白塚博士の有料メルマガ長編小説選集
第6話 黎明期の新聞拡張物語 神武梅乃の伝説
初回発行日 2015. 2.14
作品紹介
これは大正、昭和、平成と壮絶な人生を生き抜いた、ある女性の物語です。この物語の主人公の女性には実在のモデルが存在します。
新聞の拡張が始まって間もない黎明期の頃に活躍されていた方で、新聞拡張団がどのような経緯で組織されたのかを知る上でも歴史的価値の高い情報をお伝えできるものと思います。
愛とは何か、正義とは何か、仕事とは何かについて考えさせられる作品ではないかと思います。また大正、昭和といった時代背景にも注目してください。歴史書には記されていない真実を描くつもりですので。
私自身、彼女の生き様には深い感動を覚えました。私が、どこまで、それをお伝えすることができるかは、わかりませんが、精一杯頑張りますので、ご購読のほど、よろしくお願い致します。
第1回配信分
黎明期の新聞拡張物語 神武梅乃の伝説
序章 通り魔殺人を企てた男の末路
2008年10月13日、月曜日の午前11時頃。その日は体育の日の振り替え休日だった。
暦の上では秋だが、この年の夏の異常な暑さが残暑として今尚続いていた。
道行く人の大半が半袖Tシャツ、ワイシャツ姿である。中にはアイスクリームを食べながら歩いている若者たちもいる。
大阪の御堂筋は歩行者天国となり、その年から「御堂筋kappo」というイベントが開かれるということもあって大勢の人たちで混雑していた。
その熱気でさらに、その辺り一帯の気温が上昇しているのではないかと思えるほどの暑さだった。
御堂筋は大阪北区梅田の阪神百貨店前から中央区の難波西口交差点までの全長4,027メートルの区間で幅43.6メートル、6車線もある大阪のメインストーリートである。
御堂筋と呼ばれているのは、北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)が沿道にあることに由来すると言われているが、それを知る者は少ない。
少なくとも、御堂筋沿いに出店している屋台の物産店で買い物にいそしむ人たちにとっては、どうでも良いことである。
沿道沿いの植え込みに約千本はあると言われているイチョウ並木が、ほんのりと黄色く色づき始めていた。
この「御堂筋kappo」が終わると大阪には本格的な秋が訪れる。それなら多くの人が知っている。
「婆ちゃん、大丈夫?」と少女が、杖を支えにしている老婆に寄り添って、そう声をかけていた。
「大丈夫。それより済まないね碧(みどり)。こんな婆さんと一緒で。ボーイフレンドと一緒に来たかったやろうに」
碧と呼ばれた少女は、神武碧。17歳の高校3年生である。
「何を言うてんの。そんなもん、おらへんよ。興味ないし」
碧は幼さの残る顔立ちながら、大人びた口調でそう言った。強がっているのか本気なのかは、よくわからない。ただ、気の強さが垣間見える少女だった。
「そうかい。だったら良いけど」
「それより、婆ちゃん、何で今日なん? もうちょっと、人の少ない時に来たら良かったのに」
「せやかて、今日しか休みがないやんか。新聞休刊日やし」
「もうええ加減、団のことはお父ちゃんに任せたりぃな。いつまで仕事をするつもり? 婆ちゃん、歳いくつなん?」
「今年で88やったかいな。確か……」
「お父ちゃんは、もうじき60やで。いつまでも子供とちゃうよ」
「そういや、そうやね。でもな子供はいくつになっても子供なんやで」
「そら、そうかも知れへんけど……」
そんな他愛もない会話を交わしている時、いきなり遠くで悲鳴が聞こえてきて、大勢の人たちが我先にと、二人のいる方に向かって鉄砲水のような勢いで走って来ていた。
まるで何かに追われているように。二人の位置からは何が起きているのかわからなかった。
「婆ちゃん、危ない!」
