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第118回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2010.9.10
■民主党代表選挙報道のあり方について
来週の9月14日。与党民主党の代表選挙が行われ、それによって日本の総理大臣が決定される。
連日、その報道も過熱気味になってきている。
それというのも、民主党の最実力者と目される小沢一郎氏が代表戦に名乗りを上げたことで、現職総理大臣、菅直人氏との一騎打ちになり、政権与党である民主党を二分する戦いになっとるからやと思う。
どちらが勝つか、今以て分からん状勢にあるという。
さながら、平成の「関ヶ原の戦い」という感がある。
権力闘争に明け暮れる政治家たちを描いた映画にでもなりそうな舞台設定があり、虚々実々の駆け引き、用兵攻戦の妙があると。
そういう目で見れば、それなりに面白いとは思うが、どうもワシには低レベルな争いに映って仕方がない。
どうひいき目に見ても、お互いの政策を戦わせるというより、相手の足を引っ張り合い、人気を下げるということに終始しとるようにしか見えんさかいな。
それも当の本人たちより、取り巻きが過熱気味になっている。お互いがまるで他党と争っているかのようや。
これに負けると、まるで自身の明日がないかのように。
そのお互い必死の思いが、言うところの泥仕合に走らしとるのやと考える。
それらの詳しい事については、一々論(あげつら)うまでもなく読者の方々の方がよくご存知やと思う。
わけの分からんスキャンダルが飛び交っとるさかいな。
ゴシップ好きには堪らんかも知れんが、そうすることが政治、選挙手法やと言うのなら、実に見苦しい。
ワシらは何が嫌いやと言うて、人を誹謗中傷することが一番嫌いや。そういうものを見ると反吐(へど)が出る。
正直、この選挙にどちらが勝とうと、ワシにとってはどうでもええし、大した興味もない。好きにやっとればええ。
そう考えとったところ、ある読者から、
いつもメルマガを楽しく拝見しています。
本日(2010.9.1)民主党代表選が告示され、小沢さんが立候補しましたが、以前のメルマガで、ゲンさんは小沢さんの肩を持つような内容のことを仰ってましたが、今回も小沢さんを応援するのですか?
というメールが寄せられた。
これは、『第100回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞の実像 その3 新聞業界、それぞれの使命とは』、および『第101回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■報道のあり方……検察審査会の「起訴相当」決定の是非について』(注1.巻末参考ページ)で、東京第5検察審査会が「起訴相当」と決定したことに対して反論したために、そう言われとるのやと思う。
これらの中でも、ワシは小沢一郎氏のファンでもなければ支援者でもないと言うてたはずや。
個人的な思い入れは何もないと。
しかし、事、東京第5検察審査会が小沢一郎氏に対して「起訴相当」と決定したことについては明らかな誤りであり、暴挙であるということが調べていて、はっきりしたさかい、本来、罪に問われるはずのない罪やと断言したわけや。
そして、『新聞は世論を誘導したという分かりやすい事例として、この問題が長く語り継がれることになるかも知れん』とまで言い切った。
その思いは今も変わっていない。
ワシは好き嫌いに関係なく、相手が誰であろうと、間違っていると思う事はそう言うし、正しいと考える事はそう伝える。
それはハカセも同じや。
ワシらは今までそうして、このメルマガを続けてきたし、サイトを運営してきた。それは、これからも変わることはないと断言する。
しかし、その思いとは別に、あのメルマガのコメント欄(注2.巻末参考ページ)に「力入ってましたね」とコメントされた方がおられたように、かなり熱のこもった自説を展開してたさかい、ワシらが小沢氏に相当な肩入れをしとると受け取られても仕方のない内容やったとは思う。
ただ、別のコメントで「最高の価値ある論証です。こういう正論がマスコミに載らないのが残念です」と言われておられる方もおられたので、ワシらの言うてることは間違ってないと勇気づけられたがな。
