メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第75回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2006.1.13


■我らマイナーワーカー同盟


テツから年賀メールが届いた。

珍しいこともあるもんやと首をひねっていたら、どうやらハカセが先に年賀メールを送っていたらしい。

それの返しのついでにワシんとこにも送って来たというわけや。それで納得した。

やっこさんとは長い付き合いになるが、年賀状すら貰うたことはないからな。もっとも、ワシも出すことはなかったけどな。

それもあって、久しぶりにテツに電話した。

「おめでと、さん」

「おっ、ゲンさんか。おめでとう」

「テッちゃん、今、暇やろ」

テツというのは、11年ほど前、京都で拡張してた時に知り合うた古紙回収をしとる男や。

今は立派な社長さんやが、その当時は、まだ一匹オオカミの「ちりこ」やった。京都では、古紙回収でちり紙交換をしとる人間を「ちりこ」と縮めて言う。

どこか侮蔑の含んだ言い方やと、テツはいつも自嘲気味にそう言うてた。

ワシは、その当時、そのテツと組んで良う仕事をしとったもんや。

拡張員とちり紙交換が、どう絡んで仕事をするのかということを説明すると長くなるから、HPの『新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第6話 危険な古紙回収』を見て貰うたらええ。そこで、かなり詳しく説明しとる。

これは、ワシのエピソードの中でも面白い方の部類やと自分でも思う。

何しろ、その仕事中、ヤクザの撃った流れ弾に当たりそうになって、あわやという目に遭うたさかいにな。

本人にはたまらん経験やけど、そういう話を聞く人間は喜ぶ。

ワシがテツに「今、暇やろ」と聞いたのは、仕事がという意味や。

古紙回収、とりわけ、ちり紙交換員と呼ばれとる仕事は、年末の12月が異様に忙しい。

日本人は年越しということにこだわる。なるべくなら、片づけものや掃除は年内に済ましたいと思う。新聞や雑誌、ダンボールなどの古紙類についても同じや。

普段は、それほど、その意識はなかっても、その時期、ちり紙交換車が来とるのが分かると群がるように古紙を持って人が現れる。

田舎やと、一輪車に新聞や雑誌を積み込んで出て来ることも珍しいことやない。

また、来たと知った瞬間、その近所の家々の前に新聞や雑誌、ダンボールが並ぶ。ちりこはそれを「大名行列」と呼ぶ。

両サイドの家の前に綺麗に並べられた古紙が、大名行列の時にひれ伏しとる平民の光景に似とるからやという。

普通、この形容は、ちりこにとって、ラッキーな現場に遭遇したときに使う。それが、この時期、当たり前のようにある。

その地域の道1本で、トラックの荷台が満載になるのも珍しいことやない。1人1台のトラックで1日に集められる古紙は3,4トン、ときには5,6トンになることもある。

それ以上は、トラックの積載能力と、問屋と現場の往復や積み卸しなどの時間的余裕、ちりこの体力の関係もあり無理や。

しかも、誰でもというわけやない。京都の古紙事情を隅々まで熟知していて、尚かつ、化け物じみた体力の持ち主でもあるテツをもってして、そうやということやからな。

普段は、ベテランでも、1日、走り廻って1トンも集められれば、まずまずという世界やから、いかに異常な事態かというのが分かるやろと思う。

その時期が、12月15日過ぎから大晦日の昼頃まで続く。古紙問屋が、それで仕事納めやから、それ以降、集めて持ち込んでも受け入れて貰えん。

通常、ちりこは、それが済むとトラックを洗車して仕事納めとなる。

但し、そのまま、そのトラックで買い物なんかの用事に乗って行ったら大変なことになる。

テツは、ある年、市場に正月の買い物に出かけ、その洗車後の大晦日の夕方、そこの駐車場に停めとったことがあった。

小1時間ほど、そこで買い物をしてその駐車場に帰ってみると、トラックの荷台が、新聞、雑誌、ダンボールで溢れかえとったという。

自分で集めとる場合は、綺麗に積み込みながらするので少々の量でも問題ない。しかし、素人の持ち寄ったそれは、ただ投げ込んどるだけやから、単なるゴミの山にしかならんし見えん。

