メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第68回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2005.11.25
■どっちも、どっちや
拡張員には、真面目な者もおれば、えげつない奴というのもおる。それと同じで、客の中にも、善良な人間もいとるが、どうしようもない者も存在する。
世の中にはいろんな人間が混在しとる。もっとも、そのえげつない者とかどうしようもない者というは確率的には極、僅かやがな。
その中から、たまたま、えげつない者同士が、かち合えばどうなるか。面白いと言えば面白いのかも知れんが、くだらんと思えば、これほどくだらんことはない。
正に、どっちも、どっちや。勝手にやっとれと思う。
しかし、時として、こいつらの揉め事は周りの人間を引きずり込むことがあるから始末が悪い。
今回は、そういう話の一つをしようと思う。
昔、ワシが初めて入団した京都の拡張団に、脇坂(仮名)というのがおった。ここは通称「鬼○団」と呼ばれて、業界でも鼻つまみの拡張団やった。
○○サービス有限会社というのが、正式な名称やが、誰もその名で呼ぶことはほとんどない。当の団員たちですら「ワシらは鬼○のもんや」と言うてたくらいやからな。
その団で、この脇坂は、営業ナンバーワンとして君臨しとった男や。評判の悪い団でのことやから、およそ想像はつくと思うが、こいつの手口は典型的な喝勧と騙しや。
HPの『新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第3話 命の笑い』に少しだけ登場しとるから、その手口の一端は、それで垣間見ることができるやろと思う。
もっとも、その頃の拡張は、今と違うて、そういうのが特別に目立つというほどでもなかったがな。
むしろ、喝勧なんかは体を張った仕事ぶりで、一生懸命やっとるからやと評価すらされるようなところがあったくらいや。人を脅すというのは、相手次第では反撃されるリスクを負う可能性があるということでな。
脇坂は、その中でも、そのえげつなさでは、群を抜いとった。とてもやないが、それは営業と呼べるものやない。少なくとも、営業畑一筋に生きて来たワシからすれば、そういうのを営業とは認めるわけにはいかんかった。
「奥さん、K新聞なんか止めて、うちのA新聞にして。頼みますわ」
「でも、K新聞はチラシも多いから……」
K新聞というのは地方紙やが、京都では人気の新聞や。当然、その地域での折り込みチラシの量は他を圧倒しとった。
「何言うてはりますの?今は、A新聞の方が、チラシは多いでっせ」
「そうかしら……、でも……」
「よっしゃ、分かったこうしよう。もし、K新聞よりチラシの量が1日でも少なかったら新聞代はいらんから。それなら、文句ないでっしゃろ」
と、強引な口調で納得させる。余談やが、こういう輩には、間違うても、その新聞がいらんという理由は言わん方がええ。
その理由を解消させたら文句ないやろとなるからな。この脇坂みたいに、どこからどう見てもヤクザのようにしか見えん男にそう迫まられたら、普通の人間は断りにくくなる。
しかし、こんな場合やと、どうせK新聞の方がチラシも多いと知ってる者が大半やから、そのA新聞を取らされることにはならんという安心感も働き、やっかい払いのつもりで、それならと条件付きで応じやすい。
もちろん、そのままやったら、その契約は、ぽしゃる。脇坂は、間髪入れず、販売店に指示を出す。
「今日、契約を貰うた○○さん、チラシが余分にほしいらしいから、2部づつ入れたってくれ」
「チラシを2部づつ?そんなことをしても意味ないでしゃろ」
確かに、馬鹿げた依頼や。それに、販売店にしても、その家だけに常に2部づつの折り込みチラシを入れて、間違いなく配達するというのも面倒なことや。
「ごちゃごちゃ言わんと、言われた通りにしとったらええのや」
販売店と拡張団の力関係というのは、その地域の各販売店と各拡張団との間でも、それぞれまったく違う。新聞社との関係のように、常に、新聞社の立場が上という構図やない。
そして、この販売店と鬼○団では、圧倒的に鬼○団の方が力関係は上や。加えて、この脇坂の横暴は誰もが知るところやから、それ以上は、どこの販売店でも逆らうようなことは言わんし、せんかった。
