メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第98回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2006.6.23


■拡張員列伝 その5 季諾の漢(おとこ)、ヨシアキ 後編


子会社での仕事はしばらくは順調やった。ただ、それも最初のうちだけで、徐々にトラブルが目立つようになってきた。

子会社の仕事は主に建て売り住宅のリフォーム営業をすることやった。トラブルはその工事に関することが多かった。

実際に、そのリフォーム工事をするのは、外注業者、下請け業者ということになる。そこが、トラブルを頻発した。親会社でも、その構図は少なからずあったが、このリフォーム工事ほど酷くはなかった。

ただ、この当時、住宅リフォーム業者というのは、建築業界でもランクが下やと思われとったというのもあり、親会社がその専属業者というのを持ってなかった。

しかし、親会社もアホやないから、子会社設立時に、そのリフォーム工事業者は手配しとった。乾建設(仮名)というのがそれや。

ここの社長の乾という男は、昔、親会社におった人間で、営業部長までしとったという話や。

ワシが入社する以前に退職し、独立して住宅リフォーム専門の営業会社を立ち上げたという。せやから、ワシとの直接の面識は社内的にはなかった。

工事部門を乾建設が下請けとして引き受けるということで、話がまとまったらしい。乾建設は、子会社の工事指定業者ということになったわけや。

ただ、乾自身は、工事の専門家やない。親会社で営業部長をしてたということでも分かる通り、専門は営業や。

乾は独自に施工業者を集め、そこを下請けとして使うてた。トラブルが頻発するのは、そこから派遣される業者の質が悪かったからや。

基本的に、ワシら営業員は、客から工事の受注をすると、その工事仕様書を会社に提出する。会社は、それをそのまま乾建設に渡す。

工事が仕様書通りに施工されていたらほとんど問題はない。工事業者なら、その仕様書はたいてい守る。

仕様書というのは営業員と客との間で取り決めた内容をもとに作成されとるのが普通や。客は、営業員と取り交わした約束は守られるものやと思うとる。

ところが、それが守られとらんというのが多かった。そうなれば、当然のようにトラブルになる。

ワシの担当したケースにこういうのがあった。

「ゲンさん。話が違うやないですか」

寺田という客から、会社に電話が入った。

「えっ、どういうことです?」

「電話で説明してもラチがあかんから、こっちに来てくださいよ」

寺田というのは、この電話の二週間ほど前にワシが契約した客や。吹き付けの外壁塗装工事やった。3日前から工事に入っていた。

現場に着くと、足場が組まれ、養生シートが家の廻りを覆い、玄関、窓、網戸の戸袋、雨樋などが専用テープで養生されとった。外壁塗装工事の一般的な姿や。

見た目には、ほぼ吹き付け工事が終わりかけとるようやった。

「外壁の色が注文したのとは明らかに違うやないですか」

寺田は、外壁塗装の見本帳を見せながら、詰るような口調でそう言うた。

寺田が注文した色はアイボリー系のA-102という品番のもので、そのアイボリー系の中では、最も淡い色彩のものやった。それが、実際に吹き付けられとるものと違うと言う。

それはアクリルリシン吹付け塗装というて、建て売り住宅では一般的に使用されとるものや。比較的安価ということもあり、これを選ぶ客は多かった。

そのアイボリー系色というのは数種類ある。というのは、外壁塗装でこのアイボリー系色というのが一番多く、無難な色彩で需要もあるから、そのバリエーションも多いわけや。

確かに、見た目では、寺田の指摘通り、見本色と実際に吹き付けられた色とでは、かなり違うように見える。

ただ、ワシも営業マンとして、そうは思うても、その場で客に同調するわけにはいかんかった。そうかというて、その指摘も無視できん。

「寺田さん、ちょっと、調べてみますので、少し、お時間をください」

その場は、そう言うしかなかった。

このアクリルリシン吹付け塗装は水性ということもあり、吹き付けた直後の色彩が若干違うて見えるのは良くあることや。その場合、吹き付けた直後は、見本色よりも薄く感じるのが普通や。