東京第5検察審査会が「起訴相当」と決定した「起訴事実」の内容は、
政治団体陸山会が2004年の政治資金収支報告書に、小沢氏からの借入金4億円、および土地取得代金の3億5200万円などを記載せず、収支総額に虚偽の記入をしたとされたこと。
とされている。
政治資金収支報告書の虚偽記載という以上、この資金移動の事実をどのように政治資金収支報告書に記載しなければならないかという会計上の正解がなくてはならないが、実はこれがないという。
現行の政治資金収支報告書では、単式簿記を前提とした部分的な会計報告書の作成が義務付けられているに過ぎないと。
借入が2004年で、宅地取得年度の2005年とずれているのは、購入した不動産の登記が遅れたためとのことであり、こんな事は実務上よくあることで、だからと言ってこれが部分単式簿記上の問題となることはないはずやった。
しかし、検察はそれを問題にし、起訴事実を、「陸山会の2004年の政治資金収支報告書に、小沢氏からの借入金4億円、土地購入代金の支出約3億5200万円などを記載せず」とした。
その際の検察の主張は「2004年の資金収支報告書においては、小沢氏からの仮受金4億円を借入金として計上すべきであった」、「2005年の資金収支報告書に計上された世田谷の宅地の取得は、2004の資金収支報告書に計上されるべきであった」というものや。
2004年の資金収支報告書には、小沢氏からの4億円が借入金としてしっかり計上されているから、検察は、この4億円とは別の4億円の仮受金があるはずやということで問題にした。
仮受金ではなく借入金だと言うわけや。そんなことをすれば、この年、陸山会の小沢氏からの借入金は8億円になってしまう。
小沢氏は自身、および家族名義の所持金の合計4億円を一旦、陸山会に貸し付け、越山会はそれを担保に銀行から同額の金を借りただけのことで、同じ4億円が回っていたにすぎない。
金が回転したからと言うて4億円の借入金が8億円に化けることなんかあり得ん話や。
もっとも、8億円の金が動いたというバカな報道しとるマスコミもあったようやがな。
従って、10月上旬の小沢氏からの4億円の現金受領は会計上の仮受金であり、仮受金は、現行の政治資金収支報告書上簿外やという。
これが法律上認められた部分単式簿記の限界でもあると。
小沢氏の場合、すべてを透明にするという意図と配慮から、本来なら記載する必要のない事柄まで記載したために、それを正確に読み取れなかった検察の誤りから、これが「事件」として扱われてしまったということになる。
まあ、当時の検察としては、本丸の「収賄罪」で必死に追いかけていたにも関わらず何も出て来なかったということで、何が何でも小沢氏に何らかの罪があると世間に見せんと格好がつかんと考えたのやろうが、それが失敗に終わったというのが事の流れ、真相のすべてやないかと思う。
これのどこをどう指摘すれば罪に問えるほどの事件、犯罪になり「起訴」できるのか理解に苦しむ。
その最大の根拠は、当時の秘書をしていた石川議員以下3名が逮捕され、政治資金収支報告書の虚偽記載を認めたのやから、そのボスである小沢一郎氏も罪に問われてしかるべきやということなのやと思う。
しかし、これも状況を見る限り、自白を強要された結果の「虚偽の自白」の可能性が限りなく高いという気がする。
作られた「えん罪」の可能性があると。
東京地検特捜部は、「この手の事件では捜査はどうしても供述中心にならざるを得ない」という変な持論を公然と言い放ち、現職国会議員を国会会期前に逮捕したという。
結果、外部との接触を一切遮断された密室に21日間も監禁して朝から晩まで一日中責め立てられた挙げ句、それに耐え切れず、その場が助かるのならと自白調書にサインしたというのが事の真相のようや。
検察当局は、それが法律に則った正当な取り調べ、捜査手法やという。
ここで自白調書について少し説明しとく。
自白とは言うものの、その調書を書くのは、その被疑者本人やなく、担当刑事、もしくは担当検察官が捜査側に都合のええ内容を事前に作文したものが多い。
それを取調室で被疑者に見せ、または読み上げ、それにサインすれば、本人が語った「自白調書」ということにされ、それが裁判の場では大きな証拠として扱われる。
余談やが、新聞購読契約書でも、いくらその契約者が納得していなかったと言うても、それにサインして終えば、その契約書に書かれれているすべてのことを、その契約者は認めたことにされる。
