メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第89回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2006.4.21
■ライバルは金融屋?前編
まだ、寒さの残る3月上旬のことやった。
ワシは、独身者の多いワンルームマンションを通り叩い(営業)てた。
毎年のことやが、この春先にはそうすることが多い。
理由は、学生狙いということになる。入学季節になると、大学の新入生が大挙して入居する。
そういう学生は、アパートかワンルームマンションを借りるのが一般的になっとる。
中には、一軒家を学生専用に貸しとる家主もおる。それが、賄い付きなら下宿となり、各自の自炊なら共同生活となる。
たいていは、その家の部屋数くらいの学生が入居しとる。
せやけど、それは、その地域により、どの程度あるのか分からんから、どうしても、アパート、ワンルームマンション中心になるわけや。
それに、これは意外に地元販売店の人間ですら知らん場合が多いと聞く。
その家の表札は、その家主の名前というのが多く、外見からは普通の一軒屋にしか思えんからな。
普通、アパートてもマンションでも表札を張りだすスペースはつきもんやが、ここではそれはない。
郵便物は、その家主名方○○で着くから、その学生さんたちの名前が表札になくても、それで問題はないわけや。
普段、ワシはどちらかというと、一戸建ての住宅街で拡張することが多い。これは、ただの好みの問題やがな。
たいてい、インターフォンに応えて頂いたら「○○さん、○○新聞の者ですが」と言うようにしとる。
そのとき、そういう学生さんが応対に出たら「うちには、そんな名前の人はいませんよ」と言うことが多い。
ワシも初めてのときは、妙なことを言うなと思うた。こっちは、その家の表札名で呼びかけとるんやからな。
「えっ、そうですか?でも、ここは、表札には○○さんとありますが」
「ああ、それは、大家さんですよ」
それで、初めて、その家は学生さんたちの共同生活の家やと分かることがあるということや。
バンク内にマンモス大学を抱えとる販売店は、この時期は大変や。
その地域の販売店にとっては、その客の取り合いで戦争状態になる。目の色が変わり血走っとる者が多い。
通常の引っ越しというのもこの時期には多いのやが、学生や単身者は荷物が少ない分、早く終わる。早い所やと30分で荷下ろし終了というのもあるからな。
販売店やワシら拡張員は引っ越し屋のトラックがそこに止まっとるかどうかで判断する。
その肝心のトラックが短時間でおらんようになったら、後は自分の足で探すしかない。
この時期の販売店の意向は、どうしても、学生さんたちの入居狙いになることが多い。
ワシらは、その販売店の指示や意向を無視して拡張はできんから、ある意味、仕方ないことやけどな。
まあ、確かに、この時期は、カード(契約)は上げやすく、成績が落ちるということは少ないから、その意味で言えば、喜ぶ者は多い。
ワシは、そのマンションの一室のインターフォンを押した。
「はい……」
いかにも、元気のなさそうというか覇気のない声が返ってきた。
「内山(仮名)さん……」
いつものように表札の名前で声をかけ、その後に「○○新聞です」と続けるつもりやったのが、それを制するようにドアが勢いよく開けられた。
「すみません、今日はこれしかないので……」
と言いながら、まるで精も魂も尽き果てたかのようなやつれた感じの若い男が出てきて、千円札3枚を握りしめとった。
「内山さん、誰かと勘違いされてませんか」
「あの、ア○フルの方では?」
どうやら、誰でも知っとる大手の消費者金融会社の人間と勘違いしたようや。
この内山という男は、そこで借金して、追い込みをかけられとるということになる。
せやけど、この男の様子やと、その辺の街金に滞納してて、追い込まれとるように映る。
大手が、そこまでするかなと思う。もっとも、ワシは、12年前から一切の金融屋とは縁を切っとるから、その間の金融屋の動きは良う知らんけどな。
「違いますよ」
「どちらの……」
「新聞屋です」
「新聞屋さん……」
内山の表情に安堵した様子が伺われる。
「でも、今はお金がなくて、新聞どころでは……」
と内山が言ってるときに、廊下を小走りに近づきながら、ワシらの会話に割って入る男がおった。
「ああ、内山さん!今日こそ、残金、お支払いして頂けるのでしょうね」
その男は、ワシの存在を知りながら、何の言葉もかけず、割り込んで来た。
内山が、先ほど、握りしめてた3000円を、黙ってその男に差し出した。
「内山さん、冗談はやめてくださいよ。こんなんじゃ、私は帰れないんですよ」
「ですから、今はそれしかなくて……」
「あんたねえ、私らは、慈善事業しているじゃないんですよ。ないから払えませんで通用すると思うとるんですか」
これが、あの有名な大手金融屋の取り立てか。これなら、その辺のヤクザな街金とほとんど変わらん。
ヤクザな街金の方が、ワシらにも仁義を見せるから、まだましや。
「こら、ええ加減にしとけよ。人の仕事のじゃまをしとって、何を勝手なことをほざいとんねん」
「おたくは?」
「新聞屋の者や」
「勧誘員さん……ですか。この内山さんには、新聞の契約を貰っても支払えないと思いますから、あきらめて帰えられた方が、よろしいですよ」
「出直すのは、お前の方や。人の営業を妨害しとるということがまだ分からんのか。これは、立派な営業妨害やで」
「そんな、営業妨害やなんて」
「ワシが、勧誘しとるときに横から入って、その邪魔をするのが、営業妨害やないちゅうのか。普通の神経の通うとる者なら、終わるまで待つで」
ワシは、ヤクザの次に嫌いなのが、この金融屋や。この二つには死んでもなりとうはない。
これは、理屈というより生理的なものや。この金融屋というのは、銀行も含んどる。
「分からん、人やな。契約しても、金払うて貰えんかも知れんから、やめときなはれと言うてんのや」
「分かっとらんのは、そっちや。ワシらの契約には、いろいろあるんや。お客さんに、その意志さえあれば、それでええ。契約するかせんかは、客次第で、部外者の人間がとやかく言うことやない」
「それじゃ、どうしてもうちのア○フルと争うと言われるんですか」
「どういう意味やそれは。天下のア○フルとでも言うつもりか。それなら、こっちは天下の○○新聞や。引けを取るとは思えんがな」
「……」
「分かったら、その金を受けとるのなら、領収書を書いて今月は、終わりにしとくか、それが、嫌なら、その金を返して、後で出直して来るかや」
「分かりました。仕方ありません。この場は出直すことにします」
そう言うと、内山から受け取った3000円を返した。
もうちょっと、粘るかと思うとったんやが、意外にもすんなりと引き下がりおった。
もっとも、これ以上、ここで話し合うても、堂々巡りするだけやと気が付いたのかも知れんがな。
この場合、引くのは、後から来た人間やというのが常識やさかいにな。
後編へ続く