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第168回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2011.8.26


■身近な環境問題の話 その1 カレイの行列


ほぼ1ヶ月前、7月22日の金曜日。

「ゲンさん、カレイが大量に獲れましたので宅配の冷凍便で送りますね」と、ハカセから、ご機嫌な様子で電話がかかってきた。

「カレイが捕れた?」

ハカセはメルマガを発行した後、気晴らしに近くの海に釣りに行くことがあるというのは知っていた。

せやから、普通は「釣れた」と言うはずや。

例えそうやとしても、ハカセの釣りの腕前はお世辞にも上手いとは言えんし、その方の知識もええ加減やから、「大量に釣れた」というのも、よほどの幸運が味方したとしても考えにくい。

ワシも、たまに釣りをすることがあるから分かるが、そもそもカレイは、そう簡単に大量に釣れる魚やない。

入念な仕掛けをした上で一本釣りする。粘って粘ってやっと1、2匹釣れるかどうかの魚や。

カレイは海の底にへばりついていて泳ぎ回ることが少なく、エサが近づいてくるのをじっと待つタイプの魚やから、食いつき(アタリ)もジワジワというのが普通で入れ食いというようなことは、まずない。

根比べが最も必要とされる釣りや。とてもハカセのような気の短い人間に向く釣りやない。

しかも、カレイ釣りの本格的なシーズンは冬や。

それを、この時期に、しかも大量に獲れたと言うたことに奇異なものを感じて、そうオーム返しに聞いたわけや。

「ええ、実は不思議なことがありまして……」

その日、ハカセは朝食を終えて、自宅から車で10分ほどの所にある小さな港に向かった。

平日の金曜日ということもあり、釣り人は、ほとんどいなかった。閑散としている。

もっとも、ハカセの目的は、その釣りにあるのやなく、単なる気晴らしのつもりで行っているだけやから、別にそれでも良かった。

ここのところ急に原稿依頼が増えて忙しくなっていて、それらの仕事も一息ついたということもあり、何も考えずにのんびりと釣り糸を垂れていたいという気分になったと。

釣れる釣れんもあまり関係がなかったと。

その岸壁に着いて、いつものように釣りを始める準備をしていた。

すると、そのとき岸壁の近くに巨大な魚が泳いでいるのが見えた。

「エイ?」

ハカセは最初、そう思ったという。

えらくスローモーな泳ぎやったということもあり、玉網で簡単に掬(すく)えた。

掬い上げて見ると、それは体長40センチ以上もある巨大なカレイやった。

ハカセは、まさかカレイが岸壁の近くの水面を泳いでいるとは考えもせんなかったさかい驚いたという。

カレイと言えば、海の底にへばりついている魚というくらいは、いくら釣りに疎(うと)いハカセでも知っていたからな。

もっとも、せやからと言うて、その海で見たこともないエイと勘違いするというのも、どうかとは思うがな。

その一匹を掬った後、その少し離れた所にも別のカレイが、同じように優雅に泳いでいた。

それを皮切りに、いつの間にか、その岸壁とほぼ平行にカレイが行列を作って泳いでいるのが見えた。

まるで、ハカセに「順番に捕まえてください」とでも言うてるようやったという。

それなら、その期待に応えるしかない。

ハカセは必死で掬った。と言うても、金魚掬いよりも簡単に獲れるわけやから、大した労力は必要なかったがな。

まさに「棚からぼた餅」やった。

ものの10分ほどで、いつもは体裁だけで持ってきていたクーラーボックスがカレイで満杯になった。

もちろん、こんなことはハカセの人生において初めてのことや。

そのときには、なぜ、そんなことが起きたのかなどと考える余裕はなかったという。

まあ、どんな人間も目の前に物理的な利益が転がり込んでくるという状況に遭遇すれば、欲に目が眩むというのはありがちやさかい無理もないけどな。

例え、普段はどんなに物事を冷静に分析する能力に長けていたとしても、ほぼ反射的にそれに飛びつくもんや。

道ばたに1万円札が落ちているのを見て無造作に拾う行為に似ている。

魚がエサで釣られるように、人間はそのラッキーで釣られる。

「浮かれとるところ水を差すようで悪いが、それはあまり、ええ兆(きざ)しやないな」

「えっ? どういうことてす?」

「そっちにいた頃、伊勢で叩いとった(勧誘訪問)ことがあるんやが、そのとき、地元の猟師から、それと似た話を聞かされた覚えがあるんや……」

ここ数年、伊勢湾では低酸素、貧酸素の海域が増えていて、猟師にとっては深刻な問題になっている。

低酸素、貧酸素というのは、その名のとおり海水中の酸素が減少する状態のことを言う。

海底付近にできる酸素が非常に少ない水の塊を「貧酸素水塊」と呼び、風や潮の流れで海の中をあちこち移動して生き物たちを苦しめているのやと。

毎年、春から秋にかけて発生しやすいという。

貧酸素水塊が発生する主な原因は、工場排水や農業廃水、生活排水などによって海に流れ込んだ窒素やリンを栄養源として赤潮が発生するためやと言われている。

赤潮とは、それらの栄養源によって海が富栄養化という状態になったことで、ある特定のプランクトンが短期間のうちに海や湖に大量発生して、その水が色づいて見える現象のことを言う。

