メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第113回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2010.8. 6


■新聞の怪談 その2 顔のない新聞拡張員


2010年の夏。

この夏、連日、異常とも言えるほどの殺人的な猛暑と熱帯夜が続いていた。

熱帯夜とは、「夕方から翌朝までの夜間の最低気温が摂氏25度以上」のときに使われる気象用語ということになっている。

但し、何時から何時までという正確な時間の決まりは何もない。

まあ、夕方から翌朝までの時間帯というのは1日の内でも最も気温の低い時間帯とされとるから、その日の最低気温が摂氏25度以下にならない日は、すべて熱帯夜ということになると考えたらええわけやけどな。

マモルの部屋は、それよりも確実に5度から6度は高い。

ここ3日は、室内の温度計が夜でも「摂氏30度」を下を回ったことはない。

その3日前、呻(うめ)きながらも何とか作動していたエアコンが突如、その動きを止めた。

そのエアコンが作動していたときは、近所迷惑な騒音を巻き散らかして冷房の効きもええとは言えんかったが、それでも何とか暑さを凌(しの)げる程度には冷えていた。

マモルが、その古マンションに引っ越して来たのは3ヶ月前で、室内に据え付けられていたエアコンは前の入居者が残して行ったものやった。

その部屋を下見した際、賃貸業者は「いらないのでしたら撤去しますが」と言うてたが、スイッチを入れるとまだ使えそうやったので、節約になるやろうと考え、そのままにして貰うた。

それが裏目に出た。

急いで近所の家電店に駆け込んで修理を頼んだが、すぐに行くのは無理で、早くても半月ほどかかるという返事やった。

この猛暑で、家電業界は空前絶後の売り上げを記録していて大忙しやという。

そのため、エアコン業者が極端に不足しとるのやと。

口にこそ出さんが、「修理くらいなことで行ってられるかい」というのが、ひしひしと伝わってくる。

この状況で半月も待つわけにはいかん。マモルには、それに耐えられるだけの生命力はおそらくない。確実に死ぬ。

仕方なく、「新しいエアコンを買ったら?」と聞く。

すると、「それでしたら、早ければ一週間ほどで工事に伺えますが」と、満面に笑みを湛(たた)えた店員の現金な答が返ってくる。

結局、マモルは背に腹は代えらんということもあり、工事費込みで金7万円也のエアコンを買う羽目になった。

取り敢えず、そのエアコンがつくまではと、安物の扇風機を買って急場を凌ぐことにした。

幸い、冷蔵庫は生きているので、近所のドラッグストアで「アイスノン」を買って帰る。

それを冷凍室で冷やしたものをタオルで巻き、寝る前に枕の上に置く。

さらに、首、手首、脇などに冷蔵室で冷やした「冷えピタ」を貼りまくる。

余談やが、この「冷えピタ」は冷凍室で凍らせると逆にその機能が低下するから避けた方がええと言うとく。

首、手首、脇近くの太い動脈やリンパ管などは比較的皮膚の表面近くにあるため、そこを流れる血液やリンパ液が冷やされ、それが全身を駆け巡ることで体温を下げ、涼感が得られるという。

