メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第160回 ゲンさんの新聞業界裏話

発行日 2011.7. 1


■拡張の群像 その6 融通の利かない拡張員の話


曲がったことの嫌いな拡張員。

そう言えば聞こえはええが、コウスケは融通の利かない男として、団内はおろか、入店先の新聞販売店やそのバンク内の客たちの間ですら有名な存在やった。

言うてることや、やってることは確かに正論、正当な場合が多いのやが、その意志を貫くにも限度というものがある。

時として人は折れなあかん場合も多い。

しかし、団塊世代であるコウスケには、それができんかった。そういう時代で育った。

例え客相手であったとしても自分が正しいと思うことには一切引き下がるようなことはしない。

言いたいことはズケズケと言う。

相手が悪いと思えば謝罪するまで、その矛(ほこ)を収めるようなことはしない。

それで喧嘩になったというのはコウスケの人生において数知れずある。

人はそれを頑固者という。融通の利かない男と。

先日、ある新聞販売店の店長から団に、こんな苦情が寄せられたことがあった。

その日、コウスケは休みということもあり、息子夫婦の住む、ある公営団地に遊びに来ていた。

運転は、その息子がしていた。

息子夫婦と近くのホームセンターで買い物をした帰りやった。

その団地の入り口近くの棟の周りで、その棟の人間だけで草刈りをしているのを見かけた。

どこにでもありがちな、のどかな風景や。

刹那、それが一変した。

2、3歳の女の子が、いきなり息子の車の前を横切ろうとして駈け出してきた。

駐車していた車の陰から飛び出したわけや。

「うわー、危ない!!」

悲鳴にも近い声を発しながら、息子が賢明に急ブレーキを踏んだ。

団地内ということもあり、スピードを出していなかったため、寸前で止まることができ、事なきを得た。

そこに、その親らしき30歳台の男が、急いで駆け寄り、その女の子を抱え上げた。

コウスケは、その女の子が飛び出したことに対して、当然、その親が謝罪するものとばかり思っていた。

すると、その30歳台の男は、謝るどころか、事もあろうに「バカやろうー!! 気をつけろ!!」と、息子に対して罵声を浴びせかけてきた。

今の時代に多い、逆ギレというやつや。

瞬間、コウスケの方もキレた。

車外に飛び出すと、「こらっ、ワレ、何ちゅう言い草や。子供から目を離したオノレの責任とちゃう(違う)んかい!! 自分の子供くらい、ちゃんと、見とかんかい!!」と、極道(ヤクザ)顔負けのドスの効いた声で怒鳴り返した。

