メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第150回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2011.4.22
■日本復興への提言 その1 原子力発電の廃止とその代替案について
東日本大震災から1ヶ月が過ぎたが、その爪痕は深く、その復興作業が遅々として進んでいない。
少なくとも、ワシにはそう見える。
大震災による津波被害で壊滅的な被害を被った市町村が多かったからというのは確かやが、それだけやない。
それだけなら、どんなに悲惨な状況であっても復興、修復は少しずつでも前進することはできる。
残念ながら失われた人命は戻って来ないが、後に残された者は、どんなに辛くても、その人たちの分も頑張って生きようと考えられる。
しかし、その思いに冷や水をぶっかけられているのが、福島第一原発事故やと思う。
確かに、事故そのものは、大震災と津波被害によるもので天災との見方もできるが、地震国日本で、その主張は許されない。
日本では「地震は必ず起きる」というのは常識や。すべての建造物は、それを前提として安全に建てる必要がある。
特に、原子力発電設備に関しては、その導入当時から賛否両論があり、万が一事故が起きた場合の危険性を指摘されていたにも関わらず、それを「絶対安全だから」と押し切って国策として作ったという経緯がある。
例え今回の地震の規模と津波の威力が「想定外」であったとしても、「絶対に安全だ」と主張し続けた限りは、その「想定外」を理由にするべきやない。
どんな事態がおきようと、すべてを「想定内」とし、「絶対に事故が起きてはならない」施設は、何があっても事故を起こしてはならんということや。
そして、現実に、こういった事故が起きたということは、その見込みが甘かった、悪かったという何よりの証になる。
「それは結果が最悪やったから言えることや」、「結果論で批判するのなら誰でもできる」という声が聞こえてきそうやが、長年に渡り「絶対」という言葉を使って、「原発不要論」、「原発危険論」を封じ込め、強引に原発を導入してきた限りは、それでは済まされん。
しかも、今回の原発事故と同様の事故が起きる危険は去年の2010年10月20日に、すでに想定されていて、その訓練まで行われていたというさかい、よけいそう言いたくもなる。(注1.巻末参考ヘージ参照)
それに首相も参加していて、例え形だけとはいえ陣頭指揮を執っていた立場にも関わらず、今になって、そのことを「詳しくは記憶していない」と4月18日の国会で答弁するというのは一体、どういう神経をしとんねんと思う。
ワシらは、今まで滅多なことで特定の人物を名指しで腐したり避難したりすることはせんようにしてきた。そういうのは嫌いやさかいな。
しかし、今回だけは、その禁を破ってでも、この状況を憂う日本国民の一人として言わせて貰う。
このままでは復興どころの騒ぎやなくなると。
どんなに悲惨な状況であっても、その事が終われば、人は例え一からでも、マイナスからでも立ち上がって、やり直すことができる。
日本が、戦後、驚異的な復興を為し遂げられたのも、終戦時の状態が最悪で、それ以下がなかったからや。
今回のように家々が瓦礫と化し、焼け野原と化した状況が日本全体に点在していたという。
例え、そうであっても、それ以上は終戦ということで悪くなることがなかったさかい、人々は明日のために希望を持って頑張ることができた。
その頑張りにより、世界に類を見ないほどの驚異的な復興を成し遂げ、世界のトップクラスの国にまで昇り詰めたわけや。
しかし、福島第一原発事故には、その終わりが見えない。
原発事故の発生した当時から、事故そのものは大したことはない、すぐに収束すると政府や東電は言い続けてきたが、事態は日を追う毎に悪化していった。
その過小評価の発表の裏には、国民の原子力に対する無知につけ込み、実にええ加減な情報を流していたということがあった。
福島第一原発の設計に関わった元技術者たちの声が、そのええ証拠になる。(注2.巻末参考ヘージ参照)
