メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第84回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日  2006.3.17


■消えたジゴロ


「ゲンさん、ミツオの客を頼みたいんやけど……」

班長の山本がそう言うてきた。

ミツオというのは、1週間ほど前に辞めた班員のことや。団には3ヶ月ほどいてた。というても、駆け出しの拡張員やない。

他でも5年ほど経験があるというふれ込みや。もともとは、関東の人間やという。喋り口調もそうやった。

細身の長身でなかなかの二枚目や。物腰も柔らかい。当然のように、女性客からも人気があったようや。歳は32やと言うてた。団では若い方や。

実際、女性客も多いという。ジゴロのミツオというのが団内での通り名やった。

もっとも、ワシらは、奥さん連中に契約を貰うことが多いから、女性客が多いというのは特別なことでもないんやがな。

見かけの冴えん者の多いワシらの団では、ミツオは異質な存在やったから、やっかみ半分にそう言われてたというのもある。

そのミツオを指名して、団の事務所に連絡が入った。やはり、それも女性客やという。

山本が「頼みたい」と言うのは、今日、入店する販売店にその客がいとるからやった。このケースのように、客が拡張員を指定してくることが希にある。

拡張員により交代読者と懇意になっとる者もおる。その拡張員を気に入ってそうなる。人柄に惚れてか、サービスがええからかは、そのケースで違うがな。

そういう客の中には、その拡張員が団を辞めたということを知らずに今回のように連絡してくることも多い。

普通の会社の事務員やと、相手には社員が会社を辞めたと伝えることが多いやろけど、拡張団ではそういうことはせん。そんなことをしたら、大事な客をみすみす逃がすことになるからな。