それは、吹き付けた材質にまだ水分が多く含まれとるためやと考えられる。それが、2,3日もすれば蒸発して乾燥するに従い色彩もはっきりして濃くなる。

加えて、見本帳の見本色は、3p角のものでしかない。通常、色彩はそれが拡大すると、うすく見えるという特性がある。見本帳で選ぶ場合は20%程度、それよりうすく見えるものと考えておいた方が無難や。

寺田の指摘がそれらに該当するものなら、その説明をして納得して貰う。「しばらく待てば見本色の色になりますよ」と。

しかし、寺田の指摘は、その見本よりも、実際に吹き付けた色の方がかなり濃く見えるから、そう説明するには無理がある。

「材料の品番を間違えたか……」

ワシが最初に思うたのはそれやった。これは、業者がたまに起こす間違いや。新築でもそういうのは希にある。

ただ、建て売り住宅の場合は、実際に建った物件を見ての購入ということになるので、少々の色違いはそれほど問題にならん。少なくとも、客からそれについてのクレームはないからな。

もっとも、メーカーとしては、業者に対して、その程度によりペナルティを加えることはある。ミスを放置しておけんということでな。

ただ、それだけでは腑に落ちんものも感じとった。間違えたのなら、その見本帳での選択違いによる材料の誤発注ということになる。

ところが、現在、吹き付けとる材料の色彩に近いものが、その見本帳に見当たらんのや。

「なんちゅう、こっちゃ!!」

ワシは、材料の空き缶を見て、思わず、そうつぶやいた。現場にあったその材料の空き缶は、指定の材料メーカーのものとは違う。

この工事の仕様書はワシが書いたものやから、はっきり覚えとる。仕様書には、メーカー名とその材料の品番を使用するように、ちゃんと明記しとる。それを無視しとることになる。

現場には塗装職人が3人いてた。その中の、棒芯(責任者)という男にそのことについて聞いた。もちろん、寺田のおらん所でな。

「乾さんから、お宅に仕様書が廻ってますやろ?使っておられる材料がそれと違うとるんですけど」

「親方から、これを持って行けと言われとるからそれを使うとるだけや。ここの旦那も、何や、色が違うて言うてたけど、オレらには、関係ないて言うたら、えらく怒っとるようやったがな」

信じられんような返答やが、これには、彼らなりの言い分がいろいろとあった。

元請けがどこかは現場の職人はほとんど知らんということが、乾建設から送られてきた業者には多く見られた。

せやから、ワシに対しても、何で見ず知らずのお前の言うことを聞かなあかんねんという態度になり、返答も横柄になる。

職人というのは、ワシら会社の営業マンを嫌うとる場合が多い。仕事も分からず口先だけで仕事をしとると思うとるからな。

それをあからさまに感じさせる人間も少なくない。それが、対応の悪さに表れるということや。

彼らにとって、言うことを聞くべき人間は、その親方だけということになる。文句があるのなら、その親方に言うてくれという気持ちが強いわけや。

乾建設は、塗装業者に仕事を振る。この時点で、孫請けになる。さらに、塗装業者の親方は、そこに所属する職人のチームを現場に送り出すというのが、一般的な流れやった。

ワシの仕様書も、そのすべてで間違いもなくスムーズに流れとれば問題ないが、そのどこかで滞ってたら、今回のようなことになる。

伝言ゲームとちゃうで、ほんま。

ワシは仕方なく、近くの公衆電話から乾に電話した。この当時は、携帯電話も今みたいに普及はしてへんかったからな。ワシら営業員は、ポケベルを持たされてた時代や。

「乾社長。ゲンです。つつじが丘の寺田邸の外壁工事の件ですが。仕様書通りの材料が使われてないんですが、一体どうなっているんですか。注文の色と違うとお客さんに言われて困っているんですけど……」