その報道の一部分を抜粋する。
「会社はコスト優先」 原発の元技術者ら ネットで自己批判
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/280370.html より引用
「高台に建てたり、防水構造にしたりしていれば。想像力が足りなかった」。60年代、国内に技術がなく、津波を想定しない米国の設計図をコピーして第1原発を設計した元東芝社員小倉志郎さん(69)は悔やむ。
4号機の設計にかかわった元日立グループ社員で科学ライターの田中三彦さんは今回「政府や公共放送が危機を正しく国民に伝えていない」と感じている。
「格納容器内が8気圧になった時、普通は4気圧などと流していた。普通は約1気圧で、4気圧とは事故に備えた設計値だ。8気圧なら異常事態なのに、パニックにしないという配慮が多すぎる」
こういうありもしない事を「普通」と称して発表することを「捏造」と言う。
それは「誤報」の類やないかという意見もあるが、これは明らかに知ってそういう発表しとるわけやから、「捏造」と断言してもええと思う。
なぜ、そんなことをするのか。
「パニックを抑えるため」と説明するのやろうが、実際は原発廃止、またはその機運が盛り上がっては困る政府とその利権を欲する勢力の意向が働いたからやという気がしてならん。
これを正しく報道すると、
格納容器内の圧力は普通約1気圧で、4気圧というのは放射能を出さないための目標の数値。
それが、8気圧になったというのは設計の考慮をはるかに超えた状態で、危険な状況になったことを意味する。
ということになる。
これやと、誰でも「大変なことになっとるな」というのが、すぐに分かる。
実際にも、その後、どんどんと危険な状態になっていった。
そして、ついに4月12日、政府は広い範囲で人の健康や環境に影響を及ぼす大量の放射性物質が放出されているとして、国際的な基準に基づく事故の評価を、それまでの「レベル5」から一気に最悪の「レベル7」に引き上げることを決めた。
その発表による被害には甚大なものがある。
しかも、今後、それがどれだけ拡がるのか見当もつかん状況に置かれている。
その福島第一原発近郊の土壌汚染と風評被害で農業や漁業といった一次産業はほぼ壊滅的で、今後長期間に渡り、農産物を作ることも魚を捕ることもできんようになるのは、ほぼ確実やと思われる。
それに伴い、福島第一原発があるという理由だけで、その福島県にある物すべてが放射能に汚染されていて危険やという風に見られてしまう。
その風評被害の最たる事例がある。
現在、福島県内の会社が他地域、諸外国から輸入している物、震災の前に加工、生産していた物まで売れんという信じられん事態になっとるというのが、それや。
こういうのは何とかならんもんかと考えるが、それが風評被害の怖さというもんやと思う。
おそらく、この事態が収束することがあっても「福島」という名前は、「最悪な場所」という意味で、世界に知れ渡り、また人類の歴史にも深くそう刻まれるはずや。
いや、日本そのものが、「放射能汚染の国」というレッテルを貼られてしまいかねん。
実際に、現在、正確な情報が世界に正しく伝わってないために、日本全体が危ない国だと世界中から思われとるさかいな。
日本在住の外国人の多くが、国外退去しとるのが、そのええ証拠や。
まあ、それについては正しい情報が知られるときが必ずくるはずやさかい、いずれ分かって貰えるとは思うがな。
しかし、ここまで最悪な事態になっとるのにも関わらず、首相が発足させた東日本大震災復興構想会議において、その首相自ら、その議論の対象から原発問題を外すよう指示したというのは、一体何事やと思う。
信じられん愚挙やとしか言いようがない。
改めて、この首相のもとで本当に復興することができるのかと思いたくなる。
会議の特別顧問でもある梅原氏が「原発問題を考えずには、この復興会議は意味がない」と言われるのは、当たり前のことや。
以下、その報道の部分を紹介する。
東日本大震災 復興構想会議 原発除外に異論が噴出
