メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第57回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2005.9. 9


■ 希望ヶ丘の決闘 前編


5年ほど前。

残暑の残る昼下がり、希望ヶ丘と呼ばれとる住宅街でのことやった。

その二人の男たちは、お互いの存在に気付いて足を止めた。その距離、十数メートルほどや。お互いだけが分かる緊張感に包まれた。

相手が敵やというのは、この二人には本能的に分かった。傍目には、この対峙しとる男たちに共通点はなさそうに見える。

片方は、夏用の薄いベージュのスーツにネクタイ姿で、もう片方は、白いポロシャツにジーンズというラフなスタイルをしとる。

時間の止まった二人とは対照的に、その傍らを、バイクの郵便配達員が、忙しげに家々に郵便物を放り込み走り去る。

男たちの額から汗が、スローモーションで流れる。ポロシャツの男は、右のベルトのポーチに右手の全神経が集中し、スーツの男は左胸の内ポケットをチラリと覗く。

西部劇にこれと似たシーンが良うある。その緊張感のピークと同時に、お互いが銃を抜き、撃ち合う。そんな場面や。

ポロシャツの男の指先が、ピクッと小刻みに動いた。スーツの男が胸元に右手を滑らせた。

男たちは、ほぼ同時に抜いた。

「もし、もし、ゲンさん。やっぱり、いてました。応援、頼んます」

ポーチから携帯電話を抜き取ったポロシャツの男は、同じ団の山川(仮名)という男や。スーツの男も内ポケットから取り出した携帯電話に向かって何やら、必死に誰かと話とる。

「分かった。すぐ行く。相手は何人おる?」

「目の前には一人だけですけど……」

「ヤマさん。一人で迂闊に動いたらあかんで」

情報通りやったな。もっとも、ワシの情報網は確かやがな。それにしても、懲りん奴らや……。


何の話をしとるのか良う分からんと思うから、話を少し前に戻す。

この所、バンク荒らしというのが続いとると入店先の販売店から団に連絡が入っとった。相手は関東者らしい。

通称「バンク荒らし」というのは、通常の拡張の域を超えたあくどい営業をすることをいう。たちの悪いのが多い。

喝勧、置き勧、泣き勧、ひっかけと何でもありや。拡張員の評判が地に墜ちるような営業を平気でする。

文字通り、バンク(販売店の営業エリア)を荒らすことになる。当然やけど、こういう勧誘は客に嫌がられる。

こういうのに訪問された客は、それが特別なケースやとは思わんからな。拡張員全体がそうやと思い込む。

これは、通常の地回りの団では考えられんことや。その地域自体が、そういうことで、すでに荒れてしもうてる場合はどうか分からんが、ここでは、そういうのは少ない。この地域では、どこの新聞社の販売店も、団も、評判の方を気にするからな。

今回の場合は、特別に他の地域から拡張員を呼び寄せた団が仕組んだことやった。もちろん、それを呼び寄せた販売店も一枚噛んどる。

拡張団は、通常、新聞社から営業エリアというのを決められとる。その地域毎に、一部、二部という具合にな。

一部というのは、その地域の主要都市部で、二部というのは、その次に位置する沿革部になる。地域により、三部、四部もある。

基本的に、拡張団は、その決められた地域やバンク以外の勧誘はできん。今回のように関東の所属団が、関西で勧誘はできん仕組みになっとるわけや。

ただ、例外はある。その関西の拡張団が、懇意にしとる関東の拡張団に応援を頼む場合や。この場合は、実質は、関東の所属の拡張団員であっても、一時的に、関西の所属の拡張員として登録すれば、問題はないことになる。

ワシらも、逆に関東にそれで行ったことはある。こういうのも、特拡(特別拡張)と呼ばれとるものの一つや。事情は、いろいろやけど、定期的というのは少ない。

たいていは、カードを上げな、その存続すら危ういというようなときの応援が多い。急場凌ぎというやつや。

今回のケースもそうやった。あるA紙の販売店が潰れそうやというので、そこに出入りしとる拡張団が、系列の関東の拡張団に応援を頼んだ。

販売店が潰れそうやというのは、必ずしも、そこの経営状態が悪いからだけとは限らん。販売店は新聞社と販売委託契約というのを交わしとる。

その中に『新聞の新規購読者開拓及びPRを業務とする』という一文がある。この新規購読者開拓、つまり、読者獲得による増紙ということに、新聞社は重きをおく。要するに客を増やせということや。

