メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第114回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2010.8.13
■『広島小1女児殺害事件』の裁判結果、その是非について
古くからのある読者から、
お久しぶりです。
いつもメルマガを楽しく拝見しています。
ところで早速ですが、先日、新聞で報道された、
▼<広島女児殺害>検察が上告断念へ 差し戻し審で無期懲役
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100807-00000000-mai-soci
という記事について、どう思われますか?
私は残念な結果になったと思っています。
よろしかったら、ご意見をお聞かせください。
というメールを貰った。
まずは、その記事の概要を知らせる。
▼<広島女児殺害>検察が上告断念へ 差し戻し審で無期懲役
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100807-00000000-mai-soci より引用
広島市で05年11月、小学1年の木下あいりちゃん(当時7歳)が殺害された事件の差し戻し控訴審の判決(7月28日)で、殺人と強制わいせつ致死などの罪で無期懲役を言い渡されたペルー国籍のホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告(38)について、広島高検が最高裁への上告を断念する方針を固めたことが、関係者への取材で分かった。
検察側は死刑を求刑していたが、過去の判例に照らして適切な上告理由がないと判断したとみられる。8月11日が上告期限で、遺族は上告を要請していた。上告断念により、死刑は適用されない見通しになった。
広島高裁は先月28日の判決で、無期懲役とした1審判決を支持。死刑を求めた検察側と、「犯行時の責任能力に問題がある」として殺人と強制わいせつ致死では無罪か刑の減軽を求めた弁護側の控訴を、いずれも棄却していた。
1審の広島地裁は06年7月に無期懲役(求刑・死刑)の判決を出したが、広島高裁は08年12月、1審の訴訟手続きを違法として審理を差し戻した。09年10月の最高裁判決は1審手続きを適法とし、高裁に差し戻していた。
この情報を知らせて頂いた読者の方は、今から5年ほど前の2005年12月9日、旧メルマガ『第70回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■くり返される悲劇!!広島小1女児殺害事件の現場では……』(注1.巻末参考ページ参照)で、この事件のことを取り上げていたのをよく覚えておられた。
それ故、ワシらの意見が聞きたいということなのやろうと思う。
あれから、もう5年近くにもなるのか、というのが正直な気持ちや。
この事件は発生当初、その前年に起きた『奈良小1女児誘拐殺人事件』とその手口が非常に酷似していると見られ、事件直後、警察から真っ先に疑われたのが、その地域すべての新聞販売店の従業員たちやった。
新聞やテレビの報道では、聞き込みの捜査対象は、事件現場の半径500メートル以内に限定しとるということになっとったが、それを大きく外れた新聞販売店も多かったと。
実際には数キロ、数十キロまで捜査範囲を拡げとるケースもあったと。
その当時の警察には、この手の事件が起きれば真っ先に新聞販売店を調べろというのが捜査の定石のようになっていた感があったさかいな。
もっとも、報道では警察から真っ先に疑われたのが新聞販売店の従業員やったという事実は隠されとったさかい、世間的には、その事はあまり知られてないがな。
事件当夜は、各新聞販売店の周りには、警察のパトカーが見張り番のように停まっていたということもあり、それらの販売店の周辺では「もしかしたら」と噂になりかけていたという。
しかし、その2日後、ウソのようにそれがなくなった。
その頃には、犯人がそのペルー人やと目星をつけていたのやろうと思われる。
もちろん、報道の段階ではまだそれは発表されとらんかったが、犯人が新聞販売店関係者以外やというのは、少なくともワシらには推察することができた。
その頃、その近辺の新聞販売店関係の人たちから、頻繁にその情報が寄せられとったさかいな。