そう聞けば説得力があり、効果も望めそうやと思うた。というより、何でもええから、ワラにも縋りたい思いが、迷わずそうさせた。

但し、単に涼を取るために、そうするのは人により逆効果になり健康を阻害し、危険が伴うこともあるから注意が必要やという。

特に、夏風邪などの影響で発熱しているときには医師の診断を仰ぐ方が無難やと。

ただ、実際にそうしてみると、その直後は気持ちよく寝られそうに思えた。

しかし、この異常とも言える熱帯夜は、そんな程度のごまかしで、どうにかなるほどヤワなものやなかった。

2、3時間もすると、アイスノンも生暖かくなり、冷えピタもカサカサに渇いて熱を帯びてくる。

それに扇風機から送り出される熱気を帯びた風が追い打ちをかける。

まるで、アイスノンと、冷えピタがそうなるように手助けをしているような感すらある。

そうかと言うて、その扇風機のスイッチを切る勇気は、マモルにはなかったがな。

気がつけば全身から汗が噴き出して目が醒めているという状態が続いた。

その都度、冷蔵庫で冷やした予備の物と交換する。

以前は、自室のエアコンの騒音で気にならんかったが、この古マンションの他の部屋に取り付けられているエアコン群の室外機の騒音も尋常やないほど、うるさい。

そんなこんなで一瞬の睡眠はできるが、熟睡するというには、ほど遠い。

そんな寝苦しい夜の出来事やった。

ピンポーン。

玄関のチャイムが鳴った。

チラっと時計に目をやると、午前1時を少し過ぎている。

「誰や、こんな時間に……」

普通は、こんな時間に訪れて来るというのは非常識とされとる時間帯やが、マモルたち若者には、ありがちなことではある。

例えば、友人同士で飲み歩いているとき、「おい、そう言えば、今日はあいつが来てないな。これから乗り込むか」と、酔った勢いで、「そうしよう」となるのは、それほど珍しいことやないさかいな。

マモル自身も他の友人相手に、そうすることがたまにある。

マモルは、その友人の誰かやろうと思い玄関を開けると、そこには中年で幽鬼のように痩せ細った男が立っていた。

「新聞を……」と、弱々しい声で、その男が言う。

新聞拡張員。マモルは即座にそれと分かった。

ここに、引っ越して、その手の人間と出会(でくわ)したことはないが、以前住んでいた所では散々悩まされた経験がある。

「こんな時間に非常識な」という思いと、過去のトラブルにより、その新聞拡張員を毛嫌いしていたことも重なり、「新聞なんか、いらん帰れ!!」と怒鳴って玄関ドアを勢いよく閉めた。

今から5年前。

マモルが、まだ大学3回生の頃、新聞拡張員に「新聞代を立て替えて払うから契約の名義人になってくれ」と言われ、商品券を余分に貰ったということもあり、その言葉を信用して3ヶ月契約のサインをしたことがあった。

ところが、後から持って来るという約束の商品券を持って来ないため、怒って、その新聞販売店に電話すると、「そんな約束をする者は、うちにはいない」と一蹴されてしもうた。

「それなら、約束が違うから新聞の配達はしないでほしい」とマモルが言うと、「クーリング・オフの期間は過ぎているから、契約は守って貰う。新聞代も集金する」と、その新聞販売店の人間は、そう強気に出た。

その後、その契約をした拡張員がやって来て、「何を眠たいこと言うてんねん。オレが、そんなアホな契約するわけないやろ。アホなことを言うてたら承知せんぞ」と脅かされる始末やった。

騙されたと知ったが、そのときは、そのヤクザのような拡張員が怖く、泣き寝入りしてしまった。

それを未だに悔いている。

その後も、勝手に名前を使われ架空契約を作られたということがあった。

ある日、突然、新聞が配達されるようになった。

マモルは「身に覚えがない」とその販売店に訴えたが、「契約書がある」の一点張りでラチがあかんかった。

さすがに、そのときは、それを我慢することはできず、ネットで調べると、『NO.725 でっちあげられた契約をどうすればいいでしょうか?』(注1.巻末参考ページ参照)という似たようなケースがあり、そこに架空契約についての対処法があった。

その一部を抜き出す。


1.その契約書のコピーを貰う。

『ハンコも押してない契約書があって』ということやが、その契約書、もしくはそのコピーは現在、そちらの手元にあるのやろうか。

もし、なければ、そのコピーをその販売店から貰う。その契約書をその販売店が見せた以上、ないとは言えんから渡すしかないはずや。

万が一、その販売店の人間が「渡せない」と言えば、「その契約書は、そちらが勝手に作成した偽造契約書ですから、当方はそのつもりで対処します」と通告すればええ。

2.その販売店の人間が言うたという言葉の言質を録音する。

『その筆跡が最初の契約書と似ていると言われたのですが、してないと言い張ると架空の契約だと半ば認めたので、「なぜそんな事をする?」と言うと「生活かかっとんじゃ!」と開き直られました』というのは、おそらく、あんたと1対1のときでの会話やと思う。

