メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第209回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日  2012.6. 8


■新聞の実像 その6 新聞第3のタブー、記者クラブ問題について


ワシらは2年以上に渡り、小沢一郎氏の政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で強制起訴された問題に関し、様々な根拠、証拠をもとに「えん罪」にも等しい行為やと言い続けてきた。

小沢氏の「悪徳政治家」というのは捏造された虚像ではないかと。

その虚像を作り上げたのは残念ながら新聞各社の陰謀に、ほぼ違いないというところまでは分かったが、なぜ新聞各社が小沢氏をそうまでして叩くのかが、もう一つ良う分からんかった。

「悪徳政治家」と断じるには、それなりの犯罪行為があり違反がなかったらあかんはずやが、氏にはそういうものは見当たらん。

少なくとも確定した罪名や具体的な悪行と呼べるものは何もない。

唯一そう言える可能性があったのは先頃、無罪判決が下った「政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑」くらいやが、それとて本来は微罪にすらなりようのない些末な問題やったと思う。

しかし、それでも新聞各社は氏を「悪徳政治家」と決めつけたかのような報道を繰り返してきた。

その報道を信用じた国民も多い。正直言うて氏のことを調べる以前のワシらも、その報道を信じていたさかいな。

小沢氏は悪辣な金まみれの悪徳政治家やと。

新聞が確たる証拠もなく悪し様に攻撃するはずがないという思いから、そう信じてきたわけやが、今はその間違い、愚に気づかされている。

新聞を売る身としては辛い現実やがな。

そして、新聞には「新聞勧誘の実態」と「押し紙問題」という新聞社が絶対に報道しない2大タブーの外に、第3のタブーとも言える「記者クラブ問題」があることも知った。

それについては当メルマガ『第203回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞とは何か その1 報道の裏側に見え隠れするもの』(注1.巻末参考ページ参照)の中で触れた部分がある。


なぜ、そこまでして新聞が小沢氏を嫌うのかということを調べていくうちに、意外なところにその理由があったというのが分かった。

それは今から20年以上前の1991年までに遡る。

当時、自民党の幹事長だった小沢氏が、それまで政見記者会見には記者クラブに属している記者しか出席できないことに疑問を呈し、記者クラブに所属していない雑誌記者を含めたその他の記者たちをオープンに参加させたことに、端を発しているという。

それから以降、既得権を侵害されたと感じた新聞社やテレビメディアが一斉に小沢氏を攻撃するようになったと。

それが今日の小沢氏の虚像となって表れていると。

どうやら、それは事実のようや。それについての詳しいことは、もう少し調べた上で話したいと思う。


と話した。

それについて調べている過程で、上杉隆氏の『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ』をつくのか』(注2.巻末参考ページ参照)という書籍に掲載されている記事が目に止まった。

その部分を抜き出して引用する。


書籍『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ』をつくのか』PHP新書 より引用

【なぜ小沢一郎には「悪」のイメージがつきまとうのか】


こうした既存メディアの報道被害を直接受けた人間は、やっとその「ウソ」や「欺瞞」に気がついた。

そしてその象徴たる人物が、既存メディアの被害に長年あいつづけている小沢一郎氏である。

彼には「悪の権化、金の亡者」というイメージがつねにつきまとっているが、これこそ既存メディアがつくりあげた「虚像」にほかならない。

そう言うと、すぐに「上杉は小沢のポチだ」という批判が飛んでくるが、そもそも、ある人物に対する評価は是々非々であり、多様であって当然だ。

「メディアの報じ方が偏りすぎているので、実像をきちんととらえましょう」と私は言っているにすぎないが、情報が統制された記者クラブでは同調性が働き、結果として表に出るものは、実際の姿とはかけ離れてしまう。

