メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第10回 ゲンさんの新聞業界裏話     

発行日  2008.8. 8.15


■新聞の近未来予想


ここのところ、サイトに「もうお手上げです」と言うて来られる拡張員の方や新聞販売店関係者の方が急激に増えた。

それまでも「厳しいです」という声はあったが、今ほど切羽詰まった悲痛な叫びはなかった。

今は「辞めたいです」「廃業するしかありません」というのが多い。

これは、おそらく、新聞業界始まって以来の危機的状況やないかと思う。

何でそんなことになったのか。

2年ほど前の2006年7月7日、旧メルマガ『第100回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞の未来』(注1.巻末参考ページ参照)において、今回と同じように新聞の未来というテーマで話したことがある。

その際、インターネットの影響による無読者の増加や少子化による人口減、紙の使用過多による環境問題などで、いずれは紙としての媒体の新聞は終焉を迎える日が来るやろうとは言うてた。

しかし、そのときのワシの予測には『但し、それは、かなり先の話や。早くても20年後くらいやないかな』と多少、楽観気味なところがあった。

もちろん、それなりのデータ、根拠があって言うてたことやけどな。

その最大の根拠は、新聞が再販制度に守られとるということにあった。

この再販制度について、簡単に話す。

ここで言う再販制度の「再販」とは「再販売価格維持」の略語を意味する。

「再販売価格」とは、商品の卸し元やメーカーが、小売店などに対して顧客に売る際、決めた価格のことをいう。

商品を仕入れた小売店側からみて、それを再度売る際の価格という意味で、「再販売価格」と言うわけや。

しかし、こういったメーカーが小売店などに、消費者への販売価格を設定、拘束するという行為は独占禁止法で禁止されている。

但し、例外として、書籍、新聞、雑誌、音楽CD、レコード、音楽テープの6品目だけは販売価格の設定が認められている。

これを「再販売価格維持制度」という。通称、「再販制度」と呼ばれとるものがそうや。

新聞の場合は、これに「特殊指定」というのが加わる。

「特殊指定」というのは、公正取引委員会が特定の事業分野における不公正な取引方法を具体的に指定して規制する制度のことや。

新聞特殊指定では、新聞社や販売所が地域や相手によって定価を変えたり値引きしたりすることが禁じられている。

新聞は過剰な競争がふさわしくない商品やサービスという位置づけで、独占禁止法に基づき公正取引委員会が告示したもので、その特殊指定の一つに新聞は1955年に指定された。

もっとも、当の公正取引委員会は、この新聞特殊指定外しにつながる見直しを過去に何度か行っているがな。(注2.巻末参考ページ参照)

その都度、新聞業界は強固に反対し、結局、この問題は現在も先送りされたままになっとる。

再販制度は、販売店が定価販売を守らんかった場合、新聞社がその販売店との業務委託契約の解除が可能になっとるというだけで、値引き販売自体を禁じたもんやない。

特殊指定は、その販売店の直接の値引きを禁止しとるから、実質的に再販制度をより強固なものにしたことになる。

裏を返せば、この特殊指定が外されると、再販制度そのものが危うくなる。

少なくとも、そう新聞各社は懸念しとるわけやな。

新聞が再販制度の対象とされているのは、現在、世界では日本とオーストリアのみとなっている。

その導入の手本としたドイツですら、現在は時限再販に移行していて、いずれは廃止される方向にあるという。

ちなみに、オーストリアは、同じドイツ語圏の国ということで、その影響が強いと思われるので、ドイツが廃止となれば追随するのやないかと考えられる。

そうなると、日本の新聞だけが世界で唯一、再販制度に守られるということになる。

この再販制度があるが故に、各新聞社毎に同一地域での販売店は一店だけとする、世界にもまれにみる完全テリトリー制の宅配制度を敷くことができたわけや。

購読者が選べるのは、その地域で販売している新聞の銘柄だけで、購入先の販売店を選ぶことはできん仕組みになっとる。

その販売店とトラブれば、選択肢は我慢して購読を続けるか、止めるしかなくなる。

今後も、新聞業界はその再販制度を堅持したい意向やが、それが可能かどうかは難しい情勢にあると思う。

残念やが、新聞業界は徐々に斜陽産業となりつつある。

理由は先に挙げた、インターネットの影響による無読者の増加や人口減などによる部数の減少が深刻やという他に、新聞社自身が代わり映えせん姿勢を続けとるというのが大きいと思う。

