メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第86回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日  2006.3.31


■拡張こそ我が人生?


メールで「ゲンさんにとって拡張は生き甲斐ですか」という類の質問をして来られる人が何人かおられる。

厳密に言うと、拡張が特に生き甲斐のある仕事というのとは、少し違うような気がするのやが、メルマガの読者やサイトを訪れる人から見れば、そう映るのかなと思う。

それについて、敢えて否定しようとも思わんがな。そうやないとも言えん部分も確かにあるからな。

拡張は訪問販売になり対面営業と呼ばれ、客と話すことで成立する営業ということになる。

そういう営業の好きな人間というのは、ワシに限らず世の中には多い。

営業に関しての指南書は書店に氾濫しとるし、それらが飛ぶように売れとることでも分かると思う。

その好きな理由は、人それぞれや。

金を稼げるからということもあるやろし、人より成績が良うてプライドを刺激
されるというものあるやろ。

あるいは、成約時の達成感が病みつきになるという者もおれば、ある程度、仕事時間が自由になり縛られることが少ないからという人間もおる。

ワシのように、客との対話を楽しむという者も中にはおるやろ。対面営業以外でそれが仕事としてできるというのは、他には考えにくいからな。

それを続けとる人間となると、さらにその理由が拡がる。

単に選んだ仕事がそうやから続けとるだけやというのもあるやろ。特に辞める理由がないということでな。

そして、何より折からの就職難で他に仕事がないという理由も大きいやろと思う。

営業の仕事は職種や会社にもよるが、他の業種と比べれば門戸が広いということがある。募集が多いわけや。

拡張員に至っては、他では雇って貰えない、金がなく行く所もなかった、あるいは、取り敢えずメシが食えればええということも理由として考えられる。

ワシがそうやったからな。

ワシは、拡張の仕事を夢や希望を持ってやろうと思うたわけやない。ましてや、これで身を立てたろというような大それた野心があったわけでもない。

やってた会社が倒産して、無一文になったから、取り敢えず何かやって食いつながなあかんと思うたまでのことや。

できることを考えたら、長年してきた営業の仕事しかなく、たまたま、そのときに見た、スポーツ紙の求人広告に目が止まっただけのことやった。

決断に要した時間は、1分もなかったのやないかな。

拡張員の何たるかも、まったく知らなんだ。新聞を売り込む営業ということは分かってたが、そんなものどうということはないやろと考えてたしな。

その頃のワシの頭には、数千万円の家やマンションを売り込んだ実績も多いし、数十万円〜数百万円の住宅リフォームの契約なら、数知れず成約してきたという実績から、たかだか、月々4000円足らずの新聞の契約なんかどうということはないやろという思いしかなかった。

それが、とんでもない見当はずれやったというのはすぐ思い知らされたがな。

ワシは、営業には絶対的な自信があった。もっとも、その自信は建築屋でのものやがな。

客と会って話さえすれば、ほぼ確実に説得できて成約できる。本当は、これはという客に当たって、ええとこ成約率は4,50%くらいなんやが、本人には、そのくらいの自信があったわけや。

拡張を始めて、その自信が見事に打ち砕かれた。最初の3日間は坊主(契約ゼロ)やった。

他の人間は、日に4,5本は普通に契約を上げとったから、よけいその自信の喪失感は大きかった。

このままではやっていけんと思い、恥も外聞もなく、そこの団の営業トップという人間に教えを乞うたが、これがとんでもない奴やった。

目の前で見せられたそれは、営業とは名ばかりで、ただ難癖つけるだけのヤクザのたかり、強請のような勧誘やったからや。

ワシはヤクザが大嫌いや。その嫌いなヤクザの真似をせんと仕事にならんのやったら、やってられんと正直、思うた。

そのときは、こんな仕事はすぐ辞めようと考えたが、いかんせん金もなければ、どこかへ行くあてもない。

せやからと言うて、ワシの性格からこんな連中の真似もできん。

「くよくよ考えてもしゃあない。世の中、なるようにしかならんわい。ここで、仕事が出来ずにめしが食えんと野垂れ死にしたとしても、それが、ワシの運命ならそれでしゃあないやんけ」

