メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第122回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2010.10. 8


■ゲンさんの知っておきたい故事古典格言集 サイト編 Part 2


シリーズの「サイト編 Part 2」としては、少し間隔が開きすぎたようや。

続編を楽しみにしておられた方には大変申し訳なかったと思う。

ここのところ時事問題を多く取り上げていて、気がつけば2ヶ月以上が経っていたさかいな。

いつもは、こういったシリーズは短いサイクルで掲載するのやが、読者からのメールや情報が寄せられると、どうしても、その話題の方に話が向いてしまう。

言い訳をすれば、そういうことになるが、別に忘れていたわけやないので許して貰いたい。

前回の『第111回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ゲンさんの知っておきたい故事古典格言集 サイト編 Part1』(注1.巻末参考ページ参照)の冒頭でも言うたが、このメルマガやサイトでは時折、故事や古典の格言、ことわざを紹介、引用しとる。

そうすることで教養をひけらすつもりなど、さらさらない。

それに、こういったものはワシらの若い頃には、ほとんどの人が知っていた常識のようなものばかりやから、教養云々とはあまり関係がないとも思うとるしな。

それが今の時代、廃れとるというか、忘れられとるようなところがある。

聞けば、今は小中学校の教科書にも、この手の故事古典はあまり載ってないということのようや。

もし、それが時代の流れ、変革やと言うのなら、あまりにも寂しい、そして不幸なことやと思う。

昔から語り継がれている格言、ことわざには生きる上での必要な含蓄と処世術が凝縮している。

知って得することはあっても損になることは絶対にない。

そう信じとる。

ワシ自身、それらの格言や教えに出会って「助かった」、「役に立った」ということが多かったさかい、その時折の場面で多くの読者の方に、それを伝えたかったということがあったから、そうしとるにすぎんことや。

それには、評判がすこぶるええということもある。

本来やと古典とか故事の類は、小難(こむずか)しいと敬遠されがちなものやが、サイトやメルマガでワシが引用すると、そうでもないと。

改まって、「さあ、古典を勉強するぞ」と意気込んでも、その習慣や意欲がないと、そう簡単にはできるもんでもないが、面白い話のついでにそれがあるとまた違うと。

すんなり頭に入ってくると。

実際、そういった声が数多く届けられとる。

そうは言うても闇雲に引用するわけにもいかんがな。

それぞれの場面に合った効果的なものでないと、その部分だけが浮いてしまい、却って逆効果になるさかいな。

その使い分けと選択が、結構難しい。

また、Q&Aなどの場合、似たような相談事例も多いためか、同じことわざ、格言を重複して引用しとるというケースが結構あったりする。

もっとも、これについては、今回、このシリーズの「Part 2」を編集する際に、初めて、それと気づいたわけやけどな。

特に、多用していたものに、

【忠告してこれを善導し、不可なれば即(すなわ)ち止む】

【彼(かれ)を知り己を知れば百戦して殆(あやう)からず】

【憤せずんば啓せず。排せずんば発せず(啓発)】

【事は密なるを以(もっ)て成る】

【将を射んと欲すれば先ず馬を射よ】

【これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず】

などがある。

これらは、「サイト編 Part 1」で紹介済みなので、今回は除外させて頂いた。

それでは始める。


ゲンさんの知っておきたい故事古典格言集 サイト編 Part 2


【走(にぐ)るを上と為(な)す。(走為上)】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A NO.230 すんなり行きそうでないタイプのお客さんの対処法を教えてください より 掲載日2006.3.15 )

出典は兵法三十六計。成立時期は不明やが、大体5世紀までの故事を17世紀、清の時代に纏(まと)められたものという説が有力。

これは最も重要な兵法の一つとされていて、俗に「逃げるが勝ち」と言われとるものや。

また、第三十六計めに、これがあることから「三十六計、逃げるに如(し)かず」とも言われている。

ワシは、『これは、無駄な戦いを戒めたものということになっとる。戦いにおいて玉砕するのは、格好はええけど、それで終いや。

昔の中国では、そういうのは「匹夫の勇」と言うて、軽蔑されとった。

逃げるというのは格好は悪いかも知れんが、怪我をすることは少ない。

そして、いつの日か「捲土重来」を期すことができる。勝つ可能性を残せるということや。

せやから、それを姑息なとか恥ずかしいとか思う必要はさらさらないわけや。逃げも立派な戦法であり、処世術やと考えればええ』と言うた。



【過ちは即(すなわ)ち改むるに憚(はばか)ることなかれ】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&ANO.279 「新聞拡張員ゲンさんの嘆き」を読んで より 掲載日2006.7.20)