新聞社からの契約解除の一番大きな理由が、この新規購読者の増減にある。客を増やせん販売店は能力がないと、新聞社は判断する。それが、減少しとるというのは論外やとなる。

普通の小売店のように、例え売り上げが伸びんでも細々とやっていけたらええという考えでは、新聞販売店の経営は任せられんとなるわけや。

宅配制度の中で、契約解除というのは、改廃と言うて、事実上の倒産ということを意味する。瀬戸際の販売店がそうならずに助かるためには、一時的にでも契約数を増やすしか道はない。

しかし、普段からそれができんから、そういう事態になっとるのに、そう簡単に契約を伸ばすというのは難しい。普通では無理や。そこで、そういう販売店は、出入りの拡張団に入店人員を増やすよう依頼する。

今回は、それを頼む相手先が悪かったということになる。それを販売店から依頼された団も、当然の流れやが、その責任も新聞社から追及されてた。その能力に欠けとる。こちらも後がない状態や。

そこで、この団は、かねてから、懇意であった関東の団に協力を要請した。泣きついたわけや。そこから、精鋭部隊と称して、20名ほどの拡張員が派遣された。

それが、今回のバンク荒らしの正体や。依頼した団も販売店も、よほどでないとそういう所に頼むことはないが、てっとり早く、契約を伸ばそうと思えば、人数を増やして営業するしかない。

そのためには、少々のことは言うてられんということになる。目先の契約が上がらんとそれで終わりになるんやからな。背に腹は代えられというやつや。

強引な営業というのは、一時的には、それなりの効果を上げ、契約数を増やすことはできる。しかし、当然のことながらトラブルも起きる。

そのトラブルが、ワシらの出入りしとる販売店に降りかかった。

その販売店が言うには、そこの顧客が、強引に新聞の変更をさせられたというものやった。それをしたのが、関東者のヤクザ風の拡張員やったと言う。

その販売店は、すぐにその客に、そういう契約は「クーリング・オフで解除できますよ」と教えたが、怖がってそうしようとはせんと言う。

そこの店長は、その相手側の販売店に文句を言いに行ったが、逆にそこで、その関東から来たという拡張員に脅された。

「何だと、てめぇ、変な言いがかりつけるんじゃねぇ。こちとら、お客さんのご要望で契約して頂いてるんでぃ。ごたく並べるとためにならんぜ」

と言われ、あっけなく追い帰されたらしい。相手のその男は、どこから見てもヤクザに見え、小指もなかったと言う。それで、ワシらの団に相談を持ちかけたというわけや。どうにかしてほしいと。

しかし、この販売店のように、闇雲に文句を言うだけではらちがあかん。止めさせるか追出すことを考えなあかんのは、その通りやが、相手もそれなりの事情や背景でやってることやから、そう簡単にはいかんやろと思う。

しかも、実力で排除というわけにはいかん。ワシらの世界でそんなことをしたら、共倒れや。警察だけやなしに新聞社も黙っとらん。

新聞社にとって、ワシらを潰すことなんか簡単なことやからな。販売店と同じで業務取引を一方的に解除したら終いや。

その契約書には、そのための項目は、嫌というほど書き込んである。少しでも、新聞社の名前に傷がつくと判断したら、簡単に切り捨てられる。

何より、そんなことをして、そこが抗争の場所となれば、そのバンクの客が一番、迷惑する。できれば、こういう争いは人知れず解決しとかなあかん。

ワシは、こういうことにかけては、なぜか一目置かれとったから、団長から密命を受けて10人ほどで販売店にやってきたというわけや。

具体的に、こういうことを止めさせるには、その現場を押さえるのがてっ取り早い。こういう連中は必ず違法行為をしとるはずやから、それを突くんや。

そのためには、日頃、どれだけの情報網を持っとるかで勝負は決まる。何ぼ現場を押さえる言うても、どこでそれが行われとるか分からんかったら、手の打ちようがないさかいな。