じつは、この記者クラブの問題をいち早く問題視した政治家こそ、だれあろう小沢一郎氏だった。

自民党幹事長だった1991年、小沢氏は記者クラブメディア以外の雑誌記者も会見に参加できるという、記者会見のオープン化をはじめて行ったのだ。

公の政府に対し、どのメディアであっても関係なく質問することができ、反論もきちんと行える。

会見を記者クラブだけに限定し、情報を独占することは、民主主義の公平性のルールから完全に逸脱している―

これが小沢氏の主張であり、自民党、新生党、新進党、自由党、そして民主党と続いた約20年間、その方針を彼は貫いている。

小沢氏が日本人政治家のなかで、海外(少なくとも海外特派員)から評価されているのは、そのためだ。

評価といっても「常識的」なことを行っているという意味にすぎないが、この「常識」ですら実践できないのが、日本の政治家や既存メディアなのだ。

どちらかといえば、そうした日本の権力構造のエリート層こそ、海外から相手にされていないと理解するほうが実情に沿っている。

しかし、そのような小沢氏に対し、記者クラブメディアは徹底的に攻撃を仕掛けている。

信じがたいことに、その目的は、たんにみずからのつまらない面子と不健全な権益を守るためだけである。

小沢氏の不機嫌な表情ばかりを映像で流し、反論はいっさい掲載せずに不都合な情報だけを撒き散らす。そんなやり方を続けてきたのだ。


というものや。

小沢一郎氏が記者クラブ制度を撤廃したのは事実である。

上杉氏の言われるように、本当にそれを恨みに思って新聞各社が小沢氏を「悪の権化、金の亡者」に仕立てるような報道を続けてきたのか。

もちろん、そんなことを問うても新聞各社が「そうや」と認めるはずはないがな。

ただ、それが小沢氏を攻撃し続けている理由やと仮定すれば、少なくとも『政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑』での一連の異常とも思える報道についての疑問は解ける。

その容疑の根底にあったのは「水谷建設からの収賄容疑」やったわけで、それについてはテレビで散々報じられたように徹底的に小沢氏を調べ上げたにもかかわらず何の証拠も得られなかった。出てこなかった。

検察による完全な見込み捜査やった。本来なら、新聞はその強引な見込み捜査のあり方を批判せなあかんはずや。

しかし、当時の新聞各社の関連記事には、そういう類の報道は見当たらん。

現在と一緒で無罪になっても「まだグレー」という論調がまかり通っていた。

新聞は過去、無罪判決が下された被告には、ほぼすべてのケースで同情的な論調に終始してきた。捜査機関のやり方に疑問を呈してきた。

その姿勢が小沢氏に限っては微塵もない。

無罪になって尚、まだグレーやとか怪しいという論調を繰り返しとるのは、今回の小沢氏のケースくらいなものやろうと思う。

それに、小沢氏の問題はちょっと調べるだけで、おかしな言いがかりやというのは誰にでも分かることや。

小沢氏がグレーとか怪しいと言うてる人たちは、ほぼ100%の確率で新聞やテレビ報道の論調を鵜呑みにしとるからやと思う。

ただ何となくという感じで小沢氏が「悪の権化、金の亡者」だと信じ込まされているにすぎないと。

そのためやと思うが、ならばどういう理由で小沢氏が「悪の権化、金の亡者」なのかと質問されて具体的な根拠を挙げて「だから悪の権化、金の亡者だ」と答えられる人は、ほとんどいない。

ある読者の方から、


小沢氏を有罪だと決めつけている人たちにゲンさんのサイトにあった、

▼NO.1128 貴兄が小沢一郎を擁護する根拠が知りたい
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage10-1128.html

というページを教えると、その後「小沢氏有罪説」を唱える人は出なくなりました。


と教えて頂いた。

心ある人なら、そのページを詳しく読まれれば「なるほど」と分かって頂けるはずやと思う。

実際、そのページはYahoo!やGoogleなどの主要ポータルサイトにおいて「小沢一郎を擁護する根拠」というキーワードで検索すれば第2位でヒットするから、その手の問題に興味のある人たちが見ている可能性は高い。

そのページをアップして以降、小沢氏の問題で異論や反論をしてくる人はいなくなった。

質問者からの反論も今のところ寄せられていない。

逆に賛意を示す意見は数多く寄せられているが。

そのページでは今回の小沢氏に対する『政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑報道』がいかに矛盾した偏向報道やったかという話をした。

この回から見られている方もおられると思うので、その根拠を幾つか挙げて簡単に説明する。

検察による小沢氏への不起訴決定に対する不服の申し立てをした市民団体とやらは、その名称すら新聞紙面では明かされていない。

単に「市民団体」と新聞紙面上で明記されているだけや。それも大勢の市民ではなく、たった一人による異議申し立てをしたものやったことが判明した。

しかも、その狙いは外国人参政権阻止にあったと、その人物自身のブログでそう断言していた。

この人物にとっては、訴えた事案で罪に問われるどうかなど関係なく、その事で僅かでも小沢一郎氏の人気を下げられ、その力を一時でも削ぐことができるのなら、『外国人参政権阻止』につながるから良しと考えていたことになる。