後でも触れるが、当メルマガの『第8回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■MDN醜聞の波紋』(注3.巻末参考ページ参照)で取り上げたM紙の失態もネット上では未だに鎮火する気配がなく、その影響が業界全体に重くのしかかっている。

これは、ひとえにM紙の対応の拙さにあったと考える。

さらには未だになくならん無法な勧誘や客とトラブル販売店の存在で、評判が悪いというのもその一因と言える。

企業の新聞紙面からの広告離れというのもある。それに伴って、折り込みチラシの減少というのも大きい。

購読者が新聞を購読する理由の一つに折り込みチラシがほしいからというのがあるが、それが激減すれば、それを欲している人は自然に新聞から離れることになるさかいな。

つまり、新聞の部数はいろんな要素が絡み合い減りつつあるわけや。

今のところ、それに歯止めをかける有効な手段が見当たらん。

新聞業界が斜陽になるということは、単に経済的な窮地に陥りその規模が縮小するだけやなく、今まで持っていた力が弱まることを意味する。

力がなくなり発言力も弱まれば、いくら反対を唱えようと、世界的に見ても再販制度というのは廃止に向うとるわけやから、自然に撤廃されていくのは間違いのないところということになる。

そして、その再販制度がなくなれば、新聞業界は崩壊すると、新聞社自身が考えとる限りは、実際にもそうなっていくやろうと思う。

このままやと、現実問題として再販制度の撤廃は近い将来、免れそうになく、2年前にワシが言うてた後20年など、とてもやないが持ちそうにないわな。

それでも、すぐには新聞が消滅してしまうということまでは考えられんが、その部数や新聞社、販売店、拡張団などが激減することは十分あり得る話や。

ワシが事ある毎に口を酸っぱくして言うてることやが、新聞業界にとって今がぎりぎりの状況にあるということを認識するべきやと思う。

今なら、まだ手を打てば何とかなる。

しかし、それには新聞社の考え方や姿勢を根本から変える必要がある。

その第一はネットへの認識であり対応や。

はっきり言うて、ワシのみる限り各新聞社はネットに対して過小評価しすぎてたと思う。

それが、M紙の英文サイト「Mデイリーニューズ(MDN)」上にあるコラム記事での失態事件でより顕著になった。

この事件を追及するとき、必ず管理責任という面が強調されやすいが、そもそも新聞社には以前からネットを軽視するという風潮が根強かったため、そのネット上を管理するという発想自体、上層部には乏しかったのやないかと思う。

しかし、それは完全に見誤っていたことになる。

今回この問題が騒がれ始めたのはネットユーザーが、その記事の存在を知って指摘したからや。

そのM紙にも当然、その抗議が届いていたのやが、ネット軽視のためかそれを当初、黙殺、無視してしもうた。

相手をせず、ほっとけとなったわけやな。

それに怒った多くのネットユーザーが、M紙に広告を出しているスポンサー企業や提携先、関連団体などに対して、広範囲な「電凸(電突)」と呼ばれる電話攻勢をかけたという。

その数200社以上に上る。

結果、その広告掲載拒否の流れはWEBから本紙紙面へと拡大し、日本有数の大企業も含めた相当数のスポンサーが、M紙面への広告をも停止する措置をとったという。

実際に、一時的にではあったが、それでM紙のWEBサイト上から、それらの広告がすべて消えるという異常事態にまで発展したさかいな。

それに慌てたM紙が、急遽、自社のWEBサイト上や新聞紙面誌上で、そのM紙の英文サイト「Mデイリーニューズ(MDN)」上にあるコラム記事での失態を謝罪したというのが事の真相のようや。

当メルマガ『第8回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■MDN醜聞の波紋』で、その事件に触れたことは、予想以上の反響を呼び、それを見られた読者から、さまざまな意見、情報が寄せられた。

大半は「ひどい」「けしからん」という論調のものばかりやったが、中には、そのデータや証拠と一緒に寄せられた貴重な意見もある。

それらを紹介する。


M新聞のことを取り上げたメールマガジンからサイトを知りました。新聞の拡張員さんたちのことを面白く知ることができました。
 
さて、まだまだ話題のMDNのコラムWAIWAIですが、残念ながら紙の記事でしっかりした体制でチェックもしていたころから、変態記事を垂れ流していたそうです。
 
M新聞社の確かな真実を伝えようという本気は伺えます。
 
でも7月20日の検証記事と明らかに矛盾していますね。紙面は大丈夫だということにしたかったのでしょうか?


