ゲンさんのちょっと聞いてんか
NO.13 これが「みんなの党」の政治手法なのでしょうか
寄稿者 Tさん 投稿日時 2010.5.14 AM 11:36
こんにちは。昔から、メルマガを拝読させていただいている読者のひとりです。
先日、A新聞の投稿欄で、「みんなの党」に関する気になる投稿が目に付きました。既成政党・政治家にうんざりしていた矢先であり、次の選挙は「みんなの党」に入れるか、と思っていただけに、その内容は気になるものでした。
そこで、「みんなの党」のHPをみると、「ご意見・質問投稿フォーム」が設置されていましたので、「質問」を選んでメールを送ってみました。以下はその全文です。
(5月11日送信した全文)
2010年5月10日付けA新聞朝刊の読者投稿欄に、K氏の『新党への期待裏切る統一会派』という投稿が掲載されていました。
内容は『4月下旬の埼玉県久喜市の市議選後、みんなの党は民主、自民両党と統一会派を組み、議会の半数を占める巨大会派を作ってしまった。これではみんなの党に投票した市民は自民、民主に投票したのと同じである。野合と言われても仕方あるまい。渡辺氏はこの事態を見過ごすのだろうか』というものです。
埼玉県在住ではないので、詳細は分かりませんが、今回の統一会派という手法は、久喜市に限ったことであり、特別なことなのでしょうか。
それとも、これがみんなの党の政治手法なのでしょうか。ニュースに登場する参院選の候補者を見ていると、まるで芸能界落ちしたタレントによる、安物のバラエティー番組を見せられているようです。
既成政党、既成政治家に失望していただけに、多くの国民がみんなの党に期待しています。それだけに、久喜市の事例は、参院選前に説明すべきことではないのでしょうか。
今や数少ない、まともな政治家のひとりが渡辺さんだと思っておりますので、ぜひ回答していただければと思っております。
なお、個人的に回答をいただきたいと言っているのではありません。日本国中の有権者に分かるように、ご説明願いたいということです。
なんせ、あなたたちは主権在民国家の代議員なのですから。
送信後、すぐに「みんなの党」から返信がありました。自動送信で返信されたものだと思いますが、件名は「みんなの党へご意見ありがとうございます」というもので、以下はその全文です。
T様
みんなの党でございます。
メールを確かにお受け取りいたしました。
ご送信頂き、ありがとうございます。
今後とも、叱咤激励賜りますようお願い申し上げます。
yyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy
みんなの党本部事務局
東京都千代田区隼町2番12号
http://www.your-party.jp
yyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy
意見ではなく、質問をしたつもりだったのですが、その後のアクションもなく、現時点において、メディアでもそういったことに触れる報道は一切見聞きしておりません。
まあ、当然と言えば当然の対応とも言えるのですが、こうなると不信感はますますつのります。
かくなるうえは、選挙をボイコットして投票率が10%ぐらいにでもならない限り、彼らは事の重大さに気付かないのでしょうか。
歴史に残る「応仁の乱」を始め、多くの飢饉による災害においても、いつも飢え死にするのは民衆であり、公家や武家が飢え死にしたという記録はありません。
「市民革命が望めない以上、第二の大政奉還やなぁ」なんて冗談が出るほどです。
どこからも問題提起がなく、あるいは問題になるほどのことではないのかも分かりません。一地方の地域事情によるもの、といわれればそれだけのことですが、22才の青年が不信感を抱き、自分としても気になる問題です。
ゲンさんはいかがお思いになられますか。やはり、私の杞憂に過ぎないのでしょうか。
まとまりのない文章になってしまいましたが、ここしばらく頭の隅から離れないため、整理することもなくメールをお送りしてしまったことを、お詫び申し上げます。
今後ともメルマガを楽しみにしております。がんばれゲンさんですね。
コメント ゲン
『ゲンさんはいかがお思いになられますか』ということなので、分かる範囲で答えさせて頂く。
『今回の統一会派という手法は、久喜市に限ったことであり、特別なことなのでしょうか』ということやが、これは地方自治体に限らず、国会でも昔から普通に行われとるものや。
今に始まった手法やない。
