メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第111回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2010.7.23


■ゲンさんの知っておきたい故事古典格言集 サイト編 Part 1


このメルマガやサイトでは時折、故事や古典の格言、ことわざを紹介、引用している。

別に教養をひけらかそうという意図でそうしとるわけやない。

昔から語り継がれている格言、ことわざには生きる上での必要な含蓄と処世術が凝縮している。

知っていて得することはあっても損になることはない。

そう信じとる。

【前事忘れざるは、後事の師なり】

というのが、中国古典の『戦国策・趙策』にある。

「以前に起こったことを覚えておけば、後に起こることへの参考になる」という教えや。

太古の昔からそういった格言、ことわざが数多く言い伝えられてきた。

理由は一つ。後世の人間、子孫に役立てるためや。それ以外にはないと思う。

ワシ自身、それで助かった、役に立ったということも多く、その時折で、それを読者に伝えたかったということがあった。

拡張員風情が何を知った風なことを言うてんねんと言われれば、それまでやが、このメルマガやサイトが面白いということで読んで頂いている人には、本来は小難(こむずか)しいと敬遠されがちなものでも案外、すんなりと受け入れたのやないかと思うとる。

改まって、「さあ、古典を勉強するぞ」と意気込んでも、その習慣や意欲がないと、そう簡単にはできるもんでもないが、面白い話のついでにそれがあるとまた違う。

実際、そういった声も数多く届けられるしな。

そんなわけで、これまでメルマガやサイトで言うてきた故事、古典の格言を集めてみることにしたということや。

それでは始める。


ゲンさんの知っておきたい故事古典格言集 サイト編 Part 1



【李下(りか)に冠(かんむり)を正さず】

(拡張員の1日、追記より 掲載日2006.1. 1)

出典は古楽府(こがふ)・君子行。中国前漢、武帝の時代、紀元前200年から150年頃に「君子」の戒めとして編纂(へんさん)されていた教え。

ちなみに、楽府(がふ)とは、当時の音楽をつかさどる役所の名称をいう。そこで集められた民間歌謡がその主な出典になっている。

直訳すると、「李(すもも)の木の下で、冠をかぶり直すと、手を伸ばして李(すもも)を盗んでいると思われるので、冠を直さない」ということや。

それが転じて、「他人から疑われるようなことは、初めからしないほうが良い」という喩(たと)えとして広く使われるようになった。

この後に、【瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず】と続く。

こちらの方は、「瓜(うり)畑にかがみ込んで靴をはき直すと、瓜を盗んでいると思われるので、はき直さない」という意味になる。

ワシは、これを引用する際、『とこかく、何事も「李下に冠を正さず」ということを心がけることや。疑われることをすること自体が罪やと思うてたら間違いない』と言うた。



【笑いの裏(うち)に刀を蔵(かく)す。(笑裏蔵刀)】

(新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第5話 新聞奨学生マタやんの憂鬱より 掲載日2004.9. 5)

出典は兵法三十六計。成立時期は不明やが、大体5世紀までの故事を17世紀、清の時代に纏(まと)められたものと言われている。

敵を攻撃する素振りは一切見せず、まずは友好的に接近したり講和や停戦をしたりして安心させてから一気に攻める作戦のことをいう。

ワシは、これを『分かり易く言えば、にっこり笑って人を斬るということやな。用心せなあかん人間の例えに使う』と言うた。



【憤せずんば啓せず。排せずんば発せず(啓発)】

(ゲンさんの勧誘・拡張営業講座 第1章 新聞営業の基本的な考え方 人間関係構築編 その3 第一印象が勝負より 掲載日2004.8.15 )

出典は論語・述而(じゅつじ)篇。

もともとの意味は、「相手の気持ちが盛り上がってこなかったら力を貸してやらない。口まで出かかっているのでなかったら、助け船は出してやらない」というものや。

それが転じて、「人が気づかずにいるところを教え示して、より高い認識、理解に導くこと」という使われ方をするようになった。

ワシは、その本文で、『本人がそうしたいと願っていてもその方法が良う分からんという人間に一言助言をする。それで、殻を破れる者は破れるという教えや』と説明した。

この後に、【一隅を挙げて三隅を以(も)って反(かえ)らざれば、則(すなわ)ち復(また)せざるなり】と続く。

意味は、「一つの隅(すみ)を示しただけで、他の三つの隅にも気づかない、考えが及ばないようなら、それ以上の指導は差し控える」というものや。

要するに、一つのヒントで他の事にも気づかないようでは教えても無駄やから何も言わないということやな。

啓発の難しさや厳しさを言い表わした教えということになる。



【彼を知り己を知れば、百戦して殆(あやう)からず】

(ゲンさんの勧誘・拡張営業講座 第1章 新聞営業の基本的な考え方 人間関係構築編 その4 相手を知れ より 掲載日2004.8.15)