7月20日のM紙の『自称』検証結果にあった事は大嘘だったという事です。
 
×日本人スタッフが関与していない
○日本人スタッフが3人いた英字新聞時代から日本侮辱記事を垂れ流し

×少数の外人スタッフの暴走
○外人15人、日本人3人という大所帯の英字新聞紙媒体の時代から日本侮辱
記事を垂れ流し

×英語だからチェックできなかった
○大きな日本語の説明がついています
 
1995年の記事も確認されているようですね。waiwai以前から13年以上も垂れ流していた訳です。
 
この件で真に腹を立てているのは財布を握っている主婦。そしてM紙の捏造報道で叩かれていた医師。
 
それらの人の中でこうやって有志が実際に活動をしている訳です。
 
M新聞側はネットを甘く見ている事に変わりは有りませんけどね。
 
有志によるM新聞訴訟もされました。公判は9月です。


この方が、裁判が9月にあると言われとるので、寄せられた証拠データの開示は、その差し障りがあると拙いので、ここで公表するのは控えさせて頂く。

もっとも、その裁判の進行状況も入ってくると思うので、いずれこのメルマガ誌上でも触れることになるとは思うがな。

ただ、ワシらの印象としては、かなり信憑性の高い情報やというのが良く分かった。

このように、M紙のWEBサイト上のコラム記事の内容は許されるべきものやないし、ネットユーザーからの突き上げが厳しいのも事実や。

しかし、スポンサー企業が広告掲載停止の判断を下した背景には、それ以外のもっと別の理由もあったのやないかと思われる。

それには、ここ数年多くのスポンサー企業が新聞に広告を掲載すること自体に懐疑的になっていたということがあったからや。

現在、地方紙を含むすべての一般紙からスポンサー企業の撤退、もしくは減少傾向にかなり拍車がかかっとると聞く。

ちょっと前までなら、新聞社は部数さえ増やせば、それほど大した営業をせずとも広告スポンサーは集まった。

新聞社の部数至上主義の背景にはそれがあったわけやさかいな。

部数さえ増やせば、紙面の広告も増え、広告掲載料も高額に設定でき潤うという構図があった。

そのための要員として、ワシら拡張員も存在しとるわけや。

今は、その構図が怪しくなってきた。

現在、新聞社の頭痛のタネは、間違いなく広告スポンサー企業の減少やという。

新聞各社の上層部がそう嘆いているという話も良く伝わってくるさかいな。

当たり前やが、スポンサー企業はその広告効果が見込めんかったら、その媒体からは撤退する。

その一つの要因として「押し紙」の存在がある。

今や、新聞に「押し紙」があるのは周知の事実と言うてもええ。

まあ、法律的にはその表現が正しいかどうかというのはあるが、少なくとも新聞各社が相当数の水増しを含めた新聞部数を公表しとるのは確かやと言える。

結束したままの未開封の新聞が毎日大量に古紙問屋に持ち込まれて堆(うずたか)く積み上げられ、またプレスにかけられとるという事実でもそれが分かる。

新聞社はネットを無視しとるのかも知れんが、スポンサー企業は反対にネット上の動向にはかなり敏感になって注目しとるわけや。

そこには「押し紙」についての記述や記事は腐るほどある。その中には信憑性のかなり高いサイトもある。(注4.巻末参考ページ参照)

