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第165回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2011.8. 5
■古き良き時代の新聞拡張員物語……その3 拡張戦争奈良編
これは今から14年ほど前の1997年頃の話や。
その頃、世の中は本格的なコンピュータ時代になりつつあった。
新聞販売業界でも顧客管理をコンピュータでするのが当たり前で、多くの拡張団でもパソコンがあり、それを扱える事務員が普通にいた。
拡張員の間でも携帯電話を持つ者が増えた。
世はまさにデジタル化の時代を迎えたと言える。
ただ、そんな時代であっても新聞の「拡張」営業は昔ながらのやり方が幅を効かせていたがな。
喝勧、ヒッカケ、泣き勧、てんぷら、爆行為と契約さえ上げれば何でもアリの時代やった。
その頃、関西では過剰な景品が飛び交っていた。
「拡材」と呼ばれる購読契約時の景品サービスの多寡で勝敗が決せられていたようなところがあったから、必然的に各新聞販売店は、その競争に血道を上げるようになっていた。
今ではとても信じられんことかも知れんが、その当時は、新聞の契約をするだけで、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機といった家電製品が景品として普通に貰えた。
驚くなかれ、そのカタログまで作っていた販売店もあったほどや。
もっとも、家電製品とは言うても性能は市販の製品と変わらんが中身は「二次製品」の傷物で安物というのが多かったがな。
家電メーカーとしては公に電気店でそんなものを卸して一般消費者に売るわけにはいかず、さりとてそれを処分するにも処分費がかかり勿体ないという気になる。
現在なら、家電の激安店というのが多いさかい、そこに卸すということもできるが、その頃には、まだそういった専門店は少なかった。
関西は周知のとおり、日本でもトップクラスの家電業界が集中している地域でもある。当然、そういった悩みを抱えている企業も多い。
そこに新聞社が目をつけた。
それを業界で処分するから安く納入してくれと。
新聞購読契約時のサービス品としてなら、そんな商品でもタダやから文句が出ることもないやろうと。
余談やが、当メルマガの『第47回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■映画『社葬』による新聞への負のイメージについて 前編』(注1.巻末参考ページ参照)に、それについて語った映画の一場面がある。
この話は新聞業界の裏側にスポットを当てた映画として紹介したものや。
この映画の主人公、販売局長の鷲尾平吉(緒方拳)が地方の販売担当員に向かって言う場面がある。
「警察が怖くて新聞屋が勤まるか。他社が3年縛りで掃除機配っとるのなら、こっちは洗濯機や。5年縛りで対抗せい!! 負けたら、承知せんぞ!!」と、販売部の担当員らしき相手に、そう怒鳴りながら指示して電話を切る。
それが終わると、一転して猫なで声で秘書に「電気洗濯機500台、至急、送ったって」と、いとも簡単に言う。
「一応、経理局長の了解を取ってからの方がよろしいのでは」
「あかん、あかん、あんな奴に言うたら、予算がどうのこうのと、ぐだぐた言うて反対するだけで打つ手が遅れる」と、無視しろという仕草をする。
その指示書を持って走る秘書の背中越しに、「どうせタダで配るんや。二次製品の安物でええぞ!!」と、鷲尾。
この二次製品というのは、あらゆる製造工場に存在する。
製造段階で表面にキズやらカケなどがある製品のことで、品質的にはどうもないのやが、見てくれで売れんというだけの理由でB級扱いされる製品のことをそう呼ぶ。
当然、そういう商品は極端に安い。
余談やが、新聞販売店に洗剤が多いのも、そういうルートで安く仕入れられるからということや。
新聞の勧誘に使う拡材にはその手のモノが多い。
性能や品質は市販の商品と同じやさかい、ワシは別段悪いという風には捉えてないが、日本人の多くは、そういうことを気にするということもあり、一般にはその事実は隠されとるがな。
と。
この映画のスタッフの誰かが、その情報を仕入れていたわけや。
こういうのは、あくまでも業界内での秘密事項やさかい、一般にそれと知られることはまずない。
もっとも、映画でそれをバラされてしまえば、それが周知の事実ということになってしまうがな。
まあ、その舞台裏はともかく、そういう事が平然と行われていたやろうなというのは、ワシにはよく分かる。
そんなことをしたら法律違反やないかという声が聞こえてきそうやが、当時そういうのは、どこの新聞販売店でも無視していた。
