メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第172回 ゲンさんの新聞業界裏話

発行日  2011.9.23


■新聞トラブルあれこれ その6 許されない、その逃げ得


アパートの玄関チャイムが鳴った。

コウイチは何気なくドアを開けた。

その刹那、

「あっ!!」

「あっ!!」

と、コウイチと玄関先に立っていた同年代くらいの若い男が同時に驚いたような声を発した。

考えられない、あり得ない偶然の再会だった。少なくとも、コウイチにとっては、そうとしか思えんかった。

「あんた、こんな所に引っ越ししてたんか」と、その若い男。

男の名前はケンタ。新聞拡張員やった。

「あんた、店に黙って引っ越ししたらあかんがな。引っ越しするときは、引っ越しすると言うてからにしてくれて、あれほど言うといたやろ?」

「ええ、まあ……」と、決まりが悪そうなコウイチ。

「あんた、自分が何をしたんか良う分かってないようやな」

約半年前。

ケンタは、あるバンク(新聞販売店の営業エリア内)で叩いて(訪問)いた。

その日は調子が悪く、それまで坊主で1本も契約が取れてなかった。

後、1時間で上がり(営業時間終了)というときに、あるアパートでコウイチと出会った。

そのときも、コウイチはすぐに玄関ドアを開けた。

この拡張の仕事は、そういうケースが極端に少ない。たいていはドア越しに断られて終いというのが多い。

それもあり、玄関ドアが開けば、まさに突撃という感じで意気込む拡張員は多い。このチャンスを逃してなるものかと。

ケンタもそうやった。

「新聞の勧誘員さん? 悪いけど、もしかしたら来月引っ越しするかも知れへんから契約するのは無理ですよ」と、コウイチ。

「もしかしたらということは、引っ越ししない可能性もあるということですか?」と、ケンタ。

「ええ、会社の都合でもう少し先になるかも知れませんけど……」

「どのくらい?」

「長くて3ヶ月後くらいかな」

「分かりました。それでは、その3ヶ月後からで結構ですので契約をして頂けませんか」

「そんなことをしても意味がないでしょう?」

「いえ、そんなことはありませんよ」

新聞購読契約は引っ越しすると決まれば、契約者の意志次第で契約を続行することも、断ることも自由にできる。

契約書によれば裏面に「お引っ越しの期日が決まりましたら当店までお知らせ下さい。当店から系列の販売店に新住所へ連絡します」という一文があるものもあり、それを決まり事と勘違いしとる、あるいはそのように契約者に言う販売店の人間もいとる。

