メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第59回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2005.9.23


■ 運動会はサンバのリズムに乗って


「ゲンさん、明日、休みや言うの、本当なん?」

久しぶりに、コウ君からその電話が入った。

「ああ、そうや。明日、お父さんと会う約束しとるから、家に行くよ」

コウ君というのは、ハカセの下の子や。今年、小学4年生になる。このメルマガの『第20回 サンタクロースは実在する?』の時にも紹介した、素直でかわいい子や。

「でも、明日、ボク、運動会やから、家にはいてないよ」

「そうなんや。お父さんは何も言うてなかったけど、行くのかな」

「来ないと思う」

「何でや?」

「ボクが無理せんでもええて言うたから……」

コウ君の声は、少し寂しそうやった。

「お父さん、そんなに調子、悪いんか」

ハカセは、ずっと、持病の心臓病で通院しとる。ワシとは、ほぼ、毎日、電話では話とるが、そんな素振りは見せなんだがな。

少なくとも声は元気そうやった。もっとも、発作があったら、急にということは考えられるが……。

「ううん、そうでもないみたい……、でも、無理してほしいなんねん」

ほんまに、ええ子や。涙が出そうになる。

「そうか、分かった。それやったら、代わりに、おっちゃんが行ったるから」

「えっ、ゲンさんが見に来てくれるの?やったぁー!!せやから、ボク、ゲンさん大好きや」

それから、ほどなくして、ハカセから電話があった。

「コウから聞いたけど、ゲンさん、運動会、見に行ったるて言いましたんか?」

「ああ、言うたけど……、まずかったか?」

「別に、そんなことはありませんけど」

「コウ君から、聞いたけど、ハカセには、無理せんといてくれと言うたらしいな。調子はどうなんや」

「コウが、そう言うたんですか?ゲンさん、それは、嵌められたんですわ」

「嵌められた?」

1週間ほど前の話になる。当初は、ハカセも運動会は見に行くつもりにしとったということや。

それが、ちょっとしたことで、コウ君が怒りだして「もう見に来んといて」とハカセに言うたらしい。

「どういうことや」

「あいつの出るプログラムを見たら、面白いのがあったから、つい、冗談半分に、からこうてしもうたんですわ」

9月に入って、夏休みが終わるとすぐ、学校では、運動会の練習が始まった。去年までは、それを喜んどったコウ君がなぜか、今年は元気がなかったと言う。

それを、ハカセが聞くと、運動会のプログラムの演目に、あの「マツケンサンバU」の踊りがあるというのが分かった。それの練習が原因のようやった。

「あんなん、恥ずかしいて嫌や。ほんま、学校の先生らの神経もセンスも疑うよ。流行ってたら何でもええと思うてる。もう古いよ、Uは」

それを聞いたハカセは、コウ君が学校から帰る度にからかったらしい。

「よお、コウ。どうやった、マツケンサンバの練習は……」

それも、マツケンサンバUの振り付けを真似ながらや。

「お父さん、そんなに、子供が嫌がってるのに、からこうて面白い?」

「面白い」

「もう、ええわ。お父さん、運動会、見に来んといて、しんどいんやろ。無理せんでもええから」

それに業を煮やしたコウ君が怒ったというのが、真相のようや。

「大人げないことを……」

ハカセも、それは承知や。ちょっと、まずいかなと思うて、奥さんに相談したらしい。奥さんの言うには、コウ君もやはり、ハカセには来てほしいという気持ちは強いという。

せやけど、コウ君はハカセに似て強情ぱりやから、一度言い出したことを撤回できんらしい。

素直に、ハカセに来てくれと言いにくいということもあって、ワシに電話してきた。ワシがたまたま休みやったし、ハカセに会いに行くということで、チャンスやと思うたようや。