それほど、サインするというのは法的にも強い拘束力を持つわけや。簡単なことでは「あれは間違いやった」ということにはならん。
拡張員もそうやが、検察官も、それにサインさせるためには、いろいろな手練手管を使うこともあるというのは容易に想像できる。そのためには少々の事は止む得んと考えて。
そういうことやと理解して貰えれば、この事は分かりやすいと思う。
今はどうか知らんが、ワシが昔、警察で取り調べをされたとき、同じように勝手にストーリーを書かれた自白調書を見せられたことがあった。
その際、そのページにまだ余白があるにも関わらず、サインする場所はなぜか、次の別紙のページになっていたのを思い出す。
警察官により勝手に書かれた「自白調書」なわけやから、後から、何でも好きな文章を書き足せるようにするためにそうしとるのかと、そのとき漠然とそう考えた覚えがある。
ええ加減なもんやなと。
その場を助かりたい人間は簡単にその罠に嵌る。
人は長時間の苦痛、責めに耐えられるようにはなっていない。そこを狙うわけや。
こんなとき、たいていの人間は、「認めてしまえば、楽になるぞ」、「こんな程度の事件は認めても罪が軽い」、「執行猶予がつく」といった類の落とし文句に縋(すが)ってしまう。
それを真に受けて、その「自白調書」にサインしたがために、取り返しのつかない「えん罪事件」となったケースはいくらでもある。
それと同じように石川議員たち3名も、その捜査当局の責めに耐え切れず根負けして政治資金収支報告書の虚偽記載を認め、「自白調書」にサインしたと聞く。
そうでもせんと、いつまで経っても終わらず、保釈が認められないと思うたからで、公判が始まれば「自白調書」の内容を翻せばええと考えたためやという。
しかし、残念ながら、例えそう考えて戦ったとしても、今後の石川議員たちの裁判において無罪判決が出る可能性は悲しいほど少ないと指摘する向きがある。
いくら客観証拠と矛盾していても、法廷の場では検察官面前での「自白調書」には、なぜかほぼ絶対的な信用力が認められることになっているからやと。
そのため、石川議員は密室で取られた「自白調書」の嘘を自らが公判で立証するという、とてつもなく難しい状態に置かれているのやと。
真実が真実として通りにくいという現実が、そこにあると。
それにより、石川議員たちが何らかの罪を科せられる可能性は高く、そうなれば必然的に小沢氏の責任も問われることになる。
ここまで、事の成り行きを知ったワシらとすれば、何か釈然とせんものを感じる。
これでええのかと。
9月8日の朝刊に、『検察審、小沢氏の2回目審査開始=10月議決の公算―陸山会事件』(注3.巻末参考ページ)という記事が載っていた。
4月27日に出された「起訴相当」の決定時は、多分にテレビや新聞の報道による小沢氏のイメージの悪さが影響してのことやったと思うが、今度こそ、前回とは入れ替わった新たな東京第5検察審査会のメンバーが自身の目で風聞に惑わされることなく正しい判断を下してほしいと切に願う。
そのための情報や資料、証拠はネット上で探せばいくらでもあるさかいな。
せやないと、もし万が一、もう一度、検察審査会が小沢氏に対して「起訴相当」という決定を下すようなことがあれば、この国の司法制度は終わってしまうのやないかと思う。
あるいは、検察審査会制度の存在意義そのものが疑われ、危うくなると考える。
ワシは、検察審査会制度、自体は悪いとは思わん。
検察が絶対に間違いを犯さんとは断言できんし、市民の訴える権利を尊重する必要があるとも考えるさかいな。
しかし、何でも訴えればええ。そのすべて認めろというのは行き過ぎやと思う。
特に、今回のように検察が不起訴にした事案について、それでも罪に問いたいのなら、法律に照らして限りなく有罪にできるという根拠と証拠を示す必要があると思う。
誰が聞いても納得できる内容ものをな。
単に、あいつが怪しい、疑わしいという程度で、法律知識の薄い素人が訴え、同じく法律知識の薄い素人がその「起訴相当」などという決定を下すべきやないと。
日本の司法、法律理念には「疑わしきは罰せず」とあるわけやさかいな。
幸いと言うか、これは「裁判員裁判」の事案とは違うからまだええが、もし、その裁きまで法律の素人が介入することになったらと考えると、ぞっとする。