その頃にも「景品表示法」というものがあるにはあったが、新聞業界の「3・8ルール」とか「6・8ルール」といったものは、まだ存在してへんかった時代やった。
それなら法律で購読契約時の景品付与に対する規制がなかったのかというと、そうでもない。
その頃は、原則として「拡材」はすべて禁止されていた。
正確には、100円程度の粗品は認められとったがな。業界で、俗に「捨て材」と呼ばれているゴミ袋程度の物や。
ただ、そんな「景品表示法」での「拡材」規制など業界では誰も眼中になく、気にする者もおらんかった。
実際、新聞の購読契約時にサービス品を渡し過ぎたからと言うて処罰されたことがなかったというのもあるが、世間一般でも高額商品にサービス品がつくのは当たり前という風潮があったから、罪悪感というのも皆無やった。
客はそれで喜ぶし、誰も困るわけでも被害を被るわけでもないと。
それをする方も、そうすると損になるのを承知なわけやから、ええやないかと。
景品表示法は「1匹の蝿がつくった法律」と言われている。
1960年に「ニセ牛缶事件」というのがあった。
牛の絵の貼った缶詰に蝿が入っていたとの通報が保健所に寄せられた。
保健所が調査を進めるうちに、当時、「牛肉大和煮」と表示していた20数社の商品のうち、牛肉100%のものは2社しかなく、大部分は馬肉や鯨肉やったことが判明した。
当時は馬肉や鯨肉は牛肉よりもかなり安かった。
業者はこれを大幅に安い価格で販売していたため、刑法の詐欺罪は適用できんかった。
また消費者に健康被害をもたらすものでもなかったため、食品衛生法も適用外やった。
しかし、この不当表示に対して、消費者の批判が高まり、すでに消費者問題となっていた過大な景品類とあわせて、これらを規制する景品表示法が1962年に制定されたということや。
せやから、景品表示法自体の歴史は古い。
ただ、警察や裁判所が扱う一般の法律と違って、この法律を運用する機関は公正取引委員会のみということになっていた。
現在は、2009年9月1日に消費者庁に全面移管されとるが、中身はその当時と何ら変わるところはない。
公正取引委員会の組織は小さく、全国に300名程度しかいないと言われていた。
それにもかかわらず公正取引委員会の仕事は多い。
日本のすべての企業がその対象で、店頭商品の表示、テレビ、新聞、雑誌のCM、ネットでの表示などの違反すべてに目を配る必要がある。
一説にはその数、数億種類にも上ると言われている。
つまり、そのすべての違法行為を取り締まるのは事実上、困難なわけや。
そのうち摘発されて、「措置命令(旧排除命令)」が下されるのは年2、30件程度しかなかった。
それで摘発されるのは、よほど悪質か運のない業者ということになる。
中には、その「景品表示法」があることすら知らん業者もいたという。
せやから、当時の新聞販売店が、その法律の存在を知らずにそうしていたとしても、それほど不思議でも何でもなかったわけや。
当然やが、それが違反やと知らんかったら、いくらでもエスカレートするわな。
中でも、奈良県のK市でのそれは、俗に「拡張戦争」と呼ばれるくらい凄まじいものがあった。
ワシの過去の拡張人生において、その頃が一番過激な時やったと記憶しとる。
また、これほど稼げた地域、時代も珍しいやろうと思う。
まさに、拡張員にとって古き良き時代やったということになる。
奈良県は昔からA新聞の強い所として知られとるが、この地域だけは、Y新聞、M新聞、S新聞と全国紙各社とも、かなり力を入れていて勢力的には、ほぼ拮抗していた。
シェアもA新聞だけが30%台で、後はいずれも20%台を維持していたさかいな。
ワシはこの頃、S新聞の販売店に「専拡」として大阪の拡張団から派遣されていた。
K市にN台という住宅街がある。
その中央辺りの広い道を一本挟んだ両サイドにA新聞、Y新聞、M新聞、S新聞といった全国紙の各新聞販売店が軒を連ねていた。
表向きは、それぞれの新聞を購読し合うという、どこにでもありがちな友好関係を保っているように装われていたが、その内面では敵対意識が相当に強かったと記憶しとる。
その当時は、新聞各社の仲もあまり良くはなかった。
どの新聞社も、我こそは関西の盟主を自負しとるようなところがあったさかいな。
特に、そこに出入りの拡張員たちの競争意識は、縄張り争いのために命がけの抗争を繰り返しているヤクザのそれに酷似していた。
新聞ダネこそなってないが、一触即発寸前の揉め事はナンボでも起きていたさかいな。
ワシがいたS新聞の販売店の店主にナガオカという男がいた。
S新聞は全国的には全国紙としては弱小新聞というイメージがあるが、関西では地域によればシェアNO.1という販売店がいくつもあるほど、関西での人気は高い。