「つつじが丘の寺田邸?それで、どう違うんや?」

「寺田さんが注文されたのは、K社のA-102アイボリー色ですけど、同じアイボリー色でも、他メーカーの濃いめやつですよ」

「それで、そのことは……」

「まだ、お客さんには言ってませんけど……」

「そうか、それやったら、何とかごまかしといてくれんか。同じ、アイボリー系の色やったら何とかなるやろ」

「アホなこと言わんといてください。どこかの下請けさんが間違えてはるんでしょ。そこに、責任取らせてくださいよ。ウチの信用にも関わりますんで」

「わ、分かった。それは、こっちで調べとくから、それより、課長、今日、時間があるか?」

こういう会社同士の会話では、相手の役職で呼び合うのが普通や。そのとき、ワシは、営業1課の課長をしとった。

「どういうことです?」

「いや、君とは、ゆっくり話し会いたいと思うてな」

「酒の席なら、遠慮しときます。飲めませんので」

ワシを懐柔しようとしとるのは見え見えやから、あっさりと断った。

本当は、ワシも酒は好きで良う飲みに行く。信用できる人間となら、それもええが、腹黒い人間とはごめん被りたい。

これは、後に分かったことやが、ワシの予想通り、仕様書が末端まで回ってなかった。というより、ほとんどが乾建設で止まっていた。

乾建設は利益が最優先するような所やった。考え方の基本はそれにある。仕様書通りにすれば、高くつくから意図的に回してなかっわけや。

今回のケースで言えば、ワシはその当時で会社が設定しとる工事代金の120万円で寺田と契約した。当時としては、この金額は高い。

しかし、そこは親会社のネームバリューがあるから、少々高うてもしっかりした営業トークさえあれば、客はたいていは信用する。もともと、この寺田もその親会社の物件を買うてたということもあるからな。

それを、この外壁塗装工事の場合、約30%の粗利を引いて、下請けの乾建設に発注する。業界では一般的な線や。

そこから、順に利益を差し引いて末端になる頃には、なんと30万円程度の発注金額になっとったわけや。

ワシの掴んだ情報やと、乾建設がその内の約50万円程度抜いていたということやった。これは、はっきり言うて、えぐい。

今回の寺田邸の業者もその低い施工費でやってたということになる。これが、彼らの相場ということなら、それでもまだ問題はないが、それよりもかなり低い。

末端の業者は、その工事をするのならと条件を出した。それは、材料と施工方法は任せてほしいということや。

工事を安く上げるには、材料を落とし手間をかけずに早く仕上げるしかない。

材料は安いメーカーの物を使う。業界で言えば二級品ということになる。仕様書は、当然、一級品の指定や。

乾は、その条件を呑んだ。それで、乾の利益が確保できるのならええわけや。そうなると、その仕様書は意味のないものになる。

ただ、極端に違うものはさすがに具合が悪いから、口頭でK社A-102のアイボリー系色に近い色にしてくれとは伝える。

末端の業者は、そのときに在庫で、それに近いものを探す。それがあれば、それを使う。材料の注文も足らず分だけで済むから、その分、経費が押さえられる。今回の色が違うというのは、そういうことやった。