一瞬、その30歳台の男が怯んだ。

おそらく、その30歳台の男は、その運転席の大人しそうな20歳台後半の息子だけを見て、そう言うたのやろうと思う。

「そ、そっちこそ、しっかり前を見ろよ」

その30歳台の男が、声を震わせ気味にそう強がった。

一度怒鳴った手前、簡単に引き下がることができんということで、やせ我慢しとるのがミエミエやった。

周りには、その団地の棟の人間が5、6人いたから、何かあっても有利やと踏んだようやが、コウスケには、それは通じない。

コウスケは若い頃、タクシーの順番待ちをしていたところを割り込んだヤクザ相手に喧嘩し、その事務所まで乗り込んで行って、その当人を謝らせたことがある。

例え相手が誰であろうと、相手が何人いてようと関係ない。理不尽な相手には、例え命を賭してでも戦う。絶対に後には引かない。

そんな男やった。

ワシは、その話をハカセから聞かされているとき、思わずその顔をマジマジと見つめた。

「何ですか?」

「いや、別に……」

そのコウスケという男は、まるでハカセと同じやないかと思うのやが、なぜか奴さんは自分とはまったく関係ない他人事のように話しとるのが、ワシには奇異に映ったからや。

もっとも、他人事なのは確かなのやが、そのコウスケと普段のハカセが同じような行動を取っている似た者同士ということに気づかんのやろうかと思う。

やけに冷静に話している。

「こらっ!! ふざけたことをぬかんすんやないで!!」

コウスケは還暦、つまり60歳を過ぎとるが血気は未だ衰えてなかった。

「縦欲の病は医(いや)やすべし、而(しかし)して執理の病は医(いや)し難し」というのがある。

菜根譚(さいこんたん)にある有名な一節や。

縦欲とは私利私欲のことで、執理とは、自身の主義主張、考えに固執することを指す。

つまり、私利私欲というのは時が来れば改めることはできるが、主義主張に固執する者は頑固で救い難い存在になるという意味なわけや。

縦欲というのは人間が本来の持っている欲望のことで、例えこの欲望に取り憑かれた者でも、時が来てそれに気づくことがあり、その愚を悟れば自らそれを治すことはできる。

しかし、執理という強い思い込みの持ち主は、その考え方を変えることは難しくできん。

したがって、縦欲より執理の方が治し難いと言うてるわけや。

年寄りに頑固者が多いと言われているのは、このためやないかと思う。年配者には失礼な言い方かも知れんがな。

コウスケが、まさにその状態やった。

「ボケェ!! これは完全にそっちの子供の飛び出しなんやから、例えそれで、その子供が死んだとしても、不可抗力として無実になる可能性の方が高いんやで。そうなってから、ナンボそっちが喚いても仕方ないんや。そんな程度のことも分からんのか、カス!!」

コウスケのそう言いたい気持ちも分からんではない。

いきなり車の陰から小さな子供が飛び出して来た場合、それを回避するのは無理やという気に誰でもなるさかいな。

今回の場合は、たまたま徐行気味に走っていたから止まれただけで、幸運やったと言うしかない。

それで事故を起こして、万が一、その子供が死んでしもうたら、その子供も可哀想やが、運転手も救われんことになる。

危険運転をしたわけやないから、単なる事故として処理され刑事罰に問われることはないやろうが、少なくとも、すべての事故に適用される「運転者安全義務違反」というのに問われ、免停などの行政処分を受けることにはなる。

事故処理の方は任意保険で、無制限の保障プラス弁護士特約をつけとるから、それで済むやろうが、幼い子供を撥ねて死に至らしめたという事実とその思いは一生、暗い影としてつきまとうことになる。

延々と救いのない日々が続く。

まかり間違えば、コウスケの息子が、そういう羽目に陥っていたわけや。

幼い子供の安全を守る義務は親にあるわけやさかい、すぐ近くにいてその責任を果たせん親が一番悪いということにならなおかしい。

最も罪に問われなあかんのは、その親やとコウスケは思う。

しかし、子供から目を離したというだけで、その親を裁くことのできる法律は残念ながら、この日本にはない。

それどころか被害者の親として、その権利を有することになる。さらに周囲には同情すらされる。

しかも、その責任、罪の意識が、その親には、まったく見えない、見えないどころか他人のせいにして憚(はばからん)といという姿勢がコウスケにはよけい怒りと苛立ちを覚えた。

それに引き替え、どんな事情、状況であったにせよ子供を撥ねた者は、その事実のみで例え不可抗力であったにしろ、刑法上の罪には問われなかったにしろ、世間からは白い目で見られることを覚悟せなあかんわけや。

