メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第141回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2011.2.18


■鶏口牛後に学ぶ、生き方とは


現代は、若者にとって受難の時代と言われている。

特に大学新卒者のそれは深刻で、その就職内定率が昨年、2010年12月の時点で68.8%で過去最低を記録したという報道が、さらに、その不安を煽っている。

しかし、その数字は大学生の就職希望先が大企業、有名企業に集中しとるからやと言える。

実際には、日本の企業の95%は中小企業が占めとるから、そちらに目を向ければ、まだまだ求人の方が多い。

もっとも、5%の大企業の情報は比較的容易に入手できるが、普通に学生生活を送っているだけでは中小企業の情報を知り得るのは難しいやろうがな。

実際には、大企業にも劣らんほど優秀で世界的にも評価の高い中小企業は無数に存在するんやけどな。

したがって、その数字を以て、若者に働く場所がないと断じるのは早計やと考える。

マスメディアもことさら、その不安を煽るような報道はするべきやない。

不安が不安を呼び、社会全体がおかしな方向に行くだけや。

ネガティブな思考からは何も生まれない。

それよりも、例え中小企業であっても働き甲斐のある会社を探せば、いくらでもあるはずやないかと報道する方が、よほど建設的やし、ポジティブになれる。

もっとも、一部のマスメディアでは、そうしとるところもあるが如何(いかん)せん、それらはあまり学生さんたちには知れ渡ってはないようや。

報道側の責任もあるが、それよりもその情報を探す側にも落ち度はある。

情報は与えられるものだけでは、選択の幅を狭めるだけにしかならん。

自らの必要とする情報は自ら探し出す努力をせんと見つけられる可能性は少ない。

ネット社会の生き方というのは、そうしたもんや。

それをせず、ただ不安に苛(さいな)まされるというのは、子供の頃から与えられることが当たり前やと考えてきたことの弊害やないかと思う。

それに気づいてほしい。

ただ、そうは言うても「寄らば大樹の陰」という気持ちも分からんではない。

ワシも夜学を卒業して、すぐに大阪の大手建築屋に就職することを望んだし、ハカセも高校を卒業後、最初に選んだ仕事はH技研工業という誰もが知る大手自動車製造メーカーやったさかいな。

それらの大企業に勤めることで、それなりの安心感と優越感が得られたのは確かや。

また、それにより世間からの評価も格段に良くなったというのも事実やった。

ワシは、その後、拡張員として働くことになって、その真逆の評価を受けることになったさかい、それがよけい身に染みて分かる。

そのワシらが言えた義理ではないかも知れんが、何も大手企業に勤めることだけが、その人にとってええ結果になるとは限らんということや。

『鶏口(けいこう)となるも牛後(ぎゅうご)となる勿(なか)れ(鶏口牛後)』という有名な故事が史記・蘇秦伝にある。

大きな組織の一兵卒になるより、小さな組織でも、その頭(トップ)になる方がええという意味で、よく引用される故事や。

大企業に就職できても、「オレは所詮、会社という組織、機械の歯車の一つにすぎん」と言うて失望する者もいとる。

まあ、そんな愚痴を言う人間は何か大きな誤解をしとるのやけどな。

ワシは、そういう連中には「アホ言うな。お前程度の人間が歯車の一つやなんておこがましいわい。機械の歯車は一つ欠けても動かんが、お前一人が消えても会社が困ることなんかないで」と、よく辛辣な毒を吐いていたもんや。

「つまらん愚痴を言うと、よけい惨めになるだけやから止めとけ」という意味で言うてたことやが、大組織の中の人間というのは所詮は、そんなものやという認識も確かにあった。

その点、小さな組織やと、個人の能力が大きくモノを言う。

実力次第でトップに昇りつめるのも、それほど難しいことやない。

それに今は中小企業であっても、将来はどんな大企業に化けるか分からんという期待も持てる。

実際、今ある大企業にしても元は、しがない町工場やったというのは、いくらでもあることやしな。

大事なのは、どこに就職するかやなく、そこで何をするかやと思う。

それが、その人間の将来と値打ちを決める。

そういう意味で、大企業やなくても中小企業も選択肢の一つに加えれば、それほど思い悩むこともなくなるのと違うやろうか。

もちろん、それに関しては、その人それぞれの考え、生き方の問題やから、一概にそうあるべきやと言うつもりはないがな。

ただ、それが嵩じすぎるあまりなのか、つい先日、ワシらのサイトに、その内定がなかなか取れんという学生さんから、「このままでは、拡張員にでもなるしかありません」言うてくる人がいてた。

