メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第175回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2011.10.14
■新聞販売店物語 その5 切り取り行為に隠されたカラクリの是非
10月10日、午後9時。ヤマダ新聞販売店での業務終了後。
「皆さん、今月も、よく頑張ってくださって本当にありがとう。おかげで、今月も100パーの集金ができました」
店長のハヤマが立ち上がって、コップに入ったビール片手で上げながら、そう口火を切った。
「また来月に迫った年定数日も、ほぼ間違いなくクリアできそうです。明日は休刊日ですので、今夜は大いに飲んで鋭気を養ってください」
深く深呼吸をした後、ハヤマは「それではヤマダ新聞販売店の前途を祝して、乾杯!!」と力強く乾杯の音頭を取った。
それを皮切りに「乾杯!!」、「乾杯!!」、「乾杯!!」とあちこちから、それに呼応する声が響き、続いて拍手が湧いた。
それで月一度の定例となっているヤマダ新聞販売店の宴会が始まった。
その場になっている会議室には所長のヤマダと店長のハヤマ、および正社員13名が集まっていた。
ヤマダ新聞販売店は、その地域では超優良販売店として知られていた。
公売部数が1万部を超えていて、俗に業界で「万紙販売店」と呼ばれている大規模店である。
予備紙も常時200部以下しかなく、業界の公認許容範囲の2%以内というのを忠実に守っていて、他の新聞販売店にありがちな「押し紙」、「積み紙」といったものは一切なかった。
その参加者の一人である正社員のトシオも「押し紙」の存在は知っていたが、「積み紙」や「背負い紙」については、まったく知らなかった。
それを知ったのは、つい最近のことで、何気なくネットで、このメルマガを見つけて、その面白さに嵌り、過去のバックナンバーを読み進めていくうちにそれがあると知ったという。
店長のハヤマが乾杯の音頭を取る際に言うていた『また来月の年定数日も、ほぼ間違いなくクリアできそうです』ということについてやが、ここに出てくる定数日というのは、正しくは定数管理日と呼ばれているもので業界の締め日を意味する業界用語や。
これには月定数日、年定数日というのがあり、それぞれ月毎、年毎の部数を新聞本社に報告する日を、そう呼んでいる。
新聞実売部数の確認が主で、その増減を確定する日でもある。主に月初めに設定されいるケースが多い。
その日に成績がマイナスになる、つまり、部数減になるということは絶対と言うてええくらい許されんという認識が業界にはある。
特に、このヤマダ新聞販売店では、その思いが強いさかい、よけいそのことに拘(こだわ)る。
それがために、スピーチでも、その成果を強調しとるわけや。
年定数日に部数減があれば、優良店という評価はされんさかいな。
そればかりやなく、その成績次第では「改廃」と言うて、ヘタをすると強制廃業に追い込まれることすらある。
ちなみに、店長のハヤマが『来月の年定数日』と言うてたのは、11月3日のことや。
その日までに、契約切れで減る部数が、新たに獲得した契約部数により上回り、新聞社の指定する部数をクリアできれば問題はない。
それがクリアできない販売店が多い中、このヤマダ新聞販売店では、ここ数年、毎年のように、それが達成できていた。
専業と呼ばれる正社員の勧誘営業のレベルが高いということもあるが、入店してくる拡張員たちの評判の良さというのもあった。
それには徹底した「案内拡張」をしているということが大きかった。
案内拡張というのは専業と呼ばれる正社員が、拡張に来た拡張員を任意の地域に連れて行って勧誘させるやり方のことをいう。
別名、ひも付き拡張とも呼ばれているもので、普通は一人の専業で一人の拡張員、もしくは2〜3人くらいまでの案内をする。
この、案内拡張をさせるには、いろいろ理由がある。
最大の理由は、現読もしくは約入り(先付け契約済み)の読者の訪問を避けるためや。
案内人は詳細な住宅地図を持って、現読、約入りの家を避け、新規客、もしくは過去読の家を拡張するように拡張員に指示する。
この場合、原則として、その契約の真偽を調べる監査というものはない。店の者がついとるからその必要はないということや。
また、案内人には拡張員の仕事を見せることで、その専業に拡張を覚えさせようという狙いもある。
案内付きの拡張の場合、ほとんどの拡張員がまじめに仕事するから、ええ参考になるというわけや。
