メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第167回 ゲンさんの新聞業界裏話

発行日 2011.8.19


■拡張の群像 その7 競馬で身を持ち崩した拡張員の話


「ゲンさん、オノデラという男を覚えてるか?」

そう、オキモトが言うてきた。

オキモトというのは、ワシとは昔から因縁の深い男や。

過去のメルマガ(注1.巻末参考ページ参照)にも登場したことがあるので、ご存知の方もおられると思う。

ワシが大阪で拡張しとった時分の拡張団の同僚で、良う揉めていた。

馬が合わんというレベルを超えた、生き方そのものが根本的に違う男や。

その大阪の団では、ワシもオキモトも班長をしてた。

オキモトは仕事に関しては非凡なものを持っていた。成績もええ。団内では、ワシとライバル関係にあると誰もが見ていた。

もっとも、ワシ自身は、周りが思うほど意識はしてなかったがな。

それは、仕事の質が根本的に違うと思うてたからや。

オキモトは、典型的な昔気質の拡張員やった。カードさえ上げられるのなら、何でもするというタイプの男や。

喝勧、てんぷら、置き勧、ヒッカケ、とおよそ拡張の手口と名の付くやり方は何でも一流やと豪語しとったさかいな。

ただ、その頃は、それが拡張の主流で、それらを否定するようなワシのやり方の方がむしろ異端やったんやがな。

そのオキモトに嵌められて借金を背負わされたという苦い経験がある。

それが原因で大喧嘩になった。

困った団長がワシをオキモトから遠ざけるために奈良の販売店へ専拡として送り込んだ。

体のええ「島流し」や。そう考えていた。

しかし、世の中は何が幸いするか分からんもので、その「島流し」された先で大きく稼げ、結局、借金を返済することができた。

おかげで、この業界に多いとされとる「借金地獄」とやらを経験せずに済んだ。

まさに『人間、塞翁が馬』(注2.巻末参考ページ参照)の体現者ということになる。

世の中、悪い出来事が必ずしも悪い方向に行くとは限らんという、ええ見本や。

そのときの話は、『第165回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■古き良き時代の新聞拡張員物語……その3 拡張戦争奈良編』(注3.巻末参考ページ参照)の中にある。

さらに、2007年のある夏の日、これもワシとは昔から縁の深いイケダというある新聞販売店の経営者(注4.巻末参考ページ参照)から、「助けてほしい」という電話が、かかってきた。