しかし、当然のことながら、2部づつ折り込みチラシを入れられた家は訝る。1日だけならともかく、それが続けば販売店に苦情を言う。
そのクレームが入れば、すかさず脇坂はそこへ行く。
「どないだ?チラシは多めに入ってまっしゃろ」
と、ヌケヌケと言う。こんなことを言われては、大抵は黙っとられんから文句を言う。すると、脇坂は、当然のように本性を現す。
「何ごちゃごちゃ言うてんねん。お前んところが、チラシを余分にほしいちゅうから入れたっとるのやないか。それのどこに文句があんねん」
と凄む。こうなると、普通では対抗することは難しい。えらいのに引っかかったと思うて大抵は、それであきらめるしかないとなる場合が多いわけや。
脇坂にとって、この程度は序の口や。他にも挙げたらキリがない。ワシは、ここにいてたおかげで?こういう手口には嫌というほど精通するようになった。
もっとも、ワシは、こういう真似をしたこともするつもりもないから、その当時はそんな手口を知っても役には立たなんだがな。
しかし、今は、サイトのQ&Aの回答には、そういう知識が大いに役立っとるから、ほんまに世の中、何が幸いするか分からんもんやと思う。
仕掛ける側の立場や意図が分かれば、その対抗策は簡単に考えられるからな。
今回の脇坂のようなケースなら、そういう相談があれば、初めからクレームや文句を言う姿勢やなく「お宅の新聞、折り込みチラシが間違って2部づつ入ってますよ」とその販売店に伝えるということを勧めると思う。
販売店にしても、それはハナから知ってることやから「どうも、すみません」と言うしかない。
そこでおもむろに「そちらの営業員さんとのお約束で、チラシの件数が少なければ、解約させて頂く約束になってますので」と切り出す。
ワシの所属してた鬼○団は確かに、えげつないと言われても仕方なかったが、販売店は、どこともまともな所の方が多かった。せやから、客の言うことに分があると思えば、それで、ほとんどはあきらめる。
例え、その脇坂が乗り込んで来ても「お宅の販売店さん、どうも、チラシを間違えて2部づつ入れられてたようで、謝っておられました」と言う。ここで、販売店から謝罪を引き出しとるというのが生きる。
「そこで、例のお話ですが、チラシの件数が少なければ、解約しても構わないということでしたので」
と、ここで、チラシの量と言うてたのをチラシの件数にと、すり替えることが肝心や。
この際、実際のK紙とその同じ日に投入されてた折り込みチラシを比べて見せつければ完璧になる。こうすれば、さすがの脇坂も何も言えんはずやからな。
脇坂のようなタイプは、独自の論法を押しつけて強引な交渉を得意としとるが、突っ込みどころがないとなれば、それ以上は、無理をしようとは思わんもんや。
もちろん、こう上手く行くという保証はないが、脇坂はアホやないから、これは難しい客やとは考えるはずや。
あるいは、ワシのような男が、後ろでいらん知恵をつけて糸を引いとると感じ取るかも知れん。せやから、とことん無理して押し切ろうとまでは、考えんと思う。
強引な営業を得意とする人間の共通の思考は、必ず落とせる相手やと踏んだ時に、そうして全力を傾けるということやからな。
つまり、行けると踏んだらとことん行くが、無理やと思えば、意外なくらい簡単に引き下がるもんなんや。強引な勧誘をされるというのは、そう思われとる証しやということになる。
ただ、その辺りの線引きは、その人間にもよるから、素人では分かりにくいやろとは思う。多分に経験による感覚的な部分が強いからな。
その脇坂が「あのガキ、ほんまにえげつない奴っちゃで」とぼやいた客がおった。脇坂がえげつないと言うくらいやから、よっぽどなのは間違いない。もっとも、その相手も脇坂をそう見とるかも知れんがな。
ガラガラ蛇がスカンクに出会したようなもんやろからな。えげつないのは、お互い様というところやろと思う。
その日、脇坂はあるアパートでその男を勧誘した。男の名前は豊津(仮名)。仕事はとび職やという。歳は30歳前とまだ若い。
「兄さん、A新聞、取って貰われへんか」
「A新聞か……どうしようかな……」
こういう返事をする人間は、提示する拡材次第で落とせる可能性が高い。脇坂は、経験的にそれを知っとるから、拡材攻勢に出た。
「兄さん、今、取ってくれたら、1年契約で普通は、商品券1万円分なんやが、特別に倍の2万円分渡すさかい頼むわ」
