メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第157回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2011.6.10


■新聞の電子版化で新聞販売業界はどう変わるのか?


新聞各紙がいよいよ本格的に電子版化に向けて動き始めた。

時代の流れでやむを得ないのか。そうすることが今後の新聞の生き残る道だと思っているのか。今までの製造、販売システムはどうするのか。

問題は山積みやが、新聞各社から、その明確な答えが今のところ何も得られていない。

彼ら自身、その答えが分からんと言うた方が正しいのかも知れんがな。

まったくの手探り状態やと。

成功するのか、失敗に終わるのか。神のみぞ知るということなのか。

この新聞の電子版化には賛否両論が渦巻き、いろいろな見方が存在している。

そのどれが正しくて間違っているかのは、もう少し時が経たな分からんとは思うが、現時点で評価しろと言われると、残念ながら「その試みは上手くはいかんやろうな」としか、ワシらには言えん。

それは、まだ早すぎるというのとは違う。むしろ、遅すぎる。機を逸したと見るべきやと考える。

このメルマガ誌上でも事ある毎に言うとるが、過去、新聞社はネットの存在をあまりにも軽視し続けてきた。

少々、ネットが普及したくらいでは、新聞の地位が揺らぐことはないやろうと考えていたフシがある。

情報の王道、神髄は「新聞」にありと。

その思いが強すぎたのやないかと考える。

しかし、十数年前にネット社会が到来することを、どこよりも早く予見し報道していたのは、実はその新聞やったんや。

その当時、多く論調がネットを賛美するものばかりで占められていた。

その初期の頃に、ネットを取り込み利用する発想が新聞各社にあれば、今日とはまた違った結果になったやろうと思う。

ラジオと迎合し、テレビを取り込んだのと同じような発想があればな。

しかし、結果として、新聞各社はそうすることを拒み、ネットを軽視、無視する方向に傾いてしまった。

新聞社はなぜインターネットを軽視、あるいは無視し続けたのか。

どうして、その情報を真っ先に得ながら「ヤフー・ジャパン」や「グーグル日本」に先駆けて、インターネットの分野に初期の頃から参入しようとしなかったのか。

インターネットでも報道のイニシアチブを取ろうと思えばできた可能性は高いのにも関わらず、なぜそうしなかったのか。

現在、新聞社の多くは、テレビ局すらその傘下に置いている。

それと同じ手法をインターネットが到来した初期に採ってさえいれば、現在の「ヤフー・ジャパン」や「グーグル日本」以上のポータルサイトを構築できていたかも知れん。

そうすれば、新聞社は今以上に巨大企業になっていた可能性も考えられる。

それをせずに後手を踏んでしまった結果、現在の状況に陥っているというのが、ワシらの見方や。

単にその見通しが甘かったからと言えば、そういうことになるが、なぜ、そうなってしまったのかを考えれば、どうしてもある結論に到達せざるを得ない。

それは新聞社に、その見通しのできる人材が不足していたということに尽きると。

また、それを提案できる環境になかったと。

極論すれば、それは新聞社内部の社員構成、幹部構成にその要因があると思われると。

どういうことか。

毎年、決まった人員が入社していて各年代の社員が均一になっていれば、現在とは大きく違った状況になっていたと思われる。

なぜなら、実社会との感覚のバラツキが少なくなっていたはずやからな。

ところが、現実には、その社員構成に大きな偏(かたよ)りが起きてしまっていた。

しかも、それはほとんどすべての新聞社で同時に起きていたことやと分かった。

たいていの新聞社では1980年代末のバブルの頃、大量の新卒者を採用していた。

ところが1991年後半にバブルが崩壊すると、その翌年の1992年の新卒者の入社は極端に減った。

今では、ごく当たり前となった経費削減による雇用調整というやつや。

この新卒者の採用を極端に減らすという方針は、そのまま1990年代末まで維持され続けた。

結果、1990年代の新聞社の新卒入社数は1980年代のそれと比べると3分の1程度になってしまったと言われている。

つまり、1970年代生まれの世代が、新聞社の中では極端な少数派になってしまったということや。

実際、それによって1990年代後半には新聞記者の構成年齢が徐々に上がってきてしまい、後輩がいないためにいつまで経っても最年少の若手から脱却できず、30代半ばになっても雑用ばかりをやらされるといった事態が生じていたという。

