メールマガジン 新聞拡張員ゲンさんの裏話

第99回 新聞拡張員ゲンさんの裏話     

発行日 2006.6.30


■新聞を売るということ


「あかんなぁ、ここは死んどるわ」

調子もんで知られとる我が団のホープ?大森(仮名)が誰に言うとなく、そうぼやいとった。

大森が「死んどる」と言うのは「カード(契約)が上がらん」という意味や。この男は、成績は今一つやが、プライドだけは高い。

カードが上がらんのは、自分のせいやなく、バンク(拡張エリア、主に販売店のことを指す)が悪いと常に思い込んどる。

「所長に、言うたったんやが、もっと、拡材出さな、ここでは勝てんで。あのしみったれ、それがぜんぜん分かっとらん」

この大森のように、拡材次第で上がると考えとる拡張員は未だに多い。もっとも、それは、全くの的はずれとも言えんのやがな。

確かに、その拡材のサービスでなびく客も多いのは事実や。拡材を増やせば、カードの上がりがええということはある。また、たいていの拡張員にその思いが強い。

せやから、第一声が「サービスしまっせ」というトークになることが多い。また、それが、拡張員の仕事のやり方やと思うとるわけや。

しかし、正しくは、拡材になびく客もいとるという捉え方が正しいということになるのやが、それが分かってない。

裏を返せば、いくらサービスされようが動かん客もおるということや。当然やが、一つのパターンしかなかったら、それ以外の客を確保することはできん。

ワシが普段から良う言うてることに「拡張は楽な人間を捜してするもんや」というのがあるが、そういう連中にとって、その楽な人間というのは、拡材に釣られる者やということになる。

そのやり方が通用した時期は確かにあった。新聞勧誘は営業とは言え、特殊な事情を抱えとるというのも事実や。トラブルや苦情も多い。

初めから、営業ということに真剣に新聞社が取り組んどれば、また違った結果になってたとは思うが、第一歩のところで間違うてしもうたように思う。

昭和20年代、ある新聞社が部数の拡張を図る手段として、ヤクザ組織を使い始めたということがあったのが、それや。

当時の新聞社の事情としては、部数を伸ばすには営業員の確保が急務やったわけやけど、その営業員を大量に保有する力がまだなかったというのがある。

そこで、てっとり早い既存の組織として、ヤクザに目をつけたわけや。出来高制を導入し、上げた契約分だけを買い取るという制度にした。これなら、営業員を社員として雇う必要がなくなる。

ただ、ヤクザに営業させるわけやから、どんなアホが考えても揉めるやろということは分かる。

そこで、拡張団という営業専門の組織を作らせ、別会社とさせた。成果を買い上げるだけの委託業者ということになる。

せやから、例え、その拡張団の勧誘でトラブルが起きて客から苦情を持ち込まれたとしても、新聞社は「会社が違うので監督する立場にない」という姿勢で、その矛先をかわすことができた。また、そうしてきた。

その姿勢は、つい2,3年前までは顕著に表れとった。それと同じような構図が、新聞販売店との間にもある。

新聞販売店も、同じような委託業者や。両者とも、表向きは新聞社と業務委託契約書でつながっとるだけやとなるからな。

ヤクザが営業するのやから「お願いします」とか「お客様は神様です」ちゅうなことを考えることはほとんどない。

勢い、強引な押し売りになり、脅迫もしてた。ただ、それだけでは、いくらヤクザでも厳しい。片っ端から客をドツいて脅すというのも限界があるからな。

ここで、ヤクザ特有のアメとムチを使うた交渉術の出番となる。それが景品の拡材になって表れたというわけや。

結果的に、そのシステムは大成功を収めた。

終戦後の昭和20年には、新聞の総部数発行は1400万部ほどやったのが、昭和60年前後には現在とほぼ同じ、5000万部と驚異的な伸びを続けたんやからな。

この背景の裏には、新聞各社の熾烈な競争があって、それが拍車をかけたのは間違いのないところや。

その根底に部数至上主義というのがある。どの業界でも、日本一ということを目指していた時代や。新聞社各社がそれに鎬を削っていたとしても、何の不思議もない。

特に新聞の場合は、そのもの自体の影響力が大きい。業界人にとって、そのトップに君臨することは、天下を取るほどの値打ちがあったということのようや。

それが、そのヤクザ式の勧誘を容認した元凶ということになる。

そのやり方が、あまりにも長く続き過ぎた。何でもそうやが、現状で成果が出とる間は、それを敢えて打ち壊してまで、違う試みはせんもんや。

それまでのやり方を踏襲してた方が楽やとなる。少なくとも、それで何の問題もなくやっていける間はな。

それが、未だに、昔ながらの拡張から脱却できん人間が多い理由の一つやと思う。せやから、大森に代表されるように、客を確保するためには、より多い拡材が必要やという発想になるわけや。

