メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第179回 ゲンさんの新聞業界裏話


公開日  2011.10.28


■新聞購読へのススメ その2 新聞を読むことで向上する文章力


時折、読者から、「小説を書きたい」、「本を出したい」、「ブログやツイッターを始めたい」という話が寄せられてくる。

それ自体は、ええことやと思う。

ただ、それらの中には、「どうすればゲンさんのメルマガのように面白くて読む人がハマり込むような文章が書けるようになるのですか。教えて下さい」といった内容のものが多いのが、ちと困る。

未だに、このメルマガはワシが書いていると勘違いされている人がおられるが、ここでもう一度はっきり言うとく。

それは違うと。

ワシは、このメルマガやサイトに関しては、単なる情報提供者であり、コメンテーター(解説者)、協力者にすぎない。

このメルマガを書いとるのはハカセや。文章に関してはハカセの領分やからハカセに聞くしかない。

そのハカセ曰く、「難しい質問ですね」の一言やった。

そのすべてに答えることも説明することも教えることもできない、難しすぎると言うてた。

それには、どのくらいの文章力があれば、このメルマガ程度の内容のものが書けるのかというのはハカセ自身にも良う分からんからやと。

「私は正直言って、私自身の文章力のレベルがどの程度なのか、さっぱり分かりませんので、それについて人に意見するなど、おこがましすぎて、とてもできません」と。

それが、サイトやメルマガ誌上で、今まで「文章講座」のようなものを書いていない理由でもある。

それでもええと言う人には個人的なアドバイスをすることもあるというが、やはり気が引けて突っ込んだところまではなかなか指摘できないと言う。

本当は、その人のためにも辛辣な意見を言ってあげるべきやとは思うが、それをしてもええものか、どうか迷うと。

それなりの資格というのも変な話やが、人に何かを教えるには、やはりその道で、ある程度の実績を上げてからの方がええのは確かや。

確かにハカセは雑誌社や個人的な依頼などで原稿を書くこともある。

それで某かの報酬を得ているから、物書きのプロと言えば、そうなるが、一般に知られているというほどではない。

どちらかと言えば、マイナーな存在や。

そのために名を上げるというわけでもないが、ある出版関係者の助言もあり、今更ながらという感もあったが、ある小説の「文学賞」にトライしたと言う。

それについては、ワシも最近聞いたばかりで驚いとる。

「いえね。それを先に言って、あまりに酷い結果だと、私自身が落ち込みますし、ゲンさんに変な期待と心配をおかけするのも悪いような気がしたものですから」ということらしい。

先日、途中結果ではあるが、応募した「銀華文学賞」の主催者から、ハカセの作品が「第三次選考」を通過したという連絡が入ったという。

最終選考は11月初旬とのことやったが、未だに何の連絡もないところをみると、どうやらそれまで止まりやった可能性の方が高いとのことや。

もっとも、現時点でもハカセはその結果に大満足しとると言うがな。

ちなみに、その選考結果は11月25日発売予定の「文芸思潮第43号」に掲載されるとのことや。作者名の「白塚博士」で探して貰えば見つかるはずやと思う。

一般的に「文学賞」というのは作家志望の新人が応募するものと思われがちやが、昨今は事情が少し違うてきとるという。

確かに、その昔、ハカセが小説家を目指していた頃は新人の応募が大半を占めていて、まさしく新人作家の登竜門という感が強かったが、今は現役のプロ作家もかなり多いという話や。

それには、過去に賞を取って売れなくなった作家や全国に無数にいると言われている同人誌の作家たちにとって、それでしか商業本を出せる機会が少なくなってきたからやと言われている。

現在は出版業界が冷え込んでいる時代やさかい小説などは、よほどの話題性と知名度がないと売れないし、出版社も興味を示さなくなっているという。

このメルマガの内容のいくつかの話についても一部の大手出版社の間では面白いということで、その出版会議で商業本の出版候補として俎上(そじょう)に上がったということやが、結局、話はそれきりになっている。