雇用が景気に左右されるというのは、ある意味、致し方ないことやとは思うが、やはり極端なやり方は世代間のギャップを生み、組織そのものに悪影響を及ぼすのは確かや。

各年代が均一になってないと、その感覚による違いを矯正することができず、意見や主張も偏ったものになりがちになる。

その世代間の感覚の違い、俗に言う「ジェネレーションギャップ」が新聞社に大きな影を落としていたと考えれば、すべての説明がそれでつく。

人はその組織の中にいると、そこで長年培われてきた過去の慣習やしきたりを重要視しがちになる。

また、経験的にもその方が効果が上がるものと信じ込む。

それ自体は、さして悪いとも言えん。経験が必要になることはいくらでもあるさかいな。

何もない平時であれば、それでも良かった。

しかし、時代が大きく変貌する、またそうなるよう要求される場合は、それではあかん。

時代の先駆者になるためには、当然やが、いち早くその時代の先取りをせなあかん。

そのためには若い感覚が必要とされる。

ところが、「ジェネレーションギャップ」があるために、それができんようになっていたわけや。

若い革新的な意見が封殺されるということが起きたために。

特に、常に報道の中心、王道を歩んできたという自負の強い新聞社にその傾向が強かったと思われる。

現在の新聞社の構成員は1970年代前半に入社した団塊世代の57歳から62歳までが一番多いということになる。

一般的に新聞社の定年は60歳とされとるが、幹部社員、重役クラスはそれ以上の者も多いというから、実質的に新聞社の実権を掌握しているのは、その年代の人間と見て間違いないやろうと思う。

次いで、1988年から1991年までのバブル期世代、44歳から47歳までの社員が多いということになる。

それに反して、1992年から1999年のバブル崩壊後に入社した本来ならその中枢を担うはずの35歳から43歳までの社員は、それらのピーク時の3分の1にも満たないという。

しかも、周知のとおり、その雇用形態は2000年代に突入しても、より厳しくなっとるのが現状や。

つまり、若年層になればなるほど、新聞各社にはその構成員が少ないということになっとるわけや。

それでは世代交代など遠く及ばない。

老害と言うと語弊があるが、これやと、今後もしばらくの間、そのベテランたちが幅を利かせ、過去のやり方を踏襲するだけにしかならず、新しい感覚や冒険心が新聞社に芽生える土壌はとてもやないが期待できるわけがない。

その「しばらくの間」が問題で、若い革新的なリーダーが誕生するまで新聞社が果たして持ち堪えられるかということや。

若い世代のリーダーなら、ほぼ間違いなくその初期の頃にインターネットへの取り組みを考えていたと思うが、現状がベストと考えとる人間が数でも地位でも圧倒している職場で、その考えが取り入れられる可能性はほとんどなかったやろうと思う。

いつまで経ってもペーペーのままで、その意見も取り上げて貰えない職場に嫌気をさした新聞社の若手の多くが、他業種への転職に走っているのが現実やという。

それが、益々、新聞社内の「ジェネレーションギャップ」を拡げた。

その結果が、今ということになる。

企業は人材で決まる。その人材がおらんと言うのでは話にもならんわな。

新聞社も過去、その時代毎に新しい感覚があったからこそ、著しい飛躍を遂げてきたという紛れもない事実がある。

今となっては良かったのか悪かったのかは何とも言えんが、現実問題として、終戦直後の疲弊しきって営業力の皆無やった時代に、「拡張団」という外部の勧誘組織を作るという当時としては斬新すぎるアイデアのおかげで飛躍的にその部数の獲得に成功したのが、その最たる成果やと思う。

あるいは、現在、日本一の購読部数を誇るY新聞がまだ5万部ほどの弱小新聞社やった頃、劇的に部数を伸ばすきっかけになったのが、新聞に「ラジオ欄」を作るというその当時としては、あまりにも奇抜すぎるアイデアのおかげやったということもある。

当時、ラジオはニュースを放送するという観点から新聞のライバルと目されていた。

そのラジオに与することをしてどうするのかという反論を押し切り、その「ラジオ欄」を掲載したことが、却って新聞の部数を飛躍的に伸ばす結果になった。

ワシは、今まで優秀な頭脳が結集しとるはずの新聞社の連中が、何でワシらの言う程度のことが分からんのかと長い間ずっと不思議に思うていたが、今その疑問が解けたような気がする。

