メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話
第96回 新聞拡張員ゲンさんの裏話
発行日 2006.6. 9
■季布の一諾
約束を守る。ただそれだけの当たり前とも言えることで、歴史に名を残した男がおった。
男の名は季布(きふ)。今から約2200年ほど前の中国の武将や。
その時代、蓁の始皇帝が初めて中国を統一したが、その蓁も始皇帝の死後、政治の腐敗による衰退が始まり世情は乱れていった。
その中で、項羽と劉邦という両雄が頭角を現し覇権を争うことになった。その結果、劉邦が勝ち、漢帝国を築くことになる。
この漢帝国は、三国志で有名な、魏、呉、蜀の三国時代が到来するまでの約400年間の長期政権となった。
もっとも、その間に紆余曲折はいろいろとあるが、今回の話とは関係ないので省く。歴史的な背景が分かって貰えれば、それでええ。
項羽と劉邦との戦いでは、圧倒的に項羽側が有利であった。家柄、武力、胆力、頭脳と、どれをとっても項羽の方が劉邦よりはるかに勝っていた。
劉邦の取り柄は、人望にあった。もっとも、その人望というのも人格的に素晴らしく徳のある君主タイプだからということではない。
むしろ、どちらかというと少し頼りないところがあり、それを助けようと優秀な人材が数多く集まったという観が強い。
知謀の人、張良。戦いの天才、韓信。名宰相、簫苛。豪傑、樊會。諜報の陳平等々。数えあげたらキリがないほど多くの人材が集まった。
劉邦の取り柄は、自分の能力を良う知っとることやった。背伸びせず、それらの部下の献策や忠告を良く聞き、それを採用したということにある。
せやから、その集まった優秀な人材たちは、ある意味、やりやすかったわけや。
余談やが、この中の張良という人物が、歴史上でワシは一番好きやし、尊敬しとる。因みに、三国志の主人公とも目されとる諸葛孔明も、この張良にあこがれ、そうなりたいと願い勉強したということや。
興味があり、機会があれば、それらの関連書物を読んでみるのも面白いのやないかなと思う。(■参考文献参照)
劉邦自身は、担ぎ出される前は、小さな村のごろつきの親分にすぎんかった。それが、自分でもそれほど望んでたわけでもないのに、あれよあれよと祭り上げられてしまった。
人との出会いが、とんでもない成功につながるという見本のような人間ということになる。
俗に言われとるのが、双方、100戦して、99戦までが項羽の勝ちやったが、最後の1戦に劉邦が逆転勝利を収め、すべての勝負が決したということや。
劉邦は、戦いに負けることにそれほど拘らず、不利となれば、恥も外聞もなくすぐ逃げ出す男やった。良く言えば、勇気ある撤退ということになる。
ある意味、その負けを何度繰り返しても、最後まであきらめんかったというのも才能と言えば言えるかも知れん。
もちろん、運もある。戦争なわけやから、運のない人間は、その1度の負けで命を落とすということは十分考えられることやからな。
ワシが、子供の頃、親父に喧嘩で負けて帰ってきたとき「勝つまで家には入れん」と言われ、仕方なく何度もその喧嘩相手に挑んで、最後には、負けを認めさせたということがあったが、それに共通することかも知れん。
もっとも、ワシの場合の相手は、単にしつこいから相手にするのを嫌がっただけやとは思うがな。それでも、あきらめんかったら、最後には勝てるというのをそのとき知ったのは確かやった。
対して、項羽の方はプライドの塊のような男で、その最後の負けでも、劉邦がそうしたように逃げて再起を期すことはできたんやが、それを潔しとせず、結局、自刃して果てた。
前置きが、長くなったが、季布というのは、その項羽に従った武将の一人やったわけや。
この季布という男が「約束を守る」ということに拘ったのは、それなりの理由があった。
季布には、二人の傑出した弟がいた。すぐ下の弟を季心、父親の違う弟に丁公というのがいてた。
季心は勇気があり豪胆で知られ人望のある豪傑タイプの男。丁公は知謀の人で、張良、諸葛孔明タイプの人間やった。
