メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第170回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2011.9. 9


■ネットの危険 その2 書くことによる落とし穴について


「またか」

以前から気にはなっていたことやが、ブログやツイッター、メールなどで発覚した事案がもとで大きな問題に発展してしまい、当事者たちが窮地に立たされ右往左往するというケースがあまりにも多いように思う。

ワシが、「またか」と言うたのは、先日、突然の引退表明をした島田紳助氏の件があったからや。

島田紳助氏の場合もメールでやり取りした内容が発覚したためやという。

他にも、大相撲の八百長問題、タレントの原発批判問題、ホテルの従業員が有名人の宿泊を暴露したなど挙げればキリがないほど多い。

また、それらに書き込んだ事が原因で、その職場を追われ、あるいは罪に問われるケースも珍しくない。

昔は、そういうのがあっても、せいぜいテレビやラジオでの発言か、週刊誌の報道程度のもので、それらに誤りがあれば、たいていは謝罪放送、お詫びコメントを流せば、それで済んでいた。

しかし、現在、ネットでそういうのが流れると、あっという間に、その事実が広まり、それが一人歩きをして当事者ですら収拾できんようになる。

ブログの炎上などはその典型的な例やと思う。

また、メールに書き込んだがために、例えそれは冗談、もしくは本気ではないと言ってもなかなか認められず、それを証拠として犯罪が立件され逮捕されることすらある。

現在、メールというのは一般化されていて送信者と受信者が、それぞれ固有のメールアドレスを所有しとるから、双方がそれと特定されやすく、そこに記述された内容は証拠能力としても高く評価される。

好むと好まざると関わらず、その内容は「客観的な事実」として認定されるわけや。

それはメールに限らず、HPやブログ、ツイッター、あるいはメルマガでの記述もその範疇に入るとされとる。

ネットの特徴的なものに、個人の書き込みというものがある。

今や、個人の意見を自由に書き込みできるものとして、先に挙げたブログやツイッター、メルマガの他にも掲示板サイト、ミクシィー、フェイスブックなど様々なコミュニティやシステム、および類似のツールが山ほどある。