ワシの得意な開き直りの考え方や。取り敢えず、自分のスタイルでするしかないと奮い立った。

しかし、開き直ってみてもそう簡単に好転するほど世の中、甘うはない。一時は本当に野垂れ死にを覚悟した。

ただ「捨てる神あれば拾う神あり」とは良う言うたもんで、そのときに、善さんという人が現れ救われたんや。

善さんというのは、その同じ団の人間やったが、他の者とはどこか違うてた。一言で言えば、営業の求道者のような人やった。

後に分かったことやが、その善さんは、昔、豊田商事事という被害者3万人を出したと言われる戦後最大の詐欺事件を起こした会社で、その営業のマニュアルを作成していた一人やったということやった。

善さん曰く。


私たちはあの事件後、マスコミ各社に実名報道され散々叩かれました。悪魔の営業マニュアル。究極の詐欺マニュアルなどと酷評されたものです。

確かに多くの被害者を生み、その中には老人を騙す輩も多くいたため仕方のない報道だったのだろうと思います。

しかし、そのマニュアル本には詐欺を働けとは一切、書いてありません。正当な営業本だと今でも確信しています。

ただ、普通にない突っ込んだ切り口のため、取り方によっては誤解を招くのだと思います。

ゲンさんだけには分かって欲しいのですが、このマニュアル本は、私たちが悪意を込めて作成したものではありません。

それを悪用されたのは事実です。

そして、あの豊田商事で働いていた営業マンすべてが詐欺と知って営業していたわけではありません。ある意味、私たちや多くの営業員も一部の人間に騙され利用されていたのです。

私はそれが口惜しく、いつか、この営業マニュアルを正しく役立てようと考え、その後も一人で改良しました

新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第3話 命の笑い)より引用。


ということやった。

ワシは、その善さんから、多くのことを教わり学んだ。この道の唯一の師匠やった。

その善さんに、最初に言われたことが「笑え」やった。

笑顔で営業というのは、どの業界の営業でも基本中の基本や。そんなことは百も承知しとることやった。

しかし、会社を潰し、家族とも離ればなれになり、金もなければ、行くあてもない、さらに得意なはずの営業がさっぱりやという状況で、笑うことも笑顔を作るということも、ワシにとっては至難の業やった。