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110414-00000040-maip-pol より引用
「全国民の英知を結集する」として菅直人首相が発足させた東日本大震災復興構想会議(議長・五百旗頭真防衛大学校長)の議論が14日始まった。
6月末をめどに第1次提言をまとめることを確認したが、首相が議論の対象から原発問題を外すよう指示したのに対し哲学者の梅原猛特別顧問らから異論が噴出。
震災発生後の本部・会議の乱立や政治主導の政権運営に疑念を呈する発言も相次ぎ、復興構想の具体化に不安を残すスタートとなった。
「原発問題を考えずには、この復興会議は意味がない」
以前から原発の危険性を唱えてきた梅原氏は会議の終了後、記者団にこう言い切った。
首相自ら特別顧問就任を要請した梅原氏だが、東京電力福島第1原発事故の収束する見通しの立たない中、賛否の割れる原発問題に踏み込みたくない首相の意向と会議の間に初会合からずれが生じた。
原発事故の被害に苦しむ福島県の佐藤雄平知事は「原子力災害も皆さんに共有していただきたい。安全で安心でない原子力発電所はありえない」と提起。
秋田県出身の脚本家、内館牧子氏も「地震、津波、原発事故という3本の柱で考えたい」と述べ、復興構想の中に原発をどう位置づけるかが議論の焦点の一つになりそうだ。
内館氏は対策本部や会議の乱立にも「復興構想会議もその中の一つと国民に思われたら、東北がつぶれる」と苦言。
震災後も府省や自治体との連携不足が目立つ菅政権に対し、「官僚と県や市が一体となってやることがまず第一」と注文をつけた。
この記事の中に、『賛否の割れる原発問題に踏み込みたくない首相の意向』とあるが、何やねん、それはと思う。
冗談やないで、ホンマ。
今回、ワシが、この話をしたい、せんとあかんと考えたのは、この一言を知ったからや。
事、ここに至っては「賛否の割れる原発問題」などと言うこと自体がおかしい。議論の余地などないはずや。
今回の事故ですでに完全に答が出とることや。
日本に『原子力発電は必要ない』と。
いや、全世界、全人類にとっても必要ないと。
それは、この事故が起きた結果論として言うてるだけやなく、実際にも、その原発が生み出す電力そのものにも、人類にとって取り返しのつかないリスクを負うてまで必要とする理由が何もないと断言できるからや。
原子力発電の推進者たちは、「原子力発電なしでは日本の電力は補えない」とよく言うが、それは明らかな間違いで詭弁や。
そんなことはない。
また、「原子力発電の代替案を提示してから、そう言え」という意見もあるが、それも簡単なことや。
即、実行可能で実用的な代替案なら、いくらでもある。
実際に、この事故が起きたことで、日本の社会は、好むと好まざるとに関わらず、脱原発の方向にシフトしつつあるさかい、案外、このままでも、その方向に行くかも知れん。
しかし、原発推進論者には権力側の人間が多いさかい、それを容認するとはとても思えん。
事が沈静化した頃合いを見計らって、必ず原発を作ろう、推進させようと企ててるはずや。
ありもしない「絶対安全」という論理を持ち出し、「二度とこんな事故は起こさない」と言って国民を丸め込もうとする。
それを阻止するためには、反対する者も、ただ反対と叫ぶだけではあかん。誰が聞いても「そうやな」と納得できる説明が必要になる。
そのためにも、まずは原子力発電の実態を正しく認識しておく必要がある。
日本の総発電量に対する原子力発電量の占める割合が29%という公式発表がある。
反対派の人たちの間では、23%程度という見方が大勢を占めとるようやが、ここでは、その公式発表をもとに話す。
2009年度の実績で天然ガス発電と並んで第1位にランクされている。(注3.巻末参考ヘージ参照)
これを多いと見るか、少ないと見るかで判断は違うてくるが、ワシは節電、代替電力の促進、普及によって、原子力発電に頼らなくても十分やっていけると思う。
もっとも、それは今やからこそ言えることかも知れんがな。
事故前の世論調査では62%やった原発支持が現在は39%にまで急低下したということがあるさかい、よけいや。今後、さらにその支持は下がるものと思われる。