ここ数年、「押し紙」裁判と呼ばれとるものが増えたのも、その認知を広げる意味でも大きな役割を果たした。

それらを見て、新聞の発行部数に疑いを挟めば、企業として広告を掲載するのを躊躇してもおかしくはないわな。

それでなくても、世の中は物価高で景気が後退気味やさかい、昔のように企業も簡単に広告や宣伝に金をかけられんという事情もある。

それらの思惑も加わって、その失態を口実に広告を止めようとしたのやないかとみる。

もし、そうやとすると、この問題は根が深いことになる。

加えて、本来ならこの事件は食品業界の偽装事件などよりはるかに大きな事件やと思うのやが、他紙はそれほど記事にもしてないし、追求しようという姿勢すら見当たらん。

一部のテレビ番組で報道はあったようやが、それも大事件という風には伝わっとらんさかいな。

聞けば、他紙の関係者も次は我が身かも知れんと、そればかりに戦々兢々としとると聞く。

情けない。

はっきり言うて、このままやと新聞各社はお互いの事件に対して隠蔽体質があると言われても反論のしようがないで。ほんま。

同じようなことを他業種がやっていたら必ず暴いて完膚無きまでに叩いていたわけやからな。

この出来事がそれを証明したように、もうすでに新聞の段階で隠せるだけ隠せは通用せんような世の中になっとるのは明白なわけや。

これもワシがいつも言うてることやけど、隠し事からは何も生まれんということのええ証明やと思う。

生まれんどころか、隠し事はすればするほど深みに嵌ってしまう。

不正は白日のもとに晒す方べきや。特に自らの不正に対してはより厳しくな。

ネット上での新聞に対する批判の大半が、それに由来したものなわけやさかいな。

裏を返せば、真摯な姿勢でそうすることにより批判する方も批判の対象を失うと思うのやがな。

確かに、そうすれば一時的には信用を落とす事態になるやろ。新聞の売れ行きもさらに落ちるかも知れん。

しかし、それとは反対に、本当の意味でのジャーナリズムも示せるのやないかと思う。

その姿勢に共感する人も少なからずいとると信じる。

それが、結果的に新聞業界のためにもなると考えるのやけどな。

その点で言えば、今回のM紙のWEBサイト上や新聞紙面での謝罪には、問題はあるにしても、過去になかったほどの取り組みをしていたから、それなりの評価はしたいが、それで、他紙が報道を遠慮しとるというのは頂けん。

不正は不正として、やったらあかん事はやったらあかん事として報道するのがジャーナリズムというやつと違うのやろか。

それに、アンタッチャブルな部分は絶対に作ったらあかんかったのやが、残念ながら新聞は、今まで身内の業界に対してそれを数多く作ってきた。

そのツケが、今の時代に一気に吹き出したということやと思う。

早晩、そのことに気づいて軌道修正せんことには、新聞は本当に立ち直れんところに追い込まれてしまうと断言する。

現状から導き出した、新聞の近未来予想を今から話す。

日本では新聞各社の発表する発行部数が、そのまま実購読部数にはならんということがある。

それには、先に言うた押し紙の問題があるからや。

発行元の新聞社と、その販売を請け負う販売店との間には、絶対的な力の差が
ある。

多くの新聞販売店は新聞社にその経営の生殺与奪を握られとるわけや。

日本の新聞は、外国のように委託販売が主体やないから、その新聞が売れる売れへんに関係なく、新聞販売店には新聞社から割り当てられた部数が届く。

文字通り押しつけ紙(新聞)ということになる。それが、新聞社の言う発行部数や。

せやから、日本では、現状の再販制度のままやと新聞の極端な発行減は起こり得ないという構図になっとるわけや。

売れへん部数は販売店が自腹で買い取るしかない仕組みになっとるのやさかいな。

2008年、つまり今年やが、それらに耐えかねた新聞販売店、あるいは廃業を余儀なくされた経営者の方々が、その押し紙に関連した裁判を提起、あるいは準備中やという。

実際にそういう報告が届いとる。

もっとも、その手の情報は知っていても差し障りが大きすぎるので迂闊には話せんけどな。時期を見ておいおい話すつもりにはしとるが。

その彼らが裁判を起こそうと思い立った要因の一つに、昨年の2007年6月19日に、福岡高裁がY新聞販売店契約更新の損賠訴訟において店主側の勝訴の判決を下したというのが大きいと思う。(注5.巻末参考ページ参照)