出典は論語・学而(がくじ)篇。

意味は、ほぼそのままで、過ちを犯したことに気づいたら、すぐに改めろということや。それをすることに躊躇してはならないという教えやな。

この前段に【忠言を主とし、己に如(し)かざる者を友とするなかれ】というのがある。

常に誠実であることを第一の旨とし、友を選ぶときは自分より優れた人物を選んだ方がいい、そうすれば、その忠言により、その過ち(間違い)に気づきやすいということや。

もっとも、たいていの間違いは、ほとんどの人がそれと気づくものばかりのはずで、要はそれを素直に謝ることができるかどうかで、その人間の度量のあるなしが問われるということなのやろうと思う。

ワシは、この教えを引用して、新聞社の誤報を糾弾してきた質問者に、

『多くは誤報という間違いや。人間が関わっとる以上、それは、あり得ることやと思う。

新聞やからあってはならんという意見は良く分かるし、ワシもその通りやと思うが、哀しいかな人間にミスはつきものや。

残念ながら、人間が関わるすべての現場でこれを回避することは不可能やと思う。これからも、新聞に限らず、こういう人的ミスは続くのは間違いのないことや。

ただ、新聞社は、それらの誤報に対しては、その過ちを認めて謝罪しとる。謝れば、それで済むというものでもないが、その姿勢は評価できるのやないかな。

過ちは即ち改むるに憚ることなかれ。という教えがあるように、本当の過ちとは、それを改めんことやと思う。それからすれば、まだましやということや』

と言うた。



【声東撃西の計】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&ANO.316 大規模拡張団の入店日直前の中止について より 掲載日2006.10. 10)

出典は兵法三十六計。または唐の歴史家、杜佑(とゆう)編纂の通典(つでん)という説もある。

意味は、東を撃つと見せて、その実は西を撃つという戦法のこと。

まず、東を攻撃すると見せかけて陽動作戦を展開する。それに釣られて敵が東に戦力を投入すれば西が手薄になる。手薄になった西をすかさず攻撃する作戦のことをいう。

ワシは、これを、新聞拡張団、新聞販売店が拡張員を投入する際の作戦の一つとして、

『虚々実々の駆け引きがそこにあるわけや。営業戦略というのは、情報が命や。いかに正確な情報を掴めるかによって勝負が決まると言うてもええ。

情報戦略の中には、わざと相手側に知られるようにリークすることもある。

例えば、その月の15日に本来の特拡が組まれていたとする。それを隠して、10日にその特拡があるかのように、意図して情報を漏らすということや。

そうなると、10日という情報を掴んだ販売店は、それを信じてその日を警戒する。しかし、実際は来んわけやから、あんたのケースのように、肩透かしをくらうことになる。

そして、安心させたところを見計らって本来の特拡を実行する。

昔の兵法に「声東撃西の計」というのがある。東を攻撃すると見せかけて、その実、西を攻めるという作戦や。

基本的な考え方は、それと同じや。戦いの駆け引きは、今も昔も、それほど変わりがないということやろうと思う』

と紹介した。



【立つ鳥、後を濁さず】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&ANO.320 引っ越しによる商品券の返還について より 掲載日2006.10.16)

出典は日葡(にっぽ)辞書。1603年〜1604年にかけて長崎で発行された、日本語をポルトガル語で解説した辞典。

意味は、立ち去る者は、自分が居た跡を見苦しくないように、良く始末しなければならない。また、退(ひ)き際が潔(いさぎよ)く綺麗であること。

ワシは、これを引用し、引っ越しするという相談者に、『残りの日数が少なくて忙しいとは思うが、ちゃんと、後始末しといた方がええ。話せば、たいていの販売店なら分かって貰えるはずやと思うからな』とアドバイスした。



【門前の小僧、習わぬ経を読む】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&ANO.338 『苦難を楽しむ』にはどうしたら良いのですか より 掲載日2006.11.18)

