メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第120回 ゲンさんの新聞業界裏話

発行日 2010.9.24


■暴かれた「自白調書」のカラクリと検察への信用失墜について


ここのところ、裁判での「自白調書」の信用性の是非が問われるケースが増えた。

ある読者の方からメールで、


今週のメルマガ(『第118回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■民主党代表選挙報道のあり方について』注1.巻末参考ページ参照 )の自白調書の件ですが、ものすごくタイムリーだなと思いました。

というのも、例の郵便不正事件で村木厚子元局長が無罪となった裁判が、調書を不採用にした結果だったからです。

メルマガでは調書に一旦サインしたら、裁判で覆すのは、ほぼ無理というゲンさんの見解でしたが、どうやら、大きな岩が動き出したという感じがしました。


という感想が寄せられた。

その方が言われる、そのメルマガの中でワシが、


いくら客観証拠と矛盾していても、法廷の場では検察官面前での「自白調書」には、なぜかほぼ絶対的な信用力が認められることになっているからやと。

そのため、石川議員は密室で取られた「自白調書」の嘘を自らが公判で立証するという、とてつもなく難しい状態に置かれているのやと。


と言うてるのは、細野論文(注2.巻末参考ページ参照)での記述を参考にしたものやが、今までは、まったくそのとおりやったと思う。

例えそれが、検察官および警察官の都合のええ「筋書き」に沿った強引な手法で取られた「自白調書」と思われるものであっても、なぜか裁判の場では証拠として最重要視される傾向にあった。

特に、検察官面前調書、俗に「検面調書」と呼ばれているものには絶対的な証拠能力を有していると思われるほどに。

「検面調書」で自白を取られてしまうと、それに沿った判決が下されることになるのは避け難いと考えられ、覆すことは、ほぼ絶望と言われていた。

しかし、ここにきて、その絶対的とも言えた「検面調書」に揺らぎが生じ始めた。

その方の言われる『郵便不正事件で村木厚子元局長が無罪となった裁判』というのが、それをより鮮明にさせたと言える。


郵便不正 法廷証言重視の原点へ 「調書裁判」の終焉
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100911-00000126-san-soci より引用


 大阪地裁が厚生労働省の村木厚子元局長に言い渡した無罪判決は、検察側が描いた構図をことごとく否定した。「調書主義から口頭主義への転換」という裁判員制度の導入がもたらした刑事裁判の大きな変化を象徴するものとなった。

 逮捕当初、検察幹部は「証拠でがんじがらめ。有罪は確実」と強い自信をみせていた。「がんじがらめの証拠」とは、検察が描いた“ストーリー”に合わせて得た供述調書だった。

 しかし、公判では相次いで供述を翻され、調書の証拠採用を却下。検察捜査に対する国民の信頼は失墜した。

 判決で、横田信之裁判長は「異なる人物の供述調書が相互に符合した場合でも、客観的事実に合わなければ十分な信用性があると認定できない」と厳しく指摘した。

 構図に合わせた供述調書を作ることで事実を「作り上げる」検察の捜査手法の見直しを迫ったものといえる。

 そもそも法廷のやりとりを重視する「口頭主義」は刑事裁判の原則でありながら、これまでは調書が重視されてきた。

 だから、公判供述が捜査段階での検察官調書と食い違っても、調書を信用して事実認定されることが多く、弁護士から「調書裁判」とも批判されてきた。

 しかし、昨年5月から国民参加の裁判員制度が始まり、裁判官が調書を証拠採用する基準は厳格になった。「調書却下の例はここ数年、はるかに増えてきた」というのが現場の弁護士らの実感だ。

 今回の公判でも、多くの供述調書の証拠採用が却下される一方で、元係長の上村勉被告が「調書は作文」などと拘置所で記録し続けた「被疑者ノート」は証拠採用された。

 被疑者ノートは取り調べの可視化(全過程の録音・録画)を求める日本弁護士連合会が平成16年に作成、使用されている。

「不明なら、関係者の意見を総合するのが合理的では。いわば、多数決」。上村被告は逮捕の5日後、検事にこう言われて調書への署名を求められたと記入し、法廷でも同じ証言をした。

 取り調べ検事は否定したが、大阪地裁は5月の証拠採否決定の際、公判証言の信用性を認め、あらかじめ想定した調書への署名を強要する取り調べを批判。上村被告のすべての調書を証拠として認めなかった。