後で、それを指摘しても、「そんなことは言うてない」と言われれば、言うた言わんの水掛け論になるおそれがある。

そこで、そういう言い逃れをさせんために、その言葉を録音する。電話の場合は、固定電話および携帯電話の録音機能を使う。

直接会う場合は、ボイスコーダーや小型の録音機などで、取り敢えず、その販売店の人間との会話を録音する。

その具体的な呼びかけとして、

「あなたは、名刺の裏に、23年からは新聞入れませんと書かれたものをポストに入れていますが、あれは架空契約だと認められたではありませんか。なのに、なぜ、そんな契約にこちらが従わなければならないんです?」と言う。

そして、その「生活かかっとんじゃ!」と同じ言動か、それに類似する言葉を引き出させることや。

または、「私が『なぜそんな事をする?』と言うと、あなたは『生活かかっている』と仰ったではありませんか。あれは、その契約が偽造だったと、あなた自身が認められていたからこそ、そう言われたのではありませんか」と、問い詰める。

それで、あっさり同じことを言うか、もしくは「どこに、そんな証拠がある。それを聞いとる者は誰もおらんやろ」とでも答えさせることができたら、それでええ。

これの目的は、第三者に、どちらの言い分に信憑性があるかを判断させるためのものやさかい、それを聞けば、誰でもあんたの言うてることの方を信じるはずや。

3.警察の市民相談課に相談に行く。

その際、「契約書を偽造された上に、新聞の配達を無理矢理されて困っています」と言えばええ。

良く、警察というと派出所に駆け込む人がおられるが、すべてやないにしろ、派出所の警察官の多くは面倒を嫌がるという傾向にあるから、こういう問題の相談には向いてないと思う。民事と勘違いする者もおるさかいな。

その点、この市民相談課なら、比較的、親身に話を聞いてくれるケースが多い。少なくとも、門前払いということはないはずや。

そのとき、そのコピーを入手していれば、おかあさんと同伴か、おかあさんの署名した以前の契約書を持って行って、それとの違いを指摘すればええ。

よほど、そっくりなほど似ているということでもない限り、第三者ならそれが偽造と分かるはずや。おかあさんが、「私の書いたものと絶対違います」と、訴えられたら、その係官は信用するやろうと思う。

この業界では、その手の契約書は、てんぷら(架空契約)と呼ばれとるもので、横行していると言うと語弊はあるが、あまり珍しいことでもない。

そのため、人によれば、それほど悪いことをしたという意識がない場合がある。その人間が『生活かかっとんじゃ!』と言うたのも、それがあるからやと考えれば納得いくやろうと思う。

しかし、法律的には、その行為は、刑法第159条の私文書偽造等というのに該当する。

勝手に他人名義の契約書を作ったり、契約書を改竄することや。

この罪には、3か月以上5年以下の懲役に処するという規定がある。考えている以上に重い罪や。

その際、その裏付けとして、テープの録音などがあれば、より信憑性を増すということや。相手の販売店も言い逃れしにくくなるさかいな。

ただ、それを罪として立件するかどうかは、その警察署の裁量、判断次第という側面があるから、あまり過度な期待はせん方がええ。

これは、その罪で、相手の販売店の人間を逮捕して貰うとか、罰して貰うためやなく、解約に持ち込むことが最大の目的やから、この相談をしたという事実だけで良しとしとく。

その警察署の係官も、その真偽を確かめるために相手に電話くらいかけて事情を聞くということをするはずやから、相当なプレッシャーを与えることにもなるさかいな。

4.新聞社の苦情相談係に通報する。

その場合、第一声は間違っても「契約のことで揉めています」などと言うたらあかんで。

新聞社は、販売店と顧客間の契約のもつれに関してはタッチせん、できんという建前とシステムがあるから、「それは販売店とお話ください」とか「その件は販売店に伝えておきますので」という対応しかせんと思うさかいな。