碧は咄嗟に老婆を、逃げながら走って来た男の一人から庇った。
碧は身長160センチくらいで痩せた体型をしている。それに比べ、ぶつかりそうになった男は身長180センチ、体重80キロ程度でがっしりした体格の持ち主である。
物理的に消し飛ぶのは碧のはずだったが、ぶつかって派手に転んだのは、その男の方だった。
それと気づく者は誰もいなかったが、碧はそうなるように、ぶつかって来る寸前で男に素早く足払いをかけていたのである。
「大丈夫ですか? 一体、何があったんです?」
足をかけて転ばしておきながら大丈夫ですかもないとは思うが、碧は、しれっとしてそう訊いた。
状況を手っ取り早く知るには、こうするしかないと瞬時に判断したわけだ。また、男の方でも、そんなことに構う風もなく息咳き込んで喋り始めた。
「向こうで若い男が日本刀を振り回しているんや。かなりの人間が斬られている。あんたらも急いで逃げた方がええで。あかん、もう来よった」
その男は、そう言うと立ち上がって一目散に逃げ出した。
その男が示した方向には、返り血を浴びて血だらけになった若い男が奇声を発しながら、手にしている日本刀で逃げ惑う人たちを後ろから斬りつけているのが見えた。
その前方には、30代くらいの女性が逃げ切れないとでも思ったのか、5、6歳くらいの男の子を守るように抱きかかえて蹲っていた。母親が子供を庇っているという図だった。
若い男は、その親子を見つけると躊躇する様子もなく襲って斬りかかろうとしていた。その距離、10メートル足らずしかない。
「婆ちゃん!」
「しゃあない、あの親子を助けたりぃ。碧、これを持って行き!」
老婆は、そう言いながら持っていた杖を碧に投げ与えた。杖は樫の木でできていた。
無言で、その杖を受け取った碧は短距離走のランナー顔負けのスピードで、その通り魔に向かった。それでもまだ距離があり、とても間に合いそうもない。
「止めなさい! 通り魔の屑男!」
碧は大声でそう喚いた。残る手立ては、その通り魔の注意を引くしかない。そう考えてのことだった。
その通り魔は一瞬、戸惑った。まさか日本刀を手にしている人間に向かって来る人間などいるはずがないと思っていたからだ。
しかも、向かって来ているのは女子高校生と思われる可愛らしい女の子である。通り魔の男は、その外見に騙された。
もっとも、正気を失っているために、なぜその少女が怖がらずに自分に向かってきているのかといった至極当然な疑問すら湧かなかったということもあったのだが。
これが屈強な男だったら、あるいは用心していたかも知れないが、目の前の女の子は見た目から、所詮単なる獲物でしかないと判断してしまったのである。
「何やと、おネェちゃん、おもろいやないか。それなら、お前から先に死ねや!」
通り魔の男は、そう言うと狙いを碧に変えて斬りかかって来た。碧は尚も猛スピードで男に向かった。
両者がすれ違ったと同時に、勝負はあっけなくついた。通り魔の男は腕を押さえて、その場に崩れ落ちた。激痛が右の利き腕を襲った。
その時になって初めて通り魔の若い男は自身のミスに気がついた。外見に騙され、とんでもない人間を相手にしたと。
その年の6月、今日と同じように東京の歩行者天国で通り魔による無差別殺傷事件が発生した。7人の死者を出し、十数人が重軽傷を負ったという事件である。
若い男は、その記録を塗り替えるつもりだった。
若い男の名は、小見影(おみかげ)真(まこと)。19歳。小見影の人生は不運の連続だった。
貧乏人の家に生まれたことで大学にも行けなかったと考えていた。高校卒業後、仕方なく働こうと思ったが、仕事は契約社員しか見つからずプライドの高い小見影は、それでは納得できなかった。
アルバイトなら大学生でもやっているから、有名国立大の受験に失敗して来年受験するとでも言えば格好がつくと思い、ファースト・フードの店で働き始めた。