まさか、専業の監視する前で、喝勧やドアを蹴飛ばしたり、悪態をつくような真似はできんさかいな。そんなことをしたら一発で出入り禁止にする。
必然的に評判のええ拡張をするしかなくなるわけや。
実際、それもありヤマダ販売店では勧誘のトラブルというものが、ほとんどなかった。
顧客とのトラブルがなければ、当然、約切れで逃げる顧客も減ってくる。
加えて、優良店であるが故に、新聞社からのノルマ部数が他と比べて甘いということもあった。
万紙販売店でありながら、数10部程度の部数増というのが毎年のノルマやったさかいな。
それが楽なということもあるが、万が一の場合でも、その程度やったら、どうとでも絵を描くことができるという安心感もあるはずや。
もっとも、今までその必要はなかったということやがな。
ただ、その余裕があるから、殊更(ことさら)、個々にきつい勧誘のノルマを課さずに済んでいるという。
従業員の待遇も他の店と比べても、ええ方の部類に入る。
社会保険などの福利厚生はすべてあり、労働時間も特に厳しすぎるということもない。
早朝の午前1時30分から5時までというのは一般の新聞販売店と大差ないが、昼は午後3時の出勤で夜は8時30分までが勤務時間ということなっていて、実質的な拘束時間は8時間やから、一般の仕事と変わりがない。
この業界では、その拘束時間が14、5時間もあるという過酷な新聞販売店はいくらでもあるさかい、それと比べれば天国のような職場と言える。
休みも月4日と休刊日の計5日ある。
それでいて、トシオはこのヤマダ新聞販売店に勤め出して1年ほどになるが、給料の平均手取りが30万円を下ったことがない。
ボーナスも働き出して4、5ヶ月やったのに夏で15万円貰った。同僚の話からは、冬のボーナスはもっと期待できるという。
もっとも、それがええやろと強調せなあかん業界の実状というのも、どうかとは思うがな。
ただ、そういうこともあってヤマダ新聞販売店では辞める者が極端に少ない。
従業員に苦情がなく辞める者が少ない販売店というのは、それだけで店の雰囲気もええさかい、自然に仕事に対する意欲も湧いてくる。
そして、それは、それぞれの顧客管理にも好結果を呼ぶ。
当たり前やが、従業員が定着すれば客からの信用もそれだけ高まる。
また、その顧客を大事にすることが、そのまま給料の査定にも響くシステムになっとるというから、よけいそのことに気遣うようになる。
当然のように逃げる顧客も減る。
逃げる顧客が減るというのは、単にそれだけのメリットやなく、他の販売店で揉めた客、逃げた客を取り込めるということにもつながる。
それは、顧客が、そういう他の店の客やった人間に「あら、うちの販売店さんだったら、そんな変なことはしないわよ。そんな新聞止めて、こっちの新聞にしなさいよ」と勝手に営業して貰えるということがあるからや。
評判の良さというのは、客が客を呼ぶということが往々に起きるわけや。
ワシは、それを目指すようにと常日頃から提唱しとるが、それができている店は、そんなことを言わずとも、そうなっているということなんやろうな。
もちろん、それにはその店の経営者や店長などのトップの考え方、姿勢が素晴らしいからやろうと思う。
そして、これも真理やが、ええトップのもとには、ええ従業員が集まると相場が決まっとるということがある。
すべてが好循環するようになっとると。
今にして思えば、このヤマダ新聞販売店に勤めることができて、すごくラッキーやった。
そうトシオは考えていた。今の今までは。
その疑問というか、疑惑が湧くようになったのは、ワシらのメルマガのバックナンバーを読むようになってからやと言う。
乾杯の音頭を取る際、店長のハヤマが『おかげで、今月も100パーの集金ができました』と、誇らしげに言うてたが、その内情を良く知る者からすれば、それは当然のことやとトシオは思う。
どういうことか説明する。
このヤマダ新聞販売店での集金業務は、トシオら区域担当者の正社員と「スマイルパートナー」と呼ばれる集金の女性数人で行われている。
その比率は、ほぼ同じやった。
トシオが区域担当者になったのは、つい最近のことで、ヤマダ新聞販売店では正社員やからと言うて誰でも、すぐにその責任者に据えるわけやない。
その人物評価と永続性のあるなしを厳格に判断してトップダウンで決められる。
以前は正社員のみで集金を行っていたという。
今でこそ、ヤマダ新聞販売店は超優良販売店ということで通っているが、つい数年前までは、そうでもなかった。
その頃は、他の新聞販売店と同じで、このヤマダ新聞販売店でも専業(正社員)の離職率がかなり高かった。
同じ地域で年に数回集金人が変わるということもザラにあったと聞く。