せやから、あくまでも「契約もしていないのに勝手に契約書を作られ新聞を配達され困っています。警察にも刑法第159条の私文書偽造等の罪で相談してきました。お願いですから、こんなバカなことは止めさせてください」と、違法行為やということを強調することが肝心や。

そうすれば、かなりの確率で新聞社からその販売店に事情を聞くはずやし、場合によれば叱責もされ、その契約を解除せざるを得なくなる可能性があると考えられる。

5.内容証明郵便を出す。

それでも功を奏さず、その販売店が尚も強きで新聞を入れ続けるのなら、こちらも、しつこく警察への相談と新聞社への再度の苦情、通報を続けるのと平行して、その新聞を投函しても、その新聞代を支払わないという文言を記した、内容証明郵便を送付すればええ。

コピーの契約書の内容を書き込み、「以上の契約内容は、まったく私の預かり知らないことで、私の筆跡とは明らかに違う他人の手により偽造されたもので、これは刑法第159条の私文書偽造等の罪に相当します。よって契約の無効を主張します。例え新聞の投函を続けられても当方は一切のお支払いを拒否します」という内容でええと思う。

実際、それで新聞代を入れても、その支払いに一切応じる必要はなくなる。

その販売店が、どうしてもその支払いをさせようと思えば、裁判を起こすしかないさかいな。そして、裁判になればかなりの高確率であんたの側の勝ちになると思う。

もっとも、この5に至るケースはほとんどなく、その前段で終わるとは思うが、一応、それもアリということで記しておく。


そこに書かれている『2.その販売店の人間が言うたという言葉の言質を録音する』と『3.警察の市民相談課に相談に行く』、および『4.新聞社の苦情相談係に通報する』という方法で、揉めはしたが何とか、その販売店をあきらめさせることができた。

そんなことがあり、マモルにとって新聞拡張員は「最悪の人間」というイメージしかなかった。

そんなことを思い出している内に、段々、腹が立ってきた。

今は、ひ弱かった学生の頃とは違う。

例え、揉めて殴り合いの喧嘩になったとしても、あの幽鬼のように痩せ細った男相手に負けるとは思えんかった。

その思いもあって、一言、文句を言ってやろうと考え、急いで表に出たが、そのときには、もうその新聞拡張員の姿はどこにもなかった。

マモルは、その寝苦しさの中、何とか気を取り直して寝ることにした。

マモルは、今年の5月から、あるプラスチックメーカーに勤め始めた。

出勤は、朝の8時。

以前住んでいた所から通勤に1時間半以上かかるため、遅くとも朝の6時までには起床しなければならないというのが苦になって、3ヶ月前、勤務場所に近い、この古マンションに引っ越して来たというわけや。