マスコミ始め、東京第5検察審査会がそれに同調した。乗せられたというより意図的に乗った、便乗したのやろうと思う。

東京第5検察審の起訴相当議決に至った経緯も異常である。

小沢氏の強制起訴を議決した審査員は11人いるが、その平均年齢は30.9歳だったとされる。

有権者から「くじ」で選ばれることになっているが、有権者の平均年齢は約52歳。この大きな差から、「本当にくじで選ばれている」のかという疑問が湧いている。

東京都の年齢層別の人口をもとに、多摩大学経済情報学部の統計分析グループがそうなる確率を計算した結果、「0.005%」という数字が弾き出された。

70歳以上は審査員を断れる制度があるから、70歳未満の都民だけを母数にしても「0.075%」となった。

さらに驚くべきは、1回目の議決をした審査員の平均年齢も34.3歳(2回目とは全員が別人)やったということや。

平均年齢以下になる確率(母数70歳未満限定)は、「0.89%」で、両方が続けて起きる確率になると、「0.00067%」、つまり「100万回くじを実施すれば7回」起きるかどうかという奇跡だったことになる。

そんな偶然などないというのが一般的な常識で、ワシもそんな偶然などあり得んと思う。

検察審の選出方法は裁判員制度の裁判員ほどオープンにはなっていない。人知れず行われている。

この数字は何らかの不正が陰で行われていたと思わせるに十分なものやと考える。そう考える方が天文学的な偶然の確率を信じるより説得力がある。

最初から、その議決が出ると決まりきった者ばかりを選んだのやないか、誘導しやすい対象ばかりを恣意的に選んだのやないかと。

審査には2000ページもの膨大な捜査資料を読み込む必要があったにもかかわらず、1ヶ月程度の短い審議期間内で、それぞれ仕事を持っている一般の審査員たちが、その膨大な捜査資料を読破し、会合を重ねて結論をまとめたというのはあまりにも無理がありすぎる。

そんなことは限りなく不可能に近い。

補助員弁護士の正確な就任時期にも疑問がある。8月時点で補助員弁護士が決まっていなかった。

検審法では「2回目の議決には必ず補助員弁護士をつけること」と定めている。

ところが、今回の弁護士が就任した時期は明らかにされていない。

9月はじめに「就任情報」が流れ、メディアは確認に動いたが、検察事務局も裁判所も明らかにしなかった。

当人は、議決を終えていた9月20日になっても、記者に対し、「(自分が補助員になるという報道は)事実と違う」と就任を否定していた。

もし議決当初に正式に就任していなかったとすれば、議決そのものが法的に無効になる重大事だが、それすら国民も小沢氏側も確認する方法がないのである。

問題にすらされていない。小沢氏側の弁護士が、その事の是非を訴えても却下されている。

その一方で、弁護士も検察関係者も「1回目の議決は11人全員が起訴相当だった」といった審査の様子、内容などをリークしている。

これは検審法が禁じる「情報漏洩」に当たるが、こちらも問題にされていない。

しかも、これを小沢氏が総理大臣に決まるかも知れない民主党代表選の直前に議決したのである。

これらの事実は新聞やテレビでは一切報道されていない。

新聞が真に公平な報道を目指すと公言するのなら、絶対に報道してなあかん重大事やないかと思う。

しかし、現実は握りつぶされ、新聞やテレビでは報道されんかった。一部の週刊誌が報じただけや。

ワシらのような素人でさえ、少し調べれば簡単に分かるようなことが優秀な頭脳が結集しとる新聞社の連中に分からんはずがない。

知って知らんふりをした、小沢氏にプラスとなる情報を封殺した。それなら納得できる。小沢氏を陥れるために。

そんな状況で強制起訴された裁判など推して知るべしで、説明するのさえ面倒なくらいお粗末なものやった。

普通では絶対に起きるはずのない裁判が強行されたんやからな。

おそらく小沢氏とその周辺以外では今後も起こり得ない裁判やったと言うても過言やないと思う。

事実、その後も雨後の竹の子のごとく『政治資金規正法違反(虚偽記載)疑惑』が取り沙汰された政治家は多かったが、結局、それらすべてが捜査されることすらなかったさかいな。

普通はそうなって当たり前で、そもそも違反基準や罰則規定すら曖昧な法律に抵触するかも知れんという容疑で調べられたり、裁判になったりすること自体が異常なわけやさかいな。

それもまったく記載していなかったということやなく、記載した時期が事務処理で翌年にズレ込んだというだけの話や。

会計学の専門家によれば「時期ズレ」は犯罪ではなく、むしろ正しい会計処理やったとの証言がある。

片手落ちというレベルの話やなく、まさしく小沢氏やからこそ、無理矢理こじつけられた罪名やったと思う。

それらについてこれ以上話し出すと長くなるので、サイトのQ&A『NO.1128 貴兄が小沢一郎を擁護する根拠が知りたい』、または関連のメルマガ(注3.巻末参考ページ参照)で詳しい経緯について数々の証拠、根拠をもとに話しとるので、それらを見て頂けたら分かると思うさかい、ここでは割愛させて頂く。