ワシは、この「助けてくれ」という言葉に弱い。

たいてい何かの事件や揉め事に巻き込まれるのは、この一言でそうなる場合が多い。

このときオキモトは独立して拡張団の団長になっていた。そのオキモトの団がイケダの店に出入りするようになった。

そのオキモトは相変わらず、あこぎなことをしているという。

そのオキモトに店が狙われとるから、助けてくれとイケダが言うてきた。

具体的には、ワシにその販売店の専拡(専属拡張員)になってくれということやった。

ワシ自身、それまでいた拡張団にそれほど未練があるわけやない。さして義理も恩義もあるわけやなかった。

何となく惰性でいとるようなものやったから、辞めるというのも特に問題はなかった。

人間、請われて仕事をする方がええに決まっとる。

それと、今一度、オキモトと渡り合いたいという思いもあった。負けっぱなしのままというのも癪(しゃく)に障(さわ)るさかいな。

また、その当時、ワシ自身の周りは穏やかで平和すぎたというのもある。

普通、それは喜ばしいことやろうけど、ワシの人生にそういう時期は少なかったから、正直、物足りなさを感じて退屈していた。

もっとも、ハカセがサイトやメルマガを始めてくれたことで、いくらかそれは解消されてはいたがな。

ただ、ワシには、本当の意味での平和は似合わんと思う。

考え抜いた挙げ句、ワシはイケダの要請を受けることにした。

そういうわけで現在は、イケダ販売店グループの専拡(専属拡張員)をしとるというわけや。

表向きの肩書きは営業部長となっとるがな。これはイケダの要請でそうなった。

まあ、平たく言えば、出入りの拡張員、特にオキモト団の連中に対するお目付的役職やな。

イケダの考えは他にもあったのやろうが、ワシはそう受け取って、その任を引き受けることにした。

オキモトにしても、ワシがそういう立場でイケダ販売店に入ってくるとは考えもしてへんかったと思う。

ただ、オキモトは一筋縄ではいかん男や。

ワシのことを煙たがっとるやろうが、それで尻尾を巻くほど柔な奴やない。

表面的には「昔馴染みのゲンさんが、部長になってくれてオレも助かる。これからもよろしく」と好意的に接してくるが、その腹の中では何を考え企んどるか知れたものやない。

もっとも、ワシがその仕事を始めて、もうかれこれ4年になるが、表立った事件、揉め事は今のところ起きとらんがな。

もっとも、せやからと言うて安心してたらえらい目に遭う。

毒蛇もそれと知って正面から見据えて用心していたら、噛まれる危険は少なくて済むが、油断してよそ見をすると危ない。

それと同じや。

「オノデラ……か、ああ覚えとる」

オノデラというのは、オキモトと同じ団におった頃に、ワシの班に少しの間だけいた奴や。

確か競馬好きが嵩じて団に借金をして逃げた男やったと記憶しとる。

その逃げる少し前に、そのオノデラに諭して言い聞かせたことがある。

もっとも、そのときは競馬を辞めろということやなく、オノデラのやった「てんぷら(架空契約)」行為を叱るつもりやった。

競馬に興じるようになった拡張員というのは、オノデラに限らずそれほど珍しいことやない。

競馬をすること自体は国が推奨しとる博打やさかい、やっていても誰からも責められることやない。

ただ、オノデラはそれを「ノミ屋」で買うてた。これはれっきとした犯罪行為になる。

もっとも、ワシは、そのことを暴き立てるつもりも、それについて説教するつもりもなかったがな。

犯罪とは言うても悪質なものとまでは考えてなかったしな。

それには多くの外国ではブックメーカーと言うて、この私設公営ギャンブル投票券売所というのは合法的とされとるケースが大半やというのもある。

違法行為になっとるのは日本くらいなものやが、その日本は私設公営ギャンブル組織であるノミ屋から儲けた分の税金をしっかり取っとる。

競艇と競輪を主体にしていたあるノミ屋が、3年間で1億円あまりの所得を隠したとして、約3000万円の脱税容疑で国税局に告発されたことがあった。

ノミ行為は5年以下の懲役又は500万円以下の罰金という刑罰がある。

犯罪で稼いだからと言うて税金を取るというのはどう考えても解せん。没収すると言うのなら分かるがな。

その税金を払えば罪はなくなるのか、あるいは、税金を取った上で、刑罰を科すのか。

聞く所によると、どうも後者らしい。

ワシは別にノミ屋に肩入れするわけやないけど、それはやりすぎやないかという気がする。