それにしても、裁判開始から4年数ヶ月も経って、やっとその決着が着くことになったわけや。
いくら日本の裁判が長びく傾向にあると言うても、これは異常とも言えるほど遅い。
裁判は長くかかるという印象を持たれている方が多いとは思うが、実際には刑事、民事とも判決、決着まで1年以上かかるというケースの方が圧倒的に少ない。
刑事事件の場合、その9割以上は裁判を始めて半年以内に判決が出ているという統計結果がある。
残りの1割の中に、注目度の大きな裁判があり、検察側、弁護側双方が力を入れすぎるあまり長引くケースがあるために、それが目立つだけでな。
それが感覚的に裁判は長引くものという印象につながっとるのやと思う。
その事件の前年、2004年5月21日に、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(裁判員法)」が成立したの受け、この事件が、そのモデルケースとして使われることになったという。
裁判員制度というのは市民参加という性質上、裁判のスピードアップを図る必要がある。
その狙いがあって裁判では、今ではよく知られている「公判前整理手続」というのが、その事件でも採用された。
しかし、それを導入したことが却って一審での証拠調べに不備があると指摘されることになり、事件そのものよりも裁判の進め方自体に対する是非を問うものになってしもうたことが、この裁判の遅れを招いた大きな要因になったようや。
結果として、裁判員制度自体の不備をさらけ出したことによって、後の教訓、参考にはなったようやが、肝心の裁判では完全にそれが裏目に出たということやと思う。
今回の記事に『広島高検が最高裁への上告を断念する方針を固めた』とあるから、被告の無期懲役がほぼ確定したことになる。
これには賛否両論あるものと思われる。
日本で被害者が一人の場合、死刑判決が出るケースは少ないというのが定説になっている。
しかし、この事件は、いたいけな小学1年生の女児が性犯罪の犠牲になった上、殺害されるという残虐性が、『奈良小1女児誘拐殺人事件』のケースと酷似しているため、同じ死刑判決も十分あり得るというのが大方の見方やった。
また、そうあるべきやという世論の声も大きかった。
『奈良小1女児誘拐殺人事件』の判決では、被告の行った別の幼女への猥褻(わいせつ)前科に常習性があるとして死刑が適用された。
それからいくと、『広島小1女児殺害事件』の被告の場合も、ペルー国内で少女に対する2件の猥褻(わいせつ)行為で指名手配され国外に逃げていたという事実は、当然、判決に加味されなあかんはずやったと思う。
少なくとも、その真偽について国際的な捜査をした上で、その結果なり、証拠は取り上げて審議するべきやったと。
しかし、一審の裁判で検察が被告の「女児への異常な関心と性癖を裏付ける猥褻行為の前歴」の証拠採用を求めたものの『公判前整理手続きに間に合わなかった』と、広島地裁はその申請を却下した。
ただ、差し戻し前の控訴審で広島高裁では、それが証拠として採用され、「その罪を犯したことが確実である場合は、適切に考慮すべき場合がある」と量刑に加味すべきとの見解を示した。
それにも関わらず、今回の判決は、「ペルーでの刑事手続きの検討が十分でない」、「十分な検討がなされていない他国での前歴を国内前歴と同様には評価できない」などという理由をつけ、「量刑に関する心証形成上の資料として用いない」として除外したという。
そのために、一審の「無期懲役刑」が、そのまま適用され、確定されてしまう結果になった。
なんちゅうこっちゃねん、と思う。日本人として恥ずかしいとしか言いようがない。
他国の事件、犯罪やから関係ないと言える神経を疑う。それなら、日本は他国で犯罪を犯した者にとっては天国になるということやないか。
被告が他国の犯罪者に甘い体質の日本という気安さも加わって、その犯罪に走った可能性があるとは考えが及ばんのやろうかと思う。
これが150年ほど前までの「鎖国」をしていた頃の江戸時代の日本というのなら、いざ知らず、まがりなりにも、世界のトップクラスの一国としてサミットに参加し国際貢献をしていると広言しとる以上、他国での同様の犯罪を軽視する事など言語同断、あってはならんはずや。
一方で、その裁判所の姿勢を評価、支持する識者、専門家も存在する。
「妥当な判断。前歴を国内外問わず同等に扱うべきとの考えもあるが、今回はペルーで適正な刑事手続きを踏んだのか疑問が残った。日本で厳格に審理された場合は別だが、それもなかった」と。
