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第19回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2008.10.17
■店長の想い出 その2 朱いハンカチの女神
タケシタは、血で染まった一枚の朱いハンカチをいつもポーチに入れ大事そうに持ち歩いていた。
いつか、あのときの彼女と出会え、その礼を言うために。
その彼女はタケシタにとって、まさしく救いの女神そのものやった。
もし、その彼女があのとき現れなければ、おそらく今ここにこうして生きてはいられなかったやろうという思いが強い。
その命だけやなく、人に対して絶望しかかったタケシタの心をも救ってくれた恩人やった。
その彼女は、タケシタを助けた後、それが当然のことのように何も告げず立ち去ったという。
瀕死のタケシタには、そのとき「ありがとう」の一言すら言えなんだ。
それが今も悔やまれてならない。
せめて、もう一度会って、ちゃんと礼が言いたい。
朱く血に染まったハンカチを見る度に、それだけをタケシタは考えていた。
しかし、その思いとは裏腹に時だけがいつの間にか流れていった……。
新聞販売店への世間の評判というか、評価はけっして高くはない。
それを承知しているからこそ、タケシタは今まで、少しでも社会の役に立ちたいと願い、実際にそう行動してもきた。
少しでも新聞販売店の評判を高めるためにと。
しかし、店長のタケシタは、最近の新聞販売店の従業員や拡張員絡みが引き起こす事件のニュースを見る度に、気が滅入ってくる。
もちろん、そんな事件を引き起こすのは、ごく一部の不心得者だけなんやが、常の評判の悪さや偏見から、そんな事件が大きく報じられると新聞販売店の多くが一般からの冷たい視線に晒されてしまう。
そうなると、タケシタのように社会の役に立ちたいと願い行動してきた者、すべての行いがぶち壊しになる。
どういうわけか、新聞販売店というのは、すべてが同じ組織で同じようなもんやと見られることが多い。
所詮、新聞業界という広範囲な中の一店舗にすぎんのにな。
これが、書店なんかやと、その書店の関係者が何かの犯罪を犯したとしても、世間は、全国の書店すべての体質が悪いからその事件が起きたとは誰も考えんはずや。
あくまでも、その書店で引き起こされた個別のケースとして捉える。
ところが、この新聞業界は販売店にしても拡張団にしても、それが個別のケースとして取り扱われる、あるいは見られることは少ない。
新聞販売店従業員、拡張員として一括りにされ、同じように扱われる。
現在、全国の新聞販売店の店舗数は約2万店舗。アルバイト配達員を含めるとその従事者は悠に45万人を超えると言われている。
同じ仕事をしているというだけで、企業や組織的には一店舗ずつ、すべて状況は違うわけやが、なぜかそれを一般に理解して貰いにくい構図になっているようや。
また、その総数約25万人と言われている警察官およびその関係者の不心得者が引き起こす犯罪件数の方が、新聞関係者のそれとは比較にならんほど多いと思うのやが、なぜか彼らの方が悪いと考える人は圧倒的に少ないように思う。
これは、けっして僻(ひが)みでも何でもなく日頃から、そう実感していることでもある。
「タカが新聞屋の分際で」と、ワシらに罵声を浴びせる一般の客はいとるが、「タカがポリ公の分際で」と、警察官に面と向かって言う人間はほとんどおらんさかいな。
もっとも、警察に対してそんなことを言えば、いろいろ理由をつけられて引っ張られるというのがあるのかも知れんがな。
また、多くの一般市民はそれでも、その警察を頼りにせなあかんという事情もあるから、ヘタにバッシングもできんわけや。
まあ、そうは言うても嫌われるには嫌われるだけの理由があるのは確かなんやが、それでも社会的に貢献しとる新聞販売店の人間も多いんやということを、世間に知って貰いたいとタケシタはいつも考えている。
せめて、いわれもない偏見だけは止めてほしいと。