驚くと同時に哀しくなる。

まあ、本気でそう考えとるわけやなく、それほどまでに行き詰まっていると言いたいだけなのやろうが、その言葉をワシらに向けて言うのはあまりにもデリカシーに欠けとると言うしかない。

どんな業界の人間にせよ、それに従事しとる者は、皆それなりに誇りとプライドを持っとるさかいな。

それを考えなあかん。

確かにワシらの業界は世間的評価も低く、新卒者が就職先として選ぶようなことはほとんどない。

大学を卒業して、真っ先にこの仕事に飛び込むというのは皆無に近いさかいな。

ただ、拡張団とは言うても、株式会社という形態が多いさかい、最初からその事務職志望というのなら、大学新卒者もいとるがな。

それが、この業界の唯一の例外で、最初(はな)から拡張員を目指す大学新卒者は皆無に近いということや。

新卒者に限らず、「拡張員にでもなるしかありません」という考えの人間では、悪いが使い物になるケースはほとんどないと断言できる。

少し前までは、この業界の多くは「来る者は拒まず」という感じで誰でも雇うという職場やったが、今はそうでもない。

大学新卒者は少ないにしても、この長引く不景気ということもあり、それなりに面接希望者は多い。

そうなれば当然、その選別をするしかない。拡張団によれば入社試験をする所もあるという。

加えて、そこそこの規模の拡張団なら、簡単な身元、素行調査くらいはするし、保証人を要求するケースも珍しくはない。

また、他の業界と違って、業界情報で、過去に素行の悪かった、あるいは問題のあった人間の情報が共有できる仕組みになっているということもある。

業界関係者なら、容易にその情報を入手できる。

そうする狙いは、現在、多くの拡張団の経営は厳しいため、規模を縮小する傾向にあり、どことも少数精鋭主義でいきたいということがあるからやという。

ロクでもない人間を雇うと、即、廃業の憂き目に遭いかねんというのもある。

実際、団員の不始末、不法行為が原因で廃団に追い込まれたケースもあるさかいな。

しかし、世間の認識は昔のままや。いくら業界が変わっても、世間の認識、評価が変わることはあまりない。

少なくとも、その認識が、その学生さんにして思わず、そう言わせたのやと思う。

確かに、この業界は他の業種と比べれば、それでもまだ飛び込みやすい部類のようや。

ただ、飛び込みやすく就職できやすいというのと、そこで成功するというのは、当然ながらイコールやない。

ワシはこの業界について常々、「誰でも始められるが誰もが成功するとは限らん仕事や」と言うてる。

営業する上において、もっとも難しい業種の一つやと。

その成功者は一割にも満たん狭き門やと。

そこまで説明すると、その投稿者である学生さんも「すみませんでした。うかつな発言でした」と謝っておられたがな。

ハカセという男は、そう素直に謝られると、それで済ますということができん人間で、つい、いろいろと必要以上に助言してしまうようなところがある。

親切心と言えば聞こえはええが、要はお節介な性分なわけや。

もっとも、それやからこそ、多くの人が気を許し、数多くの情報を教えてくれているわけやけどな。

そのハカセが、その学生さんに言うて諭した故事が例の『鶏口(けいこう)となるも牛後(ぎゅうご)となる勿(なか)れ(鶏口牛後)』やった。

ハカセは高校卒業後、H技研工業という大手自動車製造メーカーに勤めていたと言うたが、そこで今や伝説の偉人ともなったその創業者、本田宗一郎氏と関わり合いを持ったという。

