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第171回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2011.9.16
■新聞販売店物語 その4 暴力の代償
「所長、一体どういうことや?」
専業員のカンザキは血相を変えて、ウエノ新聞販売店の所長、ウエノに詰め寄った。
「何のことや?」
「とぼけるな! つい今しがた、代行のヒラヤマさんから電話があった。お前の差し金やろ?」
カンザキは、ヒラヤマの紹介でウエノ新聞販売店で働き始めた。
ヒラヤマというのは、広域暴力団Y組の傘下組織○○組の若頭代行をしとる大幹部でカンザキが現役時代の兄貴分やった男や。
つまり、カンザキは元タナカ組の組員でヤクザやったということになる。
カンザキは、あることからヤクザの足を洗うことにした。
そのとき、ヒラヤマから、その働き口としてウエノ新聞販売店を紹介して貰った。
それには、ヒラヤマに「堅気(かたぎ)になりたいということやが、今まで何か堅気の仕事をしていた経験でもあるのか」と聞かれ、「昔、新聞販売店で働いていたことがあります」と言ったことから、そうなった。
もっとも、直接の口利きがあったかどうかまではカンザキには分からない。
「そこに面接に行ったら雇って貰えるはずや」と言われて、そうしただけやった。
事実、簡単に採用されたさかい、それがあったものとカンザキは信じた。
カンザキのいた世界では、それで十分やった。すべては暗黙の了解の上に成り立っている。
現在、新聞社関係者は当然として、新聞販売店や新聞拡張団においても暴力団(ヤクザ)との付き合いや関係を持つ事は厳しく禁じられている。
それが発覚すると、新聞社関係者は処分され、新聞販売店や新聞拡張団は業務取引が停止、つまり事実上の廃業に追い込まれるという。
そのため、表向きはそういう、つながりはないことになっとる。
せやから、所長のウエノにすれば、例え分かり切ったことでも「何のことや?」と、とぼけるしかないわけや。
「このガキ!! いつまでも、とぼけられると思うとんのか」
気の短いカンザキは限界にきていた。
カンザキは、そのウエノ販売店に勤め出してすぐにツヨシという若い専業員と仲良くなった。
職場ではツヨシの方が先輩ということになるが、ツヨシはカンザキとは年齢が離れて若いということもあり、最初から「カンザキさん」と低姿勢で接してきた。
そのため弟分ができたような気になり、ツヨシのことを可愛がった。
カンザキ自身は、元組員やったということは誰にも言うてない。また言うつもりもない。
ヒラヤマから、「堅気で仕事を続けたいのなら元組員とは絶対言うな」と釘を刺されていたということもあるが、チンピラみたいに後ろ盾に頼る必要などないという自信もあったからや。
現役時代から、そうやったように誰に対しても臆することがないというのが、カンザキの誇りでもあったさかいな。
せなあかん喧嘩なら一人でする。
カンザキはツヨシから、業界の今の状況について、いろいろと聞いた。
17、8年前に高校を中退して家を飛び出していた頃、食うために一時期、新聞販売店で仕事をしていたことがあったが、そのときとは、あらゆることが違っていた。
新聞配達自体は一緒やが、今は順路帳はパソコンで作る時代やという。カンザキがやってた頃は、すべてが手書きやったさかい、まさに隔世の感がある。
ここのウエノ販売店では勧誘をせなあかんが、その昔、カンザキが勤めていた販売店では、勧誘は拡張員の仕事と決まっていて、する必要はなかった。
しても、せいぜいが止め押し(継続依頼)程度のものやった。
集金は以前にもあったが、ここではその集金に問題があるという。
「カンザキさんは、切り取りというのをご存知ですか」と、ツヨシ。
「キリトリ? 何やそれ?」
「切り取り」というのは、新聞講読料の集金期日までに回収ができんかった場合、その集金を担当した従業員の給料から一時立て替えをさせるシステムのことをいう。
集金時に使う「証券」と呼ばれる領収書は二枚綴りになっていて、一枚が店に提出する控え、もう一枚が客に渡す領収証になる。
