メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第95回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2006.6 . 2


■悩める人々 Part 1 ある新聞配達員の孤独


人間、誰でも多かれ少なかれ悩みを持っとるもんや。悩みのない人間なんか世の中にはおらんやろと思う。

もちろん、ワシにも悩みはある。

「分かる、分かる。ゲンさんの悩み」

「こらっ!どこ見て言うとんねん」

ハカセの視線はあきらかにワシの頭部に向いとる。

ほんまに……。ちょっと、調子が良うなったらこれや。

つい、この前までは、死にそうやったくせにな。「喉元すぎれば熱さを忘れ」と言うけど、ほんまに現金なやっちゃで。

「いやぁ、今だから言いますけど、肺炎に罹ったときは本当に死ぬかと思いましたよ」

言うてる言葉ほどに、その切迫感は感じられん。笑いながらやからな。

「でも、つくづく、私は幸せ者だと思いましたね。多くの方々に激励のメールを頂きましたから。本当にありがたいことです」

メルマガやサイトを続けていて、本当に良かったと心底そう思えるとハカセは何度も繰り返し言うとった。

読者の方々の温かみ、ありがたさはワシも同じように感じた。因みに、ワシが以前、インフルエンザに罹ったときでさえ、心配してくれる人がおったさかいな。

普通やったら、ワシらみたいな、おっさんがそんなもので寝込んだとしても、誰も気の毒にとか可愛そうやとは考えんもんや。

ただのおっさんが七転八倒しとる姿というのは哀れを誘う要素が何もないからな。

それでも心配して激励してもらえる。それというのも、このメルマガやサイトを続けとればこそやと思う。

また、それを続けることができたのも、応援をしてくださる方々がいて支えてくれるとるからや。何ぼ、ワシらにその気持ちがあっても、誰も見て貰えんかったら、メルマガにしろ、サイトにしろ続けられるもんやないからな。

ハカセ、共々、この場を借りて、礼を言わせて貰いたい。本当にありがとう。これからも、頑張るので、よろしくお願いしたいと思う。

メルマガやサイトに寄せられるメールにはいろんなものがある。単に新聞関係のことだけとは限ってない。実に雑多や。

その中に、悩みの相談というのもある。冒頭で、悩みについて、ちょっと言うたのは、今回はその話をするつもりやったからや。

ただ、それらを送ってくる読者の方々は、多分にワシという男を買いかぶりすぎとるというのが、少し気にかかるがな。

ある人は、父親のようやと言い、別の人は頼りがいのある人生の先輩やと持ち上げてくれる。

メルマガやサイトのワシは、ハカセの書く文章の上だけの存在や。もちろん、ワシという実体はあるんやが、視覚的にそれが読者に伝わることはない。

このメルマガで散々、頭が薄いと言うてるから、禿げた頭のおっさんを想像できるくらいやろと思う。

本人は、ブルース・ウィルス似やと言うてるけど、誰もそんなもの信用しとらんやろから、イメージはそれぞれや。

ある意味、ワシは、想像の中の人物ということになる。メルマガやサイトを見とるすべての人の中にそれぞれの「ゲン」がおるわけや。

寄せられるメールを見る限り、たいていは性格のええおっさんというイメージになっとるようや。確かに、自分でも極悪人やとは思わんけど、それほど性格のええ男とも考えてないんやけどな。

また、元来、ワシは人の悩みに対して懇切丁寧にカウンセリングできるような男やないのも確かや。

普段のワシは、例え仲間が何かの悩みをうち明けてきても、たいていは「世の中には、そんなこともあるわな」で済ますさかいな。

実際、悩みの多くは、傍から見たらそんなもんや。それが、悩んどる本人にとっては、どれだけ重要なことであろうとな。

ハカセはこまめに、それらのメールに返答しとるようや。そのせいかどうか、ときどき、ワシにとんでもないことを聞いてくることがある。

「ゲンさんは、死というものについて、どう考えます?」

「はん?」
 
ハカセは、こういうことを何の前触れも脈絡もなく、いきなり聞いてくることが多い。もう、慣れたがな。

「人は死ぬときには死ぬもんや」

当たり前すぎることやが、そのときはそう答えた。

死は人を選ばん。死を選ぶ自殺者はおるがな。誰も明日、絶対に生きていられるという保証はない。未来は誰にも分からんからな。

人間に限らず、すべての生き物がそうや。生きるとるということは、いつか死ぬということを意味する。すべての人間が平等やと言えるのは生まれたことと死ぬことだけや。それ以外にはない。