と言いながら、下駄箱の上に、その商品券を並べる。
「うーん、考えとくわ」
京都では一般的に「考えとく」というのは、やんわりとした断り文句という場合が多い。
京都の人間は、嫌ということをはっきり言うことの方が少ない。脇坂もそういうことは心得とるから、作戦変更に出た。
「そうか、分かった。ワシも男や。これ以上、しつこくは言わん。良う考えといてくれたらええわ」
と、さっぱりとした男を演じて、その場を離れようとする。
「あっ、おっちゃん、忘れもんやで」
下駄箱の上に出していた商品券を指さす。
「ああ、それは、ワシの気持ちや。取っといて」
「取るか取るらんか分からんのに、貰うわけには……」
「気にせんでええ。ええ返事、期待してるで」
と言うて、一旦、帰る。これが、置き勧の最もオーソドックスな手法や。迷うとる相手とか、勿体つけとる者には効果的やとされとる。
人間は、誘惑というものに弱い。景品を一旦置いて引き下がるというのは、それで、客の欲をかきたてるという目的がある。
当然、その景品は魅力的なものやないとあかん。今回の商品券のようなものがそれには一番ええ。商品券のような金券は、現金と同じやから、大抵の客にとってじゃまなもんやない。
それが多ければ多いほど、それで陥落する客が多い。目の前にあると、どうしても、その使い道なんかを自然に考える。いつの間にか、本当に貰うたと錯覚する。
中には、それでも断る人間もいとるが、その場合は、喝勧も絡める。脇坂の得意技の一つや。
1時間後、再び、脇坂はそこに行った。これも、相手によりタイミングを計る必要があるという。早すぎても遅すぎてもあかんらしい。
「兄ちゃん、もう決めてくれたか」
と、断るはずはないやろという感じでそう言う。
「やっぱり、止めとくわ」
豊津は、あっさりとそう言うた。
「何を眠たいこと言うてんねん。受け取るものを受け取っておいて、それはないやろ。子供の使いやないんやで、こらぁ!!」
脇坂としては、予定通りの恫喝や。これで、大抵の人間はビビる。また、そういう人間やと踏んどるからこそ、そうする。
この脇坂も、裏社会の人間とのつき合いもそれなりに深いから、相手が素人かどうかはすぐ見分けられる自信がある。
何ぼ、脇坂でも明らかに極道と思えるような人間にこういう真似はせん。脇坂にとっては、この豊津を、どこにでもいとる若造にすぎんと思うたわけや。
「何や、おっさん、人を脅すんか?」
意外な反応やった。脇坂にとっては、こういうことは今までになかったことや。
「何やと、このガキぃ!!ワレ、誰に向こうて物言うとるんじゃい!!なめたら、あかんど!!」
こうなると後には引けん。素人に反撃されて引くようなら、喝勧する値打ち?がない。脇坂は、腕をまくり、わざと入れ墨を見せながら喚く。
「なめたら、どうなるちゅうんじゃ!!」
豊津も負けじと、シャツをはだけて上半身の入れ墨を見せた。
「お前……素人やないのか、どこの組の者や」
脇坂は、一気に毒気を抜かれたようや。相手を見誤ったことになる。
「○○組や」
「○○組?知らんな」
「アホか、おっさん、日本人で○○組を知らん者はおらんで」
「……。まあ、ええわ。それより、拡材、商品券返してくれ。あきらめたるさかい」
「商品券?あれは、おっさんが勝手にやるちゅうて置いて行ったもんやんけ。一旦、やるちゅうて、返せ言うのか?」
「アホ、あれは、新聞取ったらやる言うたもんや」
「そんな話は聞いてないな。貰うたもんは、貰うたもんや」
豊津は一歩も引き下がる様子はない。脇坂は、その自信に怯んだ。この若いのが、どこかの組の身内なのは間違いない。
下手に手を出せば、後が面倒やとの計算が働いた。仕方なく、そのまま、引き下がって、ぼやいとるというわけや。
ワシは、その話を聞いて、思わず脇坂の前で吹き出しそうになったが、ぐっと堪えた。
その豊津の言う○○組というのは、極道の組のことやない、大手の建設会社のことや。有名やから、おそらく、ほとんどの人間は名前くらい聞いたことがあるはずや。
ワシも元は、そこそこの建設会社におったからすぐ分かった。脇坂は、相手が入れ墨をしとるもんやから、極道と勘違いしたようや。
しかし、結果的には、そう勘違いしたことが、脇坂にとっては良かったかも知れんがな。
相手が、極道やないと知って相手にしたら、無事には済まなんだやろからな。この場合、危ないのは脇坂や。おそらく、ドツキ合いの喧嘩には勝てんと思う。