それを最初から切り離すことで「切り取り」と呼ばれている。
集金さえ順調にできれば何の問題もない。集金した金とその「証券」の控えを店に渡せばええだけやさかいな。
ところが、販売店によれば、集金期日というのを厳格に決めていて、その日までに集金人が集金できんかった場合、集金できたときに渡す控えの「証券」だけを回収し、その代金の不足分を給料から差し引くというシステムを取り入れるケースがあるという。
強制的な立て替え払いということになる。
客の都合で「今日は持ち合わせがないから、少し待ってくれ」とか、その客となかなか会えずに集金できんというケースが、この業界には結構ある。
ある意味、仕方のないことなんやが、例えそうであっても、その責任を集金人に押しつけるわけや。
そうすることで、その新聞代の集金が確実にできるさかいな。
そして、その立て替え分がほしかったら、自分で集金しろと言う。
販売店側の狙いは、回収不能金をなくしたいということだけや。そのためには従業員を泣かしても構わんという理屈になる。
えぐいとしか言いようのない行為や。
はっきり言うて、こんなことをしとる業界は日本広しと言えども、この新聞販売店業界くらいしかないと思う。
当然、違法性の高い行為ということになる。
労働基準法第24条第1項に定められている「賃金全額払いの原則」に違反すると考えられるさかいな。
その証拠を持って労働基準局あたりに、お恐れながらと訴え出れば、その販売店は相当まずい立場になるのは間違いない。
これに対しての新聞販売店の言い分としては、「集金の使い込みやサボリを防止するため」というのが多いようやが、労働基準局にそれは通用しない。
昔はそういう販売店も多かったということやが、今は少ない。
少ないが皆無というわけやなく、それで泣かされとる販売店の従業員が今も存在するのは事実や。
その手の相談が、時折サイトのQ&Aに寄せられるさかいな。
ツヨシは、それで毎月かなりの回収不能金の立て替え払いをさせられているのやと言う。
それだけやなかった。
「カンザキさんは、背負(しょ)い紙というのをご存知ですか?」
「な、何や? その背負(しょ)い紙ちゅうのは?」
長いこと業界から離れとると、次から次と聞き慣れん言葉が出てくるもんやなとカンザキは思った。
本当はカンザキがやっていた頃にも、それらをやってた新聞販売店はあったのやが、勤めていた店にはなかったから単に知らんかっただけの話やけどな。
一般でも新聞業界に関心のある人やと「押し紙」や「積み紙」というのを知っている人も多い。
しかし、さすがに「背負(しょ)い紙」という言葉まで知っている人は、業界以外では少ないと思う。
その「背負い紙」について説明する前に、押し紙や積み紙のことに少し触れとく。
それが、分からんと、この「背負い紙」を理解できんやろうと思うさかいな。
押し紙というのは、新聞社の販売目標に合わせて、専属の各新聞販売店毎に割り当てた部数を強制的に買い取らせる行為のことをいう。
業界では悪質な新聞勧誘の実態と同様に、長くタブー視されてきたことでもある。
当たり前やが、「押し紙行為」のようなことはやったらあかん。
その存在が明らかになれば新聞特殊指定が外され、行く行くは再販制度の撤廃につながりかねんことになる。
そうなると、新聞業界は窮地に立たされる可能性が高い。
事実、その窮地が2006年にあった。
新聞特殊指定の見直し問題(注1.巻末参考ページ参照)というのがそれや。
この特殊指定が見直しされると、新聞そのものの存在が危うくなり、衰退することになるという思いが業界には強い。
新聞特殊指定では、新聞社や販売所が地域や相手によって定価を変えたり値引きしたりすることを禁じとる。
押し紙があると、新聞販売店は少しでもその負担を軽減するために値引き行為に走ると見られている。
実際、それにより無代紙サービスという新聞の無料期間を設定するケースも多く、事実上の値引きをする販売店も存在するさかいな。
もちろん、その程度の事実は公正取引委員会では把握済みや。それ故の強行姿勢ということになる。
