メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第58回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2005.9.16


■ 希望ヶ丘の決闘 後編


「旦那、ハイ、これが契約書ね。ここに、名前と住所書いて。あ、それからハンコ持って来てね。サービスはこれね」

そう言いながら、その指ナシの拡張員は、500円の商品券20枚を、小山に押しつけた。

「ちょっと、待って貰えませんか。私は何も新聞取るとは言うてませんよ。忙しいから後にしてくれと言うただけやから」

「またまた、旦那、うまいね。どこで、そんな駆け引き覚えたの?仕方ない、奮発して、これね」

指ナシは更に、商品券を5枚、追加して渡そうとする。

「新聞は取る気はないから、帰って下さい!!」

「これでも、まだだめぇ?ええい、面倒だ、これなら、どうだい、持ってけドロボー」

指ナシはそう言いながら、商品券の入りの封筒を小山の前に投げ出した。

「しつこい人やな。新聞はいらんて言うてるやろ。帰ってんか」

小山は強気で言うた。ワシは、特別にこう言えとは指示しとらん。ただ、普通に断ってくれたらええとだけ言うとるだけや。

ワシと話ができとるかどうかに関わらず、小山は、この手の勧誘を断る気でおったはずやから、そのつもりでしてほしいと言うてな。

ただ、ワシが近くにおるということが分かってなかったら、ここまで、強気やったかどうかというのは、分からんがな。

「しつこい?そりゃ、オレっちに言ってんのかい。下手に出てりゃ、つけ上がりやがって。ふざけるんじゃねぇぞ、てめぇ!!」

指ナシは、簡単に地を出した。どうも、頭の回転の弱い男のようや。まあ、これが、こいつらのやり方なんかも知れんがな。

「何や、脅かそうというのか」

小山は、ちょっと、声が裏返り気味やが、虚勢を張りながらそう言うてた。チラっとワシのおる奥の部屋に視線を向けとったが、まだ、ワシの出番は早い。

「てめえが来いて言うから、来てやったのに、何だ、てめぇのその態度は!!」

「私は、今は忙しいから、用事があるのなら1時間後以降にしてくれと言うただけや。何も新聞を取るとは一言も言うとらん」

なかなか、どうして、小山は、声が裏返っとったわりには、ちゃんと応対しとる。

普通、この指ナシのようにどこから見ても、ヤクザやと思わせるような人間相手には、なかなか恐くて言えんもんやけどな。

「バカ野郎。そんな屁理屈は通さねぇぞ。こちとら、子供の使いじゃねぇんだ。ごたく並べてねぇで、さっさと、これに名前を書け」

「バカ野郎?」

小山は、それまでは確かに虚勢を張っとったようやが、この一言でカチンときたようや。

言葉一つで、態度を変える人間がおるのは珍しいことやない。関西人と関東人の会話では良うあることや。特に、揉めた場合は、それが顕著に表れる。

関西人は、バカと言われることに過剰に反応する人間がおる。関西人にバカと言うのは、禁句くらいに思うてた方がええ。アホと言うのならそれほど問題はない。

こんな場合、関西の拡張員なら「アホなこと言わんといてくれ。それは通らんで……」となる。これなら、関西人は、その言葉尻だけでそれほど怒ることはない。

せやから、関西では、腹を立てても相手に「バカ」と言うのは少ない。別にここで、正しい関西弁の使い方について講義をするつもりはないがな。

しかし、関東人はこの逆や。アホと言われれば、キレる者がおる。これは、地域による言葉の違いやから、どちらがええとか正しいということとは違う。

ただ、やはり、郷に入れば郷に従えという言葉通り、よその地域に行くのなら、せめてそれくらいは心得とかなあかん。

「なんで、あんたに、バカ野郎、呼ばわりされなあかんねん。帰ってくれ、帰えらな警察呼ぶで!!」

小山は、どうも本気で怒ったようや。小山は若い頃、酒場でチンピラヤクザと喧嘩をして、留置場に一晩泊められたことがあったらしい。

そういう話を本人から聞いたことがある。その真偽のほどは分からんが、短気な性格なのは間違いない。

それでも「帰れ」「警察を呼ぶで」というのは、事前の打ち合わせで言うようには、指示してたがな。

「帰れ」と言うて居座れば、刑法第130条の不退去罪になる。三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処するとある。

