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第219回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2012. 8.17
■拡張の群像 その10 拡張員になって失敗した男の話
ユウイチは今年30歳になる。結婚はしていない。
そのユウイチが、その新聞拡張団に入社したのは2年前やった。
ユウイチは大学卒業後、定職に就いたことがなく、アルバイト主体で生計を立てていた。俗に言うフリーターというやつや。
親は盛んに定職につけと言っていたが、ユウイチ本人は気楽にやれたから、それで十分やった。
しかし、そのアルバイトの口が減って、なかなか仕事にあつりくことができんようになって焦り始めた。
そんな時、新聞の折り込みチラシの求人広告に目が止まった。
ユウイチは、新聞そのものは読まないが、アルバイトの折り込み求人広告のチラシ欲しさに購読していた。
それに新聞営業の求人があった。「営業員募集」と。
それが世間で言うところの新聞拡張員の仕事というのは、すぐに分かった。
新聞拡張員という仕事には良い印象がなく、できればしたくはなかったが、すぐにでも仕事を見つける必要があった。
その頃、安アパートの家賃すら滞納していて家主から立ち退きを要求されていた。
手持ちの金も底を尽きかけていたということもあり、背に腹は換えられないとの思いで面接を受けることにした。
この窮地を逃れられるのなら何でもしようと。
その新聞拡張団というのはユウイチが思い描いていたようなものではなく、普通のビルの中にある小綺麗な会社やった。
ユウイチは、タカが拡張員の面接くらいと考え、ジーパンにTシャツというラフな格好で行ったことが恥ずかしいかったという。
その会社の事務員は当然として、出入りの拡張員とおぼしき社員の全員がスーツを着込んでパリッとしていたからや。
少なくとも外見からはユウイチが思い描いていたような胡散臭さは微塵も感じられなかった。
むしろ、その場にそぐわない場違いな存在はユウイチの方やったと。
ユウイチが見た新聞の折り込みチラシのその会社の求人欄には、「冷暖房完備ワンルーム・マンション即入居可」、「光熱費無料」、「前貸し金制度あり」とあった。
それに惹かれただけやったが、ここなら正直働いてもええなと思えた。
案外、世間で噂されているほど、おかしな業界ではないのやないかという気がしてきたからや。
面接の際、応接室で面接官が、一通り入社条件を説明した後、「以前にこの仕事を経験されたことがありますか」と尋ねた。
「いえ、初めてです」
ユウイチがそう答えると、その面接官は履歴書を見終わった後、「あなたは合格です。明日からでも出社してください。入社するにあたり、当社に何かご希望がありますか」と言った。
「あのう、求人広告には衣食住完備とありますが……」
「ご希望でしたら、そのように手配します」
結局、拡張団の住み込み者用のワンルーム・マンションに入居することになり、引っ越し費用を含めた当面の生活費として、20万円を借りることができた。
但し、入社時の保証人が必要とのことやったので、それは親に頼んだ。
「今度入社する会社の決まりやから形だけ」と言って。
親は、今までフリーターみたいな生活ばかりしていたということもあり、まともな会社に入社したと喜んで、快くそれに応じた。
入社時に保証人が必要な会社なら間違いはないだろうということで。
保証人とは言っても、書類はユウイチが書いて判子を押し、親には面接官がその確認の電話をしただけで済んだ。
それには実家が新幹線で5、6時間もかかるような遠距離にあるということもあったが、その安易さにユウイチも本当に形だけやと信じた。
ユウイチは、その会社が新聞拡張団だとは親には言っていない。
「○○情報開発株式会社」とだけ告げた。それが、その会社の正規の名称やったからや。
以前は、新聞拡張団と言えば「○○企画」といったものが多かったが、ここ数年は「○○情報開発」、「○○情報サービス」といった名称の会社が増えている。
この業界の者ならともかく、素人さんがその名前を聞いただけで新聞拡張団と分かることは、まずない。
ユウイチがIT関係の仕事とだけ告げると、親は簡単にそれを信じた。
ユウイチにとっては、新聞拡張員はあくまでも急場しのぎで、他に良い仕事口が見つかれば辞めるつもりやったから、親には心配かけたくないという思いがあった。
現在、多くの新聞拡張団では入社時には住民票は当然として、借金の有無に限らず保証人を取るケースが多い。