せやけど、そんな真理は分かっとっても考えるだけ無駄や。

気が滅入るだけで、却って、そう考えることがストレスとなり、体に影響して寿命を縮めることにしかならんからな。

死ぬまで生きる。アホみたいな結論かも知れんが、ワシはそう考えとる。人間に限らず、すべての生き物は、ただ生きるために存在しとるとな。

そして、ワシは、どんなことがあろうと、生きとるだけでラッキーやと思うことにしとる。

そう考えれば、どんな悩みがあっても前向きになれる。見方を変えればそれを開き直りとも言うがな。

ただ、それは、ワシのような、どちらかというと楽天的な人間やから言えることで、悩みに埋没する者は、なかなかそこから抜け出せるものやないようや。

そして、相談者の多くはワシの意見、考えを知りたいということやから、時折、ハカセは、そういうとんでもないことを聞いてくるわけや。

アルバイトの新聞配達をしとるという人からの相談に、こういうのがあった。

「新聞配達は社会の中の一部なのですか?」というものや。

これだけなら、サイトのQ&Aで答えてもええようなもんやけど、相談の中には精神的な分野に踏み込んだような問いかけもあった。それはワシの専門外やから、サイトのQ&Aからは外した。

それに、サイトのQ&Aでは新聞関連のことを中心に扱うとるから、まがりなりにでも、その相談者にこうした方がええのやないかというアドバイスもできるが、精神分野の話では、それもできん。

せいぜい、できるとしても、ワシはこう思うという程度のもんや。それが、役に立つものかどうかというのは、ワシには分からん。自信もないしな。

ハカセは、それでもええと言う。相談者は、あくまでもワシの意見が聞きたいということやからと。

今回も、それで良ければということで話す。

取り敢えず、その寄せられた相談部分を抜粋する。


俺が何故新聞配達アルバイトとして一生を送ろうと考えているかという思いを文章に書きましたので、もしよろしければ、ハカセさん、ゲンさんともども感じた事を書いてもらえると幸いです。

それでは以下に書かせていただきます。

ただ一つ気になるのは歳を取るにつれ自分だけの生活をする事は、エゴ的だな思っていることです。この先、自分だけの生活で終わりたくないけど、社交的じゃないし、友達も一人もいないしと。

人に影響をほとんど与えず生きている俺だけど、 多分この地球に生まれる事を無意識的にも選んだ事だと思うので、自殺することだけはいけないと、本能的に感じます。

だけど生きないといけない、でも現実辛い。

五体不満足の人や、日中の日を浴びるだけで皮膚炎症を起こす人達は、あらゆる才能を持ちながら、生きたくても生きられない現実があります。

だから今の自分に満足しないといけないなぁ・・と思います。

もう俺も義務教育時代、高校時代で集団生活における自分の居場所、役割が段々認識してきて、孤独になるのは自分の中のなんらかの原因だとわかりました。

自分も何故こんなに孤独か、好きで孤独になってるわけじゃないけど、自分には何か人間的に欠けているものがあるのは事実です。

たぶん精神科の薬をもらっても社交的になる見込みはないです。ニートとか社会不適合者とか言われてますけど、私の場合、たまたまその定義に当てはまっただけです。
 
最近、新聞では特殊指定の見直しのことが書かれていましたが、もし本当に個別配達がなくなると、僕ら新聞配達業務がなくなると思うので、この先不安です。

せめて年金が貰えるようになる20数年後までは特殊指定の事は見直さないで欲しいです。
 
また新聞配達は社会の中の一部だと思いますか?