そして、それらはこれからも際限なく誕生して拡がっていくものと思う。

それらを批判するつもりはない。

それらの中にも有意義なものが多いというのは、それらをやっておられる読者の方からの情報で良う知っとるさかいな。

何でもそうやが、上手く使えば、有意義で役に立つものは多い。

しかし、残念ながら、それらに書き込んだが故に裏目に出てしまったというケースがあるのも事実や。

なぜ、そんなことが起こるのか。

それは書き込みをする人間の意識の低さ、甘さがあるからやとしか言いようがない。

何を言うても自分は安全やという気持ちから好き放題に書き込む。誹謗中傷する相手の方が悪い、そうされても仕方ないと信じ込む。

本人は鬱晴(うさば)らしのつもりやろうが、名指しでその対象にされる者は堪ったものやない。

酷いのになると、その事実もないのに、その名前、住所、果ては顔写真まで、そういうところで勝手に公開されて、その賛同者と共に叩くということまでする連中がおる。

当然やが、そんなことをして済むはずがない。

公の媒体で書いた文章には、それなりの責任が伴うという厳然たる事実が分かってない。

それ以前に、ブログやツイッター、メールで書いた文章が公の媒体だと気づいてない人があまりにも多すぎるように思う。

そのために気軽に考え、書いていい事と悪い事の区別がつかんのやろうな。

ちょっと言い過ぎな面があるかも知れんが、そうとしかワシには考えられん。

事実に反したことを書いて誰かの名誉を傷つければ名誉毀損罪に、どこかの企業の根拠のない悪口を書き込めば虚偽風説流布業務妨害に問われ、法律で処罰される。

また、多額の慰謝料を請求され、それを支払わなあかんことにもなりかねん。

新聞や雑誌、書籍などは、その点を重視し、慎重になる。

そのための校正、訂正が幾度もあって始めて活字として発表される。たいていは何人もの目を経てから、そうなる。

もちろん、せやからと言うて、間違いが皆無とは言わんがな。間違いやミスは何にでもあるさかいな。

また、週刊誌などはその事が問題になるのを承知で、あえてその手の記事を書くケースもある。

ただ、そういうケースは確信犯やから、その反応も当然予測し、対策も考えとるのが普通や。

すべては織り込み済みということになる。

少なくとも、それについて反論されたり、叩かれたりしても慌てることは、ほとんどない。

しかし、個人の書き込むブログやツイッターに、そこまで考えて書き込んでいる者がどれだけいとるかは怪しい。

事が起きた後の慌てぶりを見る限り、ほとんどおらんと言うしかない。

それについて、ハカセは、「誰しも書くことで注目してほしいという願望があると思うのです。その思いが強くなりすぎ、これを書けば面白いのではないかと単純に考えるあまり、その結果にまで考えがおよばないのではないでしょうか」と言う。

また、「一部の限られた人たちだけに向かって書いているつもりで、その他の目に触れて攻撃されるとは、そのときには考えないのでしょうね」と。

個人間の会話であれば、話ながら相手の反応を見ることができる。

それによって、そこまでは言うたらあかんやろうなというくらいは誰でも分かる。

それ以上言えば喧嘩になって揉めると。

実際、日本人は目の前の人間を悪し様に罵倒する者の方が圧倒的に少ない人種やと思う。

ところが、ブログやツイッター、メールでは違う。平気で人を詰るような発言をするケースが目立つ。

書いているときには、この程度は許されるだろう、洒落として受け取ってくれるだろうと考える。

ところが、その書き手の意に反した捉え方をされるということが往々にして起きる。

言葉では穏やかに話す人でも、文章になると、途端に冷たく感じられるような表現になる。また、そう受け取られるケースがある。

どうしてなのか。

いくら自身の思いの丈を自身の言葉で書くことがブログでありツイッターであるとは言うても、そこは活字で不特定多数に読まれる可能性があるわけやから、一定の礼儀なりルール、配慮がなかったらあかんと思う。

それが分かっていない。

それを防ぎたいのなら、どうすればいいか。

ハカセは「簡単ですよ」と言う。

「それは書いてすぐには、それらの媒体でアップ、発表しないことですよ」と。

ハカセ自身は書き終えると、しばらく休んでからしか推敲を始めないという。

Q&Aの相談メールを送信する際でも、必ずそうしてから推敲する。

そうしたものを、その相手に伝える。

また、それをサイトにアップする際は、中1日、ないし2日程度の時間をとる。

相談者にも、午前の早い時間の返信なら「明日」、午後なら「明後日」にサイトに掲載すると告げる。

その間、何度か読み直し、これを書くとまずいかなという点があれば、それを修正する。

大きな修正は相談者にもそれと伝えるが、そうでなければ、その推敲したものを掲載する。

相談者の中には、送られてきた回答とサイトにアップしたものが微妙に違うと感じられるケースがあるかも知れんが、そういうことやと理解して頂きたい。

書いているときは誰しも興奮状態にある。

そのとき、自分の思いを言わずにおられない、批判しないと気が済まない、許せないといった気持ちに囚われやすい。

その思いが強すぎると、どうしても過激な言葉が顔を覗かせる。

時間を置くと、その興奮状態が醒める。

その状態で読み直せば、気がつくことも多いさかい、それで問題を回避できやすくなる。

あるいは、それを掲載する前に、親しい友人などに見て貰うというのも有効な方法やと、ハカセは言う。

第三者の目は、そのまま読者の目にもなる。もちろん、それを見る人にもよるやろうが、少なくとも書いた本人よりかは冷静に判断できる。

それで何も異論がなければ問題はそれほどないと考えてええ。

幸いワシらの場合は、ハカセが常に確認をとってくるさかい、自然にそれができとるがな。

一見、好き放題なことを書いていると思われがちな、ワシらのメルマガやサイトの文章でもそうしとるわけや。

ただ、ブログは「毎日書かなければならない」、ツイッターは「その場ですぐ書かなければならない」という強迫観念に囚われとる人がおられると良く聞くが、もしそうやとすれば、それは危険な兆候やと思う。

