メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第64回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2005.10.28
■拡張員泣かせの人々 Part4
不払い客 後編
「ゲンさんが話を?」
「ええ、このままやと、ワシとこの新聞代も払うて貰えんでしょうしね」
すでに、新聞代が滞納になっとるとは言わんでも、これで、十分、理由になる。
「ところで、山下さんは、今はお部屋に?」
「いてると思うけど、車が停まっとるさかい」
「それについてですが……」
こういう揉め事の場合、その結果を想像して、よりベターな方法を考え選択するというのが賢い解決方法になる。
この山下のケースやと、裁判を起こしても、ワシが説明したようになる確率がかなり高いと思われる。訴えた側の出費も多く、すんなりとは行かんやろということが予想される。結果的に大損になる確率が高い。
特に、家賃の未払い分の回収に固執するとそうなりやすい。どんな商売でも、損失はあると割り切ることや。それが、結果的に損失を最小で押さえることになる。
この場合、ワシの経験から言うて、一番効果的やと思えるのは、今までの家賃はいらんから、退去してくれと言うことや。こういう発想をする家主も賃貸業者も少ない。どうしても、それは損やと考えがちになるからな。
しかし、結果的に揉めて、その部屋を長期間、占有されることを考えたら、その方が、まだましやと気付くはずや。
そのことを説明して、滞納家賃の支払いを免除するという条件で退去を促すことに同意して貰わんことには、その話はワシにはできんと言うた。
港マンションは管理人の家の隣にある。敷地内に建てたワンルームで独身専用の5階建てのマンションや。部屋数は20室ある。新築で室内も12帖ほどのフローリングで、ワンルームとしては広かったが、家賃はこの辺りとしては65000円と割高やった。
通常、3ヶ月程度の保証金の必要な所が多いのやが、最近のシステムなのか、ここは保証金0円ということになっていた。その代わり、退去する際の室内改装費として10万円を先に徴収しとる。保証金は返金があるが、これは返金なしや。
家賃の滞納があれば、預かった保証金から差し引くから、家主側に負担は少ないが、このシステムやったら、2ヶ月の滞納があれば、即、足が出る。せやから、こういう所では、1ヶ月でも滞納があれば、仲介業者から連絡が行く。
そして、この管理人は、すぐ隣ということもあり、心配になって催促に行ったというわけや。それで、よけいにややこしくなっとる。
管理人は快諾ということやないが、取りあえず、その条件なら一任ということで、ワシに話をしてくれとなった。
202号室のインターフォンを押した。
「どちら?」
インターフォンから機嫌の悪そうな声が聞こえた。
「こんにちは、○○新聞の者です」
「新聞代なら、来月やて言うてるはずやで」
「ワシです。契約を貰うたゲンです」
「ああ、あんたか……」
しばらくして、ドアが開いた。
「ちょうど、ええところに来てくれましたわ……」
この山下は、契約当時、営業の仕事をしとるとかで話が盛り上がったことがあった。大手の製薬会社の営業や。
「実は、もう、新聞止めようと思うてますねん」
「何でまた」
ワシも白々しいとは思うが、こう聞かなしゃあない。
「今、仕事を辞めてて無職ですねん。新聞代、払うのきついんで、あんた、
えーと……」
「ゲンでええ」
「そうですか。それではゲンさんから、販売店の方へ言うて貰えませんか?」
「そら、参ったなあ、それやとワシの立場もないしな」
「でも、払えないんやから仕方ないでしょ」
開き直りともとれる言い方やが、こういう人間も、たまにおる。
通常、途中解約の申し出は、残りの契約日数と照らし合わせて、それ相当の違約金を支払えば問題ない。
