メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第182回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2011.12. 2
■報道のあり方 その2 消された「原発国民投票」CMについて
ネットで、とんでもない記事を見つけた。
以下が、その記事や。
http://news.goo.ne.jp/article/alterna/business/alterna-ftr7624.html より引用
「原発国民投票」の雑誌特集CMをテレ朝が放映拒否
2011年11月27日(日)13:00
「原発国民投票」について特集を組んだ『通販生活 秋冬号』のCMは、公式サイトで視聴することができる「原発国民投票」について特集を組んだ『通販生活 秋冬号』のCMが、テレビ局から放映を拒否されたとして話題になっている。
発行元のカタログハウスはテレビ朝日1社から拒否された事実を認めつつ、「局側に抗議などはしない」と冷静だ。
しかし市民からは「テレビ局は民主主義を否定するのか」「テレビはもう終わった」などの怒りの声が上がっている。
CMは俳優の大滝秀治さんのナレーションで「原発、いつ、やめるのか、それともいつ、再開するのか。それを決めるのは、電力会社でも役所でも政治家でもなくて、私たち国民一人一人。通販生活 秋冬号の巻頭特集は、『原発国民投票』」とのメッセージが流れる。
背景は黒一色、BGMもないシンプルな30秒の映像だ。
同社によれば、通販生活のCM枠として唯一確保しているテレ朝の「報道ステーション」用に11月から放映するため制作された。
ところが10月末に広告代理店を通じて放映できないとの判断が伝えられ、急きょ別の映像に差し替えた。
同社広報室は「断られたのは事実。理由は知らされていないが、原発について国民的議論がなされているときに大変、残念。しかし決まってしまったことは仕方ない。当社のメッセージは発信したいと、ホームページではそのまま流している」と説明する。
コラムニストの天野祐吉さんが自身のブログで「テレビは政治的な意見広告を扱わないことになっているので判断したんでしょうが、さて、どうなのか」と映像のリンクを張って明かし、ネット上で波紋が広がった。
天野さんが担当する23日付A新聞のコラム「CM天気図」でも「こういうのって商品広告であって、別に意見広告じゃないと思うけどね」と批判している。
テレ朝広報部は取材に対して「CMについては民放連放送基準をもとに考査、判断している。当該CMは放送していないが、個別の判断理由はお答えしていない」とコメントした。
民放連の放送基準は広告の取り扱いについて「係争中の問題に関する一方的主張または通信・通知の類は取り扱わない」などと定めている。
というものや。
「何ちゅうこっちゃねん!」
この記事を見た瞬間出たワシは、そう言わずにはおられんかった。
この程度のCMも放映できんほど、了見が狭いのかと思った。
「スポンサータブー」というのがあるのは昔から知っていた。
民間のテレビ放送局は、そのすべてを広告収入に依存している。それがなければやっていけない。
民間のテレビ局だけやなく、新聞、雑誌といったメディアも大半が広告収入に頼っているという現実がある。
そのため程度こそ違え、同じような構図があるのは確かや。
そのためにスポンサーを刺激したくない、逆なでしたくないという気持ちになりがちなのは分かる。
特に、それらのスポンサーに批判的なCMの放映を拒否したというのなら、ぎりぎり分からんではない。
ワシも特定の企業の批判的なCMなど見たくはないしな。
しかし、これは、そういうのとはまったく違う。
テレビの報道番組でも盛んに原発の国民投票の必要性を説いているコメンティターも多い。
現在、多くの国民の間で自然にその機運が盛り上がり、そう願っていることでもある。
だからこそ、その企業もCM価値が高いと判断して制作したわけや。
それを門前払いにして放映拒否するという暴挙に出たテレビ局があったというのは信じられんというより、憤りすら感じる。
これは明らかにやりすぎやし、どう考えてもおかしいとしか言いようがない。
新聞の場合は名目上、総収入の半分が広告収入と謳っているが、実際はそれ以上の比率があるものと思われる。
これに関しては、現在、ハカセが懸命になって調べとるということやが、新聞各社のガードがかなり堅くて、なかなかその実態にまでは迫れないという。
しかし、新聞紙面の売り上げだけで、やっていけないやろうというのは状況から予測できる。