それらの不可解な新聞報道の原点に「記者クラブ問題」があったという。

記者クラブ制度とは、そもそも何か。

公的機関や業界団体などの各組織から継続的に取材することを目的に大手新聞、テレビメディアを中心に、法人としての登記が為されていない私的な組織ということになっている。

日本新聞協会は、記者クラブの目的を「国民の『知る権利』と密接にかかわる」ものとして、「公的情報の迅速・的確な報道」、「公権力の監視と情報公開の促進」、「誘拐報道協定など人命・人権にかかわる取材・報道上の調整」、「市民からの情報提供の共同の窓口」と定義している。

しかし、加盟社以外に記者会見を開放しないなど独占的な活動によって、記者クラブ以外のジャーナリストによる取材活動が差別、制限されてきたという実態がある。

しかも、公的機関は記者クラブに対してのみ記者室を提供して光熱費なども負担している。総額で年間110億円、全国紙1社あたり数億円の利益供与になるという。

それらの出所は当然、税金からということになる。そのため「便宜供与に当たるのではないか」といった批判が出ている。

取材対象である公的機関、政治家側から同じ情報提供を受けているということもあるのか、加盟している新聞各社の記事の文面が、ほぼ同じ内容になっている。

それには「メモ合わせ」というものがあり、クラブに加盟している記者たちは別会社の記者同士であるにも関わらず取材メモを見せ合っているからやと言われている。

これは新聞記者としては恥じとせなあかんことやないかと思う。お互いカンニングをし合って記事を作成しとるようなもんやさかいな。

極端なことを言えば、他紙の新聞記者が書いた記事をそのまま自社のデスクに送り、それがその新聞の記事として掲載されとるケースもあるということや。

新聞各社の記事の文面が、ほぼ同じ内容になっている所以でもある。

記者会見は、ほとんどが記者クラブ主催となっていて、参加者は加盟社に限られ、仮に加盟社でない記者が参加できても質問はできないという制限がある。

加盟新聞社以外の報道機関、ジャーナリストたちの記者クラブへの入会は難しい。

実際、入会審査するのは各記者クラブやが、審査過程は不透明で、加盟社が1社でも反対したら入会は認められないことになっとるということや。

その排他性から「情報カルテル」、「談合」、「護送船団方式」と表現されることも多い。

公的機関では記者クラブ以外には便宜を図らないケースが多く、加盟社でないと十分な取材が行えないと言われている。

これではいくら「公的情報の迅速・的確な報道」、「公権力の監視と情報公開の促進」というスローガンを掲げても、そのとおりに実行できるわけがない。

情報を独り占めにできる新聞社は、その情報の取捨選択は自由やから、得た情報を報道するかどうかは胸先三寸で決まるということになる。

そんな状況に「メモ合わせ」が加われば偏った報道になる可能性が高いわな。

それを問題視したOECD(経済協力開発機構)やEU議会などから記者クラブへの改善勧告が出されているが、大手メディアはその事実を報道していない。

そのため、国民には記者クラブの持つ閉鎖性が知られる機会が、ほとんどないと言うてもええ。

ただ、問題だらけの記者クラブでも、「誘拐報道協定など人命・人権にかかわる取材・報道上の調整」という点において報道を制限する上では役立っていると言い添えておく。

記者クラブの統率が取れているからこそ、そういう報道規制、報道協定が簡単にできるわけやさかいな。

これが自由奔放に取材できた場合、どこかの新聞社、報道機関が抜け駆けをしてその報道協定が破られるということも考えられる。

記者クラブ制度のすべてが悪いというわけやないが、その良い点を差し引いたとしても問題が多いのは確かやと思う。

ワシらも新聞社には触れられたくないタブーがあるというのは良う知っとる。

このメルマガやサイトで何度なく触れてきた「新聞の勧誘問題」がそうやし、「押し紙問題」がそうや。

それらのタブーが新聞紙面で報じられることはない。それに「記者クラブ問題」が加わっていたことになる。

問題が多いと判断した当時の自民党幹事長の小沢一郎氏は、1991年から記者クラブ制度を半ば強引に撤廃した。

それにより既得権を侵害されたと考え反発した新聞各社が、それから以降、20年以上にも渡り、事ある毎に小沢氏を攻撃する報道に徹しているのやという。

小沢氏は官僚組織の解体も画策していたから、当然のように官僚からも嫌われていた。

