メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第146回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2011.3.25
■情報を伝える人々の使命感と気概、そして新聞の存在意義について
過去の大震災、大災害のすべてがそうやったように、今回の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)でも数々の感動話、美談が生まれつつある。
その背景には仕事への「使命感」や「自己犠牲」、困っている人を助けたいという「思いやりの心」、「義侠心」、「ボランティア精神」といった感情、衝動にかられてというのが大半を占めるものと思う。
人は善を行う方が、悪を行うより数段、心の高揚と充実感、達成感、喜びを味合うことができるようになっている。
善を施すことのできる人は、ほぼ瞬間的にその行動を取る。理屈や打算が入り込む余地もなく、そうせずにはいられなくなるわけや。
場合によれば命すら投げ出す。
それが人の心を打つ。
危機に直面し究極の選択を迫られた場合、または窮地に置かれた場合、その人間の本性が分かる。
ワシは、ある新聞記事を読んで、今更ながらにそれを痛感した。
その新聞記事は、『避難所に−伝えたい−避難所から』と題され、3月22日発行の朝日新聞の朝刊に掲載されていた。
話は幾つかに別れている。
それらを一つずつ引用しながら紹介していきたいと思う。
地域紙の記者4人 手書き壁新聞
避難所に暮らす人たちに、必要な情報をどう伝えるか。地域に密着したメディアが奮闘している。
行方不明者が1万人にのぼるとされる宮城県石巻市では、地域紙「石巻日日新聞」が、被災直後の12日から5日間にわたって手書きの壁新聞を発行し続けた。
近江弘一社長は「ほしい情報はいま出さなければ意味がない。原点に立ち返り、壁新聞でいいじゃないかと思った」と語る。
記者4人が市内を駆け回り、道路の情報や被害の規模を油性ペンで書いた。掲示は市内の避難所など6カ所。
市立門脇中学校に避難している千葉文彦さん(30)は、「1枚だけだけど、毎日欠かさず読んでいる。さすが地元紙本当にありがたい」
この新聞記事を読んだ後、いつも見ている『スーパーモーニング』の中でも、この「石巻日日新聞」について放送されていた。
もっとも『スーパーモーニング』はテレビ朝日系の番組やから、朝日新聞とのつながりを考えれば、そこに掲載されていた記事を取り上げて放映するというのは偶然ではないのかも知れんがな。
番組では、入社5ヶ月目で23歳になるという横井記者の奮闘振りにスポットが当てられていた。
その横井記者自身が被災者であるという過酷な状況にありながら、それと感じさせないひたむきな頑張りは立派で多くの視聴者の心に響いたと思う。
もちろん彼一人が頑張っているわけやない。
他の記者の中には、地震の取材に飛び出したまま安否の確認も取れていない方も何人かおられるという。
「石巻日日新聞」は、パートタイマーを含む総従業員30名ほどの小規模な夕刊専門紙や。
一般読者への販売だけやなく、全国紙のY新聞も顧客やというから、その地域で入手した記事を売っているのやと思う。
電気もなく輪転機を動かせない状況でありながら、それでも被災者のために新聞社が、手書きの「壁新聞」を作って避難所に張り出すというのは、考えとるほど簡単なことやないと思う。
そんな話は過去にも聞いたことがないさかいな。
いくら規模が小さいとはいえ、新聞社としての誇りや体裁、葛藤も少なからずあったはずや。
それでも、近江弘一社長は「ほしい情報はいま出さなければ意味がない。原点に立ち返り、壁新聞でいいじゃないかと思った」と言い切って、それを実行に移した。
『原点に立ち返り』とは、遠く江戸時代にまで遡った「瓦版」のことを言うてるのやと思う。
何も活字でなくても人々の望む情報、ニュースは伝えられる。
新聞には、そんな時代もあったと。
パソコンや携帯電話の電源を確保するために自動車のバッテリーから電源を取るなどの工夫を重ね、その壁新聞を続けたという。
今では少部数ながら通電により輪転機での発行ができるまでになった。
ただ、その多くは「号外」という形で避難所に無償で配布を続けとるということや。
余談やが、ハカセはそのことを調べているときに、当初、総理がその石巻の避難所に行く予定にしていたのを、当日の悪天候(雨)のため急遽キャンセルしたという事実を知った。
問題は、悪天候(雨)のため急遽キャンセルしたということやない。
その総理訪問のために、前日からその政府関係者からの細かな注文に応えるために避難所の仕事が滞り、支障をきたしていたということが問題なわけや。
現在、誰を一番優先せなあかんのかというのは分かり切った話や。もちろん、避難所の人たちで、その改善が急務とされとる。
実際、せっかく避難所に難を逃れて来ながら、その劣悪な環境のために亡くなられていく人が後を絶たんというさかいな。
一刻も早く何とかせなあかん状況や。
例え一日でも、総理がその避難民の人たちと一夜を過ごせば、その過酷な状況も分かり、より親身になって手も打てるやろうが、どうもそこまでする気は最初からなかったようや。
それよりも、総理が訪問することにより、そんな大変な状況にあるにも関わらず、避難所で動き回る人たちに過不足なく対応させようとすらしていたという。
総理個人を、すべてに優先させてまで。
政府関係者というのは、一体どういう神経の持ち主なんやと思う。
しかも、そこまでしていながら、雨で簡単に中止した。
「政府に振り回されました」ということを言いたくても大ぴらに言えん避難所の行政関係者、ボランティアの方々に代わって、「何を考えとんねん。ふざけるな!!」と、ここで言うておく。