脇坂が、いかつい外見だけの運動不足の50男というだけやなしに、相手は日々、過酷な現場で鍛えとるから勝負にはならんやろからな。
豊津は、とび職やと言うてたから、おそらく、その建設会社である○○組の息のかかった下請けやのはずや。建築現場で、一番気の荒い連中がこのとび職や。そして、プライドも高い。
工事現場において真っ先に乗り込むのが、このとび職になる。仮囲い(工事現場の塀)を作り、他業者の為の足場を組む。とび職がおらんと建築工事は始まらん。業界では、大工と同じ花形の仕事になる。
その仕事は、建築現場では常に死と隣合わせの最も過酷なものや。実際、これで命を落とすことも多い。
必然的に、気の弱い者はやっていけん。また、それほど、気の強くない者でも鍛えられて強くなる。命知らずの人間も多い。
ワシは、建築屋に勤めていた頃、幾つかの工事現場の監督をしていたことがあるから、彼らの気性は熟知しとるつもりや。
とび職の親方、つまり、そこの社長はそれほど扱いにくいということはない。それは、仕事を発注する側と下請けという関係を心得とるからや。
問題は、現場の責任者として来る棒芯と呼ばれる連中や。彼らは、一応にプライドが高く、いくらこちらが監督という立場であっても、その仕事の指図をすることはタブーとされとった。
現場を上手く進めるためには、この棒芯の扱いに長けとらなあかん。基本的には、信頼して任すことや。そうすれば、自然に指示を仰いで来るようになる。
但し、その場合は、その仕事は直接できんでも、内容と施工手順くらいは熟知しとかな、何も分からん監督として馬鹿にされるからな。
建設現場は、あらゆる職人が集まって来る。一つのビルやマンションを建設するには、通常、20種前後の職種と職人が必要になる。
真夏ともなれば、ランニングシャツから入れ墨がはみ出とるような連中もそれほど珍しくもない。これは、その連中が、元ヤクザやったということとは違う。
中には、そういうのもおるかも知れんが、たいていは心意気を示す勢いみたいなもので入れとる者の方が多い。最近でこそ、そういうのは減ったが、昔は、入れ墨をした職人というのが、それほど珍しくはなかった。
その中でも、飛び抜けた存在が、この豊津のようなとび職やということや。せやから、この豊津に入れ墨が入っとったからというて、脇坂のように筋者やと判断するのは早計やということになる。
こういうことを言うと、この豊津は気っぷのええ男みたいに思うかも知れんが、やってることはほめられたことやない。これは、後になって分かったことやが、この豊津というのは、札付きの男として知られていた。
他の新聞拡張団の人間からも、同様に商品券やビール券を巻き上げとるらしい。
手口は、今回の脇坂と似たようなもんや。豊津の言い分は、新聞を取るとも言うとらんのに勝手に置いて行って、その挙げ句に脅すような真似までされて、何で返さなあかんねんということや。
確かに、豊津の言い分にも一理あるが、それでも、タダで何もなしに人から物が貰えると思う感覚は異常や。この場合、貰うというよりふんだくるという形に近いんやからな。
販売店の中には、それで大揉めに揉めて、結局、拡張禁止になった所もあるくらいやった。
ワシは、そういう豊津のバックボーンのことを知っとっても、脇坂にそれを説明してやるようなことはせんかったがな。そうしても、ろくなことにはならん。
脇坂も、豊津が極道で筋者やと勘違いしとるから、それで収まっとることで、相手が素人やと知ったら、なめられたと言うて乗り込んで行くやろと思う。そうせな格好つかんと思うやろからな。
それだけなら、勝手にやっとれで済むが、ワシの口からそれを言うと必ず、ワシも一緒に巻き込もうとする。間違いなく一緒に来いとなる。
何も敢えて、火中の栗を拾うようなことをして火傷する必要もない。
そういう喝勧みたいな真似をしとれば、いつかはえらい目に遭う。それは、豊津のような男にも言えることや。いつも、いつも、そういうことが成功して上手く行くとは限らん。
そういうことを続け取れば、いつかは、取り返しのつかんような目に遭う可能性も高くなるということや。
もっとも、ワシが、そういう連中に対して、別に気遣うこともないがな。所詮、どっちも、どっちというところやから、どうなろうと知ったこっちゃない。