そのため官僚側は小沢氏に反対、対抗する政治家たちを取り込み、徹底した小沢氏排除に乗り出した。

現在、自民党などの野党が野田総理に消費税増税問題で「小沢切り」を迫っているのは、そうした過去の経緯があるからや。

何としても小沢氏をつぶさんことには自分たちの思いどおりにはならんからと。小沢氏に居座られると我が身が危ないと。

その考えで一致した官僚や小沢氏に敵対する政治家たちと新聞各社が結託した。その結果が今やということになる。

形の上では今のところ彼らの方が勝利していると言える。

もっとも、その事実を知ってしまったワシら一般国民の反応が、今後どういう形で表れるかは何とも言えんがな。

いずれにしても、それで腑に落ちるというか、すべてが納得できるという気になる。そういうことやったのかと。

この一連の事象から判断すると、どう考えても巨悪は小沢氏よりも、むしろ新聞社側、官僚側にあるとしか思えんという気になる。

ワシらは何度もメルマガやサイトで口酸っぱく言うてるが、報道する側にタブーなど絶対にあってはならん。

例え自身のことであっても悪いことは悪いとして報道する姿勢を示さん限り、新聞に明日はない。いつかは国民から見放されてしまう。

ワシらは、そうなって欲しくないからこそ、敢えて声を大にして言い続けとるわけや。

一刻も早く新聞社には、その愚に気づいて欲しいと。

何事もそうやが、自らの過ちに気がついて訂正、謝罪して正しい道に方向転換するのに遅すぎるということは絶対にない。

いつ如何なる時からでも再出発はできる。それを現在の新聞各社に分かって欲しいと思う。

それが真に新聞の生き残る道であり、唯一の方法やと信じとる。

記者クラブに関しては、2年前のメルマガ『第91回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞の実像 その1 新聞が斜陽化している本当の理由とは』(注4.巻末参考ページ参照)の中で、少しだけ触れたことがある。

その部分や。


その所属する企業に力が増すことで、それが自身の実力やと錯覚する。

その最たる錯覚に陥っていたのが新聞社やったと思う。

その錯覚が、「言論の自由」を守るのは自分たちだけに与えられた特別な使命で、その権利を有する唯一の存在やと考えるようになったと。

それにより、新聞社には、あらゆることを知る権利が特別にあるという思い上がりも生まれたと。

それがために、大手新聞社の組織する「記者クラブ」に所属している者だけが特定の情報を得る権利があると考えとったわけや。

かつて、1989年3月8日までは、法廷で一般傍聴人はメモをとることすら許されてなかった時代が長く続いていた。

その理由というのが、「法定内の静けさが乱される恐れがある」、「証人が不安を感じて正直に証言しなくなる恐れがある」からというものやったという。

実際には、そんなことがあったという事実もなければ、その可能性もほとんどないというのは誰にでも分かりそうなもんやけどな。

理由になっていない。

しかし、現実には法廷でメモを取ることを認められていたのは、「司法記者クラブ」に所属する大手新聞社の記者だけやった。

おかしなことに、その「司法記者クラブ」に所属する大手新聞社の記者たちがメモを取る分には、その禁止理由は適用されんかったという。

それに異議を申し立てたのが、アメリカ人弁護士ローレンス・レペタ氏で、俗に「レペタ事件」、「レペタ裁判」と呼ばれとるものが、それや。

最高裁の判決では、メモを取ることは権利として認められないとして、上告は棄却されたものの、「筆記行為の自由は憲法21条1項の規定の精神に照らして尊重されるべきである」となった。

つまり、判決では法廷でメモを取ることは権利の保障ではないが、しても構わないと認められたわけや。

その意味では、この判決は原告の実質的な勝訴やったと言える。

これに関して、ジャーナリストの江川紹子氏のブログ(注5.巻末参考ページ参照)に興味深い記述がある。

その部分を抜粋して引用する。


 当時、新聞社はメモ解禁に否定的だった。その理由を聞くと、ある知人の記者がこう言った。

「これまで自分たちだけで座っていた座布団に、誰か知らない人たちがお尻をのっけてきた、そんな感じがする」

 そして今、様々な役所の資料がインターネットを通じて直接国民に公開され、大臣会見がフリーランス記者に開放され、今回のようにツイッターによるリアルタイムの情報公開が行われ……。