出典は孫子十三篇・謀攻篇。

「敵を知って自分を知れば、百回戦っても危険はない」という、ほぼそのままの意味になる。

ワシは、これを、「相手を知って自分を知れば戦って敗れることはないという教えやな。この意味が分かっていても、実践となると難しい。

特に相手を知る、相手の立場で考えるというのは、言うほど簡単なことやない。

どうしても、人間は自分のこれまでの経験や環境で物事を考えてしまう。相手の人間は、自分とは違う生き方をして来たということを理解するのは難しい」と説明した。



【己に欲せざる処、人に施すことなかれ】

(ゲンさんの勧誘・拡張営業講座 第2章 新聞営業の実践についての考え方
拡張トーク編 その1 拡張トークの考え方より 掲載日 2005.8.26)

出典、論語・衛霊公篇。

意味は、「自分がしてほしくないことは人にもしない方がいい」ということや。

ワシは、これを引用して『客の嫌がることはしたらあかんという基本はどんな場合でも必要や』と言うた。

この頭に、【それ如(じょ)か】というのがある。

これは、孔子が弟子の子路に「生涯の信条になる言葉を一言で知りたい」と聞いてきたことに対する返答ということになっとる。

「如」というのは、「優しさ」、「思いやり」を意味する。孔子は、それが一番大切やと言うてるわけや。



【将を射ずんば馬を射よ】

(ゲンさんの勧誘・拡張営業講座 第2章 新聞営業の実践についての考え方 拡張タイプ編 その2積極果敢タイプより 掲載日 2005.8.26)

出典は杜甫の詩、「前出塞九首」、「射人先射馬」。

「強い敵将を倒すには乗っている馬を倒す方が簡単」というところから、「大きなもの、主となるものを攻撃したり、また手に入れようとしたりするとき、直接その対象を狙うより、その周囲にあるものを先に狙う方が良い」という教えや。

目的を果たすには、その周囲にあるものから、手を付けた方がええということやな。

ワシも『本体を狙うには、その搦め手から狙えという教訓やな』とだけ説明した。



【過ぎたるは、猶(な)お及ばざるがごとし】

(ゲンさんの勧誘・拡張営業講座 第2章 新聞営業の実践についての考え方
拡張タイプ編 その9 理論武装タイプより 掲載日 2005.8.26)

出典は論語・先進篇。

意味は、「行き過ぎも不足も似たようなもの」ということや。

ワシも同じように『行き過ぎも不足も同じやうなもんやということや。この意味は、結構、深いと思う』と言うた。



【人間(じんかん)、万事(ばんじ)塞翁(さいおう)が馬】

(新聞勧誘・拡張なんでもQ&A『NO.4. ウゼェー拡張員なんとかしてくれー』より 掲載日2004.7.06 )

出典は淮南子(えなんじ)。漢代初期。始祖、劉邦の孫にあたる淮南(わいなん)王、劉安によって編纂(へんさん)された。淮南子(えなんじ)というのは、当時の呉音読みとされている。