理屈では、そうするのがええ、そうするしかないと分かっていてもな。

善さんという人は、それを承知で、それでも「笑え」と言う。すべてを捨てて、ただひたすら笑えと……。

身を捨てる覚悟。極端なことを言えば、そのくらいの覚悟がなかったら、とてもやないが、この道でやっていくのは無理やとも教えられた。

その当時、ワシは京都におったんやが、そこでの拡張員の評判は最悪やった。はっきり言えば嫌われ者や。客からの侮蔑を含んだ冷たい視線に幾度となく晒された。

営業の仕事に携わって、ワシが初めて味会うた経験やった。プライドなんかは根こそぎ吹っ飛んだ。

しかし、例えどんな事情からにせよ、この道を選んだ限りは、そのすべてを受け入れなあかん。嫌われるのは当たり前やと思えるくらいにな。そう諭された。

おかげで、ワシは救われた。

そして、それだけやなく、善さんと営業のテクニックを磨くうちに、本当にこの仕事が面白くなって行った。

ワシが、この道にどっぷりと浸かることになった理由でもある。

善さんと出会えんかったら、今のワシはなかったはずや。その意味で言えば、人生は運の要素が強いとつくづく思う。

人と人との出会いは、ほとんど、たまたまの偶然に起きることやからな。

善さんが、この道の師匠で拡張の営業の何たるかを教えてくれた恩人なら、ハカセは、ワシにそれを続けてたことを有意義なものにしてくれた、かけがえのないパートナーや。

拡張の仕事で、例え、その道を極め、他より秀でとったとしても、それは単に他人より稼げるか成績がええというだけのことにすぎん。

あるのは、せいぜい、その団や地域の販売店という狭い範囲での評価がええことか自己満足くらいなもんやと思う。

それが、ハカセと知り会ったおかげで、心底、この仕事を続けてて良かったと思えたからな。

そして、そのハカセと知り合ったのも、また偶然の出来事やった。

あれは、確かもう3年近く前になる。

たまたま拡張で、ハカセの家の近くを通りかかったら、かなり大きな怒声が聞こえた。そこに向かうたら、男二人が、正に大喧嘩寸前のところやった。

相手は、その当時、同じ団におった男で、元ヤクザの組員やった奴や。どこからどう見てもそれと分かる男で、入れ墨をちらつかせながら、その所属してた組の名前まで言うとった。

ハカセはいうと、それに対して一歩も退く素振りもなく、むしろ、その相手以上に大声で喚いとった。ワシもその声で、その現場に行ったようなもんやからな。

その声の大きさは剣道で培ったものやと言う。剣道二段で学生時代はそこそこの大会で活躍してたらしいが、その程度の自信で、そういう人間とやり合おうというのは、無謀としか言えん行為や。

ワシがまだ子供の頃、国民的大ヒーローやったプロレスラーがおった。ワシも大好きやった。子供のワシらには、スーパーマンのような存在や。

しかし、ある日、そのプロレスラーがチンピラと呼ばれる暴漢に喧嘩であっけなく刺し殺された。有名な事件やったから、ワシくらいの年代から上の人間は、ほとんど知っとるはずや。

つまり、ワシの言いたいのは、どれだけ、自信があろうとそんな輩を相手にするような無謀なことをするもんやないということや。

ワシなら、相手にせんし、逃げられる状態なら逃げる。

もっとも、男なら、誰かを守もらなあかんという場合には、相手が誰であれ逃げたらあかんのも確かやけどな。

相手の男がワシの所属しとる団の人間ということもあり、その場を放っとくわけにもいかんかった。

ここで、喧嘩になれば、悪いのは拡張員の方となるのが、世間の相場や。それに、入れ墨をちらつかせてヤクザの組の名前を言うとるようでは救いもない。

大人の喧嘩は、相手を殴り倒したら勝ちという単純なもんやない。その後は、警察が介入して、法律で裁かれる。その結果も見えとる。

ワシが、その喧嘩相手の団の人間を連れ帰ったことで、その場は収まった。

それから、数ヶ月後、そのハカセと、ある図書館で偶然にまた出会った。そこで、ちょっとした議論をしとる最中にハカセが発作を起こした。

救急車を呼んで事なきを得たが、そのときにハカセに心臓の持病があることを知った。

その辺りの詳しいことは『新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第2話 男の出会い』での話を見て貰うたら分かる。

物語風に面白く脚色はしてあるが、概ね真実や。

それから、ハカセとの付き合いが始まった。

その後、ハカセに、あのとき何であんな無茶な喧嘩をしようと思うたのかと聞いたことがある。

「半分、自棄にもなってたんですよ」

その頃は、今と違って、発作も頻繁にあり、ハカセもそれほど寿命が長くはないと思うてたらしい。いつ死ぬか分からんとな。

ハカセは心臓病で病名は心内膜下梗塞。心筋梗塞の一種や。それを引き起こして2年くらいは、入退院を繰り返していたということもあり、死の恐怖に苛まされた時期があったという。

しかし、その後、同じ死ぬのなら、生きてきた証を何か残したいという思いが強くなった。

人のために何かしたいという気持ちだけはあったが、具体的に何をとは決められんかった。

そんなとき、インターネット上で、拡張員の非道を目にすることが多くなった。

「そう言えば、家に勧誘に来る拡張員にろくな奴はおらんな」と思い当たったという。

それを見るにつれ、そのインターネット上で書かれている非道な拡張員に対する憎しみのようなものまで湧いてきた。

「そんな奴は許せん」

もし、そんな輩が来たら喧嘩してでも追い返してやろう。追い返すだけやなく、今後、この近辺には立ち寄れんくらいの打撃を与えよう。

そう思うたと言う。

例え、ヤクザのような人間が来ても、昔ならいざ知らず、一度、死にかかった人間やから、今さら惜しむほどの命でもない。それに、放っといても、近い将来死ぬかも知れんのやからな。