ただ、ナガオカが店主になったとき、この地域のS新聞のシェアは10%もないという、ひどい状態やった。
それをナガオカは短期間のうちに他の全国紙と肩を並べるまでに部数を伸ばした。
それもある画期的な方法を考え出してから。
その当時の拡材には、先に挙げた家電製品の他に、定番の洗剤、ビールなどがあった。また、「無代紙」といって無料サービスもあった。
関西では1年契約が主体で、それらのサービスは金額に換算して、1万円から1万2千円ほどもあった。
その額は最初からそうやったわけやなく、競争がエスカレートした果てにたどり着いた究極のサービスやった。
ナガオカは、部数を伸ばすには、インパクトの強い起死回生の手を打つしかないと考えていた。
このままシェア10%もない状態やとジリ貧になって、いずれは廃業せなあんようになる。
座して死を待つ、つもりはない。
4年契約にして5万円の商品券で攻める。それが、ナガオカの発案であり結論やった。
1年で1万2千円のサービスをするのなら4年で4万8千円になる。それを2千円だけ色をつけて5万円というキリのええ数字にすれば、いけるのやないかと考えたわけや。
それが図に当たった。
その頃の新聞勧誘は、今とは比べものにならんくらい過激やった。それに伴ってトラブルも多かった。
余談やが、ワシがハカセにホームページの開設当初に「Q&Aをやらんか」と提案したのは、その頃、その処理を数多くした経験があったからや。
たいていのトラブルの対処法を熟知していたという自負があったさかいな。
そんな状態やった。
当然、多くの客はそれに閉口していた。
新聞の勧誘と知れただけで、「新聞の勧誘でしたら結構です」というインターフォン・キック、つまり門前払いが多かった。
もっとも、中には、その景品目当ての人間も結構おったから、すべてというわけでもなかったがな。
ただ、勧誘がやりにくくなりつつあったのは事実や。
ナガオカは、もともと大阪で名の通った拡張団で拡張員をしていたということもあり、拡張には自信があった。
そのとき得た信念は、「客は拡材次第で転ぶ」ということやった。
ワシは、どちらかというと、その考えにはあまり同調できんかったが、このケースは別やった。
拡材もここまで徹底すれば強力なアピールになり、効果も高い。
何しろ、「今、新聞を購読して頂けたら5万円分の商品券をお渡しします」と言えば、勧誘を断るつもりやった客も「何、それ?」と必ず聞き返してきたさかいな。
聞き返して来た客はその場で、5万円分の商品券を握らせたら、ほぼ確実に成約できた。
その商品券も、近くのスーパーで使えるものから有名百貨店のものまで揃えるという徹底ぶりやった。
ナガオカは、それを試して「これはいける」と、確信すると、昔所属していた、その大手の拡張団に、「誰か腕のええ拡張員を専拡として回してほしい」と依頼した。
その拡張団にワシがおった。
ちょうど、その頃、ワシはその拡張団で班長をしとったのやが、あることが原因で、同じその団の班長、オキモトという男と揉めて大喧嘩になっていた。
そのときの事情は旧メルマガの『第153回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんの決断 前編』、『第154回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんの決断 後編』(注2.巻末参考ページ参照)にある。
ワシの処遇に困っていた団長は、そのナガオカの話に飛びついた。
ワシをその専拡として派遣することで、その揉め事の幕引きができると考えたわけや。
ワシは当初、体のええ「島流し」やと考えていたが、何が幸いするか分からんものやとつくづく思う。
その団で、そのオキモトに嵌められて作ってしもうた200万円ほどの借金を、その専拡をしたことで、すぐに返済できたさかいな。
それくらい、そのやり方には効果があった。
何しろ、入れ食い状態やった。極端な話、道一本勧誘するだけで10本程度の契約はすぐに上がったからな。
今では誰も信じへんかも知れんが、月にして200本から250本は楽に上がげることができた。
その当時から関西での拡張料は、3ヶ月4000円、6ヶ月6000円、1年8000円で、俗に「ヨーロッパ」と呼ばれていた。
ちなみに、それまでは拡張員に1年契約以上の契約を要求する関西の販売店は少なかった。
1年以上の契約は一戸建ての住人に限られていたというのがあるからや。
持ち家の住人なら引っ越しの心配も少なく、比較的長期間の購読になるということでな。
しかし、多くの拡張員は、アパート、マンションといった集合住宅ばかり狙うケースが多く、そういう所の契約は、引っ越しされるとそれまでというケースがある。