 裁判員裁判の広がりで調書重視から法廷のやりとりへの移行が進むなか、今回の無罪判決は「調書裁判」の終焉(しゅうえん)を示唆したといえる。


この記事にもあるとおり、「口頭主義」の重視、つまり、法廷でのやりとりで明かされた真実に従い判決が下されるのが刑事裁判の原則とされている。

しかし、これまでは裁判官が「検面調書」に強い証拠能力を認め、有罪判断の根拠としてきた。

これが俗に言われる、「調書裁判」ということになる。

そのため検察は「調書さえ取ってしまえば有罪にできる」という考えになりやすく、強引な自白強要につながる取り調べが行われてきたケースも多いという。

検察にとって、その事件の真相より、裁判でいかに勝利できるかということが最大関心事であり、判断基準になる。

検察が起訴することで、その裁判が勝てると踏めば、そうする。負ける可能性が高ければ起訴しない。

それが検察の基本的な方針やという。検察の考える真実は勝利の中にのみ、あると。

世界一とも言われている刑事裁判の有罪率99.9%という数字の背景には、それがある。

ただ、この自白をもって犯罪の証拠にする、根拠にするという考えは、洋の東西を問わず、昔から重要視されてきたことや。

今に始まったことやない。

犯罪を犯した本人が、そう認めて自供しとるのやから、これほど確かなことはないという理屈でな。

それがいつしか自白させてしまえば、その事件が解決できる。取り調べに当たる役人の仕事が終わるという風潮になっていった。

それで、その容疑者の罪が確定する。

簡単で最も手っ取り早い解決方法になるさかい、必然的に自白のみに頼る取り調べが行われることも多かったはずや。

しかし、そうなると、容疑者も迂闊には喋ることはできんということで口を閉ざす。

自白すれば終わるということは、裏を返せば、自白さえせんかったら助かるということにもなるわけや。

当然、本当にその犯罪をやっていても「やっていない」とシラを切る者も現れる。

その言い分を大人しく聞いていたのでは、ラチがあかんということで、拷問という手段が取られるようになった。

そのためだけに使う道具も、ありとあらゆる国に存在していた。

人は肉体の苦痛に耐えられるようにはなっていない。

ゴルゴ13やジャックバウワーのような人間は物語の中にしか存在しないということや。

たいていの者は、その拷問に耐えきれず、何もしてなくても、その場が助かりたい一心で、「私がやった」と言うてしまう。

つまり、怪しいと疑いをかけられた時点で、その人間は終わるということを意味していたわけや。

そこから数多くの「えん罪」が生まれたというのは容易に想像がつく。

自白の危うさ、怖さというのが、そこにある。

さすがに今の時代に、肉体を直接責めるという過激な拷問をするようなことはないとは思うが、精神的、あるいは長時間拘束することによる肉体的な苦痛を与え続け、被疑者の自白を強要するケースがあると実証された。

それを逃れたい一心で「ウソの自白」を認めるというのは、まさに「拷問」したのと同じ結果になるということや。

声高に、近代の犯罪捜査は科学捜査が主体やと言うてても、これでは前時代的な「拷問捜査」と何ら変わるところがない。

この検察捜査への国民の信用失墜、裏切りの構図が発覚したのは深刻な事態やと思う。

これからは、「自白」のすべてに疑いの目を多くの国民が向けるやろうしな。

今までのように、「自白」したから、あいつは犯人やとは決めつけられんようになった。

必然的に報道も、そうなるはずや。

ただ、何でもかんでも、その「自白」に頼ることに問題があると言うてるわけやない。

その自白には、真犯人でなければ知り得ない事実、「秘密の暴露」というのがあるさかいな。

その「秘密の暴露」に基づく自白の裏付け捜査をした結果、その事実に間違いがないとなれば、例え物証や目撃証人がなくても有罪になるというのは当然のことや。

その「自白」を得るのなら問題はない。

例えば、殺人事件に使った凶器をいくら探しても発見できなかったところ、その被疑者が、捜査関係者の知り得ない具体的な隠し場所を自白したことで、それが発見され、凶器と断定されれば、犯人に間違いないということになる。