季布もそれなりに実力のある男やったが、その二人の弟と比べるとどうしても見劣りがする。それを、季布は子供のときから心得ていた。
「何か取り柄を持たんと、弟たちに将来負ける」その思いで必死に考えた末、行き着いた答えが「約束を守る」ということやった。
季布の有名なエピソードにこういうのがある。
季布が12歳のとき、近所の悪童仲間とある約束をした。近くにあるかなり大きな池を泳いで渡るというものや。
それは、大人でも難しいと思われることやった。しかし、季布は、約束は必ず守ると誓っていたから、それを実行するつもりにしとった。
しかし、約束の当日は大豪雨となり、とても、その池まで行けるような状態やなかった。それでも、約束を守るという一念から、這って季布はその現場まで行った。
当然のことながら、他の悪童仲間は誰も来てない。季布は、それでも「自分だけでも、約束を守る」と決めていたのでしばらく待つことにして、その池の周りに堤防として積んである石の一つに腰をかけた。
しかし、いくら約束とは言え、この悪天候でそれを実行するのは、さすがに躊躇する。しかも、誰も見ているわけでもない。どうしようかと考えてたときやった。
突然、その座っていた石が、大雨による地盤の崩れにより、季布と共に池に落ちてしまった。これは、不運というしかない。
ところが、この季布は生涯に渡って強運が味方することになる。不運さえも、幸運となってしまうという運の強さがあった。
このとき、折からの大雨により、池に作っていた堤防が決壊したら困るというので、村の壮士、今で言うところの屈強な村の青年団員たちが、その堤防の様子を見に来た。
そこで、偶然に池で必死にもがき泳いでいる季布を見つけ助け上げた。溺死寸前やった。
村の壮士の一人が「こんな所で何をしていたのか」と聞くと半死半生の季布は「約束だから泳いでいた」と答えた。
このことで、季布は、死んでも約束は守るということで一躍、有名になった。
今さら、石が崩れて落ちたとは言えんようになった。また、本人も、約束を守る男として認められたいという思いがあったから、敢えて自ら池に飛び込んで泳いでいたことにしたわけや。
季布は、その後も約束を守るということに徹して、その名声を不動のものにした。
黄金百斤を得るは、季布の一諾を得るに如かず。
というのが、史記(■参考文献参照)にもその当時のことわざとして引用されとる。これが、季布の一諾の出典となった。
季布が引き受けさえすれば、黄金を得ることより確かなことやというのが、常識のようになっていたわけや。それを証明することわざということになる。
そして「季布の一諾」という言葉は、その後も、約束を守ることの代名詞として、延々と今日まで語り継がれることになった。
因みに、中国では季諾という熟語が生まれ、それが広く知られているという。意味は同じや。
ただ、この「約束を守る」ということが、そのまま「嘘をつかない」ということと同義語のように扱われることになり、いつの間にか、季布は絶対に嘘はつかず、言うことはすべてが正しいという神話のようなものまで生まれた。
これについては、季布自身も悩んだのやないやろかと推測する。
約束を守るというのは、安請け合いすることさえ気をつければ、それほど難しいことやないとは思う。
しかし、嘘をつかんというのは、人間である以上、絶対と言うてええほど無理なことやないのかと考えるからや。
ワシなんかも極力、嘘はつかんようにしようとは思うとるが、それでもついてしまうということが少なからずある。
ワシの好きな歌手の一人、長渕剛の曲の中に『RUN』というのがある。
その歌詞の中に「……できることなら、できることなら、嘘はないほうがいい。嘘はつかない。そう心に決めて、嘘をつき続けて、オレ生きている……」というフレーズがある。
それを聞く都度、ワシの生き方そのままやなと思う。
特に、ワシは営業を長く生業としてきたから、客とのトークの中で、いろんなことを言うてきた。嘘やでたらめに近いことはあったはずや。それが、罪のある話かどうかは別にしてな。