まあ、これくらいで、尻尾を巻くとも思えんが、これを言うとくことで後の対応が有利になる。

もっとも「警察を呼ぶで」という程度で引き上げるようやったら、バンク荒らしというほどのことでもないから、争いにもならんやろけどな。

「上等じゃねぇか。呼べるもんなら呼んでみろ。サツ(警察)が恐くて、この仕事ができるかい!!」

せやから、こういうのは、ワシにしたら、想定内の反応なわけや。

それにしても、何を自慢しとるのか、良う分からんけど、ヤクザな拡張員やということをアピールしとるつもりのようや。

「サツなんか呼んでも、役には立たねぇぞ。警察は、民事不介入というてな、こういう問題には、首を突っ込めねぇからな」

これも、こういう連中の良う言う台詞や。せやけど、これは、あながち的はずれなことでもない。

契約の揉め事というのは民事になる。呼ばれてきた派出所の警官やと、まず「まあ、まあ」で終わることが多いからな。

刑事事件になってない限り、下手に首を突っ込みたないというのが、たいていの警察官の気持ちや。上に報告しても、よほどでないと却下されるしな。

もっとも、最近は、これに近いことで、実際に逮捕されとるケースもあるが、この頃は、社会的にも、まだ、そういう風潮やなかった。

警察にしても、新聞の拡張員はそんなもんやというくらいにしか考えとらんかったからな。良うて「販売店に注意しとくから」で終わりや。

また、こういう連中は、その警察官の扱いにも慣れとる。新聞の契約のもつれやと言うて、警察官を言いくるめるのが上手い。そのために有効なのが、この警察の民事不介入の原則というやつや。

せやから、中には、わざと客に警察を呼ぶように仕向ける奴もおる。呼ばれた警察が、まあまあ、でどっち付かずの状態で引き上げたら「この始末、どうしてくれる」と凄む。「この後始末は、新聞取らな収まらんで」と迫るわけや。

警察が頼りにならんと思うた客は、それであきらめて、その新聞を取る嵌めになり術中に落ちる。

「さあ、どうするね。警察を呼ぶかい?」

指ナシは、その左手の小指、第一関節から先がなくなった手を、これ見よがしに自分の顔の前に近づけながらそう言う。

「その前に、あんたらみたいな人間、簡単に追い払うてくれる人に来て貰うから……」

ワシは、聞いてて、一瞬、拙いと思うた。小山は、相手の威圧に気圧されて、つい口走ったんやと思う。このあたりが素人さんの悲しさで、つい虚勢を張ってしまう。

いざとなったらワシがついてると思うとる。もっとも、その男に手出しをさせへん自信はあるけど、それは、打ち合わせにはないことやから、ワシの存在を先に知られるのは拙い。

せやけど、これが結果的に良かったようや。

「そうかい、ならそいつに伝えな。オレは○○会の幹部と五分の盃を交わした兄弟分や。変に、しゃしゃり出てくると命を落とすぜとな。それから、てめぇも、タダじゃ済まねぇぞ!!殺すぞ。分かったかい?分かったら、ごたく、並べてねぇで、さっさと書け!!」

この指ナシは、ご丁寧にシャツを肩までめくり上げ、入れ墨を見せつけた。

ワシは、これで勝ったと思うた。やっと、ワシの出番が廻ってきた。この、瞬間を待っとったんやからな。しかし、ここまで、アホとは思わなんだがな。

「何や、聞いてたら、素人さん相手にえらい物騒な話をしとるやないか」

「な、何だ、てめぇ!!」

いきなり、奥の部屋から、ワシが現れたから、面食ろうたようや。毒気も失せとるのが分かる。

「何でもええがな。今、ワレの吐いた言葉は、立派な脅迫やで。民事不介入たらいうアホな言い訳は通用せんで」

別に、ワシはこういう相手やから、特別に物言いを変えたわけやない。これは、ワシの生まれ育った、大阪南部の河内というところの標準語や。つまり、地に戻っただけや。相手によりそうなる。