プランクトンの種類により固有の色素があり、それが赤褐色、褐色、緑色、黄緑色、青緑色など様々な色となって見える。

普通、海域では、それらを総称して赤潮と呼ばれるが、地域や場所、状態により厄水(やくみず)、青潮(あおしお)、白潮(しろしお)、苦潮(にがしお)などと呼ばれる場合もある。

ちなみに、湖や沼では水の華と呼ばれている。

やがて、それらの赤潮が発生した後、死骸となった大量のプランクトンが海底に沈殿してヘドロになる。

その海底に溜まったヘドロを分解するためにバクテリアが大量の酸素を消費する。

夏になると海の表層の水温が上昇し、低水温の海底付近の海水とは混ざりにくくなる。

それは、海底付近への酸素供給が低下するということを意味する。空気中から酸素を取り入れている海の表層部分の水が循環せんさかいな。

酸素が大量に消費される一方で、ほとんど供給されないため、海底付近の海水には、酸素が少ない「貧酸素水塊」ができるというわけや。

貧酸素水塊は、海水交換が悪い場所や表層と海底付近の温度差が大きくなるにつれ増える。

貧酸素化が進むと無酸素となり、有毒の硫化水素が発生する。

このような貧酸素水塊が岸辺に出てくると、その付近で生活していた魚介類の大量死が起きることもある。

大量死が起きないまでも、海の底で低酸素、貧酸素の海域が増えるということは、確実にそこに住む生物の生活圏を脅かすことになる。

生活圏を脅かされた種は減少するしかない。

つまり、この貧酸素水塊の増殖によって海産物が減少していってるために、伊勢湾での漁業が衰退の一途を辿っているのやという。

加えて、夏場から秋にかけてやってくる台風が、それに拍車をかけとるのやと。

どういうことか。

台風により、山や河川に大量の雨水が降り注ぐ、その冷たい淡水が河口付近にどっと流れ込む。

水は暖かいほど上に、冷たいほど下へ移動する性質がある。

夏場の表層水温が高い海の水に、冷たい川の水が流れ込むと、当然のように、その冷たい水は下へ潜り込もうとする。

潜り込んだ大量の冷たい水が低層部を急激に流れることにより、堆積していたヘドロやプランクトンが舞い上げられる。

それと一緒に貧酸素水塊もバラ撒かれることになる。

そうなると、そのエリアの海底に住む魚たちは貧酸素水塊から、逃げるしかない。

泳ぎの早い魚は酸素のあるエリアへ泳いで行けばええが、泳ぎが苦手な底物魚類たちは金魚のように水面へ出てきてアップアップするということになる。

その理由は良く分かっていないが、不思議なことに、それらの魚たちは潮目に沿って一列になって浮いてくるのやという。

その現象は台風が過ぎ去ってから2、3日後に表れることが最も多いと言われている。

そのときは、ちょうど2日前頃に、「マーゴン」と名付けられた超大型の台風6号が過ぎ去った後やった。

その三重県では強風もやが、記録的な雨量が観測されていた。

つまり、その話に合致するような大量の冷たい淡水が河口付近に流れ込んだということになる。

「すると、今日のカレイは……」

それが原因で浮かび上がった。

「その可能性が高いな」

「そんな……」

酸欠で苦し紛れに逃げたカレイをハカセは無情にも、欲にかられ乱獲したことになる。

ハカセは、その昔、大阪である有名なNGO環境団体の支部長をしていたことがあるから、そういう話には弱い。

人間の引き起こした環境破壊で他の生物が犠牲になるというケースを数多くハカセも知っていたが、こういうのはまったく知らんかったという。

「どうしましょうか……」

「ハカセのええ分だけ、こっちに送ってくれたらええで。喜んで食べるさかい」

確かにそれらのカレイたちは犠牲になった可哀想な魚かも知れんが、それも運命と言えば運命や。

何もハカセが気に病むことはない。

今更、逃がしたところで、その命が助かるわけでもないし、ここはその供養のためにも、おいしく食ってやるべきやと思う。

それに、その低酸素エリアでは、ここ数年、ほぼ毎年のように起こる珍事でもあり、地元の漁師ですら、その現場に立ち会ったら大喜びで獲るというさかいな。

それも台風が通過した直後の一時、ごく限られた地域、限られた時間帯だけに起こると。

その地元では、そういう現象があると、「漁師の父ちゃんは漁に出ないで獲り、母ちゃんは玉網持って走る」と言い、釣り人の間では「釣り人は竿を捨てる」と言われているくらいや。