新聞配達で得た収入はほとんど販売所では所得から所得税を引かれていないので、自分が非国民のような気がしてならないです。


というものや。

この相談内容の中で、ちょっと問題ありやなと思えるのは『社交的になる見込みはない』というのと『ニートとか社会不適合者とか言われてます』という部分や。

特にニートというのは、それが取り沙汰されてから、結構、経っとるからその言葉も定着しつつある。

日本におけるニートの定義とは「若年無業者」であり「学校に通学せず、独身で、収入を伴う仕事をしていない15〜34歳の個人」ということになっとると、内閣府の文書にあった。

それからすると、この相談者は、ちゃんとした仕事を持っとるわけやから、それには当たらんということになる。

ただ、この人の言うのは、社会不適合者やないかと自分で考えとるから、その表現になったということやろ。あるいは、以前は、実際にそうやったのかも知れんがな。

ワシには、孤独についての悩みというのは、何となく想像はできるけど、分かりにくいというのが、正直なところや。

というのは、ワシは、長く営業の仕事に携わってきて、常に毎日、大勢の人間と接することが多いという現実がある。

さらに、仕事が終わってからも、口から先に生まれたような拡張員仲間と話をすることも多い。

せやから、孤独になれるような時間が極端に少ない。これは、これで悩みになるのかも知れんがな。

当然やが、その孤独感というのが理解できんと、それについてのコメントのしようがない。

この相談者は『自分には何か人間的に欠けているものがあるのは事実です』と言うてそのことについて自分で悩んどるようやけど、果たしてそれが悩むほどのことやろかとは思う。

聞く限り、欠けとるものは何もなさそうやがな。もっとも、本人がそう思い込んで悩んどるというのは事実やから仕方がないことやけどな。

ただ、一言、言わせて貰えれば、自分に欠けとるものがあるというのは、たいていの人間が自覚しとることやないのかなという気がする。

それが、悩みになるかならんかは別にしてな。

毎日、多くの人間と接触しとったら、世の中には本当にいろんな性質の者が存在しとるもんなんやということが良う分かる。

孤独になるタイプというのは、その性質の一つにすぎんことやと思う。この相談者が考えとるほど特別なことやない。

それは、ええか悪いかと論じられることでも、自分で決めつけることでもないはずやと思うんやがな。まして、他人から指摘されることでもない。

世の中というのは、多種多様の性質の人間がおって構成されとる。同じ性情の者ばかりが集まって、同じ考え方をするということの方が、むしろ異常やし怖いことやないやろか。

人間は、いろいろおるから面白いわけや。そう考えれば、何も悩む必要はないのやないかな。

人として、一番ええのは、自分にあった生き方を見つけることや。

この相談者が『新聞配達アルバイトとして一生を送ろうと考えている』というのなら、それも一つの生き方として尊重されるべきやと思う。

少なくとも、それに対して誰からも、とやかく言われる筋合いのことやないはずや。

人は、人として最低限度のルールさえ守っとれば、基本的には何をしても構わんとワシは思う。

それが例え『自分だけの生活をする事』『人に影響をほとんど与えず生きている』ということで、自分勝手、エゴだと思えたとしても問題はないということや。

人としての最低限度のルールとは、他人に迷惑や害を及ぼさんということや。これに尽きると思う。

己に欲せざる所、人に施すことなかれ。

論語にある有名な教えで「自分がしてほしくないことは、他人にもするべきではない」ということや。

いくら、何をしてもええと言うても、それをすることで、誰かが迷惑を被るとか、被害を受けるというのはあかん。

自分さえ良ければ、誰がどうなってもええというのはカスの考えることやからな。

また、この相談者が、社交的でない、孤独やと思うとることが、マイナス要因やと考えとるのなら、それは大きな勘違いやと思う。

ワシが常に言うてることに、マイナスが必ずしもマイナスにはならんというのがある。

一般に社交的というのは、不特定多数と人付き合いできる人間のことを言う。交際域が広ければ、ええ人間とも知り合う代わりに、ろくでもない者も寄ってくることになる。

それで、騙されたり、痛い目に遭うことは世間では、何ぼでもある。

それが、人付き合いが苦手やと、ろくでもない人間は近づきにくい。ろくでもない人間というのは、人を利用しようとするタイプや。そういうタイプからすると、人付き合いの悪い人間というのは扱いにくいと考える。