1994年以降、現在までの間に紙やインクなどの原材料が相当な勢いで高騰しているにも関わらず、ほとんどの新聞で値上げがされていないという事実が一つ。
今や新聞社に押し紙が存在するというのは周知の事実になっとるが、そんなタコが自分の足を食えるような状況にあるのは、その売り上げに依存していないからこそやというのが、その理由の二。
それらがあっても経営が可能になる理由は一つしかない。広告収入で、その大半が賄われているからや。
そのため、昔から大口スポンサーの不祥事とか、スキャンダルは、あまり大きく報じられて来なかったという歴史がある。
もしくは報道されても一過性で終わる程度のものでしかなかった。また、その企業本体にダメージがおよぶような報道は避けてきた。
今話題になっているある製紙会社の元会長のスキャンダルなどについても、それが言える。
あくまでも個人的な失策、犯罪という部分を強調して茶を濁すような報道しかしとらんとな。
なぜその元会長が、そうしたのか、そうしなければならなかったのかといった点には、ほとんど言及されていない。
というか、それができないと言った方が正解やろうとは思うがな。
それだけならまだしも、「今のところ、その製紙会社の主力商品の売り上げには影響は出ていません」といった内容のものが、つい最近、テレビで放送されとった。
笑うで、ホンマ。
そのスキャンダルが発生して、まだそれほど日が経ってないのに、何でそんなことが分かると言うんや。
その主力商品とやらは、ティシュとかトイレットペーパーやろ。そんなものは、たいていの家では最低でも1ヶ月分以上はストックしとるはずや。
影響が出るとしたら、これからやというくらいは誰にでも分かるで。
これなんかは、大口スポンサーの意向を第一に考える茶坊主的なもので、テレビ局の姿勢が如実に表れた、ええ例やないかと思う。
ことほどさようにテレビなどのメディアにとって大口スポンサーというのは大事な存在なわけや。
そのテレビ局のバック、あるいは関連企業の大半に新聞社が絡んどるから、その意向が大きく影響しとるのは間違いないさかい、よけいこの件を一テレビ局の暴挙ということで済ますことはできん。
その根は深い。
中でも最たる大口スポンサーが電力会社やと言える。
はっきり言うて日本の電力会社は、ほぼ独占企業で競争相手がおらんのやから、テレビや新聞などのメディアに高い広告費を出してまで企業のイメージを上げるための宣伝などする必要はないと思う。
一般消費者は決められた電気を使い、請求どおりに支払うしかないわけやさかいな。
例え、その電気会社のイメージがどんなに悪かろうと、その電気を使い続けるしかない。
それにも関わらず電力各社は今までテレビCMや新聞の紙面広告に多額の広告費を投入してきた。
なぜか。
それは原子力発電事業を推進したかったからということに尽きる。それ以外には考えられん。
もちろんその裏には、その時々の政府の思惑で後押しされていることではあるがな。
元を質せばその広告費は政府から出ている。当然、その源泉は国民の税金や。
日本が原子力発電に着手したのは、1954年3月に原子力研究開発予算が国会に提出された時からとされとる。
翌年の1955年12月19日、原子力基本法が成立し、本格的な原子力発電に向けてスタートすることになった。
さらに1956年1月1日には原子力委員会が設置された。初代委員長はY新聞社社主のS氏やった。
氏は科学技術庁の初代長官となり、原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮したことから、日本の「原子力の父」とも呼ばれている。
この頃から、メディアと電力会社、および政府は原子力発電事業に対して強力なタッグを組むようになった。
しかし、当時の日本人は原子力と聞くと、広島、長崎に投下された原子爆弾を連想させるということもあり、推進する側としては、このままでは国民の反発を招きかねんと判断した。
事実、当時原子力委員の一人だった日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹氏ですら、原子力発電の導入には時期尚早と懐疑的で、ついには抗議のため原子力委員を辞職したということがあった。
これでは悪いイメージが、さらに悪くなると判断した当時の政府と電力会社、および原子力委員会は、そのイメージを払拭するために新聞、ラジオ、テレビ、雑誌といった、ありとあらゆる媒体で多額の宣伝費をかけて広告を出すことにしたわけや。
それが現在まで延々と続けられてきた。