しかし、それすら払えん場合でも、その当人に支払う意志さえあれば、その方法はある。ちょっとした裏技や。ワシも、相手次第でそれを教えることもある。
「どうするんです?」
「仕事を辞めた原因は何?」
「それを言わんとあきませんか」
「いや、理由まではええけど、倒産、解雇、自己事由のいずれや?」
「自己事由です」
「雇用保険は?」
「手続き済みですが、それを貰うまでには、まだ、3ヶ月かかりますよ」
実は、裏技とはこれに関係したことや。この山下のように、3ヶ月後にほぼ確実に失業保険金が入金ができるというのであれば、その間、休止扱いにして契約を先延ばしにすることは可能や。
但し、この時に現在の未払い分をどうするかという問題があるが、持って行き方次第では、ほとんどの販売店は待つ。払えんという者から無理矢理取るというのも難しいからな。
しかし、この山下の場合は、そんな話もできる状況やない。
「山下さんも大変やね。新聞代くらいは、話せば何とかなるやろけど、そんなんで、ここの家賃なんかは大丈夫?」
「ゲンさんは、家主とは、どんな関係?」
「関係て、大家さんはワシのただの客やけど」
「家主に何か頼まれてはるの?」
「別に、ただ、新聞代でこれやから、誰でも想像はつくと思うがな……」
こういう場合は、あくまでも白を切り通しといた方がええ。下手に、大家から頼まれてと言うと、話がそれで終わるおそれがある。
「それに、ワシも昔、商売に失敗して、どうにもならんことがあったから、あんたの気持ちは良う分かるんや。結局、夜逃げ同然になったからな」
単に相手の立場に同情してもあかんが、同じような境遇で苦労したと言えば、また違う。
世間では、胡散臭いと思われがちな拡張員やが、こういう話になると説得力を増し信用されることが多い。喜んでええのかどうか分からんがな。
「夜逃げ?その話、聞かせて貰えませんか」
こういうように、話に乗り出してくれば、後は時間の問題で説得できる。
ワシは、かいつまんで経営してた会社の倒産から拡張団に入るまでを話して聞かせた。
「そうですか。実は、ゲンさんの言われる通り、ここの家賃も溜めて揉めているんです。つい先日なんかは……」
山下の話は、大家から聞いた内容とほぼ同じやった。
「本当は、あそこまでされんかったら、1日でも早く、仕事を見つけて払うつもりだったんです。失業保険の方からも、早めに仕事が決まれば、就業促進手当というまとまった金を貰えるということですからね」
これは、失業保険から、所定給付日数の支給残日数×30%×基本手当日額から算出された金額が支払われる。早く仕事を見つければ、それだけ、その手当も大きい。それを充てにしてたということや。
「第一、ここの大家も賃貸業者も家賃を払えと言うだけで、こっちの話を聞こうともしませんしね。挙げ句に、鍵ブロックとかいうのをかけて閉め出すというのは、話にもなりませんよ。あんなことをするのは、法律違反ですよ」
「確かにな。そこまでするのはまずいわな」
「でしょう?それで、今、家主と揉めているんです」
「せやけど、いつまでも、そうして揉めとるわけにもいかんやろ?」
「それは、そうなんですけどね。こうなったら、早めに次に住む所を探さないとだめですし。仕事さえ決まればと思って、ハローワークには行ってるんですが、なかなか仕事が見つからなくて弱ってるんです。まったく、八方塞がりというやつですよ。いっそのこと夜逃げしかないのかなと考えているんです」
この山下は、口ではそう言うてるが、実際にはそれはできんやろと思う。夜逃げするような人間のタイプやない。
ワシも、そういうのは、それこそ腐るほど見てきたから、大抵は分かる。それに、実際にそれを企んどるような奴は、人にこんな話はせんもんや。
しかも、ワシは、ここの家主と懇意やというのを知っとるわけやしな。この山下なりの思惑があってそう言うてるのやと思う。この男は、そこそこ頭の回転も良さそうやからな。
「拡張員さんの仕事てどういうものです」
「どういうて、新聞の営業やけど」
「稼げます?」