しかし、ここに来て、その様相が大きく変わろうとしとる。もう昔ながらのやり方は通用せんようになってきたと言うてもええ時代や。

それには、インターネットの普及が大きく関わってきたということがある。現在は、誰でも気軽にHPやブログを開設できる時代や。

すべての人が自由な意見、情報を発信できる。その中には、新聞批判というのも少なくない。

新聞社関係のHPやブログを除けば新聞を賛美しとるのは、微々たる程度しかない。新聞批判が一つのブームと思える感すらあるくらい過激なものが多い。

そういうものを目にすることの多い、インターネットに慣れ親しんだ若年層を中心に、新聞離れという現象が起きとるのが現実やと思う。

しかし、それはある意味、仕方のないことやと思う。得ることのできる情報をもとに判断を下すのは、その人の自由やからな。

加えて、法律が整備されてきたということも大きい。

消費者契約法、景品表示法、クーリング・オフの規定を定めた特定商取引に関する法律も、そういうヤクザ式の勧誘に対して法の壁として立ちふさがっとる。

今までは、見逃されたような勧誘方法でも、いきすぎると逮捕されるという事案も珍しいことやなくなっとるからな。

いきすぎた勧誘がそれらの法律を生んだと言うてもええくらいや。もっとも、これは、すべての訪問販売に共通して言えることやから、新聞営業が特にということでもないんやがな。

さらに、去年からの個人情報保護法というのも、かなり影響しとるということも確かや。

新聞社も立場上、ヤクザの勧誘方法を推奨するわけにはいかんから、その取り締まりにも次第に力を入れるようになってきた。

また、実際にそういうものからの脱却、方向転換をしたかったのも事実やろと思う。

業界で良く言われとるものに「6.8ルール」というのがある。景品表示法での新聞勧誘の規定についての俗称や。

客に渡すことのできる景品の限度額が、取引価格の8%又は6ヶ月分の購読料金の8%のいずれか低い金額の範囲内と決められとる。

これは、新聞業界が公正取引委員会に自主規制として申告したものや。それが認定されることで法律になっとるということがある。

公正取引委員会が規制する一般的な景品の上限は、取引価格の10%となっとる。新聞業界の自主規制が8%ということだけを見ても、体裁を少しでも良うしようというのが分かる。

もっとも、これは体裁だけやなく、新聞勧誘への批判をかわし、脱却を図るためにも積極的にそうしたと考えられんでもないがな。

本来、業界、企業は、規制に対しては抵抗するもんやが、これに関しては積極的に協力しとるという姿勢を見せとることからも、それが裏付けられると思う。

初期の頃は、雨後の筍のごとく発生していたヤクザの拡張団も、それらの法律や規制が強化され、さらに宅配率93%という飽和状態になった新聞勧誘業界にうま味がなくなったということもあり、かなりな数、撤退していっとるのが現状や。

現在、そういうヤクザ関係の拡張団というのは、極一部しか残っとらん状態やからな。

しかし、そう捉えてない一般の人がいとるのは確かや。

インターネットから情報を得ている人たちがそうや。インターネットでは、未だに拡張団がヤクザやと発信しとる所が多い。それは、まったくの間違いやないんやが、正しい情報とは言えんわけや。

一事が万事。これは、多くの人が陥りやすい考え方や。一人のたちの悪い拡張員と遭遇した人は、すべての拡張員が同じやと思い込む。

これは、ある意味、仕方のないことのように思うが、事実としては間違うとることになる。

実際は、真面目に営業しとる拡張員が圧倒的に多いからな。それだけは、断言してもええ。

悪さをする人間は、どんな職業に就いていようとおるもんなんやが、他でそういうのがいても、それは特殊なケースやと考えられる場合が多い。

警察官しかり、医者しかり、弁護士しかり、教師しかりや。その中で、どれだけ極悪非道な犯罪が行われていようと、誰もそれらの職業自体を批判することはない。あっても少ない。