加えて、そうなった場合、この手の人間は「悪いのは運転手や」と喚き散らすのは、ほぼ間違いないやろうと思う。

実際、この30歳台の男は、コウスケの怒りの抗議に対して、「そ、そっちこそ、しっかり前を見ろよ」と、ほざいた。

絶対に許すことはできん。

「このガキ!!」と、その30歳台の男に掴みかかろうとしたときに、周りの男、二、三人にコウスケの行く手を阻まれた。

「ちょっと、落ち着いてくださいよ」と、その中の年輩の男が言う。

「あんた、いつも家に来る新聞販売店の人やろう?」と。

「あんたは、確か……」

コウスケは思い出した。その年輩の男は、たまに販売店から頼まれて「止め押し(継続契約)」に行く、サカタという客やった。

「ここは、私の顔に免じて許してやってもらえませんか?」

「私は別にええですよ。ただ、あの兄さんに、この事を一言謝ってさえ貰えれば……」と、コウスケは、それで収めようとした。

そこへ、「何で、被害者になりかけた俺が、そんなオッサンに謝らなあかんねん」という、コウスケにとっては信じられん言葉が返ってきた。

「何を、この糞ガキが!!」

ヤクザにすら、恐れられたことのあるコウスケにしたら、こんな道理も分からん男に、ここまで舐められるわけにはいかんかった。

絶対に、ドツキ(殴り)倒す。

そう決めて襲いかかろうとすると、さすがにその30歳台の男は、危険を察知したのか、その棟の自分の部屋に逃げ帰って行った。

コウスケは、それ以上、追いかけることまではせんかった。昔と違って、そこまで若くはない。

「何ちゅう、ガキや」

ただ、その怒りは、しばらく収まることはなかったがな。

「最近は、ああいう若い人が増えてましてね」と、サカタが慰めるように言う。

この団地では夏前になると「草取り」をするのが恒例行事になっていた。

一家に一人、その人員を出す決まりやが、集まるのはいつも高齢者ばかりやった。30歳台以下の男が出てくることは皆無に近い。

自治会長をしているサカタは、そのことにいつも腐心していた。

全体として呼びかけても、なかなか若い人たちが、それに応じて出て来ないということで、今年から各棟毎に「草取り」をすることにしたという。

それなら、一棟で20戸前後しか入居してないから、隣近所がそう呼びかければ出やすいやろうと。また出ないではおられんやろうと考えたからやと。

その30歳台の男の名前をヤマジと言う。

サカタは向かいの部屋ということもあり、普段は出て来ないそのヤマジを口説いて今日初めて、その草取りに参加させることができたのやという。

しかし、それでも現実に出てきた若いと言える男は、そのヤマジ一人だけやった。

最初、「話が違うやないか。アホくさ」と、そのヤマジはふて腐れて、まじめに草取りをしてなかった。

そこへ、そのヤマジの妻が現れ、「ちょっと子供を見てて」と一方的に言って、子供をその場に置いて一人でどこかに出かけたという。

その女の子は初めのうち、ヤマジの近くで、その草取りの真似をして遊んでいたのやが、いつの間にか、一人で離れたところにいた。

サカタも何度か、それに気づき「車が通るので気をつけなさいよ」と注意していたという。

その都度、その女の子は「ハーイ」と可愛い声で応えるので、良く分かっているものと考え、安心していたという。

ヤマジと言えば、そんな子供のことなど気にしている素振りなどまったく見せず、時折、手を休めタバコをふかしている。

サカタはコウスケと歳が近い。

サカタくらいの年代の者は、他人から自分の子供を、そういう風に注意されたら、「どうもすみません」と、一言謝るのが常識やと考えていた。

それが若い人間には少ない。ヘタに言葉を荒げて子供に注意しようものなら、逆ギレされる。

事実、現在、学校教育の場で大きな問題となっているモンスター・ペアレントと呼ばれている親たちの年代が、ちょうどそのヤマジと同じ世代の人間と重なるという。

今や学校の教師ですら、子供を叱るには細心の注意が必要やと。当然やが、悪いことをした子供には、きつく怒らんと絶対に反省することなどない。

それができにくい世の中になった。これから先の世が思いやられる。

「困ったもんや」と、サカタはヤマジという男をそう見ていた。

そこへ起きた出来事やった。

「私らも、もっと気をつけておけば良かったと思っています。どうも、すみませんでした。どうか勘弁してやってください」

そう言うと、サカタは深々とコウスケに頭を下げた。

「そんな、どうか頭を上げてください。サカタさんは何も悪くありませんので。分かりました。もう、これ以上は何も言いませんから」

コウスケは慌てて、そう言うた。

考えて見れば、言うても分からん人間にいくら怒っても仕方ないことやった。

コウスケは本当にそのまま済ませるつもりでいた。