それで教えられた事、知り得た事は多いと。

ハカセが入社した1971年当時、本田宗一郎氏はH技研工業の社長をしていた。

ハカセのような新入社員にとっては、その当時でも社員数千人を要する巨大企業の社長、本田宗一郎氏は雲の上の人やった。

本来なら会えること自体、奇跡に近い。

しかし、氏はある日、工場の片隅で部品の仕分け作業中だったハカセの前に忽然と現れた。

「君が、白塚君かね」と、突然声をかけてきた人物がいた。

座って作業していたハカセがその声のする方を見上げると、そこには眼鏡をかけた作業服姿の初老の男が、にこやかな笑みを湛えて立っていた。

「はい、そうですが」と、ハカセは訝しげに、その人物を見た。

その仕草、物言いから会社の偉いさんのようにも見えるが、課長や工場長の顔は良く知っているから、そのクラスとは違う。

本社の偉いさんの見回りなら、事前にその情報も入るし、何より係長や課長を始め多くの取り巻きの幹部連中が大名行列のごとくその後に続くから、それとも違うようや。

ハカセは、それらから、他の部署の役職者やないかと推測した。

「仕事は面白いかね」

「ええ、まあ……」と、ハカセは曖昧に答えた。

会社の偉いさん相手に仕事が「面白くない」とも言えんし、正直、「面白い」とまで言える心境でもなかったからそう答えたという。

ワシとは違い、性質的に人に調子を合わせるということができん男やさかいな。

「君の入社時の意見書を見せて貰ったが、なかなかユニークだね」と、その初老の男が言った。

それで、ハカセは、「なるほど、そういうことか」と納得した。

おそらく、その初老の男は人事部の人間で、入社時に書かされた「入社の動機理由」について調べているのやろうと考えた。

普通、そういうものには、「貴社は将来性豊かなので」とか「これからは自動車産業が発展すると考えますので」といった、その企業を持ち上げるような当たり障りのないことを書くものと相場が決まってたが、ハカセは違った。

ハカセは、「どんな平社員の意見でも聞いて貰えるような雰囲気の職場にしたいと思います」といった内容のものを延々と書いて提出したという。

「入社の動機理由」で企業のあり方にまで言及した新人は珍しかったのやろうと、ハカセは理解した。

「なかなかユニークだね」と言われれば、一見、褒め言葉とも受け取れるが、ハカセは、この初老の男が、わざわざそれを確認してきたことで、どうやら「要注意人物」として見られたなと感じたという。

「君は本を良く読むかね?」

「ええ本を読むのは好きですが」

実際、ハカセは寸暇を惜しんで本を読むというタイプで、子供の頃から、相当数の本を読んできたという自負もあった。

今でも、本を読みたいがために、どこかに出かけるにしても可能な限り、車で行くよりも電車に乗ることを優先するほどやし、便所に入るにも必ず本を持ち込むのやと話す。

あるとき、ハカセの子供のコウ君から、「お父さん、便所で本を読むのは止めたら?」と言われたことがあった。

「何でや?」

「だって、長すぎるやん。迷惑や。それに、お父さんが、ウンコしながら本を読んでいるのを想像するだけでも汚いし、そんな本を読む気になんかなれんし」と、コウ君。

どうやら、それにはゲームに夢中になっていたコウ君に、「たまには本くらい読め」とハカセから言われたことに対する反撃の意味もあったようや。

「そうか。しかし、そのおかげでどれだけの本を読むことができるか分かるか?」 

1回のウンコに10分。それが1日2回。つまり1日で最低でも20分は本を読むことができることになる。

ハカセの読むスピードは300ページ前後の本やと、ほぼ2時間くらいで読破するという。

もっとも、その内容次第で、若干かかる時間は違うとのことやがな。

つまり、単純計算で、便所の中だけで6日に1冊の本を読破する計算になる。

年にして60冊。電車の中を加えれば、それだけで年間100冊近くもの本を読むことができるという。

ハカセは、それを40数年間、欠かさず続けとるのやと。実に4000冊以上にもおよぶと。

「どうや、タカが便所での読書やと言うてもバカにならんやろう」と、ハカセが自慢げに、コウ君にそう言い放ったという。

合理的と言えば言えるが、コウ君は、そんな真似はしたくないと、後にワシだけに言うてたがな。

ただ、ハカセにすれば、そんな思いがあるから本を読むことにかけては、滅多なことでは人後に落ちないという自信があった。

その意味もあって、「ええ本を読むのは好きですが」と胸を張って、そのときは、そう答えたという。

すると、その初老の男から、「君は近思録(きんしろく)というのを知ってるかね」と尋ねられた。

「ええ、名前くらいは。確か古代中国の宋(西暦1200年頃)の時代の儒学者、朱子の編集した書物だと」

「若いのに良く知っているね。では程伊川(ていいせん)という人物のことは?」

「それは……知りません」

これは何かのテストなのかとハカセは考えた。もしそうなら、あやふやな答は言うべきではない。

そう瞬時に察した。

「朱子の先生に当たる人だが、その人も、すべからくこれ書を読むべし、と本を読むことを推奨している」

「……」

ハカセは、この初老の男が何を言いたいのか分からず、その意図を図りかねた。

ハカセにとって本を読むことなど当たり前すぎて、敢えて念を押して言われるようなことやないと思うてたさかい、よけいや。

その初老の男は続けて、「しかし、程伊川(ていいせん)は、こうも言うておる。書は多くを看(み)るを必せず、その約を知らんことを要す、と。この意味が分かるかね」と畳みかけてきた。