これは、俗に言われる押し紙裁判やないが、それに起因した新聞社からの業務契約委託契約の一方的解除の是非を巡って争われたものや。

つまり、新聞社の意向に沿わん販売店の強制廃業に待ったをかけた裁判ということになる。

ただ、結果として、その押し紙についてかなり踏み込んだ内容が審理されることになった。

このとき、新聞社サイドは過剰部数について「店主に極めて悪質な部数の虚偽報告があった」と主張した。

新聞社サイドでは表向き、押し紙というのは存在せんことになっとる。

あくまでも、新聞部数の発注は販売店側からということやからや。新聞社は、その要望に応じとるだけやというのがその言い分なわけや。

主張は、その線に沿ったものやった。

事実、ほとんどの過去の押し紙裁判ではその主張に沿った判決が下され、ことごとく販売店側が敗訴してたわけや。

しかし、この福岡高裁の裁判長は、その主張はある程度認めたものの、「虚偽報告の背景にはひたすら増紙を求め、減紙を極端に嫌う同社の方針がある」と指摘した。

つまり、暗黙のうちに増紙(過剰部数申告)をさせるように新聞社が圧力をかけていると断じたことになる。

これが、実質的な「押し紙」や。

この判決の意味は大きい。

ちなみに、被告のY新聞社は控訴を断念し、その判決が確定された。

これにより、本当の意味で、法的にも新聞社は販売店の申告どおりの新聞しか納入できんことになったわけや。

ただ、新聞社にもいろいろあり、そんな判決を無視するかのように実質的な「押し紙」を続けている所もあると聞く。

それに耐えかねた方々が反旗を翻したことになる。

当然やが、その裁判で販売店側に有利な裁定が下されれば、さらにその後に続く販売店が増えるのは必定やと思う。

そして、それは現在の置かれた社会情勢と実際にサイトに報告されているそれぞれの事案の証拠を見る限り、販売店側の勝訴という可能性が非常に高いと思われる。

当初から、2006年6月に「新聞特殊指定」外しの先送りを決めた公正取引委員会は、2010年を目処に、再度、その見直しをする予定にしとったようやが、その裁判の結果次第では、その時期が早まることも十分考えられる。

再度、2年前と同じ問題が持ち上がったとき、前回、あったと言われる新聞各社の有力者による政治家への根回しや働きかけが、次回も功を奏するかというのは、はなはだ疑問やと思う。

日本で新聞をもっとも良く読むのは政財界の人間やというのは間違いない。それも上層部になるほどより顕著やと言える。

テレビなどで、ある高名な政治家の自宅でインタビューをしている場面で、その政治家が何気なく新聞受けから、おそらくはその地域の新聞全紙と思われる多くの新聞を取り出すシーンを見かけることがある。