それもあり息子には、「ええか、これは天の啓示やと思え。神様がお前に事故を起こさせんために注意をしろと教えとるんやで」と言い聞かせた。

車を運転していたら誰にでも「あわや」ということは、いくらでもある。

しかし、どんなに間一髪で危ない事やったとしても、現実に事故になっていなければ何の問題も起きてないということになる。

もっとも、それを、どう捉えるかで、その人間のその後の人生が大きく違うてくるがな。

それを教訓にできれば、それから以降のその人間の人生が救われるし、軽く考えれば同じことをまた繰り返し、終いには取り返しのつかん事態になる可能性が高い。

どちらがええかは分かり切った話や。

もっとも、その分かり切った話の分からん者がおるのが、人の世界でもあるんやがな。

次の日、団に出社すると部長が声をかけてきた。

「コウさん、昨日、何かあったんか? K販売店から苦情が来とるんやけど」

「苦情?」

部長の話によると、昨日、コウスケが怒鳴ったヤマジがK販売店に、ヤクザまがいの拡張員に脅されて怖かったと苦情を言うてきたという。

ヤマジは、コウスケらが拡張しているA新聞の購読者でもあった。

ヤマジは、「その拡張員が謝罪に来なければ、A新聞の購読を止める」と言うたとのことや。

コウスケは、昨日の経緯を部長に話した。

「何で、そのワシが謝らなあかんのです?」

「コウさん、あんたの気持ちは良う分かるが、所詮、相手は世間知らずのガキやないか。ここは大人として頭を下げとけば丸く収まるんやないかな」

「嫌です。ワシは絶対に謝りませんから」

「まあ、コウさんなら、そう言うやろうとは思うたがな」

「ワシが謝らんかったら、どうしようと言うんです? K販売店から出入り禁止にするとでも言われているんですか?」

今にも噛みつきそうな勢いで部長に、そう迫った。

「そこまでは言うとらんが、謝ってほしいとは言われとる」

「分かりました。ワシが話をつけますよってに……」

コウスケはそう言うと、そのK販売店に電話した。

「あっ、店長。コウスケでっけど、一体どういうことですねん」

「いえね、昨日、ヤマジというお客から、コウスケさんがうちに出入りしているかと聞かれましたので、出入りしていると答えたんですわ。そうすると……」

店長の話やと、ヤマジが言うには、団地前でコウスケに、いきなり怒鳴られたという。

それが、K販売店に出入りする拡張員と分かったんで抗議したのやと。

そんな人間のいる新聞を読み続けるのは気分が悪いから、その本人に頭を下げさせて謝罪させん限り、A新聞の購読を止めると言うたということやった。

「その事情について何か言うてましたか」

「いえ、そこまでは」

コウスケは、その店長に、昨日の顛末(てんまつ)のすべてを話して聞かせた。

「そうだったんですか。そんなことが……」

「店長、あんたには悪いが、ワシは謝る気は一切ない。それで、その客を失うことになって具合が悪いというのなら、ワシを出入り禁止にしてくれたらええさかい」

コウスケは、それだけを言うて電話を切った。

それにしても、そのヤマジという人間はとことん愚劣な奴やと思うた。

その事の善し悪しについて苦情を言うのなら、まだ分かる。

しかし、自分が相手より有利な立場にいると知って、それを利用してその相手を責める、貶(おとし)めようというのは人間として下の下、クズや。

人として絶対にしてはならん事をしたという気持ちがコウスケには強い。

昔の血気盛んな頃のコウスケなら間違いなく、その家に押しかけて文句を言うてたやろうと思う。

相手の出方次第では喧嘩になっていたと考えられる。もちろん、怒鳴り込んで行く限りは、そうなることも辞さずにとの思いで行くわけやがな。

しかし、今はそうすることが、ええのかどうなのかという疑問があるという。

そのコウスケから、ワシらにメールで相談があった。

「どう思われます?」と、ハカセ。

「そうやな。営業員としてなら、その部長とやらが言うてたように、形だけでも頭を下げていた方がええやろうと思う」

それで、その相手が気が済むというレベルの男なら、そうしてやれば誰も困らず、丸く収まる。

それに、確かにコウスケの方が筋が通ったような話になっとるが、やはり頭ごなしに怒鳴りつけたというのはまずかったと考えるさかいな。

コウスケ自身気がついているのか、どうかは定かやないが、その落ち度というのもある。

このケースは頭が下げにくいとは思うが、それを自身の理由にすれば謝ることも、それほど抵抗なくできるのやないやろうか。

それにしても、大人なら、もっと穏やかに諭すような説明ができんかったのかと思う。

これは、いろんな場面で言うてることやが、人と人とが揉めるケースというのは、その事の善悪よりも、単純な言葉のやり取りによる感情のもつれというのが最も大きな原因になることが多い。