「オレっちが、何を言ったって?どこに、証拠が……」

ワシは、手に持っていた小型のテープレコーダーを見せた。

「てめぇ、嵌めやがったな!!」

「ワシは、たまたま、ここに客として来とっただけや。そこに、オノレが来て、わけの分からんことを言うて喚いとったから、部屋にあった、これで録音しただけや」

「……。それを、どうしようってんだ」

「別に……、それは、あんた次第や」

こういうことには、駆け引きというものがある。ワシらの目的は、ここらで、こういう行為を止めさせることや。

断っとくが、勧誘するなと言うのとは違う。バンク荒らしのような真似は止めとけというだけのことや。

せやから、こういう現場を押さえたからと言うて、警察に突き出すつもりもない。そんなことをしても、大した効果も期待できんしな。

それに、下手に事件にでもなれば、この地域での拡張員の評判が落ちる。

世間は、誰が良うて、誰があくどい拡張員か、ちゅうなことは分からんし、そんなことも考えすらせんからな。

皆、同列の扱いにしかならん。そんな評判の後やったら、ワシらも仕事がしにくい。結果的に、これを依頼した、販売店にも迷惑がかかる。

指ナシも、その程度のことは、即座に察したようや。出方次第では、警察沙汰にせんということもな。

「兄さんは、どこの……」

「○○企画の者や。同業者や。あんたらの評判が、悪すぎるから、懇意の客に注意しようと思うて来とっただけや」

指ナシは、ワシのおった事情と、意図を察したようや。

「兄さんも、筋者かい?」

「そんな質問には、答えられんな」

相手が素人さんなら、即座に否定するが、こういう輩には、どうでもええ。どう思われようと得にも損にもならんしな。ワシが、筋者ということで、相手が用心するというのなら、勝手にそう思わせておけばええ。

「そうか、分かった。今日のところは、オレの負けだな。これで、帰らせて貰う」

「ああ……。せやけど、ここは、あんたらのおった関東のバンク(拡張エリア)とは違うさかい。こういう真似は止めといてや」

「ああ、分かった……、しかし、叩き(拡張)は止めんぜ」

「荒らさんといてくれたら、好きに拡張したらええ。それなら、ワシらは何も言わん。但し、これからも同じようなことが続くようやと、ワシらも、黙っとくわけにはいかんからな」

「分かった……。他の者にも言っておく」

そう言うと、指ナシは出て行った。えらく、あっさりと引き上げたという印象を持つやろうが、大体は、こんなもんや。よほどでないと、体まで張って、勝負やというような奴は少ない。

特に、極道の名前をちらつかす輩はな。ほとんどは、ただのはったりや。拡張の揉め事で、極道が出て来るようなケースは少ない。

しかし、こういうはったりを言う輩は相手にせん方が無難や。特に、その扱いに慣れてない素人さんはな。

せやから、ここでの話は、ただの話やとだけ聞いといてほしい。少ないというのは、皆無やないということやからな。

ついでに言うとくが、指ナシがこの場を引き下がったからと言うて、おとなしくなるかというと、それも、実際のところ考えにくい。

第一に、そんな物分かりのええ連中なら、最初から、こういうバンク荒らしみたいな真似はせんからな。

ただ、この場は、引き下がった方がええと思うただけにすぎん。それに、地場の拡張団と正面切って敵対するのも、損やという計算も働いたということやと思う。

ただ、このことが、まったく効果がなかったのかというと、そうでもない。当然やが、連中も用心するし、慎重にもなるからな。

ワシが、小山の家で待ち受けとったということは、こちらの情報網の確かさを印象付けることになっとるはずや。

迂闊な動きはできんと考えるやろ。効果としては、それで十分ということになる。ただ、あきらめさせるまでにはいかんやろけどな。奴らも、それなりの成果がなければ、格好がつかんやろからな。

案の定、また、荒されとると、販売店から連絡が入った。それが、前編の冒頭のシーンにつながる。

その後、連中との追っかけ合いが、少しの間、続いた。追っかけ合いというても、連中が拡張しとる近辺で、こっちも、その監視を兼ねて営業をかけるだけのことや。

それが、無言のプレッシャーになる。結局、それから、3日ほどして、奴らは撤収した。

ほどなく、そのA新聞の販売店の経営者が代わった。この業界は、今更やけど、甘い世界やないというのを痛感する。

取りあえず、希望ヶ丘に平穏を取り戻すことができた。その後、あの指ナシとは二度と会うことはなかった。

それ以降、その地域でのバンクの荒らし行為は現在に至るまでないということや。


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