メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第56回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2005.9. 2
■それぞれの事情Part2
借金と契約書と保証人の話
ええ格好に聞こえるかも知れんが、ワシは、人に金を貸す場合は、やったと思うことにしとる。返して貰うたら儲けものくらいの気持ちや。
また、借金は、10年前から二度とせんとこて決めとる。実際に、その間、人から100円の金も借りたことはない。これからも、おそらくそうやと思う。
せやから、ワシには、金の貸し借りで揉める人間の気持ちが良う分からん。
確かに、人に金を貸して返さん人間も悪いが、貸す者にも責任がある。まして、それが、返して貰わな困るような金を貸したというのは、お人好しというより思慮の足らんアホやと言われても仕方ない。
その人間と共倒れになっても構わんという相手以外にそういう金は貸さん方がええ。それと、ついでやから言うとくけど、保証人になるのも同じや。
友人に、保証人を頼まれるようなことがあったとする。これが、大金を貸してくれと言われても、なければ、ないと言えるが、保証人の場合は、比較的、簡単に引き受ける人間がいとる。
借金をするのは、その友人で、自分ではないと思う気安さからや。その友人を信用しとるからというのが、その理由の大半ということになる。
せやけど、良う考えてほしい。普通に仕事をしとれば、銀行からの借り入れや消費者金融で借りることもできるし、保証協会でその保証を頼むこともできる。大抵の人間は、それを先にする。
そういう所は、頭を下げる必要もないし、相手側が腰低く対応してくれるから、借金するという引け目のようなものを感じんでも済む。
保証協会にしてもそうや。その分の料金を取られるのやから、相手も商売やと割り切ることができる。
ところが、これが、友人や知人に頼む場合はどうしても、気兼ねせなあかん。頼みにくいのが普通や。
せやから、友人にまとまった借金や保証人の依頼をせなあかん場合というのは、相当に行き詰まっとると考えて、まず間違いない。
金融機関のどこにも、その個人の力や信用だけで借りられる所がなくなっとる可能性大や。あれば、無担保、無保証で借りられるはずやからな。
もっとも、大金の場合は、大抵、そういうのは必要やが、そもそも、個人の能力を超えた借金をしようとしとるという段階で、その人間には注意信号が灯っとる。
こういうのは、きっぱりと断った方が、その友人も、それ以上、傷が深くならんで済む。自分もそれに巻き込まれんでも済むから、お互いのためにもなる。
非情なようやが、これが本当の親切やし、友情や。それに、本当の友人なら、相手を巻き込むかも知れん借金の保証人なんかは頼まんもんやからな。
安井(仮名)という男がおった。大手電機メーカーの社員やった。5年前に結婚して、現在、28歳の妻と3歳になる長女との3人家族で、極、普通の生活をしてた。安井は、今年で32歳になる。
結婚後、間もなく、安井はマイホームを買った。住宅ローンでや。月々のマンションの家賃を支払うことを計算したら、その方が得やと思うたからやと言う。
ほとんどの人間は、現在の状態で将来を考え、予測する。現状が長く続くと思う。もっとも、一寸先は闇やと考えとる人間は、ローンなんかで家は買わんがな。
ワシは、元建築屋でその家を売る立場の人間やったから、そういう客の心理は良う分かる。もちろん、その中にも、いろんなタイプの者がおるが、総じて堅実や。と言うより、そうするのが普通やと思うとる。
特に、この安井はその典型的な男やった。日々の仕事や生活もほぼ同じこと繰り返し、人生設計も単純に考える。結婚して、子供が産まれ、マイホームを建て、定年まで勤め、後は年金暮らしを想像する。
こういう生き方は、つまらんと考える人間もおるかも知れんけど、本当に何事もなく、そういう人生を全うできたら、それが一番、幸せなことやと思う。
一度でも、ワシらのような、ドツボを経験したら、その何事もなく過ぎた平凡な日々が、自分の人生で最高のときやったというのが、良う分かるし、実感できるからな。
