メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第63回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2005.10.21
■拡張員泣かせの人々 Part4
不払い客 前編
不払い客というのは、元来、販売店泣かせの人間や。客が購読料を払わんということで、ワシら拡張員が直接困るということは、ないこともないが少ない。
もっとも、そういう客を勧誘したということで、その販売店での信用が下がる懸念はあるがな。
せやけど、拡張員が勧誘時にその客の金払いがええか悪いかを判別するのは難しいし、信用調査をするというのも不可能に近い。
新聞代は朝夕セットで4000円ほどになり、全国版というて朝刊のみの地域やと3000円程度や。そんな程度の支払いで困る人間はおらんやろというのが、勧誘する者の共通の認識やから、その心配をすることすらほとんどない。
それに、何より、販売店から「拡張禁止」と指示されとる客以外は、原則的にすべて勧誘するというのが、ワシら拡張員の仕事やからな。
但し、金がないから購読できんと言うとる、無職、学生、フリーターのような人から、勧誘するべきやないとは思うがな。
しかし、不思議と実際に不払い客になる客で、そういう人は少ない。そういう人は、納得して契約すれば、ちゃんと払う場合の方が多いからな。
金がなくて払えんと広言する人間は、裏を返せば、契約すれば絶対に払わなあかんと思うからそう言うわけや。もっとも、単に断り文句の一つということもあるから、その見極めも難しいがな。
せやから、そう言われたからというだけで、簡単にあきらめる拡張員も少ないということになる。
ただ、金がなくて払えんと言うてる者に無理矢理、騙しのような購読をさせて、販売店と揉め、結果的に不払い客になるということはある。販売店から受けの悪い拡張員は、そういう勧誘をする人間や。
拡張員が取って来た契約書を販売店に渡すことを「引継」と言うんやが、この時、販売店側は、その契約書の監査というのをする。正当かどうかを調べるわけや。
その当日の監査方法は、客との電話連絡だけで済ます場合が多い。もっとも、販売店の監査する人間もプロやから、それだけでも、大抵のことは分かるということやけどな。
それで、問題がなければ、その契約書を買い上げるということになる。但し、後日、クーリング・オフによる解約や、不正が発覚すれば、その契約は無効になるがな。
販売店が、拡張員に責任を問えるとしたら、そいう場合だけや。それも、原則として1ヶ月以内に発覚せんかったら責任を問えんということがある。ワシらの方では、昔からそういう不文律が存在する。
それを過ぎれば、販売店の責任やとなる。但し、てんぷら(架空契約)なんかの詐欺行為に当たる重大な違反は、その時効がない。購読開始時にそれが発覚すれば、当然やがその拡張員の責任になる。
しかし、今回のように購読者の不払いという問題に関しては、ほとんどが拡張員には関係ないとなる。不払いの原因がその拡張員にあるという場合以外はな。
それでも、そうと知りながらでも、それを言う販売店の人間はおるがな。
「ゲンさん、5ヶ月ほど前に契約して貰うた、港マンションの202号室の山下(仮名)さんやが、ここ2ヶ月ほど滞納しとるようやけど大丈夫かな」
店長の榊原(仮名)がそう言うてきた。
「会われへんのか?」
「いや、この前、集金に行った者が会うて『来月、一緒に払う』と言うてたんやけど……」
新聞代の未回収というのは、集金人が、その客となかなか会えんという場合と、今回のように「この次払う」というケースがほとんどや。よほどの人間以外、不払いを宣言することはない。
それに、販売店も「次払う」と言えば、それ以上は強く言えんということがある。
しかし、それも普通は2ヶ月くらいが限度で、それ以上になると、例え、1ヶ月3000円程度やとしても、金額がかさんでくる。それを一度に払うとなると負担に思う客もおる。
それで、支払い不能ということになり、販売店と揉めるということになる場合が希にある。
「本人が払うと言うてるんやから待つしかないやろ」
ワシとすれば、そう言うしかない。
「それは、そうなんやけど、うちの所長がうるそうてな。ゲンさん、何とか上手いこと言うて集金して貰えんやろか。ゲンさんが行ってあかんということなら、所長も納得すると思うから……」
ワシら拡張員も、それほど頻繁やないが、たまにこういうことを頼まれることがある。それが、自分が勧誘した客なら断りにくいということもあるしな。
「しゃあないな、店長、あんたの顔を立てて行くけど、あんまり、あてにせんといてや」