人付き合いの悪い人間は、どうしても普段から相手に対して身構え、用心するさかいな。それが、人付き合いの悪いということにつながっとるはずや。

結果、騙される要素は少なくなる。それだけでも、マスナス要素やと思うてたものがプラスやと考えられることになる。

ワシの知り合いにヤスという元詐欺師がおる。

こいつが言うには、詐欺師が騙す相手、またターゲットにするのは、ほとんどが社交的を売り物にしとるような人間やという。その上に、欲と虚栄心の強い人間が、最高の獲物になると話す。

こういう連中は、驚くほど警戒心がないということや。もっとも、警戒心がないからこそ、誰とでも付き合えるわけやけどな。

孤独というのも同じで、それが嫌というのなら、やはり問題があるかも知れんけど、それが苦にならんというのなら、別にそれはそれでええのやないのかな。

ワシも、たまに孤独に浸りたいときもある。そして、そういうときは読書をする。

誰や、漫画喫茶で漫画読んどるだけと違うんかいと言うとるのは。ま、それもあるがな。

これは、ワシの勝手な考えやが、孤独な人間というのは読書人が多いのと違うやろか。ワシのイメージには、インテリというのは、孤独な人間やというのがある。

普段、それとは対照的な人間ばかりと接しとるから、よけいにそう思う。

特にワシの団には文字だけの本は、ほとんど読まんというアホが多い。漫画なら読む。ワシもその仲間やから、あまり大きな声で偉そうには言えんがな。

さらに、孤独というイメージには、芸術家というのもある。孤高の作家という表現も良く聞く。科学者なんかもその最たるもんや。

つまり、孤独やということが、必ずしも人から悪く思われたり評価の下がることやないということや。

『友達がいない』というのも、本当の友人というのは、一生の内でそうそう巡り会えるもんやないと思う。

ワシにしても、現在、無二の親友と呼べるのは、ハカセ一人だけや。

そのハカセとの出会いも、単なる偶然からで、最初から友人になることすら考えもせんかった男や。

むしろ、最初の出会いは、敵同士という観すらあったからな。

しかも、それは、ワシが50歳を過ぎてからや。それから、すれば、あんたはまだ若いから、これからいくらでも、そういう出会いはあるはずや。

本当の友人は、一生の内、ええとこ一人か二人やと考えとればええと思う。

連むだけの仲間がほしいということなら別やが、そうやなかったら何も焦る必要もないということや。

ついでやから『新聞配達は社会の中の一部だと思いますか?』ということにも触れとく。

一言で言えば、当然やということになる。

全国の新聞販売店関係者は、約47万人いとると言われとる。その内、アルバイトの配達員が約8割を占める。

その配達員がおらな新聞販売店は成立せんし、宅配制度も崩壊する。そうなれば新聞社もつぶれる。そう考えれば、重要な地位を占めとることになる。

新聞は、インターネットの登場で衰退の一途を辿っとると言われとるが、それでも、現時点では、まだまだ情報の中枢にあり、歴然とした力を持っとる。

配達員は、その屋台骨を背負うとるわけや。

この世の中、底辺が支えとるというのは紛れもない事実や。それは、ありとあらゆる業種に共通して言えることやと思う。

配達員の仕事は、風雨や雪に晒されても、休むことなく購読者のために毎日、配達し続けとる。これは、並大抵のことやない。それだけでも、胸を張れる仕事や。

それが評価されんと言うのなら、それを言う人間の方が貧しい心根の持ち主やと思えばええ。人の苦労が分からんのやからな。

『新聞配達は社会の中の一部だと思いますか?』と言うのは、どこか卑下した部分があるから、そう言うのやろと思うが、そんなことを考える必要はさらさらないということや。

また、この相談者が危惧しとる、特殊指定の見直しについては、これからどうなるか分からんから、今のところは何とも言えん。

それについては、このメルマガの第85回でアンケートを依頼して多くの方々に協力して貰うたことがあった。