はっきり「あかん」と言われたわけやないが、ハカセはあきらめとるという。あれから1年以上が経つさかい可能性は低いやろうと。

出版社は、その作家の文章力とか発想力といった書く上での根本的な実力評価で出版を決めるわけやない。

本にして売れるか、売れないか、判断の基準はそれだけや。売れないリスクがあるとその出版社が判断すれば本にはならない。

それだけのことや。せやから、それで物書きとしての文章力のあるなしについては分からないと言うてるわけや。

その点、「文学賞」は逆に文章力と発想力に重点置いて選考する。

なぜなら、その選考人には、たいていはその出版社の編集者か関係者、有名作家といった文章のプロ中のプロがあたるからや。

稚拙な文章力の作品を選べば、その文学賞の沽券に関わるというのが定説になっている。また選者の資質も問われる。

一定以上の文章力があってこその発想力だとも言われている所以がそこにあるということや。

それで大賞、もしくは優秀賞を受賞すれば、必ずと言っていいほど書籍として出版される。

それらの文学賞を取ったことでチャンスに結びつく可能性がある。そのチャンスに、その現役作家たちが群がるわけや。

それもあって応募数も多く、現在では例え現役作家たちであっても一次審査すら通らない作品が山ほどあるということや。

その中で、30数年ぶりに応募した作品が三次選考を通過したというのは、それだけハカセの文章力、発想力が評価されたと考えてもええやろうと思う。

その昔、ハカセもいろいろな「文学賞」で最終選考にまで残ったこともあったが、その頃と比べても今の時代の方がレベルが高く、より厳しいということで、この結果には素直に嬉しいと話しとった。

そして、その昔にあきらめていた小説家になる夢が、ここにきて僅かながらではあるが見えてきたとも言う。

せやから、今後も、いろいろな分野の「文学賞」にチャレンジするつもりやと言うてた。その結果についても、その時々で紹介させて頂くつもりだと。

言い忘れたが、それらの応募作は、このメルマガやサイトでの関西弁のそれやなく、一般の「である調」で書かれたものやという。

ただ、新聞に関した内容のものやないから、このメルマガの読者が、それを読まれても面白いと感じられるか、どうかは何とも言えんがな。

もっとも、その三次選考止まりの場合、陽の目を見ることもないやろうから、その心配はいらんけどな。

ハカセは、そういう作品はサイトやメルマガには掲載せん方針やという。

理由は簡単。

小説は虚構の世界で、メルマガやサイトは事実をもとにした話や。事実をもとにしているところへ虚構の世界を混ぜると、すべてが嘘臭く見えてしまう。

それを危惧するからやと。

それに、ハカセやワシにとってメルマガやサイトは特別な存在で、これはこれだけで続けていきたいという願いもある。

ちょっと前置きが長くなりすぎたが、ハカセの言いたいことは、その文学賞の三次選考に残ったという事実で、文章について語る資格が少しはできたのやないかということや。

とは言っても「文章講座」をするまでに至っているとは思えないから、文章を書く上でためになる、参考になるものの紹介程度に止めるということやけどな。

「私程度の域のレベルを目差すのなら、それで十分だと思いますので」ということで。

それが標題の『新聞を読むことで向上する文章力』ということになる。

ワシも文章についての勉強をするのなら新聞の記事は、ええお手本になると思う。

まず、新聞記事にはリードと呼ばれている最初の数行で読者に伝えるための基本的な情報となる5W1Hが必ず含まれている。

5W1Hとは、「いつ(When)、どこで(Where)、誰が(Who)、何を(What)、なぜ(Why)、どのように(How)」のことや。

例えば、「○月○日、午前1時頃(When)、大阪北区の路上で(Where)帰宅途中の女性が(Who)頭を鈍器で殴られた事件(What)で、市内に住む50代の無職の男が強盗致傷の疑い(Why)で大阪府警に逮捕されていた(How)」といったニュース記事などが、それになる。

読めば当たり前と言えば当たり前の記事、文章なんやが、一般の人で、その5W1Hに気を配って漏れなく書くことのできる人は少ない。

それに加えて、新聞記事には情報の確認の有無、出所も明記されている。

上記の記事の続きとして「ことが捜査関係者への取材でわかった」といった具合や。

その記事を書く記者になるためには、現在では相当に高い競争率を突破して新聞社に入社する必要があると言われている。

それについては『第91回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞の実像 その1 新聞が斜陽化している本当の理由とは』(注1.巻末参考ページ参照)でも話したが、現在、その部数の減少が顕著なことから、どこの新聞社も赤字経営を強いられ、募集人員が少なくなっているということがある。