要するに国民を洗脳しようとしたわけや。「原子力は絶対安全」という戯言を繰り返すことで。
しかし、それが功を奏して、その「原子力は絶対安全」という戯れ言にも等しいそのキャッチフレーズは神話とまで言われるようになった。
多くの国民が、その戯れ言の神話を信じた。まさに洗脳が成ったと言えた。そのまま続けば日本の発電所の大半が原発になるのは、ほぼ間違いなかった。
その時々で反対の意見は封殺されてきた。それで通ってきた。
ところが、その安全神話は、今年の震災による福島第一原発の事故により、脆くも崩れ去ってしまった。
これはワシが日頃から言うてるように、人間の関わることで絶対安全などいうものはあり得んということを証明した事故やったと思う。
人は必ずミスを冒す。失敗のしない人間などいないし、失敗の伴わない事柄など人間の世界には存在しない。
そういう意味では「絶対安全」という言葉自体が破綻しとるわけやが、奴さんらは、その言葉を呪文のように使い続けてきたわけや。
今回の福島第一原発の事故で多大な被害を被った人、これから深刻な病気と闘うことになると予想される多くの人たちとにとっては「騙された」という一言だけでは片付けられんことや思う。
これから長い苦悩と闘いが待っているのは、ほぼ間違いないと予想されるさかいな。
事実、福島第一原発の事故に匹敵するか、それ以下の規模の事故と目されるチェルノブイリ原子力発電所事故でも発生からすでに25年も経っとるが、未だに、放射線障害に苦しむ人が数多くおられる。
また事故周辺の立ち入りが禁止されていて住民も帰ることが許されとらん状況が続いとるわけやさかいな。その目途すら立っていないのが実状や。
それを見れば、日本でも同じ轍を踏むことになるのは推して知るべしやと思う。
物事は必ず失敗するもの、付きものやという前提に立って考えて実行する必要がある。失敗は少なくできるかも知れんがゼロにはできんと。
今回の件は、予測を超えた未曾有の震災のせいやと考える者もいとるようやが、そもそも、その予測を超えたという時点が、大きなミスなわけや。
それが人間のできる限界やと言える。人間が携わる限り「絶対安全」というものは、それこそ絶対にない。
それを神話にまで高めたと言うが、良う考えれば神話というのは、ただのファンタジーや。誰もそんなファンタジーを信じる者はおらんわな。
しかし、そんな単純で分かりやすいことが、原発を推進する勢力には未だに分かっとらんようやがな。
それだけならまだしも、報道を公器と標榜するメディアの多くが、その電力会社を代表とする原発推進勢力の側に立っているというのが、今回の一件で、よりはっきりしたと言える。
少なくとも冒頭の記事にあるテレビ局は、『原発国民投票』の是非を問うCMすら放送するのを拒否しているわけやさかい、自らそうやと言うてるに等しいわな。
『テレビは政治的な意見広告を扱わないことになっている』とのことやが、原発推進のために散々流してきたCMこそ、政治的な意見広告そのものやないのかと思う。
それも洗脳に近いものやから、タチの悪さは群を抜いとる。
まあ、そうは言うてもテレビ局も所詮は一企業やさかい、自由にやらせて貰うと言われれば、「はい、そうですか」と言うしかないがな。
ワシらに対抗できる事と言えば、そういうテレビ局の放送を見るか見ないかの選択をするしかない。
ワシらは、以前のメルマガ『第150回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■日本復興への提言 その1 原子力発電の廃止とその代替案について』(注1.巻末参考ページ参照)で、はっきり原子力発電の廃止という立場を取った。
今後も、その姿勢に変わりはない。
肝心の新聞社が原発推進派で、その新聞を売る身としては、いささか引っかかるものがないではないがな。
ただ、ワシは確かに拡張員やが、その前に一人の日本人やという思いの方が強いさかい、その立場から危険極まりない原発への反対の意志は貫くつもりにしとる。
またその一点のみで、この仕事を辞めるというわけにもいかんしな。
それに新聞社が原発推進派なら、それを変えるために内部から行動すれば済む話やというのもある。
新聞業界の中で末端と言われるワシらが最も一般個人と接しとるわけやから、その意見を積極的に取り上げるのも、一つの手やと考える。
実際、客との雑談では現在10人中8人までが原発反対、もしくはないに越したことはないと言うとるという感触がある。
その声を新聞社の上層部に届ける。
もっとも、このメルマガで発言したことは、そのまま新聞社の上層部には伝わっとるとのことやがな。