悪いのは、あくまでもその犯罪、事件を起こした人間で、この業界の体質とはほとんど関係ないのやと。
もし、その体質が原因で、そういった事件を引き起こすというのなら、その従事する人間の多さから言うても、警察官の引き起こす事件とは比較にならんほど多く発生してなあかんはずやけど、実際は、それと比べると微々たるものでしかないわけや。
まあ、それやから仕方ないとは言わんが、せめてその程度の実態くらいは知ってほしいと思うんやが、それをどうすれば分かって貰えるかは難しい問題やと思う。
たいていは、そんな声を上げても誰も耳を傾けてはくれんさかいな。
新聞販売店の仕事を長く続けていると、実にいろいろな事件や出来事に出くわすことが多い。
タケシタは、改めてそれらのことを思い起こしてみたとき、その多さに自分自身でも驚いている。
10数年前、タケシタがまだ駆け出しの頃に話は遡(さかのぼ)る。
販売店の逓送(ていそう)車の助手席に乗り込んでいたタケシタは、前方の軽自動車が自転車に乗っていた老女をはねたことに気づき、すぐさま自分の携帯電話で119番通報をした。
今でこそ、携帯電話を持っているというのは当たり前のことやが、その当時は、まだ一般に広まっているというほどでもなかった。
いち早くその携帯電話を導入したのは、その当時の店主、オカダの発案やった。
店主のオカダが、その当時、良う言うてたことがある。
「お前達は、郵便配達員よりも区域内を毎日走り回ってるんだぞ。配達や営業業務以上に、その地区のあらゆることを知っていることになるんだ」と。
確かに郵便配達員は、せいぜい日中の限られた時間内でしか活動していないが、販売店員は、ほぼ24時間近く、その担当地域を何度となく廻り続けとる。
先見の明に長けてたオカダは、その携帯電話とポケベルを販売店業務にいち早く取り入れ、従業員全員に持たせて仕事させていた。
特に有効なのは、引越し読者の獲得で、携帯電話を他店にさきがけ導入したことにより他を大きく引き離していた。
さらには、集金業務においてもその威力は十分に発揮された。
ノックや、インターホンぐらいでは無視や居留守を決め込む読者に対しても、その玄関先から携帯電話で電話をかけるわけやから、居留守かどうかもすぐに分かり、その効果には絶大なものがあった。
幸い、この事故に遭われた女性はごく軽症の打撲で済んだとのことやった。
他にも携帯電話での119番通報の経験は幾つかある。
販売店の近くのクリーニング店が火事になったことがある。
そのときは仕事中に真っ黒な煙が高々と上がっているのをバイクに乗っていて偶然見つけ、それと気がつきすぐ通報した。
その際、消防車の出動が遅れたのか到着したのは通報から20分近くも経ってからやった。
その間、クリーニング店では、燃えさかる店内から、その場に立ち会っていた通行人たちが協力してリレーで、顧客の衣服などを店外へと急いで搬出していた。
タケシタもそれに加わろうとしたその瞬間、「バーン!バン!バン!」と大きな爆発音が数回、辺りに鳴り響いた。
クリーニング店内には石油系ドライ溶剤が多量にあり、それに引火して爆発したものと思われる。
また、クリーニング店ではテトラクロロエチレン(別名 パークロルエチレン)と呼ばれている有機溶剤が使用されていて、火災によって刺激性や毒性の強いガスを発生するおそれがあるというのも後になって知った。
通行人の善意は評価されてしかるべきやが、同時にそういう危険があるというのも知っておかなあかんなと痛感した出来事やった。
幸い、そのときには人的被害は何もなかったようやがな。
その爆発の直後、炎が猛烈な勢いで拡がっていった。
それはクリーニング店の両隣の建物にまで及んだ。
その東側に当たるマンションには現読の客が何人か住んでいたので心配したが、さすがに消防車が来てからは対処が早く、すぐに鎮火した。
他にも工場の爆発事故、暴走車がコンビニに激突した事件なども目撃した直後、119番や110番通報したことがある。