過剰な競争がふさわしくない商品やサービスについて、独占禁止法に基づき公正取引委員会が告示する特殊指定の一つに新聞は1955年に指定された。
新聞は、この特殊指定と独占禁止法の再販制度によって維持されてきたという側面がある。
製造業者が小売業者との間で定価販売をする契約は、独占禁止法で原則、禁じ
られとるが、新聞はその法律により適用除外とされた。
これが、再販制度(再販売価格維持制度)と言われとるものや。
つまり、新聞は法律で守られているということになる。
これは現在、世界を見渡しても日本にしかない特殊なことや。
外国の多くの新聞社が極端に衰退する中にあって、日本だけはさほどの影響を受けていない理由がそこにある。
再販制度は、販売店が定価販売を守らんかった場合、新聞社がその販売店との業務委託契約の解除が可能というだけで、値引き販売自体を禁じたもんやない。
そのため特殊指定では、新聞販売店の直接の値引き行為を禁止しとるから、実質的に再販制度をより強固なものにしとると言うてもええ。
裏を返せば、この特殊指定が外されると、再販制度そのものが危うくなる。そう新聞各社は懸念しとるわけや。
そのため、公正取引委員会は2005年11月、特殊指定について、時代に適合しているかどうかということで廃止を含めた見直しをすると表明した。
「事と次第によれば新聞の再販制度を廃止するぞ」と脅しをかけたわけやな。
結局、このときは何とか先送りという形で現状維持ということになった。
それには新聞社からの政治家への働きかけが功を奏したためと言われとるが、この押し紙の存在そのものがなくならん限り、またぞろ浮上する問題には違いない。
もちろん、新聞社が公にその押し紙の存在を認めることはないがな。
新聞社の言い分は、あくまでも販売店の自主的な注文により、新聞を卸してるだけやということになる。
また、必要以上の注文は控えるよう所属の販売店には文書で通知しとるとも言う。新聞社によれば、その誓約書まで提出させとるということや。
しかし、その押し紙の負担に耐えかねた販売店が新聞社を相手取り裁判を起こしたというケースが、過去にいくつかあった。
俗に言う「押し紙裁判」と呼ばれとるものがそうや。結果は一部の例外を除いて大半が販売店側の敗訴となっとるがな。
裁判所も初めから新聞社の言い分を認めて「押し紙」はないものとして判決が下されていたと見受けられるから、当然の結果ということになる。
それが2007年6月19日、福岡高等裁判所で、その「押し紙」の存在を認めるかのような判決が下されたことがあった。
その判決文の中に、
一般に,新聞社は,新聞販売店に販売する新聞代金と新聞に掲載する広告料を主な収入としているため,その販売部数が収入の増減に直結することから,販売部数にこだわらざるを得ない。
そのようなところから,拡販競争の異常さが取り沙汰され,読者の有無とは無関係に新聞販売店に押し付けられる「押し紙」なるものの存在が公然と取り上げられる有り様である。
という部分があり、裁判所がその「押し紙」の存在を認めたとも受け取れる記述がある。
もっとも、この一事をもって、すべての新聞社に押し紙が存在するという根拠にはならんがな。
実際に、その押し紙などまったくない販売店も数多く存在するさかいな。
また、この裁判は、その経営権を新聞社から取り上げられそうになった販売店が、その身分保全のために起こしたもので、押し紙自体の是非について争われたものやないということもある。
ただ、これにより今まで以上に「押し紙裁判」が増えるという可能性は考えられる。
実際、ワシらが知る限りでもその後、幾つかその手の訴訟が提起されとるさかいな。
それでも、この判決があるからと言うて必ずしも原告の販売店側が勝訴するとは限らんがな。
どんな裁判も事案毎にケース・バイ・ケースやから、その結果はその時々で違う。
もっとも、今までのように一方的に無視されたような状況と違い、某かの影響があるとは考えられる。
積み紙というのは、この押し紙とは逆で、新聞販売店自らの意志で余分な新聞を買う行為のことをいう。
