ゲンさんのちょっと聞いてんか

NO5. 裁判員制度に反対


寄稿者 Mさん 奈良市在住  投稿日時 2009.3.12 AM 5:43 


ゲンさん、ハカセさん、今日は。

以前、飛び込み勧誘全面禁止アンケートに意見を送った奈良市在住Mです。

意見を異にはしていましたが、もし条例を作る立場の人々がゲンさんのサイトを参考にしたとすれば、これは素晴らしい事です。私は何のお役にも立てませんがこれからも頑張って下さい。

さて2/20のメルマガ『第37回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■もしも、新聞拡張員が裁判員になったとしたら』では裁判員制度に言及なさっていますが、私も変な制度だと思います。

自由と放縦とを履き違える、と云う表現がありますが、裁判員制度を作った人々にはピタリと当て嵌まります。仕事の為、となれば暴走も許される、とでも思い込んでいるのでしょうか。

裁判員制度のおかしさは、官邸サイトにある、

★個々の被告人のためというよりは、国民一般にとって、あるいは裁判制度として重要な意義を有するが故に導入する。

と云う表現にも滲み出ています。

「個々の被告人のため」とは、裁判員制度を考えていた当時、冤罪問題で世間が騒いでいた事を反映したのだと思いますが、この具体的な目的を否定した所に「国民一般にとって、あるいは裁判制度として重要な意義」と云う包括的、抽象的な目的が来るのは悪文です。

将来の徴兵制への布石として、とか、エリートである法曹人に現場の混乱を通じて鉄槌を下すため、とかであれば具体性のバランスは崩れません。

となると大声では云えない裏の目的があって、包括的、抽象的なお題目に留まらざるを得ないのではないか、と想像したくなります。

現に、弁護士の増員(競争激化)を日弁連に飲ませるために、政府も、本来乗り気でなかった素人の動員を決意した、と云う説があります。

これでは箱物行政以下です。

裁判員制度への反対でまとまっているブログ(癖はありますが)に送ったコメントで、取り敢えず終わりにします。

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私は、裁判員制度には庶民の立場から反対です。過大な守秘義務や心の傷等、否応も無く徴用される庶民の苦労は、『[1]「裁判員制度の正体」(西野喜一)』がかなりの程度代弁してくれていますが補足したい点もありますので、私の2007年12月現在での意見をここで述べます。

A.機会損失

裁判員法では、労働者を、裁判員に選ばれた事で、クビにしてはいけないとなっています。

しかしこれが守られたとしても、仕事上の機会損失に対する補償はありません。

裁判員制度・刑事検討会『[2]裁判員制度、刑事裁判の充実・迅速化及び検察審査会制度に関する意見募集の結果について』に寄せられた意見の中には、コンサートの予定が詰まった歌手や、患者を放置出来ない田舎の医者等の例が出て来ていますが、こうした状況に配慮する対策は今の所聞こえて来ません。

機会損失の最悪のパターンが、[1]の指摘する零細自営業者の倒産です。

B.不安と悔しさ

裁判員候補になると何時赤紙が来るのか来ないのか、また裁判員になると裁判が長期化するのではないか、ずっと宙ぶらりんの、不安な状況が続きます。

不安は単なる気分に留まらず、前項の機会損失の増大に転化します。

即ち裁判員になった場合、何日で終わるか事前の保証がない以上、仕事でも私生活でもきつい計画は立てられません。

ですから裁判が意外と速く終わっても、要人とのコンタクトや旅行の様な、事前の計画に基づいて行うべき物事を思い描いていた場合、暇だから前倒しで始めるわけには行きません。

好運だった場合でも、何だか用心し過ぎて自ら好機を逃した様な悔しさが残ります。裁判員候補となり、裁判員になる虞を抱えている場合も、これほどひどくはありませんが本質的に同様です。

C.被害者やマスコミだって

裁判員法によると、怪しい団体に属する被告人・関係者によるお礼参りが予想される場合には、裁判員裁判を行わない、となっています。

しかし、被告人よりも寧ろ被害者とその関係者がずっとワルっぽい事件もあるでしょうし、また、マスコミが裁判員にしつこく付きまとう可能性も拭えません。

あるTV番組『[3]相棒「複眼の法廷」を見て・・・裁判員制度に反対の裁判官登場』では、裁判員が新聞記者と揉み合っている間に転落死しています。こうした場合の根治的な予防策はありません。

D.曖昧な辞退自由

辞退事由と打とうとしたら、辞退自由になってしまいましたが、私は自由に辞退したいので敢えてそのままとします。

裁判員法は辞退事由に「政令で定める」項目を設けています。最近、法務省が政令案『[4]案件番号 300090008 』を明らかにしており、その中身は、

・妊娠中または出産から8週以内
・別居中の親族、同居人の介護や養育をする必要
・親族、同居人らが重い病気、傷害のため入院や治療に付き添う必要
・妻や子の出産
・生活の場所が裁判所の管轄外で遠い
・自分や第三者の身体的、精神的、経済的な重大な不利益

と云う6項目です。

最後の精神的な不利益は思想、信条の自由に配慮した玉虫色の表現でしょうが、それだけに現場で選任、不選任の決定を行う裁判長の主観に左右されそうです。

E.明確でも変な基準

その一方、最初の項目で妊婦の辞退が認められたのは、快挙でした。産後の免除期間も8週とあり、主観が介入する虞はありません。

しかし、8週前後の赤ちゃんはまだまだ夜中に泣いて授乳を求めますし、首も据わっていません。お母さんも夜中に起きて赤ちゃんのお世話をしないといけませんから昼間は疲れているでしょうし、中には体調が完全に回復しない場合もあります。『[5]裁判員制度に関して