それなら、悪辣な人間と刺し違えて、少しでも他の人間の役に立つのならと考えた。

「一般市民、無法な拡張員に刺し殺される」

そんな新聞の見出しも頭をよぎったという。

例え、そうなったとしても、それで、そういう無法な拡張員の動きを抑制できる。そのときは真剣にそう考えたらしい。

あの喧嘩騒ぎはそういうときに起こったことやと言う。

「しかし、今考えたら、馬鹿なことをしたと思いますよ」

その通りで、おそらく、そんな新聞の見出しはどこにも載ることはなかったやろとワシも思う。

事件そのものは載ったとしても「拡張員」というのは新聞社の禁止用語やからまず使わん。新聞社の名前も出るかどうかも怪しい。

これが、販売店の従業員やったら載ることもあるが、拡張員は営業員とすることができる。

「市民、喧嘩で刺殺される。○○会社の営業員と契約のもつれにより……」という短い記事で終わりや。

テレビのニュースに出たとしても1,2分。ほとんど、人の記憶にも残らんのと違うかな。

その当事者である本人は、それなりの刑事罰をくらい、拡張団のトップも何らかのお咎めが新聞社からあるかも知れんが、言えばそれだけのことや。

世間に対してもなんの警鐘も与えることはできん。こういうのを、人は「犬死」と呼ぶ。

「それに、ゲンさんと付き合うようになって、拡張員さんのイメージもかなり違ってきましたしね」

必要以上に、インターネット上の情報に毒されとったことになる。

確かに拡張員に迷惑を受け、被害を被った人間がいとるのは事実やと思う。

それが黙っておられん、あるいは摘発しようとする発信者にとってみれば、やはり、拡張員憎しの論調になるのは当然のことやからな。せやから、それが間違いとは言えんわけや。

しかし、見る方は、それが、すべてと思い込む。事実、ハカセもそう思い込んでしもうてたからな。

そんなある日。

「ゲンさんの話は面白いからインターネットで公開しようと思うんだけどかまわないかな」とハカセが言うた。

どうやら、ハカセは、単にワシの話が面白いからというだけやなく、一方的な偏った情報だけがインターネットに溢れとることに疑問を持ったようや。

そうしようと考えた大きな理由やったという。

HPの冒頭文にある『何事も一方からの見方だけでは真実は分かりません』という文言に、その思いが集約されとる。

ハカセ自身がそうであったように、少なからず、そういう情報で、実際に被害に遭ってない人まで、偏った見方、要するに偏見が生まれるのやないかということを考えたということや。

その当時、インターネット上のどこを見渡しても、拡張員を擁護しとるという論調はなかった。立場に立った見方というのも少ない。それは、今もそれほど変わりはないがな。

「ゲンさん、拡張員の良いところも悪いところもすべて正直に伝えましょう。その上で、ゲンさんのような拡張員がいてるということを知って貰うのです。必ず、受けますよ」

もちろん、ワシにそれに否応はなかったし、断る理由もなかった。ハカセが望むというのなら、喜んで協力すると答えた。

それに、正直に言うとワシは、この話をハカセから聞いても、そんなもんは誰も見んやろと思うてた。

「世の中には、こんなええ拡張員もいてまっせ」てなことを言うてるもんを誰が見たがるのかとな。

第一、拡張員のことを知りたいという人間は、その悪辣さを調べにくるのやないかと、ハカセにも言うたことがある。

サイトに飛び込む人間の大半が、そのはずやとな。そんな人間が来て、実は、拡張員の中にも真面目な者もいとると説明されて、どれだけの人間が納得するのやろと思うたからな。