罪というのは、法律の定めによって罰せられなあかん。間違っても、市民感情で罪が問われ裁かれるべきやない。
それやと、ただのリンチにしかならんさかいな。
市民感情で裁く場は、選挙という手段があるわけや。裁くのならそこで裁けばええ。投票という意志表示で。
この事案は、1年以上も東京地検特捜部が、テレビ報道でも大々的に報じられたように小沢氏に関係するありとあらゆる所を強制捜査をして、膨大な証拠資料とやらを押収し、総力を挙げて血眼になって捜査したにも関わらず、結果として罪に問えるほどの理由が何もなかったために泣く泣く「不起訴」としたものや。
こんなことは検察当局にとっては大失態で、できればそんな不細工なことにはなりたくなかったはずやが、そのまま無理に裁判に突入しても、ほぼ100%の確率で負けると分かり切っとるさかい、あきらめるしかなかったわけや。
恥の上塗りを避けるために。
その体裁として「嫌疑不十分」という、いかにも何かあるかのような錯覚をさせる表現を用いたわけやが、どう見ても負け惜しみとしか、ワシには見えん。
徹底して調べて何も出てこんかったというのは、その事実がないものと判断するべきやないやろうかと思う。
本当に巨悪が潜んでいるのなら、過去のロッキード事件やリクルート事件のように、例え時の総理大臣ですら逮捕したという実績からすれば、その捜査時は野党の代表にすぎんかった小沢氏の罪を見逃すことなど絶対にあり得んと考えるがな。
それにも関わらず、何の証拠も根拠もなく、正当な起訴理由すら示せていない事案にも関わらず、単に「市民感情」というわけの分からん理由で無理矢理「起訴相当」とし、「裁判」しろと言うのは、中世の「魔女裁判」に匹敵する暴挙としか言いようがないと思う。
こんなことがこれからも通用するようやと、とてもやないが法治国家とは言えんのやないかと。
ワシが、「この国の司法制度は終わる」、「検察審査会制度の存在そのものが疑われ、危うくなる」と言う所以(ゆえん)や。
もっとも、裁判になれば、無罪放免になるのは目に見えとるさかい、それで法治国家としての面目と体裁は保たれるとは思うがな。
間違っても、この事案に関しては何らかの罪に問われるはずはないと信じとる。
そこまで裁判所は愚かやないはずやと。
ワシが、そう言い切る理由は、そのメルマガの内容以外でも、『細野論文』、『小沢一郎が「起訴相当」となった理由』、『「記載のずれ」は「過失」でも「虚偽記載」でもない』(注4.巻末参考ページ)などのページを見れば分かって貰えるものと確信する。
いずれも、理路整然とした文句のつけようのない立証であり、論調やと思う。ここでの論証も、それらを大いに参考にさせて貰ったしな。
しかも、その告発をしたのが多くの国民を擁する市民団体と言うのなら、民主主義の国に住む人間として、ある程度は認めんと仕方ないが、この事案は、それとは大きく違う。
検察による小沢氏への不起訴決定の不服申し立てをしたという市民団体は、その名前すら新聞紙面では明かされていない。単に「市民団体」と記されているだけや。
その団体の希望か、新聞社の意図的なものか何かは知らんが、いずれにしても、その名前すら明かせんような市民団体とやらは、ワシには胡散臭い集団としか映らん。
そんな名前も明かせんような市民団体があるのか、それが市民団体と言えるのやろうかと思う。
さらに、それについて調べると、市民団体とは明記してはいても、たった一人の思惑により異議申し立てをしたものやということが分かった。
しかも、そうした狙いは他にあったと、その本人が自身のブログ(注5.巻末参考ページ)で語っとるというのには驚く。
その中に、
小沢一郎という巨悪を眠らせてはいけないこともありますが、外国人参政権実現のために誰よりも積極的なこの民主党大物政治家の動きを止めなければならないからです。
一連の小沢ショックとも呼べる政局の中で、外国人参政権問題は一時期に比べてかなり下火になってきた感があります。
しかし、同問題の中心にいる政治家が不起訴になったことで、またぞろ外国人参政権法案の国会上程を目指した動きが加速する可能性があるのです。
とある。
つまり、その異議申し立てをした人物の狙いは『外国人参政権阻止』という狙いがあってのことのようで、肝心な『政治団体陸山会が2004年の政治資金収支報告書』のどこに問題があり、違法性があるから「検察の不起訴決定」は、おかしいといったことについては一切触れられていない。