これには、ちょっとした物語がある。

胡(こ)という国に接した辺境の城塞に一人の老人(翁・おきな)が住んでいた。

ちなみに、塞翁(さいおう)というのは、その城塞に住む老人のことをいう。正確な名前が分からないため、こう呼んだ。

ある日、その老人の馬が胡の国の方角に逃げてしまった。

老人の馬は名馬で値も高いが敵国の胡(こ)に探しに行くこともできないので皆が気の毒がって同情していた。

しかし、老人は「このことが幸福にならないとも限らないよ」と、一向に残念がることはなかった。

しばらく経ったある日。逃げ出した馬が胡の良馬を連れて帰って来た。

そこで城塞の知人たちが祝いの言葉を言うと、老人は首を横に振った。

「このことが災いにならないとも限らないよ」と。

すると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折る大怪我をした。

今度は、皆が、かわいそうにと慰めると、老人は「このことが幸福にならないとも限らないよ」と答えた。

そんなある日、胡の異民族たちが城塞に襲撃して来て戦争になった。

城塞近くの若者はすべて兵士として駆り出され、何とか城塞を守ることができたものの多くの若者がその戦争で死んでしまった。

しかし、老人の息子は、足を怪我していたためにその徴兵を逃れ、戦うこともなく無事だった。

このことから、良いことも悪いことも、それが招く結果は必ずしも見かけどおりの幸、不幸になるとは限らないから一喜一憂する必要はないという例えに使われるようになった。

意味としては、「幸不幸は予想のしようのない事」だから、何があっても、常にその逆があるので注意しといた方がええという教えということになる。

ワシは、『悪い出来事が必ずしも悪い結果になるとは限らんし、良い出来事が必ずしも良い結果を生むとは限らんという教えや。一喜一憂せんということやな。

例えば、交通事故に遭って運が開ける人間もおれば、宝くじに当たって奈落の底に落ちる人生もあると思えばええ』と、これを説明した。



【七度(ななたび)尋ねて人を疑え】
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(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A 『NO.59  自転車を盗まれました』より 掲載日時2005.1.11 )

出典は江戸時代後期の小説、開巻驚奇侠客伝(かいかんきょうききょうかくでん)。

何か物がなくなったときは、妄(みだ)りに人を疑うのではなく、まず自分自身を疑って、どこかに置き忘れたりしていないか、何度も探してから、他人のことを疑うべきであり、すぐに他人のせいにしていはいけない、という戒め。

「七度(しちど)探して人を疑え」とも言う。

ワシは、『人を疑う場合は、確かめてからにした方がええ。例え、九分九厘、その疑いが強くてもや。残りの一厘が冤罪(えんざい)やった場合どうする。

後に冤罪やということが分かれば、あんたも心苦しい思いをせなあかんやろし、確かめずにそのままやと、疑いが確信に変わるのが人間や。

相手が気の毒なということだけやなく、あんたがその思いを持ったままというのは、大きな不幸や。

あんたも言うてる通り、その相手の対象すべてが信じられんようになるからな。

あんたは、メールの文面を見る限り、真面目で実直そうな人やと思う。そのあんたが、不確かなことで疑念の念を持つことの不幸をワシは畏(おそ)れる』と言うた。



【善(よ)く将たる者は愛と威とのみ】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A『NO.64  ビギナーズラックでしょうか?』より 掲載日2005.1.28 )

出典は「武経七書」の一つの尉繚子(うつりょうし)。秦の始皇帝の時代の「法家」尉繚の策。または、それより千年前に中国戦国時代、魏の恵王に富国強兵策を説いた同姓同名の尉繚という説もある。

意味は、「有能な将帥(しょうすい)の条件とは、煎(せん)じつめれば、愛情と威信の二つに尽きる。愛情があるから慕われ、威信があるから抑えが効く」というものや。

ワシは、『立派なリーダーの条件のことを言うてる。「愛」というのは、愛情、温情、思いやりなどの情けのことで「威」とは強さ、厳しさのことを言うてる。その二つが揃って優れた統率力が生まれ、立派なリーダーになれるのやと言う。

優しいだけの新聞拡張団の団長は団員に舐(な)められ言うことも聞かんやろうし、厳し過ぎるのも団員を萎縮させるだけでええことがない。そのバランスが難しい。

ワシの知る限りそういう団長は少ないが、そのバランスを兼ね備えたトップの下で仕事すると、それほどの力量がなくても、その団員は確実に伸びる』と言うた。



【三人行けば、必ず我が師あり】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A『NO.93  仲間と上手く付き合う方法があれば教えて下さい』より 掲載日2005.4.18 )

出典は論語・述而(じゅつじ)篇。

意味は、「三人で道を歩いていれば、他の二人から必ず教えられることがある」というものや。

この後に、【その善なる者を択(えら)びてこれに従い、その不善なる者にしてこれを改む】と続く。

つまり、その人間に良い点があると思えば、それを見習い、悪い点は自分を反省する材料にすればええということや。

ワシは、『三人で道を歩けば、必ずあとの二人からは教えられることがあるということや。その人間の行いやり方が素晴らしいと思えば、例え相手が誰であれ素直に認め取り入れたらええし、あかんと思うことは反面教師にするようにすればええ。