統一会派(かいは)とは、議会において政治上の主義、理念、政策を共有する議員が集まった団体のことをいう。
それぞれの議会(衆議院や参議院、都道府県議会、市町村議会等地方議会)の議長に会派結成届を提出している団体のことで、政党のようにその団体からの縛りが特にかかるものではないとされている。
もっとも、それぞれで、その会派の意向に沿わん場合は「除名」ということもあるようやがな。
会派の所属議員数によって発言や質問の時間配分、議案提出権などの制約があり、所属議員が少ない場合は、その発言の機会も少なく、法案の提出すら困難やという。意見も通りにくいと。
日本の議会政治においては少数の無所属議員という立場では何の仕事もできんと考える傾向が強いため、その発言権や議案提出権などを求めて、そういった会派に所属する議員が多いわけや。
K氏の『みんなの党は民主、自民両党と統一会派を組み、議会の半数を占める巨大会派を作ってしまった。これではみんなの党に投票した市民は自民、民主に投票したのと同じである』と言いたい気持ちは、ワシも一有権者としてよく分かる。
選挙前の選挙戦では、おそらく散々、その両党を攻撃していたはずやさかいな。それやのに、選挙が終われば手のひらを返したように手を組む。何と節操のないことやと。
これに関しては、政治家はそうすることが政治活動をする上で半ば常識という観念があるから特段悪いことやという認識はないはずや。実務を優先するという意味でな。
そのあたりの感覚が、ワシら一般有権者とは違うところやと思う。何で、昨日まで喧嘩していた相手と手を組めるんやてなもんやさかいな。
『渡辺氏はこの事態を見過ごすのだろうか』というのは、見過ごすどころか、党首としては推奨、あるいは、当選した議員にそうするように指示しとる場合もあると考えられる。
民主党や自民党といった巨大政党の党首というのなら、一地方都市の議会のことまでは知らんというケースもあるやろうが、「みんなの党」という少数政党で、しかも結成して間もない選挙ということもあり、それを知らんということはまず考えられんと思う。
彼らには彼ら独特の世界が未だに根強く存在しとるということなわけや。
したがって、あんたの『それとも、これがみんなの党の政治手法なのでしょうか』という疑問の答は、「みんなの党」に限らず、その世界での常識の範疇、常套手段で、それをしてない政治家の方が珍しいくらいやと思う。
渡辺氏にしても、確かにワシも気骨のある人物やとは思うが、大物自民党議員を親に持ち、その秘書をしてから40年近くも政界にいとるということもあり、その環境にどっぷりと浸かっとると考えた方が自然や。
『意見ではなく、質問をしたつもりだったのですが、その後のアクションもなく、現時点において、メディアでもそういったことに触れる報道は一切見聞きしておりません』というのは、そうすること(会派を組むこと)が当たり前やと考えとる以上は、これからもそれについての弁明、回答のようなものはないやろうと思う。
ちなみに、「質問」した結果、その回答やなく、簡単な返礼文しか届かんかったとのことやが、これについても、どこの政治家とも大差ないと思うよ。
ハカセも、今回の『第101回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■報道のあり方……検察審査会の「起訴相当」決定の是非について』での執筆に際して小沢氏の考え方を知りたいということで、同じようにある質問をしたのやが、返ってきたのは、あんたと同じような文面やった。
ご意見ありがとうございました。
今後とも小沢一郎を宜しくお願い致します。
小沢一郎事務所
と、まあ、味も素っ気もないものやったが、これは言うても仕方のない事やろうとは思う。
ワシらのようなサイトなら、多くても1日に届くメールは十数通程度やからすべてに返信もできるが、こういうところやと数百、数千にもなるというから、それらすべてに目を通して返信するというのは物理的にも不可能やさかいな。
何も無視されたということやなく、そんなものやということや。
『まあ、当然と言えば当然の対応とも言えるのですが』と言われておられるくらいやから、その程度のことは、あんたも理解されておられるやろうけどな。
『こうなると不信感はますますつのります』という気持ちも分からんではないが、あまりそういう思い入れや深入りはせん方がええと思う。冷静な判断ができんようになるさかいな。