そのリスクを抑えるために、「ヨーロッパ」と呼ばれている比較的短期間の契約しか拡張員には任せられんとなったわけや。
そのため、1年以上の拡張料の取り決めというのは特になかったが、ナガオカは、その契約1本につき1万2千円の拡張料を支払ってくれた。
そのナガオカの好意は嬉しく、よけいに頑張ることができた。
ワシは昔から、どちらかと言うと、アパート、マンションより一般住宅地の方が好きで得意やったから、その地域を拡張するのは却って楽やった。
一般的に、拡張員にはアパート、マンションを拡張するという風潮が強かったから、普通の住宅地は手つかずの状態が多かった。
それで暗黙のうちに各新聞のテリトリーが形成されとったわけや。
その分、勧誘ズレした客も少ない。
そこに踏み込んだ。
トークは「今、新聞を購読して頂けたら5万円分の商品券をお渡しします」と言うて興味を示す客だけを拾えば良かった。
それが予想外に多かった。
まあ、それも無理もない話やと思う。
新聞の購読契約をするだけで5万円分の商品券が貰え、好きなことに使えると言うんやからな。
今と違い、当時は「無読」という人間は少なく、ほとんどの人が新聞を購読するのは当たり前という風潮にあったから、どうせ購読するのならサービスのええ方になびくのが人情やと思う。
どこの家庭にしても5万円分の商品券というのは魅力的やさかいな。
当然のように見る間に、その販売店の契約部数が増えていった。
ただ、そういう噂は、あっと言う間に拡がるのが、この業界でもある。
他紙でも真似する販売店が現れ出した。
ただ、何でもそうやが、先に手がけた所は強い。一日の長がある。
ましてや、住宅街の拡張を得意とした「腕利き」の拡張員がおるからよけいや。
自分でそう言うのも何か気恥ずかしい気もするが。
それに、他紙はそこそこシェアがあり、顧客もナガオカの店よりはるかに多い。
いきなり、そのサービスを始めて、それまでの客にその事がバレたらまずいという気持ちが働く。必然的に慎重になる。
その様子見的な姿勢が、さらに後手を踏む要因となった。
もっとも、そのおかげでナガオカの販売店は順調に伸びて、ついにはあれだけ差のあったシェアも気がつけば他紙と肩を並べるまでになっていたさかいな。
そうなると、他紙もうかうかしてられんとなる。
地域の購読者は限られている。ナガオカの販売店が部数を伸ばせば、他は必然的に減る。
新聞の購読者獲得競争というのは、限られた「パイ」の取り合いやさかいな。
この業界は部数減、俗に「減紙」は許されんという雰囲気がある。極端な減紙は経営能力がないという烙印を新聞社から押される。
そうなると「改廃」と言うて、新聞社との業務委託契約を解除され、強制廃業に追い込まれることになる。
もっとも、新聞販売店の廃業というのは店主が交代するだけで店舗はそのまま残るのが普通やから、見た目には変化はないがな。
しかし、その店主にとっては死活問題や。そんなことにはなりたくない。
そのためには、なりふり構わず必死で反撃に出るしかなかった。
そんな中、Y新聞の「契約すると新車を一台提供する」という話が流れてきた。
話を聞くと、生涯契約やと言う。「死ぬまで新聞を読みます」ということらしい。それを条件に軽自動車やったが、新車を一台プレゼントすると。
普通、そんな話を聞けば「ウソや」と言う人の方が多いやろうが、ワシらは妙に納得したもんや。
「あの店主なら、やりそうなことや」と。
ただ、当然やが、そういうのを続けるわけにはいかんから、やはりアドバルーンを上げた程度で終わり、それ以降、そういう話は伝わって来んかったがな。
しかし、それを皮切りにY新聞得意の「特拡攻勢」で1日に20人前後の拡張員を集中して巻き返しを図ってきた。
ナガオカの店と同じように、「4年契約で5万円分の商品券」と謳って。
もちろん、それ以外の他紙販売店も、それを指を加えて見ているわけにはいかず、その争いに参加せざるを得なくなった。
せやから、その界隈は一時、拡張員だらけやった。拡張銀座と呼ばれとった。
道一本違えば必ずどこかの拡張員がおったさかいな。
そんなやから、一足遅れの客に出会すことも多い。
「つい、今しがた他の新聞と契約しました」と。
しかし、このときはこんな客でも仕事になった。
ほとんどの客が4年契約やが、その後の4年先、8年先の契約でもOKという状態やった。
場合によれば、12年先の契約まで認めとった。
しかも、拡材は契約したその時に渡すことまでしとった。
1、2日で4社ほどの拡張員から契約した客で、20万円分もの商品券を手にしていたという話まである。
これに、乗じて悪さする拡張員も現れるようになった。
根っから腐った奴らは、ただ契約が上がるだけでは満足せえへんかった。
何をしたかというと、てんぷらカード(架空契約)を上げた契約に混ぜとったわけや。