この人物にとっては、罪のあるなしなど関係なく、その事で僅かでも小沢一郎氏の人気を下げられ、その力を一時でも削ぐことができるのなら、その『外国人参政権阻止』につながるから、それでええと考えとるようなフシがある。
それに、マスコミ始め、東京第5検察審査会という法律の素人集団が踊らされ同調しとることになる。
『外国人参政権』の問題については、それぞれの意見があるやろうから、どういう考えでいようが批判するつもりはない。好きにすればええ。
しかし、それはそれで別の場所で堂々と議論を戦わせるか、あるいはそのための運動をすればええことや。
まったく関係のない事案で、その手法として検察審査会へ異議申し立てをするというのは、お門違いなやり方と言うしかない。
普通は、そういう事実を知れば誰でもおかしいと感じるのやないかと思うが、なぜか報道では一切それに触れようとすらしていない。
もっとも、その事実を知っていても、その手法に違法性がなく、掲載せんのは新聞社の判断やと言われれば、それまでかも知れんがな。
敢えてニュースとして取り上げるほどではないと。それを記事するかどうかの決定権は新聞社にあると。
ただ、そんな稚拙とも思える戦術が今までのところ大成功を収めとるのは確かや。
その思惑どおり、そのことが発端となって小沢氏は幹事長辞任に追いやられるという結果になったわけやさかいな。
しかし、小沢氏は、それから3ヶ月ほどで、今回の民主党代表選挙に名乗りを上げ、復権を目指してきた。
それと同時に、一事は下火になっていた俗に「政治とカネ」と称される東京第5検察審査会の「起訴相当」問題が、またもクローズアップされているわけや。
ちなみに「政治とカネ」というネーミングは誰が考えたのかは知らんが、この言葉一つで相当な威力を発揮しとると思う。
何も知らん人間が、小沢氏には「政治とカネ」があると言われれば、誰でも「何か悪いことをやっとんな」と考えるやろうからな。
それに対して小沢氏は、『検察審査会が再び「起訴相当」と議決し、強制起訴された場合、「離党したり、(衆院議員を)辞職したりする必要はない。そういう結論が出れば正々と対応したい』との考えを国民に向かって明らかにした。
つまり、強制起訴されれば裁判で正々堂々と争うということや。
どうも報道や一部の政治家の中には「起訴」されることが絶対の「汚点」になると考えていて、それ自体で「責任が生じるから責任を取れ」と言うアホな意見吐く、あるいは見方をする者がおるように思える。
当たり前やが、犯罪というのは、裁判でその判決を受けて初めてそれと成立するものや。
検察審査会が「起訴相当」とするべきという結論は、この場合、一つの権利、制度を用いたにすぎんことで、罪の有無は、裁判所の判断に委ねるしかないはずや。
小沢氏のように自身が潔白やと信じている人にとっては、堂々と争うというのは当然の対応やろうと考える。それをとやかく言うべきやないと考える。
例え、首相になったとしても毅然として堂々と戦えばええ。
ワシはピンチはチャンスになると日頃から口酸っぱく言うとるが、この件は正に小沢氏にとっての大チャンスになるかも知れんと思う。
過去、検察から起訴された総理大臣は悉(ことごと)く裁判で有罪になったわけやが、小沢氏は起訴されて初めて「無罪」を勝ち取った首相として後世の歴史に名を残すことになる可能性が大やさかいな。
それを責めるような論調こそ、おかしいし、異常やと言える。
そのことを新聞を始めとする報道機関は何も分かっていない。少なくともワシにはそう見える。
おそらくは、その決断をした小沢氏の姿勢も、これから追及していくのやろうと考える。
ワシは新聞社サイドの人間やが、それでもどうひいき目に見ても、菅直人氏と小沢一郎氏とでは、小沢一郎氏の方に辛辣な論調ばかりが新聞紙面上には目立つように思えてならん。
つまり、事、小沢氏に対しては、新聞は公平な報道を心掛けとるようには、とてもワシには見えんということや。
それは、新聞社の息のかかっている、あるいは関係の深いテレビ局の論調もすべて同じやと思う。
小沢氏が代表選挙に立候補するという状勢になった途端、新聞各社の世論調査が一斉に発表されたことでも、それが分かる。
それによると、菅直人総理が軒並み70%前後の支持を得ていて、小沢一郎氏の10数%台を圧倒する結果になっているという。