それでも、朝の7時過ぎには起きる必要がある。

今は午前1時半過ぎ。

マモルは、例によって、アイスノンと冷えピタを冷蔵庫から取り出して、万全の暑さ対策を施して眠りについた。

無理にでも寝とかんと、身体が持たんさかいな。

ピンポーン。

また玄関の呼び出しチャイムが鳴った。

時計に目をやると、午前3時前。

「誰や。一体……」

マモルは、玄関口に行くと「どちら?」と声をかけた。

返事はない。

ドアスコープを覗く。

すると、そこには先ほどの、痩せた新聞拡張員がうつむいて立っていたのが見えた。

マモルは完全に頭にきた。

玄関ドアを勢いよく開け、「こらっ!! 一体、何時やと思うてんねん!!」と、大声で怒鳴り散らした。

しかし、その痩せた男は、マモルの恫喝に怯むでもなく、「新聞を……取ってください」と弱々しい声で言うだけやった。

「どこの新聞や?」

「Y新聞……」

相変わらず、力のない声でそう答える。

「こんな時間に勧誘か?」

「新聞を……取ってください」

その拡張員は、それだけを繰り返すだけやった。

さすがに、マモルは気持ちが悪くなったが、それよりも怒りの方が強かった。

「ええ加減にしろ!!」

マモルが、そう怒鳴ったとき、隣の部屋のドアが開いた。

「夜中に何を騒いどんねん!!」

いかつい、機嫌の悪そうなスキンヘッドの大男が現れた。

「いえね、この新聞拡張員の男が夜中に勧誘に来たもんで、それで怒っていたんですよ。あまりにも非常識ですからね」と、マモルは低姿勢に説明した。

すると、「どこに、そんな男がおるんや?」と、そのスキンヘッドの大男。

「どこにて、ここに……」と、マモルが振り返ったときには、その痩せた拡張員の姿はなかった。

「逃げよった……」

マモルは、とっさにそう思った。

「確かに、今、ここにいたんですよ、その新聞拡張員。今晩、2回目だったんで文句を言っていたんです」と、マモル。

そのスキンヘッドの大男は、何か妙な物でも見るような視線をマモルに投げかけてはいたが、それ以上は何も言わず、そそくさと部屋のドアを閉めた。

多少、その素振りが気にはなったが、さすがに、そのスキンヘッドの大男を問い詰めるほどの度胸はなかった。

この場面は、ドヤされ(怒って殴られ)んかっただけでも儲けもんやと思うしかない。

どうでもええけど、何と逃げ足の速い拡張員や。一瞬でおらんようになった。感心する。

部屋に引き上げたマモルは、再度、気を取り直して寝ようとするが、なかなか寝つかれない。

さすがに、もう来んとは思うが、それも確かやない。

「それにしても……」

マモルは怒りとは別の思いに囚われた。

あまりにも謎が多い。

第一に、いくら新聞拡張員でも、夜中の1時とか3時に勧誘に来るもんやろうかという疑問がある。

第二は、しつこいことで有名な新聞拡張員が、ちょっと怒鳴られたくらいで簡単に逃げ出すというのも解せん。それも、一晩に二度も訪れていながら。

自慢やないが、マモルには、そんな迫力はない。

実際、前に住んでた頃、拡張員たちには、随分と脅かされていたわけやしな。

第三は、こんな深夜、それも人が寝てると分かり切った時間に来て本気で契約が取れると思うてるのやろうかということや。

第四、これは訪問販売法違反ではないのか。

第五、あの新聞拡張員が自ら進んで訪問しているとは思えんから、命令されてのことやと思うが、そうだとしたら新聞社がそうしろと命令しているのか。

結局、それらのことが気になって、よけい眠れんようになった。

気がつけば、いつの間にか、外が明るくなり始めていた。

今から寝ると確実に寝過ごす。

結局、寝不足のまま仕事に行き、猛暑の中、ふらふらになりながら、夕方の6時頃に帰宅した。

ダウン寸前やった。

部屋の中は蒸し風呂状態になっていた。室内の温度計を見ると、何と39度もある。

急いで窓を開けて換気を試みるが、外気はもっと暑い。

外気温の暑さもやが、それ以上に各部屋のエアコンの室外機から洩れる熱気が凄い。

ここらのマンション群は建物の間隔が狭く、その谷間に漂っていた熱気が、マモルの部屋に向かって一斉に襲ってきているのが分かる。

開けた窓を急いで閉める。

本来なら、このまま寝込みたいが、これではどうしようもない。

「何でオレが、こんな目に遭わなあかんねん」

そう考えると、また昨日の拡張員に腹が立ってきた。

タウンページで、昨日の拡張員が言った「Y新聞の販売店」を探して電話した。

「お宅では、夜中の1時と3時に拡張員を勧誘に寄越すんですか」と、問い詰める。

「はあ? 何のこと?」と、電話に出た男がとぼけた調子で答える。

「何のことやあるかい!! あんな夜中に拡張員を寄越して非常識やと言うてんねや!!」