また、あるときなどは夕刊の配達中に、老女が頭部から血を流して転倒していた場面に遭遇したことがあった。
タケシタは慌ててバイクのエンジンを止めて、老女の元へ駆け寄った。
近づいたところで、その老女が現読の顧客だということに気がついた。
「オオカワさん! 大丈夫? 転んだの?」
その場所の近くに、その老女の知り合いでもある文房具店があったこともあり、その店内に老女を連れていって、そこで救急車を待った。
それにしても、車の通行量の多い場所で、老女が頭から血を流して倒れていたというのに、タケシタが声をかけるまでは、止まって助けようとする者は皆無やったという。
いったい何台の車が通りすぎ、何人の運転手が「見て見ぬ振り」をしたことか。
タケシタは、世の中にはあまりにも無関心で冷たい人間が多すぎると思い、薄ら寒いものを感じたもんや。
人はそこまで我れ関せずになれるものかと。
結果的に、その老女のケースは大した怪我もなく、入院さえすることがなかったのは幸いやったがな。
タケシタ以外でもその販売店の従業員の携帯電話による救急や警察への通報は、かなりの数に上っていた。
現在では、ほとんどの新聞販売店で携帯電話を持っての仕事というのは当たり前になっているというのもあり、それに伴って新聞販売店従業員の方々による事件、事故の通報も数多く行われていると、サイトに日々寄せられてくるメールにもある。
言えば、新聞販売店の人間は仕事の傍(かたわ)ら町内をパトロールしとるのと同じようなものやということになる。
変質者らしき輩がいれば迷わず警察に通報し、暴走族などに代表される迷惑行為におよぶ者の動向も同じく警察に知らせることもあるという。
そうすることで、この新聞販売店の仕事自体が、そのまま犯罪の抑制につながる希有な職業ということになるわけや。
もっとも、世間からそう思うて貰えることはほとんどないがな。
それどころか、人としてすら低く見られることの方が多い。
割に合わんと言えば、これほど割に合わん仕事も他にないのやないかと思う。
タケシタたち新聞販売店の人間が遭遇するのは、何もそういう警察に通報せなあかんような輩ばかりとは限らん。
早朝の配達時間中に、販売店の近所のコンビニの前で、一見して不良っぽい若者たちが俗に言うウンコ座りをしながら、たむろしているのに出くわすことが良くある。
そんな時、タケシタは彼らに対し意識して「おはよう!」と声をかけるようにしていた。
初めのうちは完全に無視されていたが、そういうのが一週間ほど続くにつれ、彼らにも少しずつ笑顔が見られるようになってきた。
1、2ヶ月ほどであいさつを交わし合えるようになった。
近所で出会うと、向こうから「こんにちは! 新聞配達の兄ちゃんじゃねぇ?」と親しげに声をかけてくることもあった。
彼らもまた、世間で思われているほど程度が悪いというのやなく、どこにでもいてるごく普通の若者なわけや。
暴走族についても同じで、タケシタが当時勤めていた販売店にクボタという気弱な男が、こんな経験をしたことがあったと話していたことがある。
クボタは、あるバイパス通り近辺の区域を配達していた。
そこは、深夜の時間帯になると暴走族の溜まり場としても有名な場所やった。
クボタは、連中の視線を気にしながらも、その地域の配達を続けるしかなかった。
道路の半分以上を占拠している彼等の間を逃げるようにすり抜けながらの仕事やった。
そんなある朝、クボタは、バイクのバランスを崩して連中の足下付近の路上に2、30部ほどの新聞を落としてしまった。
一瞬、クボタは顔面蒼白になったが、暴走族の連中は、「大丈夫ですか?」と意外にも敬語を使ってクボタの落とした新聞を何人かで拾い集めてくれた。
「ありがとうございました」
クボタは精一杯の声を絞り出し、頭を下げてその場を立ち去った。
クボタ本人はそれを恐怖体験の一つとして語っているようやが、人はその見てくれだけで判断したらあかんという、ええ見本のような出来事やないかと思う。
暴走族を肯定するわけやないが、そのすべてがあこぎで迷惑なことをする者たちでもないやろうしな。