これを見る限り、世論の支持は圧倒的に菅直人総理にあると思われる。
果たして、そうやろうか。
ワシは、今まで新聞社の行ってきた世論調査というものに、あまり疑問を挟むことはなかった。
無条件というのやないが、かなり信用度は高いと思うてた。
ハカセ自身も実際に、『第87回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞世論調査の仕組みとその信頼度について』(注6.巻末参考ページ)でも言うてるように、その新聞の世論調査とやらを受けた経験がある。
それによると、普段考えていたよりも実際に遭遇した世論調査というのは、それなりに真剣にしているというのが伝わってきたと、ハカセも言うとる。
ただ、世論調査で質問されるような事を日頃から考えとる人間というのは少ないやろうから、いきなりそれと聞かれても、そうそう適確に答えられるもんでもないとは思うがな。
しかも、たいていの質問は択一式やから、そのどれかに無理にでも分類されやすいというのもある。
つまり、質問の順序や仕方一つで導き出される結果が大きく違うこともあるということや。
今回、ワシが疑問を呈したいのは、その世論調査の結果は新聞社の発表を信じるしかないという点にある。
小沢氏に対して否定的な報道しかせん新聞各社が、どこまでその数字を正確に出しているのかと。
せめて、その質問内容の全容でも分かれば、その真偽についての判断くらいはできるかも知れんが、今回はそれもない。少なくともワシには良う分からん。
もっとも、菅直人総理を支持するという人には「ころころ総理大臣を代えるべきではない」という意見や「小沢氏と比べて」という二者択一で消極的な判断があったと聞くから、その数字がそのまま支持率の違いになっとるとは限らんがな。
いずれにしても、新聞の世論調査は目に見えんというのは、懐疑的な見方を誘発する要因やないかと考える。
ワシが、何でこんな疑問を呈したかというと、実際にネット放送のリアルタイムでのアンケート結果では、それとはまったく正反対の逆転現象が起きとるからや。
『小沢氏「ニコ動」でざっくばらん…民主代表選』(注7.巻末参考ページ)というページによると、小沢氏は街頭演説を終えた後、東京・麹町でインターネットサイト「ニコニコ動画」の公開生中継に出演したとある。
そのときに行われたという『4万人のユーザーを対象にした「どちらに首相になってほしいか」のアンケート』結果は、小沢氏が78.5%、菅氏が21.5%という数字になったという。
これらのどちらを信じるかという問題になると、人それぞれ意見の別れるところやとは思うが、ワシは客観的に見て公開でアンケートを取ったというインターネットサイト「ニコニコ動画」の方が目に見えた方法でやった分、上やと思う。
これに対抗するにはテレビ局も生放送で、リアルタイムにその声を拾う世論調査をするくらいしかないのやないかな。
9月9日、午前12時放送のテレビ朝日の情報番組『ワイドスクランブル』の中で、民主党の若手議員、横粂勝仁氏がヒッチハイクで横浜から名古屋まで行って、その運転手に、今回の選挙について「菅直人氏と小沢一郎氏のどちらに首相になってほしいか」という質問をするという企画があった。
それによると、道中計14台に乗せて貰い、それぞれの運転手に聞いた結果は、菅直人氏7名、小沢一郎氏7名と同数やった。
ここで面白い現象が起きていた。
菅直人氏と答えた人は、かなり消極的な理由が多く、小沢一郎氏の場合は、何かやってくれそうだという期待感が込められていたというのが、それや。
サンプル数も少なく、たまたまやと言えばそれまでやが、少なくとも見える形で、しかもランダムに対象を選んでの結果やから、まったく無視はできんと思う。
こういったことも、果たして新聞の世論調査というのは正しいのやろうかと考える要因になった。
支持率どおりの人たちが本当に菅直人総理大臣に期待しとるのかと。
ワシが懐疑的になる所以(ゆえん)や。
今回の選挙は、日本の総理大臣を選ぶわけやから、その一方的な新聞報道の数字を並べるのやなく、生放送にして予断の少ない方法でするべきやないかと。
残念やが、この件に関して言えば、新聞はネットに負けとるのやないか言わざるを得んというのがワシの意見や。
一方は公開していて、他方は、この結果は正しいと言うてるだけやさかいな。
それでは説得力としては弱いし、負ける。