そう考えれば、相手が何をしようが言おうがそれほど腹を立てることもないやろと思う』と言うた。



【縦欲の病は医(いや)やすべし、而(しかし)して執理の病は医(いや)し難し】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A『NO.95 拡張員への偏見について』より
掲載日2005.4.23 )

出典は、菜根譚(さいこんたん)。

縦欲とは私利私欲のことで、執理とは、自身の主義主張、考えに固執すること。

つまり、私利私欲は時が来れば改めることはできるが、主義主張に固執する者は頑固で救い難い存在やという意味になる。

これを、ワシは『縦欲というのは、主に物欲とか名誉欲という人間本来の持っている欲望のことや。

例えこの欲望に取り憑かれた者でも、時が来てそれに気づくことがあり、そのことの愚を悟れば自らそれを治すことは出来る。

しかし、執理という強い思い込みの持ち主は、その考え方を変えることは難しく出来んと言うてる。その執理の中には偏見も含まれる。

せやから、この偏見を持つ者はどうしようもないということになる。

こういう人間は「あんたのその考えは間違うてるで」と言われても剥(む)きになって反論するだけやからな。

偏見の持ち主の考えを変えることは出来んと思うてた方がええ。ある意味、本当にかわいそうな人やと言えると思う』と解説した。



【仁者は射の如し】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A『NO.103 契約に際して、営業マン指定のお客さんの対処方法について』より 掲載日2005.5.16)

出典は孟子・公孫丑篇。

仁を志す者は、弓を競う者に似ている。弓は自分の姿勢を正してから放つ。的を外しても当たった者を妬(ねた)んだりはしない。なぜ失敗したのか、その原因掘り下げて反省する。

それが転じて、「仁者は、人や社会に働きかける前に、まず自分の身を正すことを心掛け、自己反省を怠らない」という意味で使われるようになった。

ワシは、『仁を志す者は弓を射る者に似とるという。弓というのは、自分の姿勢を正してから矢を射る。そうせんと当たらん。

例え、狙った的に外れても、その的に当たった者を妬(ねた)むようなこともせん。失敗した自分を反省して次に生かす。それが仁者の弓やと言う。

もちろん、ワシも含めて人はそんな境地にはなかなかなれんが、その逆だけはしたないもんやと思う』と言うた。


【窮すれば即(すなわち)ち変じ、変ずれば即(すなわち)ち通ず】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A『NO.106  新聞販売店というのはこんな所ですか』より 掲載日 2005.5.29)

出典は易経・繋辞下伝(けいじかでん)。

物事が究極まで進行して行き詰まると、そこに必ず変化が生じてくる。その変化によって新しい道が開けるという意味や。

この言葉を引用し、『物事が極限まで行き詰まれば、そこに必ず変化が生じる。変化があれば新しい道が開けるということを言うてる。

あんたには、その変化がすでに始まっとる。それは、あんたがこのサイトに相談のメールをして来たことがそうや。

人は困れば必ず何かアクションを起こす。それが、変化となり新しい道を開くきっかけになるかも知れんということや。あんたがそう信じれば必ずそうなると思う』と、アドバイスした。



【忠告してこれを善道し、不可なれば即(すなわち)ち止む】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A『NO.109  集金中に犬に噛まれてケガをしたのですが労災は出ますか?』より 掲載日2005.6 3)

出典は論語・顔淵篇。

意味は、「相手が間違っていれば忠告して良い方向に導く。聞いて貰えないようなら、それを止めてしばらく様子を見る」ということや。

この後に、【自ら辱めらるるなかれ】と続く。

善意を押しつけて嫌な思いは避けた方がええということやが、その裏には、ヘタに忠告をして恨まれ損をしたり、危険な目に遭ったりしないようにした方がええという処世術も含まれている。

ワシは、『相手が分からんと思うたら、それ以上は何も言わん方がええ。

正義も押しつけは、言う人間にもええ結果として返って来んということがある。

その時は、相手は所詮、その程度の人間として、付き合い方を決めた方がええという教えや』と言うた。



【事は密なるを以(もっ)て成る】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A『NO.113  集金業務に疑問があります』より 掲載日2005.6.13 )

出典は韓非子・説難篇。

物事は秘密が守られて初めて成功するという意味や。そのためには、外部に漏れないように用意周到な配慮が必要やということを言うてる。

この後に【語はもるるを以(もっ)て敗(やぶ)る】と続く。

計画を成功させるためには、外部には絶対秘密が漏れないように用意周到な配慮が必要やということやな。

ワシは、『謀(はかりごと)は、極力、秘密裏に行うに限る。一人で出来ることなら、自分の胸の内だけに秘めることや』と言うた。



【後世畏(おそ)るべし】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A『NO.147 購読自動延長に関する質問です』より 掲載日2005.9.13 )