しかし、ワシら拡張員に対しては、そう思われとらんということになる。その存在自体が悪やと広言する者すらおるからな。

これには、一種の刷り込みというやつやが働いとるからやと思う。その役目をインターネットが果たしとるということになる。そして、それを信じる人が相当数いとるし、増え続けとる。

ワシらのように新聞を売ることを生業としとる人間が、それについて良う考えんと、これからもこの現象に歯止めがかかることはなく、いずれは行き詰まり、新聞そのものの弱体、消滅ということも十分、あり得ることや。

拡張の基本は叩く(訪問)ことにある。「まず数を当たれ」というのは、初心者かそれに近い者を指導する教えとすれば、それでええと思う。

それで、景品になびく客が見つかれば、例え初心者であってもカードになる確率は高くなるからな。

しかし、もっと、上を目指す人間、責任者、あるいは経営者ともなれば、それ以上のことを考えるようにせなあかん。

良くバンクの状況が厳しいと嘆く人間が多い。いくら頑張っても部数が伸びん、あるいはカードが上がらんと言う。ワシは、その話を聞く毎に、本当にそうなのかといつも疑問に思う。

それは、頑張っとると口に出す人間ほど、自分の頭で何も考えとらんということがあるからや。

ただ、同じことを繰り返し、それを続けることが頑張っとることやと思い込んどる。きつい言い方かも知れんがな。

一つの物事には、見方の違いにより、必ず二面性、もしくは多面性というものがある。それは新聞についても同じや。

新聞の場合に考えられるのは、作る側、売る側、読む側ということになる。

新聞を作る側は、紙面を作成する新聞社の人間と、それを印刷する工場関係者ということになる。

そして、売る側には新聞販売店があり、ワシら拡張員がいとる。

読む側にもいろいろいとる。長期購読者、交代読者などの購読を主とする人々と、インターネットで新聞記事を見るだけで購読しない、俗に無読と呼ばれる人たちが、そうや。

作る側は最高のものを作っとるという自負があり、信じとる。それに対しての評価や批判を意に介することは少ない。もっとも、そんなものに振り回されとったら何も書けんやろがな。

売る側の多くは、自分の都合だけを考えるきらいがある。

生活のため、金儲けのため、店のため、団のため、中には新聞社のためと考える者もおるかも知れん。いずれにしても、売る側の都合が優先する。

それに対して、当たり前やが、読む側は読む側の都合がある。

客からの質問に「うちはA新聞を長いこと取っとるのやが、それをY新聞にせなあかん理由て何や」というのがある。

そういう場合、たいていは「うちの新聞は他よりサービスの景品がいいですから」「取って頂けたらもっとサービスしますよ」と拡材中心の勧誘トークに頼るということになる。

「そんなもの貰うてもしゃあない。やめとくわ」と言われて、どれだけの人間が拡材抜きで「当社の新聞を購読して貰ったらこんないいことがありますよ」と言えるやろか。

読む側は、それを「買う理由」がなかったら買わんし、変更もせんということになる。裏を返せば、その理由が見つけられたら、驚くほど簡単に売ることができることになるわけや。

そのええ例として、ある新聞販売店経営者の話をしようと思う。

これは、東海地方のあるY新聞販売店でのことや。

この東海という地域は、一般的にC新聞というのが圧倒的なシェアを誇っていて約8割が、その購読客やと言われとる。後はA新聞が1割、その残りをY、M、Sの各紙が分け合うという構図や。

日本一、世界一と豪語するY紙ですら、この地域では、その他の新聞という扱いでしかないと、ワシがたまに言うてるのはそういうことがあるからや。

このシェアの違いについて、地域性をその理由のトップに上げる人間が多い。それしか説明のしようがないということらしい。ここでは、あまりにも地元意識が強すぎると。

その根拠は、販売価格と景品にある。販売価格は、C新聞はセット価格中心で3925円。その地域での全国紙は、全国版というて朝刊のみで3007円。

これは、そうすることで、金額的に安いというイメージをつけたいということと、最初から張り合う姿勢がないからとも受け取れる設定や。

本当は、C新聞も、全国紙との対抗上、朝刊のみやったら3000円という価格設定はあるのやが、ほとんどの販売店で客にそれを教えることもなく、セット価格で売り込んどる。また、それで売れとる。