その場合は、同じ辞めたと伝えるにしても、その客の所に出向いてからそうする。たいていは、その客の所へ行った拡張員がそのまま契約を引き継ぐことになる。

ただ、これは誰でも適当に行かせるというわけにはいかん。下手な人間に任せると、そこで切れてしまうおそれがあるからな。

必然的にベテランに任せる場合が多い。せやから、古株ほど、こういう辞めた人間の顧客を引き継ぐというのがあるわけや。

ワシは、客の指定した、夜の8時頃、その住居であるマンションに行った。

普段なら、その時間には仕事は終わって販売店で引継の監査をしとるところやが仕方ない。例え、1本のカードとは言え、疎かにすることはできんからな。

班長の山本から貰うたデータでは、現在、A紙の購読ということになっとるから、その購読期間後のY紙への契約が可能ということになる。

その客も、それがあるから来てくれということや。但し、指名はミツオということになっとる。

「ピンポーン」

「はーい!」

まだ若い女性の声や。待ちかねたという雰囲気が感じられる。勢いよく、マンションのドアが開けられた。

「あれ!どちら?」

「連絡頂いたY新聞の者です」

「あの、私、ハヤミさんをお願いしたんですけど、ハヤミミツオさん……」

「実は、ハヤミは……」

ここで、おもむろに、会社を辞めたことを伝える。そして、その本人から、後を任されたこともな。

本当は、直接、本人から頼まれたわけやないが、そう言うのが慣例になっとる。客を安心させるためにな。

「えっ!ミツオさん、辞めたの?」

その客はマリコという、まだ二十歳代の独身の女性やった。OLやという。瞳の大きい可愛らしい感じの娘さんや。

「ええ」

「どこに行ったか、分からない?」

短い会話やが、このマリコとミツオが男と女の関係やったというのが分かる。中には、希に客の女性と関係を持つ者がいとる。

それについては、当人同士のことやから、ええとも悪いとも言えんことやけどな。

モテるということを武器に営業しとる拡張員もおる。そいういう人間にとって、肉体関係にまでなるというのは、流れで仕方ないことらしい。

それを自慢げに言う人間も過去にはおったが、ミツオから、そういうのは直接、聞いたことはなかった。

ワシらはそれを「たらし」と言う。女たらしの「たらし」や。多分に侮蔑を含んどるが羨望もある。

たいていの拡張員には縁のないことやからな。特に、見かけの悪いおっさん中心のワシらの団ではな。

その侮蔑と羨望に晒されるのが嫌で黙っとるのやろと思う。

何も言わんでも、それと噂されとるわけやから、自ら口走ったらどうなるか、どんなアホでも想像がつくやろしな。ろくなことがない。

このケースは、そうと分かってもなるべく素知らぬ顔をしとく方が無難や。変に好奇心を持って接すれば、相手の客もたいていそれと気付く。

こちらに気付かれたと知って、話を続けることは少ないからな。ひいては、契約に繋がらんということを意味する。

「さあ……、調べときましょか?」

「お願いできる?えーと……」

「ゲンと言います」

「ゲン……さんは、ミツオさんとは、お友達?」

「ええ、歳は違いますが、よく話はしていましたね」

「そう……、辞めるとき何か、言ってました?」

「特には。ただ、マリコさんは大切なお客だからとは言ってましたけど」

「それだけ?」

「ええ」

「……、ゲンさんは、お幾つ?」

「50過ぎですけど」

「うちの父と同じくらいね。ゲンさんは、優しそうだから言っちゃうけど、私とミツオさん、付き合ってたのよ」

「付き合ってた?」

いかにも、びっくりしたという素振りをする。しらじらしいがしゃあない。営業員には、ある意味、役者のセンスも要求されるからな。

「ええ。それが、1週間前、喧嘩しちゃったの……」

ワシは、なぜか、うち明け話というのをされることが多い。特に女性からは安心されるようや。

人畜無害やと思われるのやろ。ワシも一応はこれでも男なんやが、どうも、そういう対象とは縁遠いようや。

それも昔からや。女性と付き合っても関係がなかなか進まん。結局、友達止まりというのが多かった。

これは、男としては辛いものがある。好きな女性にええ友達という位置付けをされると何もできんようになるからな。

こういう若い娘からは、親切なおじさん、父親像ということになるらしい。歳が近いとお友達ということや。

別にそれはそれでええ。仕事にそういう関係を持ち込むのは面倒になる場合が多いからな。

ただ、男としての魅力に欠けるというのは、多少、自尊心が傷つかんでもないがな。

訪問販売の営業員と客の女性が、そういう関係になるのは珍しいことやないが、このケースはそういうのとは少し違うてた。

「私、ミツオさんとは2年前に知り合ったの……」

2年前というたら、ミツオがまだこの団に入る前ということになる。

「最初に出会ったのは、映画館だったわ……」

その日は土曜日で休日やったという。マリコは以前から見たかった洋画を一人で観に行った。

その映画館でたまたま隣に座り会わせたのが、ミツオやったという。

「どうですか」と、ごく自然にという感じでポップコーンを差し出されたのがきっかけやった。

第一印象で惹かれたという。

長身で格好良かったということもあったが、それ以上に、明るく爽やかで、何より優しそうやったと話す。

「いえね、僕は営業マンなんですけど、お客さんの所へは、夕方近くから行くもんですから、その暇つぶしに見始めたのが病みつきになってしって。要するにさぼってるわけですよ」と、屈託なく笑った顔が印象的やったという。

その後、付き合い始めて「何の営業?」と聞くと、いつも、何となくはぐらかされてたということや。

「素敵な人だと思ったけど、どこか変わっていたわ。そうね、まるで幽霊と一緒にいるみたいな……」

「幽霊?」

ワシは、思わずそう聞いた。

こういう客の話を聞くときは、時折、相手の言葉をオウム返しに反復するのを意識的にするもんやが、このときは本当に意外なことを言うと思うた。

「そう、でも、怖いとか変な意味じゃなくね」

二人のときは確かにそこにいる。触れることもできるし、声を聞くこともできる。しかし「じゃあね」と別れたら掻き消すように存在そのものがなくなってしまうような人やったと話す。

「現実を見ず、いつも夢を見ながら精神世界で生きているような人でした。今までどこにいたんだろう、どこで生活してたんだろう……とよく感じました」と続ける。

自信に満ち話題も豊富で、古典文学、落語から政治経済、歴史、野球、サッカー、K1、ボクシング、テニス、相撲などのスポーツ、もちろん映画にも精通していた。

しかも、それらについて語るときは、ウイットに富み、笑いながら良く喋る魅力的な男やったという。

「でも家に帰ってから思い出す彼は不安そうで寂しそうに私を見上げていました。いつも離れた所に不器用そうに立ち尽くしていました。なぜ自分が彼のことをそう感じるのかとても不思議でした」