今を逃したら、その機を逸することになりかねん。
事実、今回の事故がなければ、原子力発電施設は今後もかなり増設が見込まれており、2019年度の予測では、実に41%にまで伸びると試算されてたこどもあるしな。
そうなってしまってからでは遅い。3割弱と4割強では、まったく意味合いが違うてくるさかいな。
ただ、その動きを止めるというのも、一度決定したら、それが良かろうが悪かろうが止まらんという日本の行政方針、システムがあるから、簡単な話やないがな。
そのためには、国民が「負のリスク」に対して、「ノー」という多くの声を上げるしかない。
そうでなければ、今回のような事故が、またいつか必ず起こる。そして、その原発のある地域は壊滅的な打撃を受けるのは間違いない。
そう考えていた。
しかし、4月18日、首相が『原発増設の凍結示唆』(注4.巻末参考ヘージ参照)の姿勢を打ち出したことで、どうやら政府に多少なりとも、原発に懐疑的な見方をするようになったと考えられる。
それについては素直に評価したいと思う。例え、それがホーズであったとしても、そこまで追い込まれとるという証拠にもなるしな。
「事、ここに至っては原発計画などは推し進められん」と考えただけでも、マシやと。
もっとも、そう考えて当たり前と言えば、当たり前なんやが、その当たり前のことが、こういう事故が実際に起きてからでないと、それと分からん行政のシステムが、この日本にあるのもまた事実や。
まあ、それを嘆いてばかりいても始まらんから、その代替案について、これから話すことにする。
原子力発電を廃止するための代替案と、意識の変革について
1.節電。
これについては、東日本では否応なしに取り組まざるを得ない状況にある。
そして、本来なら、今すぐその必要性がないにも関わらず、西日本でも同じような動きになっている。
一種のブームやな。例えブームであったとしても、日本でこの節電への意識改革が芽生えたというのは大きいと思う。
しかも、この節電の直接のキッカケは、福島第一原発事故による電力不足という点にあるさかい、節電の効果が出て、その電力不足を補うことができれば、それがそのまま原発を必要としなくてもいいということにもなるさかいな。
電気は水と同じで無尽蔵にある、使えると考えていた人が多いように思う。
しかし、そうではなかった。今回の事故で、多くの人がそれに気づかされたわけや。
人は必要に迫られれば何でもする。電力不足になれば、必ずそのための節電の工夫をしようとするもんや。
事実、それはすでに幾つかの形として表れている。
現在、数多くのそうしたサイトが乱立しとるが、ここでは『みんなで節電アクション!』(注5.巻末参考ページ参照)というのを紹介しとく。
この節電効果は結構高く、国民の一人一人がその意識を持って少しずつでも実行することにより、試算では従来の使用量と比べて20%程度は節電可能と見込まれている。
政府は、4月21日、家庭や企業などへ一律15%の節電を要請する方針やということやがな。それまでは25%と言うてたから、かなり緩和されたことになる。
その節電が可能かどうかは分からんが、どの企業も、それなりに努力している。
現在、やり玉に上げられているパチンコ業界も『パチンコ業界、節電対策に躍起 ネオン消灯、輪番休業も検討』(注6.巻末参考ぺージ参照)とあるように必死や。
節電が当たり前の社会になれば、当然やが電力消費も減って、その分、原子力発電に依存しなくても済むと思う。
2.自家発電と蓄電池の併用。
大きな災害があれば停電はつきものや。当たり前やが、停電となれば誰でも困る。
それを回避する方法として、自家発電と蓄電池の併用が最も有効やと考える。
現在でも、産業用の電力の3割程度が自家発電によって賄われており、石油石炭、紙パルプ、化学の各産業ではそれぞれ8割、7割、6割ほどが自家発電により操業されとるという。
しかも、これらの企業の自家発電設備は一般への電力供給が可能やという。