それに問題がなく、かつ初心者であれば採用される確率が高い。
すべてではないが、現在、業界では経験者を雇うケースは少ない。経験者は不法なやり方をするものと考えられとるからや。
何も知らない新人なら、指導次第でそういう真似をさせずに済むと。
それもあり、数年前に比べて業界の勧誘に対する悪評はかなり減った。
それに比例するように、サイトのQ&Aにも勧誘時のトラブル事案は開設時の8年前と比べると格段に少なくなった。
ユウイチが『思い描いていたような胡散臭さは微塵も感じられなかった』というのは、そのとおりで実際にも悪辣と評される拡張員が激減したのは確かやと思う。
何はともあれ、それで、ユウイチのその新聞拡張団への入社が決まった。
しかし、そこでの稼ぎは予想に反して悪かった。
面接時には、月収100万円稼いでいる者もいるという話やったので、頑張れば何とかなると思ったが、働けば働くほど赤字、借金が増えていくのが実情でどうにもならんかった。
成績は団内では、それほど悪くはない。勤め始めた1年間の獲得平均契約数が月30本以上はあった。中程度といったところや。
いろいろな名目の手当を含めると月の売り上げは25万円超になる。それでも、毎月、数万円から10万円の赤字が出ていた。
このままでは飼い殺しになると考えたユウイチは、同じような仲間と二人で、その拡張団から逃げて、別の新聞拡張団に身を寄せた。
そこでも、形だけと称して保証人を要求されたので、同じように親に頼み込んだ。今度は「関連の会社に出向になったので」と、ごまかして。
ところが、新に移った拡張団は前よりも酷かった。成績が以前より悪かったということもあるが、毎月20万円近くの赤字になった。
ユウイチは、また逃げることを考えた。
今度は、他へ行くというのやなく、郷里の親元に帰って一から出直すことにした。
親元なら、しばらくの間、飯を食う心配も済むところの心配もいらないからと。
父親の小言さえ、我慢すれば良い。以前はそれが嫌で家に帰るのを躊躇(ためら)っていたが、今はそこまで追い詰められていた。
そう思い親に電話すると、「一週間ほど前に会社から、お前が逃げたと言って男が二人来たが、どうなっているんだ」と、怒ったような声が聞こえてきた。
「それで、その連中は何と?」
「借金を200万円作って逃げたと言うてたぞ」と、父親。
「200万円? そんなバカな。そんな借金なんかしてない」と、ユウイチ。
ユウイチの計算では80万円ほどで多くても100万円までやと思っていた。
「取り敢えず、一度、帰って来い」
「分かった」
今のユウイチは、そうするしかなかった。
それにしても、まさか実家にまで取り立てに行くとは考えもしなかった。
しかし、現実に行っているわけやから、これ以上は逃げようがない。
その新聞拡張団が最初に簡単に借金をさせたのは、親に保証人を引き受けさせていたからやと知った。
ユウイチは、何とかならんかとネットを検索しているうちに、当メルマガ『第78回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞トラブルあれこれ その3 裁判、その長い闘いの果てに』(注1.巻末参考ページ参照)を目にした。
それに書かれている内容が、自分の置かれている状況と酷似していると感じたからや。
早速、ユウイチはメールした。
はじめまして。ユウイチと申します。
そちらの『第78回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞トラブルあれこれ その3 裁判、その長い闘いの果てに』を読ませていただいて私のケースと同じだと思いましたので、アドバイスをもらえないかと思いメールしました。
中略。
以上のような状態で、せっぱつまっています。やはり、そのメルマガのページにあったように裁判にした方が良いのでしょうか。
よろしくお願いします。
追伸 この相談は非公開でお願いします。
と。
これに対して、ハカセは確認事項として、次のように返信した。
『新聞拡張員ゲンさんの嘆き』のサイト管理者、白塚博士(ハカセ)と申します。
ご相談の件、承知しました。
また非公開の件も解決するまで控えさせて頂きます。
つきましては、当方でアドバイスさせて頂くに当たりまして、幾つか教えて頂きたいことがありますので、よろしくお願い致します。
1.その新聞拡張団の二人の男が来たとのことですが、当然のことながら、その請求書を持って来ているものと思いますので、まずその内容を教えてください。
2.あなたが認識されている借金の内容について教えてください。