また、死体なき殺人事件と思われるケースで、犯人の自白により、被害者の遺体が見つかったというのも、それになる。

余談やが、この自白というのは、推理小説やサスペンスドラマには重要で重宝なものとされている。

そのラストシーンで、謎解きをした探偵役の主人公の前で、その犯人がすべてを告白、自白するというパターンになっとるものが多いさかいな。

その自白には、「秘密の暴露」というのが圧倒的に多い。

犯人だけしか知り得ない、考えられない内容を、いかにも観念したという形で自発的に話し出す。

そうすることが、読者や視聴者に一番納得させやすいし、話もまとめやすい。

現実にあるように、シラを切り続けるとか、自白を翻すというようなストーリー展開にすると、その部分だけ、だらだらと間延びして面白くなくなる。

それよりも犯人の告白を交えた方が物語としては、すっきりと収まってウケもええということで、その手法が多用されとるわけや。

そういうのは単なる虚構のストーリー展開なわけやが、いつしか、そういった物語用の手法が、一般の間でも刷り込まれ、常識化されてきたのやないかという気がする。

「自白」を信じるという風潮が強かったのが、それやと思う。

本人が「自白」しとるのやから、間違いないやろうと。

長い歴史の中で延々と続けられた「自白」の重みを、現在の捜査機関が受け継いできたとしても、それ自体には問題はない。

犯人にしか知り得ないことは、やはりその犯人を問い詰めて確かめるしかないさかいな。

問題は、その「自白」が真実か否かという点や。

「自白」が真実であれば何も問題はない。

しかし、今回の『郵便不正事件で村木厚子元局長が無罪となった裁判』では、その自白の信用性が大きく揺らぎ、それが怪しいとなった。

結局、それが引き金となって、その「自白」は捜査関係者の望む「筋立て」に沿った作文で、歪曲されたものであるということが白日のもとに晒されたわけや。

そもそも、この事件というのは、実体のない障害者団体「凜(りん)の会」代表の倉沢被告が偽の証明書を利用して低料金で郵便を発送した郵便法違反容疑で昨年4月、大阪地検特捜部に逮捕されたのが発端だった。

特捜部は、厚労省が石井一参院議員関係の「議員案件」と判断し、凜の会を障害者団体に認定する偽証明書を発行したという構図で捜査を進めた。

国会議員と官僚が結託して汚職をしているという前提で。

これを「筋立て」と言う。言えば見込み捜査というやつやな。

見込み捜査自体は、捜査官の経験に基づく勘、嗅覚のようなもので、あながち悪いとも言い切れんが、それがすべてと決めつけて捜査したらあかん。

間違った無理な「筋立て」は、それと気づけばいつでも方向転換する必要がある。

いわんや、すべての辻褄を無理矢理、その「筋立て」に当て嵌めようとしたというのは恥ずべき行為で、許されるものやない。

それを大阪特捜部はやった。

そのやり方には驚く外ない。

その主な事例を報道発表されたものから幾つか抜粋する。


大阪地検特捜部で事情聴取を受けた厚生労働省の男性職員が、検事に1枚の供述調書を示され「これでよければ署名して」と求めた。

その供述調書は、職員には全く聴かれていない内容のものだった。

「こんなこと分かりません」と言ったが、検事は「いいから」と署名のみを求めた。

取り調べで疲れていた職員は面倒になり、「いいのかな」と思いながら署名したという。


実体のない障害者団体「凜(りん)の会」代表者である倉沢被告の取り調べでは「(04年当時の厚労省課長だった)村木さんから偽証明書を受け取った」という供述調書ができあがった。

しかし、倉沢被告は「本当に村木さんだったのかという自信がない」と言う。

「検事から『証明書は課長の印が押してある。あんたは課長からもらったんだよ』と言われ続け、そうなのかなと思って調書に署名したという。


凜の会の設立メンバーの一人、木村氏は取り調べで、倉沢被告とともに石井議員に面談したのではないかと問われた。

倉沢被告の手帳に石井議員とともに木村氏の名前が書かれていたからだという理由で。

「覚えがない」と言うと、検事は「議員会館に入った経験はありますか」と尋ねた。

木村氏は「入ったことはある。部屋には応接室がある」などと知っている範囲で答えた。

できあがった供述調書は「私は倉沢さんと議員会館に行き、石井議員の応接室で口添えを依頼した」となっていた。

木村氏が「これはあなたの作文だ。私は石井さんに会ったことはない」と反論すると、検事はそれまで紳士的だった態度を変え「お前は会っているんだ。いいんだよ」と声を荒らげたという。

