メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第142回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2011.2.25


■古き良き時代の新聞拡張員物語……その2 北陸拡張戦争前夜


昭和35年(1960年)1月19日。

Y新聞社北陸支社が富山県高岡市にオープンした。

伴内の所属する団は、その前年の昭和34年、東京荒川区から「先乗り特拡(特別拡張)」として出向いて拡張を始めていた。

総勢20名。特拡としては人数は少ないが、伴内を始め、いずれも一癖も二癖もある連中で、その実力のほどは確かやった。

言えば少数精鋭の拡張集団ということになる。

それを率いているのが、大河原トネ。この業界では珍しい女性の団長やった。

もっとも、性別が女性と言うだけのことで、並の男など足下にもおよばんような桁違いの迫力と胆力をもった人物やったがな。

例えとして使うてええのかどうか迷うが、大物歌手の和田アキ子女史をさらにパワーアップさせた感じの人物と言えば分かって貰えるのやないかと思う。

一言で言えば、女傑やな。

トネの旦那ゴンゾウはM新聞拡張団の団長やった。

伴内は、その拡張団が出していた新聞広告に惹かれ騙されているとも知らず、愛媛県八幡浜市から、漁船の無線通信長の職を捨て、はるばる東京に出てきてしまった。

その新聞広告には『M新聞社。営業マンを求む。東京都千代田区神田常盤町……M新聞販売部』とあった。

当時、M新聞と言えば飛ぶ鳥を落とす勢いがあり、日本三大新聞の一つと広く認知されていた。

新聞社に勤めることができるかも知れん。

伴内は半信半疑ながら、ハガキで問い合わせてみた。すると折り返し「採用通知」が届いた。

よほど「M新聞」は大きくなりすぎて人手不足なんだろうと思い、それなら新聞社の社員になってやろうかと考えた。

新聞記者になるのも悪くはないと。

その頃、地方の若者の多くは東京に幻想、いや夢を抱いていた。もちろん、伴内もその例に洩れず、東京にあこがれていたわけや。

このまま、この片田舎で朽ちたくはない。そのあこがれが、今現実のものになりつつある。この機会を逃がす手はない。

そう判断して上京したわけや。

指定された場所に行くと、そこには朽ち果てる寸前の木造家屋があった。

てっきり、M新聞社に採用されたものとばかり信じ切っていたさかい、その指定された場所も、さぞかし大きなビルやろうと予想していたのやが、そのアテが外れた。

何かの間違いだと思い、もう一度、その募集広告を確認した。

すると、そこには小さな活字で「所属」の文字が印刷してあり、それに気づき騙されたと知ったときには時すでに遅し、後の祭りやった。

何のことはない、M新聞の新聞拡張団の求人広告に引っかかったわけや。

逃げるように八幡浜漁港を飛び出して来た手前、もう帰る場所はどこにもない。

そこでその仕事をするしか選択肢はなかった。

伴内は切り替えの早い人間で、それなら、その道のエキスパートになってやろうと考え、拡張員に徹することにした。

そんなある日、団長宅で夫婦喧嘩があった。

結果は、カミさんであるトネの圧勝やった。

旦那のゴンゾウは団長とは言うても名ばかりで、実質的にはカミさんのトネに団と生活のすべてを牛耳られていた。

ゴンゾウにとっては面白くない。面白くないが、表立って反旗を翻す勇気も根性もない。

当然の帰結として、ゴンゾウは外でやすらぎを求めるようになった。

早い話が浮気してたわけや。

それを知ったトネが激怒した。

ゴンゾウはトネに顔がひん曲がるほどドツかれ(殴られ)た挙げ句、離縁を宣告された。

その後、トネは団員の半数を引き連れてY新聞の拡張団を新設することになる。

なぜY新聞の拡張団やったのかという理由は良う分からんが、「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」ということでM新聞も嫌ったのやないかと、伴内は理解していたという。