出典は、江戸いろはがるた。

意味は、常に見たり聞いたりしていれば、知らず知らずのうちにそれを学び知るようになるということの喩え。環境がその人に与える影響が大きいという意味もある。 

ワシは、『普通に考えれば、数多くのクレームや苦情を持ち込まれ、裁判にまで関わらなあかんというのは、おそろしくマスナスなことやと捉えられるやろうが、そのおかげで知識が増え経験もかなり積んだと思うとる。

門前の小僧、習わぬ経を読む。というやつで、法律関係者とのつきあいや実際の裁判所でのやり取りを経験するうちに、法律上での闘い方まで自然に身についてきたからな』と言うて、これを引用した。



【囲師には必ず開(か)き、窮寇(きゅうこう)には迫るなかれ】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&ANO.342 後爆について より 掲載日2006.12: 2)

出典は孫子・軍争篇。

意味は、包囲した敵には逃げ道を開けておけ。追い詰めた敵は攻撃するなというものや。

これは、「窮鼠(きゅうそ)、猫を噛む」という喩えがあるように、ヘタに逃げ場を奪ってしまえば、追い詰められたネズミでもネコに襲いかかることがあるように、必死の反撃により思わぬ損害を被るおそれが出る場合がある。

そうならないようにしろという教えや。

ワシは、これを引用し、

『人間は、逃げ道があれば、そこに逃げる。しかし、その逃げ道がないと知ると、やけくそになって反撃する。それで、逆に手痛いダメージを受ける可能性もあるということや。

あんたは『拡張員にダメージを与えるための、なにかよい方法ありませんでしょうか?』と言うてるところからして、普段から、相手に落ち度があると知ると、追い詰めな気が済まん人のように見受けられる。

常に、そういう姿勢やと、とんでもない反撃をくらうことがあるのが世の中や。老婆心ながら言うとく』

と、アドバイスした。



【清濁(せいだく)併せ呑む】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&ANO.393 この事を話したらどうなるのでしょうか? より 掲載日2007.4.15)

出典は史記・酷吏列伝。

意味は、善も悪もまとめてすべて受け入れるということ。

大海が清流も濁流も同時に迎え入れているところから、度量が広いという意味で使われるようになった。

ワシは、これを、

『この業界には、不条理なことというのは、いくらでもある。悪事を暴こうとすればキリがないと思う。

ワシも過去には、嫌というほど、えげつない場面に遭遇してきたから、よけいそれを痛感する。

清濁併せ呑む。

つまり、少々のことには目をつむるという気持ちがなかったら、この仕事はやっていけんということや』

と言うて引用した。



【沽券(こけん)に関わる】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&ANO.507 こんな拡張員にどう対処したらいいですか より 掲載日2008.1.11)

出典は特になし。江戸時代の慣用句。

「沽券(こけん)」とは、江戸時代においての土地建物の売り渡し状(売買契約書)のことで、土地権利証としても機能していたという。

このことから、主に「売値」という意味で使われるようになり、さらに「人の値打ち」「品位」といった意味に拡大し、ついにはプライドに関わることを「沽券(こけん)に関わる」と言うようになったとされている。

ワシは、これを「過去読を落とせんようでは、沽券(こけん)関わる」と引用した。



【口は是(こ)れ禍(わざわい)の門】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&ANO.520 おかしくないのでしょうか??
 より 掲載日2008.2. 2)

出典は古今事分類聚。

意味は、うっかりしゃべったことが誤解を招き、思わぬ災難を招くということ。

この後に、【舌は是れ身を斬るの刀】と続く。

ワシは、『あんたの話を聞く限り、どうしようもないアホな販売店やな。「口は禍の門」というのを、そのまま地でいっとるような対応や』と言うた。

また、『その客の気分を害させるのが目的なら、それでもええが、これからもずっと客でいて貰おうとする販売店のとる態度やない』とも。



【井の中の蛙(かわず)、大海を知らず】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&ANO.553 S(無代紙)の要求について より 掲載日2008.4.14)

出典は荘子・秋水篇。

意味は、井戸の中の蛙(かえる)に広い海があると話しても、狭い場所が世の中のすべてと思っているためそれが分からず、また知ろうとしないで得意満面に振る舞っている様が滑稽であるということ。