その集計結果と寄せられた意見を、サイトの『ゲンさんのお役立ち情報 その4 新聞特殊指定についてのアンケート結果情報』に詳しく掲載しとるから、それを見て貰うたら何か分かるかも知れんとは思う。

『新聞配達で得た収入はほとんど販売所では所得から所得税を引かれていないので、自分が非国民のような気がしてならないです』

これについては、自己申告するしかないやろな。管轄の税務署に行けば、その方法も教えてくれる。所得税自体も、それだけの収入やったら大した額やないから申告しといた方がええやろな。

因みに、ワシも、一応は自主申告しとる。将来的に年金を貰うつもりなら、しとく方が有利やとは思う。

サイトのQ&A『NO.174 源泉徴収票および確定申告について』でも、それについて説明しとるから参考にして貰うたらええ。

「ワシが言えるのは、こんなところやな」

このメルマガを読んで、相談者が納得されるかどうかは分からんけど、ワシの意見としたらこういうことになる。

「せやけど、こんなコメントで役に立つのかな?」

「十分やないですか。あくまでも、ゲンさんの意見を聞きたいと言うことですから。それに、心の問題については確かな解決方法なんてないでしょう?」

「まあな……」

「それに、この人にしたところで、ゲンさんにそこまで期待はしてないと思いますよ」

「それは良う分かる」

「そういうことですよ」

「そういうことか……」

つまり、ハカセの言わんとすることは、相談者にとっては、相談、あるいは質問することが真の狙いやないということになる。

せやから、その答えがどうしても聞きたいということでもないはずや。

それは、あればええという程度のことで、本当の狙いは、話を聞いてほしいということやと思う。

ハカセはそれを承知で、答えの出にくい相談、質問にも快く応えとる。聞くことが重要やと思うとるからできることや。

実は、これは、ワシら営業をする者も、心得とかなあかんことやと思う。

営業と言えば、売り込むことやからと、どうしても、アプローチすることばかりを考え、それを優先する。それが、攻めのトークとして表れる。

それは、それで必ずしも間違いやないんやが、最上とは言えん。

本当は、相手の言いたいことを上手く引き出すことができれば、それが一番ええことなんや。それができれば、これ以上、やりやすい営業はない。

人は、自分の思いのたけを吐き出せば、それだけで楽になり、満足しやすい。それが、例え、文句や苦情であってもええわけや。

言いたいことを言うて、それを聞いて貰えたと思えば、それだけで、その相手に対して好意を持つ場合が多い。

せやから、その後の営業は、推して知るべしとなる。相手の思いを聞き出そうとする姿勢が重要やということや。

ハカセは営業マンやないけど、そういうことが先天的にできるようや。理屈でそうやと分かってしとることでもなさそうやからな。

ただ、ひたすら人の話を聞く。これは簡単なようやけど、結構、難しいことでもあると思う。なかなかできることやない。

これからも、多くの悩みがメルマガやサイトに寄せられると思うけど、ハカセなら、それをちゃんと受け止められるはずや。

その中で、面白い話、役立ちそうな話があれば、これからもその都度、機会をみて話すことにする。及ばずながらワシの意見も入れてな。


■メール紹介

今回のメルマガに寄せて頂いた激励メールが、とても暖かく、今回のような相談者の励みになると思うので紹介させて頂く。


投稿者 トトロさん 関西在住 販売店事務員 投稿日時 2006.6. 2 PM 9:53


新聞販売店で事務員のパートを始めました。カードや連絡帳の内容をパソコンに入力したりする仕事です。

それまで新聞販売店にはまるで縁がなかった(勿論新聞は取っていますが)ので、仕事に早くなじみたくて、新聞販売の業界用語(?)などを調べようとネットで検索していたところ、「新聞拡張員ゲンさんの嘆き」のHPにたどり着きました。