一説にはM新聞社がトネの独立を認めんかったという噂もあったが、今となってはその真偽を確かめる術はない。

「団員の半数を引き連れて」と言えば、意外にもフェアな印象を受けるかも知れんが、実際は力のある団員、精鋭だけを引き抜いたという方が合っている。

残ったカスたちを旦那のゴンゾウに押しつけて。

トネから誘われた伴内も冷静に考えて、やり手のカミさんについていく方が賢いと踏み、それに従った。

伴内たちが乗り込んだ頃は、北陸には新聞の勧誘員というものがほとんどおらんような状態やった。

そのため、拡材サービスの粉末の台所用洗剤が貰えるというだけで、さしたる抵抗もなく簡単に契約を取ることができた。

今でこそ台所用洗剤というのはありふれた物で、それほど喜ばれる物でもないが、当時はまだ珍しいものやった。

伴内たちが拡材として使っていた粉末の台所用洗剤が発売され出したのは昭和34年頃からで、その当時としては時代の最先端をいく商品やったわけや。

現在のように、洗濯用洗剤が拡材の主流になるのは、ずっと後になってからの話や。

なにしろ、その当時、洗濯機そのものが3万円近くしていたから、一般の家庭でおいそれと買える代物やなかった。

当然、その洗濯機に入れる洗剤も、まだ一般に必要と言えるもんやなかったさかいな。

当時のサラリーマンの平均月収が1万円前後という時代やったから無理もないがな。

それでも、拡張の盛んやった東京などの大都会では粉末の台所用洗剤は拡材として定着しつつあったが、この北陸では、まだそこまでには至っていなかった。

もっと言えば、現在は半ば当たり前となっている契約書の存在すら知らんというのもザラやった。

それは全国的な傾向で、地方によればホンの5、6年前までは、その契約書を交わすことなく同じ新聞を何代にも渡って取っている長期購読者が半数以上を占めている販売店の方が多かったくらいやさかいな。

契約書に縛られていない客で拡材を欲しがる客を翻意させることくらい楽なものはない。

加えて、当時の新聞購読率は日本全体で、まだ50%にも届いていず、この北陸はそれ以下やったのは間違いなかったから、今のように他紙からの乗り換え一辺倒の営業をする必要もなかったわけや。

入れ食い。極端なことを言えば、そんな状態やった。

東京でやっていたような、騙しや押し売り営業をせずとも比較的簡単に契約を取ることができた。

それには、「新聞を読むと賢くなりますよ。勉強できますよ」、あるいは「賢い人だと思われますよ」と言うだけで「そうか」と納得する人も多かったということがある。

勉強したいのなら新聞を読め。新聞に載っていることはすべて正しい。

というのは、その後、一般常識のようになっていくわけやが、そのきっかけを作ったのは、紛れもなく拡張員やった。

何より当時は一般の間でも活字信仰が強く、活字で印刷された新聞記事は、それだけで信用力抜群やったさかい、そう言うても説得力があったわけや。

また、その当時は字が読めない人も結構多く、そういう人には「新聞を取っていたら、他人からそんな目で見られなくても済みますよ」と言うだけで、簡単に契約が取れた。

読めもしない新聞を取ることで、そんな風聞を打ち消すことができたさかいな。

無用の用。

一見、役に立たない無駄なことのように見えるものが、却って大きな役割を果たしているということや。

今の若い人たちには、とても理解できんことやろうけどな。

ただ、無理して新聞を取ることで、何とか新聞を読もうと努力する人もいて、それで識字能力が格段に上がった例も多々あったというから、その意味では、新聞記者にはなり損ねたが、それなりに社会の役には立っていたと考えることができた。