この目に見える、見えんというのは結構、大きな要素やと思うがな。
ただ、新聞紙面、テレビ放送で菅直人総理が優勢やと流すと、実際にも世論がその方向に流れやすいというさかい、結果として、それが正しいということにされてしまうのやろうがな。
いかにも、公平さを欠いた報道やと言わざるを得んと思う。
何度も言うが、ワシはどちらが勝とうと、そんなことはどうでもええ。
新聞やネットの報道が、それぞれに肩入れするのもええやろう。それについては何も言わん。
それらをどう評価するかは国民一人一人が判断すればええことや。
しかし、明らかな間違いはあかん。
今回で言えば、小沢氏への東京第5検察審査会が小沢一郎氏に対して「起訴相当」と決定したことについては明らかな誤りやと思うさかい、それを煽るような報道は控えた方がええと言うとく。
この事は必ずや報道の汚点となり、いつの日か、それで責められる日がくると思う。
ワシは何も小沢一郎氏が一点の曇りもない潔癖な人物やと言うつもりはない。
権謀渦巻く政界に長くいとるのやから、叩けばホコリの一つや二つは出るやろうと思う。
しかし、叩いてそのホコリを出したいのなら、確実な事実を突きつけてそうせなあかん。
法的にも、こんな勝ち目のない事案で、鬼の首を取ったかのように報道して責め立てるべきやない。そんなことをすると必ず我が身に跳ね返ってくる。
そういうのを、俗に「墓穴を掘る」と言う。
菅直人氏と小沢一郎氏の両者には、それぞれ一長一短が見えるさかい、どちらが日本の総理大臣として最も適格かというのは難しい選択やとは思う。
ワシの主観としては、あまり変化を期待しないのなら菅直人氏で、劇的な変化を望むのなら小沢一郎氏やと思う。
もっとも、どっちに転んだ方が良うなるかというのは、これからの両者の手腕次第やと考えるがな。
ええ方向に行けば儲けモノというくらいに考えて、来る9月14日の結果を待つしかないのと違うかな。
ワシら一般国民は、その結果でしか何も言えんわけやさかいな。
参考ページ
注1.第100回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞の実像 その3 新聞業界、それぞれの使命とはl
第101回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■報道のあり方……検察審査会の「起訴相当」決定の是非について
注2.第101回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■報道のあり方……検察審査会の「起訴相当」決定の是非について コメント欄
注3.検察審、小沢氏の2回目審査開始=10月議決の公算―陸山会事件
注4.細野論文
小沢一郎が「起訴相当」となった理由
「記載のずれ」は「過失」でも「虚偽記載」でもない
注5.Doronpaの独り言#main
2010年02月05日(金) 17時02分41秒掲載記事
注6.第87回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞世論調査の仕組みとその信頼度について
注7.小沢氏「ニコ動」でざっくばらん…民主代表選
読後感想 本日の配信について
投稿者 Sさん 投稿日時 2010.9.10 AM 8:42
本日配信の
> ■民主党代表選挙報道のあり方について
の内容に同感するものであります。
ただ、不動産を買ったということが、庶民感情のみならず、新聞記者にも羨望の念があったのではないでしょうか?
それが、法的に違反ではないにしても。
マスコミ、とりわけテレビなどでは、恣意的な編集がときに行われ、世論誘導ともいうべき結果をまねきます。
それは、新聞でも一部あてはまることではなかろうかと。
私は、松本サリン事件での「河野」氏への報道がもっとも代表的な例と感じます。
あの時代、彼をなんて「ふてぶてしい」人物かと感じていたのは私だけではなかったはず。
その総括は一部なされていたようですが、もはや彼の妻の他界などで、世間はほとんど忘れています。
あの事件中でも河野氏を雇用し続けた「スズキ」でしたか関連会社の対応は見事でした。
世間では、煙が立つだけで排除する組織が多い中で。
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