出典は論語・子かん篇。

後世とは、後から生まれた者のことで、主に若者を指す。

つまり、若者が伸びる勢いには目を見張るほど恐るべきものがあり、豊かな可能性を秘めているという意味になる。

その子供、若者の将来が怖い、末恐ろしいという風に使われるのは誤用。

この後に、【いずくんぞ来者の今に如(し)かざるを知らんや。四十、五十にして聞こゆるなくんば、これまた畏るるに足らざるのみ】と続く。

これからの人間が今の人間より劣っているとは言えない。但し、四十歳、五十歳にもなって、芽が出ないようでは、所詮、そこまでの人間で畏れるに足らんということや。

ワシは、『歳を食うた者は、その経験ということを良う口にするが、その意味を理解しとる者は少ない。

多くは、出来事に遭遇したことを経験やと思うとるだけや。単なる出来事は体験でしかないということが分かっとらん。

経験したとは、その体験を生かした者だけが言える言葉や。時間を生きることとは違う。

そして、それを知る人間は間違いなく、相手の若さでその評価を下さんし、軽視もせんもんや。

後世畏るべし。と言う言葉があるが、それを知る人間は、むしろ、相手のその若さを畏(おそ)れる。将来、どれほどの人間になるのかとな』と言うた。



【這(は)っても黒豆】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A『NO.182 拡張団を作りたいのですが、手続きなどどのようにすれば良いのでしょうか?』より 掲載日2005.12.17 )

出典は不明。日本のことわざ。

黒いものを見て、二人の男が「虫だ」「黒豆だ」と言い争っていたところ、それが這い出したが、それでも一方は「黒豆だ」と言い張ったという逸話から。
転じて、「それがあきらかに自明の道理と分かったのにも関わらず、それと認めず、どこまでも自説を曲げずに強情を張ることの愚」を指す言葉になった。

ワシは、『ある依怙地な男が、机の上の黒い小さな粒を見て「黒豆だ」と言った。別の人間が「何を言ってるんだ。それは虫じゃないか」と反論しても「いや、これは、確かに黒豆だ」と言って譲らない。

「いや、虫だ」「黒豆だ」と言い争っていると、その黒い粒が動き出した。虫だと主張した男は勝ち誇り「それみろ、やっぱり虫じゃないか」と言う。

しかし、依怙地(いこじ)な男は、それでも負けずに「いや、これは、這っても黒豆だ」と言って引き下がらない。

これは、思い込みの怖さと強情な人間への愚かさを風刺しとる話やが、実際にこれに似たタイプの経営者は多い。

ワンマン経営者と呼ばれとる人間がそうや。もっとも、信じた我が道を行くという気概は経営者にとって、必要な要素ではあるがな』と説明した。



【これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A『NO.209 無読層の増加で、客の反応もかなり鈍くなってませんか?』より 掲載日2006.2.12 )

出典は論語・擁也篇。

それを理解する者は、それが好きである者に及ばない。それが好きである者は、それを楽しむ者には及ばないという意味や。

何でもそうやが、嫌々するより好きでやる。好きより楽しんでやる方が伸びるし、やり甲斐も大きくなり成果も上げやすい。

ワシは、『何でも好きになれんかったら上達はおぼつかん。知識や方法を知っている者でも、それが好きやという人間にはかなわん。

そして、それが好きやというのより、楽しむということができれば、さらにええということになる。

つまり、その仕事が、好きとか面白いと思えんと、そう簡単に伸びるものやないということを意味しとるわけや。

そして、その好きとか面白いというのは、努力でそうなれるものでもないということもな。問題は、そのことに気づける人間であるかどうかや』と言うた。


今回は、このくらいにしとく。

また機会を見て、この続きをするつもりや。

無理に、その故事や古典の格言、ことわざの引用をするつもりはないが、それが効果的にあると話に深みが生まれるのは確かやと思う。

故事や古典の格言、ことわざの多くは人間関係の機微について語られることが多い。

ワシらのように対面営業に従事しとる者にとっては、有り難い教えになると確信しとるので、今後もそれに役立ちそうなものがあれば紹介したいと思う。


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