このワシが、つい、その話に引き込まれていた。客から面白い話を聞くことは多いが、こういう詩的な話し方をする人間は記憶になかった。

マリコはさらに続ける。

「そういう話題にはとても精通しているのに、世間一般の常識には妙に疎い人でした」

マリコ自身も、思い出しながら、半ば陶酔気味のようや。ワシは、その言葉を聞きながら、声に出さずに、言うことに対して返答していた。

「なぜ、キャッシュカードの使い方が分からないの?なぜ、カード一枚も持ってないの?」

拡張員は現金収入が多い。銀行振り込みでもなかったらキャッシュカードの必要性は少ない。ワシらの業界の人間で持ってない者は、それほど珍しいことやないからな。

「なぜ、そんなにお金を湯水のごとく使うの?使い方知らないの?」

これも、たいていの拡張員が、日銭で暮らす癖がついとるから、あればあるだけ使うということがある。

なくなっても、明日、稼げばええという発想になるからな。すべてやないが、そういう者も多いのは事実や。

「なぜ、そんなに携帯電話使うの?」

今や、拡張員にとっての必需品やな。持ってない者の方が少ない。団によれば、貸し与えとる所すらある。もっとも、それはプリペイド式のやつやがな。

「なぜ、そんなに道に詳しいの?」

ベテランの拡張員になればなるほど自然にそうなる。他にも道に詳しくなる職業というのは、タクシーの運転手、郵便配達員、宅配業者、ちり紙交換員といろいろある。狭い範囲なら新聞配達員もそうや。

それらと比べても拡張員は遜色ない。

記憶力のええ人間になると、良く行く住宅街の家の表札をすべて覚えとる者すらいとる。名前を聞いただけで、そこの住所を言い当てる者までおるからな。

それに加えて、どんな人間が住んどるか、帰宅時間はいつかまで知っとる者も少なくない。

「なぜ、ファミレスのドリンクバイキング知らないの?なぜ、デパ地下の食料品売り場で感動するの?なんでプリクラ知らないの?」

そういう人間もおるやろな。拡張員の中でも独身者は行く場所が限られとる。当然やけど、そういう所に行かなんだら分からんわな。

マリコの話は、もう止まらんようになっとる。完全に自分の世界に入り込んどるという感じや。希にこういうタイプがいとる。

さりげなく、腕時計を見る。午後8時30分。そろそろ、販売店に引き上げなあかんが、こういうときに、それを切り出すのは難しい。

それを知ってか知らずか、マリコはさらに続ける。

「高級な食事ばかりしてるかと思えばファーストフードやコンビニ弁当、カップヌードルも平気。この人どっかずれてる。すごく変というのじゃなくて微妙にずれてるという感じ……」

思わず「あんたもな」と言い出しそうになる。

「普通の仕事をしている気配はありませんでした。朝の6時でも昼間でも夜中の3時でも電話するとすぐ出ました。いる場所は日によって違ったりしました」

ミツオは、この彼女には拡張員の仕事について詳しくは言うてなかったのやろと思う。

それにしても、朝の6時はともかく、夜中の3時には電話するなよ、と思わず突っ込みを入れたなる。もちろん、何も言わんがな。

「彼にはサイクルがありました。携帯は3〜4ヶ月周期で変わりました。携帯が止まる少し前から挙動不審になりました」

拡張員は安定した収入というものがなく、日銭だけに頼っているようでは携帯電話の支払いに困る者も出る。支払い不能も珍しいことやないから、そいう人間もおるやろと思う。

「よく、遠くに行かなきゃとか、もう会えないと口走っていました。携帯が止まると公衆電話からかけてきました。そういう時はお金もあまり持っていませんでした。私とも会いたがりませんでした」