ワシを運動会に引っ張り出せば、ハカセは否応なくついて来る。ワシが、コウ君に弱いということもその計算のうちやと言う。

そう言えば、コウ君が、わざわざワシに電話をしてくるというのも、そうはないことやからな。

前回は、確か、去年のクリスマス・イブの日やったかな。あらためて、そう言われれば納得はする。

「でも、ええやないか。ハカセも体調が悪うなかったら、一緒に行こうや」

「ええ」

小学校の運動会というのも、ワシにしたら久しぶりやった。息子と別れたとき以来やから、もう12年ほどになる。その息子が小2の頃に行ったきりや。

ここで、ちょっとだけ、拡張に関係した話をすると、毎年、この時期の土日を休みにするという団は多い。

理由は、この運動会がこの時期に多いということがある。元来、拡張員は、土日の休みは少ない。もっとも、団により違うとは思うけどな。

普段のウィーク・ディには、留守が多い。共稼ぎ家庭が多いせいや。その留守宅の人間に出会うとすれば、土日しかない。

また、普段、留守にしとる客に会えて、トークに持ち込めれば成約率が高いということも、拡張員なら経験的に知っとる。

普段は、勧誘されることが希やから、拡張員に対しても、在宅の多い人間が抱いとるほどの嫌悪感も少ないということがある。

土日に休みの少ないという理由がそこにある。ただ、この時期だけは違う。やはり、全国的に運動会の多いシーズンやからや。その運動会も、地域でほぼ同じ日に同時に行うことが多い。

結果、留守宅が、普段の日、以上に多くなるから、客と会える確率が極端に低くなる。営業の仕事は確率の問題ということが大きい。多くの人間にアプローチできれば、確率は上がるが逆やと下がるということや。

それなら、最初から、確率が悪いと分かっとる場合は休めとなるというわけや。もちろん、すべての団でそうやということはない。ただ、一般的に言うて多いというだけのことや。

運動会というのは、どことも似たようなもんで、にぎやかやなのが普通なんやが、ここの小学校は、それに加えて他とは少し様子が変わっとるように感じた。少なくとも、ワシの良う知っとる大阪での運動会とは違う。

放送係の女生徒がマイクで、プログラムの順番をアナウンスすると、必ず、すぐ後に、大人の女性がポルトガル語で、そのアナウンスを繰り返しとるんや。

それを聞いとる観客も、それに対して特別に何の違和感も感じとらんようや。それは、例えて言えば、新幹線の車中で、日本語のアナウンスの後に流れる英語での説明を聞いとるみたいやった。

因みに、この辺りは、多くのブラジル人の住んどる地域ではある。当然、小学校の生徒にも、ブラジルの子が多いということになる。見物の父兄にも多い。中には、日本語が良う分からん人もおるから、その配慮やとは思う。

ブラジルの公用語はポルトガル語や。粋な計らいというよりも、この小学校では自然なことなのやろうなという気がする。

ワシのように、そのことに違和感を感じる方がおかしいのかも知れんがな。せやけど、これは、悪いことやない。

日本もやっとここまで来たかというのが、ワシの正直な感想や。昔は、こういうことも考えられんかったからな。

ワシらの子供の頃には、差別という問題が根強くあった。ワシの知る限り、昔の日本人の多くは、この差別意識に支配されとった言うても過言やなかったと思う。

特に、相手がアジア人や発展途上国の人間に対して、その差別意識が顕著やった。人によれば、日本人は、島国の単一国家民族で排他的やからと理由を挙げるが、ワシは、その意見には少なからず疑問があった。

日本人以外のすべての国の人間に対してそれが向けらとれるのなら、それも分からんでもないが、欧米の人間に対しては、そういうのがないからな。

アメリカ人やヨーロッパ人は違うわけや。あこがれさえ持っとる人間が多い。今もそれはあまり変わらんように思う。

まあ、それはええ。あこがれるというのは、悪いことやない。せやけど、その反動のように、発展途上国と言われる国々の人に差別意識を持つのは、子供心に何か醜悪なものを感じとったもんや。