新聞の契約は、新聞社と契約者との間の契約やと考えておられる一般の人が多いようやが、それは違う。

正しくは、その新聞販売店と契約者のみの間で有効な契約や。

新聞社は一般購読者との間の契約には一切関与しないというのが、建前であり公式の立場ということになっとる。

唯一の例外は電子新聞で、逆にこれは新聞販売店の介在は一切なく、直接、新聞社と契約者との契約になっている。

しかし、これは期間の定めのない自動継続契約やから、契約者はいつでも解約することができる。

契約者次第で解約できるということで言えば、引っ越し客と同じということになる。

それもあり、今のところトラブルは、ほとんどないようや。少なくともサイトのQ&Aには届いていない。

敢えて言えば、『NO.1027 電子版オンリーの契約だとサービスはなくなってしまうのでしょうか』(注1.巻末参考ページ参照)くらいかな。

電子版で契約すると物品のサービスは一切なくなる。それをボヤいておられた読者からの投稿やった。

もっとも、新聞社の言い分は紙の新聞にない情報、記事を掲載するので、それをサービスと考えてほしいということらしいがな。

今のところ電子新聞の人気は極端に少なく、紙の新聞から比べたら微々たるものでしかないようや。

そして、それは今後もあまり変わらんと予想する。

いつになるかは分からんが、新聞社もワシが常に言うてる「新聞は売り込まな売れん」ということを身を持って知る日がくるやろうと思う。

紙の新聞の場合は、その大半が期間の定めのある契約やから、その期間は縛られる。

クーリング・オフや不法、不正行為以外の理由では簡単に契約解除ができんことになつとる。

原則、すべての契約は法律で保護されることになっとるさかいな。

ただ、引っ越しする場合のみ例外とされるケースがある。

新聞には宅配制度というものがあり、各新聞販売店毎に配達エリアというものが厳格に決められている。

それを超えて配達することができんことになっている。

但し、引っ越し先にその販売店と同一の経営者が営業している店舗、もしくは同じグループ店があるというのなら、例外的に継続契約になる場合もある。

つまり、その販売店から引っ越し先に新聞を配達することができるかどうかで、引っ越しによる解約が容易にできるかできんかが決まるということや。

その販売店グループから配達することができん状態なら、「債務不履行」ということになる。新聞を配達できんのやから、必然的にそうなる。

当たり前やが、この「債務不履行」は契約解除の正当な理由として扱われる。

せやから、引っ越しの場合のみ、その新聞の継続が嫌なら、断ることができるということや。

しかし、その場合は中途解約として扱われるから、契約時に貰った物、サービス分は返還をする必要がある。

継続となれば、その必要はないが。

「どちらに引っ越しされるのですか?」

「愛知県の方ですけど」

「引っ越し先で新聞を購読されるのでしたら、今契約された方が得ですよ。あの辺りは、ここに比べたらサービスが悪いですから」

「どう違うのですか?」

「失礼ですけど、お客さんは、どんなサービスがお望みですか?」

「今までは商品券を貰ってましたので、それですかね」

「それでは尚のこと、愛知県では無理ですよ。商品券のサービスはありませんから」

他紙には、商品券サービスのある販売店もあるようやが、ここは営業トークとして「ない」と言い切った方がええとケンタは判断した。

それにケンタの勧誘する新聞には、それがないのは事実やから、まんざら嘘をついてるわけでもないしな。

「お宅と契約したら商品券を貰えるということですか?」

「ええ、特に私の場合はサービスしますよ」

ケンタは何としても1本の契約が欲しかったために、そう言うた。

「どのくらい?」

コウイチは明らかに乗り気になっている。

「普通、この辺りでは1年契約で5千円の商品券というのはご存知でしょうけど、今回だけ特別に1万円の商品券を差し上げますので」

こういう場合、細かな駆け引きをするより一気に押した方がええと、ケンタは経験的に知っていた。

販売店の条件は1年契約で5千円の商品券が上限やから、後の5千円分はケンタの負担になる。

1年契約の拡張料は8千円やから、差し引きすると3千円の利益しか出んが、それはこの際、仕方ない。

引っ越し客には、稀にそういう無理をして契約にすることがケンタにはある。

もっとも、引っ越し予定のない客にそうすることは、まずないがな。

そんなことをすれば、すぐにバレるし、ここでは販売店の上限は厳しく言われているので、ヘタをすると出入り禁止ということにもなりかねん。

購読客には、今回だけとか私だけのサービスというのは通用しない。

それは勧誘員が勝手に言うてるだけで、そのサービスはいつでも可能なものやと思い込む人の方が圧倒的に多い。それで十分利益が出るはずだと。

必然的に、次の継続契約の際にも同じサービスを要求する。

そういう客が増えたんでは、何のために上限を設けとるのか分からんようになって困るというのが販売店の言い分や。

当然、そんな勧誘をする拡張員には入店してほしくないとなる。

その点、引っ越し客なら、その販売店エリアにはいなくなるし、転居した先のサービスよりこちらの方がいいと強調して納得して契約を取っとるわけやから、クレームが発生することは、まずない。

本当に一度だけのサービスで済む。

それで、コウイチが簡単に承諾した。

ケンタはこのとき、コウイチがヤケに簡単に応じたなという印象を持ったが、客の中にはそういうあっさりとしたタイプもいとるさかい、それが特におかしなことやとまでは、このときには考えんかったという。

それよりも、1本の契約を確保した安堵感の方が強かったと。

ただ、「これは是非、守って頂きたいのですが、引っ越しされるのが決まられた場合は必ず販売店にそう仰ってくださいね。そのように販売店には伝えておきますので」とだけは念を押した。