俗に言う、売り言葉に買い言葉というやつや。

今回の場合も、多分にそういうことやないのかと思う。

ワシなら、間違いなくその場では「お子さんのためにも気をつけてあげてくださいよ」と穏やかに言うてる。

ワシは無類の子供好きやから、どうすれば、その子供のためになるのかということを一番に考える。

そのためには、まずその親に「子供から目を離してまずかったかな」と思わせることが肝心で、その親の気分を害する、あるいは怒らせるようなことは極力言わん方がええ。

せやないと、それは子供ための喧嘩やなく、単にお互いのプライドを賭けた争いというところに焦点が移ってしまうさかいな。

そんな争いは不毛と言うしかない。

例え、それで相手に打撃を与えることができたとしても、その相手に怨嗟の気持ちを増幅させるだけで、本当の意味での勝利にはほど遠い。

まあ、それで良しとする者にとっては、それでも意味があるのかも知れんがな。

このままやと、その販売店の店長は、その客であるヤマジを取るか、コウスケを取るかということになってしまう。

拡張員として出入りの販売店に迷惑をかけるというのは一番したらあかんことや。

それを回避できるのなら、頭の一つくらいワシなら下げられる。

もちろん、その相手が無理難題を言うたり仕掛けたりしてくるヤクザ者、無法者というのなら、また話は別やけどな。

そういう相手になら、そうしたことを後悔させるべく策を講じて闘うがな。

しかし、今回のような、ただの分からず屋という程度の相手になら、黙って頭を下げとく。

こういう場合、頭を下げさせた方と下げた方の人間性の優劣を計れば、頭をさげた人間の方が数段高みに立てると考えとるさかいな。

「ハカセなら、どうする?」

「私なら、やはりそのヤマジという男に文句を言っているでしょうね」

まあ、そう答えるのは百も承知で、そう聞いたわけやけどな。

「私は、この問題が大きくなって良かったと思っています」

ハカセが言うには、そうなることで、そのヤマジという男も次からは、その子供から目を離さんようにするのではないかと言う。

問題が大きくなれば、必ず記憶に残る。次に同じような状況になると必ずそのときのことを思い出すはずやと。

それが、うっとうしいという記憶であればあるほど、そうなるからええと。

「それはどうかな」

その考えにはワシは懐疑的や。

人は喧嘩をしたということは覚えていても何でその喧嘩になったのかということは、なかなか覚えとらんものや。

ヤマジのように自分にとって不利な出来事やということを忘れてしまいたい人間は、特にそうやと思う。

そのK販売店に苦情を言うたのも、そうすることで自分に有利になると踏んだからやないかと考える。

ヤマジの中で、そうすることで、コウスケがそのK販売店、ないしA新聞社から怒られ、立場をなくすはずやとの計算が働いたと。

すべての人がそうやとは言わんが、客という立場で物事を考える人間の多くにそういう傾向があると思う。

ほぼ、100%の確率で頭を下げにくるはずやと。

しかし、そのアテが大きく外れた。

そのK販売店の店長は、コウスケに頭を下げさせるどころか、「当店で調べさせて頂いたところ、お客様の苦情は当店出入りの営業員が休みの際に、そちらと起こしたプライベートな問題ということが分かりましたので、当店としましては、それについて謝罪する理由はないと考えています」と言って、そのヤマジの要求を突っぱねたという。