精神病の一歩手前とされとるノイローゼの特徴が、それやさかいな。

そういう気持ちに追い込まれると、どうしても冷静な考えにはならず、ついよけいなことを書いてしまうということが起きると言われている。

それが、とんでもない結果を生み、さらにその症状を悪化させるのやと。

本来、それを楽しんでやっていたはずが、そんなことになったんでは、つまらんわな。

何にでも言えることやが余裕がなくなったらあかん。

それなら、そんなものは止めたらええ。と言うてしまうのは簡単やけど、それでは話はそこで終わる。

このメルマガの読者の方の中にも、ブログやツイッターをされておられるというケースがあると考えるので、少しでも参考になる話をしたいと思う。

先に挙げた推敲の他に、実際に書き込む内容は自身の意見とは若干違うという風にボカすというのも、一つの手や。

このメルマガでも、ワシは「〜と聞く」とか「という話や」、「〜らしい」と濁すようなことを言う場合が結構多い。

それらは、たいてい読者から寄せられる情報やワシらの聞いてきた情報などで、ある程度は信憑性が高いと信じているから書くわけやが、それでも、その裏が取れてない場合は、なるべくそういう表現を心掛けとる。

言えば、噂話の域を出んという感じのものという風にしとるわけや。

そういう表現なら、誰かがそれを見たところで、それほど叩かれることもない。

実際、ワシらのサイトについては、そういうケースは今までない。

例え叩かれても、「そういう話を聞いただけや」とか「そういう噂話や」と逃げを打つことができる。

「姑息やな」と言われる人もおられるかも知れんが、ワシが今言うてるのは、ブログやツイッター、メールで失敗せんための心得としてのものやから、それはそれとして理解してほしいと思う。

それに、そういう表現をしておけば、いくらでも後で訂正可能やしな。あれは勘違いやったで済む場合が多い。

そこまで考えて書く必要があるのかと問われれば、そうやとしか言えん。

人の目に触れる文章を書くということは、それなりの責任が伴う。それをしっかり認識しとかなあかん。

それに加えて、個人名や団体名の記述も避けた方がええと言うとく。

これは名指しがあかんということだけやなく、書いた者が特定され、しっぺ返しを喰らいやすいということがあるからや。

実際に起きた話やが、ある読者が1日数人程度の閲覧者しかないブログをやっていたことがあった。

そのブログで、その読者自身がある大手の会社に務めていた頃の内幕を暴露する記事を掲載したことがあった。

そのブログの管理人は、「どうせ見る者が少ないから、その会社には気づかれることはないだろう」という気安さがあったからやが、いとも簡単にそれが発覚してしまった。

その大手の会社はブログの管理人に多額の損害賠償を請求すると脅かしてきた。

結局、そのブログは閉鎖に追い込まれた。

その後、その読者からなぜその会社にブログの内容が分かったのかと、ワシらに質問があった。

その会社が、そこまで細かくチェックしていたとは驚きだったと。

答は簡単。

その会社は何億とある無数のブログを一々チェックしているわけやない。

そんなことは物理的に不可能やさかいな。

それを調べるには方法がある。

Yahoo!JapanやGoogle日本のような検索サイトに、会社名と特定のキーワード、例えば「○○の嘘」とか「○○の問題行為」といったような、その会社にとって掲載されては困るような言葉で検索すると、それについて書き込まれたブログやサイトがヒットするケースがある。

そのブログやサイトが人気があるとか、ないとかというのはあまり関係ない。

ネットに書き込むと、すべての媒体がその対象になる可能性がある。

試しに、「○○の悪口」、「○○の悪質行為」(○○には自身の名前を入れる)といったようなキーワードで検索してみれば、それが分かる。

実際にそういう書き込みがあれば、必ずヒットするはずや。

なければネット上では、その書き込みはされていないと考えて、まず間違いない。

たいていの大手企業には、それを探す部署があったり、外部に調査させる仕組みがあったりするのが普通やという。

企業にとって具合の悪いことを書かれて、それが広まったらイメージ・ダウンになるし、ヘタをするとそれが命取りになりかねん。

そういうものは全力で阻止したいと考えて当たり前やと思う。

つまり、そこでそれが発覚する大きな要因は実名表記されとるからということに尽きる。検索でヒットするのはそれがあるからやさかいな。

そこから簡単に足がつく。

その書き込みをしたブログが分かり、それが名誉毀損などの法律に違反している可能性があれば、弁護士などの法律家を通じブログを管轄しているプロバイダーに連絡して、その管理者を特定することが可能になるというわけや。