誰でも幸不幸とは、常に隣り合わせに生きとる。ほとんどの場合、それと気付かんだけのことや。
この安井も例外やなかった。
ある日、この安井の所に、学生時代の親友やった吉本(仮名)という男から、何年かぶりかで電話がかかってきた。
安井と吉本は、ラグビー部に所属してた。こういう、体育会系のつながりというのは、結構、強いものがある。例え、何年も会ってなくても、昨日、別れたような気安さがすぐよみがえる。
「今、近くで飲んどるんやが、良かったら、来(き)ぃへんか」
安井は、懐かしさもあって、誘われるままに出向いた。そこは、安井も良う知ってる飲み屋街やった。
「よお!」
「久しぶりやな。珍しいやないか」
「ああ、近所まで、来ると、急にお前のことを思い出してな」
「それはそうと、お前、独立したんやてな。どうや、上手いこと行っとんのか」
「まあ、ぼちぼちや」
吉本は、5年前の同窓会で、IT業界の会社を立ち上げたと言うてた。風の噂では、かなり儲けとるということやった。
その後、二人は、学生時代の話に花を咲かせた。主にラグビー部での思い出話や。
「明日も仕事やから、そろそろ帰るわ」
吉本は、そう言いながら立ち上がりかけ、財布を取り出そうとする安井の手を押さえた。
「ここは、俺が誘ったんやから、払うとく。……、あれっ?」
「どうした?」
「財布がない……、どこかで、落としたんやろか……。まいったなあ……、カードも入っとったのに……」
「えらいこっちゃな。カード会社にはすぐ連絡した方がええで。ここは、俺が払うとくから」
「悪いな……」
結局、安井はそこの飲み代を払った。もっとも、飲み代は二人で6000円ほどやったからどうという額ではない。そして、財布を落として一銭もないというので、1万円を貸した。
「済まんな。借りとく。すぐ返すから」
「そんなもの、いつでもええから、気にするな」
それで、二人は別れた。
翌日、夜の8時頃やった。吉本が家に尋ねてきた。安井は書斎兼応接室に通した。
「昨日は、本当に済まんかったな」
吉本は、そう言いながら、飲み代と1万円、会わせて1万6千円を出した。6千円の方は返そうとしたが、約束やからと言うことで受け取った。
「お前の、そういう律儀な所は変わってないな」
事実、学生時代の吉本は、真面目なというしか形容できんような男やった。約束を破るようなことも絶対にせんかった。
しばらく、また、学生時代のラグビーの試合のことなんかを話合うた後、吉本は急に真顔になって、切り出した。
「実は……今日は、ちょっと、頼みがあるんや」
「何や、改まって……」
吉本の頼みというのは、連帯保証人の一人になってくれということやった。事業を拡大するのに、どうしてもその資金が必要やと言う。それも、今しかチャンスはないと力説する。
しかし、いくら、親友の頼みやと言うても、いきなりそういう話をされても困る。こういうことは、妻に内緒というわけにも行かん。知られるとええ顔はせんやろうからな。
「何、連帯保証人というても、他に4人ほどおるから、名前を貸してくれるだけでええんや。絶対に迷惑をかけるようなことはせんから」
なるほど、その示された契約書を良く見ると、その連帯保証人がずらりと並んで記入されとった。実印らしきものも押されとる。
その中に、その吉本の親の名前もあった。また、取引先の社長の名前やというのも教えて貰うた。
「それだけ、保証人がおったらええのと違うのか」
「いや、どうしても、あと一人いるらしい。金額が多いということでな」
契約書の額面は、1000万円になっとった。吉本は、あくまでも、人数合わせだけのことやからと強調して、必死で頼み込んだ。
吉本の実直さを良う知っとる安井は、ちょっと、迷ったが、このとき、あるフレーズを思い出した。
ワンフォーザオール・オールフォーザワン。
一人はすべてのために、すべては一人のために。ラグビーの世界でチームワークの重要性を言い表した有名な言葉や。
「分かった。しかし、妻には知られたないな」
妻にいらん心配をかけたなかった。それに、言えば、おそらく反対する。そうなったら、自分の顔が潰れる。そう考えた。