 気づいてみたら座布団に、次々にいろんな人がお尻を載せてきて、居心地が悪い、という気分に陥っている新聞社の人たちは結構いるのではないだろうか。
 
 でも、もう少し違う考え方ができないだろうか。
 
 人々の生活が多様化している中、広く急いで知らせた方がいい情報などは、いろんなメディアを通じて流した方が望ましい。

 記者会見なども、役所や政治家による公開情報の提供なので、なにも新聞記者だけのものにしておく必要はない。


まさしく正論やと思う。

しかし、新聞各社は、それが正論とは気づかず、また認めようとせず、自分たちの権利が当然のものとして認識していたことになる。

それは、新聞がメディアの中枢を担っていると固く信じていたからに外ならんと思う。

自分たちだけが唯一無二の報道機関との奢(おご)りがあったからやと。


と記述したことがあった。

その記事でも分かるように、ワシらは記者クラブのことを、まったく知らんかったわけやない。

しかし、それがタブーになっているとまでは気づかんかった。既得権の塊やとも。

新聞社が既得権を守るためには遮二無二になって立ち向かう、運動するというのは6年前の旧メルマガ『第85回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞特殊指定について』(注6.巻末参考ページ参照)で話したことがあるさかい、それについては良う知っとる。

2005年11月、公正取引委員会は新聞の特殊指定の廃止を含めた見直しを検討すると発表した時の新聞社の対応が、まさしくそうやった。

新聞業界にとって、この特殊指定が見直しされると、新聞そのものの存在が危うくなり、衰退するとの懸念を強く持っていた。

新聞の特殊指定が廃止されるということは、新聞の再販制度にまで事が及ぶと新聞各社は判断したわけや。実際にも、そうなる可能性が高い。

新聞各社は紙面を割いて反対を表明し、特殊指定が見直し、廃止を阻止しようと決起集会も頻繁に行った。

新聞は、この特殊指定と独占禁止法の再販制度によって維持されてきたという側面がある。

つまり、新聞は国の法律で例外的に守られているわけや。

現在、新聞の再販制度が維持されているのは日本とオーストリアしかない。ドイツは時限的に廃止の方向にある。

つまり新聞の再販制度というのは世界でも稀な制度やということになる。

国の政治を監視する役割を担うと言うてる者が国の法律に守られているのでは、その任が果たせると言えるのかとなると、はなはだ疑問やと思う。

しかも記者クラブ制度というもので特別な恩恵を公的機関から受けているとなれば尚更や。

それでも新聞各社は「果たせる」と言うやろうがな。立場上、そう言うしかない。

本来なら報道機関はいかなる勢力の影響を受けない公明正大な立場に立って報道するべきやと思うが、残念ながら日本では、そうはなってはいない。

それどころか、再販制度に守られていることや記者クラブ制度で優遇されていることが権利、権益と考えとるようなところさえ見受けられる。

新聞に限らず権益を守ろうとする組織、企業が、そのために運動するのは当然のことで、とやかく言われる筋合いのものではないのかも知れんがな。

結果として、先送りという形で当面の新聞の特殊指定の見直しは避けられた。

それには政治的な働きかけがあったからやと言われている。公的機関、政治家たちと密接につながっていることが、それで活きた格好になったわけやな。

新聞はタブーを新聞紙面に掲載しないというだけやなく、身内がそのことに触れるのを極端に嫌う性質もある。

そのタブーの一つ、「新聞勧誘の実態」については10年ほど前、ある新聞販売店の従業員が赤裸々に記述していたサイトがあったが、新聞社の圧力によって閉鎖に追い込まれたという事実がある。

当時、ハカセはサイトを開設する準備をしていた頃で、実際にそのサイトの管理者とのメールを数多くしていて、その裏側の事情についても熟知していたから、よく分かっている。