もっとも、このメルマガにおいては、ハカセがついとるから、ワシの話の裏を取ったり、矛盾を訂正してくれたりしとる。せやから、言うことがそれなりに筋も通り説得力を持って読者には伝わっとると思うがな。
しかし、生身の人間の発する言葉に、嘘や間違いがないわけはない。その意味で、季布は辛かったのやないかと推測したわけや。
しかも、季布が有名になった池でのことも本当は事故で、季布自身、嘘をついたという引け目があったと考えた方が自然やろからよけいやと思う。
ただ、季布の名誉のために言えば、大豪雨の日に、約束を守ろうとして、僅か12歳の子供の身で、その現場に行ったのは事実やから、それだけでも常人のできることやないのは確かや。
その事故がなくても、本当に飛び込んで泳いだかも知れんわけやからな。
季布は、その名声により、当時、実力ナンバーワンやった、項羽の配下に加わり、大軍を率いる将軍にまでなった。
季布の目論み通り、その名声と信用のおかげで、弟の季心と丁公は実力がありながらも、季布より出世はできんかった。
ただ、これには、運の要素も多分にあったのやないかと思う。それは、季心と丁公の二人が項羽に仕えたことや。
項羽は自分自身に自信がありすぎて、部下の実力を見いだせんという欠点を持っていた。自分より優れた者はおらんという自惚れが強すぎたと言うてもええ。
因みに、後に戦いの天才と称されることになる韓信も、最初は項羽の陣営におった。同じく、実力が評価されんかったから、重用されることがなかった。
そこでは、うだつが上がらんと見切った韓信は劉邦陣営に鞍替えした。そして、大将軍の地位を確保するまでになって成功する。結果的に、この韓信のために項羽は破れることになる。
歴史にタラレバは禁物やが、季心と丁公も劉邦側についていれば、違う結果になっとったかも知れんという気はする。
ただ、これの意味するところは、単に実力があるだけでは世に出る、あるいは名声を得て成功することは難しいということや。運が必要になる。
季布の場合はその運が飛び抜けていた。どんな不運に見舞われようと、それが常に幸運に転嫁してしまうんやからな。
結果的に、項羽は破れることになるから、普通なら、その陣営の将軍ともなれば、それで運も尽きることになる。
実際、劉邦は天下を統一すると、徹底した落ち武者狩りをして、項羽に与した人間を徹底して弾圧した。因みに、季心と丁公もそれで命を落とした。
これには、散々、負け戦を味合わせられた私怨が強かったと史記にもある。
将軍の季布には、千金という大金の懸賞金までつけて、その行方を追った。捕まれば確実に打ち首獄門間違いなしというところや。まず、助からんはずやった。
しかし、季布にとって、この千金の賞金をかけられたことが、結果として、不運を幸運へと変えることになった。
千金の賞金というのは、現代の日本人の感覚では10億円くらいに匹敵するのやないやろか。三代に渡って、遊んで暮らせるくらいの額やというからな。
それを狙い多くの賞金稼ぎが季布の行方を血眼になって追った。しかし、季布は並の落ち武者とは違う。
季布の一諾ということわざができたことでも分かるように、その人望と信用は並大抵やない。
季布の約束のおかげで恩恵を受け世話になった人間も多い。また、それほどの人物を助けたいという者もおる。味方が多いわけや。
河北地方に周という任侠の士がいた。任侠の士というのは、ヤクザの親分のようなものや。現代の日本のそれとはかなり違うがな。
季布をかくまっとることが、漢の役人に知れたら命はない。自身のみならず、三族皆殺しというから、妻子、親兄弟、親戚縁者はおろか、僅かでも縁のある人間はすべて処刑されることになる。
しかも、かくまわずに通報すれば、千金という大金を手にすることができる。
しかし、それでも、義のために敢えてそうするというのが、当時の任侠の士やったわけや。真の任侠道ということになる。
ただ、組織的には、現代の有力な広域暴力団に匹敵する部分があるから、役人に知られずに、そういう人間を隠すのは手慣れたもんやったようや。