加えて、新聞も取ることができない貧乏人という陰口を叩かれるのを気にする人も、ええ客になった。

新聞を取ることで、そうではないと証明できるということでな。

それには昭和34年頃のY新聞の購読料は朝夕セット版で1ヶ月390円やったから、一般の手の届かん額でもなかったということもあった。

もっとも、新聞代金の決め方の基準は、常にその時代毎で一般の人が払えそうな代金を設定してきたということやから、必然的にそうなるわけやがな。

原価プラス利益という一般的な料金設定ではないと。

もちろん、新聞各社はそれを否定するやろうがな。

ただ、現在の一般的な新聞の購読料は、1994年4月を最後に実に17年間も値上げされていないという厳然たる事実がある。

それまでの戦後以降は、ほぼ1、2年間隔で頻繁に値上げしてきたのにな。それからすれば、現在の状況は異常ということになる。

数年前、製紙会社が揃って新聞用紙の大幅な値上げをしたときでさえ、新聞代の値上げはなかった。

正確には、それにより一部の地方紙が300円程度の値上げをしたことがあったが、多くの新聞社はそれに追随していない。

その地方紙の例を見るまでもなく、それでは新聞は売れんと判断したわけや。

1994年という年はバブル崩壊が顕著になった頃で、それ以降、社会情勢的にも値上げすることも値下げすることもできず、新聞各社は袋小路に陥ったのやないかと考える。

つまり、それがワシの言う『新聞代金の決め方の基準は、常にその時代毎で一般の人が払えそうな代金を設定してきた』からに外ならんということや。

純粋に原価プラス利益という一般的な料金設定をしていたのなら、値上げせざるを得んかったはずやさかいな。

話が少し脇道に逸(そ)れたので元に戻す。

要は、一般の人が払えそうな代金設定で、かつサービスも付随した商品(新聞)
を売り込むのに、それほど苦労することもなかったということや。

伴内たちはそのY新聞を売りに売りまくった。

伴内自身、1日、30本〜50本の契約をコンスタントに上げたという。

ちなみに1契約の拡張料は当時420円やったから、1日で12600円〜21000円になった。

1日で一般的なサラリーマンの月収をはるかに超えた額を稼いでいた計算になる。

1ヶ月で4、50万円稼いだ者もザラにいたという。

その噂は、あっという間に東京に流れ、Y新聞の拡張員が大挙して押し寄せてきた。

北陸でのY新聞の部数は飛躍的に伸びた。

そのため、翌年の昭和36年には富山県高岡市でY新聞の現地印刷が開始されるまでになった。

その様子を地元地方紙のK新聞も、ただ指をくわえて見ていたわけやない。

急ぎ、それまでそれほどでもなかった拡張員組織を編成し、それに対抗した。

また、立地的に近い東海の雄、ブロック紙のC新聞が地元紙を買収し、北陸C新聞社を立ち上げ、その争いに参戦してきた。

ここに地方紙K新聞、北陸C新聞、Y新聞の三者の間で三つ巴の販売合戦が勃発することになる。

熾烈を極めた戦いが繰り広げられた舞台として業界でも伝説の一つに数えられ長く語り継がれとるものや。

それから30年後の1989年に公開された映画『社葬』で描かれていた新聞拡張の主戦場として、その地域が選ばれたことからも、その争いが、いかに凄まじく有名なものやったかが窺われると思う。

制作サイドの裏話として、それを長く温めていた人がいてたということやさかいな。

当メルマガ『第47回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■映画『社葬』による新聞への負のイメージについて 前編』、『第48回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■映画『社葬』による新聞への負のイメージについて 後編』(注1.巻末参考ページ参照)で、それに触れている部分があるので、見て頂ければと思う。

その映画の中で、


ある一軒の農家に拡張員が走って行き、赤ん坊を背負ったその家の主婦に、「おかぁちゃん、太陽新聞取って」と、いきなり馴れ馴れしく入り込んで新聞を差し出す。

「うちは北陸新聞取っとるから、またにしてよ」

「雪の中、えっちらほっちらして死ぬような思いをしてやっと来とるちゅうに、そりゃないぜよ。一月でもええがや。頼むっちゃ」

「そんなこと言うても読まんがっちゃ。ほなら、一月だけやよ」

「えらいねえ、おかぁちゃんは。さあさ、ハンコ出して」

言われるままに、その主婦が印鑑を取り出すと、「ああ、おかぁちゃん、ナベ、ナベが吹きこぼれよるで」と注意を逸らす。

主婦が台所に行った隙に、その印鑑を契約書に押しまくる。


という描写があった。

ワシには面白さを際立たせるための技法、演出というのは分かるが、観客の目にどう映ったのか、それが気になる。

おそらくは、そういうことが普通に行われとると受け取る人の方が多いはずや。

これは、ちょっと、やりすぎな気がする。

ちなみに、その映画の冒頭付近で流れた、


日本の新聞はインテリが作りヤクザが売る。


というあまりにも有名なテロップは、放映されて20年以上経った今も、新聞業界を攻撃、批判する格好のフレーズとして使われ続けている。

特に、ネット上にそれが多い。

それを見て、その言葉どおりやと信じる、あるいは納得する人も多いと思う。

それは、エンターティメントとしての面白さを誇張するためのつかみ、キャッチコピーにすぎんもので、真実は必ずしも、そのテロップどおりではない。

新聞記者にインテリだけが存在するわけでもないし、拡張員にも伴内のように高度な知識と技術を持ったインテリと呼ばれてしかるべき人間も多い。

業界人なら、その程度のことは常識やが、ある一面だけを強調して見せることで世間の認識は簡単にそれに傾き納得するわけや。

それを見て、その言葉どおりやと信じる、あるいは納得した人も少なくない。

それにより刷り込まれたイメージの大きさは測り知れん。

いくらエンターティメントとして、面白さを追求するために誇張されたものであると理解していても、現実の姿と大きく乖離(かいり)している部分が多すぎると思わずにはおられん。

まったくのでっち上げとまでは言わんがな。

しかし、その事実に関係なく、映画制作者側の思惑は成功した。いや、成功しすぎた。

それにより多くの人に刷り込まれたイメージの悪さの大きさ、影響力には計り知れんものがあり、現在も尚、それが尾を引いている。

その当時の熾烈な争いにより、3社による食い合いになったのかというと、あながち、そうとばかりも言えん。

その当時、購読率自体が50%以下やったということもあり、それぞれが必死に拡張をしたおかげで、結果的に、3社が3社とも本来の部数を大きく超える顧客を獲得できたさかいな。