「何となく。本ばかりを読んでも、その内容を理解してないと意味がないということではないですか」

「そのとおり。必ずしも本ばかりを多く読む必要はないということだな。それにしても君はすごいな。君のような新入社員がいたというのは本当に心強いよ」と、その初老の男は笑いながら、その場を立ち去った。

その間、10分足らずのことやった。

ハカセは、その日の終業後、どうにもその初老の男のことが気になって、上司である係長に何者かと尋ねた。

ハカセの話を聞き終わると、その係長は顔色を変えて部屋を飛び出して行った。

ハカセは何のことやら分からず、その日はそのまま帰った。

翌日、就業前にその係長に呼び出され、「君は、本当にその人が誰か知らなかったのかね」と問い詰められた。

「ええ……」

係長の目は、明らかにハカセを責めている。

そう感じられた。

「社長だよ」

「え?」

そのとき、あの初老の男が本田宗一郎社長やと初めて知った。

氏は、ときたま幹部連にも内緒で、お忍びで工場を訪れることがあるという。

ふらっと現れては消える。もちろん、その場で名乗るようなこともしない。

その目的の多くは、若い社員たちと話がしたいからやという。

その後も、何度か氏はハカセのところに訪れることがあった。

二度目は、さすがに社長やと知っているから、「何やこの人は」てな態度はせんかったが、それでも恐縮するようなことはなかったという。

ハカセは元来、誰に対しても、それほど態度を変えるような男やない。

例え目下と思える若い人間であっても、よほど親しくならん限りは敬語を使って話す。

反対に、目上の人間であっても言うべきことは、ずけずけと言う。もちろん、言葉使いは丁寧にやがな。

ハカセの根底にあるのは、人と人との格差などないということや。

どんなに偉い人間であっても長所もあれば短所もある同じ人間に違いはなく、対等であるべきやと。

氏は、話していると尊大さを微塵も感じさせない、好々爺という表現がぴったりの人やった。

いつもにこやかに話を聞いてくれる。

ただ、課長や係長クラスの幹部連には厳しいようで、彼らは常に氏の顔色を窺っているようなところがあった。

何を話したのかと、しつこく聞いてくることもしばしばやった。

最初のうちは氏と会ったことを伝えていたが、その態度がうっとしくなり、その後は来ても上司に話すことはなかった。

確かに、本田宗一郎という人は度量も大きく大人物、偉人には違いないとは思うが、元を質せば、資本金100万円、従業員20人でスタートした零細自動車工場の親方やった人や。