ワシらの発言、意見は今までは無視されてたが、事、この問題に関してはそうもいかんやろうと思う。
確かに新聞やテレビにとって大口スポンサーは大事かも知れんが、一般読者を敵に回したらメディアの存在意義そのものがなくなる。
いずれその愚に気付く時が来ると信じとる。
それに言うて悪いが、新聞社の原発推進派とは言うても所詮は高齢者ばかりのほんの一握りの連中が中心にやっとることで、その彼らは早晩、表舞台から退場する。
そうなれば、また状況も違ってくると思う。新聞社の人間すべてが原発推進派とは思えんしな。
世論を無視することのできる者は執理に取り憑かれた一部の高齢者だけに限られていて、大半の新聞人は世論を無視することなどできるもんやない。
とはいえ、その原発推進派の高齢者たちの力を侮るわけにはいかんがな。現時点では歴然たる力を持っているのは間違いないさかいな。
今の段階で、新聞やテレビといった既存メディアの原発推進派の連中に対抗するためには具体的にどうすればええのか。
冒頭の記事にあった『「原発国民投票」について特集を組んだ『通販生活 秋冬号』のCM』(注2.巻末参考ページ参照)のページに行くと、
『「原発国民投票」実現のための署名にご協力ください』という文言があり、ネット、またはFAXかハガキのいずれかで、その署名ができるようになっている。
それには、
http://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/genpatsu_kokumin/ より引用
「みんなで決めよう『原発』国民投票」は、「脱原発」または「原発推進」を呼びかけるグループではありません。
原発の是非を有権者が決める「原発国民投票」を実現させることが同会の目標です。
そのために必要な「『原発』国民投票法」の制定を国会に求めており、署名を集めています。
「何人以上の署名が集まれば国会で法案が審議される」といった法的効力はありませんが、多くの署名が国会議員の心を動かす原動力になりますので、ぜひご協力ください。
と書かれていた。
その署名の呼びかけに賛同するのも、一つの手やと思う。
その賛否の意思を示すという意味においても、この試みはええ。是非、「『原発』国民投票法」を実現してほしいと切に願う。
確かに、時代も世論も脱原発に傾いているようには見えるが、今のままやと、原発推進勢力はテレビや新聞などのメディアを使って巻き返そうとするのは目に見えている。
それが、この「『原発』国民投票法」CMの門前払い、封殺という形になって表れとるわけやさかいな。
いずれ「安全な原発の建設を」とでもいったキャッチフレーズを掲げて、またぞろ同じような洗脳CMを流すようになるはずや。
昔なら、その手法は成功したかも知れんが、今はネットの力も捨てたもんやないから、おいそれとは、そんな愚行は通用せんやろうがな。
ワシらは、ネットの危うさについて何度か言及してきたが、個人が「正しいことは正しい」と自由に言える媒体が存在するという点においては素晴らしいことやと思う。
他にそういうものはないさかいな。
現時点では、ネットが唯一、テレビや新聞といった巨大マスメディアに対抗しうる媒体なのは間違いない。
そのためにも、多少なりとも発信力のあるワシらが、脱原発を叫び続けることが必要やないかと気がついた。
一過性で言うて終わりではあかんと。
加えて、今時代が大きく変動しようとしとるというのも追い風になりつつある。
それは、先の大阪の知事選、市長選のダブル選挙で橋下徹氏率いる「大阪維新の会」が圧勝したことにある。
この意味は大きい。
今までなら、ただの地方選の結果やと中央の政界もタカを括っていられたが、今やその勢いには、どの政党も無視できんようになっとる。
おそらく政界再編も含めて、日本の政治が大きく変わる最大のキャスティングボードを握ることになるのは間違いないと考える。
その橋下徹氏は、早々と「脱原発」を掲げとる。今回の選挙でも、その思いを込めて投票した人も多いはずや。
その思いは必ず大きなうねりになるものと信じとる。またそうなるよう微力ながら、ワシらも力添えをして応援したいと思う。
参考ページ
注1.第150回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■日本復興への提言 その1 原子力発電の廃止とその代替案について
注2.「原発国民投票」について特集を組んだ『通販生活 秋冬号』のCM
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