おかげさまで新聞販売店の表裏や業務内容など、いろいろなことを知ることができ、毎日忙しく大変ながらも、比較的楽しく順調にお仕事をさせていただいています。

さて、本日配信されたメルマガ、「悩める人々 Part 1 ある新聞配達員の孤独」、早速読ませて戴きました。

私は新聞や郵便、宅急便の配達の方、ゴミ収集車の作業の方とかにも配達や回収の際に顔をあわせることがあれば必ず、「ご苦労様、ありがとう」と声を掛けます。

私は配達や回収などの仕事はしたことがありませんが、雨の日も風の日も、暑くても寒くても、毎日戸外を配達・回収するということはとても大変で辛い仕事だと思うからです。

そういった仕事はやりたがる人が少ないとも思うからです。私は人が嫌がる仕事をしている人は偉いんだよ、と子供にも教えて
います。私も実際そう思っています。

世間はたかが(ごめんなさい)新聞と思っているようですが、この仕事をするようになって、顔の見えないお客さんのわがままをこれだけ聞き、融通を利かせている業界も珍しいと感心するようになりました。

日々の配達や集金は勿論、留守止めやサービスなどへの要求へもきめ細かく対応するために、パソコンに入力することがこんなに沢山あるとはと驚き、いろいろなケースや要求に、どう入力してよいか日々悩んでいます。

購読はされていなくて、時々店まで新聞を買いに来られるお客さんもたまには居られますが、新聞販売店ではお客さんの顔を見ることがあまりないですよね。

したがって、感謝の言葉を掛けられることもあまりないと思います。

お客さんのほうも、毎日時間通りに、間違いなく新聞が配達されることが当たり前だと思っているようですが(私もこの仕事をはじめるまではそう思っていましたが)、複数の新聞を配達しており、毎日カードが上がり、留守止めや契約切れなどの止めの件数があって、なお不配や遅配のないほうが奇跡に近いと思います。

それだけのことをするために、かなりの苦労や工夫があるとひしひし感じます。

盆も正月も土曜も日曜も関係なく、拡張員さんの契約書にはじまり、電話を受ける事務員さんの受け答えと連絡帳への記入、パソコンへの入力や配達表(うちではグラフと呼んでいますが)への記入、順路の設定、新聞の部数分け、それから配達員さんまで完璧に情報が運んではじめてきちんと配達されるのですから、これはホントに大変なことだと思います。

私自身もそうだと思いますが、配達員さんもその一翼を担っていると自信を持っていいと思うのです。

だからその相談者の方も、もっと自信を持って欲しいと思います。お客さんの中には「ご苦労様」などと声を掛けてくれる人もいると思います。大変な仕事だとわかっている人も沢山いると思います。立派に社会の一機能を果たしていると思います。だからがんばって欲しいです。楽しくお仕事して欲しいと思います。

販売店の仕事を始めてたった数ヶ月で偉そうなことを並べてしまって申し訳ありません。うちに夕刊を配ってくれる配達員さんは、茶髪の若いお兄ちゃんですが、私が「ありがとう」というとにっこり笑ってくれる可愛い男の子ですし、そういう方が孤独に悩んでいると思うとなんだか悲しいことだと思ったので、メールを差し上げることにしました。

もしその方がまだお悩みでしたら、こういう人もいると励ましてあげていただけると嬉しいです。


早速、この方のメールは、その相談者には伝えた。それにしても、いつも思うのは、このメルマガの読者の方は、この方に代表されるように、人への気遣いをされる方がとても多くおられるということや。

当然やが、そういう気持ちに接すれば、それだけで心が豊かになる思いがする。これからも、こういう暖かいメールは、ときに触れ紹介したいと思う。


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