おなたのような状況に置かれた人の場合、たいていは「前貸し金」として、上げた契約の半額程度を翌日に貰っているはずですが、それはどうなのでしょうか。
入居されておられた家賃、および光熱費などは毎月どの程度差し引かれていたのでしょうか。また、それ以外の税金や経費というのはどの程度あるのでしょうか。
それらの請求額次第では、『月の売り上げは25万円超でも、毎月、数万円から10万円の赤字が出ている』という状況は十分考えられますので。
3.その借金分の差し引きは、月々の請求書に記載されていますか。また、現在、月々の明細書を持っていますか。
以上です。
それでは、よろしくお願い致します。
すぐにユウイチから返信があった。
ユウイチです。
博士さん、ご返信ありがとうございます。アドバイスしてもらえるのは、とてもうれしいです。どうかよろしくお願いします。
質問ですが、1.は実家に帰り次第確認して、すぐに連絡します。
2.「前貸し金」は博士さんが言われるように、上げた分の半分を「定期」としてもらってました。
家賃は毎月6万円で光熱費が2万円くらいだったと記憶しています。でも、これって、あの辺りでは異常に高い金額なので違法ではありませんか。
税金や雇用保険料、社会保険料も差し引かれていました。金額までは覚えていません。
団の人の話では、会社として税金や雇用保険料、社会保険料などは払っていないだろうということでした。
3.ですが、今その時の明細書は持っていません。ないと不利ですか。
とり急ぎ、連絡します。
一応、この段階でワシの回答を送った。
回答者 ゲン
『「前貸し金」は博士さんが言われるように、上げた分の半分を「定期」としてもらってました』ということなら、『月の売り上げは25万円超になる』として、「前貸し金」は少なくとも12万円程度は貰うてたという計算になる。
家賃の6万円と光熱費の2万円で計8万円。
『あの辺りでは異常に高い金額なので違法ではありませんか』ということやが、そのワンルーム・マンションは、おそらく社宅として、家主または賃貸業者と契約しているはずなので、又貸しとはならず違法性はない。
また、寮費という形での家賃と光熱費も実費の支払いと法律で規定されていないから、その方面での違法性も考えにくい。
入寮時に、その価格で合意していれば、いくらであろうと法律的には問題ないとされるさかいな。
また会社の寮として住んでいる分には、一般の居住権というのも認められない。
言いなりと言えば聞こえは悪いが、結果として、そういうことになる。
こういう形態は昔から新聞拡張団には多かった。社宅として借りて賃料や光熱費を取って利益を出しているというのは何も今に始まったことやない。
新聞拡張団は、新聞の契約を上げるだけが利益になるのやなく、拡張員を社宅に住まわせることで、物件を持たない大家としての利益を得ることもできる。
新聞拡張団にとって拡張員の存在そのものが利益になるわけや。
『団の人の話では、会社として税金や雇用保険料、社会保険料などは払っていないだろうということでした』というのが事実なら大変な問題やが、又聞きで何の証拠もない状態では今のところどうしようもないな。
あんたが見られたという『第78回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞トラブルあれこれ その3 裁判、その長い闘いの果てに』のケースは、最終的には裁判での決着ということになったさかい、あんたの場合も、それを希望されるのなら、その際に弁護士さんに調べて貰うことも可能や。
その結果で、どの程度有利になるのかは何とも言えんがな。
『今その時の明細書は持っていません。ないと不利ですか』というのは、あった方がええな。
もっとも、その新聞拡張団にその記録が残っているはずやから、それについても裁判になれば、弁護士が請求するので提出せなあかんようにはなるがな。
しかし、現時点で、その新聞拡張団と交渉をするには、毎月の明細書がないのは弱いと言うとく。
いずれにしても『その新聞拡張団の二人の男が持って来たという明細書の内容』次第で違うてくるさかい、『実家に帰り次第確認』して教えて貰うのを待って、本格的なアドバイスを始めたいと思う。
その回答を送った数日後、事態は急転直下で解決してしまった。
ユウイチが実家に帰る前に、父親はその新聞拡張団の請求するままに、その支払いをしてしもうたということや。
「父さん、俺が帰るまで待ってくれと、あれほど言ったやろ」
「そんなことを言うても、支払わんと警察に訴えると脅されたんや。そうなると、お前は逮捕されて前科者になると言われて」