それに加えて、高度な文章試験も含まれているという。

一流大学出身のエリートであっても簡単には採用されないと言われているほど難関なものらしい。

もっとも、新聞社といっても一般紙と呼ばれる新聞社だけでも100数十社あるし、それにスポーツ紙と業界紙を合わせたら数百社もの新聞社に上るから、すべてを同列に論じられん部分もあるがな。

ここでは、全国紙の新聞社ということで限定して話を進める。

その彼らでも入社して、すぐに上記のような記事が書ける者は極端に少ないという。

たいていは箸にも棒にもかからない記事しか書けない者ばかりだと言われている。

ある経済専門紙では、そんな彼らを「少年探偵団」と称して揶揄することもあるという。

どうも、西も東も分からない子供が嗅ぎ回って作文並みの記事しか書けないのと同じだと痛烈に皮肉っているらしい。

もっとも、そう皮肉る先輩記者も駆け出しのときは同じように言われていたわけやけどな。

経済新聞の記者は、そのすべてが経済の専門家だと思われがちやが、どの新聞社にも新人というのがおる。

そんな彼らでは、まだ経済のことに関して深くは知らないから的を射た取材はできないし、まともな記事が書けないのは、ある意味、仕方ない。

そういう新人が企業を回るというケースが起きるわけや。

それに閉口している企業担当者も多く、当然そういう新人に対しての対応も悪くなる。からかい半分の情報しか与えないケースもあるという。

それでまともな記事を書くのは、よけい難しいわな。

それは他の一般紙にも言えることで、とんちんかんな記事を書く新米記者はどこにでもいとるし、そういう者がいて当たり前のことでもある。

そんな彼らも10年もすれば、一人前と認めて貰える記事が書けるようになると言われている。

それまでは徹底して勉強、修業せなあかんわけや。それほど新聞記事の文章を書くというのは難しく奥も深い。

ただ、そんな新米記者の書いた記事が、そのまま新聞紙面に掲載されるわけでもない。

記者が取材した記事は本社編集部の「デスク」という責任者に渡される。

「デスク」というのは現場には出ないで机にへばりついて届けられた原稿をチェックするだけの役職者というところから、そう呼ばれている。

ちなみに、大事件や記者クラブなどの取材で多くの記者が必要な現場では「キャップ」と呼ばれる現場責任者が、それらの記事を集め目を通してからデスクに送るということや。

デスクはその記事の手直しやチェックをした後、整理部に回す。

整理部の人間は、それぞれの記事を精査し、何を掲載して何を掲載しないかを選択する。

さらに、それぞれの記事に「見出し」をつけ、紙面のレイアウトを決めていく。

この「見出し」というのは重要で、読者はまずこれを見て、その記事の値打ちや読む優先順位を決めるのが普通や。

新聞は、新聞社にもよるが全国紙の場合、全部読むと一般の書籍1、2冊分もの情報量がある。

たいていの読者は朝の短い時間で新聞を読むことが多いから、悠長に時間をかけてはいられない。

朝刊で、およそ200前後の見出しがある。一つの見出しは10字以内とされとるから原稿用紙5、6枚分程度の分量になる。

見出しだけなら10分〜15分ほどあれば読める。

その中から、これはという記事を重点的に読むと効率的とされている。

もっとも、こんなことをわざわざ言われなくても、たいていの人が、そうしていることやとは思うがな。

当然やが、その中で「見出し」にインパクトがあるものほど読まれる傾向が強い。

書店で言えば本のタイトルやな。タイトルに惹かれて書籍を手にする人も多いと思う。

ほとんどの出版社では、このタイトルをつけることが最も重要な仕事と捉えられている。

本のタイトルは著者が考えていると一般では思われがちやが、よほどの大家や著者名だけで売れる有名作家以外は、すべて出版社の人間がタイトルをつけていると言っても過言やない。