こういう場合、間違っても「任しときなはれ」と安請け合いしたらあかん。上手くいかんかった場合、自分で自分を追い込むことになる。
下手すると、その格好をつけるために、自腹を切るはめにならんとも限らんからな。
この山下という客は、ワシが懇意にしとる港マンションの管理人の紹介で客にした人間や。その入居時にあっせんして貰うたという経緯がある。
どのみち、今日は、その管理人にも、ご機嫌伺いがてらに行こうとは思うてた。ついでと言えばついでや。
もちろん、ご機嫌伺いと言うても、手ぶらやない。それなりの手みやげを持ってやけどな。
これは、顧客管理という面では結構重要なことやと思うとる。しかも、その手みやげも人により工夫する必要がある。それも、金をかけずにできれば申し分ない。
この管理人は小説の文庫本が好きや。いつも、それを数冊持って行く。というても、そんなものを本屋で買うわけにはいかん。古本屋でも数冊となれば、結構な値段になるからな。
ワシは、そういう本ならタダ同然で手に入れられる所を知っとる。
ワシは、昔、テツという古紙回収の男の仕事を手伝うたことがある。その時に、テツに古紙回収問屋で本を仕入れることを教えて貰うた。
今は、雑誌や本類の古紙価格が極端に安い。100キログラムの本をそういう所で買っても1000円も払えば十分や。単行本や文庫本なら数百冊はある。
但し、ほしい本は自分で探して選別せなあかんがな。手間はかかるが、金はかからん。それに、ここは古紙やと言うても新品に思えるような本も結構多い。実際、専門の古本業者も買いに来とるくらいやからな。
地域で客用のサービスで新聞なんかの古紙回収をしとる所なら、それを持ち込む古紙問屋あたりに頼めば、それほど問題なく手に入るとは思う。
ワシはそうして手に入れた書物が多い。客用ということもあるが、自分で読むこともある。
客に持っていく時は、当然やが、その客が好きそうなジャンルや作家名は雑談のときにそれとなく聞いておくことやな。
管理人に、その文庫本を渡しながら、雑談がてらに、そのマンションの近況を聞く。多くは、近々、入居者がないかということや。
「ところで、202号室の山下さんなんですが、お仕事、いつごろお帰りになられてるかご存知ありませんか」
「何でや?」
「いえ、店から預かり物をしてますんで……」
この場合、間違うても、新聞代が未納やとは言うたらあかん。下手したら、プライバシーの侵害やと言われかねんからな。
せやから、こういうときのために、普段から、その店の「捨て材」を常に持ってた方がええ。それを渡すという名目のためにもな。
「捨て材」というのは、映画館や遊園地の割引券なんかのように、販売店がタダで入手できるもののことや。
文字通り、捨てても惜しくない拡材ということでそう呼ぶ。無料サービスのゴミ袋なんかもそうや。
「ゲンさん、ここだけの話やがな、あの山下には出て行って貰おうと思うとんのや。せやから、そういうのを渡しても無駄やで」
「えっ、また、どういうわけで?」
「先月と先々月の家賃、払うとらんのや。この前、催促に行ったら、ちょっと、揉めてな」
管理人が言うには、山下がもう少し待ってくれと言うから、せめて、1ヶ月分だけでも払うてほしいと頼むと、それも無理やと言う。
それなら、今月で出て行ってくれということになり、揉めたということや。管理人は、契約書にも「家賃を2ヶ月分、滞納したら退去すること」という一文があるということを楯にしてそう迫ったと言う。
しかし、山下は「金がないから、どこにも行くに行けん。どうしても、出て行ってほしいのなら、立ち退き料を払うてくれ」と開き直ったということや。
「ゲンさん、あんさん以前、不動産屋してはったと言うてたな?」
「いえ、建築屋です。家のリフォームですよ」
どうも、建築屋と不動産屋を混同しとる人間が多いようや。家やビルを作るのが建築屋で、それを売買したり賃貸するのが不動産屋や。
せやから、こういう賃貸問題は建築屋の領分やないのやが、ワシには、この手の質問や相談が多い。
「でも、こういうことには詳しいでっしゃろ」
「ええ、まあ、一般の方よりは分かってるつもりですけど」
「せやったら、知恵、貸して貰えんやろか」
「でも、こういうことは仲介業者に頼んだ方がいいでしょ。彼らの仕事ですし……」
「もちろん、言うたが、その山下、その業者とも揉めたんや」
この管理人が言うには、ここの仲介業者は、その山下に家賃の回収に行ったが、応じる気配がないので、留守中にロック・ブロックでその部屋の鍵を開けられんようにしたという。
ロック・ブロックというのは、通称、鍵ブロックと言うて、家賃未納者を部屋に入れんようにするために取り付ける器具のことや。