しかし、そこでも小見影を認める者は誰もいなかった。店長や同僚からは屑扱いされ、密かに心を寄せていた女の子には相手にもされなかった。小見影のプライドはズタズタになった。
小見影は何とか、そんな連中を見返してやりたかった。糞みたいな自分の人生に耐えられなかった。このままなら死んでしまった方がマシだと考えるようになった。
もともと暗く陰湿な性格に拍車がかかり、人と交わるのを嫌うようになっていった。唯一の楽しみは、その当時流行(はやり)出したツイッターに書き込みをすることだった。
Twitter(ツイッター)とは、英語で「さえずり」「興奮」「無駄話」、または「なじる人」「嘲(あざけ)る人」の意味を持つ。140文字以内という制限のあるミニ・ブログのようなものだった。
小見影は、そこでは法学部に通う某一流国立大学に通う秀才として振る舞っていた。言いたい放題だから何でも言えるわけだが。
現実逃避がしたかった小見影にしてみれば、人生初めてと言って良いくらいの心地よい居場所を見つけた思いだった。
そんな時、東京の歩行者天国での通り魔無差別殺傷事件を知った。
小見影は、如何にも冗談交じりといった感じでツイッターに「あんなことをすれば有名になれるのかな」と書き込んだ。
すると、ツイッター仲間から「止めとけ。あんなことは屑のやることだ。有名になりたいのならヤクザの組事務所でも襲って殺せば、世間からヒーロー扱いされるかも知れないけどな。今まで、そんなことをした者は誰もいないし」といった書き込みが返ってきた。
小見影は「なるほど」と思い、真剣にヤクザの組事務所を襲う計画を立てた。高校時代、剣道をやっていた経験もあり日本刀で斬りかかれば可能なことのように思えたからだ。
それを成功させてツイッターに書き込めば一躍ヒーローになれると。それで人殺しをしても殺す相手は社会のダニ、極悪人たちだから、困る者は誰もいない。
加えて小見影はまだ19歳だから殺人を犯しても、少年法で守られ大した罪にはならないという思いもあった。
小見影は、襲いやすそうな手頃な組事務所を探した。大阪東住吉区にある矢田近辺で、組員10名程度の手頃な組事務所を見つけた。
もちろん10人もいるような時に襲っても勝ち目はないが、一人か二人程度しかいなければ何とかなるかも知れない。
首尾良く誰かを殺せれば、それで良いが、万が一失敗したとしても、それを実行に移したというだけで世間からヒーロー扱いされるはずだ。
小見影は、そう信じた。
しかし、その計画はすぐに挫折した。
何日か、その組事務所の様子を窺っている時、後ろから呼び止められた。
「ワレ、どこのもんじゃ」
そう言われて振り向くと、そこにはスキンヘッドの大男と派手な柄シャツを着込んだ、その組の組員と思われる二人の男たちが立っていた。
小見影は、どうしょうもない恐怖に取り憑かれた。
「い、いえ、けっして怪しい者じゃありません。僕は、ただの大学生でして」
「大学生だあ? こら、ええ加減なことをぬかしとったら承知せんぞ。ワレ、ここのところ毎日のように、ワシらの組を探っとるようやないか。大学生が、そんなアホなことするかい。どこぞの組の回し者とちゃうんかい」
「ち、違います。本当に大学生です」
「それなら学生証を見せんかい!」
「そ、それは……」
大学生と言ったのは普段ツイッターに書き込んでいたから咄嗟に出た言い訳で本当の大学生ではないから、学生証など持っていない。
「ないんかい? おい、事務所に連れて行け。あんまり、ええ加減なことばかり言うようやと、生駒の山ん中に埋めるか、セメントで固めて南港に沈めるぞ」
「うわーっ!」
小見影は恐ろしさのあまり、その二人のヤクザを振り切って一目散に逃げ出した。どこをどう走ったのかは、よく覚えていないが何とか逃げ切り九死に一生を得た思いだった。
小見影は二度とヤクザの組事務所など襲わないと誓った。