また、犠牲者が一人の場合、死刑にはならんというのは誤った常識で、実際には被害者が一人の場合でも死刑判決が出たケースは、ここ10年で6件もあり、けっして少なくないと。
司法もそれなりに適切な判断を下していると。今回の判断も、その範疇に入ると。
そう力説する。
あらゆる考えの者がいとるのが人間の社会やから、それはそれで一つの意見、考え方として尊重する。
尊重はするが、個人的には到底、納得できる話やない。
ただ断っておくが、ワシは何も「死刑判決」が出んかったから納得できんと嘆いとるわけやないで。
その判決の量刑以前に、その気になって調べれば調べられるはずの捜査を拒否、否定した裁判所の姿勢に疑問を呈しとるわけや。
すべてをきちんと調べた上で判断を下せと。それでこそ公正な裁判と言えるのやないかと。
ワシは、『第39回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ある拡張員が語る刑務所残酷物語』(注2.巻末参考ページ参照)でも言及したが、むしろ無期懲役刑の方が、死刑判決よりも被告にとって過酷な刑になる可能性が高いのやないかと考えとるくらいやさかい、ちゃんとした理由さえあれば、ここまでのことを言うつもりはなかった。
凶悪な殺人事件で、無罪以外やと死刑でなかった場合、今回のように無期懲役刑になるというケースが多い。
ただ、この無期懲役刑についての実態を詳しく知っている人は少ないのやないかと思う。
無期懲役刑を受けても、刑務所で真面目に模範囚として服役していたら10年が経過すれば仮釈放で出られるという、実態とはかけ離れた誤解をされている方が多い。
確かに、法制度上は、最も早くて10年で仮釈放を認めることができるとあるから、その点だけを見れば、そのように受け取られるのも無理はない。
また、マスコミなどは、その辺を簡潔に説明しようとするあまり、その部分だけを強調して報道しているというのがある。
実態は、かなり違う。
無期懲役で仮釈放された者が刑務所にいた平均期間は、2000年までは、16年〜20年程度やったものが、現在では厳罰化の流れから2007年はおよそ32年になっている。
法務省の資料によれば、2008年4月現在、刑務所に入っている無期懲役囚のうち、30年以上仮釈放を認められていない者は87人で、最長は55年を超えるとある。
そして、それはこれからも年を追う毎に長引く傾向にあると予想されている。
同じく法務省の資料によると、1998年から2007年までのここ10年間で、合計120人の無期懲役囚が獄中で死亡したとある。
2007年末の時点で、無期懲役囚は1670人やから、約6.7パーセントに当たる。
残りの無期懲役囚も生きて釈放される保証は今のところまったくない。
犯罪を犯した年齢にもよるが、最早、無期懲役囚で生きて外に出られるというのは奇跡に近いと言えるほどの可能性やないかと思う。
例え出られたとしても、完全に「浦島太郎」状態なのは間違いない。
これはこれで、ある意味、残酷な刑やと言えるのやないやろうか。
たまに、凶悪な殺人事件を犯した犯人が「死刑にしてくれ」と訴えるケースがあるが、あれは何も開き直って言うてるだけやなく、過酷な刑務所の実態を良う知っているがために、それなら「いっそのこと死んだ方が楽や」という思いからやないかという気がする。
むしろ、そういう人間には無期懲役刑を言い渡されることの方が辛い裁きやないかと思えてならん。
死刑と無期懲役。
果たしてどちらがより過酷な刑罰なのかと考えた場合、ワシにはその答を出すことはできん。
加えて、『第39回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ある拡張員が語る刑務所残酷物語』の中でも言うてたように、例え微罪で刑務所に放り込まれた場合でも、生きて出られんということが現実としてあるわけや。
それも、表面的には、ほとんどが人知れず病死扱いにされて。
自業自得とはいえ、犯罪を犯すことにより、これほどのデメリットを覚悟していたという人間は皆無やろうと思う。
たいていは、そこに放り込まれて初めてそれと知るわけや。
それでは遅いんやが、哀しいかな、実際にそうなってからでないと分からんのも事実やと思う。
もっとも、死刑囚には希望はないが、無期懲役囚には少なくとも「生きて出られる」という希望があるやないと言う人も多い。