実際、三菱化学が、新潟県の工場にある自家発電装置を再開させ、東北電力に15万世帯分の電力を供給することにしたという。(注7.巻末参考ぺージ参照)
他にも、鉄鋼大手の「新日鉄」や「JFEスチール」なども、自家発電の設備などから電力会社に電力を供給したいとして対応を急いでいるとのことや。
今後、こういった企業が確実に増えるものと思われる。
また病院、放送局の社屋・送信所・中継局などでも外部からの電源供給ができなくなったときに備えて蓄電池とともに自家発電を採用している。
2000年頃からは太陽光発電や畜電池などを備えた家が増えつつあり、各家庭でもそれが可能になった。
太陽光発電は、天候による影響を受けやすいため、晴れた日の昼間に発電された電気を畜電池で蓄えておえば、夜間や雨、曇りの日でも電気を使うことができる。
ただ、そんな便利なものが今まで、なぜあまり普及してこなかったのか。
それは、その価格が高すぎたということが最大のネックやったからや。
そうまでして費用をかけずとも、電気に困ることはない。つまり、それほど必要に迫られてなかったと。
しかし、状況は一変した。
現在、各電気メーカー共、その需要を当て込んで、本格的にその生産に乗り出したことで、かなり価格が安くなり、また性能も格段に向上するものと期待されている。
特に今まで業務用専用だった蓄電池が家庭用に転用され、それが爆発的な売れ行きを見せ始めているという。
今はまだ、太陽電池発電が200万円から300万円、蓄電池一基100万円以上もするが、それが一般に広まれば安くなり、性能も良くなるのは確実やと思う。
日本の家電製品はすべて、そうして進歩してきたという実績がある。
もっとも、今でもそれらには国の補助金制度があるさかい、無理をすれば買えんことはないと考える人が急増しとるというのが、その背景にあるわけやがな。
今回の震災で、実際に計画停電といった電力不足の生活を経験した、また見せつけられ、それに危機感を抱いた人たちが背に腹は変えられんということで、こぞって買い求めとるという。
それが結果的に日本の電力需要を引き下げることになり、技術進歩の原動力にもなると思う。
今までは、太陽光発電などへのクリーンエネルギーへの転換とは言うても、原子力発電があるがために、国はそちらを推進する方向やったから、遅々としてその技術が進むことがなかった。
それを考えれば、今回のことは大きな転機になると確信する。
しかも、その太陽電池発電で作られた余剰電力を売電するすることもできるというから、経済的な負担の軽減プラス、人の役に立つという気分にもなれるさかい一石二鳥や。
もちろん、災害時に停電になっても困らないという安心感を持てることが一番大きいわけやがな。
机上の計算ではあるが、全国にある一戸建の住宅の約2900万世帯がすべて4kWの太陽光発電設備を設置したとすると、総発電力は11,600万Kwとなって、1基50万Kwの原子炉232基分の電力を太陽光だけで賄える計算になる。
今日本国内にある原子炉は54基で、合計の発電出力は4,884万kWにすぎんさかい、すべての原発を廃止しても余りある発電量ということになる。
もっとも、一足飛びにそこまではできんやろうが、行く行くはそこまでになることも十分考えられる。
テレビや冷蔵庫、洗濯機、エアコンといった家電が日本中の家庭に普及していったように。
3.地熱発電の開発と増設。
日本は資源の少ない国というのが、国民の常識のように思われているが、そんなことはない。
むしろ、無尽蔵のエネルギーを有した世界でも類を見ない資源立国という見方さえできるという。
その根拠は日本が火山大国というところにある。
地熱発電というのがある。
火山はその根っこには必ず高熱のマグマを有しているから、その近くにある地下水は高温度になっている。
その高温度の地下水を汲み上げ、その蒸気でタービンを回して発電しようというものや。
使った蒸気の残りの冷えた水は、そのままその地下に戻すことで半永久的、または、かなり長期に渡って使い続けていくことが可能になる。
これは、その場所に例え地下水がなくても、川などから引き込んだ水を高熱のマグマを有している地層の近くに流し込むことで高温にし、それを利用することもできるという。