ただ、ちょっとばかりエネルギーがあり余っていて、そのはけ口にそうしとるだけの若者も多いはずや。
今から40年近くも昔、何を隠そう、このワシもその「暴走族」のチームを作り徒党を組んでいたことがあるからそういうのは良う分かる。
もっとも、その当時は「暴走族」という言い方はまだなく、「カミナリ族」と言われていた頃やったがな。
マフラーの芯を抜く程度の改造は、その頃から行われていて、そうすることで騒音が大きくなり、その音が雷に似とるというので、その呼び名がついたと言われとる。
当時はまだナナハン(750cc)すらなかった時代で、250cc、350ccのバイクが主流やった。
というても、ワシらのように昼間仕事しとるとはいえ夜学に通うてる貧乏人には、その新品を買うほどの力(りき)がなかったから、もっぱら中古のバイクを買っては自分たちで改造してたもんや。
また、どこかに放置されたままのバイクや車があるという情報を聞きつけると、皆でそこに部品を取りに行ったということもあった。
もっとも、あるときなど、それをしとる最中に気がつけば周囲を警察のパトカー数台にグルリと取り囲まれ、補導されたこともあったがな。
そうすることが法に触れるというのも、そのとき初めて知ったというお粗末さやった。
今でも、その頃の仲間と会うとその話を肴に酒を酌み交わすことがある。
ワシらにとっての古き良き時代やったわけや。
自慢やないが、部品のパーツさえあれば、ワシらは自力でバイクを組み立ててたもんや。
言えば、趣味としてのバイク好きの延長ということになるのやが、今と同じでそうした若者は、世間から不良というレッテルを貼られ眉をひそめられる存在になるわけや。
まあ、ワシに関して言えば、その頃は毎日のように喧嘩ばかりして悪名を売っていたから、そう思われても仕方なかったがな。
ワシ自身は今と同じで、間違ったことは嫌いという人間のつもりやったし、グループで連んで走っとるときなど、他の車などが側溝に嵌って身動きが取れずにいとる場面に遭遇したら、迷わず皆で引き上げて助けてたもんや。
結果として、その爆音を出しながら街中を走っていたことで迷惑をかけていたかも知れんが、少なくともワシらには、そのつもりも意識もあまりなかった。
まあ、それを迷惑に感じてた人間からすると勝手な言い分かも知れんがな。
ただ、その経験から、暴走族やというても、ほんまに悪いことをする人間は一握りしかおらんはずやと今でもそう思うとるのやけどな。
その証拠に、たいていの者は、ある一定の年齢になったら、そういうことを止めるもんやさかいな。
他の悪事と違うて長続きするようなもんやないということや。
そのほとんどは、ワシらがそうやったように善良な一般市民として社会にとけ込むわけや。
ちょっと横道に逸れてしもうたが、ここらでまたタケシタの話に戻す。
今から10年ほど前の昼前頃のことやった。
タケシタは自宅にいて、突然、吐血して倒れた。
パンツ一丁の姿で意識も定かでないまま、アパートの部屋から必死になって外に這い出ていた。
僅かでも冷静になっていて意識も確かやったら、自ら携帯電話で119番もできたやろうが、そのときには、そんなことを考える余裕すらなかった。
ただ、一刻でも早く外に出て誰かの助けを求めたい。それだけを考えていたのやと思う。
部屋の玄関先には大量の夥(おびただ)しい吐血の跡がある。
いったいどのぐらいの時間、その玄関先で気絶していたのかさえ、覚えていない。
その場所は、付近でも一際(ひときわ)交通量の激しい交差点のすぐ側やった。
僅かに意識を取り戻しかけたとき、何台もの車のドライバーたちが、いぶかしげな表情を残しながらタケシタを見て、走り去って行くのが分かった。
このとき、タケシタは、あのオオカワという老女のことを思い出していた。
あのときも、タケシタ以外は誰も車を止めようともせんかった。
都会の人情のなさは痛感していたが、今度はそれを我が身を持って味わうことになろうとは思うてもみんかった。