不動産屋の仲介業者中には、希にそうする所がある。入居者もそれをされると観念して、家賃の支払いに応じる場合が多いからということらしい。
しかし、山下は、その場で警察を呼んだ。仲介業者は、家賃不払いによる民事やからということを強調したが、これは法律では認められんことや。
結局、その場は、その警官の手前、その鍵ブロックを取ることになった。
「これは、違法行為やからな。訴えたる」
と、山下が吠えた。それが、2日前のことやと言う。
「それは、まずいですね」
「何でや。家賃払わん奴が悪いやろ」
「それは、そうですが……」
実際にこれと同じことをした業者が訴えられて敗訴したという判例がある。この山下が、それを知っとるかどうかは疑問やが、裁判沙汰になると確実に不利になる。
当然のことやが、日本の法律は実力行使をするには、裁判所の許可か判決が必要になる。勝手に個人的な制裁をすれば、すべてが違法行為になると思うてたら間違いない。
客観的に見て、それにいくら理があろうと、立場は弱くなる。もっとも、山下が訴えるというのは、口だけやとは思う。家賃すら満足に払えん者が、裁判など起こせるはずもないしな。
不動産屋もそれを見越してやっとるはずや。ただ、何でもそうやが、人を追い込むようなことは極力せん方がええとは思う。
この山下にしても、身内や知り合いくらいはおるやろから、どこから入れ知恵があるとも限らんからな。
参考までに、こういう、どっちもどっちというケースの揉め事は長引くということを知ってた方がええ。家賃の不払いによる立ち退きの裁判を起こすとしても、短期間ですんなりとは決まりにくい。
これと似たケースで、半年、その裁判でかかったということがあった。結局、家主側と示談が成立して、家賃の支払い免除ということで立ち退きということになった。
家主側としては、その半年分の家賃が未収の上に、裁判費用や弁護士費用が余分にかかっとるから、相当な出費を強いられ、精神的にも負担が大きかったやろと思う。
借り主側はというと、結局、7ヶ月分もの家賃を免除されたわけやから、追い出されたと言うても、実質的には勝ちに匹敵する。
因みに、訴えられる方は、自分でその裁判に立ち会えば、弁護士なんかを雇う必要もない。そのケースもそうやった。
金銭的な負担はほとんどない。そして、そういう場合は必ず、裏でそのことに関して入れ知恵する人間がおるもんや。
ワシが、管理人に「それは、まずいですね」と言うたのは、そういうケースを知ってたからや。そのことを、この管理人に話して聞かせた。
「それなら、どうしたら……」
「その山下さんは、どこにお勤めで?」
「不動産屋が言うには、仕事はしとらんらしい。会社を馘首かリストラされたんやないかということや」
「それでしたら、尚のこと厳しいですね」
会社勤めをしとるのなら、まだ、給料の差し押さえという方法も取れんこともないが、無職ではそれもできん。
「保証人の方は?」
「父親やが、息子の山下とは何か揉めているようで、親でも子でもないから好きにしろと不動産屋に言うてたらしい。せやから、これはあかんということで、ああいうことを……」
おそらく、入居時の契約書の保証人欄は山下が勝手に親の名前を書き込んだのやと思う。取り立てて珍しいことでもない。不動産屋も、契約時に問い合わせくらいはしたと思うが、その時点では、揉めてたのかどうかも分からん。
例え、そうやとしても、マンションに入居するくらいのことで、その問い合わせに、親も他人に内輪の揉め事が分かるようなことは言わんやろしな。
「上手く行くかどうかは分かりませんけど、ワシが話してみましょうか」
本来、ワシがこういうことに、首を突っ込む必要はない。関係ないで済むことや。
しかし、ワシにしても、この山下とは1年契約の購読契約を貰うとる。このままやと、おそらく、新聞代を払うどころの騒ぎやないやろと思う。
そうなれば、いくばくかの責任を負わなあかんことになるかも知れん。拡張料というのは、その契約期間に応じて報酬額が決まる。つまり、利益の一部なわけや。
今回の場合で言えば、山下はまだ2ヶ月分しか新聞代を払うとらんということやから、利益と呼べるものがほとんどない。
そして、そういう契約の多くは、不良カードとして、販売店から返される可能性が大きい。直接、責任問題にはならんかも知れんが、汚点にはなる。
この話をまとめることで、それを回避するという思惑もあったし、この管理人に恩を売ることもできる。
それに、例え、失敗したとしてもそれはそれで、ワシの責任ということにもならんから、ある程度、気軽に考えとったわけや。
せやけど、それが、まさか、あんな風な展開になるとは、このときは考えもせえへんかったんやけどな……。
後編へ続く