それから以降、新聞販売店や新聞拡張団などがホームページやブログを開設する際には新聞社への届け出、つまり許可が必要になったと言われている。

表向きは、ホームページやブログを開設する際には新聞社から援助金を出すためということになっとるが、これは監視目的以外の何ものでもないと思う。

そのためか、現在、新聞販売店や新聞拡張団などが運営するホームページやブログは数百程度しかネット上に存在していないということがある。

現在、新聞販売店が約2万店舗。新聞拡張団は1千社ほどもあり、その大半がパソコンで仕事しているのにもかかわらずである。

当然やが監視されてたんでは好きなことなど言えんし、書けん。好き放題書けば不利益を被ることすら考えられるわけやさかいな。

それではサイトを運営しても面白くないし、アホらしいのやろうと思う。単に面倒なだけというのもあるかも知れんが。

もっとも、身分や正体を偽っての覆面サイト、ブログの実数は把握できんから実質的には、もっとあるやろうがな。

いずれにしても業界関係者が表立って「新聞勧誘の実態」を扱うのは難しいと言える。

扱えるとしたら、ハカセのように新聞業界とは何の関係もない一般人くらいなものやと思う。

ナンボ新聞社でも、そういう人間にまで手は出し辛いさかいな。それもあるのか、今のところ新聞社からは何のクレームも来ていない。

単に、取るに足らないサイトと見られているだけなのかも知れんが。

二つ目のタブーである「押し紙問題」は、もっと陰険や。

5年ほど前の2007年6月19日、押し紙に関連した裁判の判決があった。


損賠訴訟 Y新聞販売店契約更新で店主側が勝訴 ○○高裁、1審を支持


新聞販売店契約の更新を拒絶したのは不当として、Y新聞社を相手取り、販売店主らが地位確認と計1200万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、福岡高裁は19日、契約上の地位を認めた1審・福岡地裁久留米支部判決を支持し
た上で、1審が退けた賠償請求も一部認め、330万円の支払いを命じた。


というのが、それや。

この裁判で原告側が「押し紙があった」という主張に対して、新聞社側は、「店主に極めて悪質な部数の虚偽報告があった」と言って真っ向から対立した。

新聞社としては、押し紙というものはなく、余剰新聞は販売店の虚偽報告によるものという主張や。

これに対して裁判長は店主の虚偽報告を「強く非難されてしかるべきで、責任は軽くない」とする一方、「虚偽報告の背景にはひたすら増紙を求め、減紙を極端に嫌う同社の方針がある」と指摘した。

これにより、実質的に新聞社の主張を退け、その責任があったとした。

販売店の責任もあるが、新聞社の責任も軽くないとした判決は、まさに現代の大岡裁きと言うてもええくらい見事なものやったと思う。

原告である販売店側が押し紙に関連した裁判で初めて勝訴した瞬間でもあった。

それまでは、その証拠がないためか、裁判の場ではことごとく押し紙自体が存在しないものとして販売店側の敗訴判決が出され続けていたさかいな。

同年8月9日。Y新聞社は最高裁への上告を取り下げた。これで、高裁の判決が確定したことになる。

問題はここからや。

勝訴した新聞販売店の店主は、販売店としての地位が保全され、今までどおりの営業が法律上可能になるはずやった。

それにもかかわらず、Y新聞社は2008年7月31日、その裁判所の判決を無視して、その販売店を改廃(強制廃業)に追い込み店主を解任するという暴挙とも受け取れる行為に出た。

これは公然とした司法への挑戦である。当然のように裁判は続けられた。

2008年11月26日に福岡地裁は再度、その新聞販売店の元店主の地位保全と新聞供給を再開するよう命令を下したが、Y新聞社は無視を決め込んだ。

Y新聞社はその後、制裁金を払い続けているという。制裁金を払い続けてでも「新聞の供給せよ」との裁判所の決定には従わんつもりのようや。

これは、新聞社が「押し紙」というタブーに触れた身内への冷徹な制裁をして、見せしめとしている何よりの証拠やろうと思う。

この裁判所の決定なんか糞食らえという暴挙を他紙も報じない。そのため、このことは一部の業界人以外は誰も知らない。

一般の人に至っては、知っているのはそのことを報じた週刊誌を読んだ読者くらいなものやと思う。

新聞社は押し紙に触れたそれらの週刊誌に対しても攻撃の手を緩めていない。

記者クラブ問題も、根はそれらのタブーと同じで、触れた者、否定する者は絶対に赦さないという姿勢が新聞社にあると考えた方が自然やろうと思う。

その証拠に、記者クラブ問題に手をつけた小沢氏だけやなく、同じように記者クラブを廃止しようとした元総務大臣原口一博氏も同様の仕打ちを新聞各社から受けているという。

あることないこと新聞社に言いがかりをつけられ報道されて貶められていると。

それについての事例は山ほどあるが、ここでは先に挙げた江川紹子氏のブログ(注5.巻末参考ページ参照)に、その一端が垣間見えるのでそれを見て頂ければ分かるものと思う。

事ほどさように新聞社は、タブーに関しては徹底排除することしか考えてないようなところがある。

それについて自ら報道して反省することなど露ほども考えていない。

その姿勢が続く限り、残念やが新聞社に救いはないと、改めてここではっきり言うとく。

隠し事からは何も生まれないと。いずれはその隠し事により身を滅ぼすと。

もっとも、今の時代、どんな隠し事も隠し通せんようにはなっとるがな。

最後にそのええ例として、「国境なき記者団」による「東京電力そして日本政府の日本人フリーランス・ジャーナリストに対する差別的な対応について強く批判する」(注7.巻末参考ページ参照)と題された声明文が発表されたというのを知らせておく。