8週を超えたら養育を放棄しろ、柔肌のぬくもりなんか忘れろ、とでも云いたいのでしょうか。国を挙げて少子化対策に取り組んでいるこの時期、女性や子供に対するこんな蔑視が残っていた事は見逃せません。

F.妥当な基準でも

裁判員法には、70歳以上の人は、裁判員を辞退出来るとあります。これは前項の8週に比べ、遥かにまともです。個人的には、もう少し下げるべき、と思いますが。

但し、これくらいの年齢の人々の心身の具合は様々です。

仮に階段を登るのもひと苦労で、坂道を見るといつもたじろぐ足腰・心肺の弱い69歳が、日常生活を何とかこなしていると云う理由で裁判員に選ばれ、その一方、気力・体力の充溢した70歳がその年齢故に免除を勝ち取ったならば、69歳の怒りや失望は、裁判員制度そのものだけでなく、70歳にも多少、向かうのではないでしょうか。

生身の人間にあっては、こうした穏やかでない悪感情は不可避です。責められるべきは、庶民にこうした相互不信を惹起する裁判員制度です。

『[6]「裁判員の辞退事由」に関する意見について』では、50人規模以下の企業の役員・社員の辞退を求めています。こうした基準は広く認められるべきでしょうが、数字をまたがった明暗が付きまとう事も忘れてはなりません。

もう1つ、辞退事由の立証責任は庶民、裁判長、どちらにあるのでしょうか。

もし庶民が自身の辞退権を立証せねばならないとすると、裁判員選定の開始時刻によっては前日に役所に書類の申請をせねばならず、余分な1日を費やしてしまいます。

逆に裁判長が、辞退の非妥当性を立証せねばならないとすると、そしてその為の調査が許されるとすると、庶民はプライバシーを覗き見される事になります。どっちに転んでも不幸です。

★まとめ

私は裁判員制度に反対であり、その1つの理由はAで指摘した機会損失です。更にまだ本やインターネットでの意見としては挙がって来ない様子ですが、現実の仕事・私生活を進める上ではBの様な機会損失の問題も起こります。

法務省は政令案を出すと共に、庶民の意見も募集していました[4]。現在、集計中でしょうが、例によって多忙さや思想、信条の自由を始めとする様々な辞退事由への要望が集まると思います。

しかし、多様な辞退事由を認めるとしても、Dで述べた様に言葉で定義する限り曖昧さは残ります。

Eで述べた様に、所詮、人間のやる事ですから、客観的に判定可能な基準でも変な基準があるかもしれません。

一見妥当な基準でもFで述べた様に、運・不運の境界にいる人にとっては釈然としない気持ちが残ります。要するに個別の事情に対する配慮を重ねて行っても、常に不満は発生します。

一方、Cで指摘した様に、裁判員法は裁判員に及ぶであろう危険として怪しい団体に属する被告人とその関係者からの復讐しか想定していませんが、これは明らかに不十分です。

となれば、

・裁判員候補は自由に辞退できる
・裁判長は裁判員に及ぶより広汎な危険を想定し裁判官のみの裁判を選べる

とすべきです。ここ迄来たら、もう、裁判員制度はやめるのが簡単明快ではありせんか。

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「裁判員制度の正体」は、素人が逃れるテクニックにも触れており、楽しく読める本です。

私は今、同じ著者による「裁判員制度批判」を読んでいます。こちらは素人向きではありませんが、その中で裁判員制度を推進する立場の意見を引用している箇所(著者にとっては否定するため)は、全く違う角度から楽しめます。

例えば、裁判員制度を被告は辞退できません。戦前の陪審制度ではできた事でしたから、後退です。これに関しある委員が、もし辞退を許すとなると、憲法上の裁判を受ける権利を放棄する事になるから、辞退権はいらない様な発言をしています。

これは、裁判には裁判官だけの裁判も素人が参加する裁判もあり得ると云う暗黙の前提の中で、さてどうあるべきか、と考えている中で、こっそり、後者だけをまともな裁判として位置付ける、視点のすり替えです。

また、日本の裁判員制度の原点は独仏の参審制度ですが、後者では推薦により名士が選ばれると云う慎重さがあります。抽選ではありません。

この点を知ってか知らずか素通りして、裁判員制度は参審制度の1つとして許されるとしている意見を吐く学者もいます。

この学者は憲法制定当時の政治家・官僚の、素人の動員に対する消極的賛成の様な発言を、積極的賛成として扱っています。

著者がこうした強引な屁理屈に反論しているのは当然です。

しかし私にはどうも、出世に有利な性格の人とまじめでうだつの上がらぬ人が論争している様に見え、滑稽です。

取り留めのない話題でしたが、これで終わりとします。


参考ページ

[1]「裁判員制度の正体」(西野喜一)

[2]裁判員制度、刑事裁判の充実・迅速化及び検察審査会制度に関する意見募集の結果について

[3]相棒「複眼の法廷」を見て・・・裁判員制度に反対の裁判官登場

[4]法務省政令案 案件番号 300090008

[5]裁判員制度に関して

[6]「裁判員の辞退事由」に関する意見について


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