借金を踏み倒して逃げた人間に対して新聞拡張団は、「業務上横領罪」で警察に被害届けを出すケースがよくある。
借金を支払わず逃げたというだけでは民事上の不法行為にしかならんから警察は相手にしない。
その点、この「業務上横領罪」ということにしておけば、何とでもこじつけが利くから、その手を使うとるわけや。
業務上横領罪とは、業務上自分が占有する他人の物を横領した場合、10年以下の懲役に処すると規定されている刑罰で、刑法253条にそれがある。
逃げる者の多くは、上げた契約がまだ確定していないというケースが多い。後に不良カードになることがあるからや。
新聞拡張団の多くは、翌月の給料日までに確定するシステムになっとる。
それでも団は、活動費として「定期」という名目で拡張員には、前渡し金という仮払いをする。
その契約が確定しないうちは、その仮払金はまだ会社の金で一時預けただけという位置づけになるという理屈や。通常の前借り金とは違うと。
つまり、いつ逃げても会社の金を持ち逃げしたという理屈になるわけや。
もちろん、正規の裁判で争えば無理なこじつけとされるケースは多いが、被害届けを出す段には、その程度の理由でも受理する警察署は多い。
根掘り葉掘り、その理由を尋ねるケースは少ないからな。書類にそう書けば、それで通る。
警察は被害届けを受理しても、その捜査を強制されることはないから、細部には拘らない。捜査するかしないかは、その警察の裁量次第ということになるさかいな。
たいていは、そのまま放置されて書類ま山の中に埋もれて陽の目を見ることはない。
その逃げた人間が何か事件で逮捕、または身分紹介がされた場合に、パソコンのデータにそれがあれば発覚するくらいなものや。
ただの形式として被害届けという制度があるにすぎない。
しかし、一般の人は警察沙汰になる、罪になると言われると及び腰になるケースが多い。
200万円という金額は確かに大きいが、息子が犯罪者にならなくて済むのなら、支払ってしまうという親は実際にも多い。
しかも、その息子の保証人になっていたという事実があれば、よけいや。
そんな状態では裁判しても勝てないと、そういう人は考える。
ユウイチの父親が、そうやった。
支払う前なら、その請求額に納得しない場合は、裁判にしてくれと言って受けて立つことで起死回生を図れるチャンスが残される。
実際にも、後に知ったその新聞拡張団の請求内容からも、その減額をさせることは可能やったと思う。
しかし、支払ってからでは遅い。
父親も保証人という立場を自覚して支払っているわけやから、その後でその分を取り返すというのは、例え敏腕弁護士を雇ったとしても至難の技やと思う。
あきらめるしかない。
その後、ユウイチは父親と話し合って、現在の拡張団とも話をつけて辞めることにしたという。
ユウイチは、「拡張員になって失敗しました」とメールしてきたが、拡張員になって失敗したのやなく、他にすることがないという理由で甘く考えて飛び込んだからやと苦言を呈しておいた。
このユウイチ以外にも「拡張員になって失敗しました」と言うて来られる方が、他にもおられるので言うておく。
そういう人は、たいていの場合、このユウイチのように、大して深く考えず飛び込んで、「こんなはずではなかった」と悔やむ。
この拡張員に限らず、少なくとも営業の仕事というのは誰にでも分かっていたはずで、その営業経験のない者が、迂闊にその世界に飛び込むと、そうなるケースが多い。
営業というのは誰でもできるが、誰でも成功するとは限らん。
ワシがいつも口酸っぱく言うてることやけど、その意味は深いということや。
もっとも、そうは言うても、飛び込んでみないことには分からんというのも、一方の真理ではあるがな。
ただ、結果は悪かったが、考えようによっては良かったとも言える。
ユウイチは今、親元の実家で水産会社に正社員として就職したということや。
ちゃんとした給料を貰うことで働く喜びに浸れているということやさかい、その意味では新聞拡張団での経験もあながち悪いとは言えんかも知れん。
これからは頑張って親孝行がしたいというメールが送られてきたのが、唯一の救いやったと思う。
参考ページ
注1.第78回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞トラブルあれこれ その3 裁判、その長い闘いの果てに
ゲンさんの新聞勧誘問題なんでもQ&A選集 電子書籍版パート1
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