または、直接、そのブログに連絡を入れて様子を見るという手もある。

「その書き込みは事実に反していますので削除してください。削除して頂けないのでしたら法的手段をとらせて頂きます」といった具合にな。

実際、それで企業に訴えられたブロガーもいとる。

残念やが、民事裁判となると必ずしも正義のある方が勝つとは限らん。

はっきり言うて民事裁判での勝利する方法などは持って行き方次第でどうにでもなるさかいな。

さすがに真っ黒を白と言いくるめることはできんやろうが、グレーを白やと裁判所に認めさせることくらいは、その手法に長けた人間なら造作もない。

よほど腹の据わった人間でないと、組織力を駆使して裁判に持ち込むような企業に抗することは難しいやろうと思う。

経済的な問題も絡むとなれば、よけいや。

たいていはあきらめて白旗を掲げる。

それでつぶされたブログやサイトは数限りなく存在する。

そういった企業はそれを狙ってそうするわけや。

えげつないと思われる方も多いやろうが、今のところ、そうすることには何の違法性もないとされとるから、それがなくなることは今後もないやろうと思う。

新聞業界にも、そういうのはある。

ある新聞販売店の従業員の方が、販売店や新聞社に内緒で、その手のブログを運営していたところ、それが発覚して、そのブログの閉鎖を余儀なくされたというケースが数例、ワシらのもとにも報告されとる。

それらのブログも実名で書いていたことが発覚した原因になったという。

裏を返せば、そういう実名での書き込みがなければ発覚しにくいということになる。

法律にも触れにくい。

その意味では、新聞社などから見たら、ワシらのはタチの悪いサイトということになるのやろうがな。

具体的な事実を知っていても、それを名指しで公開するようなことはせんさかいな。

「知っていますよ」とだけ匂わせる。

身に覚えのある関係者は、ワシらの記述を見るだけでそれと分かるケースも多いはずや。

企業側にとっては、それを止める手立てがない分、ある意味、危険な存在やと言えなくもない。

ヘタに手が出し辛いさかいな。

つまり、直接的な暴露をしなくても、それに近い効果が得られることもあるということやな。

ワシらは業界全体が良くなれば、それでええと思うとる。

殊更、その悪事や違法行為をバラす必要はないというのが、ワシらのスタンスなわけや。

メールについてはどうか。

今や、パソコン、携帯電話を問わずメールをしていないという人を探す方が難しくなったと言うてもええくらい日常的なものになっている。

メールは、先のブログやツイッターなどと違い、普通ではその内容が不特定多数に知られるというケースは少ない。

たいていは、その当事者間止まりや。

しかし、島田紳助氏のように、一方が何かの罪で逮捕、起訴される、あるいは容疑者になったという場合やと調べられ、それで窮地に立たされることがある。

島田紳助氏の場合は有名人であったが故に、それが大問題になって職を失う羽目になったということやと思う。

一般の人間には、その心配はないが、その相手との関係、その文言次第では法に触れる可能性もある。

先にも言うたとおり、メールに記載された文章自体が証拠として扱われるさかいな。

それは、その人それぞれの付き合いの問題やから、それをなくすのは難しいやろうと思う。

それでも敢えて言えることがあるとすれば、大事な用ほどメールで残すなということくらいや。

ワシらは昔の人間やからかも知れんが、大事な要件なら直接会って話すことが多い。

それを心掛けとれば、そういう羽目に陥ることは少なくて済む。

とはいえ、今や若い人たちにとってメールをするというのは生活の一部にもなっとるから、急にそれを止めて転換するというのは難しいかも知れんな。

ただ、その危険があるということくらいは頭の片隅に入れておいた方がええ。

そうするだけで避けられることもあると考えるさかいな。


ゲンさんの新聞勧誘問題なんでもQ&A選集 電子書籍版パート 
2011.4.28
販売開始 販売価格350円
 

書籍販売コーナー 『新聞拡張員ゲンさんの新聞勧誘問題なんでも選集』好評販売


ご感想・ご意見・質問・相談・知りたい事等はこちら から


ホームへ

メールマガジン『ゲンさんの新聞業界裏話』登録フォーム及びバックナンバー目次へ