そのタイトルが命という考えは新聞にも当て嵌まる。

新人記者には、その記事を書く際には必ず、「見出しを考えて記事を書け」と教える。そうすると内容がまとまりやすいという。

これについてはハカセも同じようなことを言うてた。

文章を書いていると、誰でもそうやと思うが、今書いている内容に集中しすぎるあまり本題から外れた話や横道に逸れてしまうことが往々にして起こりやすい。

その場合、タイトルや見出しがあると、話が逸れていたとしても、またその内容に戻りやすく書くポイントもずれにくくなるという。

また、そうでないと読者を裏切ることになるから、自然にタイトルに掲げた内容の記事を書くようになる。

裏を返せば、タイトルや見出しが考えつかないような文章は何のまとまりもない駄文にしかならないということや。

その整理部の作業と平行して校閲係が、その記事の事実関係や誤字、脱字のチェックと手直しをする。

それらが出来上がると編集会議で最終的な記事の内容とレイアウトが決められる。

この場合、編集局長、次長、政治部、経済部、社会部、国際部、文化部のデスクが集まり、記事の取り扱いが決められる。

普通、政治部の記者は、スポーツ、芸能といった文化部の記事には興味や造詣がない、知識がないと思われている一般の方がおられるかも知れんが、そうやない。

すべてのデスクは、すべての部署の記事の内容についてかなり奥深いところまで熟知しているケースが多い。

そうすることで、それらの記事の批判ができるし、部下が取材してきた記事を掲載するよう強く推せるさかいな。

当たり前やが、各部署のデスクや記者は自分たちの取材した記事が最高で紙面に掲載されてしかるべきものという考え方が強い。

そのせめぎ合いで、かなり激しいやり取りが行われているのが普通やと聞く。

せっかくの記事をボツにさせるわけにはいかんからと。

つまり、そういった多くの人の手を経て、手順を踏んだ後に新聞の記事は出来上がるわけや。

新聞には「コラム記事」というものがある。基本的には、一人の作者がそれを書く。

多くは編集委員という肩書きの記者で、その新聞社でトップクラスの文章の書き手と目される人物が書く。外部の有名な著名者に委託する場合もある。

もちろん、それに関しても校閲係が校正を受け持つが、それは誤字、脱字、差別用語など書いてはいけない基本的な部分をチェックするだけで本文そのものに手を加えることは、まずない。

ほとんどのコラムでは、起承転結といった文章作法の基本とも言うべきものが忠実に守られている。

どんな書き出し(起)で始まっているか、それをどのように受けて(承)説明しいるか、どういった見方(転)があるか、それについて主張(結)したいことが何なのかということが、比較的短い文章に中に、すべて詰まっている。

簡潔かつ確実に伝えるための文章は新聞記事で、文章の構成を会得したいのならコラム記事を勉強されるのが、文章を上達する上では最良の方法やと思う。

コラム記事に似たもので、「連載記事」というのもある。これはどちらかというと、小説などの物語の作法が取り入れられていることが多い。

特に、最初にインパクトのある書き出しで興味を惹くようなものが多いから、「小説を書きたい」、「本を出したい」という人には参考になるのやないかと思う。

小説や本は、この最初の書き出し、数行が勝負で、それが面白くないと、その先を読み進めては貰えないから、その部分にエネルギーの大半を注ぎ込む。

世に名文と言われている作品の大多数が、その書き出しの文章に多いことからも推し量れると思う。

ちなみに「ブログやツイッターを始めたい」という人には、コラム記事の書き方を参考にされることを勧める。

学校教育での国語の授業が、まったく無駄とまでは言わんが、それだけでは多くの人に読んで貰えるような文章を書けないのが実状やと思う。

せやからこそ、それで悩んでおられる人が多いわけやけどな。

その点、新聞記事は人に読んで貰うためだけに書かれた文章やさかい、それを参考にせん手はないと考える。

ハカセも、ここで言うたことを頭に入れながら新聞記事を読むだけでも確実に文章力がアップするはずやと言うてる。

これからの世の中、会社での報告書、企画書はもとより、メールを書く機会も多くなり、ブログやツイッターなどで意見を書くことも今以上に増えていくと思う。

そういう時代に文章力があるのとないのとでは、極端なことを言えば人生そのものを左右するほど、重要な意味を持つのは間違いないと断言できる。

新聞に対して批判的な見方をする人も多いようやが、その記事の内容については、別にそれでも構わんと思う。大いに批判されたらええ。

ワシら自身もそうすることがあるさかいな。

但し、文章の書き方そのものについては大いに学ぶべき点が多いのも、また事実だと認識して頂きたい。

新聞には100年以上の歴史があり、多くの記者たちがそれに携わってきたことで培われてきた文章作法が凝縮しとると言える。希有な媒体でもある。

何度も言うが、それを参考にせん手はない。

もっとも、それについて深く掘り下げた解説や説明を始めると、とてつもなく長くなるさかい、今後も時折、こういった話を少しずつでも続けていきたいと思う。



参考ページ

注1.第91回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞の実像 その1 新聞が斜陽化している本当の理由とは


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