ミツオは、ひょっとするとこのマリコを本気で好きになっていたのかも知れんなという気がしてきた。

こういうタイプの常として、引っかけただけとしか思うてなかったら、金をせびるはずやからな。

「そんなことが何日か続き、しばらくするとまた新しい携帯で電話してきました。携帯があるときはお金も持っていました」

好きな女には何も言えんということやろと思う。拡張員であること、そして、それが、どんな仕事かというのは伝えてなかったということになる。

素朴な疑問でそれが分かる。

「会うのも、いつも外で待ち合わせをしてました。お互いの家は知らなかったのです。それが、3ヶ月前から急に私の家に来るようになりました」

入団したときからやな。

「そのとき、初めて『拡張員』という仕事があるというのを知りました。新聞の勧誘をしているということだったんですけど、何でそのことを今まで隠していたのか分かりませんでした」

それは、ワシらなら理解はできる。必要以上に、拡張員という仕事に対して引け目を感じとったからやというのがな。

マリコはそれまで、新聞を取ってなかったのやが、ミツオが勧めるのを断る理由がないからすぐ契約したという。契約期間は3ヶ月。

しかし、なぜか、ミツオが営業しとるY新聞以外のA新聞も3ヶ月後からの契約をしてくれと言い、友達とかいうA新聞の人間を連れてきたことがあった。もちろん、言う通りにした。

「それからは、しばらくここに寄るようになったわ。でも、来るのは決まって遅い時間。早くて夜の11時頃かしら。12時過ぎ、1時というのも珍しくはなかったわね。大変な仕事だと思ったわ」

拡張員は、朝遅く、夜遅い。したがって、夜型人間というのが圧倒的に多い。気心の知れた人間やとそのくらいの時間の訪問は、遅いとか迷惑やという感覚すら薄いやろと思う。

「ミツオは、いつも黒革の分厚いシステム手帳を持ってたわ。『これ、何?』と聞くと『これが俺の財産だ』と得意げに言っていたの。なぜ“財産”なんだろう?と思ったわ」

できる拡張員は、たいてい専用の手帳を持っとる。中には自分の記憶だけに頼る者もおるが、データは残しておいた方がええ。

どんなものでも、メモに残しておけば、後で役立つことも多いからな。もちろん、ワシも常に持ち歩いとる。

「一週間ほど前、どんな大切なことが書いてあるのかと思って、ミツオがお風呂に入ってるとき、何気なくそれを開いて見たの」

それまで、自己陶酔で淡々と喋っていたマリコの表情が、その瞬間だけ強ばった。

「その手帳には女のフルネーム、住所、家電、携帯がぎっしり書き込まれていたわ……」

ワシには、それは理解できる。顧客名簿みたいなもんやからな。女性ばかりというのも、たまたまやと思えんでもない。

しかし、マリコの続けた話は、ワシにも意外なものやった。

「なぜか全てが女の直筆だった。印鑑が押されていたの。どうして女たちがそんなことをするんだろうと思った。不思議だったわ」

カード(契約書)になら、そうするのは当たり前やが、手帳にそれかがあるというのは、ワシも聞いたことはない。

ただ、ワシも過去にいろんな手口を見て来とるから、想像はつく。おそらく、それは、てんぷら(架空契約)に利用するためやなかったのかと思う。

てんぷらに必要なのは、名前と住所、ハンコと電話番号や。名前と住所を書かせとるというのは、その筆跡を真似るためやないか思う。

てんぷらを作る人間が一番、気を遣うのがそれや。すべてが同じ筆跡というのは、まずバレる。

もっとも、客に頼まれ代筆しというケースもないこともないが、これを認める販売店は少ない。名前と住所は本人にして貰えというのが普通や。トラブルになった場合に不利やからな。

その販売店をごまかすためにも、契約者と拡張員とは筆跡の違う契約書の方が望ましいとなる。

その筆跡も、その本人が適当に変えていただけでは、いつかはバレる可能性がある。

たいてい似たようなものになるからな。そのための見本として、女たちに書か
せたのやないかと思う。

特に女性名のてんぷらを上げる場合、その筆跡は参考になるはずや。女性の筆跡というのは、たいていすぐそれと分かるからな。

加えて、電話番号が重要な要素になる。ここでの、てんぷらの手口は、その手帳にあるバンク(拡張エリア)内の女性客に協力させるというもののはずや。

てんぷらを上げたカードに、その協力をさせる女性客の電話番号を記載する。家の電話なら尚のことええ。

もちろん、今は、携帯でもOKやけどな。4,5年前までは携帯電話はあかんという所もあったがな。

そして、事前に、販売店から監査の電話があるからと言うて、口裏を合わせるように頼むわけや。

これが、可能なのは、たいていの販売店はパソコンへの情報入力は、顧客名ですることが多いからや。

顧客名で電話の検索はできるが、電話番号の入力で顧客名の分かる所は少ない。それが、できる所は、この方法は無理や。

もっとも、ここまで、ややこしいことをするまでもなく、普通、てんぷらをする人間というのは、何人かのグルでする。せやから、たいていその電話番号は仲間同士の携帯番号というのが多い。

