メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第78回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
     

発行日 2006.2. 3


■栄枯必衰の理


「ライ○ドアショックというの、どう思います?」

山川という馴染みの奥さんからこう尋ねられた。

最近は、こういうことを話題にする人が増えた。しかも、経済問題には疎いと思うてた主婦連の口から、それを聞くことが多い。

もちろん、テレビのワイドショーの影響やと思うが、それでも、こういう経済事件が、ゴシップ大好き主婦連の間で話題の中心になるというのも珍しい現象や。

もっとも、この企業の経営者が、マスコミからIT寵児ともてはやされ、並の芸能人以上の有名人になっとるから、そういう意味では、ゴシップ好きの血が騒ぐのかも知れんがな。

マスコミも、有名タレントのスキャンダル並の扱いやからよけいや。

それにしても、どこかの首相の弁やないが、持ち上げるだけ持ち上げといて、何かあれば、手のひらを返したように、とことん叩く。確かにマスコミも節操はないわな。

誤解せんといてほしいが、ワシはこのIT寵児を擁護しようちゅうわけやない。正直言うて、ワシにとっては、こういう問題はどうでもええことやからな。

誰がどれだけ金を稼いで金持ちになろうが、それが、どんな違法な手段を使うてたことやとしても、ワシには関係ないし、さして興味もない。

違法なことをして、それが発覚すれば、捕まって裁かれる。良くある話で当たり前のことや。

但し、それが、営業話のネタになるのやったら、有り難く使わせて貰う。それだけのことや。

もっとも、そういう意味では、マスコミも一緒やろがな。ニュースバリューが大きいから大々的に取り上げとるにすぎん。

その特異なキャラクターで人気を博し、話題にも事欠かかんかったから、それを利用する。不正が発覚して、ネタとしての価値が高ければさらに大きく扱う。

報道する側から言えば、むしろ、それは当然のことなのやろと思う。

他のどこかの企業が同じことをしてたとしても、ここまでの騒ぎにはまずなってないやろしな。少なくとも主婦連の話題にはほど遠かったはずや。

「さあ、ワシは株には興味ありませんので、良う分かりませんけど」

ワシは、たいてい、こう答える。

客から何かの感想を聞かれても、自分の意見を最初に言わん方が無難やと、常に戒めとる。営業員の心得の一つや。

こちらから話しかけて一方的に売り込むばかりが営業やない。相手の話を聞くこともりっぱな営業や。むしろ、聞くことのメリットの方がはるかに大きい。

それを考えず、得意げに話すのは愚の骨頂ということになる。

その意見に大きな開きがあったり、否定されるようなことを聞かされれば、どうしても好意的という雰囲気ではなくなるからな。

人と意見が違うということで理解を示せる人間は、世の中にそう多くはおらんもんや。

特に、こういうゴシップにそれが言える。ゴシップは同じ意見の者同士で騒ぐから面白い。主婦連の井戸端会議はその典型と言える。

テレビのワイドショーで、コメンテーターと称する連中が寄ってたかって叩いているのを見るのが好きやというのは、その心理が働くからや。

その中で、本人は正論やと思うて、批判的な意見を堂々と主張する者がおるが、こういうのは、その場の空気が読めんわけや。場をしらけさすだけやということがな。

少なくとも、営業に携わる者は、そういうことは慎まなあかん。自分を押さえ、殺すのも仕事の内と割り切ることができんとやっていけん。

何でもそうやけど、例えそのことに詳しくても、それを披露するのは、時と場所と相手を見てからするべきや。

「世の中、お金がすべてと思ってる人は、結局、ああなるのね」

「そうかも知れませんね」

「でも、1日に何千億円もなくなっていくなんて、株の世界ってどうなっているのかしらね」

「さあ、株のことは知りませんけど、博打、ギャンブルみたいなものと違いますか」

株をするのを投資、投機という。両者は似たような意味合いのものやが、微妙な違いがある。

投資というのは、株だけに限らず、広い意味で使う。たいていは長期的な視野で行われるものをそう呼ぶ。

それに対して投機というのは、短期的な利益を主な目的として出資することを指す。一般的に半月程度のサイクルが、投機的な株をする人間の常識ということらしい。