そうなれば現在の地熱発電所が、そうであるように日本中どこの山奥にでも建設可能ということになる。
しかも、これは完全にクリーンエネルギーやさかい、環境に負荷がかかることはまずない。
とはいえ、現在、この地熱発電は、全体の発電量の1%程度しかなく、今後、そのための施設を建設していかなあかんという問題はあるが、現在推し進めている原子力発電に多額の費用をかけるのなら、その分を、こちらに回せば済む問題やとは思う。
得られる電力予測は専門家の間では、原子力発電にかける費用を回せば現在の発電量の50%程度は確実に確保できると言われている。
つまり、原子力発電で得られる電力よりも多いということなる。
しかも、その後の放射能を帯びた廃棄物の処理費用や今回のような危険な事故のリスクを考えたら雲泥の差になる。
もちろん、現時点で、その地熱発電にケチをつけることはいくらでもできるとは思うが、やってみる価値は十分にあると確信する。
それに原子力発電と聞けば、いかにも進んだハイテク技術のように感じる人が多いかも知れんが、その技術は40年以上前に考案されたもので、ウラン燃料によって沸騰させた蒸気でタービンを回して発電させるというものや。
つまり、その発電方法、考え方は地熱発電と何ら変わりのないものやということになる。
もっとも、この地熱発電を実現するためには、その設備の建設が必要で、それには時間と費用がかかるさかい、今すぐというわけにはいかんが、長期的に見た原子力発電の代替案ということには十分なり得ると思う。
4.水力発電の活用。
水力発電と言うと、すぐダムを利用しての大がかりな発電と思いがちやが、ここでいう水力発電はそれとは違う。
マイクロ水力発電というのがある。
これは、発電能力100kW以下の小規模な水力発電のことで、中小河川、用水路、さらにはトイレの洗浄水など様々な水流を利用する発電のことや。
このマイクロ水力発電の利点は、ダムや大規模な水源を必要とせず、小さな水源で比較的簡単な工事と費用で発電できるところにある。
そのため、山間地、中小河川、農業用水路、上下水道施設、ビル施設、家庭などにおける発電も可能であり、その設置場所は無限にあるとされている。
主に小さな集落、地域毎に設置するという方法が有効的やとされている。
例えば、河川一つに、その地域毎に必要な電力を得るために、幾つものマイクロ水力発電設備を設置するという方法が、それや。
このマイクロ水力発電設備というのは、現在、木製の水車を利用するというものが多く、その回転でタービンを回して発電するというものや。
これは自然エネルギー活用の最たるもので、太陽光発電や風力発電のように天候に左右されることが少ない。
また、その資源も地熱と同様に、ほぼ無尽蔵にあり、環境を損なうこともまったくない。
むしろ、河川の至る所に水車が回っているという、いかにも日本古来の風情、景色が復活することで、日本そのもののイメージが上がることが予想される。
現在、マイクロ水力発電を導入することにおいて技術上の問題はほとんど解決されているが、法的整備がほとんど手つかずとなっているのが難点と言える。
電気保安規制、水資源利用規制、主任技術者の選任義務などといった大型発電所と同等の規制がかかっているため、それが大きな負担となって、いざ設置しようにも、なかなかその許可が得られないという。
これについては、この少しでも電力が必要な現状を考え、それらの法律を改正するか、特例措置を設けて、その普及を推進するしかないが、果たして、今の政府にそれが期待できるのかと思う。
これに関しても、賛同者を募り、その声を上げて政府を動かすしかないやろうな。
5.機運を盛り上げる。
太陽電池発電や燃料電池、地熱発電、マイクロ水力発電といった、環境に優しく無公害かつ、日本に無尽蔵に存在するエネルギーを利用するという画期的な方法があるにも関わらず、今まで国はそういうものに本気で取り組んでこなかった。
おそらく、それについて誰も声を上げず、ほっておけば、そのままになるはずや。
それを動かすには民意しかないと考えていた。