木村氏は公判で「供述調書は事実ではない」と証言した。


他にも挙げたら、まだまだあるが、このへんで止めとく。

キリがない。

偽証明書が作られてから5年後の捜査。

関係者の記憶も薄れ、特捜部は裏付けのないまま、本人らの身に覚えがない供述調書を積み上げていったというのが、事の真相やった。

それが、すべてバレた。

結果、その担当主任検事が、証拠に手を加え偽造したということまで発覚し、逮捕されるという前代未聞の大不祥事事件に発展した。

さらに現在もその余波は拡がり続けていて、大阪特捜部の解体、検事総長の責任問題にまで発展していきそうな状勢にあるという。

検察の威信と信用が完全に地に堕ちたと言う外はない。

なぜ、こんなことになったのか。

「国会議員や官僚の犯罪は国政の中枢をゆがめる。捜査するのは当然。特捜にはその使命がある」というのが地検特捜部の信念やという。

その意欲は買える。また、そうでなかったらあかんとも思う。

ただ、ある元特捜検事が「東京と違い大阪は事件のネタが小ぶりで少ない。乏しい成果を補おうと無理をする傾向がある」と指摘するような事情が本当に働いて、今回のようなことになったのやとしたら、その病巣は深いと言うしかない。

つまり、功名心から成果を求める気持ちが強すぎて事実をねじ曲げてまで「官僚の犯罪」に仕立て上げようと画策したとことになるわけや。

検察や警察が、その功名心や「筋立て」を重要視する余り、強引、あるいは偽りの「供述調書」、「自白調書」が作られたというのは、何も今回だけのことやないと思う。

2003年に「鹿児島県議選買収事件」、俗に「志布志事件」と呼ばれる事件があった。(注3.巻末参考ページ参照)

1人の被疑者宅において選挙中に候補者を囲んで、計4回の会合をもったという事実だけで怪しまれ、そのとき当選した元県議会議員、中山信一氏を含め、住民12人全員が買収・非買収の容疑で逮捕、起訴された事件や。

このときにも「自白調書」の信用性が大きく問われた事件やった。

結局、裁判の末、2007年3月23日、鹿児島地裁が自白調書を否定し、12人全員を無罪とした。

この事件では、被告のほぼ全員が「自白を強要された」と言っていた。

自白は任意によるものでなく、警察側の恣意であったと。えげつないやり方があったと。

その一例がある。


強要された自白
http://www17.plala.or.jp/tokamori/qkyoyoj0.htm より引用


あるとき、捜査官が封筒をテーブルの上において、やさしく質問する。

「この封筒には、何が入っていると思う?」

「手紙?」

「いや、そうじゃない。手紙じゃないとすると?」

「お金?」

「そうそう、いくらだと思う?」

「1万円?」

「いや、もっと多いだろう」

「3万円?」

「そうだ。どうして知っていたんだ? 候補者からもらったんだろう!」

とたんに、捜査官の顔つきが変わり、怒声が響いた。


というおよそ常識では考えられんような取り調べが、不当に被疑者たちを拘束したまま、延々と行われたということが白日のもとに晒された。

このときにも多くの被疑者が、その場を助かりたい一心で、警察の強要する「供述調書」にサインしたというものや。

当時のニュースやテレビの報道特別番組で盛んに放映されていたから覚えておられる方も多いと思う。

ワシ自身も、実際に警察の取り調べで、それに近い経験があるさかい、この手の事は今まで日常茶飯事、普通に起きとるはずやと確信しとる。

要は、それが発覚するか、してないかというだけの違いがあるだけでな。

この「志布志事件」のときは、悪いのは一部の刑事や検事官やったとして茶を濁された格好で終わったが、これからは、そういうわけにはいかんやろうと思う。

事はより深刻や。

検察トップの検事総長の責任問題にまで発展しとるというのやからな。

今までは、ほぼ無条件で検察や警察の「供述調書」や「自白調書」を証拠として採用していた裁判所も、これからは厳格な姿勢で、それらを吟味せざるを得んようになるはずや。

去年から始まった裁判員裁判の場では「自白調書」に重きをおく「調書裁判」よりも「口頭主義」への転換が図られとるとはよく聞くが、今後はそれ以外の裁判でも、同じようになる可能性が高いと思う。