テツは、仕方なくそれらを一旦すべて降ろし、整理して積み直したため、1時間以上も無駄に潰した。

当然というのか良う分からんが、その間にも、古紙を持って来る者が後を絶たなんだらしい。

中には、どこから聞きつけたのかは知らんが、乗用車のトランクルームに新聞を積んで持って来る者すらおった。

それから以降、二度と大晦日の夕方は古紙回収のトラックで買い物には行かんかったということや。

その反動で1月、2月はさっぱりやという。

「オレは暇やけど、ゲンさんはもう仕事しとんのやろ」

「しとるというても、まだあかん。どうや、こっちに来ぇへんか?」

「何かあるんか」

「いやな、たいそうなことでもないんやが、ワシとハカセで新年会でもしようと思うてな。良かったら、一緒にどうや」

実は、去年の暮れ、ハカセから忘年会に誘われてたんやが、ワシらも年末は忙しい。その代わり1月は暇やから、新年会をしようということになった。

そのとき、テツを誘おうと決めてたから、届いた年賀メールが、誘うにはええきっかけになったというわけや。

テツは、二つ返事で翌日の1月7日に来ることになった。場所は「カポネの店」ですることにした。

「カポネの店」というのは、メルマガ『第44回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■その名は、カポネ』で紹介した、大柄でスキンヘッドのいかついマスターが経営しとる一風変わった店や。

店名がカポネというわけでもない。ワシが、そのマスターのあだ名を「カポネ」と付けたから、いつの間にか「カポネの店」と言うようになっただけや。

昔見た映画に「アンタッチャブル」というのがあったんやが、その中で大俳優のロバート・デ・ニーロが演じていた、実在していたシカゴのギャングのボス「アル・カポネ」と風貌と雰囲気がそっくりやと思うたから、その名を付けた。

マスターも、シカゴ帰りやったということやからな。そのシカゴにおった当時、何をしとったのかは未だに不明や。

シカゴの暗黒街で何人か殺(バラ)してきたと聞かされても、嘘やとは誰も言わんやろと思う。そんな雰囲気がある。

カポネのマスターは、商売柄、酒のウンチクについては良う喋るし、客の身の上話も良う聞いとるようやが、自分のことはほとんど何も話さん。せやから、憶測だけが勝手に一人歩きする。

ワシは、カポネのマスターに、これから3人で行くからと昼過ぎに連絡を入れた。着くのは夕方の5時頃やけど、ええかと。

カポネの店は5,6坪ほどで小さい。カウンター席しかなく、5,6人も入れば満員になる。そこに営業時間に3人も行ったら、他の客が入りづらくなる。

「ゲンさん、何もそんな気を遣って貰わなくてもいいですよ。どうせ、お客も一見さんは、ほとんど来ませんし、暇ですから。でも、5時に来られるのでしたら、準備はしておきますよ」

今は、このカポネのマスターとは商売抜きに付き合いをしとる友人や。せやから、客として行くのやなく、同じ仲間として酒を酌み交わしたかったということもあって、ハカセやテツとも相談してそう決めたわけや。

ワシら3人、いや、カポネのマスターも含めて4人で、新年会を始めた。

「おっ、マスター、日本酒か?」

「お正月ですからね」

普段、この店に日本酒は置いてない。洋酒だけや。その洋酒も日本製はない。世界各国のウィスキーとブランデーのみで、およそ200種くらいは常時あるという。

手製で作ったという洋酒棚にずらりと並べられとる。通でなくても、それらを見とるだけで楽しめる店やとは思う。

しかし、客は少ない。もっとも、ワシの来んときには多いのかも知れんがな。

ただ、雰囲気的に趣味の合わん人間には入りにくいという気がする。若い娘もおらんし、カラオケすらない。

いかつい、スキンヘッドのおっさんが、カウンターに一人おるだけや。しかも、店の造りもお世辞にもあか抜けとるとは言い難い。

古臭く感じる。洋画のワンシーンに登場する場末の小汚い飲み屋という趣や。但し、これは、半分は狙いでそうしとる。

ワシは開店当初から来とるから分かる。マスターは、往年のアメリカ西部の雰囲気にしたかったらしい。

ただ、日本の内装業者にその意図が上手く伝わらんかった。それに、その材料もないという。

それで、仕方なく、そこらの古道具屋を廻ってかき集めた資材で造った結果がそうなった。

マスターは、当初、西部劇で良く見かける開き戸だけの扉にと思うたらしいが、これは、夏は暑くて冷房は利かんし、冬は暖房も入れられん。

それに、ここは、賃貸物件ということもあり、外装はいじれんということで、
仕方なくあきらめた。

当初、その西部の酒場の雰囲気よろしく、カウンターだけで、椅子もなしにする予定やったらしい。

友人に「それやったら皆、立ち飲み屋に行くで」と言われて、それもあきらめたということや。

結局、椅子はどこで仕入れてきたのか知らんが、細長い酒樽をデザインしたようなものを選んだ。

それだけなら、まだ、センスの内とも考えられんこともないが、壁に掛けとる数枚の絵は頂けん。

ピカソの絵も、ワシにはさっぱりやが、それでもまだその方がましやと思える。

砂漠を歩くワタリガニのハサミからチューリップの花が咲いとる絵や、太陽らしき絵の真ん中に1ドル硬貨の図柄のようなものが描かれとるものとか、カエルが口を大きく開けたその中が、宇宙になっとるようなわけの分からん絵ばっかりや。