少なくとも、税金を払うということは国に対して某かの貢献をしとるということになる。

また、税金を取るというのは、その商売、仕事を国が認めたことになるのと違うのかとも思う。

まあ、それも取り締まる側の警察庁と国税局での考え方、法律の捉え方、適用の仕方が違うということで済まされるのやろうがな。

それぞれが正しいという見解のもとに。

ノミ屋というのは主にヤクザが経営しとる場合が多い。奴さんらの昔からの資金源や。

競馬、競輪、競艇、オートレースなどの公営ギャンブルがその主な対象になる。

また、ボクシングや野球、サッカーなんかもその対象にしとる所もある。

競馬のノミ行為の場合、基本的に配当は競馬場発表の配当に準じるが、中には、配当金が1万円までという所もある。

もっとも、これは、単勝、複勝、連勝複式しかなかった頃の話で、今のように三連勝単式などで高額の配当金が出るようになってからは、基本的には配当どおりらしいがな。

但し、客により払戻金の上限を50万円とか100万円に設定しとるノミ屋もあるとのことや。

これも、ワシら拡張員の世界と同じで、やってるノミ屋の規模や考え方次第でそれぞれ違うということのようや。

普通、競馬場や場外馬券売り場で買うと1口100円の馬券が、ノミ屋では90円で買える。1割安い。

ヤクザのノミ屋というと胡散臭い印象が強いと思うが、意外に金銭面に関しては綺麗やし、客に対しては総じて紳士的や。

ヘタな営業員より腰の低い人間が多い。

奇異に感じられるかも知れんが、信用第一ということに、これほど神経を遣う仕事も珍しいのやないかと思う。

バレたら警察に捕まるというリスクもあるから、客を集めるにもそれなりに慎重にしとると聞く。

それが、信用につながると信じてな。

システム的には、客に利益が出た場合は、開催終了日の翌日に勝ち金を届ける。

負けた場合は、一週間遅れの集金となる。

客の中には、金もないのに熱くなって買う奴がおる。そんな人間の支払いのための猶予期間というわけや。

買うのはすべて電話1本で済む。しかも、ゲートが開く直前まで受け付ける。

仕事で競馬場や場外売り場まで行けんようなサラリーマンとか商店主などは便利がええし、安く買えるから喜ぶ。

つまり、ノミ屋は、公営でせんようなサービスを徹底してやっとるわけや。

そのため人気も高い。

市場はまさに闇の中やが、一説には公営競馬場の数倍にも及ぶ売り上げがあると言われている。

現金を持って競馬場に行くのなら、それがなくなっただけで済むが、ノミ屋は後払いやから、その場に金がなくても買える。

そのためにナンボでもつぎ込む者がおる。アホとしか言いようがないが、止まらんのやろうな。

オノデラもそうやったという。

ワシは、それで身を持ち崩した拡張員を数多く知っていたから、例を挙げてオノデラに忠告した。

その話や。


その男の名前を仮に、アキラとする。

アキラは普通の会社のサラリーマンやったが、いつの頃からか競馬にのめり込むようになった。

そして、お決まりのコースというか、ノミ屋でやるようになった。

ギャンブルは負けが込むと誰でも熱くなって自分を見失うことが多い。

最初のうちは、1レース1000円、2000円という程度の掛け金で遊んでいても、負け続けると、すぐ1万円ほどになる。

すると、その頃から、その1万円を払うのが惜しくなり、それを取り戻そうとする意識が働き始める。

しかし、1万円を取り戻すには、それなりに賭けなあかん。

例えば、配当が300円で比較的堅いと思われる本命馬券を買う場合、チャラにするためには5000円が必要になる。

それが外れるとさらに賭け金が増えていくという寸法や。

気がつくと予定していた小遣い程度では払えんようになってしまう。

持ち金以上の払いになったら、借金するしかない。

いくら良心的やというても相手はヤクザや。支払いができんとなって堪忍してくれるとは誰も考えんからな。

結局、アキラはあちこちに借金を作ってしまい、どうにもならんようになったという。

普通の人間は、そこで止める。あるいは、しばらくその借金の返済が終わるまで大人しくする。

しかし、アキラは、行き着くところまで行くまで止めることはなかった。

そこでの最後の負けは数万円ほどやった。

給料日まで半月以上もある。

消費者金融、親兄弟、親戚、知人と借金できるところからはすべて借りていた。