少なくとも、賞金稼ぎが、その居所をかぎつけることは難しいと思われていた。
賞金稼ぎの中に、曹丘という者がおった。この男は、元々は遊説の士やった。
遊説の士というのは、弁舌を持って策を献じ、自分を各地の王や豪族に売り込む人間のことや。主に、戦いを有利に導く方法を教える。
余談やが、彼らの弁論は、結構、営業の参考になる。特に、自分の売り込み方なんかは秀逸や。
時は戦国時代やから、その売り込みには常に命がけの気構えがいる。ええ加減なことを言えば、簡単にその場で首が飛ぶ時代やからな。
ワシも営業において、そこまでの覚悟はない。同じ真剣勝負やと思うてても次元が違うわけや。そういうのを、参考にせん手はない。
戦乱の時代には、引く手あまたで重宝されていたが、天下が統一されると、敵がおらんようになるから、当然のことながら、遊説の士は必要やなくなる。失業を余儀なくされたということや。
曹丘も仕方なく、転職に賞金稼ぎの道を選んだ。曹丘は、遊説の士であっただけに頭が切れる。
他の賞金稼ぎたちには辿り着けんかった季布の潜伏先が周の所やというのを嗅ぎつけた。
そのことをいち早く察知した周は自分の器量では庇い切れんと判断して、さらに大物の朱家という大侠客に季布を託した。
この朱家という男も史記に登場するが、後世に広く名を残したと言えるほど有名というわけでもない。しかし、大人物であったのは疑いのない事実や。
もっとも、これ以降の時代、侠客たちの間では神格化された英雄ということになる。さらに言えば、日本でもヤクザの親分の中には、この朱家の侠気(おとこぎ)にあこがれとる者もいとるということや。
朱家は、一命をかけて、劉邦の側近に季布への助命嘆願に出向いた。これは、先にも言うたが、季布をかくまっとると知れただけでも大罪なわけや。三族ことごとく殺されることになる。
劉邦は、もともと地方の農村でごろつきの親分格やった男や。当然のようにその側近にも、そういう人間は多い。
朱家は、全国的な規模を誇る、そういう遊侠の士の大親分やから、劉邦の側近ともつながりがあった。
また、劉邦の天下取りにも、それらの遊侠の士が少なからず力を貸しとるということもあった。
せやから、命がけの季布への助命嘆願にも、ある種の成算があったというのは想像できる。
もちろん、昔ならいざ知らず、今の劉邦は皇帝で、朱家は、大侠客とは言え、ただのごろつきの親分にすぎんから、体を張ってということには変わりはない。
劉邦の逆鱗に触れたらそれまでやからな。しかし、朱家は漢(おとこ)として義に殉ずる覚悟で説いた。
季布ほどの人間をみすみす落ち武者として、無惨な骸を晒させるわけにはいかんかったのやろと思う。
「お上が、季布を厳しく追及されるのは、項羽の武将として漢軍を苦しめたからでしょう。ですが、良くお考えください。それは、項羽の武将であれば当たり前のことです。臣としての忠義からにすぎません」
「……」
「今やお上は天下の主です。忠義だった者を私怨で誅殺してもよろしいのでしょうか。季布をどう思われます?」
「賢者だな」
「仰る通り、季布は賢者です。その賢者を厳しく追及すれば、匈奴(きょうど)や越に走るでしょう。そうなれば、敵を利するだけです。それよりも、お上の公平さを示し、忠義の道を奨励する方が得策ではないでしょうか」
この命がけの熱弁が、側近をその気にさせ、劉邦の心をも動かした。
因みに、匈奴(きょうど)というのは、今のモンゴルで、越というのは、ベトナム地方一帯のことを指す。
劉邦が天下を統一したといっても、それは中国国内だけのことであって、周辺国との状勢は難しい局面にあった。
特に、匈奴とは、その後、漢帝国は屈辱的な外交を余儀なくされることになる。それだけ、力もあり強敵やったわけや。
結局、それが功を奏し、季布は許されたばかりか郎中という軍の高官の地位を与えられることになった。今で言えば、准将、少将というところやろと思う。
そして、後に河東の太守にまでなった。今でいう知事のようなものや。それも、大軍を擁する総督という身分やから相当なものや。