大型店と思われたいという見栄や改廃(契約解除による強制廃業)逃れなど理由は様々やが、こちらの積み紙については新聞社の積極的関与はあまり考えられんのやないかと思う。
この積み紙の存在も、押し紙裁判では販売店側に不利に働いてきたということがある。
新聞社からすれば、これは、販売店の虚偽報告による架空読者計上ということになる。新聞社が違反行為に指定していることやと。
つまり、どこまでが押し紙で、どの部分が積み紙かを判別する難しさというのがあるわけや。
加えて予備紙の存在もある。
突発的な事故や不配、試読紙といって公に認められている一週間の無料サービス分、契約時の半月以内の無料サービス分、あるいは販売店に直接買いに来る客用に備えるためにも予備的な新聞が必要になる。
押し紙行為を指摘する者は、新聞販売店に残紙として存在する余剰紙すべてが、そうやと指摘するが、それは違う。
押し紙はその中の一部というのが正しい認識やと言うとく。
しかも、それを裁判所は文書や書類の内容で判断するわけやから、どうしてもその認定をするには限界がある。
例え、2、3日でもええから担当裁判官が、その気になって当該の販売店に張り付いて徹底的に調べたら、分かるやろうがな。
まあ、そんなことは民事裁判では、よほどのことでもない限りすることはないやろうから、言うだけ無駄とは承知しとるけどな。
ただ、客観的事実として、工場出荷のままの残紙が多くの新聞販売店から古紙回収業者の手に渡っとるのは確かや。
これは、その気になればデータとして集めることもできる。
その数量は、実に新聞発行量の1割強に当たる37万トンにも上ると言われている。
日本の新聞古紙回収率が6割前後やから、それで計算すると新聞古紙量の2割弱もの残紙が存在しとるということになる。
これは、どう考えてもやはり異常な多さやと言うしかないわな。
その異常なことが、この業界では、今まで異常と捉えられてなかったわけや。
ワシにしても、押し紙、積み紙の存在を知ってはいても、長い間に培われた仕組みの一つやというくらいにしか思うてなかったさかいな。
一般にもそれほど知られてないのは、そういう報道が一切ないということもあるが、悪質な勧誘とは違い、購読者が直接、被害に遭うことがないからやと思う。
少なくとも、サイトのQ&Aには、その押し紙のために困ったという一般購読者からの相談は皆無やさかいな。
押し紙があろうが、なかろうが、それにより新聞代が別に徴収されるわけでも、安くなるわけでもない。
新聞代は、その新聞社毎に一律と決められとる。今のところ、何があろうがそれが崩されることはない。少なくとも公にはな。
積み紙は別として、押し紙による直接的な被害者は販売店ということになるが、そのための補助金や経営継続の保証もされとるのが普通やから、まったくのマイナスということでもないと思う。
これによる明らかな被害者は、折り込みチラシ業者ということになる。
新聞販売店には、公売部数と実売部数の二つの部数があるが、実売部数が表に出ることはほとんどない。
実売部数2500部に予備紙、押し紙、積み紙分の500部がある場合、それを加えた3000部が、その販売店の公売部数ということになる。
折り込みチラシ業者には、その公売部数3000部に対して折り込みチラシを納入するように指示する。
つまり、500部は水増し分ということになり、配ることのないチラシ代金を受け取るわけや。
厳密に言えば、これは詐欺ということになる。
もっとも、販売店としては「実売部数はこれだけしかないのですよ」と口が裂けても言えんという事情があるさかい、仕方のないことやとなるのやがな。
また、そういったチラシ業者が押し紙、積み紙などの水増し分がどのくらいあるか調べることができんというのもある。
それもあり、このことで摘発された販売店も訴えた業者も今までのところない。
直接、販売店に文句を言うた業者なら知っとるがな。
新聞店に依頼する折り込みチラシ1部の平均価格は3円程度や。500部の水増しがあるとしても1回分は1500円にしかならん。
折り込みチラシ業者がその事実を知らんという場合もあるが、例え知ったとしてもそれを取り返すために訴えるということは、まずないやろうと思う。