古き良き時代の郷愁しかない熟年に新しい発想をしろと言うても、それは無理な話かも知れんと。

そうやとしたら、現在、新聞社は老害に冒されとると言うしかない。

老害のもっとも厄介なところは、人の意見に耳を貸さんというところや。思い込みが激しいということもある。

そうではなく、若い感覚のリーダーが、その当時の新聞社に現れる環境さえあれば、インターネットの著しい台頭があっても、それを敵視せず、それを利用する、あるいは包み込むという発想を持ち合わせていたはずやから、局面は大きく変わっていたのやないかと思う。

あるいは、例え不況であっても、ある程度、先を見越した人員の募集を計画的にしていれば、また違った結果になったかも知れんと。

結果論で話すのは容易(たやす)いことやと承知しているし、批判はどんな愚か者にでもできると知っとるつもりやが、今まで新聞社には数多くの提言をしてきた手前、それでも敢えて言わずにはおられんという気になる。

結果として無視され続けとるがな。

新聞社の人間がまったくネットを見ないというのならともかく、ワシらのサイトの特質上、今や新聞社の関係者がその存在を知らんというのは考えにくいと思うとる。

なぜなら、新聞に関係したキーワードで検索すれば、そのほとんどでワシらのサイト、もしくはメルマガのどこかのページがヒットするさかいな。

別に声が届かんとか無視されているということを恨んで言うてるわけやない。

それだけの値打ちしかないと思われていれば、それだけの値打ちしかないさかいな。

物の値打ちは、それを見て利用する者が決めるもので作っている人間が決めるものやない。

その程度の道理は弁(わきま)えとるつもりや。

それに新聞社はワシらに限らずネットの論調そのものを無視するという方針のようやから、それはそれで一つの考え方やとも思うていたしな。

ただ、その声が届いたのか、時代の流れでやむを得ない選択なのかは分からんが、ここにきて新聞各社が、そのネットに力を入れ出したのは確かや。

その表れとして、新聞の電子版化が始まった。

そういうことやと思う。

これから、新聞販売業界はどうなるのか。

販売関係者のみならず、読者にとっても関心のあることやないかと考える。

その一般読者から、サイトのQ&Aに『NO.1027 電子版オンリーの契約だとサービスはなくなってしまうのでしょうか』(注1.巻末参考ページ参照)という質問があった。

主な質問は、

『この種のサービスは電子版オンリーの契約だとなくなってしまうのでしょうか』

『電子版契約となると販売店とは無縁になってしまうのでしょうか』

『直接代金A紙の本社にいくことになるのでしょうか』

というものやった。

その回答として、『サービスは一切なくなる』、『販売店とは関係なくなる』、『電子版のプラットホームでの販売やから、そこに支払う手数料を差し引いた分が入るものと思う』という趣旨の話をした。

その後さらに、


電子版契約が販売店とは無縁になると、近い将来にはつぶれてしまうところも出てくるのではないでしょうか。

アローワンス的な措置もないのでしょうか。

たとえば3年間は当該地区の販売店に3割支払うとか。

そんなこともないのでしょうか。

それと、私はあと4か月ほど地区のA紙販売店と契約が残っていますが電子版契約のみをスタートしたから、紙の本紙を中途で打ち切るということはできないのでしょうか。


という質問があった。

『電子版契約が販売店とは無縁になると、近い将来にはつぶれてしまうところも出てくるのではないでしょうか』というのは、まったくないとは言い切れんが、その心配をするほど電子版が売れることはないやろうと思う。