人を殺して有名になることばかりを考えていたが、殺されるかも知れない立場に身を置くのは無条件に怖かった。
それで、人を襲うことを断念すれば小見影は救われたかも知れないが、その思考は「老人や女子供なら大丈夫や。それに東京の事件のように逃げ惑う連中を襲えば簡単や」という方向に向かってしまった。
東京の事件が7人の死亡、十数人の怪我人を出したということなら、それ以上のことをすれば目立つはずだと。
それには東京の歩行者天国と同等か、それ以上に人が集まる場所で事を起こせば良いと。
それが今日の「御堂筋kappo」だった。
小見影は、事を起こす前に、ツイッターに「今から御堂筋の歩行者天国で歴史に残る大事件を起こす。乞うご期待」と書き込んだ。
そうすることで気持ちを高揚させ鼓舞すると同時に後戻りできないように自身を追い込むためもあった。
小見影は、まだ数人しか斬りつけていない。そのうち何人死んだかもわからない。ここで止めては、とても東京の事件の上を行くことはできない。
しかし、絶対安全と思われた弱いはずの女の子に簡単に日本刀を叩き落とされた。
そして、同時に多少なりとも剣道をかじった経験から、目の前の少女が相当な腕の持ち主だということを知った。
再度、立ち向かっていっても勝てそうにない。
ただ、ここで止めてしまっては何の結果も残せない。タダのピエロで終わる。おそらく誰の記憶にも残らないだろう。それは耐え難い。
そう考えた小見影は落ちていた日本刀を拾い上げると、それを手にしたまま、少女とは逆の方向に走り出した。
その少女がダメでもターゲットは他にまだ大勢いる。そう考えた。
小見影が走って行った先に、一人の老婆が行く手を阻むよう格好で立ちはだかっていた。
小見影は恐怖で動けず立ち竦んでいるのだろうと思い、左手に持ち直した日本刀を大きくふりかざして老婆に斬りつけた。
老婆は50数年前に、これと良く似た状況があったことを思い出していた。
「勇次……」
老婆が短くそう呟いた。
老婆は逃げなかった。恐怖心からではない。老婆に恐怖心などはない。それは死期が近づいているということもあるが、それ以上にこうした修羅場には慣れきっていたからでもあった。
老婆の人生は戦いの人生でもあった。そういう星の下に生まれたのか、自分からそれを望んでその場に身を晒すことが多いのか、そのいずれなのかは本人自身にもわからなかった。
老婆は素手で日本刀を振り上げてくる小見影に向かった。襲われた場合、背中を見せて逃げてはいけない。正面から来る相手には、むしろ正面から対した方が助かり相手を倒す確率も数段上がる。
ただ、老婆は思ったようには動けなかった。杖なくしては歩行もままならないのだから、それも無理はないが。
それでも、どうすれば最小限度の被害で済み、勝ちを得ることができるかというのは自身の感覚と身体が知っていた。
老婆は踏み込んだことで、小見影の切り下ろす日本刀の根本に近い部分を肩で受け止めることができた。日本刀は肩に食い込んだが、そこで止まった。
それと同時に小見影の身体が宙に舞った。老婆が熟練の技を繰り出したのである。鈍い音を残して小見影の身体はコンクリートの上に落下して行った。
老婆が、よろめいて、その場に座り込んだ。
「婆ちゃん、ごめん。私がミスったから……」
駆け寄ってきた碧が申し訳なさそうに、そう言った。
碧は最初の一撃で日本刀を持った腕を粉砕するつもりだった。それができずに逃げられ祖母を危険な目に遭わせたことを悔やんだ。
「良いんだよ。碧のせいじゃないよ。でも歳は取りたくないね。すっかり耄碌(もうろく)してしまったよ」
老婆は、そう言って笑った。
そして、その老婆の瞳は遙か彼方の昔を見ていた。
第2章 生い立ち その1 いばらの道 へ続く
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