客にしてみればも他よりも高い金額を支払っとるから、どんな細かいことでも苦情を言い立てることが多い。

末端の業者は、貰うた金額に見合う工事しかできんとなる。少々のことは我慢しろとなる。そのギャップがトラブルになるわけや。

良く手抜き工事と言われるものがあるが、そのほとんどの原因は、こういう金の流れにある。

また、そういう流れに合う業者、人間しかそれに関わらんということが多い。その構図がある限りは、ええ工事なんかできるわけがない。

もちろん、ちゃんとした業者も多い。ただ、そういう業者は、ええ加減な工事はしたがらんから、乾建設みたいな所で仕事をすることは少ない。

今回の寺田のケースでは、ワシは乾に、その仕様書の通りにしてほしいと強行に申し入れた。乾のやっとることは、あきらかに契約違反やから、話の筋はワシの主張の方が通る。

乾は仕方なく、他の業者を使い、その吹き付け工事をやり直した。その後も、幾つか、そういうケースは続き、トラブルは増えていった。

ただ、このときは、かなりしんどい時期やったが、そのおかげで、あらゆる手抜き工事の見本を知ることができたから、その後の役には立ったがな。

くしくも、それは、ワシが初めて京都で拡張員の仕事をしたときに、そこの仕事ぶりがあまりにもえげつないために、その手口を熟知することになったということと良う似とる。

乾は、当然、ワシの存在がうっとうしく思うし、ワシはワシで、乾建設を切りたいという思いが強かった。反目してたわけや。

ある日、社長に呼ばれ、社長室に行った。そこに、乾もおった。

「課長、国会議員の大林(仮名)先生、知っとるやろ」

社長の久間田(仮名)がそう聞いた。

「ええ、本社勤務のとき、何度かお会いしたことがありますけど……」

大林というのは、与党の大物国会議員で、本社の建築屋はその後援会に入っていた。

その大林を会社が接待したときには、ボディガードのような役目をしたことが幾度かあった。

「実は、その大林先生からの指名もあり、是非、課長に接待の警備を任せたいというのが、本社の意向なんや」

ワシは、その大林に気に入られていた。酒も同席したことがある。さらに言えば、自宅にワシだけ招待されたこともあった。これは、個人的にということで内緒やったがな。

あまり、世間には知られてないが、大林は絵が上手い。特に人物画を描かせたら一流やと思う。その絵を一枚貰うた。それは、今でも大事にしとる。そして、そのことも、その大林とワシしか知らんことやった。