福島原発事故で東京電力の作業者に対して、総理は「逃げることは許さん」とか言うたそうやが、人に「死んでこい」と同類のことを平気で言うておきながら、現地の避難所を視察するために、その受け入れ準備を徹底させた挙げ句、雨が降ったからと自分の身のことばかり優先して中止をするというのでは、どうしようもないわな。
また、そうする取り巻きというのにも醜悪なものを感じる。総理というのは、そこまで偉いのかと。
もう一度言う。「ふざけるな!!」と。
この未曾有の危機に身命を賭して国民のために当たろうとする総理、リーダーを望むのは無理なことなのやろうか。贅沢なことなのやろうか。
今からでも、いつからでも、まだ遅くはないさかい、その気概を見せ国民から拍手喝采を浴びて歴史に名を残す存在になってほしいと切に願う。
まあ、それの分からん者には言うだけ無駄かも知れんがな。
「壁新聞でいいじゃないか」という「石巻日日新聞」の社長の姿勢は、同じ新聞業界に身を置く人間としては、とても誇らしいことやと思う。
えらい違いや。
次の記事はラジオ。
「無事でいますか?」「笑って会いますように」。ラジオ石巻は市役所内から、昼夜を問わず安否情報を流し続ける。
倒壊した家から出られず、釣りざおの糸の先に名前を書いた紙をぶらさげ、通行人に「ラジオ石巻で流してほしい」と託した人もいた。
フリーパーソナリティーの阿部沙織さん(26)も被災し、局舎に寝泊まりする身。
「情報がないなか、ラジオが頼みの綱になっている。大変だなんて言っていられない」
地域密着のラジオ放送局というのも、その地域主体の情報が必要な人には重宝するものやと思う。
ラジオは電気がなくても電池でも聞こえるし、鉱石ラジオなら無電源でも聴くことが可能や。鉱石ラジオは、その辺にある簡単な材料を寄せ集めて作ることもできるしな。
ワシらは子供の頃によく作ったもんやが、知らん人は、「鉱石ラジオの作り方」(注1.巻末参考ページ)というのがあるから、それを見て貰えば分かると思う。
案外、情報入手ツールとしては、このラジオというのが一番ええかも知れん。
『倒壊した家から出られず、釣りざおの糸の先に名前を書いた紙をぶらさげ、通行人に「ラジオ石巻で流してほしい」と託した人もいた』というエピソードには、ちょっとしたユーモラスな一面を感じた。
もちろん、やっている人は真剣で切実な行為やとは思うがな。
テレビやと取り上げて貰えるかどうかが分からず不安やけど、地元のラジオ局なら必ず取り上げてくれるという思いを託す気持ちが、そこにある。
次は地域行政の取り組みや。
避難所では、回し読みの新聞はなかなか手元に回ってこない。
そこで、同県多賀城市地域コミュニティ課は市広報誌の号外を8千部つくり、18日に各避難所で配った。
「地震と津波が多賀城を襲う」という見出しで、被害状況を伝える写真を添え、インフラ情報や、市内の給水、道路の情報をまとめている。
片山達也同課長は「いちばん情報が必要なの被災地の住民に情報がいきわたっていない。今後も可能な限り2号、3号と発行していきたい」
これはその状況の最中では、できそうで、なかなかできることやないと思う。
もっとも、そう感じたからこそ、報道の専門家である新聞がわざわざ紙面を割いて、その記事を掲載しとるわけやけどな。
1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災でも、新聞や地域メディアが避難所を中心に活躍したが、それと同じことが自然発生的に起きとるということやと思う。
ただ、今回は、それに加えてネット媒体も大きな力を発揮しとるという点が、その当時とは違うところや。
その記事の中では、それについても紹介されていた。
ツイッター 28歳、安否確認して連絡
「すみません。○○さんご存知ないですか?」。
津波で甚大な被害を受けた仙台市若林区荒浜の避難者が多く集まる七郷小学校で、ノートを片手に廊下を走り回り、安否を尋ねる若い男性がいた。
同区の会社員、高山智行さん(28)。津波で家が半壊、自身も避難生活をおくる。
ノートに書いてあるのは、ツイッターで安否確認を依頼された100人以上の名前だ。
「ご友人やご家族とまだ連絡がとれていない方がいましたら、避難所にいる自分宛てまでレスください。探します!」。
地震があった翌日の夜、高山さんは避難所からスマートフォンでブログやツイッターにそう書き込んだ。
反響は予想以上だった。ブログのアクセス数が、2日間で5千以上に。
ツイッターでは100以上の安否確認の依頼が寄せられた。避難所内を回った結果、約20人の安否を確認し、ツイッターで無事を知らせる事が出来た。
「自衛隊のように誰かの命を救うことはできない。でも誰かの心が少しでも救えたなら、それで十分」と高山さんは話す。
新旧あらゆるメディア、通信方法を駆使して少しでも人の役に立ちたいという人たちがおられる。
今更やが、日本人は捨てたもんやない。世界が絶賛するとおり、誇れる民族なのも間違いない。
そして、その記事を紙面で紹介した新聞社の存在、度量の大きさも誇れると。
ラジオや行政の取り組みを紹介するのは、ありがちなことやから特筆することでもないと思うが、他紙である「石巻日日新聞」や、普段は批判的なネット媒体まで褒め千切るというのは、正直、驚いた。
同時に、ええものはええ、多くの人に知らせるべきやという報道人の心意気と良心も感じた。
素晴らしい行いをする人が素晴らしいのは当然やが、それに匹敵するのは、その事実を知らせる行為やと考える。
当たり前やが、どんなに素晴らしい行いでも、それと知らされん限り、誰も気がつかんさかいな。
新聞にはその力がある。
今までとは違った意味で、新聞の存在意義を知ったように思う。
参考ページ
注1.鉱石ラジオの作り方
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