その差別問題を話し出すと長くなるから、また別の機会にでも話すことにする。ただ、昔はそういうことがあったということを分かってくれたらそれでええ。

勧誘しとると、ワシもそのブラジル人に出会うことが良うある。新聞業界は未だにやけど、このブラジル人などの外国人からの契約を嫌がる販売店が多い。

多くの販売店が拡張禁止や。少なくとも、ワシらには、そう指示しとる。まあ、これは、人種差別だけがその理由やないがな。

拡張員にも問題がある。そもそも、拡張禁止になったのは、その拡張員が、騙すようにして契約を取ったからということが大きい。

「エスクレーヴァ オ セウ ノメ、ポール ファヴォール」これは、ポルトガル語で「あなたの名前を書いてください。お願いします」という意味の言葉になる。

これを言うて、日本語も満足に話せず、新聞も読むこともできんブラジル人に契約書にサインさせとった拡張員がいてた。

完全に騙しや。もっとも、ビール券や洗剤を押しつけてやから、その場は何とかごまかせとったようやがな。

拡張員の中には、それをするために、必死にこういう片言のポルトガル語を覚えようとする者も少なくなかった。

実際に、ちょっと、前まで、この辺りの拡張員で古い人間なら、この片言のポルトガル語を話せる者が多かったからな。

当然やけど、こういうことをして契約を取ったら揉める。そのブラジル人にしたらわけも分からず新聞が配達されることになる。

まだ、日本に来て間もないか、言葉が分からず、事情の分からんブラジル人は、それが金のかかるものやとは知らん。

例え、それを知っていたとしても、文句を言うて行く所を知っとる人間は少ないから、そのままにする。

揉めるのは、その集金に来たときや。日本に来て間もないブラジル人やというても、片言の日本語が分かる人間は多いから、金を払うてくれというくらいは分かる。しかし、いくら言葉が分かっても、それで納得する人間はおらん。

販売店も、この外国人との揉め事は困る。ただでさえ、ポルトガル語というのは、日本人にはなじみも薄い上に、相手は怒っとるから、早口でまくし立てられると、正にお手上げ状態になる。

金を請求するどころやないから、あきらめるしかなくなる。そんなことが度重なって、そのブラジル人を含む外国人が、拡張禁止になっとるということや。

同じ拡張員として恥ずかしい限りやが、そういう不心得な者がおったのは事実や。今はさすがに拡張禁止の販売店が多いせいか、そういうトラブルもあまり聞かんようになったがな。

余談やけど、このブラジル人の子供には、特別にかわいい顔立ちの子が多い。ワシも拡張で廻っとるときに、たまに、そういう子を見かけることがある。

「ボア タールデ」と言うと「ボア タールデ」と返り、「チャウ」と言えば「アテッ ア プロッスィマ」とかわいく応えてくれる。

「ボア タールデ」というのは「こんにちは」という挨拶や。ボアというのは、英語で言えば、グッドの意味に似とる。タールデが昼のことやから、それで分かるやろ。

「チャウ」はさよならの意味やけど、子供に対しては「バイ、バイ」というニュアンスやな。昔、日本でも若者が、別れ際に「チャオ」と言うてたことがあったけど、それからきとるもんや。

「アテッ ア プロッスィマ」というのは「またね」ということや。通しで訳すと「こんにちは」「こんにちは」「バイバイ」「またね」ということになる。

別に、ここでポルトガル語講座を始めるつもりはないけど、こういうブラジル人と接することが多ければ自然と覚えるということや。

何も知らん者でも「オブリガード」が「ありがとう」というくらいは知っとるやろ。因みに「オブリガード」は男から言う言葉で、女性からは「オブリガーダ」となる。丁寧な言葉はどちらからでも「ムイト」と言う場合もある。