これは、当時としては大出世ということになる。
季布を支えたのは、言うまでもなく名声であり信用やった。そして、無類の運の強さが味方した。
それも、一見して、誰もが不運と嘆く状況に置かれながら、それが幸運へと変わっていった。
ワシが普段から良く言うとる、悪いことが必ずしも悪いことにはならんという見本のような男なわけや。
しかし、この運は、偶然にそうなったとはワシは思わん。
季布は、そのときどきで例えどんな境遇におかれようと絶対にあきらめず、物事が常に好転すると信じていた。
しかも、季布の置かれた境遇には、絶体絶命とも言える場面が多く、常に死と隣り合わせにあったわけやから、その精神力もかなり強靱やったと思われる。
周から朱家に移される道中は、世を欺くための演技とはいえ、坊主にされ首輪を嵌められ奴隷扱いされたということまであったというからな。
「約束を守る」ということに徹して、世間に「季布の一諾」とまで言わしめた裏にはそういうことがあったことになる。
ここまで、読まれて今回は何やと考えられた方も多いのやないかと思う。いつもと違うやないかと。これは、別に奇をてらってのことやない。
また、約束を守ることの重要性を説くつもりからでもない。そんなものは、各自で判断して貰うたらええことやからな。
実は、この季布の一諾の話を引用してから、ある男の話をしようと思うたのやが、つい、季布の話に熱中するあまり長引いてしもうた。
しかし、この季布の一諾について理解して貰えんと、その男の話も分かりにくいと思うたということもあるから、ある意味仕方がないと思う。
その男は、季布に匹敵する思いで「約束を守る」ということに拘った人間やった。もっとも、それで季布のように名を売ったということやない。無名の男や。
せやけど、少なくともワシ個人の心の中には、強烈に染み込んだ人物やったのは間違いない。
ワシが、その男と知り合うたのは、もう17,8年も昔になる。
その頃のワシは、まだ、ある建築屋に勤めとった。その男は、その当時、くしくも拡張員をしてた。偶然と言えば偶然で、奇遇と言えば奇遇や。
男の名を、ヨシアキと言った。その当時、ワシより10歳ほど上やと言うてたから、今はええ歳のはずや。
その男の話は、次回のメルマガでじっくりしたいと思う。
実を言うと、このメルマガで『拡張員列伝』と題した話を幾つかしたが、本当は、この男の話がしたくて、その題名を考えついたということがある。
とっておきと言えば言えるのやが、それが、96回も続いた今頃になって、何でその話をしようとするのか奇異に思われる読者もおられるかも知れん。
もちろん、それにはそれなりの事情もある。今頃になってというのは、その話の中の登場人物に問題があったからや。
このメルマガを開始する以前に、その話をハカセにはしてた。それに登場する人物たちの実名は、ハカセも知っていた。
「ゲンさん、その話は面白いですけど、少し慎重にしないと拙いですね。そのエピソードの紹介も、下手にすると、その登場人物が誰か特定されそうですしね」
ハカセは、過去にも、このメルマガで実話に基づいた話を幾つか上手く処理して発表しとる。
因みに、情報提供者の方々には、事前に、このメルマガへの発表許可は頂いているので、念のために言い添えとく。
身内で褒め合うてても仕方ないが、その手腕は一級品やというのは間違いないと思う。そのハカセが躊躇しとるわけやから、かなり難しいということになる。
それが、何かひらめいたらしく「ゲンさん、例の話、メルマガで発表しましょうか」と急に言い出した。
最近になって、ハカセの身の上で変わったことと言えば、肺炎になったくらいやけど、まさか、そのときの熱が原因で頭が冒されたというわけでもないやろがな。
とにかく、ハカセが大丈夫と言うからには、大丈夫なんやろ。ワシも、一読者として楽しみにしたいと思う。
■参考文献
史記 | 司馬遷撰 | 中華書局出版 |
小説十八史略 | 陳舜臣著 | 講談社文庫 |
項羽と劉邦 | 司馬 遼太郎著 | 新潮文庫 |
三国志 | 吉川英治著 | 講談社文庫 |