その一部を抜粋する。


国境なき記者団 プレスリリース 05.23.2012 より引用

フリーランス 福島第一訪問で差別に直面 

国境なき記者団は、東京電力そして日本政府の日本人フリーランス・ジャーナリストに対する差別的な対応について強く批判する。


今月5月26日に予定されている昨年3月11日の津波と地震で大打撃を受けた福島第一原子力施設内部への第3回目プレス・バスツアー。

同ツアーには、約40人の記者が参加。その内、わずか2人のフリーランスに入域許可が下りた。

大手メディア所属のTVカメラマンや写真家などの参加は認められている一方、この2人のフリーランスに関しては、スチール・カメラそして撮影用カメラの所持そして撮影は禁止されている。

中略。

報道機関に加盟していない同フリーランスに関しては、如何なるカメラ機材も持ち込んではならないと条件付けられた事実を語った。

「このような明白な差別は、隠れたところで行われている密かな情報統制であり、受け入れることは出来ない」、国境なき記者団は抗議した。

「原発水素爆発の事故から一年経過した現在でも、政府関係者や東京電力は原子炉のメルトダウンによる原発施設、人体、そして環境への影響などに関する情報を極めて著しく統制している」


と。

これは日本政府や電力会社、日本の報道のあり方として世界中に配信されている事実である。

その記事の内容を知った世界の評価が、どんなものかは説明するまでもないわな。

恥どころの騒ぎやなく、国辱ものやと思うで、この行為は。

その事案の現場には、大手新聞社の記者たちも同行していた。

同じ報道に携わる者が、そんな待遇を受けているのは百も承知しているにもかかわらず、それに異を唱える者は皆無やったようや。

日本政府や電力会社のフリーランスの記者に対する処遇は責められてしかるべきやが、それ以上に、それを笑って横目で見ていたと思われる既存の報道関係者の姿を想像すると、やり切れんほど悲しい気持ちになる。

報道人である前に人間として失格や。報道の自由を声高に言うてることが何か虚しく聞こえてくる。

言うておくが、世間からどんなに嫌われる拡張員であろうと、仲間がそんな仕打ちに遭うとるのに目を背けて黙っとるような腐った者はおらんで。

少なくともワシの知る限り、そんな人間は拡張員にはおらんと断言する。

同じ業界の人間として、ホンマ、恥ずかしいとしか言いようがない。

国境なき記者団が毎年調査している「世界報道自由レベル インデックス」の2011−2012年版で、日本は179カ国中、22位。

これは先進国の中では最下層の部類に属するという。

ワシらが信じていた日本の新聞が、その程度の評価のものやというのは正直、ショックやったと言う外はない。

日本の新聞は世界のトップレベルにあると信じていたさかいな。

しかし、事実は事実として認識して受け入れるしかない。

その事実を新聞や既存のマスコミが報じないのなら、及ばずながらワシらが知らせる。

ワシらにできることは、新聞社のそんな愚を諭すことくらいやからな。

それを業界の人に知って貰うことは大きいと考える。この事実があるということを知っている業界の人は少ないさかいな。

もっとも、それで新聞業界が変われるかどうかまでは何とも言えんがな。ええように変わって欲しいと願うだけや。明日の新聞のために。



参考ページ

注1.第203回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞とは何か その1 報道の裏側に見え隠れするもの

注2.新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか 

注3.第101回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■報道のあり方……検察審査会の「起訴相当」決定の是非についてl

第118回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■民主党代表選挙報道のあり方について

第120回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■暴かれた「自白調書」のカラクリと検察への信用失墜について

第123回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■検察審査会制度の是非について

注4.第91回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞の実像 その1 新聞が斜陽化している本当の理由とは

注5.Egawa Shoko Journl 江川紹子ジャーナル

注6.第85回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞特殊指定について

注7.国境なき記者団・東京電力そして日本政府の日本人フリーランス・ジャーナリストに対する差別的な対応について強く批判する


ゲンさんの新聞勧誘問題なんでもQ&A選集 電子書籍版パート 
2011.4.28
販売開始 販売価格350円
 

書籍販売コーナー 『新聞拡張員ゲンさんの新聞勧誘問題なんでも選集』好評販売


ご感想・ご意見・質問・相談・知りたい事等はこちら から


ホームへ

メールマガジン『ゲンさんの新聞業界裏話』登録フォーム及びバックナンバー目次へ