マモルの怒りは頂点に達していた。

「言うとくけど、うちは拡張員なんか使うてへんで。変な言いがかりはつけんといてくれ」と、そのY新聞の販売店の人間も強気やった。

続けて、「今から、そっちへ行くから、そこはどこや?」と恫喝気味に言う。

「M町2丁目のSパレスマンションの402号室や。来るなら来いや!!」と、マモルも負けじと答える。

喧嘩上等。今のマモルに後先考える余裕はなかった。そっちがその気なら、やってやる。それだけを考えた。

しかし、その展開にはならんかった。

「Sパレスマンションの402号室? まさか……あの……」と、それを聞くと相手の声のトーンが一気に落ちた。

マモルも何か不穏なものを感じて、「何かあるんか?」と聞く。

そのY新聞の販売店の人間は、それには答えず、「その、拡張員というのは、どんな男やった?」と聞き返す。

「どんなて、妙に痩せた男やったが……」

「どんな顔をしてた?」

「どんな顔をしてたかと言われても……」

そう言えば、どんな顔の男やったか、まったく覚えていない。

確かに面と向かって文句を言うたはずや。それも二度も。

夜中やったとは言うても、室外灯の明かりで顔くらいは判別できるはずや。

事実、隣のスキンヘッドの大男は、今まで一度も顔を見たことはなかったが、一瞬見ただけで、はっきりとその顔を覚えている。

次に会えば、それとすぐ分かる。

しかし、あの拡張員の顔となると、まったく思い出せん。単に特徴のない痩せた男というだけでは、確かに説得力はない。

その男が来たと言うのなら、その特徴を覚えていて普通やさかいな。

しかし、マモルには、その男の顔の記憶が何もない。

「うちの店は、お宅のマンションからの契約は受け付けてないんや」と、そのY新聞の販売店の人間が言う。

「拡禁か?」

拡禁。新聞販売店が拡張禁止にした対象のことを業界ではそう呼ぶ。

マモルは、ワシらのサイトを普段からよく見ているさかい、その言葉が自然と口をついて出た。

「良う知ってるな。そうや。せやから、うちの人間が、昼間やろうと夜やろうと、そのマンションに勧誘に行くはずがないんや」と、依然、声のトーンを落としたまま言う。

マモルもそれに釣られて、「何でや?」と、小さな声で聞く。

「それは……言えん……」

「どうして?」

「ワシら店の者(もん)が、何の事情も知らん人間に、その理由を喋るわけにはいかんのや。悪いけど」

「それなら、新聞社に言うしかないけど、それでもええか?」

どうしても、その理由を教えてくれんというのなら、そうするしかない。

「難儀な兄ちゃんやな。あんたのためを考えて黙っとこうと思うたんやが、しゃあない。教えたるけど、ええか、これから言うのは、あくまでも噂話やさかいな。他で喋るなよ」

そのY新聞の販売店の人間が念を押すように、そう言う。

その話の概要や。

以前は、そのY新聞の販売店でも、マモルの住んでいるSパレスマンションの勧誘はしていた。

数年前のある日。

そこで「てんぷら(架空契約)」が発覚した。

犯人は出入りの拡張員で、サワイという男やった。

その夜、監査のため、サワイの取ってきた契約者に連絡を入れると、「そんな契約は知らん」と言う。

当時の販売店の店長、カノウは典型的な「てんぷら(架空契約)」として処理するしかないと判断した。

そのサワイは、血相を変えて「そんなアホな。何かの間違いや」と喚き、それを認めんかった。

まあ、この手の話としては、ありがちなことやけどな。

例え、それが100%の確率でそうやというのが分かっても、その場は何とかごまかして逃げようとする拡張員は多い。

サワイは、「直接、確かめてくる」と言って、そのSパレスマンションに向かった。

ここまでは、誰もが、そのサワイが犯人に間違いはなく、それをごまかすためのポーズやと考えた。

たいていは、その契約者と大喧嘩をして自分は潔白やと証明しようとする。

せやないと、この「てんぷら(架空契約)」が発覚すると、その販売店への出入り禁止ということだけやなく、ヘタをするとクビになるさかいな。

そのためにも、「一旦、ちゃんと契約したくせに、後で嫌になったから、知らんと言い出したんや」というストーリーをでっち上げようとする。

もちろん、その契約者を脅かしてや。うまくいけば、翻意させ正規の契約にしようという目論見もある。

あるいは、「こっちでクーリング・オフで処理するさかい、ワシの言うように販売店には口裏を合わせてくれ」と言うて、拝み倒すというケースもある。

さらには、これが一番多いのやが、やはり、それはポーズで、実際にはその客の家には行かず、さも行ったような素振りで帰り、「しゃあないガキやで」と、いかにも心変わりをした客という風に装おうとする。

