故を起こした。仕事の帰りやった。岩田は、ある大手商社の営業員やった。

その日は土曜日で会社は休みの日やったが、岩谷のような営業員に決まった休みはなかった。特に接待主体の営業やから、週末はほとんどの場合、休みなんかない。

その日も、得意先の会社役員を接待してた。大抵は飲みながらというのが、多い。もっとも、最近は、その大手商社と言えど、接待経費についてはうるさいから、金のかかる所は避けなあかん。

それに、接待は客のためやから、一緒になって飲むのもまずい。もともと、岩谷は酒がそれほど好きやないから、適当に飲む真似をしていつもごまかしていた。

大抵は、同じ店が多いから、そこのホステスに言うて、ウーロン茶をさもウイスキーの水割りのように作らせそれを飲む。

いつもは、それで良かったのやが、この日の接待客はたちが悪かった。自分の懇意にしとる他の店に行こうとなった。

営業員の悲しさで「もう、そろそろこの辺で……」とは、なかなか言い出しにくい。特に、この日の客は、会社にとっても上得意やから、心証を悪くするわけにも行かん。「喜んで」という雰囲気でついて行かなあかんかった。

しかし、勝手の違う店では、飲んだふりというごまかしは利かんかった。また、こういう客に限って酒を強引に勧める。

「何を、遠慮しとる。オレの酒が飲めんのか」

というタイプや。その客に開放されたのが、夜中の1時くらいやった。岩谷もかなり飲んだという自覚はある。

いつもは、自家用車を会社に停めとる。大抵は接待も飲む真似だけやったから、タクシーで会社に戻ってそれから自家用車で帰る。

酒が入っとる場合は、電車でということもあった。飲酒運転の罰則の厳しさは、岩谷なりに知っとるつもりやったからな。

客のためのタクシー代は経費になるが、自分の分は請求しずらい。その辺りが昔と違うところや。例え認められても必ず嫌味か説教をくらう。結局は地腹になることの方が多い。

岩谷は、その5年ほど前に、会社から1時間30分ほど離れた郊外に念願のマイホームを買うてた。妻と小1の娘が一人いとる。岩谷の頑張れる理由や。

電車賃なら、たかが知れとるが、家までタクシーで帰るわけにも行かん。深夜料金ということもあり、2万円前後はかかる。何をしとるのか分からん。

仕方なく、近くのカプセルホテルにでも泊まろうかと考えた。しかし、ここで岩谷は、次の接待のことを思い出した。明日、すでに今日になっとるが、朝の7時に別の得意先の社長と接待ゴルフの約束が入っとった。

それを、すっぽかすわけには絶対に行かんかった。岩谷は、タクシーで会社に帰った。車の中で仮眠をとって、明け方、家に帰ってから迎えに行けば、間に合うと踏んだ。以前にも、そうしたことがある。

会社の駐車場についた岩谷は、仮眠を取ろうとしたが、目が冴えて眠れんかった。これなら、運転に支障はないだろうと思うた。

問題は、夜中の検問に引っかからんことや。それさえ、気をつければ大丈夫やと思うた。事故を起こすことは考えんかった。恐いのは、酒気帯び運転で捕まることや。

高速道路と国道はまずいと判断して、裏道を走った。その道も何度か走ったことがあった。そこなら、まず、検問はしとらんはずや。深夜やから、人通りもなく車も少ない。比較的スムーズやった。

いきなり、車に何かが当たった衝撃がした。あっと、思う間もない。その気配すら感じられんかった。

岩谷は当たった後、急ブレーキを踏んで止まった。車から降りると、10メートルほど後方に自転車と人が倒れとるのが確認できた。

恐る恐る近寄って「大丈夫……ですか……」と何度か呼びかけるが、応答はない。被害者はうつ伏せに倒れたままや。

瞬間、岩谷は頭が真っ白になった。えらいことになった。どうしよう。どうしたらええんや。何とかしようと必死に考えるのやが、そこから先に考えが進まん。

「救急車や!!早よ、救急車を呼べ!!」

誰かの声が響いて、我に返った。事故を起こした現場の近くにコンビニがあった。その前に公衆電話がある。岩谷は夢中になってそこに走り119番に通報した。

しばらくして、救急車より速くパトカーが来た。間もなく、救急車も来た。慌ただしく被害者を乗せ走り去った。

岩谷は、飲酒ということがその場で発覚して逮捕となり、そのまま警察署に連行された。取り調べには素直に応じた。

その取り調べの最中に、被害者が死んだと聞かされた。被害者は近所の住人で柳田という36歳の男やと言う。自転車でコンビニに買い物に来て、その帰りやったらしい。

交差点のない道路を横切ろうとしたのやが、渡り切る寸前で、岩谷の乗用車と接触して転倒した。現場は、緩やかなカーブになっとった。深夜ということで、見ずらかった。岩谷の意識以上にスピードも出ていた。

加えて、アルコールによる思考力の低下ということがあった。アルコールには麻酔作用がある。これが脳を麻痺させ、いわゆる「酔う」ということになる。麻痺した脳で下す判断はどうしても誤ることになりやすい。意識ははっきりしてても、感覚は鈍る。

結局、岩田は業務上過失致死罪ということになり、懲役1年の実刑判決を受け、K交通刑務所に収監されることになった。

妻が面会に訪れた。妻は被害者の柳田家に謝罪するために行った。柳田の奥さんは半狂乱になって妻を追い返したと言う。「主人を返せ、主人を返せ」と、ただそれだけしか言わんかったらしい。