しかし、コウイチは黙って、引っ越した。

2ヶ月後、その新聞販売店が翌月からの配達の連絡しようとしても連絡が取れなかったので、そのアパートの部屋に行ったら、蛻(もぬけ)の殻(から)になっていたという。

ケンタの団に販売店から、それが「不良カード」として回されてきた。

決まりで、こういう場合は、その拡張料の返還と店が出した5千円分の商品券をペナルティとして、担当の拡張員が肩代わりすることになっていた。

加えて、ケンタが余分に渡した5千円分の商品券も泣く羽目になった。計、1万円の出費ということになる。

しかも、そうしたからといって誰にも同情はおろか評価すらされることはない。不良カード保持者として信用を落とすだけのことにしかならん。

ケンタにとっては踏んだり蹴ったりやった。

それもあり、目の前にいるコウイチは金銭的な損害と信用の両方を奪った憎い相手ということになる。

ここで会ったが百年目。実際は、半年しか経ってないが、きっちり片をつける。

そう意気込んだ。

「あんた、こんなことをしたのは初めてやないやろ?」

普通の人間なら、あれだけ念を押しておいて、そのまま引っ越しするというケースはまずない。

少なくとも、ケンタにとっては初めてのことやった。

例え、引っ越し先で新聞を購読する気がなくなったとしても、正直にそう言うて引っ越しをすれば、販売店には5千円分だけの商品券さえ返せばええと言うてある。

つまり、最悪でも5千円分の商品券は得をすると。

ケンタとしては、例えそうなっても仕方ないと最初から覚悟はしていた。

それも織り込み済みで、その場の1本の契約を獲得したかったわけや。

それを無視して丸儲けして逃げようというのは、よほど場数を踏んでないとできん。

ケンタはそう見た。

もっとも、それにはワシらのメルマガの影響も大きかったと後に、そのケンタから寄せられたメールにあったがな。

それは旧メルマガ『第32回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■拡張員泣かせの人々 Part1 引っ越し取り込み』(注2.巻末参考ページ参照)を見ていたので、もしやと思い、「あんた、こんなことをしたのは初めてやないやろ?」と、カマをかけたのやと。

「ええ、実は……」

コウイチは、あっさりと、それを認めた。

コウイチの仕事は早くて1年、長くて3年以内には転勤するケースが多い。

新聞はその都度契約して、引っ越し前までには終わるようにしていた。

ある日、いかにも柄の悪そうな拡張員がやってきた。

そのときには、「引っ越しするので契約はできません」と断った。

すると、「引っ越しした後の日付でええから契約してくれ。引っ越ししたら新聞を取る必要もなくなるし、そうしてくれたらこの商品券も返さんでもええから。そうして貰えるとオレもノルマが達成できて助かるんや。助けると思って頼むわ」と、必死に掻き口説いてきた。

断ると、その柄の悪そうな拡張員が豹変するのやないかという恐怖と、丸々得になるのは悪い話やないとの思いで、そのとおりにした。

空契約に商品券のサービスをつけて売る側が得をするはずがないというくらいは誰にでも分かる。

しかし、欲がその疑問を打ち消してしまった。

売り込む人間が、そう言うとるのやから、何も悪いことをしているわけやないと自身を正当化して、その先を考えるのを止めた。

人は、一度そうしてしまうと、それが当然のことのように錯覚してしまう。

コウイチも同じで、そうすることの罪悪感は一切なかったという。

いつしか、コウイチは、引っ越しが決まったときにやって来る拡張員を相手に、その度、空契約をして、商品券だけを貰って逃げるということを繰り返すようになった。

「あんたのやってきたことは詐欺になるんやで」

「詐欺……ですか」

コウイチは、そんなことなど考えたこともなかった。

ただ、そう言われてみれば、契約すると言って商品券だけを貰って逃げてたわけやから、詐欺罪の成立要件である「人を欺いて財物を交付させたり、財産上不法に利益を得たりする」に該当するというのは分かる。

「それで、警察に捕まるんですか?」

「さあ、それはオレには何とも言えんな。どこかの販売店が被害届けでも出してれば、そういうこともあるかも知れんが、引っ越しで黙って消えたくらいで被害届を出すような販売店はないと思うから、その心配はせんでもええのと違うかな」