新聞は電子版では売れない。

その主な理由を今から話す。


電子新聞が売れないと思われる主な理由


1.現時点でも、ヤフー・ジャパンなどを筆頭に大手ポータルサイトでは、新聞各紙の主なニュースをタダで見ることができる。

しかも、パソコンでも携帯でも容易にアクセスできる。

これは大きい。

そういった環境が出来上がっている現在、果たして、どれだけの人が、新聞の電子化に魅力を感じ金を払ってまで購読するのやろうかという気がする。


2.今まで、新聞の購読契約に付きものやったサービスが一切なくなることへの不満をどの程度、考慮しとるのか。

ハカセがA紙のデジタルサービス係に問い合わせて聞いたところ、物品でのサービスは今のところ何も考えていないということやった。

その代わりに、紙面の内容でかなりサービスしている、今後もする予定があるので、それをサービスと捉えてほしいという。

具体的に言うと、紙の新聞紙面にはない記事、情報を電子版では増やすということのようや。

例えば、現在、経済関係のコラムがあり、それには経済界の著名人たちのコラムを充実させると。

そして、それ以外にも多用なコラムを充実させていくと。

これは、いかにも新聞社に多い熟年世代が考えそうなことや。自分たちの価値観で物事を考えすぎる傾向が強い。

それをサービスと受け取り「そら、ええな。それなら電子版に切り替えようか」という人が、一体どれくらい存在するのかと考えたことがあるのかと言いたくなる。

ワシには懐疑的に思えてならん。

特に経済関係のコラムということなら、あまり期待できんと言うしかない。

それに特化したものが必要やと言うのなら、同じ電子版を選択する場合、総合紙のA紙よりも、経済専門紙のN紙に走る人の方が多いのやないやろうか。

その他のコラムを充実すると言われても、その具体的な内容すら広報してないのに、購読者がそれに魅力を感じるのはとても無理な話や。

そんなものは絵に描いた餅にすらならん。

「それはそのうち増やします」てなことを言うてるようでは救いがない。

本当に、素晴らしいと思えるような隠し球的記事、コラムがあるのなら、その電子版を発行する前に大々的に宣伝、アピールするべきと違うかな。

ハカセのように問い合わせた人間にさえ、漠然としか、そう伝えられんというのではどうしようもない。

サービスと言う限りは、多くの人がそれと知って、それを目当てにするものでなかったらあかんはずや。

違うやろうか。

新聞購読には、拡材や無料期間サービスが付きものという一般の人の概念が強い。

過去、業界挙げて長い年月、購読者にそれを浸透し続けてきたさかい、いきなり、その流れを止めるというのは、冒険を通り越して無謀としか言いようがないと考えるがな。

それが貰えないとなれば、不満に思う人が多いというのは当たり前や。

もし、紙の新聞で、そのサービスが全廃したとしたら、相当な部数減に陥るのは、ほぼ間違いないと思う。

ここ、2、3年の間、「正常化の流れ」と称した拡材サービスの極端な押さえ込みをしている販売店では相当数の部数減に陥って困っているという報告が相次いで増えている。

中には「廃業も考えている」という人すらいとる。

新聞の部数減の原因は、それだけやないが、それも一因なのは紛れもない事実やろうと思う。

それがゼロになるわけや。どうなるかは「推して知るべし」やと考えるがな。


3.新聞の電子版モデルはすでに失敗している。

すでに全国紙のS紙では10数年前から、新聞の電子版化を手がけとるが、まったくと言うてええほど成果を上げていない。

低料金(300円、500円)にしたり、無料にしたりといろいろ試行錯誤を繰り返してきたが、無料にして、やっと数万部の購読者が確保できたにすぎんという。

その数字が公表されとらんさかい、確かなことは言えんが、裏を返せば、公表していないということが、その部数の少なさを物語っとる何よりの証拠やないかと思う。

もっとも、それでもそのプラットホーム「App Store」の無料アプリの人気ランキングでトップになったこともあるという話やがな。

失敗の連続でも、新聞の電子版化を止めようとしないのはなぜなのか。

S紙の社長曰く、「次世代の新聞のあり方に挑戦しなければいけない。電子新聞が赤字だったとしても、やり足りない時点でやめてはいけない」という考えからやという。

その考え自体は悪くはない。失敗の連続でも、めげずに徹底して頑張るというのも立派や。

時代は、いずれそういう方向に向かざるを得ないというのも間違ってないと考えるしな。

例え捨て石になっても、やり遂げるという志の高さは買う。その思いが功を奏しつつあるというのも認める。

それでも、2008年12月12日に無料で電子版化されてから、今年で2年6ヶ月が経過しとることになるが、それなりの成果を上げていながら、有料化には未だに踏み切れないでいる。