たまたま、場所選びした所の隣に、ハカセの近所のセルジオというブラジル人がいてた。普段から良う話すことがあると言う。ブラジル人は、総体的に陽気やから、うちとければ、つき合いやすい人間が多い。

このセルジオはその典型のような男や。深い彫りの顔に目が大きい。蓄えた口ひげは愛嬌すら感じる。ちょっと、小太り気味のせいもあるからかも知れんがな。

このセルジオの子供のチアーゴ君とコウ君が、同級生同士で遊び仲間やと言う。ハカセとセルジオとのつき合いは、そのことも大きい。

午前の部のプログラムが終わり、コウ君とチアーゴ君が昼食のために来た。二人は、お互いの弁当を仲良く分け合うて食うとる。

人種の垣根を超えてというほど大袈裟なもんでもないが、なかなかええ光景や。子供同士には、どこの国の人間であろうと関係ないことやからな。

「コウ君。いよいよ、昼からすぐ、マツケンサンバUやな」

「うん。最初は嫌やったんやけど、チアーゴにサンバの踊り方、教えて貰うたら、めちゃ簡単やったわ。それに、面白い」

そう言えば、サンバはブラジルが本場やったな。カーニバルが有名や。せっかくやから、ポルトガル語では「カールナヴァウ」と言うのやということを教えとこう。

中でも、リオ デ ジャネイロのカールナヴァウは世界最大の祭りやと言われとる。そんなことは、誰でも知っとるとは思うけどな。

「そうや、ゲンさんも一緒に踊ったらええねん」

「ワシがか?ワシはええ。遠慮しとく。どうも、踊りは苦手や」

それは、事実や。ワシは何を踊っても、おそらく、盆踊りくらいにしかならんと思う。ダンスとか踊りのセンスは皆無や。

「大丈夫やて、ボクらの真似しといたらええねん」

「それ、いいね。ゲンさん、踊りましょ」

そう言うたのは、セルジオや。

「そうや、ゲンさん、後で一緒に踊りましょうや」

「ハカセあんたもか」

昼食タイムが終わって、午後のプログラムが始まった。

「さあ、次はいよいよ、4年生による、ビバ!!マツケンサンバUです。お父さん、お母さん、皆さんご一緒にどうぞ」

とアナウンスが流れると、ひときわ興奮気味でポルトガル語の女性のアナウンスが続いた。すると、あちこちで人が立ち上がり、その体勢に入る。

耳慣れた音楽が流れると、コウ君たち演目の子らは、はでなコスチュームに身をまとい一斉に踊りだす。それに、呼応するように、立ち上がった人たちも一緒に踊り出した。

日本人もブラジル人も一緒や。しかし、やはり、さすがにリズムに乗るのはブラジル人の方が圧倒的に上手い。特に若い女性の何とも言えん腰つきに悩殺されそうや。

基本的には、テレビでやっているような振り付けなんやが、どことなく雰囲気が違う。

特に、当たり前やが、ブラジル人たちは、サンバのリズムというのに、見事に乗っとる。彼らの血の中には自然にそのリズムが刻み込まれとるのやと思う。

ハカセとセルジオが両方から、ワシを引っ張って、その踊りの渦中に連れて行った。人間、不思議なもので、嫌々でも体を動かしていると、段々、乗ってくるもんや。

もっとも、何ぼ、ワシが乗ってきても、所詮、盆踊りの域は出んやろけどな。しかし、良く観察すると、それは、ワシだけでもなさそうや。

あちこちに、ぎこちない踊りの日本人が混じっとった。その周りにブラジル人たちが、リードするように寄り添いながら、巧みな腰つきで一緒に踊っとる。

ただ、皆、底抜けに楽しそうや。中には、缶ビールを片手に、舞い上がっとるのもおるけど、それも、愛嬌と言えば愛嬌や。

アンコールが2度、3度と湧き上がり、サンバのリズムは、しばらく消えることはなかった。


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