「何やて? それなら新聞は止めるで」

「それはできません。お客様とは、まだ契約が後、1年以上残っていますので、法律上、それを守って頂かなければなりません」

「何でや。そんなアホな話があるか。オレは、お前んところの営業員に難癖つけられて迷惑しているんやで」

「何度も申しますように、それは休みの上のプライベートなことでして、当店の業務とは何の関係もないことかと存知ます」

「それなら、新聞社か消費者センターに苦情を言うで」

「どうぞ、ご自由に。ただ、そうしても無駄だとだけ申し上げておきます」

その翌日、またそのヤマジから電話がK販売店にかかってきたという。

「お前のところでは新聞を止められんと言うたけど、消費者センターでは止めることができると言われたで。せやから、お前ところの新聞は止める」

「そうですか。それでしたら、こちらは法律に基づいて、解約違約金の請求および契約時にお渡ししたサービス分の返還請求をさせて頂くことになりますが、それでよろしいでしょうか。それについて消費者センターでは何と仰ってました?」

「……」

「当店と、よく話し合ってくださいと言ってたでしょう?」

実は、ヤマジが消費者センターに相談に行った直後、その担当者から販売店にその苦情の確認の電話があった。

きっちりした消費者センターの担当者なら必ずすることや。消費者だけの一方的な苦情を真に受けることはなく、その裏付けを取る。

その上で、法律に照らしたアドバイスをする。

その辺が、ワシらのQ&Aとは違うところや。

ワシらは、相談者の言い分が100%正しいという前提でアドバイスをする。

その裏付けを取ったり、その相手に確認したりするということはない。

そんなことは物理的に不可能やし、そうすると、そもそもQ&A自体が成立しない。

Q&Aというのは、あった事実に対してでなく、仮定の話についても回答するものやさかいな。

聞かれたことに答えるのがQ&Aで、トラブルの現場で対処するのとは違うわけや。

たまに、それを勘違いされる方がおられるので余談やが言うておく。

店長が確認したところによると、ペナルティ覚悟なら、その解約に向けた話し合いをするべきという意味のことを、その担当者がヤマジに言うたいうことやった。

「そういうことでしたら、こちらとしましても正当な解約違約金の要求をさせて頂きますので」

「それで、その解約違約金というのは、どれくらいなんや」

どうやら、ヤマジもそれを支払わなあかんということは聞いていたようや。

「そうですね。契約が1年以上残ってますので、解約違約金として2万円。契約時に2年契約で6ヶ月サービスをしていますので、その分の新聞代が、2万3千円ほどですから、両方で4万3千円くらいになります」

「よ、4万3千円? そんなアホな。それやったら残り全部の支払いと、ほとんど同じやないか」

「そうなりますね」

それは、あまりにもバカげているということで、結局、そのヤマジは、そのまま解約せずに購読を続けるということで話はついた。

まあ、このケースは新聞そのものが嫌で止めるということやなく、コウスケを困らせるため、打撃を与えるために考えついただけのことやから、落ち着く先としては、そんなところやろうと思う。

そのままやと、振り上げた拳が、コウスケに向かわんばかりか、我が身を襲うことになり、自分だけが損をすることにしかならんさかいな。

「店長。悪かったな」

後日、K販売店に入店したとき、コウスケは店長にそう言うて謝った。というか、それしか言うべき言葉がなかった。

「いえ、あのお客の話は、やはり冷静に考えれば、ただの言いがかりですから、それを良く考えずクレームとして、そちらの団に上げたこと自体が私の落ち度でしたので、むしろ、謝らなければいけないのは私の方でした」

K販売店の店長は、そう言うて逆に頭を下げた。

それで、すべてが終わった。

それにしても、一体何やったのかとコウスケは考えた。

今までにも、コウスケの気の短さからトラブルになったことは数知れずあったが、こんな形で反撃を受けたことはなかった。

もっとも、反撃と言うても相手が勝手に自滅した格好にはなったがな。

あのヤマジが特別やったのか、それともコウスケの考え方が古くて、今の時代には合わなくなっているのか。

いずれにしても時代の変化と共に、人の考え方も変わってきているのだけは間違いないような気がする。

しかし、それでも、今更この生き方を変えることはできん。時代の変化に合わせるのは無理や。

自分は自分らしく生きて、そして時が来れば死ぬしかない。

それだけは確かなことだとコウスケには思えた。


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