それが成功して、日本のみならず世界からも偉人と呼ばれるまでになった。

もちろん、それには氏の人格と卓越した指導力、それを補佐する優秀な人材が数多くおってこそやがな。

そういう人やからこそ、ハカセも学ぶことが多かったと言う。

『鶏口(けいこう)となるも牛後(ぎゅうご)となる勿(なか)れ(鶏口牛後)』というのも、その一つや。

氏は、これも世界的なT自動車の下請け企業の専務、社長を歴任していたから、その傘下に入って、そのままやっていくこともできたはずや。

たいていの人は、その安定した生き方を選ぶと思う。

しかし、氏は、その言葉どおり、それを潔しとせず、自ら従業員20人で新たな会社を興したわけや。

その苦労話も幾つか聞いたが、それを語り出すと長くなるので、必要なときがくれば、そのときに話す。

ここでは、単に平坦な道やなかったとだけ分かってくれたらええ。

ハカセのように、生きた偉人が目の前にいた人間はとてもラッキーで、そういう人と接していれば、不安とか落ち込むといったことが少なくて済む。

常に前向きでいられる。

ところが、現代の若者たちは、そのような偉人と呼ばれて目標とするべき人物と出会うケースが少ない。

本当は、探せばそういう人物は、いくらでもいとるんやが、それに気づかんのやろうな。

現代の若者はネット人間でありながら、その中から適切な情報を探し出す能力に欠けるきらいがあるように思えてならん。

もっとも、本当に望んで探せば、そういう情報は誰の前にでも、それと分かる形で現れるはずなんやけどな。

そういう人たちのために、「トップたちの新人時代」(書籍紹介コーナー参照)という本があるというのを知らせておく。

それには、その鶏口牛後を体現した12人の企業家たちの新人時代の悩みとか苦悩が赤裸々に語られている。

その続編の「トップたちの新人時代2」と合わせれば、計24人のそれが分かる。

悩める若者には読んで損のない本やと思う。

その説明については、書籍「トップたちの新人時代」の「まえがき」部分が素晴らしいので、それを引用させて頂く。


まえがき

今、わが国の若い世代にとっていいニュースが聞こえてきません。とくに、「働くこと」という根幹の部分について、「先行き不安」な情報ばかりが飛び込んできます。

内定率がまた下がった、リストラだ、派遣の仕事がなくなった、志望書類を出しても面接にすら進めない。そんなニュースに耳をふさぎたくなる人も多いでしょう。

運良く大企業の正社員に収まった人たちも安心はできません。新興国へのアウトソーシングにより、単なるホワイトカラーの事務職はどんどん削減されていく方向です。

40代、50代になって、「きみはもう必要ないよ」と言われたらどうしますか?

そんな話は自分に関係ないと思っている人たちでも、わが国を代表する企業だった大手航空会社の惨状を見ると、明日は我が身と思わざるを得ないのではないでしょうか?

しかし、こんなきびしい状況の中で、「自分の城」を築き、トップとして活躍している人たちがいます。

本書は、そんなトップたちのお話、とくに、新人時代の失敗や、今に至るきっかけをどうつかんだかをお聞きし、若い世代の人たちへの「働くための羅針盤」としてまとめたものです。

「成功談」の本は世の中にたくさんあるでしょう。想像もできないほど大きな夢を叶えた人たち、信じられないラッキーに恵まれた人たちの話の本。

でも、みなさんが知りたいのは、そんな夢のような話ではなく、もっと現実的な体験談、とくに失敗談やそれを乗り越えてきた知恵などではないかと思います。

本書で紹介する個性豊かな12人のトップたちは、夢のような幸運に恵まれた人たちではなく、むしろ失敗を積み重ね、自分で工夫を重ねて現在の地位を築いてきた人たちです。

本書では、そのトップたちに、あまり語りたくないであろう失敗の経験を、惜しみなく披露していただきました。

実は、そんな失敗談にこそ、宝の山があるのではないでしょうか?

ある人は赤貧に耐えながら、ある人は学校を中退し、ある人は安定した企業の正社員という地位を投げ出して、トップになるために努力を積み重ねてきた人たちです。

読んでいただければわかりますが、「まっすぐ進んで来た人」はほとんどいません。

紆余曲折を経て、時には不安な気持ちと戦いながら、「自分の城」を持った方たちです。

そんなトップたちの共通点をいくつかあげさせていただきますと、ひとつめは、「自分で物事をこうと決めつけず、可能性を広げようと努力する」ということではないでしょうか?

社会に出ると、いろんな人と出会います。その中には嫌な上司、苦手なお客様など、ネガティブな人間関係に立ち向かわなくてはいけないことが多いと思います。

極論すれば、それで会社を辞めてしまったり、仕事が続かなくなったりという人も少なくないのではないでしょうか?

そんな時、トップたちはどうしてきたのか。

むろん、人により対応方法は違いますが、苦手な人を避けず、できるだけ可能性を広げようとして立ち向かい、その結果として新たな人間関係を産み出した人が多いようです。

もうひとつのトップたちの共通点は、「ポジティブに考える」ということではないでしょうか。

たとえば、あるトップは、「失敗したことがない」と語ります。「回りから見たら失敗だらけだったろうけど、自分ではそう思わなかった」と笑い飛ばします。

それは、無責任なのではなく、失敗しても、それを全部自分の経験として取り込んでこられたのです。そういう「すぐ切り替えてポジティブに考える」ということは、一国一城の主になるために、大変大事な要素なのかも知れません。