『かくなるうえは、選挙をボイコットして投票率が10%ぐらいにでもならない限り、彼らは事の重大さに気付かないのでしょうか』というのは、そうされるのは個人の自由で止めはせんけど、まったく無駄なことやないかと思う。何の解決にもならんと。
あんたの思いを受け止めるような政治家は、ほとんどおらんという気がするさかいな。
今から5年ほど前、旧メルマガ『第48回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■共謀罪について』
選挙に行かんということは、その人間の考えがどうであれ、国の決めることには、どんなことでも従いますと言うてるのと同じなんや。無投票は反対意見とは違うからな。
せやから、決まったことには文句を言う立場にはない。文句が言いたければ、せめて選挙くらいは行くことや。
ワシは声を大にして言うほど自慢の出来ることやないが、今まで、選挙に行かんかったことはただの一度もない。これからも、それは変わらんと思う。
日本は、今、異常なくらい選挙に関心のない人間が増えとる。少なくとも、昭和の頃までは、国政選挙、取り分け衆議院議員総選挙の投票率は70%以上あった。
それが、平成になり60%前後まで落ち込んどる。それも若いほど顕著や。20代の若者の投票率は30数%しかないと言う。反対に60代になると80%前後もの投票率がある。しかも、この格差は当分、続きそうやと言う。
今更、言うまでもないが、それで選ばれた国会議員によって法律は作られとる。それも、大抵は数の論理とかで与党の法案を多数決で決めとるのが現状や。
本当の意味で、国民の支持を得た多数決で決められとるというのなら、それも、民主主義の範疇やからしゃあないが、実状はちょっと違うと思う。
政権与党の得票率は45%ほどや。
単純計算やけど「投票率60%×得票率45%=27%」という計算が成り立つ。つまり、国民の27%が選んだ与党の議員によって、法律が決められとるということになる。
27%が過半数を占め、残り73%が少数派になり、その27%の決定に従わなあかんことになる。何でそんないびつなことになるのか。簡単なことや。40%が選挙に行ってないからそうなる。
と言うてたことがある。
日本には最低投票率による選挙無効の規定がないから、例え投票率が10%になろうと、選挙は成立するし、その選挙で選ばれたものは議員になれる。
実際にも、つい最近の平成22年4月18日、2010年東広島市議会議員補欠選挙での投票率は8.82%という史上最低の得票率やったが、それで有権者数138,341人中、8,458票(有権者の6%)しか獲得できんかった人間が議員になったということや。
こんな低投票率でも選挙は成立しとる。誰も困ることはないわけや。それどころか、それで当選して喜ぶ人間がいとるのが実状やと思う。
ワシがまったくの無駄で何の解決にもならんという意味が、そこにある。
むしろ、事態はより悪化すると。
少数の支持で大多数を制するという民主主義に反することが起こることになるわけやさかいな。
もちろん、これは誰の責任でもない。選挙に行かんかった人たちの責任や。それで選ばれた人間(議員)の行う政治に文句を言わず従うのなら、それでもええが、そうでないのなら、やはり選挙に行って一票を投じることやと思う。
ワシは、支持政党を持ってないということもあるが、その時々で、どの党、どの候補者が一番ええか、よりマシかを考えて投票するようにしとる。
A党の候補者が35点、B党の候補者は33点、C党の候補者32点という具合に自分なりの採点をつけるわけや。
よほどの思い入れがない限り、冷静に判断すれば、どの候補者にも一長一短、長所も欠点もあるのが普通やと分かる。
ワシは、そう考えとるさかい、その時々において最高点やった候補者を選ぶしかないと思うとる。
もし、選んだA党の候補が期待はずれなら、次の選挙ではB党の候補者を選ぶという具合に変えたらええと。
国民の選挙への意識が高まって、投票率が高水準で推移するようになれば、必ず民意を反映した政治に変わる、変わらざるを得んと思う。
選挙を放棄した国民に真の民主主義国家を持つことなどは絶対にできんさかいな。常に一部の少数の人間によって支配され翻弄され続けるしかないのやと。
それが嫌なら、今は何の価値もないと思えても選挙に行くことやと思う。自らの一票がないと世の中は変えられんのやという意識を強く持って。
少なくともワシはそう考えて、選挙には行き続けとるわけや。そして、それはこれからも変わらんと思う。
ワシの考えということなら、そういうことや。