「あなたは?」

「オレは、はいそうですかとは言えんわな。きっちり、落とし前はつけて貰うで。できんと言うのなら警察に行くしかないが」

ケンタは少し、脅し気味にそう言った。

「ど、どうすれば?」

「まあ、ここは一応、逃げた分の1年契約して貰うしかないな」

「分かりました」

コウイチは観念したように、それに応じた。

その契約書にサインした後、コウイチは、「それにしても、こんな偶然もあるんですね」と言った。

「確かに偶然と言えば言えるかも知れんが、出会うべくして出会うたとも言える」

「えっ? どういうことです?」

一般的な新聞拡張員は数店舗から数十店舗と数多くの新聞販売店に行って勧誘するのが普通や。

新聞社や地域によっても違うが、新聞拡張団によれば、かなりの広範囲の勧誘を受け持つことがある。

その範囲は、都道府県市町村といった自治体の区切りで決まるということはない。

営業範囲が複数の県に跨るということも珍しくない反面、三重県のように北部が関西方面の領域で南部が東海エリアに属するというケースもある。

一定の決まりというのは、その地域毎にしか存在せん業界やと言える。

普通、新聞販売店の営業エリアは、県境に店舗を構えるケースを除いて、複数県に跨って営業エリアを有するということはない。

その点で言えば、たいていは他府県に引っ越しすれば、まず発覚することはない。逃げ切れる。

しかし、拡張員は違う。

例えば、ケンタの所属する拡張団では和歌山県南部から三重県中部、南部、名古屋市を除く愛知県の全域、岐阜県の一部までの広範囲に渡ってカバーしとる。

ちなみに、コウイチは三重県南部から愛知県に転居したわけやが、その範囲はケンタの営業エリア内やったということになる。

コウイチは、当然のように引っ越しした直後は、いつもそうであるように地元の販売店からの勧誘を断った。

断られた転居者については拡張員に任せる新聞販売店が多い。

今回はそれをケンタが請け負っていた。

その意味で言えば、この再会は必然やったとも言えるわけや。

但し、ケンタの所属する拡張団には50数人の拡張員がいとるから、ケンタがこのエリアに入って、コウイチ宅に訪れる確率はその分、低くなる。

それからすると、この出会いは偶然の領域ということになるかも知れん。

ただ、コウイチの住む地域には何度となく入るわけやから、いずれは遭遇することになる可能性はあった。

それが故に、「確かに偶然と言えば言えるかも知れんが、出会うべくして出会うたとも言える」と言うたわけや。

「つまり、悪いことはできないということですか」

他人事のように、コウイチがそう言う。

どうもコウイチは、逃げたことより、ケンタに見つかったことを悔やんでいるようやった。

運がなかったと。

「まあ、世の中、そんなに甘くはできてないということやな」

サイトに時折、「このまま黙って引っ越ししようと思いますが、どうでしょうか?」といった類の相談メールが舞い込むことがあるが、たいていの人には新聞販売店から逃げることはできるやろうとは言うた。

しかし、拡張員から逃げ切れるとは言うてない。

可能性としては、今回のような偶然があるさかい、そう断言することはできんかったわけや。

ワシにしても、旧メルマガの『第16回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ここで遭ったが何年め?』(注3.巻末参考ページ参照)で似たようなことがあったさかいな。

そのときには、それは滅多にない偶然やったと考えていたけど、今回ケンタからのメールで、あながち偶然ばかりではないなという気になった。

相も変わらず、引っ越しすると分かっている客に、「引っ越しした後の日付でええから契約してくれ。引っ越ししたら新聞を取る必要もなくなるし、そうしてくれたらこの商品券も返さんでもええから」という話を持ちかけてくる拡張員がいとるようやが、それを真に受けん方がええ。

今回のようなことがゼロではないし、ケンタは実利を優先したが、拡張員の中には、それでは腹の虫が収まらず、警察に通報するというケースもあるかも知れんしな。

それで詐欺罪が立件されて逮捕になるかどうかは、そのケース毎で何とも言えん部分もあるが、僅かでもそうなる愚は避けといた方が賢明やと思う。

新聞のサービス品を持ち逃げして詐欺罪や横領罪で捕まりでもしたら体裁も格好も悪いやろうしな。

上手い話やおいしい話には、必ず裏があり、落とし穴がある。甘い話には辛い結果が待っている。

そう考えて用心した方がええ。結果的にそれが身を守ることになると思う。



参考ページ

注1.NO.1027 電子版オンリーの契約だとサービスはなくなってしまうのでしょうか

注2.第32回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■拡張員泣かせの人々 Part1 引っ越し取り込み

注3.第16回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ここで遭ったが何年め?


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