具体的には、反原発で自然エネルギー推進論者の政党、候補者に選挙で投票することやと。
もちろん、それも重要なことやが、今すぐ必要なこの危機を救う力としては正直弱い。
そう考えてた矢先、4月20日、『ソフトバンク孫社長 「自然エネルギー財団」設立へ 科学者100人集めて政府に提言』というビッグニュースが飛び込んできた。
その報道や。
ソフトバンク孫社長 「自然エネルギー財団」設立へ 科学者100人集めて政府に提言
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110420-00000577-san-bus_all より引用
ソフトバンクの孫正義社長は20日、太陽電池など環境エネルギーの普及を促進するため、「自然エネルギー財団」を設置すると発表した。世界中の科学者ら約100人に参加を促し、政府への政策提言などを行うという。
同日午後、開かれた民主党の復興ビジョン会合で明らかにした。
孫社長は福島第1原発の事故を受け、自然エネルギーへの転換を主張。東日本大震災の被災地域を中心に「東日本ソーラーベルト」を作る構想などを提案したほか、普及促進策として自然エネルギーで発電された電力の全量買い取り制度の導入も求めた。
孫社長は「太陽電池の輸出国として世界最大のソーラーベルトを作ろう。もう一度日は昇る。希望あふれるビジョンを作ろう」と語った。
これはとてつもなく大きな力になる。
孫正義社長は、先日の4月3日、個人資産から100億円を震災の復興のために寄付すると発表したばかりや。
また、平成23年度から引退までの孫社長の報酬全額も、震災で両親を亡くした孤児の支援として寄付すると広言された方や。
いくら金を持っていようと、なかなかできることやない。氏の社会貢献にかける思いと情熱が、よく伝わってくる。
そして、今回のこの発表や。その本気度、思いの強さは並大抵のものやないと思う。その財団の設立にも、それ相当の金をかけると言うておられるしな。
時代は偉大な人物を生んだ。そう思わざるを得ない。
ワシらには何もできんが、せめて、孫氏の「自然エネルギー財団」を応援するメッセージを発することくらいはできるから、ぜひそうしたい。
そして、これをキッカケに、日本社会に原発廃止の機運を盛り上げていければと思う。
と、こんなところや。
他にも、常温個体核融合といった海水を利用するといった無公害、かつ無尽蔵な資源、エネルギーを利用する新技術の開発が目前に迫っているというのもある。
それについては、まだワシらも勉強中なので、後日詳しいことが分かれば報告したいと思う。
いずれにしても、時代は原子力発電より、自然エネルギー発電の方を選択していると信じたい。
ただ、これほど深刻な事故が起き、最悪な状況に陥ったにも拘らずネット上では未だに「日本には原発が必要だ」と信じ込んでいる人が少なくないというのは哀しいことやと思う。
そう信じ込まされた、言い方は悪いが「洗脳」されてしまった考えを一朝一夕に変えることができん人がおられたとしても、それは仕方ない。
そういう人には時間をかけてでも分かって貰うしかない。
そのためにも、今はまず原発事故を一日でも早く収束させることや。
それからでしか何事も始まらんやろうと思う。
起きたことを悔やんでも仕方ない。人はそれを教訓として前に進むしかない。
それにしても、日本が本格的な復興を果たすまでには相当の時間を要し、長い道程になるやろうなと思う。
その日のために、ワシら国民の一人一人が、できることを少しずつでもええから確実にするしかないということや。
参考ページ
注1.原発事故、その時… 浜岡原発で国の総合防災訓練
注2.「会社はコスト優先」 原発の元技術者ら ネットで自己批判
注3.日本の電力消費
注4.原発増設の凍結示唆=避難住民の帰宅へ努力―菅首相
注5.みんなで節電アクション!
注6.パチンコ業界、節電対策に躍起 ネオン消灯、輪番休業も検討
注7.三菱化学 自家発電で電力供給へ
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