この時、ちょっと慣れた拡張員なら平均して1日、10本ほどの契約を上げとった。
その中に何本かのてんぷらカードを混ぜていた。
狙いは、カード料よりも1本、5万円分の商品券や。てんぷらカードやから、この商品券の行き先は拡張員の懐の中ということになる。
その当時の拡張員には、てんぷらカード自体は悪いことやとは思うてても、それほどの罪悪感はなかった時代でもあった。
生きるためには、ある意味仕方のない行為やという風潮が強かったさかいな。
その当時、拡張員を続けとった者なら、誰でも一度や二度はやったことがあるはずやと思う。もちろん、ワシもしたことがある。
拡張の仕事には波がある。そこそこ成績を上げとる者でも、坊主(契約ゼロ)のときが必ずある。調子が悪いとそれが続く。
拡張員はほとんどが日銭で暮らしとるから、坊主が続くとメシが食えんようになる。
てんぷらカードはその時のためのワシら拡張員にとっての危険回避手段やったわけや。
せやから、普通に契約が上がった時は、てんぷらカードは作らんのが仁義やった。
それを商品券目当てに、てんぷらカードを上げる奴は外道やと言うしかない。
しかし、この時はそういう外道が多かったな。
それと平行して客の中にも、えぐいのが出て来とった。
他府県へ引っ越しするのが分かっとって数社と契約する奴。急に親戚を増やして同じ家で名前を変えて契約する奴。空き家をさも自分の家のように装って偽名で契約する奴。
皆、目当ては5万円の商品券やった。
まさに魑魅魍魎が跋扈する百鬼夜行の世界そのものやった。
こんな異常な状況が長続きするはずがない。
案の定、改廃に追い込まれる販売所が出た。M新聞の販売所やった。
やはり、というかここが一番経済力がなかった。バックのM新聞社にも冷たく切られたということや。
表向きは、販売所同士の販売拡張合戦やったけど、それぞれの新聞社が尻を叩いていたのは明白や。
少なくとも、この状況を新聞社が知らんというのは考え辛い。せやけど、新聞社は知らん顔をする。
このことがあって、このままではあかんということで、この地域の販売店の間で協定のようなものが結ばれた。
これ以上、過剰な拡材競争は止めようと。こんなことを続けると共倒れになるだけやと。
それには、ほとんどの新聞販売店のシェアが拮抗していたということも、その大きな要因になった。
ただ、その争いの傷跡は、その後も当然のように後を引いた。
サイトのQ&Aの『NO.35 契約内容が新聞販売店から変更されたので解約したい』(注3.巻末参考ページ参照)というのが、そのええ例や。
ほどなくして、1998年5月に、「3・8ルール」というのができ、すぐに現在の「6・8ルール」というのが新聞業界の自主規制として景品表示法に組み込まれ、各新聞販売店に周知徹底されるようになった。
今では、この法律を知らん販売店はないと言えるほどになっとる。
その動きに拍車をかけたのは、この奈良での拡張戦争やったとワシは確信しとるがな。
何でもそうやが、行き過ぎたことをすると法律で規制されるという、ええ見本のような出来事やったと思う。
ただ、現在は反対に「正常化の流れ」とやらで、その景品表示法の「6・8ルール」を死守するという名目で、徹底して拡材が抑えられている。
そのために多くの購読客から、そっぽを向かれとるのが現状や。
そして、それに伴って部数の伸びも極端に下降線をたどるようになった。
何の営業にも金はかかる。そして、それをケチっていては望むようにな成果は期待できんと思う。
もちろん、拡材だけがすべやないが、今までしていたサービスが、ある日、突然「できません」では客が逃げても仕方ないわな。
何でもそうやが、極端は変化はあかん。そのあたりの機微をよく考える必要がある。
そして、どうなることが自身にとって、販売店にとって、業界にとって最良かということを熟考して営業すべきやと思う。
そうすれば、自ずと、どうすればええかが見えてくるはずや。
参考ページ
注1.第47回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■映画『社葬』による新聞への負のイメージについて 前編
注2.第153回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんの決断 前編
第154回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんの決断 後編
注3.NO.35 契約内容が新聞販売店から変更されたので解約したい
ゲンさんの新聞勧誘問題なんでもQ&A選集 電子書籍版パート1
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