裁判費用の方が高くつき、費用対効果が得られんということもあるが、嫌ならそのチラシを入れるのを止めたら済む話やさかいな。
あるいは、その事実をつきつければ、次回からのチラシ代金の値引き交渉も容易にできると思われるから、するのならそうする方が賢い。
定期的に納入しとる業者なら、3円のところを2.5円くらいにはするやろうと思う。
0円になるか2.5円かの選択なら、普通は安くても利益になる方を選ぶやろうから、その交渉は成立しやすい。
また、業者によれば、最初からその水増し分を見越して、公売部数の1割〜2割減のチラシしか依頼せんケースもあるということや。
結果として、その押し紙に耐えきれず裁判に訴えた新聞販売店以外では、それほど大きな社会問題にはならんということになる。
もっとも、それは新聞販売店にとってで、新聞社の方は微妙なところやと思う。
新聞社の主張する「余剰紙を抱えているのは販売店の責任」という構図が崩れ、押し紙は新聞社主体で行われていると裁判所あたりで認定されたら、大きな社会問題に発展する可能性があるさかいな。
その押し紙裁判自体は、新聞紙面や新聞の影響の強いテレビ等で報道されにくいというのもあり、一般にはあまり知られてないというのが実状や。
もっとも、新聞社憎しで凝り固まった人たちは、それを格好の攻撃材料として、ネット上で使うとるがな。
しかし、その人たちでも、その押し紙、積み紙により、「背負い紙」が存在しとるというのは知らんようや。
それを取り上げとるHPやブログというのが、ほとんどないさかいな。少なくともワシらは知らん。
それには、その情報を得られんということもあるのやろうが、押し紙行為を叩くことで新聞社を攻撃さえできれば、それで良しという風潮があるからやと思う。
そのために被害者は、その押し紙による販売店止まりにしとく必要があると。
押し紙被害に泣く販売店が冒している間違いには触れたくないと。
そういうことがあるのか、押し紙裁判にも、背負い紙の存在のカケラすら登場することはなかった。
その「背負い紙」の被害者は、押し紙、積み紙による余剰分の新聞をさらに強制的に押しつけられる販売店の従業員たちということになる。
世の中の仕組みすべてについて言えることやけど、理不尽な事というのは、常に、立場の強い物からより弱い者へ順繰りに押しつけられていくという現実がある。
新聞社から販売店へ。販売店からその従業員へ。そして、従業員の中でも、店長、主任クラスから一般従業員へと、より立場の弱い人間に、その負担がのしかかるという構図になっとるわけや。
専業と呼ばれる販売店の従業員には勧誘のノルマがある。そのノルマが過酷な販売店も多い。
ウエノ新聞販売店では、月最低でも新勧(新規勧誘契約)で10本というのがノルマになっている。
それに加えて止め押しという担当地域の継続客の契約更新を100%要求される。
そのノルマがクリアーできたら問題はないが、なかなかそれが難しく、できん者の方が多い。
ツヨシがそうやった。
それに対して所長のウエノは厳しく、そのノルマが果たされへんかったら、ビンタまでされて厳しく叱責される。
その叱責を逃れる目的で「背負い紙」というのをする専業員が多い。また、それをウエノは強要することもあるという。
ツヨシはそれが積もり積もって毎月30部以上あるという。金額にして実に12、3万円にもなる。
販売店は押し紙として、新聞本社から半強制的に部数を押しつけられるというが、販売店は販売店で専業に、こういった背負い紙という形で新聞を買わすようなケースもあるわけや。
もちろん、表面的には、これは従業員の希望ということになる。あるいは、別人名義での購読という形にしろと言われる。
新聞社から販売店への押し紙と、まったく同じようなことが販売店からその従業員に対して行われとるということや。
結果、常に最下層の者が泣かされることになる。
それに、先の切り取り分の新聞代の立て替え払いが重なる。
「ですから、毎月、一生懸命に働いても手取りは、ほんの少ししかありません」と、ツヨシ。