一部の全国紙との交代読者に限り、朝刊のみということでその価格というのがあるくらいや。

景品についても、地域、販売店で多少の違いはあるが、総体的に全国紙の方がサービスは上やと思うてええ。

つまり、値段が高くても、サービスが悪くても、そのシェアの開きが歴然としてあるということになる。

この一事をもってしても、単にサービスがええ、値段が安いというだけで新聞が売れとんのやないというのが良う分かると思う。

このY販売店の経営者は柳田(仮名)というて、昔、拡張員の経験もあったということや。

今から10年前、のれん分けのような形で、そのバンクをあてがわれ、そこの経営者になった。

経営者とは言うても、当初は柳田とアルバイトの配達員が一人の二人だけという小さな販売店やった。

部数も、実部数で300部そこそこしかなかったという。

しかし、柳田はそれを、この10年間の間に約10倍もの購読客を獲得するまでに成長させた。

バンクは、元からあまり広くはなかったが、現在では、その地域のC新聞の販売店と互角に張り合うまでになっとる希有な販売店や。

柳田はそれほど特別なことをしたというわけやない。当たり前のことを徹底しただけや。もっとも、その当たり前と思えることがなかなかできんもんなんやがな。

柳田は、穏和な男で、いつもニコニコしとる。営業には笑顔が重要やというのは、ワシも口が酸っぱくなるほど、折りに触れ言うてることやけど、この男を見てたら尚更、その感を強める。

柳田が、まずしたことは、現在の顧客を大事にしようということやった。というて、特別に何か物でサービスするということやない。そんな資金もなかったと言うしな。

部数が少ないから、深夜2時頃に配送されてきた新聞をそのまま配ったらすぐ終わる。チラシを入れて2時半から配ったとしても4時には終わる計算や。

ここで、柳田は考えた。その4時までに終わると、人と会うことはほとんどない。会うのは同業の他紙配達員か、コンビニに配達するとき、そこの店員に会うくらいや。

柳田が考えた顧客を大事にするというのは、まず客と顔を会わせることから始めることやった。せやから、配達をわざと4時半頃から始めることにした。

新聞配達には、暗黙の不文律のようなものがあって、配達は遅くとも朝の6時までに終わらせるのが鉄則や。そのぎりぎりの時間に合わせたわけや。

これなら、朝の早い客と会うこともある。実際、それを始めた初日から数人の客と会えた。

たいていは、朝のジョギングや散歩に出かけるところか、庭の手入れや掃除をしとるような客が多かった。

このとき、柳田は必ず「○○さん、おはようございます」といつものにこやかな笑顔で挨拶するように心がけた。

単に「おはようございます」だけでも良さそうなものやが、この名前を呼ぶというのは結構、効果的な方法や。

一流ホテルなんかでも、この名前を覚えるフロントマンは受けがええという話を聞いたことがある。

以前の客の顔と名前を覚えていて、その客が来たら必ずその客が名乗る前に「○○様、いつもごひいきありがとうございます」と言うと、客は何か特別扱いをされたような気分になる。

それが、あれば、客も次からはそこに泊まりたいと自然に考えるという。

新聞の配達員に、そう声をかけられてそこまで思うかどうかは別にしても、悪い気はせんはずや。それも朝からやから、よけいやと思う。

さらに、そう声をかけとるときに、その近所の誰かが見ていたら、感じのええ配達員やなと見る可能性は高い。

そういう客に見られているのが分かったら、遠くなら会釈し、近くなら「おはようございます」と必ず声をかける。この挨拶を徹底したという。

評判というのは、そういう些細なことから広まる。

新聞販売店には、映画や遊園地などの割引券が新聞社からタダで入ることがある。これを「捨て材」と呼んどるのやが、それを顧客リストの中から喜ばれそうな所を探して配るということをした。