それがあると考えるから、その犯罪被害者の身内も辛い思いをするのやと。
何の罪もない被害者を残虐な方法で殺しておきながら、自分だけそんな希望にすがって生き続けることが許されるのかと。
日本の法律は、犯罪者の権利を必要以上に保護しすぎると。
被害者である死者は単なる物体としての扱いしかないが、生きている犯罪者には人権があり保障されると。
その理不尽さに憤る人間はワシらだけやないと思う。
せめて、多くの他国で採用している死刑と無期懲役刑の中間刑、「終身刑」を創設して、その望みを断ち切れと言いたい。
「極刑が出されるものだと思いこんでいた。くやしい、残念だ…」と、その判決の後、そう語った被害者の親御さんの心中、無念さは察するに余りある。
その思いを抱えて生きていく無惨さを思うと心が詰まる。
事件後、広島市教委は被害女児の月命日を「子ども安全の日」と定め、学校や地域での見守り活動や防犯ブザーの点検などに集中的に取り組んでいるという。
そうした動きが全国的な拡がりを見せている昨今、この手の事件が皆無ではないにしても、一頃より激減してきとるのは確かやと思う。
微力ながら、旧メルマガ『第70回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■くり返される悲劇!!広島小1女児殺害事件の現場では……』の最後に、
この事件には多くの国民が怒りを覚えとるはずや。それには、ワシらも例外やない。特に、ワシらの中には、子供と一緒に暮らしたくても、それぞれの事情からそれができん人間もいとる。
その分、子供はよけいかわいく思える。それが、例え他人の子供でも同じに思えるから尚更の感がある。
せやから、そんな子供に手を出す外道は許せんと思うとるのは、ワシだけやないはずや。
もし、このメルマガを見て、それに賛同してもええという拡張員や新聞販売店の人がおったら、今日からでも、明日からでもええ。
子供たちが下校する通学時間帯に、その通学コース周辺で子供たちを見守りながら勧誘するというのを考えてみてほしいと思う。
夕刊配りのある販売店の人なら、通学コースを通る場合は、特に子供たちに注意して貰いたい。
但し、そうするには、拡張員には辛いこともあるかも知れんというのは、覚悟しといてほしいと思う。
というのは、そういう変態野郎を監視するつもりのワシらが、一般からは、逆に変質者のごとく見られるおそれがあるということや。
まあ、普通に考えて、子供の下校時にその辺りをうろうろと徘徊しとるようにしか見られんのやからな。
それも、傍目(はため)には何の仕事をしとるか分からんからよけいや。どうしても、胡散臭く見られやすい。
せやから、ここで、注意せなあかんのは、その子供たちには、一切、声をかけんようにするということや。
それが、一番、問題を起こさずに済み、尚かつ、子供たちにいらん警戒心を抱かせることなく見守ることのできる方法やと思う。
ワシは、本当はこれが一番辛い。ワシは大の子供好きや。つい、声をかけてしまいたくなる。「気ぃつけなあかんで」と。
しかし、今は、子供たちには、よほど、危ないことをしとるか、悪いことをしとるか以外には声をかけんようにしとる。
子供たちに、いい人もいるんやと思わせることも、ある意味、危険やからや。まったく、嫌な世の中になったもんやと思う。
しかし、逆に言えば、子供に声をかけとる人間には注意を払うたらええということになるわけや。特に、自転車や車でというのは要注意ということになる。
今は、その下校時の通学路で子供に声をかけるということ自体、普通の人間ではまず、差し控えるやろからな。
こういう子供に声をかけとる人間を見て、怪しいなと思うたら要チェックや。そして、特徴を克明にメモする。車なら車種とナンバーは必ず控える。
場合によれば、カメラ付きの携帯電話で、こっそりと撮影しとく。その時刻も書いとく。思いつく限りの記録をつけることや。
ワシは、この1週間で1人だけやけど、そういう現場を見て注意したことがある。
その男は、20歳前後のまだ若い男で、ワシの注意に「別に、何もない。ただ、道を聞いただけや」と言うとった。
「お前、そんな小さな子に何で道なんか聞く必要があるんや。今は、そういうことをしとるだけでも、何を疑われても仕方ないんやで。道が分からんかったら、大人に聞くか、近所の派出所にでも行って聞けや。何なら、ワシが教えたろか」と言うと、バツが悪そうに逃げるようにその場から離れた。