たいていは、そのいずれかになる。

しかし、このケースでは意外な事件というか、事故が起きた。

サワイが、そのSパレスマンションの4階の踊り場から誤って落下して即死してしまったという。

その数日後、その契約者が飛び降り自殺をした。原因は、うつ病やったということや。

それから、間もなく、そのSパレスマンションに深夜、痩せた拡張員が出没し始めたという。

そのために、そこでは「拡禁」扱いにして、その販売店としては一切の勧誘を禁止したのやと。

その後、サワイは実は、その契約者と揉めて突き落とされて死んで幽霊になり、その霊に取り憑かれた契約者も自殺したという噂が、まことしやかに流れ始めたという。

「その契約者というのが、お宅の402号室に住んでいたんですよ」と、そのY新聞の販売店の人間が言う。

その手の苦情は、決まって402号室に引っ越してきた住民から寄せられると。

今回もそうやと。

「そんな……」

「くれぐれも言うとくが、これは単なる噂話やさかいな。他では言わんといてや」

そのY新聞の販売店の人間は、もう一度、そう念を押し、その電話を切った。

俄(にわか)には信じられんかったが、「そう言えば……、となりのオッサン、変やったな」ということに思い当たった。

もし、本当にマモルが幽霊に訪問されとるのやったら、あのとき、一人で大声で喚いて騒いでいたことになる。

それも夜中に。

せやからこそ、隣のスキンヘッドの大男が出てきたわけや。文句を言うために。

それを、「拡張員に訪問された」と、マモルが言うと、そそくさと何も言わず部屋に引き上げた。

今にして思えば、あの『何か妙な物でも見るような視線』は、普通やなかった。

しかし、Y新聞の販売店の人間の言うとおりやったとしたら、それも頷ける。

頷けるが、気持ちのええもんやない。

マモルは、すぐにでも引っ越しを考えたが、まだ引っ越して来たばかりで、しかも、3日前にはエアコンを買ってしまったというのがある。

どこかに引っ越そうにも先立つ金が今はない。

しばらくは様子を見るしかない。

しかし、この思いを一人では耐えるのは辛い。

友人たちに言うても一笑に付されるだけや。マモルが逆の立場なら間違いなくそうする。

そこで、マモルはワシらに連絡してきた。

それには、メルマガで過去、幽霊話(注2.巻末参考ページ参照)を幾度か取り上げたことがあるのを見て、何かの気休め、アドバイスが受けられるのやないかと期待したからやという。

それらの話の中でも言うてることやが、現実に起きていることには、現実的な裏付けが必ずある。

人は説明できん事、理解の及ばん出来事に遭遇すると人智の超えた神や霊のせいにするだけの話やと。

マモルに関しても、それは言えるはずや。

ただ、この情報だけで、それを推し量るのは難しい。

その意味では、しはらく様子を見るというのは正解やと思う。

それ次第でアドバイスできることもあるやろうという気はする。

ただ、そのために夜中に、いつ、そのチャイムが鳴るのか、その拡張員が訪れるのかと考えながら夜を過ごすというのも酷な話ではあるがな。



巻末参考ページ

注1.NO.725 でっちあげられた契約をどうすればいいでしょうか?

注2.第52回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 死者との契約 Part 1

第53回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■死者との契約 Part2

第103回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■幽霊配達員の正体を暴け 前編

第104回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■幽霊配達員の正体を暴け 後編

第7回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞の怪談 その1 隧道(ずいどう)の老婆

第34回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■店長の想い出 その5 恐怖の新聞配達

第59回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ゴーストタウンの新聞配達人


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