その集金人の中には、ツメが汚い、フケが肩に落ちている、タバコ臭いなどいった理由で評判が悪い者も多く、その苦情がもとで離れていく顧客も少なくなかった。
そして、そういうだらしない人間の多くは客にも横柄な態度を取る傾向にあるから、よけいにその評判を落とすことになる。
中には、その集金した金を持ち逃げする者もいた。
それを何とかしようと店主のヤマダは考えたが、具体的に何をどうすればええのかが、皆目分からんかった。
ヤマダは親から引き継いだということもあり、従来のやり方しか知らない。その取り巻きもそれは一緒やった。
それまでは、それでええと思ってやっていたが、年々減少する部数に歯止めがかからず危機感を募らせていた。
このままでは改廃の憂き目をみることになりかねんと。
そこでヤマダは当時、優良店と目されていたミズノ新聞販売店から、ハヤマを店長として迎え入れることにした。
そのハヤマとは、地域の協力会(新聞販売店組合)の会合のときに知り合った。
何度、試行錯誤を繰り返しても上手くいかんかったヤマダは、そのハヤマに、「あんたとこの店は、何でいつもそんなにトップの成績を維持できるんや?」と聞いた。
もっとも、それで簡単に答えが得られると思うたわけやない。また、そんなことを教えてくれるはずがないとも考えていた。
何かのヒントが分かればええと考えたにすぎん。
半分は社交辞令で半分は本気やった。
ところが、そのハヤマは、「そんなことは簡単です」と、あっさりそう言い切った。
「従業員の質を上げればいいだけの話ですよ」と。
当たり前と言えば、当たり前のことかも知れんが、ヤマダは、その言葉にショックを受け、同時にそう言い切るハヤマのような人材が、ぜひとも必要だと考え無性に欲しくなった。
そこでヤマダは、ミズノ新聞販売店の店主のミズノに、だめもとで「お宅のハヤマさんをうちに貰えんやろうか」と、ストレートに申し入れた。
「何とか店を建て直したいから」と。「地域の○○新聞のためにも、ぜひ力を貸してほしい」と。
その熱意にほだされたというミズノの度量の大きさとハヤマの前向きな意向も加わり、当面は「貸し出し出向」という形にして、ヤマダ新聞販売店の「店長代理」に就任するということで話がついた。
それには完全移籍させると、ヤマダ新聞販売店で成功せんかった場合、ハヤマの帰る場所を失うというミズノの親心、判断があったからやった。
その当時、ヤマダ新聞販売店にはミヤケという親の代からの古参の店長がいたが、ヤマダとは悉(ことごと)く衝突していて折り合いが悪かった。
何かヤマダが新しいことをしようとする度に、「死んだ先代は、そんことはしなかった」、「先代ならこうしてはずや」と言うて、ヤマダのやり方に一々ケチをつけた。
ハヤマのような人材を望んだのは、自身の右腕として据えることでミヤケを牽制したい、優良店から招いたということで、その古い考え方を変えてほしいという狙いがあったからや。
このままでは、いつまで経ってもヤマダの意見は黙殺、無視されかねんと。
それにはその当時、ヤマダはまだ三十歳前で、そのミヤケは四十代後半やったという年の差が開いていたというのが大きかった。
ミヤケがヤマダ販売店に勤め出した頃、ヤマダはまだ小学1年生やった。
そのため、当時から、今に至るまでの長い間、ずっと子供扱いされてきた。
人は最初の出会い、イメージでその相手を決定づけることが、ままある。
ミヤケも、ヤマダと同年代の人間と初対面なら、それなりの対応をするはずや。
しかし、小さな子供頃から知っているとなると、いつまで経っても、そのイメージの頭にこびりついて、その払拭がしにくくなる。
ミヤケの立場で見れば、ある意味、無理のない事と言えるのかも知れんが、いつまでも子供扱いにされる側、ヤマダにすれば面白くない。
しかも、現在は経営者と使用人という立場の違いがあるという気持ちが強いから、よけいそんな気になる。
それも店の従業員たちの面前で公然と、そういった面を出すことがあったから、尚更その思いがつのる。
それでも店が上手くいっているのなら、我慢もできる。
確かに、ミヤケのやり方は父親のそれと良く似ていた。
それは認める。
認めるが、それでは時代に合わんようになってきているという思いが強い。
おそらく父親が生きていれば、ミヤケに対するのと同じように衝突していたやろうと思う。
少子高齢化、インターネットの急速な普及による若い世代の新聞離れ、長引く不況など諸々の事情により、全国的にも新聞購読部数は減少傾向にある。