ラッキーの象徴として。

この現象はカレイだけに限らず、メバル、カサゴ、タコ、アナゴなどの様々な底物魚類たちにも同様のことが起きるのやという。

「でも食べて大丈夫なのでしょうかね」とハカセ。

さすがにハカセは、化学工場のメンテナンスを長年やっていただけあって、硫化水素を含めたその方面の化学(ばけがく)についての知識には詳しい。

もっとも、これにはその化学プラス、生物学の知識も要求されるから、自信がなかったため、そう聞いたのやとは思うがな。

いずれにしても、そういう疑問を持つことは大切や。ヘタをすると、それが生死を分けることもあるさかいな。

プランクトンには渦鞭毛藻類と呼ばれるものがあり、その中のギムノディニウムやゴニオラックス・ポリグランマ、アレキサンドリウム・カテネラなどといった魚介類を毒化させる種類があるのが知られている。

カレイがそのプランクトンを大量に食っている可能性が高いさかい、その毒性が危険やないのかというのが、ハカセの疑問や。

「絶対とまでは保証できんけど、まず大丈夫やと思うで」

その毒性の赤潮プランクトンを捕食したアサリなどの貝類が毒化して、それを食べた人が中毒を起こしたという報告例はあるが、カレイなどの大型魚類の報告例は今のところないという。

ただ、そうやからと言うて危険が、まったくないのかと問われても困るがな。

これについては専門家ですら、その意見が分かれることも多いと言うさかい、その確かなことが素人のワシらに分かるはずもない。

専門家の大勢の意見、見解では「食しても安全なレベル」ということのようやとしか言えん。

これは、現在、放射能汚染を懸念されている福島沖近海で獲られる業界類と同じで、人体にはさほど影響ないレベルの汚染やという専門家もいれば、注意した方がええという専門家もいとるというのに似ている。

ここでも大勢の意見は「食しても安全なレベル」とされている。

それについては、今のところ個人がそれぞれで判断して食するしかないということになる。

結局、ハカセから4、50センチ級の大物イシガレイ10匹が、宅配の冷凍便で送られてきた。

もちろん、それがその夜の酒の肴になったのは言うまでもない。

あれから1ヶ月、ワシも含めて、それを食った店の連中には何事もないようやから、「案ずるより産むが易し」やったということになる。

「台風の後に、そういったことが起きやすいとのことですが、次もありますかね?」と、ハカセ。

「可能性としたら、あるかも知れんな。しかし、一口に伊勢湾と言うても広いし、どこでそれが起きるかは分からんと思うで。また、起きんということもある。それに、そんなことを期待しとると……」

「株を守りて兎を待つ、ですか」

「ああ、そんなところや」

『株を守りて兎を待つ』というのは、昔、狩人が木の切り株で、たまたま、それにつまずいて動けなくなった兎を見つけて儲けたと思い、次の日から、その切り株で次の兎を待つ狩人の愚かさを揶揄したという故事や。

「でも、その故事は、二度と起きそうでないという前提の話で、今回のは起きる可能性のあることですよね」

「ああ、それを探すと言うのなら、好きにすればええが……」

「そんな無駄なことはしませんよ。それほど暇でもありませんし」

まあ、伊勢湾の沿岸部を端から端まで車で走るだけでも悠に3時間以上はかかるやろうし、それを起きるかどうかも分からん場所を探すというのもバカげた話なのは確かや。

「せやろな。なら何で?」

「実は、カレイと約束したんです」

「何や、それ?」

時々、ハカセは突拍子もないことを言い出す。

「君たちの思いは無駄にしないと」

ハカセ曰く、そのカレイたちは偶然、ハカセの前に現れたのやなく、ハカセやからこそ、その窮状を訴えるために命をかけて姿を見せたのやという。

ハカセなら、必ずこの事を公にするやろうと。

無理矢理な話やけど、現実に多くの読者に、このことを知って貰ったのは事実やと思う。

「何が言いたいんや?」

「提案なんですけど、こういった環境問題について何かの出来事、事例がある度にこのメルマガで話すことにしませんか」

それが、命をかけたカレイたちの供養になると、真顔で言う。正確には電話やから、真剣な声でということになるが。

ハカセは、まだ世間でそれほど騒がれていなかった頃から環境問題に取り組んできたが、ある事が原因で、所属していた有名なNGO環境団体と袂(たもと)を別つことになったわけやが、その頃の思いは今もある。

今年は、東日本大震災での福島第二原発の事故などで、放射能による環境被害を目の当たりにして、自分にできることを何かしなくてはいけないという気になっていたという。

その何かは、ハカセにとってはメルマガで話すことやと言う。一人でも多くの人に分かって貰うことやと。

それについては異論はない。

世の中には環境問題に興味のある人も多いさかい、そのネタを持って雑談すれば拡張の現場でも効果があるかも知れんしな。

特に、今回のようなネタなら、面白いと感じて貰えるやろうと思う。

「それは構わんが、そのネタ集めはどうする?」

「少し古いので良ければ、いくらでもありますが、それよりも読者の方々に提供して貰ってはどうでしょうか」

身近な出来事が、そのままネタになることも多い。また、ちょっと変わった事が、意外に大きな問題やったりすることもある。

今回の「カレイの行列」のように。

何より、環境問題というのはみんなで考えてこそ意義のあることやさい、ぜひ読者の方にも参加して頂きたい。

そのネタが集まり次第ということもあるが、なるべく続けていきたいテーマやと思う。


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