それも、観る人が見れば芸術ということになるのやろうが、あまりにも店の雰囲気とはかけ離れとる。完全にミスマッチや。

ただ、そうは思うても、そういうことは何も気付かんふりをしとるがな。誰の絵やとも尋ねたこともない。

なるべくなら、そういう人の趣味の領域には踏み込まんようにしとる。批判的な場合は特にな。

踏み込むのなら、心ならずも、よいしょするためや。営業員の習性やな。

そんな感じやから、何も知らんとこの店に入る普通の人間は、たいてい、すぐ逃げ出す。その現場なら何度か見た。

儲けるとか流行らせるという意図は皆無のようや。完全にマスターの趣味だけでやっとるとしか思えん。

こんな店が3年も続いとるというのは奇跡に近い。何か裏がある。この店は世を欺く仮のもので、殺し屋が生業やないのかと本気で疑いたくなる。

穿った見方をすれば、そのために、わざと人を寄せ付けんようにしとるのやないかという風にしか考えられんからな。

「テッちゃん、このハカセとも相談したんやが、マイナーワーカー同盟というのを結成しようと思うんや。参加してくれへんか」

「何やそれ」

「世の中には、うだつが上がらんというか、その世界におったら絶対にメジャーな存在になれんという仕事があるやろ」

「古紙回収員とか、拡張員か」

「そうや。言えば、世の中の底辺にいとる者や。下層労働者というやつやな。ワシらは、何ぼ頑張っても、世間から尊敬されたり、認められることはまずない……」

もちろん、そんなことを望んで仕事しとるわけやない。せやけど、人間やから、それなりにプライドはある。

仕事に貴賤はないと言うけど、あれは嘘や。少なくとも、人は、相手を判断するには、必ずと言うてええほど、その職業を基準に考える。

知識人、著名人、有名人などは一様にそれだけで尊敬される。一般でも、その会社の規模、役職によっても、その人の値打ちが左右されることも普通にある。

社長、重役、部長クラスと平社員というのでは、世間の見方もまったく違う。会社の規模も大企業と中小企業とでは、その評価に雲泥の差が出る。

肝心な人間性とは別のところで、評価されるわけや。理不尽やけど、それが人間の社会やと認識するしかない。

ただ、認識してても、何も黙して語らずを貫くことはない。言いたいことを言えばええ。

そうは言うても、普通は、その機会すらないというのが実情や。せいぜい個人間で愚痴る程度で、公の場がない。声はどこにも届かん。

せやけど、ワシに関しては、今、こうして、好きなことを言わせて貰うてるということがある。

そして、有り難いことに少なからず、それに耳を傾けてくれとる読書も確実に増え続けとるしな。

そういう場を拡げるための『マイナー・ワーカー同盟』なわけや。

世の中には、ピラミッドの底辺に位置する人間が圧倒的に多い。せやけど、脚光を浴びるのは、常にその頂点付近の人間だけや。

もちろん、それには、それにふさわしい人間が多いのも良う知っとるが、ワシらマイナー・ワーカー(下層労働者)の中にも、それに負けんくらいの人間も大勢いとると言うこと知らしめたいという思いもある。

「そら、面白いな。せやけど、具体的には何をするんや」

「今は、その仲間を増やすことや。その輪がHP、メルマガ、ブログで拡がれば言うことない。どんな仕事にも、必ず人をうならせる話というのは結構あるから、まず、それから広めるようにするんや」