他にも、雨の日は、当たり前のようにビニールに包み配る。天気予報を見て、危ないと思う日は、出発前に雨が降ってないときでさえ、そうしていたという。

柳田のように、部数の少ない販売店の経営を任されて、真っ先にそこの現読のことを考えるというのは、なかなかできそうでできることやない。

普通は、まず部数を伸ばすことから考える。まして、柳田は元拡張員やったから、そういう発想をしてもおかしくはない。

新聞販売店を経営している人間ならすぐ分かることやが、300部そこそこやと経営どころか自分の給料を確保するのも厳しい。食うていくのもきついくらいや。

しかし、柳田は、その現読を大事にせんかったら、その虎の子の300部の購読者もあっという間に、C新聞に呑み込まれかねんと思うたという。

商売において失客するというのは痛手が大きい。まして、この地域の状況下で一旦、そのC新聞の客になってしまえば、また帰ってくるのはかなり厳しいことになる。

そのC新聞の強みの一つに、折り込みチラシの量というのがある。そのシェアの問題で、多くの企業は、C新聞にそのチラシを入れたがる。

せやから、この東海では、たいていの地域でC新聞は常に他紙の倍以上の折り込みチラシが入っとるのが普通や。

そのチラシの量に慣れると、他の新聞では頼りなく感じてしまう。せやから、せっかく帰ってきた客もすぐC新聞に戻るということになりやすい。

ただ、これは、他紙の販売店の姿勢も悪いと思う。ワシの知る限り、企業へ、積極的に折り込みチラシの営業をしてない販売店が圧倒的に多いからな。どうせ、営業しても、断られるのがオチやと思い込んどるようや。

しかし、これは、しっかりしたトークをすれば、増やすことはそれほど難しいことやないと思う。

シェアの多い新聞だけに何でチラシを企業が入れたがるのかということを良う考えてほしい。

「より多くの客に行き渡るから」という答えが、その業者から返ってきたとしよう。あるいは「経費節減を考えたら、部数の少ない新聞へのチラシをカットするのは当たり前や」と言われたとしよう。

「確かにC新聞にチラシを入れられれば8割のお客にはそのチラシが配られることになりますが、それではこの地域の残り2割のお客さんを切り捨てることになるのですよ」

「その2割のお客さんが、どうして、お宅のその商品を買わないと言い切れるのですか?そのチラシを見なかったら、その2割のお客は、その商品が分からないわけですから、絶対に売れませんよ」

「しかも、うちのように、お宅のチラシを常には入れていなければ、お宅の会社、ひいては商品についても馴染みが少ないということになります。これは、お宅のような会社では大きな損失ではないでしょうか」

「確かにC新聞さんには、多くのお客さんがおられます。他の会社からのチラシもたくさん入っています。しかし、だからこそ不利だということが分かりませんか。お宅のチラシは、大勢の中の1枚に過ぎないわけですよ」

「ところが、うちだとチラシが少ない分、C新聞さんに入れるよりかは確実に目立ちますから、より効果的だと思います。それを考えれば、どちらがお得か、お分かりになるでしょう?」

こう説けば、たいていの企業は、なるほどなとなる。

そういう営業ができんから、勢いチラシの量も減ってきて、よけいC新聞との差がつくだけのことになるのやと思う。その差を埋める努力をしてへんのやからな。

何年か前、柳田にそれを言うと、早速、ワシにその企業のチラシを取って来てくれとなった。

それで、その折り込みチラシが増え出すと、実際に購読客も増えるということなってきたわけや。

客が、ワシらの新聞を断る大きな理由の一つに、その折り込みチラシの量というのがあるが、それが増えれば「断る理由」もその分なくなるからな。

部数が増えれば、営業もそれほどしなくても自然にチラシ依頼も増えてくる。現在では、このバンクでは、そのC新聞と変わんくらいの折り込みチラシが入っとる。

柳田は、集金にも時間をかけた。客とのコミュニケーションを取るにはこのときが最高やから、それを大事にせん手はないというわけや。

中でも、柳田は、年寄りが好きなのか、話し込むことが多く、世間話だけやなく、相談事や愚痴などを良う聞いていたという。

柳田が次に心がけたのは、過去読の掘り起こしやった。これは、どこの販売店でもやってることやが、柳田は一風変わったやり方をした。

普通は、過去読の客には「また、うちの新聞を取って貰われまへんか」と勧誘するくらいやが、柳田はそれよりも、止めたわけを聞くことから始めた。

客は勧誘されるのかと思うたら身構える者が多いが、そうやないと知ると割とそういうことは話すもんや。

以前の店主がええ加減やったとか、態度が悪いという答えが圧倒的に多かった。そのことは、柳田も覚悟してたことやし、予想できたことやった。

せやから、そういう指摘があれば、ただ謝ることに徹して「私がこれから、ここの店主になりましたので、二度とこのようなご迷惑はおかけしません」と誠実さを訴えた。それが、功を奏したのか、少しずつ客も戻り始めた。