「何やそれ? そんなことになっとんのに、何も言わずに我慢しとるのか」と、カンザキ。
「そんなの無理ですよ。所長はヤクザやという話ですし、言うのも怖いですよ」と、ツヨシ。
ウエノ自身がヤクザやないというのは、つい最近まで現役やったカンザキには分かっている。
ただ、ヤクザではないが、ヒラヤマのような大幹部とつながっているのは確かや。
もっとも、これは一般の人が勘違いしやすいことやけど、ヤクザと顔見知りというだけで、そのヤクザがその人間のために動くかどうかというのは別の話なんやがな。
必ずしも、ヤクザの知り合いがいとる人間=ヤクザやないさかいな。
表面的には友好な付き合いのように見えていても、堅気とは一線を画しているのが普通やさかいな。
言えば、ヤクザにとって堅気の知り合いとは単なる金のなる木、お客さんでしかない場合が多い。
その堅気のために動くことがあるとすれば、それ相応の金、あるいは利益を得られる場合くらいのものや。それ以外で動くことはまずない。
素人が「オレのバックにはヤクザがいる」と言うのは、たいていの場合、ただのハッタリで言うてるだけというケースが大半や。
つまり、お互いがお互いを利用できればええという薄っぺらな関係にすぎん。
したがって、その程度のハッタリで怖がる必要はあまりないのやが、素人さんにとっては、それでも脅威になる。
まあ、素人さんは、そう考えとった方が無難かも知れんがな。そんな、ややこしいことを言う相手に絡むのは避けた方がええと。
しかし、カンザキは違う。
カンザキはヤクザでありながら、筋の通らない、曲がったことが嫌いな男やった。損得で動くということもあまりない。
ヤクザの中にも、ごく稀にそういう人間がいとる。数は少ないがな。
カンザキは自分のために良くしてくれ慕ってくれとるツヨシのために、何とかしてやろうと考えた。
また、このケースは、ヘタをすると自分の身に降りかかることになるかも知れんから、よけいほっとくことはできんというのもあった。
例え、ウエノがヒラヤマに泣きついたにしろ、理はこちらにある。話せば分かって貰える。
カンザキは、そう考えて、ウエノに直談判することにした。
「所長さんよ、ツヨシから聞いたけど、背負い紙たらいうのは止めにしたれや」と、カンザキは現役さながらの迫力で迫った。
ウエノもカンザキが、つい最近まで現役のヤクザやったというのを知っとるさかい、そう凄まれて気後れしたようや。
「そ、それは何かの勘違いと違うか。ワシは何もそんなことをしろとは一言も言うてないで。それは、ツヨシが勝手にやったことや」と逃げた。
「そうか。それなら、ツヨシの判断で、その背負い紙分の負担はもうせんでもええのやな」
「あ、当たり前や」
「分かった。それならそれで、ええんや。えろう、すんまへんでしたな」
カンザキは、それでその場は引き下がった。
それから数時間後、ヒラヤマから電話が入った。
「どや、カンザキ、真面目にやっとるか?」
「おかげさんで、楽しゅうやらせて貰ってます」
「そうか、それは良かった。それはそうと、カンザキよ、頼むからワシの顔はつぶさんといてや」
その一言で、カンザキはすべてを察した。
先ほどのことで、ウエノがヒラヤマに泣きついたと。
「へぇ、それは良う分かってます」
カンザキは、その場はそう答えるしかなかった。
普通、元ヤクザと知って雇う新聞販売店の経営者は少ない。それも、名の通った組織の元組員というのなら、よけいや。
その人間が何か問題を起こせば、新聞販売店としてはまずいことになる。
それでも、ヒラヤマの頼みを聞いておけば、後々何かと都合がええという計算がウエノに働いたと考えられる。
広域暴力団Y組の傘下組織の若頭代行との付き合いは、それだけで十分役に立てることがあると。
おそらく、ウエノはカンザキを引き受ける際に、ヒラヤマに念押しした可能性がある。
カンザキが問題を起こしそうになった場合、それを押さえてくれと。
それがありウエノはヒラヤマに電話した。それで片がつくはずやと信じて。
カンザキも、今まで世話になったヒラヤマの顔をつぶすような真似はしたくない。
できれば矛を収めたいが、ウエノのやり方は狡猾すぎる。