加えて、昔はなかったような新聞勧誘の属する訪問販売への法律の規制、制定、改正というのが、ここ数年、特に目立って増える傾向にある。
そして、それはこれからも続く。
新聞販売店の経営は伝統芸能とは違うから、その昔ながらのやり方を踏襲しても意味がない。というか、それでは時代遅れになって世間から取り残される。
従来のやり方を変えん限り新聞販売店に生き残る術はない。
ヤマダは、そう考えて、いろいろ新しいことに着手しようとするが、それらはいつも、そのミヤケに阻まれてきた。
ただ、いくらそうやからと言うて、ミヤケに敵対するためにハヤマを招いたわけやない。
それでは意味がない。
そんなことをすれば、ヘタすると店内が分裂しかねんさかいな。
店長のミヤケに与する従業員も相当数いとるから、その懸念は十分にある。
そこで、表向き、「新聞社から店舗の拡大を打診されとるので、それを引き受けるためにも新たな支店の店長として招いた」ということにした。
それまでの間、「店長代理」とすると。
新聞社から店舗の拡大を打診されているというのは事実で、近隣の店舗が経営難からの自主廃業、あるいは成績悪化により改廃のため、その経営を隣接する販売店に打診するというのは業界としては普通にあることや。
ここ数年、新聞販売店の店舗数が毎年のように減っとるが、それは何も部数減ばかりが、その理由やない。
人気のある地域の経営権なら、新聞社の募集する「新聞販売店研修者」の中から、その希望者も出るが、ヤマダ新聞販売店のあるような地方では、それは見込みにくい。
新聞販売店が廃業になったからと言うて、その地域の購読者に「新聞の配達ができなくなりました」とは新聞社は口が裂けても言えんさかい、絶対にそんなことにはならん。
ならんように手を打つ。
店の引き受け手がなければ隣接の販売店が吸収合併するというのが、この業界の常識でもあった。
近年それが多い。
つまり、新聞販売店の減少は、一方では従来の店舗の拡大化につながっているケースもあるということや。
その数年後、ヤマダ新聞販売店が「万紙販売店」の仲間入りをしたというのは、そういう事情も加味されていたことになる。
「まず、集金方法を変えましょうか」と、ハヤマは就任早々、そう提案した。
それによると、「これはという信用できる従業員を選んで集金人にする」、「日が浅く経験のない者」、また「客からのクレームの多い者」は、基本的に集金業務からは除外するというものやった。
そして、その集金手当を今よりも厚くする。
そうすれば、必然的に従業員もやる気を出すし、客とのトラブルも減り、店の評判が上がるから一石二鳥になると力説する。
その残りは地域の主婦を中心にパートで募集をすればええと言う。
主婦によるパート集金人は、そのほとんどで評判がええ、間違いが少ないというのはミズノ新聞販売店でも実証済みやからと。
ヤマダは、即座にそれはええ方法やと同調したが、それやと、おそらくミヤケが、また反対するのは目に見えていると考えた。
それに対して、「所長が、店長のミヤケさんにそこまで気を遣う必要はないでしょう。これは今後のヤマダ新聞販売店の将来がかかった重要な決定事項ですよ。所長がいいと思ったことは、ただ命令するだけでいいんです」と、きっぱりそうハヤマが言い切った。
正論や。経営者の方針には従業員は従うしかない。また、従わせられないような経営者では何もできない。
後日、ハヤマは、そう言い切ることで、ヤマダがどうするかを見ていたと言っていた。
ここでハヤマが尽力できるか、どうかは、それにかかっているという思いで。
案の定、その通達をすると、ミヤケは公然と反対した。
そのやり方、特に「客からのクレームの多い者」という条件やと、弾かれる人間がミヤケの側に数人いとるのは誰の目にもあきらかやったからや。
その人間に集金させんということは集金手当をカットするというだけやなく、行く行くは疎外されて追い出されるのやないかと、ミヤケは考えたようや。
子分を守るのは親分の務めやと。ここは是が非でも反対して踏ん張ると。
その思いも手伝って、ミヤケは「それやったら長い間、店のために働いてきた者より、昨日今日来た人間の言うとおりにするということでっか?」と、ヤマダに噛みついた。
それまでのヤマダなら、そう言われると腰砕けになっていたが、今はハヤマという味方がついている。
「これは相談事やない。所長命令で、決定事項や」
ヤマダの腹は決まっていたから、そう言い切った。
今までは反対する度、「ワシの言うことが聞けんのなら辞めさせて貰う」とミヤケに脅されていた。
それでは店が立ち行かんという思いから、心ならずも折れてきたが、もうそうするつもりはない。