それが転じて、自分の狭い知識や考えに囚われて、他の広い世界のあることを知らないで得々としている様のことを指す比喩として使われるようになった。

その文中でワシは、

『理屈では、この業界は千差万別いろいろあるとは知っていたが、実際に多くの業界関係者の方々からの様々な情報を知るにつけ、自分の知識や思い込みの程度の低さにショックを受けたもんや。

まさに、「井の中の蛙、大海を知らず」やった。

特に、この業界は、地域性というものが色濃く出る仕事やさかい、どんなことでも一概にこうやとは決めつけることはできん。

単に、その地域、その販売店ではそうやというだけのことでな』

と言うた。

ワシも含めて、この業界だけに限らず、世の中には「井の中の蛙、大海を知らず」という人間は多いということなんやろうなと思う。



【国のまさに亡びんとするや、必ず制多し】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&ANO.583 青少年ネット規制法案について
より 掲載日2008.6. 5)

出典は、春秋左氏伝。

意味は、そのままで、「国が衰亡するときには、必ず法律による締め付けばかりが多くなる」ということや。

ワシは、その中で、

『国が亡び去ろうとするときは、必ず法律による締めつけばかりが多くなるという戒めの言葉とされているものや。

今の日本の現状が、まさに、そうやと思えてならん。

法律というのは、本来、民衆にそれとすぐ分かるものやないとあかん。

それを、日本の法律は、わざとそうしとるのかと思えるほど難解な言語を駆使して無理に分かりにくく書かれている。

そう思えてならん。

まるで、理解して貰っては困るとでも言いたげにや。しかも、その受け取り方で、どうとでも取れるようなものも数多い。

法律の専門家ですら、異なった解釈をすることがいくらでもあり、裁判ですら、同じ事件やのに、裁く裁判官次第ではまったく違った判決が下されるというケースも、それほど珍しいことやない。

それについて、おかしいやないかという声がなぜか聞こえてこん。

どこかで誰かが、それを憂いて言うてるのかも知れんが、現実として、それがまかり通っている。

法律が悪いとは言わん。なければ、悪人のやりたい放題の世界になるさかいな。

ただ、法律を作ればそれで良しという考えには賛同できんというだけのことや。

現在の日本、特に行政や政治に携わる人間は、とにかく法律を作りたがるように見える。

ワシには、それで民衆を守ろうとしとるのやなしに、法律を作ること自体が目的になってしもうとるように思えてならん。

法律を作れば、それで終わり。そんな風潮すら感じる。

これは、ある意味、危機的状況やと言えるのやないやろうか』

と言うた。



【敢えて天下の先たらず】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&ANO.619 日本一の拡張員になります!
 より 掲載日2008.9. 1)

出典は老子。

意味は、何事にも先頭に立たないように心掛けることが、最高の処世術であり、結果として、そうしていれば逆に人から担がれる存在になるという教えでもある。

これを文中で、

『老子の有名な言葉に「敢えて天下の先たらず」というのがある。

ワシは、これを「何でも先頭や一番に立つとロクなことがない」という風に解しとる。

もっとも、老子さん自身は、これを指導者の戒めとして説いとるがな。立派な指導者なら、我先にと先頭に立たんでも、人から自然に担がれることになるものやと。

ワシも昔は、誰にも負けんわいという自惚れた考えを持っていた。自信過剰気味な男やったわけや。

しかし、そんな人間は人に嫌われやすく、また足下をすくわれやすい。

ワシにもその例に洩れずそういう背伸びをしてえらい目に遭うたことが一度ならずあるさかいな。

そういうとき、この言葉と出会い、なるほどなと思うたもんや』

と引用した。



【郷に入りては郷に従い、俗に入りては俗に随(したが)う】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&ANO.674 契約をしない土地もあるのでしょうか より 掲載日2009.1.16)

出典は荘子の外篇・山木。

意味は、ほぼそのままで、その土地へ行ったら、その土地の風俗や習慣に従うのが処世術であり、自然の生き方であるというものや。

これを引用して、

『新たな土地で頑張られるのなら、どんな些細なことであろうと、その土地を理解するように努めて、それに馴染むことや。

なまじっか、他ではこうやったとか、都会ではこうなんやというようなことは、あまりひけらかさん方がええと思う。

流れる水に身を任せば、その流れに上手く乗れるが、逆らえば押し流されるだけやさかいな』

と言うた。



【僧は敲(たたく)月下の門】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&ANO.697 支払の滞りがちなお客様への「集金可能な時間帯」の件です より 掲載日2009.2.20)