ヒラヤマから「今回のことは泣いてくれ」と言うのなら、「この先、二度とないように約束してくれたら、そうします」ということでカンザキも引くことができた。
ツヨシにも、「もうこれからは、背負い紙や切り取りの心配はせんでもええ」と言えるしな。
それをウエノは、ヒラヤマには何の事情も言わず、おそらくはカンザキが我が儘勝手なことを言うて困るといった程度の説明をしたのやろうと思う。
ヒラヤマほどの人間なら、その事情を言えば、カンザキの希望する通りの落としどころを提示して話は簡単に終わっていたはずや。
それではウエノの方が困るさかい、何も説明せんかった。
カンザキはそう考え、冒頭にあるとおりウエノに詰め寄ったわけや。
「それに、お前の言うヒラヤマさんて誰や? オレは知らんで」と、さらにウエノはとぼけた。
その一言で、カンザキは完全にキレた。
知らんはずはないのに知らんと言う。
この時、販売店の経営者はそうせなあかんということに、カンザキは考えがおよばんかった。
世話になったヒラヤマをコケにされたと考えた。
次の瞬間、カンザキはウエノの顔面にパンチを浴びせていた。
「な、何をするんや!! お前はクビや!!」と、ウエノが両手で顔を押さえながら喚いた。
カンザキは自身の気の短さに後悔したが遅い。
こうなったら辞めるしかない。
しかし、けじめだけはつける。
カンザキはウエノの胸ぐらを掴み、「お前の望みどおり辞めたるが、ツヨシにまた同じような真似をしたら、何度でもドツ(殴る)きに来るで、分かったか?」と、脅かした。
ウエノは小刻みに首を縦に振った。
幸い、そのことは、その事情を知らされたツヨシ以外には誰も知られずに済んだ。
ウエノも警察沙汰にはせんかった。
もっとも、そのことが公になって新聞ネタにでもなれば販売店もまずいことになりかねんという計算が働いたのやろうがな。
その事情を知ったツヨシから、ワシらに相談のメールが入った。
「何とかなりませんか」と。
ワシらは、相談相手がヤクザであろうが、誰であろうが請われれば、新聞に関係するトラブルなら、どんな相談でも受けて、できるアドバイスは何でもする。
しかし、それはその本人がそう希望した場合に限る。
いくら知り合いが困っているからと言うても、本人がそう望まん限りは何を言うても無駄やと考えとるさかいな。
それに今回のことは、事が起きてしもうた後やさかい、もう遅い。
唯一、手があるとすれば、その所長に詫びを入れて許して貰うくらいやが、話を聞く限り、そのカンザキという人間では、そうすることはできんやろうと思う。
カンザキのケースとは違うが、過去に元ヤクザの新聞販売店の従業員が引き起こした傷害事件というのが、サイトのQ&Aにある。
『NO.116 新聞販売店リストラ殺人未遂事件について』(注2.巻末参考ページ参照)というのが、それや。
これは、山岡俊介氏という有名なジャーナリストのブログにあった記事について、ある読者から意見を求められ、氏の許可を得て掲載したものや。
その中で、ワシは、
元ヤクザの思考というのは、元いた組の自分の地位で物事を考えやすいということがある。
B氏はヤクザ組織の中では相当、上の人間やった可能性がある。少なくとも、ここの所長クラスは大したことはないと考えとったはずや。
ここの所長がこのB氏を雇い入れた経緯は知らんが、煙たい存在やったのは間違いないやろうと思う。
『B氏が犯行に加わらなかったのは、A経営者等がB氏を信用してなかったためだという』というのがすべてを物語っとったと思う。
従業員に盗みをやらせるほど強権を持つと思われる人間が遠慮しとったわけやからな。
更にB氏の抗議にも、このA経営者は耳を貸さず、B氏を抑えるために、ヤクザを使うたと言う。
それも地元の相当上のクラスらしい。それでないと、このB氏を抑えることができなんだのやろうと思う。
ここで、何があったか分からんが想像はつく。加えて首切りとなり、我慢の限界を超え犯行となったということのようや。
任侠映画辺りに良うある話や。はっきり言うてこういうことをすると負けや。