総額で100万円程度になる。それ以上、借りられるアテがなくなっていた。

一週間の期限以内にその数万円を都合できんかったら、相手がヤクザだけにどんなめに遭うか分からん。

そのヤクザが、包丁とまな板をアキラの前に置いて「金が払えんのやったら、指を詰めて貰おうか」と不気味に迫る夢を見て跳ね起きたという。

「逃げよう」

アキラは恐怖にかられ、それしか考えられんかった。

しかし、逃げると決めたら、不思議と気が楽になった。

借金の返済に追われることもなくなる。誰も知らん土地に行って一からやり直したらええ。

それだけのことやと。

人間は一度、そうやって逃げることを覚えると、次からは何の抵抗もなくそうするようになる。

その後、ちょっとした事、嫌な事があっただけで簡単に逃避する道を選ぶ。

ただ、住民票を動かせば居所がすぐ知れて、ヤクザに追い込みをかけられる危惧が高いと考え、それはせずにいた。

住民票の移動ができんとなれば、必然的に職種も限定されてくる。

それもあり最終的に、この業界へ流れてきた。

拡張団に提出する履歴書には、偽名や嘘の経歴を書いても、昔はそれほどバレる心配はなかった。

身元調査をするような拡張団は皆無やったからな。

もっとも、今は住民票の提出や保証人まで求める所があるから、昔ほど簡単にはいかんようになっとるがな。

しかし、初めて拡張団に入団したときは、それとは違うことに直面して参ったという。

拡張員の中には、確かに儲けとる者もおったが、その日、メシ代も稼げんような稼げん人間の方が圧倒的に多かった。

アキラもそうやった。

当然の流れとして、アキラは逃げることを考えたが、いかんせん逃げるにしてもまとまった金どころか、電車賃もままならんような状態やったから、どうにもならんかった。

いつものように、仲間に金を借りてトンズラしようにも、その仲間も大半がピーピー言うとるからどうしようもない。

普通では信じられんことかも知れんが、大の男が、たった100円の貸し借りで揉めて殴り合いをするような世界やったさかいな。

たいていの拡張団では、拡張員を使い捨ての兵隊やと考えとる。

並の兵隊は生かさず殺さずの飼い殺しが基本やとまで言う団長すらおる。

しかし、仕事のできる人間やと団の上層部に認められると、比較的、借金が自由にできるということをアキラは知った。

どんな団も戦力になる人間は貴重やから大事に扱う。

その人間を引き止めとくためにも借金を積極的にさせるように持って行く団も多い。

この世界で人を縛る一番有効的な方法が、それやと考えとるわけや。

アキラはそれに狙いを絞った。

そのためには、成績を上げるしかない。

そして、それには、まともなやり方だけではあかんということも学んだ。

喝勧、てんぷら(架空契約)、ヒッカケ、置き勧、泣き勧、騙しとおよそこの世界で考えられることにはすべて手を染めた。

オノデラは、今まで逃げた先で心機一転、一生懸命頑張って仕事しようと考えてもなぜかそれが長続きせんかった。

しかし、不思議なことに一旦逃げると決めたら、それを目標に頑張ることができた。

この仕事はまじめに廻るだけで誰でも、契約をいくらか上げることができる。

ただ、上層部にすぐ認められて借金できるようになるには、それだけではあかん。

短期間で目立つほどの成績を上げるには、プラスアルファが必要になる。

そのために必要なアイデアを、いとも簡単に思いつくことができた。

例えば、てんぷら(架空契約)を上げてバレんようにするというのが、それや。

そのためには、実在の人間で連絡の取れそうもない者を選び、数ヶ月後の契約にしとけば、すぐにはバレにくいやろうと考えた。

連絡が取りにくい人間というのは、若い人間で電話もなく、仕事で夜遅く休みが一定しとらん者か、あまり部屋にいとらん者や。そういうのを探せばええ。

一般的に、そういうのはワンルーム・マンションの独身者に多い。

そういう連中を捜すには、まず暗くなる午後7時頃に、狙いのつけたワンルーム・マンションの部屋を外から見て明かりが点いとるかどうかを確かめる。

部屋に明かりが点いとれば、住人がいとるわけやからそれは除外する。

今度はそれを、引き継ぎというて販売店とのその日のカード(契約)監査が終わる夜9時過ぎ頃に再度確かめる。

単独行動をしとる場合は、それは比較的簡単やが、団体で同じ車に乗っとるときは、「カードにするあてがあるんやけど、帰りにちょっと寄ってくれんか」とその車の運転手に頼む。