出典は唐詩紀事。推敲の語源になった有名な句。

これは、ハカセが相談者に文章を書くことの難しさについて語っていた中で出てきた話で、

『この文章については、プロの作家でも日々、頭を悩ませながら書いているわけで、その心得のない人にはとても難しい作業だと言えます。

私も常に悪戦苦闘しながら書いています。

正直言って、未だに満足のいくような文章が書けたという自信はまったくありません。そんなものです。

中国唐の時代の賈島(かとう)という詩人が「僧は推す月下の門」がいいか「僧は敲(たたく)月下の門」にするかで悩んだという有名な故事があります。

普通の人にとっては、どちらでも良さそうなものですが、その文章を書く本人にとっては、「推(おす)」にするか「敲(たたく)」にするかというのは、とても重要な意味を持つものなのです。

結果、賈島は「僧は敲(たたく)月下の門」にしたわけですが、私は「僧は推す月下の門」でも良かったと思っています。

おそらく、誰にもその正解は分からないのではないでしょうか。

だからこそ、その故事が文章を何度も吟味するという意味の「推敲」という語源になったわけですから。

この言葉一つ一つの選択が文章を形作っていきますので、それには正しい語句、意味の分かりやすいものを良く考えて選ぶ必要があります。

そのためには誤字、脱字もなるべく避けなければなりません。

もっとも、これに関して、私にはあまり大きなことは言えませんけどね。

実は、有り難いことにこのサイトの読者の中には、その誤字、脱字を逐一知らせてくれる人がおられますので、一見して、サイトにはそういうのが少ない印象を持たれるかも知れませんが、本当は間違いの多い人間なのです。

その間違いを少しでもなくす方法は、まさに推敲を重ねるしかありません』

と言うてた。



【復(ま)た呉下の阿蒙(あもう)に非(あら)ざるなり】

(新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&ANO.701 営業のノウハウ教えて下さい!! より 掲載日2009.3.11)

出典は三国志、呉書・呂蒙伝。

文中での引用文がそのまま意味の説明にもなっとるので、それを紹介する。

『人はどんなときにでも他人を見返し、認めさせることができる。

あんたが、人からダメやと見られていれば見られているほど、それができたときの効果は大きい。

そう信じて勉強することや。

中国三国志の時代の有名な故事に、【復(ま)た呉下の阿蒙(あもう)に非(あら)ざるなり】というのがある。

その三国志の一国、呉の孫権配下に呂蒙(りょもう)将軍という猛将がいてた。

呂蒙は戦いに強いだけの人物だと、重臣である魯粛(ろしゅく)は常々思っていたが、しばらく会わないうちに、すっかり学識と教養が身についていたので驚いて言ったのが先の言葉やとされとる。

呂蒙将軍は、自身のその欠点に気づき発憤して猛勉強を続けた結果、そう言われるまでになった。

このとき、呂蒙将軍が魯粛に言ったとされる、

【男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ】

という言葉はあまりにも有名や。

男は三日も会わないでいると驚くほど成長しているものだという意味になる。

それくらいの気概を持って頑張って勉強してほしいと思う。

余談やが、「阿蒙(あもう)」というのは、代わり映えのしない呂蒙という意味で言うた呼び名や。

「呉下の阿蒙(あもう)」というのは、それから転じて「いつまでたっても進歩しない人間」を指して言う言葉に使われるようになった。今でも良く使われている』


今回は、これくらいにしとく。

それにしても、先人の遺した教えや故事、ことわざには深いものが多いと改めて実感した。

そして、人は時代に関係なく、同じような悩みを持って生きてきたのやなということも。

それを知ることは誰にとっても有意義やと信じとる。

どこまで、できるかは分からんが、これからも、その場面、場面に即したものを面白く紹介していきたいと思う。

それで、一つでも、これはと思えて貰えるものがあれば、ええのやがな。

それでは、次回の「Part 3」は、メルマガ編ということになるが、なるべく早めに掲載したいと思う。



参考ページ

注1.第111回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ゲンさんの知っておきたい故事古典格言集 サイト編 Part1


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