それが、起きてしもうた後やったら、どこに証拠があんねんと開き直られる。特に客が怖がっとるような場合は、どうしようもない。その証言すらせんやろからな。

ワシの情報網は顧客が主や。日頃から、なるべく懇意の客を確保するようにしとる。拡張員は一度契約を貰うた客は、次からは客にはならんと思うてる者が多いが、そうとばかりは限らん。

懇意になれば、別の客を紹介して貰えることも結構多い。そういう、タイプの人間と付き合うようにするんや。社交的というか、世話好きなタイプやな。それに、こういう客は、情報員としては最適やしな。

参考までに、各新聞社、販売店で、その地域毎にモニターという特別の顧客を抱えとるのが普通や。

それをする方も、それなりのサービスもあるからやが、それ以上に、その新聞のファンやということがある。たいていは喜んでしとる。

未確認情報やが、関東のある新聞社では、販売店に100軒に1軒の割合で、それを確保しろと指示しとると言うことや。

そのモニターから、情報が入ることがある。どこそこの新聞拡張員が来て、こういう拡材を提示して帰ったとか、こういう悪口を言うてたとかという類やがな。

国の組織も、このモニターというのをしとる。公正取引委員会が毎年全国で募集しとる消費者モニターというのがそれや。

これは、ワシら拡張員の動向を監視させるという狙いがある。全国できっちり1000人いとる。それが募集枠なわけや。どれだけの効果があるのか分からんが、その報告率は95%もあるという。

ほぼボランティアに近いが、チクリ好きな人間はどこにもいとるということや。もっとも、正義感に溢れてということもあるやろけどな。

それに、加えて、ワシらのような拡張員との個人的なつながりでそうする人間もいとる。つまり、そこら中に、こういうモニター客や情報員がおるということや。

あこぎなことをしとる拡張員は注意しといた方がええで。やってることが、バレバレやということも考えられるからな。

ワシの情報網に、この連中が簡単に引っかかった。

「ゲンさん、言うてはったような人間が来ましたで」

そう言うて、ワシのそういう顧客のひとり、小山(仮名)という年輩の人間から電話が入った。年金暮らしの暇人や。

「それで、どない言うてました?」

「ゲンさんに言われた通り、今、忙しいから、1時間後に来てくれと言うときましたけど、大丈夫ですか」

この顧客は、怖がってそう訊いたのやない。本当に1時間後、その拡張員が来るのか心配やということや。

この顧客のことは良う知っとるが、脅かされたからというて怖がるタイプの人間やない。また、そういう客には、こういうことを頼むようなこともせんしな。

「心配いりまへん」

この拡張員は必ず来る。1時間後に客が来いと言う場合は、確実に契約できると思うからな。それで、断ったらただではおかんと脅す口実にもなる。

「わざわざ、指定されてきたのに、なめるんじゃねぇ」と言える。こういう奴にとっては、こういう客は鴨がネギを背負(しょっ)とるということになる。

この小山という顧客は、事情を言うと喜んでと協力を申し出た。名分としては、こういう迷惑な拡張員をこの地域から追放するためということや。もちろん、狙いはそれやから嘘やないけどな。

そのためには、そのあこぎなことをしとる現場を押さえなあかん。証拠が必要や。ただ、普通に勧誘しとるだけやったら、何十人で押し寄せようが、ワシらの出る幕やない。文句も言えん。

ワシらも、特拡やったら、一つの販売店に4,50人で入店して、勧誘することもあるさかいにな。

今回の場合は、明らかにやり口があくどいということやから、それだけは止めさせなあかん。これを放っておいたら、ワシらの仕事もやりにくくなるからな。それに何より、販売店の要請を無視することもできん。

ワシは、その顧客の家に上がり込んで、その拡張員が来るのを待った。

案の定、小1時間ほど経ってからその拡張員がやって来た。小山は、ワシに目配せしてから、その応対に出た。

訪れた拡張員は、いかにも極道やと言わんばかりの風体をしとる。趣味の悪い、柄シャツ姿やし、目つきも悪く見える。手元を見れば、左手の小指がない……。


後編へ続く


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