タケシタは、これだけ皆のためになるようなことをして日々頑張ってきたのに、何で誰も助けてくれへんのやと、このときばかりは、その世間の冷たさを呪ったという。
結局、止まる車は一台もなかった。
このままやと死ぬ。
神も仏もないものかと絶望しかけていたときに、その女神が現れた。
自転車で偶然通りがかった大学生らしき女性が急ブレーキをかけて止まってくれた。
乗っていた自転車を道路に投げ出して。
「大丈夫ですか?」
その優しい声は今でも脳裏に焼きついている。
タケシタにとっては本当に「女神」のように思えた。
彼女は、持っていたハンカチをタケシタにそっと渡してから、近所の家に飛び込み、119番通報してくれた。
間もなくその通報で急を知り駆けつけた所長のオカダと一緒に救急車に乗り込んだ。
『ピーポー、ピーポー』と甲高いサイレン音をかき鳴らしながら、目的地の公立病院に向かっていた。
「おい、大丈夫か?」
オカダはその車中、懸命にタケシタに言葉をかけた。
酸素ボンベの冷たい器具の感触がタケシタの口を覆っていたので、目でしかそれに答えることはできんかった。
病院に着き、即、口の中に胃カメラを押し込まれた。
もう一歩遅ければ、胃を半分以上切り取らなければならなかったと、後に主治医から聞かされた。
それくらい重度の急性胃潰瘍やったという。
その後、しばらくの間、タケシタは人生初めての入院を経験することになった。
少し落ち着いてから、オカダに「あのときの女子大生は?」と聞いたが、オカダが現場に着いたときには、ヤジ馬は多かったが、それらしき人物は誰もいなかったという。
タケシタは、あのときの女子大生から借りた血に染まったハンカチを今も大切に持っている。
できることなら、会ってあのときの礼を言うて、このハンカチを返したい。
後日、自転車に乗っていたくらいやからと思い、近所や近くの大学のキャンパスにまで足を運んでその彼女を捜したが、結局、見つからず終いやった。
もっとも、タケシタのあの混濁した意識の中では、その女子大生の顔をはっきり覚えてなかったということもあったのやがな。
覚えていたのは、その声だけやったし、服装も派手やなく、とても優しい感じやったという記憶だけでは、雲を掴むような話でもあるしな。
救急車の到着と同時に名も告げず立ち去った彼女を、たぐり寄せるよすがは何もなかったわけや。
タケシタにとって、あの彼女の優しさにより命を助けられただけやなく、その後の生きる支えにもなり、以前にも増して、人の役に立ちたいという思いに駆られるようになったのは確かや。
それ故に、困っている人を見かけると、黙ってはいられない今の自分があるのやろうとも思う。
「情けは人の為ならず」ということわざがある。
誤って、「情けをかけるのはその人のためにはならない」と思っている若者が多いと、マスコミなどで報じられた事があった。
正しくは「情けというものは、他人のためではなく、いずれは巡り巡って、自分自身に良い報いとして返ってくるから、人には親切にしなさい」という意味の教訓になる。
新聞店員も拡張員も、日々『人の情け』に接する仕事やと、タケシタは思う。
人情の分からんような人間は、新聞販売店や新聞営業の仕事に携わるべきやない。
しかし、「恩義」や「信頼」といったような人情の機微が分からん連中が昨今、この業界にも増えたような気がしてならん。
そいつらが、つまらん事件を引き起こす。
もちろん、それはこの日本全体の社会に言えることで特に新聞業界に限った事でもないとは思うが、そのような輩が淘汰されることを請うて止まないと、タケシタは切に願うばかりや。
それにしても……。
あの女神の女子大生も今頃は優しいお母さんとなって、子供たちを毎日学校に送り出しているのやろうなと思う。
直接の感謝はできんかったが、せめて、その幸せくらいは蔭ながらでも願っていたい。
そのためにも、およばずながら、この町内の安全はオレが守らなあかんと、タケシタは決意を新たにするのやった。
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