その理由は一つ。有料化すると、その購読客が逃げるという怖さがあるためやと思う。

例え、その価格を300円、500円という低価格にしても、過去の実績からも二の足を踏まざるを得ないと。

かなりの高確率で、その読者たちは逃げると。

その程度のことなど先刻承知しているのにも関わらず、A紙をはじめとする新聞各紙が、今頃になって紙の新聞の宅配価格に近い価格で電子版を販売して成功すると考える神経を疑う。

その根拠は何かと問いたい。まあ、そんな質問をぶつけても答えなんか返っては来んやろうけどな。


4.若い世代の取り込みは本当に可能なのか。

公表しとるわけやないが、一部の関係者から漏れ聞こえてくる話によると、電子版の主なターゲットは若者に向けてということらしい。

新聞を取りたいのやが、タチの悪い勧誘員や販売店の人間と接触するのを嫌う若者が多いということで、その層を取り込みたいという狙いがあると。

確かに、タチの悪い勧誘員や対応の悪い販売店の従業員がおるのは事実や。それを嫌って新聞を購読したくない、しなくなった若者もいとるとは思う。

しかし、せやからと言うて、その彼らの多くが電子版の購読を希望するかとなると、それはあまりにも短絡的かつ希望的観測すぎるのと違うやろうか。


5.新聞の電子版は読み辛い。

実際に新聞の電子版を読む人たちからは、「電子版は反応が遅い」、「一覧性がなくて困る」、「紙の新聞のようにまとめて読みにくい」という不評があるという。

他にも「切り抜きができない」とか、「資料として残しにくい」といった意見もある。

読みにくさという点では、縦書きを横書きに表示するといった工夫もされとるようやが、限られた画面の大きさでは読める記事の量も限られる。

まあ、これは多分に慣れの部分もあると思うので、読み慣れれば解消される問題かも知れんがな。

ただ、メールマガジンなどが、そうであるように、読まずに溜めてしまうと、それを読破するのに一苦労するという人も多いはずや。

たいていは、そうせず投げ出す。

ちなみに、一般紙の朝刊の文書量は、単純計算で400字詰め原稿用紙に換算して約500枚程度もあり、B6版の書籍にして300ページ分ほどもあるということやから、それを溜めて一度に読み切ろうすれば、相当の時間と意志が必要になる。

まあ、普通はよほど重要な記事でもないかぎり、そこまではせんやろうがな。

紙の新聞は、それほど読むことへのプレッシャーを感じずに済むが、電子版やと読むことを強要されるようで嫌やからと理由で止めたという人もおられるという。


6.電子版での購読契約は煩雑で制約が多い。

ネットショップなどで買い慣れている人はええが、始めて電子版での購読登録をする人は、その煩雑さに面食らい、途中で投げ出すケースも多いという。

またクレジットカードでの決済が必要やし、持ち運びが便利な端末の種類に制約がある。

紙の新聞のように、字さえ読めれば誰でも購読可能ということにはならん。

制約の多い商品は売れないというのが販売業界の常識やから、それからすると、この条件の悪さはマイナスに作用するものと思われる。


7.電子版には折り込みチラシがない。

昨今、紙の新聞の折り込みチラシが少なくなったという話はよく聞くが、それでも皆無になったわけやない。

未だに、その折り込みチラシの多い少ないで購読率に差がついているのは確かやさかいな。

特に、現在の新聞の読者層の根幹を為す、主婦層や高齢者たちは、その折り込みチラシのあるなしを重要視する。

楽しみにしとるという人すら多い。

これについては、主婦層や高齢者たちだけではなく、若者や子供たちにも人気が高いということが最近になって分かってきた。

それは、ファーストフード店などの折り込みチラシには必ずと言うてええほど、割引券、無料サービス券が付随しとるためや。

また、ゲームショップの折り込みチラシの情報などにも類似のものが多いという。

それらを集めるとかなりな額になる。上手くすれば新聞代を払ってでも得になるケースもあるほどやと。

ワシもサービス品が少ないと言う若い人には、「チラシには割引券、無料サービス券がついているので結構お得ですよ」というトークを使うことがあるが、その詳しい説明をすると、「へえー、そうなんや」という反応が返ってくることが多い。

