ゲンさんのちょっと聞いてんか

NO.7 どんな状況でも、諦めないで努力したら、必ず道は開けると思います


寄稿者 LOVE2000 さん 40歳代後半 男性 北海道在住 投稿日時 2009.6.29 PM 9:00


ゲンさん。ハカセさん。はじめまして、

わたしは最近(6月の初め)にこのサイトを見つけ、ほとんど毎日訪問させてもらってる者です。

なぜこのサイトを見つけたか?

それは、わたしの友人が関東で拡張員をやっていて、どうやらお金に困っているようで、お金を貸して欲しいと連絡が有ったのがきっかけです。

一昨年辺りは、かなり稼いでいたようでが、昨年A新聞からY新聞へ移ってから稼げないようです。何故移ったのかの詳細はわかりません。

本人曰く、『もう、この業界はダメだ』と言っていました。確か、もう5年以上拡張の仕事をしていると思います。

この業界、どうなってるのかな? と思いネットで調べて見ようと思いこのサイトを見つけたのです。

早速、友人に教えようと電話したら、知ってるとの事でした。ただ、インターネットに接続できる環境にないようです。でも、なんとかこのHPを見てもらいたいと思っています。

何かのきっかけになってくれればと思ってます。そのうち、相談のメールが行くかもしれません。

わたしも高校生の頃は、配達のバイトをしてました。新聞業界関係者です。

卒業後、就職してましたが、色々家庭の事情と自分の我侭から1人暮らしをしていました。
どうしても余裕が無く、卒業後もしばらく朝刊配達のバイトをしていました。

北海道はご存知の通り、H新聞が圧倒的で、わたしもH新聞店でのバイトです。そこの専業の人とかなり仲良くなり、休みの日などは遊びに行ったりもしました。

自分の給料とその人の給料は2倍以上の開きがありました。もちろんわたしの方が安いのです。もっともその人は、結婚しててわたしより10歳位年上でしたが。

それだけ貰えるのなら、わたしも専業やりたいと思い、別の店で専業として話が決まったものの、本業の職場から横槍が入り、ダメになったのでした。

その後、仲の良かったH新聞店の紹介で、A新聞店の専業として勤めだしたのですが、
何故、H新聞店の専業がA新聞店を紹介するのか?

その人は、その後間もなく、関東のA新聞の店主となっていますので、繋がりが有ったのだと思います。

勤めてみると、仕事自体は想像していた通りなのですが、給料が安い。H新聞とA新聞でこんなに差があるものなのかと愕然としました。

もっともその人は、A新聞の店主になった位の人ですから、H新聞でもそれなりに給料は良かったのだと思います。

わたしはが勤めたところの店主は、酒が好きで、毎晩のように訳の分からない事を言って絡んできます。酔うのは構いませんが、絡まれるのは御免です。半年位で、我慢できず辞めてしまいました。

それからは、職を転々として、ろくな生活はしていませんでした。そんな中でも20代半ばで結婚して、これからはきちんと頑張らなければと思っていたところ、上場企業の電子部品工場に転職し、約20年勤めました。

家族のことを思えば少々の事は我慢できるものです。子供も生まれ、家も建て(もちろんローンですが)、思えばこの頃がわたしにとって1番幸せな時代だったのかも知れません。

ゲンさんも同じようなことを言ってましたね。その頃、その平凡なことが1番幸せなんだと気づくことができたなら、また違った人生になっていたとは思うのですが。

勤めていた会社への不満も溜まり、思い切って退職し、あるフランチャイズのオーナーになりました。

ところが、思っていた通りにはうまくいかず、半年もたたないうちに廃業するしかありませんでした。3年前のことです。

もともとの家のローンとか、開業資金やらなんやらで、借金は5,000万円位になりました。

それでも、店が順調に行き、贅沢しなければ返済していけると思っていたのですが。

融資した銀行にしても、その事業計画からして大丈夫だと判断し、融資したのだと思うのですが、ダメでした。

従業員の給料と経費を払ったら、生活費は0円です。0どころかマイナスです。どうにもなりません。

もっとも、店の売り上げは順調だったのですが、これには色々そのフランチャイズのからくりがあります。弁護士に依頼し、破産宣告しました。

妻とも離婚しました。その時は、既に40半ばです。そう簡単に勤め先が見つかる訳がありません

その頃の精神状態は、普通じゃなかったと思います。そんな陰があれば尚更、面接に行ったところで落とされると思います。

自分の生活もそうですが、分かれた家族の生活も。子供は高校生と中学生。お金のかかる時期です。なんとしても、稼がなければなりません。

たま、たま、友人に派遣会社の所長がいて、とりあえずそうそててもしょうがないから、愛知に行って来いと進められ、派遣社員として名古屋近郊の工場へ勤めました。

半年位勤めたころ、精神状態もいくらか普通になり、この先どうしようかと考えていた頃、
左腕が全く動かなくなり、この派遣も辞めるしかない。

お先真っ暗でしたが、不自由な左腕を使わなくてもなんとかなる部署へ配置転換してくれ
その後も3ヶ月は勤めれることになりましたが、その先はありません。

その3ヶ月後、北海道に戻り、ハローワークに毎日通いました。

応募するところ、全て落ちまくりです。雇用保険も切れ、このままお金が無くなれば、その辺で野垂れ死にするんだろうなと思ってました。それなら、それで仕方ない。

ただ、最後の最後まで希望を捨てないで頑張ってみよう。それでダメなら、野垂れ死にしても仕方がない。

雇用保険も残り1週間のところで、なんとか就職が決まりました。ある公共的な立場の組織です。面接時に事業の失敗の事も、正直に話してます。ほんとに、運が良かったのだと思います。

ただ、最後の最後まで諦めないで、就活しようと決意し、実行したのからこそだと思うのです。

なんだか長文になってしまい、HPの感想ではなく、わたしの自己紹介みたいになってしまいました。申し訳ありません。

ただ、この事を通して思うのは、ゲンさんも仰ってる通り、最悪と思える状況も、良い状況も永遠に続くものではないと言うことです。

どんな状況でも、諦めないで努力したら、必ず道は開けると思います。

そして、平凡に生きられることが、一番の幸せなのではないかと言うことです。

どうか、家族のいる方は、家族を大事にして下さい。なんだかんだ言っても、夫婦で力を合わせれば、どんな困難でも乗り越えられると思います。

ちなみにわたしの、子供たちは、それぞれ大学と高校に進学しました。母子家庭は、奨学金の面でも優遇されます。そういう面では、こうなって良かったのかな? と思います。

ほんとに長々、申し訳ありません。これからも、このHPは応援します。頑張ってください。


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