野生の動物なら、ここで満腹になって満足して喧嘩は収まるが、なぜか人間はそうはならん。

その中で絶対的な勝ちを得ようとする。そこそこの成果で我慢するということができんわけや。

それからが本格的な戦い、終わりなき仁義なき北陸拡張戦争の幕が切って落とされることになる。

今までは、ただの前哨戦やった。

その戦いは現在に至っても残っている。

ただ、この話の主人公、伴内、ワシが多羅尾伴内と名付けた人物は、この後、3年ほどして、この業界を去ることになるから、その後の本格的な争いの実態は知らない。

せやから、ここまでの話で、その前夜として終わる。

そこで、その続きは別の人物の登場となるのやが、それは、またの機会に話す。

小出しにして申し訳ないが話し出すと、1、2回程度のメルマガで済みそうもないしな。

ただ、ここではその戦いで、当事者間に相当大きな遺恨が残ったとだけ言うておく。

その争いが勃発してから約15年後の1975年。

その年、Y新聞はC新聞の牙城を切り崩すために、その東海地域を攻めた。

Y新聞は、その東海地域だけ特別に朝刊のみで購読料月500円にするという思い切った戦法に打って出た。

当時は、Y新聞を含む全国紙の朝夕刊セット価格が1700円やったから、実に通常より1200円も安かったことになる。

ただ、その朝刊のみの紙面が16ページと他地域のものと比べてかなり少ないということもあったのやが、とにかくY新聞としては価格競争に持ち込みたかったようや。

価格競争になれば資金力という点で有利になると考えた。

しかし、これは当時の公正取引委員会から「不当廉売」を指摘され、排除命令が出されて失敗に終わっとる。

この一件に関して、表面的には一方的にY新聞が悪いという印象で捉えられているが、これなんかも北陸での戦いの余波、禍根によるものと言えば、「そうか」と納得して貰えるのやないかと思う。

その争いの根は深く、未だに両者に歩み寄りの気配すらない。

長年のライバルであったA新聞とすら現在は手を携えて共同歩調を採っているY新聞にすれば、今以て、C新聞との間でその噂すらないというのは、よほどの事があったと容易に推察できる。

ワシの考えすぎかも知れんが。

その後、多羅尾伴内氏は職を転々としながらも、ある事業で成功を遂げ、財も得、現在は借家経営で悠々自適の生活を送っておられる。

その氏から先日突然、「少しヤバイ国々にボロバスに乗って旅にでます。いま、にわかにスワヒリ語の勉強中です。年齢的に、行き倒れになるかも知れません。
」というメールが届いた。

スワヒリ語が必要なヤバイ国と言えば、今やと北アフリカ諸国しか考えられん。

それを知ったハカセは急いで「アフリカ方面にご旅行中とのこと、そちらは現在政情が不安定のようですので、お身体に気をつけて、また身辺にも十分ご用心ください」と返信したという。

すると、すぐに「トラック改造ボロバスで南アのケープタウンを目指します。海を超えたらそこは南極。旅人は世界中から集まった人達です。主として全員テント生活。旅の途中に息絶えた場合、そこの国の土になります。ルートはスーダン等、政情不安定な国は避けます」という返事が返ってきて、ハカセも一安心したという。

氏は半年前にも南米一周の旅に行かれている。

その詳しいことを言うと氏の身元が分かるので控えさせて頂くが、けっして金に飽かした優雅な旅なんかやなく、若者でもキツイと音を上げる貧乏冒険旅行である。

氏は現在、70歳近いご高齢で危険な持病をお持ちとのこと。

それでも科学少年やった頃からの冒険心を未だに持ち続けて、それを実行されておられるということに、ある種の尊敬の念と感動を覚えずにはいられない。

その冒険心が災いすると、今回の話のように、とんでもない世界に飛び込む羽目にもなるわけやが、それでも氏はどんな状況に置かれても後悔したことはないと言われる。

むしろ、その拡張員時代の出来事も古き良き思い出としてワシらに語ってくれている。

すべては生きてきた証やと。

氏は今頃、夜になると、異国の天空に一年中輝き続けていると言われている壮大なアルゴ船座を見ておられるはずや。

アルゴ船というのは、ギリシア神話に登場する巨大な船の名前やが、同時に、冒険の象徴として語り継がれている存在でもある。

壮大なロマンと共に。

その星座にはアルゴ船の全形は見えず、船尾からマストにかけて分断されている姿になっているという。

それには、アルゴ船が沈みかけても、人々が絶望しないようにとの天空からのメッセージが込められていると。

どんなことがあっても希望の星は消えないと。

そんな夜空を見上げる多羅尾伴内氏のように、幾つになっても夢と冒険心を持ち続けていたいものやと思う。



参考ページ

注1.第47回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■映画『社葬』による新聞への負のイメージについて 前編

第48回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■映画『社葬』による新聞への負のイメージについて 後編


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