犯罪にそれが結びついていたかどうかは分からんが、こういう連中が増えとるのは確かや。
どこまで効果があるのかは分からんが、それでも本当に、犯罪を実行しようという人間は、周りを注意するやろうから、ワシらみたいなのがうろついとれば、どうしてもそれは躊躇するはずや。
ライオンが近くにおると知って、ウサギを狙うキツネもおらんやろ。それだけでも、抑止力ということで言えばええのやないかな。
ただ、そうしたからというて、誰からもその行為は、認められんやろけどな。しかし、本来、誰かを見守るというのはそういうもんやと思う。
人に褒められようとしてするもんと違うさかいにな。それでもええと賛同する人間のおることを期待する。
と、呼びかけたことに対して多くの業界人の賛同が得られたことも、某かの救い、役には立ったのやないかと思う。
それらで、多くの子供たちが危険を避けられるようになったとすれば、幼い命が無駄に犠牲になったわけやないとも言える。
もっとも、被害者の親御さんにとって、それが慰めになるまでには、これから途方もない年月を要するやろうがな。
ワシらにできることは、せめて、この事件が風化されんように記録として残しておくことくらいなものやと思う。
参考ページ
注1.第70回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■くり返される悲劇!!広島小1女児殺害事件の現場では……。
注2.第39回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ある拡張員が語る刑務所残酷物語
読後感想 今回のメルマガについて
投稿者 奥本さん 兵庫県在住 投稿日時 2010.8.13 PM 5:58
はじめまして。
いつも楽しく拝読させて頂いております。兵庫県に住む、数年来の一読者です。
さて今回の「第114回『広島小1女児殺害事件』の裁判結果、その是非について」を拝読し、小学2年生の娘を持つ親として思うところがありましのでお邪魔しました。
裁判結果につきましては、全くの第三者であるためここでは是非を問いません。
毎回このような事件が発生する度に、『地域社会が一丸となって犯罪を抑止すべきだ』というもっともらしい声が上がります。
しかし(私もそうかもしれませんが)自己中心型の大人が増えモラルの低下に加え、元来、横の連携が苦手な日本人社会において『社会一丸で…』という言葉自体がすでに無責任な押し付け主義者の迷台詞(めいせりふ)なのかもしれません。
以前、このような話を読んだ記憶があります。(たぶん、このような内容でした)
故元山口組三代目組長・田岡一雄氏が「暴力団撲滅運動」を掲げたとき、警察より「それならお前が一番先に辞めたらどうや?」という声に対し田岡氏は、
「私が辞めたら、道を踏み外した更生されないままの者たちの行き場が無くなり、余計に治安が悪化するだけだ。あえて私はトップに留まり、レールを敷いてやる必要がある。荒くれ者を受け入れる準備もないのに、解散せぇとは無責任だ」と言っていました。
例えアジアのどこかの国のように、隣人を密告することでアルバイト料が入ってくるようなシステムが日本に出来上がったとしても、犯罪者が減る訳ではありません。
ライオンが近くにいるということと、キツネが空腹を我慢できるのとは関係ありません。
一方で抑止力を強めればどこかに歪みが起こり、正直者が泣かねばならないと思います。
残念ながら私は微力であり、それを解決する知恵も力もありません。
しかしどこかに学ぶべき事例があり、それは人の力で解決するものだと信じています。
本当は、国民から選出された政治家の仕事であると思います。しかし彼らの大半は、目先の選挙にしか興味がないようです。
親の居場所も知らないまま年金を受け取り続けたり、我が子を飢え死にさせるような人間の皮を被った鬼が今の日本には多すぎます。
このメルマガは、「正直者がバカを見ない、笑って暮らせる社会を作るための知恵」が多く詰っています。
今回のような表題を掲げる媒体が他に見当たらない為、はじめて失礼しました。
これからもこの種の話題を発信し続けてください。
次回も楽しみにしております。
残暑厳しき折柄、くれぐれもご自愛の上お過ごしくださいますよう。失礼致します。
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