会社からは、解雇されたと伝えられた。岩谷は、取り調べで隠さずに話したが、その際、得意先の会社役員との飲酒も言うてたから、警察からそれに対しての取り調べを受けたようや。

当然のように、その会社役員は怒る。取引停止を通告してきた。その責任のすべてが、岩谷にあるということや。もちろん、岩谷に弁明の機会は一切与えられんかった。

被害者への補償は、保険に入っとるからある程度は、それで賄えるが、一部は削られた。被害者側にも、無灯火の自転車に乗ってたという過失を保険屋はついた。結局、保険屋からの慰謝料は3000万円ほどになった。

ただ、その後、2000万円の負担を岩谷がすることで、示談が成立した。しかし、それを工面するには、家を処分するしかなかった。

妻も、それに対しては仕方ないということで一致した。どのみち、収入の道を絶たれとるわけやから、住宅ローンの支払いもできんようになるのは、分かってた。

ただ、これから、岩谷と暮らすのは無理やと妻が言う。家を処分しても、住宅ローンとの兼ね合いで、いくらも手元に残らんと予想される。それで、柳田への慰謝料を毎月払うて行くのは無理がある。

妻の実家からも、しきりに別れろと言われとると言う。妻自身もこの事故による精神的ダメージが深い。それに、小1の子供を抱えて堪えられんと話す。岩田は、妻との離婚に応じた。

そのすべてが、岩谷が刑務所にいとる間に決まった。岩谷は、一瞬にして何もかも失ったことになる。その思いが強かった。

しかし、この事故による悲惨なことはそれだけやなかった。

刑期を終えた岩田は、柳田の奥さんと会った。事故から1年以上が過ぎたということもあるのか、柳田の奥さんは落ち着いた様子で、岩谷の訪問を受け入れた。

金銭的なことで言えば、それなりに保険金が出とるはずやが、なぜか生活は苦しそうやった。2DKのアパートに小学生の子供二人と暮らしとった。

「大変、申し訳、ございませんでした」

岩谷は、その玄関口で土下座してそう言うた。こうしたからというて償われることやないのは百も承知やが、そうせずにはおられんかった。

「どうか、お手を上げて下さい。岩谷さんの誠意も分かりましたし、岩谷さんのご家庭も大変なのは承知していますから……」

柳田は小さな町工場を経営していた。赤字続きやったが、柳田が生きとる間は、何とかやって行けた。しかし、その経営者が死ぬと現実は厳しい。

借金が一度に押し寄せてくる。奥さんではどうしようもなく廃業するしかなかった。3000万円の保険金と岩田の家を処分して工面できた500万円を合わせたくらいでは足りなんだ。

結局、住んでた家を処分することで何とか借金の清算はできたが、ほぼ、無一文になった。現在は、近所のスーパーでパートとして働きながら、子供二人を育てていると言う。

ただ、これから、示談金の残り1500万円を岩谷が返す約束がある。それが、あれば、柳田の奥さんと子供さんの窮状は救われる。しかし、悲しいかな、刑務所を出て間もない岩谷には、今すぐそれを返せるあてがない。
   
岩谷は、必死で仕事を探した。自分一人食うて行くのなら何をしていても問題はない。しかし、岩谷には重い借金がある。人間として絶対に避けられん借金や。

普通の仕事では、今の時代、そう簡単に稼ぐことができん。幾度か仕事を転々としながら、辿り着いたのが、この拡張員やったというわけや。

もともと、営業の仕事をしてたから、やれば何とかなると思うた。それに、この仕事はできると認められたら、それに応じた借金ができるというのも、岩谷には魅力やった。

岩谷は、団からできるだけの借金をして、その金を柳田の奥さんにすべて送った。もちろん、稼いだ金の大半もや。その額はこの2年で800万円ほどになると言う。

岩谷は自分のためには金は一切使わんかった。つき合いの悪さにはそれがある。

団への借金も、500万円近くある。噂はまんざら的はずれやなかったことになる。今の岩谷にとって、そういうのは、何の負担にもならんかった。

自分の不幸や不運を考える余裕がない。残された柳田親子の窮状しか頭になったからや。その責任のすべては、自分にあるという思いや。

「僕は、どうしても、目の前での飲酒運転というのを見過ごすことができんかったんです」

「そうか……」

ワシには、その気持ちは良う分かるとかという、月並みな気休めの言葉は吐けなんだ。

それから、柳田の奥さんから「もう、これで十分です。これ以上、無理をしないで下さい」と伝えてきたと言う。

しかし、岩谷はそれからも続けている。それはもう償いの域を超え、生き甲斐にすらなっとるようや。ただ、相手の負担に思う気持ちを察して、毎月の金額は減らしとるようやがな。

今更やけど、この世界には、いろいろな事情を持って流れてくる人間は多い。それぞれの事情は、それぞれで解決して行かなしゃあないことやから、それについてどうこう言うつもりはない。

最後に、ついでやから言うとくが、団長と班長の太田にだけは、岩谷の話を伝えた。団長は、断片的やったが、ある程度の事情は知ってたようや。

その話を聞いた太田は、岩谷に心から謝っとった。涙を浮かべとったからな。ワシは、太田を見直した。人の心の分かる人間に悪い奴はおらんと思うとる。

因みに、団ではそれ以降、移動の車中での飲酒はご法度となった。もっとも、それがあたりまえのことやから、別に取り立てて言うほどのことでもないけどな。


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