「それはええけど、オレは文章なんか書けんで。言いたいことは山ほどあるけど……」

「それでも、ええんや。ワシもそうやさかいにな。少なくとも、ワシやテッちゃんには、ハカセがおる」

そして、最終的には、そういったHP、メルマガ、ブログを書きたい人向けに、文章講座みたいなものを作ってもええとハカセも言うとる。希望者がおればやがな。

どんなに、そのネタが良うても、それが読むに耐えんものやったら、誰も見んやろしな。

やはり、人に読んで貰うためには、それなりのコツというものも存在するようや。

「それに、私自身もそのマイナー・ワーカーの一人ですしね」

「でも、ハカセは、作家先生でっしゃろ」

テツが怪訝そうな顔でそうハカセに訊く。

「私のような者を、誰も作家とは言いませんよ。物書きですらないかも知れません」

ハカセは自称「売れない物書き」と言うてるが、それは、書く物が面白くなくて本当に売れんからそうやというわけやない。

正しくは「売れてはいけない物書き」やという。俗にいうゴーストライターという類のものや。

ただ、一口にゴーストライターと言うても、いろいろある。作家の代筆はもちろんのこと、アイデア提供者もそう呼ばれる場合がある。

早い話が、そういうゴーストライターの書いたものを、その作家が手を加えれば、それは、その作家の作品になるということや。

ゴーストライターはそれで、某かの金銭を貰い、表に現れることはない。文字通り、幽霊となる。

有名人の口述で書く者も、ゴーストライターと呼ばれる。隠れた部分やが、この世界の需要は結構ある。また、その類の人間もそこそこいとる。

ハカセは主に、自費出版で自分史専門のゴーストライターをしとるという。顧客には、会社経営者や金持ちが多い。

歳を食ってくると自伝書を残したいと考える人間が、そういう類に多い。しかし、多くは、そう思うてもなかなかできん。

単にその暇がないということだけやなしに、文章を書く難しさもある。自分では書けんが、金ならあるという人間がゴーストライターに頼む。

その料金は、それぞれの条件でも違うが、制作日数100日、原稿用紙300枚分程度で100万円ほどになる。

これが高いか安いかは当事者の経済状況や、その作品の出来不出来にもよるやろうが、ハカセはそれに対してクレームをつけられたことはない。

ゴーストライターにとって、それはどんなに良く仕上がったものでも、自身の作品には絶対にならん。作者はあくまでも、依頼者ということになる。

書いて金を貰えば、すべて忘れる。それが条件や。単なる代書屋やと思うわなやってられという。

ゴーストライターというても、誰にでもなれるものやない。本人がそうやと言えば、自称は可能かも知れんが、需要はないやろと思う。それなりの技術と信用、伝が必要や。

その書く内容は、本人面接とその人間に関した資料、時代背景、関係者の聞き取りとそれなりに調べることは多い。

そのほとんどは、テープに録音する。それを元に文章を作成する。テープ起こしと呼ばれる作業や。それをやったおかげで、それに長けることができたという。

そして、その技術があるからこそ、ワシの話を的確にかつ面白く書くこともできるというわけや。

ハカセは、学生時代から小説家を目指した文学青年やった。ある高名な作家のアシスタントを5年ほどしてたという。そこで、本格的な文章修行を積んだ。

しかし、なかなか芽が出ず、チャンスもなかった。才能にもめぐまれてなかったと自嘲気味に話す。

そのうち、ある女性と恋に落ち、子供ができた。結婚するには、定職に就く必要がある。とてもやないが、作家のアシスタントでは家族を養うことはできん。

また、それで頑張っても絶対に売れると保証されとる世界でもないからな。結局、考えた末に小説家への道はあきらめた。

そのときに結婚したのが、今の奥さんで生まれたのが、今年、高校生になるシン君や。

そのあきらめかけてたものが、6年前に患った心筋梗塞という死の淵をさまよった病気により、再び、頭をもたげてきた。

それには、普通の仕事に就けなくなったということが大きい。

昔の伝を頼って、探した仕事がそれやったということや。ハカセのそれは、密かに人気を博しとる。もっとも、密かな人気というのも変な表現やがな。

ただ、オリジナルなものを書きたいという思いも捨て切れなんだ。そういうときにワシと出会ったというわけや。

「何か面白そうですね。私も是非、参加させて貰えませんか」

カポネのマスターやった。

「マスター、ワシらのは、必殺仕事人と違うで。誰かをバラ(殺)すわけやないからな」

「またまた、ゲンさんは、すぐ、そういうきつい冗談ばかり言うんですからね」

半分は冗談やないんやけどな。

「実は、私は、これでも絵描きなんですよ。まったく、売れないですけど。マイナーということで言えば、該当すると思うんですけど」

「絵描き?それじゃあ、ここにあるのは……」

「ええ、私の作品です」

ワシは、一瞬、何を言うてええのか戸惑った。

「是非、参加を、お願いします」

さすがに、ハカセは、ワシの戸惑いを察したのか、すぐそれに快くという素振りで応じた。

それにしても、いらんことを言わんで良かったと、つくづくそう思うた。

「我ら、マイナー・ワーカー同盟に乾杯!!」

誰とはなく、4人同時にそう言いながら、酒を飲み干した。今年は、何か大きな動きがありそうな、そんな予感がする。もちろん、ええ予感や。と思いたい。


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