もっとも、それが本来あるべき姿やさかい、そうならなあかんのやがな。

むしろ、今までが異常すぎたということや。

今回のことを予測してのことやないとは思うが、このタイミングで、


小沢氏元秘書3人、否認へ 検察側と真っ向対立 陸山会事件

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100923-00000113-san-soci より引用


民主党の小沢一郎元幹事長の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で、衆院議員、石川知裕被告(37)=同法違反罪で起訴=ら元秘書3人が捜査段階から一転し、起訴内容を否認する方針であることが22日、関係者への取材で分かった。24日から東京地裁で公判前整理手続きが始まり、検察側と全面対決の構図となる。

 東京地検特捜部の調べなどによると、陸山会は平成16年に小沢氏の手持ち資金4億円で東京都内の土地を購入した後、小沢氏名義で同額の銀行融資を受けた。石川被告はこのうち土地代金となった小沢氏の4億円を政治資金収支報告書に収入として記載しなかったなどとして起訴された。

 石川被告の弁護人によると、石川被告は「手持ち資金は収支報告書に『借入金4億円』として記載している。銀行融資については収入にあたる認識はなく、記載しなかったのは故意ではない」と主張するという。元私設秘書の池田光智被告(33)も、同様に犯意を争う見通し。

 一方、元公設第1秘書の大久保隆規被告(49)は「収支報告書の作成にかかわっていない」として無罪を主張する方針。

 大久保被告の取り調べを担当したのは、郵便不正事件をめぐり押収資料を改竄(かいざん)したとして逮捕された大阪地検特捜部の前田恒彦容疑者(43)で、弁護側は容疑を認めた供述調書の信用性を争う可能性がある。

 一方、水谷建設からの裏献金について検察側は石川被告らが虚偽記載を行った動機につながるとして公判で立証する考え。これに対し、石川被告らは公判前整理手続きで、立証事項から除くよう主張する。

 仙谷由人官房長官は22日の記者会見で、郵便不正事件の押収資料改竄事件で逮捕された前田容疑者が大久保被告の取り調べを担当したことについて、「公判で一つの争点になる可能性はあるなと一般論としては言える」と述べ、公判に影響を与える可能性もあるとの認識を示した。


というニュースが飛び込んできた。

これに関連した話は、『第100回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞の実像 その3  新聞業界、それぞれの使命とは』、『第101回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■報道のあり方……検察審査会の「起訴相当」決定の是非について』、『第118回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■民主党代表選挙報道のあり方について』(注4.巻末参考ページ参照)で散々してきたが、ついに事は、ワシらの考えとる方向に流れ出したというのが、正直な感想や。

ワシは、民主党の小沢一郎元幹事長の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件そのものが、ねつ造、えん罪事件やと言い続けてきた。

その根拠の一つとして、ワシらが信用するに足ると考えとる「細野論文」の中にも、


この事件の資金移動を会計的に分析する限り、石川議員以下の3名の被告人は証拠構造上圧倒的に有利であり、それどころか、政治資金規正法が部分単式簿記を前提としている以上、ここには犯罪事実そのものが存在しない。

検察庁特捜部は、「この手の事件では捜査はどうしても供述中心にならざるを得ない。」などと意味不明の訳の分からないことを言っては、現職国会議員を国会会期前に逮捕した。

外部との接触を一切遮断した密室に21日間も監禁して朝から晩まで攻め立てれば、事実にかかわらず人は自白調書に署名する。

足利事件で明らかとなったように、日本の捜査機関による取調べ技術をもってすれば、人を殺してなくとも、「殺したのは実は私です」などと、立派な自白調書が出来上がるのである。

当然のことのように石川議員以下3名は政治資金収支報告書の虚偽記載を認め、本件は自白事件として処理されることになった。

石川議員たちが犯罪事実の存在しない自白調書に署名したのは、そうしなければ何時までたっても保釈が認められないからで、従って、公判が始まれば自白を翻すに決まっている。

ただし、残念ながら、今後の石川議員の裁判において無罪判決が出る可能性は悲しいほど少ないと考えなくてはならない。

部分単式簿記による会計数値という客観証拠と矛盾していても、現行司法では検察官面前調書による自白には、なぜかほぼ絶対的な信用力を認められることになっているからである。