電話入力の検索システムやったら、結構、そういうてんぷらが発覚するのと違うかなと思う。

もっとも、ミツオが、女性に名前と住所を書かせとるというのは、他にも理由があるのかも知れんがな。

単に、自分がモテるというのを客の女性に名前を書かせることで誇示しとるだけなのかも知れん。

売れっ子のホストにそうする者がいとると聞いたことはある。それ以外の理由なら、ワシにも想像つかん。

「そして、もっと不思議だったのは、女達が自分の家に彼を入れてるということだったわ」

そうとしか思えないことが書かれてあったという。つまり、男と女の関係を暗示するものということになる。

「よっぽどの相手じゃなければ普通は入れない。上げない。私だったらそう簡単に住所や家の電話だって教えないわ。そのことを、ミツオに問い詰めたの」

真の理由は、単なる嫉妬やと思うが、人にこういう話をする場合は、多少はその理由付けをするもんや。

「そうさ。その手帳にあるのは、皆、寝た女さ」

ミツオはマリコの詰問に、開き直ったようにそう言うた。

さらに「一段高いところに立って見下ろせば何人とでも同時につきあえる。好きになった方の負けだ」と続けた。

マリコは「どうしてそんなにたくさんの女の人と知り合ってエッチできるの?普通の男の人は無理だよ。おかしいよ」と聞いた。

ミツオは「簡単だ。モノ欲しそうな女はすぐわかる。入れ喰いだ。マニュアルみたいなもんがあってな、俺がこう言えば女は必ずこう言って来る。どの女も一緒だ」とうそぶく。

「別に、お前にとやかく言われることじゃねえよ」

そう言うて、その日は、そのまま帰ったという。それが、一週間前の話やった。

「何て嫌なヤツかと思ったわ。汚らわしいとも。そして、もう別れようと決めたの。でも……」

まだ、未練があるということか。まあ、ミツオを指名してきたからにはそういうことやろと思う。

「分かりました。ミツオの居所が分かり次第、お知らせしますので……」

実際の所、辞めた拡張員の行き先を探し当てるのは、団の誰かに洩らしてない限り難しいやろけどな。せやけど、この場は、気休めにでもそう言うとかなしゃあない。

これが、金でも持ち逃げしたとかの悪さでもしとるというのなら、業界情報で手配ということもあるやろけど、ミツルには、そういう話はないしな。

それに、マリコの話を聞く限りでは、道徳的にどうかというのはあるかも知れんが、不法行為というほどのことでもない。

誰もその行方に興味も持たんやろと思う。言えば、女たらしの拡張員が一人、消えただけの話や。

ただ、マリコは言うだけ言うと、すっきりしたのか、カードにはすんなりサインした。

8時50分。ワシは急いで販売店に向かった。

それにしても、と思うた。人は見かけによらんとは良う言うが、あのミツオにそういう二面性があったとはな。

もっとも、自分を殺して、良く見せるというのは営業員としては必要なことやから、その意味で言えば、立派やと言えんでもない。

しかし、憶測でしか言えんが、ミツオはマリコを好きやったというのは分かる。悪ぶった態度も、その裏返しとも受け取れる。

いつでも、どこでも女はできると豪語する人間が、2年もその正体を隠してたというのは、遊びの気持ちやないという証しやろと思うからな。

ひょっとしたら、ミツオはこのマリコと一緒になるために、その正体を晒したのやないやろか。マリコがすべてを受け入れるかどうか試したという気がせんでもない。

あるいは、これが「女たらし」のミツオの手口なのかも知れんがな。まあ、本当のところは、本人にしか分からんことやろけどな。

いつもながら感じることやが、この仕事は、いろんな人間を知り、出会うもんやと、つくづくそう思う。


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