どんな正義があろうとあかん。映画なら、その場面でエンディンクとなるから格好ええで済むかも知れんが、現実の世界はそうはいかん。
力で解決出来ることは何もない。
最後の犯行以外は、すべてB氏に利のあったことが、これで消える。消えるどころか、悪者にされても何も言えんことになる。
このB氏は、なまじ自分に自信があるからこうなる。ワシら拡張員の中にも、元ヤクザで真面目に仕事をしとる者もおる。
しかし、何かの弾みで昔のヤクザやった頃の顔が覗く。
ワシは、そういうとき、決まって「ヤクザに戻りたいんか」と聞く。答えは「戻りたぁない」や。
「それなら、何があっても辛抱せい」とワシは言う。
そいつはヤクザが嫌で辞めた。しかし、持ってる思考というのはそう簡単に変えられんようや。
元ヤクザということは、それを辞めたと思うてても何か事があると、それに気持ちが戻ることがある。
どこかで、人に舐められたぁないという、しょうもない面子みたいなもんにこだわるわけや。
結局、それは気持ちが弱いということの証にしかならん。ワシはそう言うて、そいつに諭すように言うたことがある。
起きてしもうたことを後からとやかく言うても、結果論でしかないが、こんな場合は我慢してやられっぱなしになっとる方がええ。
強い者が弱い者のふりをするというのは、恥でもなんでもない。
むしろ、本物の男やと言うてもええ。格好ええことや。傍目にどう映ろうともな。この辺のところは武道家のあんたには良う分かることやと思う。
やられたことを警察に訴えるなり、裁判を起こすなり反撃する方法はいくらでもある。
ヤクザに脅されたというのなら、それも出る所へ出て訴えたらええ。それが、賢い人間の対応や。
そうすれば、この件ではB氏は正義の摘発者ということになり、不当なリストラをされた被害者になるから世間の同情も引ける。
その後の交渉や闘いも有利になる。結果的に、この経営者に与える打撃は襲うてケガをさせるより効果はあったやろうと思う。
小学生の子供二人を抱えとるということなら、そうするべきやった。もっとも、このB氏もその行動は悔やんどるかも知れんがな。
しかし、現実に包丁を持って襲うたということで、この殺人未遂事件の報道では新聞各社はリストラを逆恨みされたためと報じるということになる。
それで、正義の声もただの遠吠えになったわけや。
と言うた。
カンザキの場合も、事件の大きい小さいという差はあっても、それが当て嵌まるのやないかと思う。
すぎたことは仕方ないが、これからも人生は続いていく。
カンザキという男に聞く耳があるかどうかにもよるが、次回に活かすためにも、そのことを教えてやったらどうかと、ツヨシには言うといた。
本人から、もっと詳しい事情を教えて貰い、どうしたいかということが聞ければ、また違ったアドバイスができるかも知れんが、今回のことでは、ここまでが限界や。
最後に一言。
現在、このケースの他にも、悪質な経営者に泣かされていることに我慢ならず、暴力に訴えたい、あるいはその一歩手前やと言うて来られる人が少なからず、おられる。
その人たちには思い止まるように言うとるが、この話のウエノのような経営者がなくならん限り、いつまた、この手の事件が起きんとも限らん。
それが大事件に発展する可能性もある。
従業員に恨まれていそうやという心当たりのある人は、それと気づいたら、なるべく、その危険のないような接し方に変えるようにした方がええと言うとく。
人に恨みを買うというのはロクなことにならんさかいな。
また、そういう経営者憎しに囚われとる人は、先にそうした場合の結果を想像することを勧める。
やってしまってから、起きてしまってから、その事を悔いても遅いさかいな。
参考ページ
注1.第85回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞特殊指定について
注2.NO.116 新聞販売店リストラ殺人未遂事件について
ゲンさんの新聞勧誘問題なんでもQ&A選集 電子書籍版パート1
2011.4.28 販売開始 販売価格350円
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