それで、その目星をつけているワンルーム・マンションに行く。

そのときに明かりの点いとる部屋、消えとる部屋を素早く確かめる。

「まだ、帰っとらんな」と明かりの消えとる適当な部屋を指さしてその場はごまかしとく。

それにそうしておけば、後日、そのワンルーム・マンションで、てんぶら(架空契約)を上げたとしても、仲間には「見込み」が上手くいったと思われる。

てんぶら(架空契約)をバレんようにする、もう一つの秘訣は販売店だけやなく、団や仲間にもそれと知られんようにすることや。

特に拡張員仲間にそれと知られたら、まずバラされると考えといた方がええ。

昔は、独り者の場合、電話番号がなくても住所さえ確かなら、それでカード(契約)として認められていた。

但し、その場合は従業員が確かめに行くこともあるから、実在の人間で尚かつ留守でなかったらあかんわけや。

たいていの販売店の従業員は、一、二度行って留守やったらそれ以上調べるような者は少ないから、不良カードとして、その場で発覚するケースは少ない。

不良カードになるのは、そこに新聞を配り始めた頃やけど、その頃にはオノデラは消えとるという寸法や。

それに類似したことはいくつも考えることができた。

急激にカードを上げ始めると、アキラの思惑どおり団の態度も変わってきた。

借金も容易にできた。

当初の計画どおり、それを持って逃げた。

その後、幾つかの拡張団を渡り歩いて、同じ事を繰り返した。

ポイントは、なるべく早いうちに団にその実力を認めさせることやった。

人間は、最初に「できる」と思われるとそのイメージが固定されやすい。

実際、その頃には、変なてんぷらを上げんでも、普通に拡張していても最初からそこそこカードを上げられるようになっていた。

今、考えれば、どこか居心地のええ拡張団を見つけて長居するべきやったと後悔せんでもないが、そうなると、やはり成績も平凡になり元の木阿弥になるのやないかとも思う。

実際、そうなる確率が高いはずや。アキラの力の根源は、あくまでも「逃げるため」やさかいな。

しかし、この業界はそういうことを簡単に許すほど甘い世界やない。

どの団でも、借金を作ってトンズラする拡張員はかなりな数いとる。

そのために、それぞれの地域、組織が集まって、業界情報というのを加盟団に流す。その情報の中には、そういう手配書がある。

おそらく、日本の企業で写真付きのおたずね者の手配書を回しとるのは、この業界くらいなものやないかと思う。

定かな情報やないが、それ専門のGメンまでおるという噂がある。

彼らは、携帯電話の中に逃げた人間の手配写真を入れとるという。

逃げた者で、実名を使うとるケースはほとんどない。同じ地域、同じ系列の新聞拡張団に潜り込むこともあまりせん。

つまり、普通に探してたんでは見つかることはほとんどないということになる。

それを専門に探し出すプロがおる。昔で言うと「賞金稼ぎ」のような連中やな。

その世界では、実際に逃げた人間に対して賞金がかけられとるという話や。

アキラはその存在を知らなんだということと、長年それで成功してきたことに
より油断もしていた。

アキラが逃げた拡張団の中には、警察に業務上横領で金を持ち逃げしたとして被害届けを出しとる所があった。

その額、100万円ということやった。

実際にアキラがその団で持ち逃げした現金は50万円そこそこやったが、逃げた者に弁明の余地はない。

あるとすれば、裁判になったときくらいやが、その抗弁が認められることも限りなく低い。

もっとも、アキラはそんな言い訳をするつもりはなかったがな。

捕まれば、50万が100万でも罪に大差はない。五十歩百歩や。

アキラは、その団に雇われたプロの賞金稼ぎに捕まった。

その拡張団に「警察に差し出すか、ここで働いて返すかどちらか選べ」と凄まれ、働いて返す方を選んだ。

刑法252条の単純横領罪なら5年以下の懲役に処するとあり、それが被害届どおりの刑法253条の業務上横領罪が適用されたら10年以下の懲役になる。

警察で調べられれば、過去のことも分かる可能性が高く、それで常習性ありとされたら、実刑判決は免れそうにない。

選択の余地はなかった。

いくらアキラが逃げのスペシャリストやと言うても、刑務所から逃げることはできんさかいな。

被害を受けた拡張団としても、警察に突き出しても一銭にもならん。損害を取り戻すには、働かせるしかないわけや。


と。

「こういう人間をどう思う?」

そう、オノデラに聞いた。

暗に、「お前のしようとしとることくらいはお見通しや」と思わせる狙いもあったし、てんぷら行為を続けとるとロクなことにはならんと教えるためもあった。

オノデラは、それと察したのか、「分かりました。これからはまじめに拡張します」と、神妙な面持ちで、そう約束した。

その翌日、オノデラは逃げた。

ただ、不思議とワシに落胆した思いはなかった。

ワシは、事によれば忠告もアドバイスもするが、それを聞いてどうするかは、あくまでもその人間次第やと考えとるさかいな。

如何に部下やとは言うても、首に縄をつけて仕事させるわけにはいかんから逃げる者はどうしようもない。