「人によるな。稼げる者もおるし、その日暮らしがやっとの奴とかいろいろや」
「僕なんかはどうです?」
「どうやろな。営業の仕事をしとったというくらいやから、気構え次第やけど、できるのやないかな」
どうやら、この山下は、本気で拡張員になることを考えとるようや。
「住む所もあるんでしょ?」
「ああ、こんな新築でええ所やないけどな」
「僕を、ゲンさんの所で雇って貰えませんか」
「うちでか?ワシは平の拡張員やから、はっきりとは言えんけど、今は無理と違うかな。募集もしとらんし」
拡張員の募集というのも、いつもやっているとは限らん。もっとも、大きい所は、そういう所もあるかも知れんけど、普通は、必要なときに、求人誌や新聞などに求人広告を打つ。新聞の場合はスポーツ誌が多い。
「そうですか。一度、やってみようかと思ったんですけどね」
話が変な方向に行っとるが、これも、この件を解決させるには、ええ方法かも知れんと思うた。
「うちでは無理やけど、知り合いの団になら、いける所があるかも知れんな」
「そこを紹介して貰えませんか」
「ああ、紹介するくらいならええけど」
「あの、厚かましいようですけど、そこ、借金なんかできますかね。今すぐとなると、ここの家賃の支払いもありますし、踏み倒すというのもちょっと……」
「そら、相談次第やろ。ワシは何とも言えん。取りあえず、一度、面接に行ったらどうや」
「助かります」
本来、ワシは、こんな迂闊なことは言わん。この世界で人を紹介するというのは、いろんなしがらみができる場合があるからな。
それも、ええ意味というより悪い結果を招く方が多い。特に、ろくでもないのを紹介したら、後々までそれが影響する。
せやけど、この山下と話する限りは、普通のまともな人間のようや。少なくとも、何かの悪さができそうな男には見えんから、その意味では、それほど心配することはないかも知れんがな。
それでも、相手の団には「間違いのない人間やからよろしく頼む」ちゅうな紹介の仕方はせんけどな。
あくまでも、当事者の判断に任せる。ワシからの紹介やいうて特別扱いもせんといてくれと言うとかなあかん。ワシはあくまでも、ただの紹介人や。
「助かります」
結局、翌日、山下はワシの紹介した団に面接に行って、そこで働くことにしたということや。
それが、決まれば話は比較的簡単やった。
まず溜めてた家賃は、失業保険が入り次第、払うということで話がついた。
もともと、最悪の場合は、今までの家賃はいらんということで折り合うことになっとったわけやしな。事実、この山下はそうした。
新聞代の方は、店との交渉で折り合える程度の解約違約金を払うて解約ということになった。
山下が入団する所は、エリア外の他社団やったから、それが一番ええわけや。
ワシも、これで、一応、家主と販売店の両方に顔が立ったことになる。
それにしても、ワシもこういうケースは初めてや。不払いの回収で、拡張員を一人作ってしもうたというのはな。
もっとも、当の山下も喜んどるから、ええようなもんやけどな。せやけど、最近は、この山下のように簡単に拡張員になろうという人間が増えた。
そして、総体的にそうなることの悲壮感みたいなものが、昔ほどない。
確かに、考えようによれば、山下のような人間には、ええ方法かも知れんが、それでも、どうしてもそうせなあかんというほど切羽詰まっとるわけやないと思う。
これが、他にも借金まみれでどうしようもないというのなら分かるが、山下はそういうこともなく、単に仕事がなくなったというだけのことや。
他にも、解決方法は何ぼでもあるはずやからな。
その後、その団の団長から、ええ人間を紹介して貰うたという連絡があった。真面目で、かなりカードを上げとるようや。稼ぎもかなりのものらしい。
ワシも、いろいろトラブルには首を突っ込むことは多いけど、これだけ、すべてが丸く収まったというのは、さすがに珍しい。
大抵のトラブルというのは、大なり小なり誰かがそれに対して我慢しとるもんなんやがな。まあ、こういうこともあるということかな。