「そこで、この乾君にサポートを頼もうと思うんやが、どうやろ?」

口調は相談やが、これは命令ということになる。乾と組むいうのは気は進まんが仕方ない。

乾がそれに関わるのは、乾の経営するラウンジにその大林を招いて、後援会のパーティーをすることになったからやという。

乾がそれを申し出た。理由は、大林を店に招くことで、その店の品位と格が上がるということらしい。

乾は、本業より、こういうクラブ経営のようなことが好きな男のようや。この店の他にも後1軒のラウンジと割烹店を持っとる。

当然のように、会社の宴会なんかも乾の店でやるようになっていた。

大林を招いて何かあると大変や。その警備の責任者をワシにやれという。もっとも、それは、その日、1日だけという限定ではあったがな。

「乾社長、よろしくお願いします」

「こちらこそ、何でも言うてや、課長」

乾とその場で形だけの握手を交わしたが、日頃の確執のせいか、言葉ほど友好的なものやなかった。

その後、大林の秘書で西島という男から、パーティーのことで電話があった。

「この度はよろしくお願いします。ところでゲンさん、うちの大林の発言はご存知ですか?」

大林というのは、過激な発言をすることで有名な男や。その発言で新聞やテレビを賑わすことも多い。

良く言えば、歯に衣を着せぬということになるのやが、はっきり言うて言い過ぎの感が強いと思う。

この西島の質問も、その頃、問題とされてた発言のことを言うてるわけや。

「ええ、新聞は拝見しましたけど……」

「実は、その件で、右翼組織の△△会から先生が狙われているという情報があるんです。ただの脅し程度だとは思うのですが」

その△△会というのは、大阪にある右翼団体の組織で、過激なことをするので有名やった。

「それが、確かなら、警察に身辺警護を依頼されたらどうです?」

「ゲンさんも、良くご存じの通り、先生はそういうのを嫌がりますし。それに、噂の域を出ない情報ですから、あまり公にするのも」

おそらく、それを言い出せば大林なら怒るやろなというのは分かる。さらに言えば、今回、大阪に来るのは公的なものやないというのもあるしな。

「分かりました。こちらに来られたときは注意しますが、私らは素人ですから、安全は保証できませんよ」

「もちろん、ゲンさんには、そのことを承知して頂くだけで結構ですので。それでは、当日の警備の方、よろしくお願いします」

何や、えらい大袈裟になってきたなと感じた。

一応、会社からは、大林が訪れるラウンジでの準備も兼ねてワシの部下が20名、乾の社員が5名、ラウンジのスタッフ3名の計28名がこの件に投入されることにはなった。

加えて、当日は約100名ほどの後援会員が集まる。いくら右翼やと言うても、そうそうアホなことができるわけはない。

その日の夜、ワシはそのラウンジにいてた。普段は、乾の店には来ることはないが、警備のプランを兼ねてそうした。

また、ヨシアキ、神山とそこで飲む約束もしてた。警備についての意見も聞きたかったからや。

「ゲンさん、それは甘いで」

そう言うたのは神山やった。

「甘いて?」

「ああ、ほんまに、その△△会が大林先生を襲う気なら、どんなことをしても来るやろと思うで。あいつら、まともやないからな」

右翼とヤクザは一緒やと思うとる人間は多い。実際は、似て比なるものや。もっとも、ヤクザのなかには「政治結社」を騙って右翼の真似をしとるのもおるようやから、その区別は難しいがな。

右翼とヤクザの大きな違いは、思想を重視するか縄張りを重視するかということやろと思う。右翼はそれが極端に現れる。

特に、その△△会には、思いこんだら一直線という人間が多いという。

ワシは、チラッとヨシアキを見た。ええ悪いは別にして、このヨシアキみたいなタイプが多いわけや。

神山の話やと、たった一人の人間に狙われたと分かっただけで、どんなヤクザの大親分も神経質になるという。恐がり、怖れる。徹底した警護をつけるのが普通となる。

それが、自分らなりの大義の前には簡単に命を投げ出すという評判の△△会に狙われとるかも知れんというのやから、尚更や。

取り巻きの人間が多いからあきらめるやろうという常識の通用する連中やない。神山の甘いという理由や。

「ゲンさん、大林先生がその連中に狙われとるという話は、その秘書の方はどこから?」

ヨシアキやった。

「さあ……、そこまでは」

ワシは、政治家の秘書やから、そういう情報くらいは簡単に入手できるのやろと思うてた。しかし、改めてそう聞かれると、確かに解せん話や。

本当に狙うとるなら、そんなことが簡単に洩れることは考え辛い。まして、相手が、得体の知れん組織なら尚のことや。どこの誰がそんな情報を探ることができるというのやろか。

「ただの脅しだけだと思いますよ」

大林の発言を牽制するために、誰かが意図的にその噂を流した。ヨシアキは、そう考えた方が自然やと言うてるわけや。

ヤクザの世界でも良うあることらしい。本当の喧嘩や抗争になるのは拙いが、それでも力を誇示したい、あるいは、それにより交渉を有利にしたいという思惑が働いた場合、そういう噂を振りまくと聞く。