そのすべてというわけにはいかんが、中には「それなら新聞を取ってみようか」という若い人もおる。

電子版にはそれがない。これは、新聞社が考えとるほど小さなことやないと思うがな。


8.電子版の顧客となり得るターゲットの絶対数が少ない。

現在の新聞の購読率を支えているのは、間違いなく高齢者、中高年の人たちや。

その人たちが電子版に乗り換えることなど、まず考えにくいから、その層はターゲットから外れる。

次に多い主婦層も、折り込みチラシ以外はあまり興味がないということで、この層もあまり期待できない。

最も有効なターゲットは新聞の情報を欲すると思われるビジネスマンたちやが、その彼らはすでにネットで、その情報を得る手段を他で講じとるのが普通や。

その彼らに、その電子版が、それらの媒体より価値あるものとしてアピールできるものなのかとなると、残念ながらノーと言うしかない。

新聞社の推奨する「経済コラム」も、その内容を読んでみたが、他の経済誌、書籍で言うてるのと大差なかったしな。

大差ないものは「ありふれたもの」として捉えられるだけやから、それを売りにするには弱いわな。

ゲームやAKBにしか興味のない若者は論外やしな。

そう考えると、この電子版のターゲットがどの層なのかという根本的な疑問が湧いてくる。

当たり前やが、狙いのないビジネスモデルなど成功するはずがない。


というのが、ワシらの見解や。

必ず、そうなるとまでは言い切れんかも知れんが、「中(あた)らずといえども遠からず」やないかとは思う。

『電子版契約が販売店とは無縁になると、近い将来にはつぶれてしまうところも出てくるのではないでしょうか』というのは、あくまでも、その新聞の電子版が売れに売れまくった場合という前提での話で、「売れない」となればそんな心配をする必要は、あまりせんでもええやろうがな。

ただ、そうなるかどうかは別にして、販売店にそうなるかも知れんという危惧を植え付けるのは良うないわな。

ただ、諸般の事情、流れを見る限り、新聞社も、それほど本気になって電子版を売りたいということでもないという気がする。

あるいは、ワシの指摘したように「売れない」と承知して、敢えて体裁を保つために販売に踏み切っただけなのかも知れんと。

まあ、あわよくばという思いがあるのは確かやろうがな。

もし、本気なら、電子版の場合、紙の新聞のように印刷工場や販売店への委託費用などのコストがまったく必要ではなくなるわけやさかい、極端に安い値段でも販売可能なはずや。

本当に売りたければ普通はそうする。

それを紙の新聞とほぼ同じ価格に設定したということは、既存のシステムにまだまだ依存する必要があるということなのやろうと思う。

販売店の不満を逸らすためには、売りたいが、あまり売れるものにするのも、現時点では具合が悪いと。

せやからと言うても『アローワンス的な措置』などするつもりは毛頭ないようや。

アローワンスとは、メーカー等が商品を販売してもらうために取引先に支払う協賛金のことをいう。

このケースで言えば、電子版を購入する顧客は、日本国内にいる限り、必ずどこかの販売店エリアに居住しているということになる。

つまり、新聞社自ら、宅配制度の一地区一店舗の販売原則を破ることになるわけや。

新聞販売店にとっては、本来、その新聞の客となる人間を新聞社に奪われるという形になる。

それでは宅配制度そのものが崩壊する危険を孕(はら)む。不平不満も噴出するのは間違いない。疑心暗鬼にもなる。

それを抑えるためにも、その補償金としての『アローワンス的な措置』を当該の販売店に支払うべきやないかという意見やが、新聞社には、そこまでの考えは残念ながらないようや。

電子版と紙の新聞は別物というのが、本音のようやさかいな。

その代わり、同じような価格設定をするので、販売店が脅威になることは少ないやろうという理屈で説得するつもりやないのかと思う。

「あまり売れんやろうから、そんなに心配する必要はありませんよ」と。

しかし、間違って大売れした場合はどうなるのか。

その場合は、既存のシステムを大幅に見直すのやないかと思う。

当然やが、コストのほとんどかからん販売システムで売れるのに、高コストなシステムを残す理由がなくなるさかいな。

その場合なら、販売店そのものがなくなる可能性がある。

そうなることは、まずあり得んとは思うが、新聞社の行動の背景に、それが見え隠れすると言われれば、それを否定することはできんがな。

『それと、私はあと4か月ほど地区のA紙販売店と契約が残っていますが電子版契約のみをスタートしたから、紙の本紙を中途で打ち切るということはできないのでしょうか』という質問も、ハカセはそのA紙のデジタルサービス係にぶつけてみた。