そこで、安井は、明日、仕事帰りに喫茶店で落ち合うことにした。住民票と印鑑証明、実印が必要になるから、妻に内緒で揃えて渡すためもある。
2ヶ月後、金融屋を名乗る男から、職場に電話があった。
「安井ですが、どういったご用件でしょうか」
「吉本さんを知っておられますね」
「ええ、友達ですが……」
「その、お友達が、お貸ししたお金の返済を滞っておられるんで困っているんですわ」
「え?」
「お宅、連帯保証人欄にご署名、捺印されましたよね?」
「ええ、でも、それは、私だけでは……」
「ええ、他にもおられますけど、私どもは、吉本さんに払って貰えない以上、安井さんにお支払いして頂きたいと思っているんですよ」
「そんな無茶な……」
「お電話だけでは、事情がお分かりになられないと思いますので、今晩、お宅に寄せて頂いて、ご説明、致しますが……」
「いえ、それは、困ります。私の方から、そちらに出向きますので」
安井は、その金融屋の住所を聞いて、仕事が終わり次第行くことにした。いきなり、家に来られたら、妻に分かってしまう。それはまずい。それだけは、どうしても避けなあかんと思うた。
安井は、その場で、吉本の携帯に電話した。
「ただいま、この電話番号は、お客さまのご都合により、おつなぎすることができません……」
つながらん。どういうことや……。
安井はパニック状態になった。それでも、必死に考えた。何かええ方法はあるはずや。吉本の親も名前を連ねとったということを思い出した。
電話をかけてきた金融屋に、そのことを言えばええ。安井は、仕事が終わると、教えられた金融屋に行った。
そこは、ビルの2階に事務所のある、普通の消費者金融会社のように思えた。看板の社名もどこかで聞いたような名称やった。
奥の部屋に通されるとしばらくして、男が二人現れた。若い男と中年の男や。両方とも、ネクタイ姿で身だしなみはきちんとしとった。
「吉本は、どうしたんですか?」
「どこにもおられません。夜逃げしたみたいですわ」若い男が答えた。
「夜逃げ?でも、それで、何で私の所に電話かけて来られて、いきなり、払えとおっしゃるんですか。彼には、親御さんもおられるはずですよ。まず、そちらから払って貰うのが筋じゃありませんか」
「こら、おとなしいに言うとるから思うて、いつまでも、眠たいことぬかしとったらあかんで。誰に金を払うて貰うかは、ワシらが決めることなんや」
若い男の態度が急変した。というより、これが本来の地や。安井は、完全にびびってしもうてた。
安井にとっては、いきなり、そこがヤクザの事務所のように変わったと思えた。生きた心地がせんかったと後にそう洩らした。
「こら、お客さんに、そんな行儀の悪い言葉使いはやめとけ。どうも、申し訳ありません。いえね……」
中年の男が、たしなめるように言うたが、こちらの方がドスが利いて凄みのある雰囲気やった。ただ、言葉使いが優しいというだけのことや。
安井は、どうやら、大変な所に来たと実感した。中年の男の説明は、それなりに説得力があったが、急には納得できる話やなかった。
しかし、この中年の男の説明で、やっと、連帯保証人がどういうもんかということを知った。
連帯保証人という名称から思い浮かぶのは、その名の通り、それに連なっとる人間が全員で、何かあったときの責任を負うということや。
実際は、まったく違う。契約者が支払い不能になった場合、債権者は、その中の誰に支払って貰うかを自由に決められる。取れる所から取れという仕組みなわけや。
法律的にも、これから逃れることはできん。もともと、保証人というのは、その契約者が払えんようになった場合に代わって払いますという契約になる。実質的には、借金した者と同じ立場になるわけや。知らんでは済まん。
「私はどうしたら……」
「本来なら、この契約書にもある通り、残金は一括して支払って貰うことになるんですが、安井さんは大手電機メーカーにお勤めということもありますし、特別に、吉本さんの支払い条件を引き継いで頂いてもよろしいんですが……」
吉本の支払い条件というのは、毎月約30万円の支払いを4年続けるというものやった。
安井は、その場を一刻も早く逃れたいということと、吉本の親にも、このことを知らせば負担して貰えるはずやと思い、また、吉本の居場所もすぐ分かると考え、その申し入れを受けた。