どちらも、その目論みが外れれば、損失を被ることになる。それをする者は、たいてい、そのリスクは承知でする。

そして、そのリスクは、大多数の人間にとっては予測不能やと言える。ただの噂や風評、評判でもその株価の変動に大きく影響するというからな。

有望やという評判が立てば、その株の値上がりを期待して買う。逆に、あそこは危ないとなれば、皆が売りにかかり値下がりする。

それには、多分に運、不運もつきまとう。儲ける者、損をする者が常に出る。博打、ギャンブルと同じやと言う所以や。

競馬に代表されるようなギャンブルは、馬券が外れれば、すべてパァになるということは誰でも承知しとるから、あきらめる。

株はそのあたりが曖昧になる。値下がりした株が明日は上がることもある。すべてパァとは普通はならん。

ただ、今回に限りそういう事態になりつつあった。不正発覚により、その株価の暴落を招いた。皆が大慌てで売りに走ったからや。それが、今回の騒動やということになる。

そして、発覚したそのIT企業は、その株価つり上げの不正な操作をしてたという。競馬で言えば八百長やな。

それがバレて捕まった。簡単に言うたらそういうことや。

ワシは、この事件の報道で、なぜか20年以上前に起きた豊田商事事件というのを思い出した。

被害者総数3万人以上という、日本の歴史上最大の詐欺事件や。加熱したマスコミの報道も、今のそれと酷似しとった。

その渦中、報道陣やテレビカメラの前で、その会長と言う男が刺し殺されるというショッキングなことになり、別の意味で話題を振りまいたという事件やった。

ワシが、その豊田商事事件を思い出したというのは、その加熱した報道が酷似しとるということ以外に、別の感慨もあったからや。

善さんという、ワシがこの道の師匠やと仰いでいた人がいてた。

今でこそ、ワシはこのメルマガやHPで拡張の営業について偉そうなことを言うてるが、この仕事をやり始めた頃は、悲惨なものやった。

最初の3日間は、全くの坊主、パンク(契約ゼロ)の日が続き、持ち金も底をついて、行き倒れて野たれ死ぬことまで覚悟したことがあった。

その窮地を救うてくれたのが、善さんやった。ワシもそれまで、建築屋の営業を経験してたこともあり、営業に関しては、そこそこの自信もあった。

しかし、この拡張の営業は、そんな自信なんか何の役にも立たなんだ。

一つには、今は、当たり前として受け入れとるが、当時は、人に嫌われとるということに、どうしても納得が行かんかったからや。

そのワシの考え方を根底から変えてくれたのが、その善さんやった。営業にとって、必要なのは、そのテクニックやない。考え方やと知ったのも、このときやった。

しかも、その教え方が、実にユニークやった。善さんから、出会ったその日に言われたのは「笑え」ということだけやった。

その練習を公園の真ん中でやらされた。そのとき、公園には、少なくとも30人前後の人がいてたと記憶しとる。

さすがのワシが躊躇した。

ワシにも当然やけど、羞恥心というものがある。意味もなく、大勢の前で、いきなり笑えと言われても笑えるものやない。

しかも、契約も上がらず、行き倒れまで覚悟しとるようなときやから、尚更や。このときが、人生で最高に落ち込んどったのやないかと思う。

ワシの中途半端な笑いに業を煮やしたのか、その善さんが、いきなり、豪快な高笑いをして見せた。

善さんは、その名の通り、穏やかな人の良さそうな人物に見える。仲間からは、仏の善さんと呼ばれとったくらいやからな。

その善さんと出会えんかったら、今のワシもなかったかも知れん。もっとも、今が人に自慢できるという意味やないがな。

ワシは、その善さんの豪快に笑う姿を見て、理屈なく腹の底から熱いものが込み上げてきた。

「はっ、はっ、はっ、は、は、はっ、はっ、は、は、はっ、は、……」

ワシも思わず、善さんについて大声で笑った。それを10分以上もその場で繰り返した。

やはり、というか、それまで、周囲にいた人間が遠巻きに離れていた。

男ふたりが、公園の真ん中で意味もなく大声で笑うてるちゅうのは、普通で考えたら不気味な光景や。気が触れたと思われてもしゃあないからな。

そのときに、ワシが教わったのは、それだけやった。

善さん曰く「それが、奥義や」ということや。正直、ワシもそのときは、何やこの人と思うた。

確かに、大声を出して笑うたから、爽快な気分にはなったが、それだけのことやった。そのとき、善さんから、愛用の手鏡を渡された。