さすがに、店の長年の功労者であるミヤケをクビにするわけにはいかんが、自ら辞めるというものを引き止めるつもりはない。
自由にすればええという気になっていた。
結局、ミヤケは、その翌月、子飼いの従業員数人と共に他紙販売店に移って行った。
その当初は、人員不足と店の顧客情報を持っていかれたということで、それ相応の痛手はあったが、結果として、それでヤマダ販売店の評判が急速に上がることになった。
言えば、ミヤケたちはヤマダ販売店の今までの悪い部分、膿(うみ)を根こそぎ持って行ってくれたことになったわけや。
怪我で膿んだ部分をそのまま放置して悪化すると大変なことになるが、その膿を絞り出すか、切り取れば簡単に治るという理屈と同じや。
ミヤケたちを雇った販売店の経営者は、それでヤマダ販売店の力を削ぎ、その顧客をモノにできると計算したのかも知れんが、それは完全に裏目に出たようや。
ミヤケたちが移って1年ほどで、その販売店は改廃の憂き目に遭うたさかいな。
その後のミヤケたちの消息は杳(よう)として分からんということや。
その当初は、タチの悪い拡張員並に、強引な勧誘でヤマダ新聞販売店の顧客を奪うためにいろいろと画策していたようやが、そうすればそうするほど、その販売店の評判を下げる結果にしかならんかった。
また、ヤマダ販売店に残った従業員たちにも、配達時や勧誘時に何かと妨害行動をしていたという。
店長のハヤマは、その都度、冷静に「相手にするな」と残った従業員たちに言い聞かせてきた。
「そのうち墓穴を掘るから」と言い続けて。
実際、そのとおりになった。
ヤマダは、改めてハヤマという男を見直した。そこまで考えていたのかと。
そして、この男がいる限り店を立て直すことができるという確信めいたものが湧いたという。
ここまでの話を聞く限り、このヤマダ新聞販売店には何ら落ち度というか、妙なところはない。
それどころか立派な販売店やないかとワシは思う。
トシオもそう考えていたが、それに僅かながら疑念が湧いた。
それは集金システムにあった。
ヤマダ新聞販売店では集金1軒につき130円の報奨金が出る。一般的な集金専門員でその程度やから、業界としては多くも少なくもない。普通や。
問題は、集金中間日の月末まで80%、完了日の翌月10日までに残りの20%が達成できんかった場合、集金1軒につき80円の減額となるという点や。
極端な話、僅か1軒の回収未納があるだけで、その他のすべてが1軒につき50円のマイナスになるという。
ちなみに、トシオは区域担当者として平均して月400軒前後の集金を任されていた。
それを100%集金すれば、130円×400=52000円の集金手当てが貰える。
ところが、1軒の回収不能が出れば、80円×399=31920円にしかならん。
約2万円の差ということになる。
それくらいなら、その1軒分を集金したことにして自腹で払った方が得やと誰もが考える。
自腹で1軒の1ヶ月分3925円を払えば、約1万6千円の利益になるさかいな。
つまり、5軒分の未回収分までなら自腹で払ってもまだプラスになるという理屈になる。
もっと言えば、客から「来月分と一緒にしてくれ」とか「ちょっと待ってくれ」と言われる、あるいはその締め日までに会えなかったとしても、自腹を切って、その後、ゆっくりと集金すればええという気になるということや。
この業界には、ごく稀に何度行っても金払いの悪い購読者もいて、結局、回収不能になるケースがある。
そういう場合は、その客と店との間でトラブルになるのが普通やが、店に内緒で自腹を切っとるから、それを公にするとまずいということで、その集金人が泣いて済ますさかい、表面的なトラブルは発生しない。
それが何軒もあれば、また別やが、そういうのは担当者毎で月に1件あるかないかやさかい、そうしても別段どういうことはないという。
中には、笑って「しゃあないな」とあきらめ顔でそれを話す集金人すらいとるということや。
実際、その考えで10軒分以上の未回収金が出た場合でも、多くの集金人が自腹を切って払うとるらしい。
そういうのを業界では「切り取り行為」と呼んでいる。
集金に使う証券と呼ばれるものは2枚構成になっていて、1枚は店に提出する控え、もう1枚は客に渡す領収証になる。
切り取り行為というのは、今までの話でも分かるように、新聞講読料の集金期日までに回収できんかった分を集金人が給料で一時立て替えするシステムのことで、店側には控えの証券だけを切り離して渡し、客への証券(領収証)を手元に残すために、そう呼ばれとるものや。