石川議員はあの密室で取られた自白調書の嘘を自ら公判で立証するという、まさに前人未到とも言うべき難行に挑まなくてはならない。


とある。

今までやったら、検察官面前調書による自白を覆すことは容易やなかった。

石川議員ら当事者たちも厳しい闘いになるということは覚悟していたはずや。

しかし、ここにきて事情が大きく変わった。

何と、この事件の根幹に関わったとされている大久保被告の取り調べを担当したのは、郵便不正事件をめぐり押収資料を改竄(かいざん)したとして逮捕された大阪地検特捜部の前田恒彦容疑者やったということが分かった。

当然、弁護側は容疑を認めた供述調書の信用性を争う姿勢やという。

おそらくは、その供述調書も違法な方法で取られたものやという事になるのやないかと思う。

すると、どうなるか。

民主党の小沢一郎元幹事長の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件に対して、小沢氏を「起訴相当」という議決をした東京第5検察審査会の決定そのものが無意味なものになると考えられる。

小沢氏への「起訴相当」の決定に対して、検察は再捜査をした結果、二度目の不起訴とした。

本来なら、東京第5検察審査会が再度審議をして、その決定を10月中に出すことになっとる。

そこで再び「起訴相当」の決定が出れば強制起訴となるが、それがいつのことになるかは定かやないが、その前に石川議員らに無罪判決が出れば、その起訴をする意味がなくなるはずや。

ここにきて、その可能性がかなり高まったと言える。

そうなると、最初から無実と分かっとる人間を起訴しようというのは、どう考えても無理があるからな。

もともと、小沢氏に対して「起訴相当」という議決をした東京第5検察審査会の決定の根拠は、石川議員らが「自白」したということが大きな理由になっとるわけで、今回の流れで言えば、それが強要、ねつ造されたものやと裁判の場で実証されれば、その根拠そのものが根底から崩れることになる。

東京第5検察審査会のメンバーは一般から選ばれた人たちやから、現在のこの報道、状況を知らんはずがない。

ワシは、過去のメルマガ誌上で、新聞やテレビの報道を批判的に見ていたが、今回のこの報道内容に関する限り、公平なものやと思う。

おそらく、多くの新聞、テレビの報道も、今回に近いものになるはずや。

すると、今までは悪役扱いされていた小沢氏が一転して逆の評価になるという場合も考えられる。

検察に陥れられた悲運の政治家として取り上げられ、人気が出るかも知れん。

民主党の代表選に負けはしたが、その意外な好感度、雄弁さを多くの国民に示したことでもあるしな。

もともと、その事件というか嫌疑さえかかってなかったら、その政治手腕、実力は、日本の政治家の中ではナンバーワンやというのは誰もが認めるところやと思う。

その嫌疑が晴れれば、その存在価値は以前に増して大きくなるはずや。

先の「起訴相当」の決定にしても、大半の東京第5検察審査会のメンバーは、報道に左右された結果の判断やったと言うても過言やないと思う。

ワシが過去にメルマガで語ったような事実を知った上で、その結論を出したとは、とても考えられんさかいな。

そうやとすると、同じように「起訴相当」の決定も、これでないということも考えられる。

まさか、この状況下で東京第5検察審査会のメンバーの11人中8人が「起訴相当」の決定を下すとは思えんさかいな。

まあ、それは彼らが判断することやから、ええとして、それでも万が一「起訴相当」の決定があって、強制起訴となったとしても、今までのような「起訴」されたら終わりというような報道だけはしてほしくないと思う。

「起訴」されるということは単に裁判になるというだけのことで、それでその人間の罪が確定したわけやない。

罪は、あくまでも、その裁判の場で決められるべきものや。

今までは起訴された事件の99.9%が有罪になっとるという根拠で、その人間はそれで終いかのように報道されてきた。

裁判のことやから絶対とまでは断言できんが、この状勢では小沢氏に何らか罪を宣告するのは、以前にも増して、さらに限りなく難しい状況になったのは確かやという気がする。

いずれにしても、一連の問題、騒動の決着は早めにつきそうな状勢になったとは思う。

真実は、最後には勝つ。そうでないとあかんわな。



参考ページ

注1.第118回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■民主党代表選挙報道のあり方について

注2.細野論文

注3.強要された自白

注4.第100回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞の実像 その3  新聞業界、それぞれの使命とは

第101回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■報道のあり方……検察審査会の「起訴相当」決定の是非について

第118回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■民主党代表選挙報道のあり方について


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