彼らは、必ずそれらに毎日、目を通す。そこに何が書かれているかが、彼らにとっては重大事やさかいな。

そして、彼ら自身、その新聞を毎日読んでいるが故に、国民のすべてもそれを見ているはずやと思い込んでいた。

それが、必ずしもそうやないと知ったら、どういう反応を示すやろうか。

しかも、その新聞の部数が激減し続けていて、何の先の展望もない斜陽産業やとなればどうなるか。

M紙の事件に代表されるように、ネットの力にも侮れんものがあると知れば、新聞優位の考えが変わる者も出ると思われる。

ネットの意見に迎合する方が得やとな。

力の弱まった媒体に力を貸す必要がないと考える政治家も現れるはずや。

むしろ、一部の政治家の中には、いらんことを書く新聞がなくなればええと考え、そうなるのを、ほくそ笑む者がおるのやないかという気さえする。

結果、今まで新聞業界を支えていた政治的な力も弱まると考えられる。

当然の帰結として、「新聞特殊指定」の見直しが行われ、「再販売価格維持制度」が形骸化されることになる。

新聞社の恐れていた事態になるわけや。

さらに「再販売価格維持制度」の完全撤廃で、諸外国並の新聞購読部数の激減が始まるということになる。

ワシの予想やと、最終的には現在の3割減にまで落ち込むのやないかと思う。

正直、それが現在の新聞の実力やないやろうかという気がする。

その後は、斜陽産業の常で徐々に縮小していくことになる。

それが、このままやったらという仮定の上での5年後くらいまでの近未来予想であり、最悪のシナリオや。

ただ、いくらなんでもそこまで新聞各社が愚かやとは信じたくはない。

件(くだん)のM紙にしたところで、今回の事件では内部で相当激しい論争が巻き起こっているということや。

特に若手記者からの上層部への突き上げが激しいと聞く。かなり深刻な対立構造やとも伝わってくる。

良心のかけらと言うと語弊があるかも知れんが、批判分子がある間は救われる可能性がある。

これを、現状で良しとする勢力が制するようやと、ワシの危惧する結果になりかねんがな。

その場合は、今回のことを何とかうやむやのうちに終わらせようとするはずや。

一応は謝ったやないかということでな。

しかし、それでは救われん。

新聞社が、ネットを軽視する理由として有名掲示板サイトへの書き込みは低俗なものという思い込み、決めつけがある。

そこで論じられていることなど取るに足らんものばかりやと。

確かに、低俗な意見を並べとるなと思えるものもあるが、そんなものばかりがあるわけやない。

中には筋の通った意見もある。

特に、今回のM紙の事件に怒っているのは、ごく普通のまともな考え方の持ち主ばかりやと思う。

それらを、自分たちの思い込みだけで、取るに足らん意見やとみてしまうから、ほっとけとなり、事はややこしくなって収拾がつかんようになるわけや。

このままでは、とてもやないが、沈静化というのには、ほど遠い状態や。

当分、この騒ぎは続くやろうな。

M紙を含むすべての新聞社が、改めてネットユーザーという存在を正しく認識し把握せなあかんと考える。

ワシらは、そのネットユーザーと常に接しているから、それらの人たちが一般的な考え方をされておられるというのは良く分かる。

ごくまれに、低俗な掲示板サイトにありがちな「三流張員がなに講釈垂れてんだよ。アホか」というメールが送られてくることもあるが、そういうのは1000通のうち一通もあれば多い方や。

大多数は、礼儀をわきまえた普通の人たちばかりや。

それが、一般のネットユーザーやと思う。

今回の事件は、そのネットユーザーである普通の人たちを怒らせた結果なわけや。

しかも、いつもはサイレントマジョリティー(物言わぬ多数派)やった人たちをな。

それを理解しとれば、もっと、違った対処があったと思うのやけどな。

その空気を読む努力をせんと、早晩、新聞業界は、ワシの予想したとおりの道を歩むことになるはずや。

ここが、ぎりぎりの踏ん張りどころやという意味を頼むさかい理解してほしいと思う。



参考ページ

注1.第100回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞の未来
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-100.html

注2.第85回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞特殊指定について
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-85.html

注3.第8回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■MDN醜聞の波紋
http://merumaga.yahoo.co.jp/Backnumber/17487/229445/p/1

注4.新聞販売黒書
http://www.geocities.jp/shinbunhanbai/


メルマガの感想と意見が寄せられたので紹介する。


追記 他の商売を叩くなら我が業界を改善すべきです

投稿者 Sさん A新聞拡張員 投稿日時 2008.8.15 AM 9:51


ハカセさん こんにちは。

私が新聞の販売を始めて半年が経過しました。

いつもメルマガを拝見しています。

さて、今回のメルマガにあります「押し紙」ですが、かなり私も現実を見ています。

S紙の販売店と親しくなって、残紙をもらっていました。

わがやのワンコのトイレ用でした。そこ(販売店)にはあきれるほど多くの残紙がありました。

そこで疑問に思うのは、チラシの広告主が何を基準に広告代金を支払っているか、ということです。

もし新聞社の公表している(有効購買数でない)数字でチラシ代金を広告主が支払っているなら、それは虚偽販売行為です。

ゲンさんの書かれている通り、他の商売の虚偽(例えば食品の賞味期限改竄)などにはヒステリックなほど攻撃するのに我が世界(新聞業界)では黙秘し続けることが許されるはずはありません。

もしチラシ代金を織り込みしないのに受け取っていたら虚偽以外何者でもありません。

そこで新聞社は販売店の責任と逃げるでしょうが、管理責任と「押し紙」が原因とは決して認めないでしょう。

新聞業界の暗部かも知れませんが、他の商売を叩くなら我が業界を改善すべきです。

それと、ネットに無料(もしくは安価)でニュースを配信続けるのは、ますます我が首をしめていることに気付くべきと考えます。


コメント ゲン


『もし新聞社の公表している(有効購買数でない)数字でチラシ代金を広告主が支払っているなら、それは虚偽販売行為です』ということやが、販売店の公売部数はABC部数ということになっとる。

経済産業省認可の日本社団法人ABC協会(新聞雑誌部数公査機構 Japan Audit Bereau of Circulations)が調べた数字ということや。

というても、実際は新聞社からの納入部数のみの調査ということのようやから、押し紙込みということに変わりはないと思うがな。

ただ、メルマガ内でも言うたが、表向き、新聞を発注するのは販売店からということになっとるから、その余剰部数の責任はあくまでも、その販売店にあるということになる。

実際に入ることのないチラシ部数を業者に納入させてその代金を受け取るのは、厳密に言えば詐欺ということになるが、それが、新聞社の強要した押し紙やという証拠がない限り、すべて販売店のしたこととされる。

この方の言われるとおり『そこで新聞社は販売店の責任と逃げるでしょう』ということになる。

それが、多くの広告主に分かってきとるからこそ、折り込みチラシの依頼も極端に減ってきとるわけや。

そういうのも、新聞社の姿勢次第で変わるはずやと思う。

この方のように、それを憂う拡張員の方も数多くおられるのやさかい、その声を聞き届けてほしいもんやと切に願うばかりや。


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