本来は、客から集金した際に客へ証券(領収証)を渡し、残った控えの証券と集金した金を店に収めることになっとるのやが、実際には集金できてないわけやから、客への領収書になる証券が宙に浮いた格好になって残る。
問題がなければ、誰もそんなことはせんが、やむを得ずそうすることもあると、トシオは今まで疑問を持つこともなく納得していた。
それで販売店からは認められて評価され、肩身の狭い思いをせずとも済むから悪くないという考えでそうするのやと。
トシオは確かなデータを持っているわけやないが、平均して4、5軒程度はそういう顧客を抱えとるのやないかと見ていると言う。
それが事実なら、パートの主婦も含めて25人の集金人がいとるさかい、一人当たり4軒としても100軒の未回収分が毎月ある計算になる。
宴会の席でハヤマが『皆さん、今月も、よく頑張ってくださって本当にありがとう。おかげで、今月も100パーの集金ができました』と言うてた裏には、そういうカラクリがあったわけや。
「あれ? これでいいんだっけ? キリトリが違法なことはゲンさんが語っています」と、トシオから送られてきたメールの中にあった。
ワシは再三に渡り、切り取り行為は違法やと、このメルマガやサイトで言い続けてきたさかい、それを見てのことやろうと思う。
集金は、業務外の請負という形になっていることが多い。そこで集金が通常業務やなく請負やと仮定する。
集金という請負において、締め切りに間に合わなかった場合の切り取り行為というのは、販売店の集金人に対する債権譲渡に該当する可能性が高い。
立て替えするということはつまり、集金人が販売店に対し、その債権の譲渡代金の支払いをしたものと考えられる。
これは労働の対価として支払う賃金とは本来全く無関係なものや。
それを給料の中から天引きとして、その分差し引くことは、労働基準法第24条第1項「賃金全額払いの原則」に抵触し違法性が高いということになるわけや。
通常、切り取り行為をしとる新聞販売店のすべては、これに抵触する可能性が高いと言える。
しかし、トシオのケースでは、それに当たらないのやないかと思われる。
切り取り行為が違法やとする場合は、販売店が率先してそうするように指示している、あるいは具体的に給料から、その切り取り分を差し引いているということが条件になる。
それが、トシオのケースにはない。
販売店が、その事実を知ってか、知らずかは定かやないが、少なくとも形の上では、集金人自らの意志で納得してそうしているものと考えられるさかいな。
自発的に納得して行う行為に対して、その本人以外の何人も罪に問われることなどはない。
それが法律というものや。
もっとも、システム上、自発的にそうするように仕向けとると言えんでもないが、この場合、それを立証するのは限りなく難しいやろうと思う。
ちなみに、1軒の集金額130円をノルマが達成できんという理由で80円に減額すること自体には違法性はないさかいな。
一般の会社でもノルマを達成すれば、それなりの報奨金も出るが、達成できなければペナルティを課せられるというのは普通にあることや。
それどころか、トシオは「集金の仕事は社員として拘束されている時間に遂行してもいいのです。つまり二重に報酬が発生してる気がしないでもないということです。そうなると集金の業務としての報酬の考え方はどうなるのか? と思ったことはあります」と言う。
『二重に報酬が発生してる気がしないでもない』というのは、ワシは考えもせんかったが、そう言われれば確かにそうやな。
新聞販売店では勤務時間中に集金業務をするのは当たり前で、誰も二重に報酬が発生するとは考えずにやっとる。
もちろん、それにしても、その販売店が認めとることなら何の問題もないことや。
まあ、二重に報酬が発生しとるからと言うて、給料からその分を差し引くてな野暮なことは言わんやろうがな。
それにしても、この業界にはいろいろあるなということを今更ながらに痛感する。
ワシは、切り取り行為は頭から違法やと思い続けてきたが、こういうケースでの切り取り行為というのもあるんやなというのを初めて知った。
もっとも、それが当たり前の地域では普通のことかも知れんがな。
何もそのヤマダ新聞販売店だけが、そうしとるということでもないやろうしな。
ただ、いくら納得しとると言うても、あまり過度なことはせん方がええと言うとく。
何でもそうやが、人に言えんような後ろめたい秘密、言うたら立場を悪くする行為は、いずれその人間にとって仇となって返ってくることもあるさかいな。
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