どこかの国が「弾道ミサイルをぶっ放すで」と脅しをかけとることに良う似とる。

どっちも、何を考えとるのか良う分からんというのも、そっくりや。怖がれば怖がるほど相手の術中に嵌ることになる。

「ということは、何も心配ないということですか?」

「いや、何かそれらしいことはするかも知れません。最悪、本物の鉄砲玉が送られてくる可能性もゼロではないと思いますしね」

「やっかいな連中ですね」

「ゲンさん、パーティは中止にできませんか。もしくは、場所を変えるとか」

「それは、無理ですね。パーティー券も、もう完売してますし」

これは、大林の政治資金を集める一貫の行事でもあるわけや。与党、野党を問わず、たいていはこれをやる。

この当時は、現在のような政治資金規制法というのもなかったからな。どことも、かなり、大々的に、こういうことはしてたもんや。

因みに、ヨシアキも、そのパーティー券は買うていた。ワシとの付き合いで、その大林の後援会にも入っていたしな。

参考までに、神山には、それは遠慮して貰うてた。神山は、一応、れっきとしたヤクザやから、そんなのが、後援会におると知れば、大林に迷惑がかかるかも知れんからな。

「ヨシアキさんも、明日、来られるんでしょう?」

「いや、遠慮させて貰います。私も、もう歳で、そんな危ない場所は怖いですから」

ヨシアキらしからぬ返答やった。普通の人間が、こういうことを言うのやったら、無理もないとは思うがな。

「ゲンさんも、あまり無理をなさらないように……」

「そういうわけにもいかないでしょう。一応、当日の警備の責任者ですし、例えどんな人間が襲うて来ようと、大林先生は命に代えても守るつもりですから」

ワシは本気やった。大林も、ワシなら、そうするやろうと思うて指名したはずや。

ワシにあるのは使命感だけやない。大林本人を好きやというのも大きいが、大林から託された1枚の絵のためというのもある。

ワシにとって命を賭けても悔いがないと言える絵や。残念やが、その絵のことを言えば、大林が誰のことか分かってしまうので、悪いが今は何も言えん。言えるときがくれば言うかも知れんがな。

大林が単に与党の大物やから尊敬しとるというのとは違う。どんな大物であれ、しょうもない人間はしょうもないさかいな。

また、欠点のない素晴らしい人間ということでもない。ワシの見るところ大林は欠点の多い男やと思う。まず、わがままで横柄や。

見た目より酒に弱く、すぐ酔いつぶれてわけの分からんことを言い出す。しょっちゅうふらついて倒れる姿を良う見た。そこらの酔っぱらいのおっさんと大差ない。

政治家やから、表と裏の顔がある。言うてることがどこまで信用できるのか分からんことも多い。

欠点を言い出せばキリがないが、それらを差し引いても大林は魅力的な人間なのは間違いない。少なくともワシにとってはな。

それには、何より、この大林という男は人を信頼するということが大きいと思う。これは、人を惹きつける大切な要素や。もっとも、その度が過ぎて、良う足を引っ張られとるようやがな。

「ゲンさんの若さが羨ましいですよ」

「まさか、ヨシアキさんに、そう言われるとは思いませんでしたけど……」

このとき、ワシは本当に少しがっかりして、そう言うた。ヨシアキになら、ワシの気持ちは分かって貰えるやろうと思うてたからな。

それを察したのかヨシアキが、僅かに笑った。ただ、いつものように目は笑うてなかった。

今、思い返せば、本当にこのときは若かったということになる。ヨシアキの意図が分からんかったからな。ワシは、このとき歳はもうすでに30を過ぎとったんやけどな。

当日の警備は、さすがに緊張した。そのラウンジは7階建ての最上階にある。

部下のほとんどはただの営業員で、素人や。右翼に狙われるかも知れんちゅうなことを言うわけにも行かん。動揺させるだけやしな。

ただ、大林は有名人やから、一般の人間からは徹底して守れとは指示した。

実際、大阪という所は、ちょっとその辺を有名人が歩いていたら平気でなれなれしく声をかける人間が多い。もし、何か仕掛けてくるとしたら、そういう連中に紛れてやろうからな。

もっとも、危険なのは、駐車場からラウンジまでの間や。ラウンジの中に入ってしまえば、それほど心配はない。

当日は、招待客以外、中には入れん。その招待客は、全員、身元の確かな人間だけに絞ってある。

パーティーが始まってしまえば、後は、ラウンジの前を固め、各階のエレベータ前、非常階段に人員を配置すれば問題はないはずや。

結局、それらはすべて取り越し苦労やった。何事もなく無事に終わったからな。

その日の翌日、乾から電話が入った。

「課長、悪いけど、ワシは、会社の工事から手を引くから、そっちで適当に業者を見つけてくれ」

「とういうことですか、社長……」

いきなり、何を言い出すのかと耳を疑った。

「ワシは、あんたを甘く見過ぎていたようや。ただの営業ができるだけの素人やとばっかり思うてたけど、なかなかどうして大したもんや。あんな、とんでもない男を手なづけとるんやからな」