そして、2ヶ月遅れやからということで、翌日、約60万円の金を振り込んだ。それで、次の1ヶ月後の支払日まで、猶予ができたことになる。
しかし、そのあてがすべてはずれた。吉本の父親は、3年前にすでに死んでいた。他の連帯保証人もすべてその所在が分からんかった。
後は、吉本を見つけるしかないと思い、友人に声をかけて廻ったが、分かったのは、安井のような被害者が他にもいとるということだけやった。
吉本を捜せばまだ何とかなると考えたが、時だけが過ぎるだけで手がかりすらなかった。それでも、まだ、安井は、妻に内緒で支払いを続けた。
当然やけど、月々の手取り額に近い返済金を支払い続けられるわけがない。後は、お決まりのコースや。
支払いのために借金を重ねなしゃあなかった。その金融屋の口車にも乗り、その額が膨らみ、ついにパンクした。
結果は、良うある悲惨な末路や。妻は愛想を尽かして実家に帰った。家や他の財産をすべて処分しても、まだ借金は残った。ついには、給料の差し押さえまでされた。そして、そういう噂は、あっという間に知れ渡る。
悪いことは重なるもので、リストラが安井を直撃した。多少の退職金も出たが、給料を差し押さえられていたこともあり、それも、すべて、返済に消えた。
文字通り、無一文で放り出されることになった。しかし、折からも不況で、そう簡単に仕事は見つからん。結果、拡張員をしとるということや。
ワシは、安井の話を聞いて、即座に嵌められたなと直感した。
この金融屋は、俗に街金と呼ばれとる高利の業者や。こういう所は、客の永続性というものはあまり期待せん。
街金に手を出す人間は、遅かれ早かれ、いずれはパンクすると考えるんや。その前提で客を品定めするし、付き合う。
それには、その客の交友関係も重要な要素になる。その中に、公務員や安井のような大手企業の社員がおったら、格好の狙い目になる。
初めは、無担保での貸し付けやったのが、有担保になり、やがては保証人をつけろとなる。それで、連帯保証人の集め方を教える。
狙いは、安井のような人間や。しかし、保証人というのは、いきなり言うたのでは警戒される。それで、その付き合いの深さで、頼む人間の誠実さを訴えさせるようにする。
安井のケースは、吉本が最初に電話をかけて、飲みに誘い出したところから、それが始まっとった。財布をなくしたのも演出なら、翌日、すぐに金を返しに行ったのも、その一環や。
連帯保証人も、あらかじめ、数人書いて用意しておく。その中には、必ず身内の名前を入れる。それをなるべく強調する。すべて、計算尽くやが、その証拠はない。
ただ、ワシがそうやと思う根拠は、こういうことを、普通の素人が簡単に思いつくことやないと思うからや。
金融屋もアホやないから、あからさまにそういう指示はせん。こういう話もあったで、という程度で抑える。金を借りようとする人間は必死やから、それを真に受ける。
こういう連中は、いくつもの逃げ道は常に用意しとる。すべては、そんなことは知らんかったということで通す。例え、それはないやろと思えるようなことでもな。
今回の場合で言えば、3年前に死んだ親をその連帯保証人の一人にしとったことやが、金融のプロにそのことが分からんかったはずがない。それでも記載を許しとるというのが、立派な証拠や。
念のために言うとくが、すべての金融屋がこういうことをしとるわけやない。それは、ワシら拡張員と同じで、そういう業者も中にはいとるということや。
世の中には、どこで、どんな落とし穴が潜んどるか分からん。いくら注意しても、それに嵌ることがある。
それを知るには、一度、そういう経験をするのが一番確かやが、それでは、手遅れの場合が多い。
この教訓として、安全に生きていきたければ「金の貸し借りは極力しない」「契約書には迂闊にサインせん」「保証人は断る」ということを徹底するしかないと思う。まあ、いくら言うても、分からん人間には無理やろうけどな。
せやけど何ぼ「契約書には迂闊にサインせん」と言うても、真面目な拡張員には、新聞の契約くらいはサインしたってな。頼んます。
新聞の購読契約くらいなことで、人生を棒に振るようなこともないと思うしな。