そして、もうひとつのトップたちの共通点、これは「オンとオフをあまり分けない」ということです。

今の若い世代の人たちには、オン・オフを分けたい、会社を一歩出たら自分の時間であり仕事のことは忘れたい、という人が多いのではないでしょうか。

もちろん、それを否定するものではありませんが、ここに出てくるトップたちは、オン・オフを厳密に分けている人はほとんどいません。

たとえば、プライベートな時間に得た情報を「これは仕事に活かそう」と、すべて自分の仕事に結びつけていく。

オン・オフを厳密に分けたい人たちから見ると、「そんなの大変ではないですか」と言われそうですが、トップたちは、そんな話をしていても、とても楽しそうなのです。

本書に出てくるトップたちは、いわゆる超有名人としてマスコミに出てくる人ばかりでなく、しっかりと自分の城を築いて、活躍されている人たちです。

その言葉は、「生きるための知恵のかたまり」です。会社員生活を続けながら、チャンスをつかんだ人もいます。

つまり、この書籍を手に取られたみなさんの身近にいらっしゃる人たちです。

決して「上から目線」ではなく、若い世代へのメッセージを、自分の経験談をベースに話してくれていますから、それをどうとらえて、どう自分の生活に活かしていくかは、読まれた方に委ねられます。

これから社会に出られる方、社会に出たものの、壁にぶち当たって苦しんでいる方、「雇われない生き方」を模索している方は、ぜひ本書のトップたちの言葉に耳を傾けていただきたいと思います。

元気が出ることだけはお約束できます!

トップたちの新人時代編集部


というものや。

これに補足する言葉は必要ないやろうと思う。

ワシもハカセに勧められて読んだが、なかなかのものやった。

まあ、人生の黄昏時に差しかかったワシなんかには、その内容を知ってもあまり意味がないかも知れんが、若い人になら、それなりに参考になることも多いのやないかと思う。

但し、そこにどんなええ事が書かれていようと、いかに役に立つ話であろうと、それを理解して実践せんことには、それはただの絵に描いた餅にしかならんと言うとく。

すべては、それを読む人の心掛け次第で決まるのやと。


読者感想 大便に関するお話

投稿者 Jさん  投稿日時 2011.2.19 AM 10:06


人間以外の野生の動物は、もよおしたらすぐ出す習慣があるので、排便にかかる時間が極端に少ないし、いきむ必要もない。(だから、野生動物には痔という病気は存在しない。)

「もよおし」が無いと「いきみ」を使って出すことになる。

長時間の「いきみ」が痔を発生させるわけだから、それを無くする、つまり便通の良い食べ物を心がけたり(食習慣を変えたり)、もよおしたらすぐにトイレに行くような生活習慣にすれば痔にはならない・・・というお話でした。

お恥ずかしながら、私は今年、生まれて初めてイボ痔になりました。

年末の長期入院の生活が遠因で、胃腸の調子が狂ってしまったようでした。もっとも、早期発見&早期治療であったことが幸いし、今ではすっかりよくなりました。

それまでは、トイレに読み物を持って10分以上は座っていたのですが、そういう習慣は一切止めました。

具体的には、座るとすぐに出るだろうというタイミングでトイレに入るという行動パターンを実践するのです。

仕事の関係でトイレが近くに無いとか、いつでもトイレに行ける環境にない場合もありますので、本当は、出勤前など、毎日決まった時間に「通じ」が来るような規則正しい生活習慣を心がけたいところです。

ともかく、過去の私も含めて、トイレで何かを読むことを習慣にしてしまっている人たちは、大便行為を「無駄な時間」だと決めつけ、本を読む時間にも当てた方が、生活が合理的になるだろうと錯覚してしまっているだけのような気がします。

なぜなら、いきむ時にまで活字に目が行く人って、そうはいないと思うんです。

つまり、「トイレの中で本を読むが、いきむ時は目を離す」のであれば、「トイレは排便作業に集中し、サッと出る」人とは、結果的に読書時間に大差はないはずです。

「環境の変化で、集中力が増すからトイレに本を持っていく」といった、別の理由がない限り、トイレで読書やメールを読む作業はするべきでないというのが、番組を見た私の結論となりました。

ですから、痔の予防という面から、安易にトイレでの読書習慣をメルマガ読者や息子さんに奨励すべきでないというのが私の意見です。


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