乾は、それだけ言うと、一方的に電話を切った。

ヨシアキ……。それが、すぐ頭に浮かんだ。それしかない。思い返せば、あの日の様子は、ヨシアキにしたらかなり不自然なものやった。

ヨシアキに電話した。

「ヨシアキさん、あの日、何かされたんですか」

「何のことです。それより、無事終わったようで、おめでとうございます」

「……ありがとうございます」

ワシは、それだけ言うのがやっとやった。考えてみれば、例えヨシアキが何かしたとして、それをワシに言うわけはない。人に恩を着せるような人間やないからな。

神山なら、その事情を知っとるのやないかと聞いたが、そのときは口止めされとったのか何も教えてくれんかった。

神山から、そのことを聞いたのは、ずっと、後になってからのことやった。

ヨシアキは、あの日、ワシが大林を命に代えても守るつもりやと言うたことで、腹を決めたという。ワシが大林を守るのなら、そのワシをヨシアキは守るつもりやった。

ヨシアキは、単身、噂のあった△△会に乗り込んだ。このときは、さすがに日本刀を持ってということやなかった。

△△会の総長と呼ばれとる男とヨシアキは以前からの知り合いやったようや。せやから、ある程度の話し合いができるという成算はあったという。

それでも、ただ知り合いやからというだけで、右翼を動かせるわけやない。場合によったら命を投げ出す覚悟がいる。ヨシアキがそのつもりやったのは、容易に想像できる。

ヨシアキは、裏の世界では有名や。こうして、直談判に来たということは命がけやということも相手には分かる。そして、言うたことは絶対実行するというのも広く知られてたことや。

味方にすれば、これほど頼もしい人間はおらんが、敵に回せばやっかいな男になる。

それでも、△△会がどうしても大林を許せんというのなら、ともかく、そこまでは考えとらんということも幸いした。牽制ができたらええという程度やったらしいからな。

結局、その総長との話し合いで、今回は大林を襲うようなことはないということで話は収まった。

ヨシアキは、その話の中で、大林の秘書にその情報を流してたのは乾やということを知った。乾は、どうやら、その△△会も焚きつけていたようや。

乾の経営する店で、大林を接待しようとしたのは、その△△会を動きやすくしようと思うたからのようやという。

乾の狙いはワシや。乾は、ワシが大林と懇意やというのを知り、本社の人間を通じ、今回の警備の責任者に仕立てた。

そこで、問題が起こり、大林の信頼をなくせば、親会社も面目が立たんから、ワシの立場を危うくできる。

そうなれば、ワシは今の立場を逐(お)われることになり、乾の仕事がやりやすくなる。そんな浅はかなことを考えとったということや。

それを知ったヨシアキは当然のように乾の所へも行く。そこで、何があったかは神山も知らんようやが、想像はできる。

その結果が、あの工事から手を引くという電話になったわけやからな。結局、つまらん工作をして、墓穴を掘ったことになる。

ワシは、それまでも男と呼べる人間は何人も見てきた。しかし、ヨシアキほどの人間は知らん。

信じた人間のためなら笑うて死ねる。本物の漢(おとこ)や。それほどの男に見込まれたワシは幸せ者やと思う。

ただ、ヨシアキがすごすぎたことが原因で、ワシはこの世界に何の躊躇もなく飛び込んでしもうたということがある。

それは、ワシはこのとき、このヨシアキを知ったことで、新聞営業、とりわけ新聞拡張団に対して悪いイメージはまったく持ってなかったからな。

そうかと言うて、今を悔やんどるわけやない。今もそれなりに充実しとるしな。


ご感想・ご意見・質問・相談・知りたい事等はこちら から


メールマガジン・バックナンバー 目次                       ホーム