この世界では、ありがちなことやとあきらめとる。

「そのオノデラやが、ワシの知り合いの団にいとるのを見つけて身柄を押さえとるのやが、ゲンさんどうする?」と、オキモト。

当時、オノデラが逃げたことで、オノデラが団に借金してた30万円ほどをワシが肩代わりせなあかんことになった。

当時の団では班長は、そうして責任を取るという決まりがあった。どんなことがあろうと、その団は損をせんシステムになっとったわけや。

オキモトは、暗にそれを取り返せると言うてるわけや。

法律では不法行為による損害金の請求権は3年。個人的な借金の返済時効は10年ということになっとる。

それから言えば、オノデラが逃げたのは、もう15年近くになるから、いずれも時効にかかっているということになる。

一般的には時効になってしまえば、それで終いという考えになるのが普通やが、実際には、借金などの場合は、それに対して「時効の援用」というのをしなければ本当の意味での時効は成立しない。

具体的には内容証明郵便で、


貴殿(貴社)からの金銭貸借請求は、法律に定める時効期日経過により時効の援用を宣言します。今後は如何なる請求が成されても、この援用により債務は消滅したので当方に支払う意志はありません。


といった内容の文面を相手方に送付すれば効果があるとされとる。

ただ、それをせず、その貸し主と出会した場合、その気まずさ、やましさから「必ず払うから、もう少し待ってくれ」と言えば、その「時効の援用」は中断する。

その時点で、その金銭貸借請求権は有効なものになる。

時効の利益を受けるかどうかを当事者の良心に委ねるというのが制度上の建前ということなっとるさかいな。

つまり、借金は返さなあかんと考えとる人の意志は尊重されるということになるわけや。

「必ず払うから、もう少し待ってくれ」という明確な意志を相手方に伝えれば、法律はその意志を尊重するということや。

その法律を利用する者も多い。

特にこの業界では、そんな時効など無に等しいと考えとる者がほとんどやさかい、逃げた者を捕まえれば何年経っていようと、表向きはその個人の判断ということにして「その借金は払います」と宣告させるように仕向ける。

その是非を問われても困るが、そういうこともあるということや。

オキモトが、「身柄を押さえとるのやが、ゲンさんどうする?」と、ワシに言うてるのは、そのときワシが肩代わりしたオノデラの借金の返済を認めさせると言いたいわけや。

取り返してやると。おそらく100%の確率で、そうなるものと思う。

オキモトが、そうすることでワシに恩を売るつもりなのはミエミエや。

「どうするて、そんな昔の話は、どうでもええ。もう忘れた」

ワシは、オキモトにそう答えた。

冒頭あたりでも言うたが、ワシ自身、幸運も重なって、その借金の清算もついとることでもあるし、そんなことでオキモトに借りを作るのが嫌やったということもある。

奴さんのことやから、それを皮切りに、いろいろと策を弄してくるのは目に見えとるさかいな。

その手には乗らん。

それにオノデラのような人間は、そういう生き方しかできんかったということで、考えようによっては十分、その報いを受けとるとも言える。

気の休まることはなかったと。逃げ続ける犯罪者に共通する思いで今まで生きてきたと。

今後も、それが続いていく。

今更、それに追い打ちをかけるまでのことはないと思う。

ほっといても堕ちていく者は自身の性情による勝手にどこまでも堕ちていく。それだけのことや。

しかも、それをオキモトのような人間に利用されるとなったら救いがない。

救いのない者に手をかける気にはとてもなれん。



参考ページ

注1.第153回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんの決断 前編

第154回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんの決断 後編

注2.第111回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ゲンさんの知っておきたい故事古典格言集 サイト編 Part 1

注3.第165回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■古き良き時代の新聞拡張員物語……その3 拡張戦争奈良編

注4.第28回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■一枚のお助けカード

第29回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■勝ち組、拡張員?


ゲンさんの新聞勧誘問題なんでもQ&A選集 電子書籍版パート 
2011.4.28
販売開始 販売価格350円
 

書籍販売コーナー 『新聞拡張員ゲンさんの新聞勧誘問題なんでも選集』好評販売


ご感想・ご意見・質問・相談・知りたい事等はこちら から


ホームへ

メールマガジン『ゲンさんの新聞業界裏話』登録フォーム及びバックナンバー目次へ