柳田がその当時、その店の店主をすることになったのは、前の店主がええ加減で、客もかなり減り、評判も最悪の状態になって、誰もなり手がおらんかったということがあったからやった。

当然、そういう店主は、業務委託契約を解除され改廃となったわけやが、後を引き受ける者がいないということで、隣のバンクの経営者が、新聞社の要望もあり、仕方なくという感じで引き継いだ。柳田はそこで店員をしてた。

通常、バンクを引き継ぐときには、例え300部程度の販売店であっても、最低でも数百万円くらいの資金が必要やが、事情が事情やということで、ほとんどタダ同然に譲られたという。

しかし、いくらタダでも、その評判の悪かったバンクと同じやと周囲に思われることで、現在の店の評判も下がりかねんということを、そこの経営者は懸念した。

ただでさえ、地域的に厳しいのに、その上、評判が下がったのではどうしようもないからな。

そこで、誰かを経営者として送り込むことで、表面上、別の販売店として装うことにした。

初めは、そこの店長に経営者にならんかと打診したが、その店長は即座に断った。誰が考えても、上手くいくはずがないと思われてたから、当然と言えば当然の返答やった。

その次に、そこの経営者が打診したのは、その店で店長の次に古株やった柳田や。柳田は、意外にも、あっさりと引き受けた。

柳田も、条件が悪いのは百も承知やが、このまま、その店で働いとっても、うだつが上がらんと思うてたから、それに賭けてみることにしたわけや。

それは、そこの経営者が一番、信頼しとるのは、店長やということがあったからや。その店長がおる限りは、これ以上、ここで伸びることはない。

店主になるのも、これが最初で最後のチャンスやとそう考えて引き受けた。

但し、柳田は、条件をつけた。独立採算でやるから、バンクごと本当に譲ってほしいと。

結局、その経営者との話し合いで、その店の権利を買うということで話がついた。もちろん、事情が事情やから破格というてええほどの安い値段でや。

経営者にしても、半ば押しつけられたようなもんやし、そのバンクにはなんの魅力もなかったから、その条件を呑んで、新聞社にも、正式な店主として推薦し、その了解を得た。

柳田が、それを主張したのは、経営者の性格を心配したからや。この男は、何かにつけ良う口出しをする。雇われの身やったら、自由が利かんのは目に見えとる。

上手くいかんかったら、柳田を詰り、上手くいけば、その時点で、そのバンクごと吸収するのは、ほぼ間違いない。柳田は「そんな馬鹿げた苦労はしたぁなかった」と後に言うてた。

結局、柳田は成功し、今ではその経営者の店をはるかに凌駕するまでになった。

柳田が、敢えて既存の顧客を大事にすることに力を入れたのは、バンクがそんな酷い状態やったにも関わらず、まだ300人もの客が残っていてくれたという思いがあったからやった。