返答は『宅配を続けて頂ければ1000円の追加で電子版が読めますのでお得です』ということやった。

これは「ダブルコース」と呼ばれとるもので、その説明に、


現在、宅配で購読している方、またはデジタル版の購読を機会に新規で(宅配)を購読される方におすすめする、お得なコースです。

新聞(宅配)購読料金にプラス1000円でデジタル版も購読いただけます。


とある。

この文言に『デジタル版の購読を機会に新規で(宅配)を購読される方におすすめする、お得なコースです』とあるのが、販売店に対して「持ちつ持たれつ」をアピールしとるということになる。

「電子版への申し込み客は、販売店の顧客になる可能性もあるのですよ」と。

しかし、良う考えてほしいが、プラス1000円も出して同じ内容の媒体を買う人間がどれだけいとると言うのやろうか。

試しに、ワシは、そのトークで新規の客に勧誘してみた。デジタル版を読みそうな「無読者」を中心にな。

反応は一様に「ふざけるな」やった。

まあ、当然と言えば当然の反応やったが。

話を戻す。

ハカセが何度、その担当者に「デジタル版に変えたら既存の契約は途中で解約できるのか」と問い詰めても、同じことを繰り返すだけやったという。

まあ、ハカセも、その担当者が、その紙の新聞の購読契約を途中で打ち切れるとは言えんということを承知の上で言うてるわけやがな。

紙の新聞の購読契約は、新聞販売店と契約者の間のみに有効な契約であって、新聞社が立ち入れるものやない。

法的に言えば、先の紙の購読契約はその契約期間中は有効やさかい、契約解除は難しいということになる。

そうか言うて、『電子版と紙の新聞は別物』とは口が裂けても言えんわな。

となれば、「そうされた方がお得ですので、是非、一緒に購読してください」と繰り返すしかないわけや。

今後、この問題がどうなるのかによっては、ワシらのQ&Aでの回答にも影響するさかい、その姿勢をはっきりしてほしいと思う。

もし、電子版に切り替えるという理由で契約解除できるとなった場合、今まで揉めていた途中解除が簡単になると考えられる。

その販売店が、「途中解除できない」と言うた場合、客が「それなら電子版に切り替えます」と言って、新聞社の後押しでそれができたとする。

その1ヶ月後には、その電子版の契約解除は法的にも容易にできるさかい、結果として何の問題もなく、その新聞を止めることができるということになると考えられる。

なぜか。

それは電子版の場合には自動継続契約しかなく、この自動継続契約というのは、いつでも契約でき、いつでも止められるということなっているからや。

それを阻止するには、新聞社が断固として、「既存の紙の契約は解除できません」と言い切るしかないが、先の新聞社のサービス係の対応を見る限り、それはできそうにない。

また、その電子版の登場で勧誘がやりにくくなるというのも、容易に予想される。

「これからは電子版を読むことにしたので」と言われたら、拡張員や販売店の従業員は手の出しようがなくなるさかいな。

電子版は新聞社と購読者の直接の契約やから、販売店がその真偽を確かめるわけにはいかんようになる。

また、新聞社がその当該の販売店に、その購読者の情報を教えたとしても、実際に1ヶ月だけ購読して止めた場合、その連絡まで新聞社がすることはないやろうから、販売店にとっては、その客はいつまでも「現読」ということになってしまう。

「現読」勧誘禁止の原則が生きるわけや。

つまりその人間に対しては勧誘ができんようになるということやな。

電子版自体の購読者数が増えるという心配をする必要はないかも知れんが、勧誘の面で、合法的にその電子版が利用されかねんということはあり得る。

そこから今までになかった新たなトラブルが起きる可能性がある。サイトのQ&Aにも、その手の相談が増えるかも知れん。

まあ、そうなったらそうなったで、そのアドバイスは臨機応変にするつもりやがな。



参考ページ

注1.NO.1027 電子版オンリーの契約だとサービスはなくなってしまうのでしょうか


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