ある意味、ワシの指摘は当たってた。

実際にサイトに来る人は、拡張員や販売関係者を除けば、契約のトラブルに巻き込まれたとか、勧誘員とトラブった、あるいは迷惑を被ったというのが多いからな。

しかし、ワシはハカセという男を見くびっていた。

ハカセは、それを単なる思いつきでそうしようとしたのやなかった。実際に現場に出て、ワシの仕事に張り付くようなことまでしたからな。

ワシにしても他の目があるから、ほぼ単独行動ができる日を選んでハカセを現場に幾度か連れていった。

そして、ハカセは何を思うたか、拡張の仕事を教えてくれと言うて、勧誘も始めた。

ワシは、今まで、こんなタイプの人間は見たことがなかった。単に、ワシの話だけを聞いてそれを書くだけのことやとばかり思うてたからな。

「ゲンさん、読者を馬鹿にしてはいけませんよ。文章というのは、どうしてもいろいろなものが現れるもんなんです。ただの聞きかじりで書いたものなんかすぐにボロが出ます。真実を伝えるには、そこに身を置いて体験するしかありませんからね」

ワシの話を理解するためには、実際にそうするというのが、ハカセのスタイルらしい。

結局、その構想を聞かされて実際にHPを開設するまで半年以上も要したことでもその真剣さがうがかわれる。

その間、できうる限り行動を共にしてた。ワシにへばりついてたわけや。

そうして、でき上がったものを読んで驚いた。文句なく面白い。それを話したはずのこのワシが読んでいて夢中になるくらいやったからな。

若い頃、小説家を目指してたというのは知ってた。文章を書くのが好きなのも聞いてた。

ワシも本は良く読む。小説も好きや。しかし、ワシが過去に読んだそれらと比べても何ら遜色はない。

まあ、身内で褒め合うててもしゃあないが、実際に読者の多くからそういうメールも良う届いとるから、ワシだけの感想やないはずや。

開設して間もなく、すぐに人気が出た。やはり、面白いものは誰が見ても面白いと言うことやろと思う。

そして、ここで、ワシの予期せんかったことが起きたわけや。

ワシがハカセに、建築屋におった頃、トラブルの処理を良うしてたという話をすると「それでしたら、Q&Aをやってみましょうか」ということになった。

「良く、泥棒に入られたくなかったら、泥棒に聞けということがあるじゃないですか。それと同じで、他のサイトにない切り口で、本当の意味でのQ&Aになると思いますよ」

断っておくが、ハカセの言うてるのは、泥棒イコール拡張員と同列という見方とは違うからな。

あくまでも、言葉のアヤや。実際、そのことを知りたかったら、その専門家に聞くのが一番やさかいな。

これが、当初考えてた以上に反響があり、今までにサイトに多くの相談が寄せられた。そして、多くの方々からその返礼メールを頂いた。

また、このメルマガを読んで感動したと言って頂いたことも勇気付けられた。

ワシは、今まで生きてきた人生で、これほど感激したことはなかった。

それも、特別なことをするわけでもない。ただ、拡張の仕事をして得た知識、経験をそのまま話すだけのことなんやからな。

拡張の仕事が、人の役に立ったと感じられた初めての瞬間やった。

この人の役に立つということが、どれだけ勇気と力を与えられるか、今まで、想像したこともなかった。

正直、ハカセと知り合った頃は、拡張の仕事は半分、惰性で続けとるようなもんやった。

慣れた仕事が楽やというのと、営業が性分に合うとるというだけやった。善さんと出会った頃の感動すら忘れとった。他にも忘れとることは多かった。

それを、ハカセはことごとく思い出させてくれ、そして、拡張を続けとることの意義と値打ちを高めてくれた。

つくづく拡張を続けとって良かったと思うた。

冒頭の「ゲンさんにとって拡張は生き甲斐ですか」という質問の答えなら、正しくそうやと言える。

『厳密に言うと、生き甲斐のある仕事というのとは、少し違うような気がするのやが』と言うたのも、こういうことがあったからや。

ワシは、卑屈になったり恥ずかしく感じる仕事は世の中にはないと改めて知らされたような気がしたもんや。

もっとも、せやからと言うて拡張の仕事が人に自慢できるとは思うてないがな。


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