この考え方は重要や。300部しかないと考えるのと、300部もあると考えるのとでは、天と地ほどの違いが生まれる。

前者は、どうしても悲観的になりやすく、後者は、それでも残っていてくれた貴重なお客やと考える。

柳田は、さらに、それには何か理由があるのやないかとも考えた。それが、現在の顧客とコミュニケーションを取ることで見えてくるのやないかと思うたわけや。

それが図に当たった。残った客の一番多い理由が、昔からのY新聞のファンやからという。読み慣れた新聞は変えたくないというやつや。

さらに、Y新聞はプロ野球の球団を持っとるから、そこのファンというのもいてた。

そして、その次に多かったのが、C新聞が嫌いやからという理由やった。

その理由を聞くと、その地域のC新聞の販売店とトラブルを起こしたからというのが結構な数、いてた。

これも、すべてに言えるわけやないけど、シェアの大きい販売店の経営者は傲慢になる、あるいはそう見えるということがある。

経営者にそれが見えたら、そこの従業員も錯覚する。客とトラブッても、よほどでないと謝るということができんようになる。

そんなトラブる客なんか、どうでもええと考えるようにもなりやすい。そんな態度に客がええ印象を持つことはない。そこが、そうやった。

それが、分かれば付け入る隙は十分ある。

ただ、ここで、気をつけなあかんことは、そういう事例を耳にしたからというて、いかにも、そのC新聞がえげつないと吹聴して廻ったらあかんということや。

それを、勧誘のトークにするのは、愚の骨頂ということになる。人のことを非難するのは、言うてる人間には、それなりに正義のあることかも知れんが、それを聞かされる方は、好感を持ってそれに耳を傾けることは少ない。

簡単なことやが、新聞の勧誘員が来て「あんたの所の販売店は、お客にこんなことしてまっせ」と言われて「それなら、お宅の新聞を取りましょう」と言う客がどれだけいとるかということや。

良く見られるよりも、他の販売店の悪口を言いふらす程度の悪い勧誘員やと思われるのがオチやないやろか。

それよりも、嫌われるとるということをその販売店がしとるのであれば、その逆をすればええと考えることや。

客をぞんざいに扱うのなら、こちらは徹底して大事に扱う。そして、それは、必ず見ている人間もおるし、分かって貰えると信じることや。

但し、心底、その人間がそう思うてなあかん。ただの見せかけだけでそうしてたら、簡単に馬脚を露(あら)わすことになるからな。

柳田は、その後も、いろいろとアイデアを出し、実行していったが、その基本は、客とのコミニュケーションを大切にすることやったのは、言うまでもない。

柳田については、ワシも、応援のしがいがあったということやが、反面、ここで拡張するには辛いバンクになったことも確かやった。

現状が、限度やないかというくらいシェアを拡大しとるから、獲得できる客層が少ない。

ただ、どこに勧誘にいっても、柳田の評判はすこぶるええから、話は良う聞いてはくれるがな。

この柳田のやり方以外でも、各地域の販売店の方で、それぞれ趣向を凝らした取り組みをされとる所も多い。

例えば、ある販売店の店長さんから送られて来たメールにこういうのがあった。


確かに、販売店が新聞だけを売るというのは、なかなか難しい時代になってきたようにも感じます。

全国紙だろうと、地方紙だろうと、地元に密着したサービスを考えていかないとダメだと思います。

全メーカー従業員たちで、ゴミ拾いとか、地域パトロールとかしたらいいんじゃないでしょうか?(月に1回ぐらいなら、出来そうです)

街の地図を作ってみるのもいいと思います。区域の中で、病院とかのMAPつくりや、お店の割引券などをお客さんに配るのです。購読者のみに渡すのですが、それが無読層へのアプローチにもなると思います。


また、他の店長さんからはこういうのもあった。


最近、子供を狙う犯罪が日常化しているように思います。以前、メルマガ(第70回 ■くり返される悲劇!!広島小1女児殺害事件の現場では……参照)でゲンさんが、子供を守ろうと呼びかけられたことにも賛同してなのですが、私の店では、従業員総出で、こどもの下校時の見回りを実行しています。

これは、私のところが全国版で夕刊の配達がないからできることだと思います。でも、こういうことを続けているうちに地域の人たちと話すことも多くなり、自然に部数も伸びたように思います。


もちろん、この店長さんは、初めから部数増を狙ってのことやないとは思う。この店長さんのお子さんもまだ小さいということで、それを始められたということやからな。

しかし、結果としてそれが部数増として表れとるということや。これは、コミニュケーションを取ることの効果に他ならんからやと思う。

つまり、新聞の増紙、部数を増やすのは、何も直接の勧誘だけに頼ることはないということや。

特にこれからの時代は、より、人間関係を重視ということに心がけな、生き残りすら難しいのやないやろかと思う。

ワシは、拡張のアイデアをあれこれ考えることが好きやから、実行して結果が出て、ええと思うものは、このメルマガで紹介するつもりや。

また、これを読んでおられる読者の方からもええアイデアがあったら寄せて頂ければと思う。

ただ、あまり、そういうことを考え過ぎて、ワシのように頭が寂しいになっても、一切、関知せんからそのつもりで……。


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