「ゲンさん。営業中は笑顔を絶やしたらあかんで。これ貸したるから、笑顔が消えそうになったら、これ見て笑え」

今も、そのときに貰うた手鏡を持っとる。ワシのお守りみたいな物や。

笑顔で営業というのは、基本中の基本や。それは、ワシも分かってた。しかし、人間は感情の動物やから、どうしても、その時々で徹底できんということがある。

文句を言われたり、蔑んだ目で見られたりしたら、やはり、気分が悪い。どうしても、そういう相手には、敵対心が湧く。笑顔も引きつるちゅうもんや。

そんな状態で営業しても結果は悪い。常に笑顔。これは、基本やけど守り通すのは難しい。

それが、分かっとるからこその笑うトレーニングなわけや。何でもそうやけど、徹底させようと思えば、それを繰り返して覚え込むしかない。

理屈で分かっても、それは単に知っとるということにしかならん。身について初めてそれが生きる。

はたから見れば、馬鹿に映るやろけど、ワシの知る限り、これが一番ええ方法やと思う。そのおかげで、どんなに嫌なことがあろうと、笑顔を絶やさん自信がついたからな。

はっきり言うけど、営業に特別な極意とか秘伝のようなものはない。いかに、基本に忠実に徹することができるかということに尽きる。テクニックはその後の問題や。

この一見、馬鹿笑いとも思える行為の中にそれがある。そのちょっとした、気づきのおかげで、それから、嘘のようにカード(契約)が上がり始めた。

そのことを教えてくれた善さんが、ある日、事故で死んだ。

善さんが死んだ次の日、ワシ宛に小包が配達された。それで、善さんが、豊田商事事件の元関係者やったということを知った。

その辺りの詳しいことは、HPの『新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第3話 命の笑い』を読んで貰えれば分かるやろと思う。

今回、このIT企業の事件を見て、善さんのことを思い出したのは、彼がこの後、どうしていくのやろかと考えたからや。

ワシら、拡張員の中にも、このIT寵児ほどやないにしても、それなりに、過去に栄光を掴んでたことのある人間が少なからずいとる。

会社の元社長、銀行の元支店長、中には、元市会議員までやってたという人物さえおる。他にも挙げればきりがない。

そして、今は拡張員をしとるという結果だけを見れば、人は落ちぶれたように思う。

しかし、それは長い人生の中では、ただの通過点にすぎん。

もっとも、その想い出の中だけで生きとるような人間は、そこが終点となるがな。早い話が、昔は良かったと言い出したら、それまでや。進歩はない。

善さんは、報道機関に実名を晒されたということで、どこへ行ってもまともな職にはつけなんだという。

それでも、自分を見失うことなく、自身の信じた営業テクニックを磨き、それを残そうとした。

志半ばで逝ってしもうたが、その心意気は、少なくともワシの中で生きとる。ワシが、それを忘れん限りな。

ワシが、言いたいことはただ一つ。人は苦境にあって、初めてその真価が分かるということや。それで、潰れるか這い上がるかは、その人間次第やということになる。

ワシは、その頂点に君臨して成功しとる人間には何の感慨も持たんが、落ち目になったとき、その人間が、これからどうしてやっていくのかということには興味がある。

栄枯必衰の理というのは、良く聞くことやけど、それにしても、これだけの短期間に名と財をなし、一気に駆け上がり、そのすべてを一瞬でなくそうとしとる人間も珍しい。

がんばれとかエールを送るというつもりやないが、IT寵児のこれから先を見てみたい気はする。過度の期待はせんがな。

この男の前途は確かに多難やろと思う。ミスったというにしては、あまりにも大きな出来事や。普通では、挽回不能やと思える。

しかし、この男には、まだ、若さが残されとる。その意味で言えば、チャンスはある。

生きとる限りはどんな境遇になろうとも、その現実は続く。それをどう生きるかで、その人間の真の値打ちが決まる。

どんなことでも、あきらめることさえなかったら、道は必ず切り開かれる。問題は、いかに、そう信じられるかや。

そう信じれば、浮かぶ瀬もあるやろうが、あきらめたら、水の中の藻屑となって忘れ去られる。

そして、現実には、藻屑となって消えることの方が圧倒的に多いのが、世の中なんやけどな。


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