メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第220回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2012. 8.24


■押し紙裁判の多くはなぜ敗訴するのか?


新聞業界に「押し紙」が存在するのは事実や。それに間違いはない。

しかし、「押し紙」裁判となると、その殆どが敗訴の憂き目を見ている。

なぜなのか。

メルマガの読者の方から、数多くの「押し紙」裁判に関わっておられるという、ある高名なジャーナリストK氏の弁に、


「押し紙」とは、新聞社が新聞販売店に搬入する余分な新聞のことである。

たとえば新聞を1000部しか配達していない販売店に、1500部を搬入して卸代金を徴収した場合、500部が「押し紙」である。新聞の「偽装部数」とも言う。

「押し紙」の文字通りの意味は、強制的に押し売りされる新聞であるが、強制があったか否かにかかわらず、販売店に過剰になっている新聞は、広く「押し紙」と呼ばれる。

ただ、新聞社サイドは、それを「残紙」と呼んでいる。


というのがあると教えて頂いた。

「これについて、どう思われますか」と聞かれたので、次のように回答した。


別にK氏を批判したりケチをつけたりするつもりはないが、残念ながら、その考え方では、「押し紙」について、いくら法廷で争われても勝利されるのは難しいのやかというのが、ワシの率直な感想や。

まず『「押し紙」とは、新聞社が新聞販売店に搬入する余分な新聞のことである』というのは、事実とは違う。

明らかに間違っていると言わざるを得ない。

そう思われている人は多いがな。

『新聞社が新聞販売店に搬入する余分な新聞』は、すべて余剰紙(残紙)になるというのが正しい認識や。

余剰紙(残紙)すべてを「押し紙」とは言えない。なぜなら、「押し紙」は、余剰紙(残紙)の中の一部分にすぎんからや。

K氏自身が言われておられるとおり、『「押し紙」の文字通りの意味は、強制的に押し売りされる新聞である』というのが正しい認識でそれ以外にはあり得ない。

それを敢えて『強制があったか否かにかかわらず、販売店に過剰になっている新聞は、広く「押し紙」と呼ばれる』という無理やりな論調をされとる。

少なくともワシには、そう感じられる。

ただその論調は、ご自身のブログに書かれているものやから、それはそれでええと思う。

それについて批判的なコメントをするつもりはさらさらない。

本来なら、「そうですか」で済ます。読者からのこういった質問がなければ。どんな質問でも読者からのものであれば答えるというのが、ワシらのスタンスやさかい話とるだけのことや。

K氏のそういった考えがあるが故に『たとえば新聞を1000部しか配達していない販売店に、1500部を搬入して卸代金を徴収した場合、500部が「押し紙」である』と言わざるを得ない、言ってしまうのやと思う。

しかし、残念ながらその主張は間違っているとしか言えん。

新聞社は営業成績を伸ばすために販売計画を立てる。新聞社の販売計画に「減紙」という言葉はない。

「増紙」あるのみや。必然的に専属の各新聞販売店には、その「増紙」分の部数増を営業ノルマとして割り当てる。

そのノルマをクリアできる販売店は、それで問題はない。実際に成績優秀な新聞販売店には「押し紙」は少ない。

事実、押し紙がまったくないという新聞販売店からの報告も結構多いさかいな。

しかし、ノルマを達成できない新聞販売店は、割り当てられた部数の買い取りを余儀なくされることが多い。

新聞には書店のような返品制度というものがないさかいな。

それが押し紙になるケースがあるということや。

正しくは、『新聞社が専属の新聞販売店に、強制的に部数を買い取らせる行為』が立証され、その部数が特定されたものだけが「押し紙」になるということやがな。

「押し紙」以外の部数が、K氏の言われる『配達されなくて残った500部』の中には必ず存在する。

新聞販売店には、確かにK氏の言われるとおり配達されない新聞がある。

正確には、それらは「押し紙」も含め、すべて余剰紙(残紙)になるということや。

新聞販売店に存在する余剰紙(残紙)の主なものを挙げる。


新聞販売店に存在する余剰紙(残紙)の種類について


1.新聞販売店には予備紙が必要不可欠。

配達時、転倒や事故により新聞が飛散したり、急な雨などで濡れたりといった突発的なアクシデントなどで配達可能となったロスト分、配達員の誤配などのミスによる不足分をカバーするために必要な予備紙というものがある。

新聞の場合は「品切れ」を理由に未配達は絶対にできんと考えている業界ということもあり、予備紙も余分に準備しておきたいと考える新聞販売店経営者は多い。

そう考える度合いが大きければ大きいほど予備紙の割合も増える。

一般的には予備紙は2%程度までとされとるが、特にその制約が厳しいわけではない。

その予備紙の確保は、新聞販売店経営者の裁量の範囲内ということになっている。


2.多くの新聞販売店では契約時、即入と言って、すぐに新聞を配達する顧客に対して、月の途中であった場合、その月の新聞代金を無料にしているケースが多い。

当然、その分の新聞が余分に必要になる。


3.新聞業界には「試読サービス」というのがある。公式には一週間は見本紙として各家庭に配布しても構わないということになっている。

地域によって多少の違いはあるが、現在、この「試読サービス」に力を入れている新聞社は多い。

サイトにも新聞社から「試読サービス」読者獲得を通達されて、そのノルマに四苦八苦しているという販売店関係者の方からの報告があるさかいな。

また、新聞社の中には「パッケージセールス(試読セールス)のテレマ(テレマーケティング)」をしている電話勧誘専門会社に「試読サービス」読者の獲得を委託しているケースもある。

そこから各新聞販売店へ「試読サービス」読者を獲得した場合、通知が入る。

新聞社の試算では「試読サービス」読者の7%が新聞の購読契約をするというデータがあるとのことや。力を入れる理由がそこにある。

そのため、どこの新聞販売店でも「試読サービス」用の新聞を確保しているのは確かやと言える。


4.新聞販売店によれば、無代紙サービスというのをしている場合がある。1年契約で1ヶ月〜3ヶ月の新聞代が無料になるというのが、それや。

一般読者の方でも、それについてご存知の方は多いと思う。

この無代紙サービスに関して、公正取引委員会では「値引き行為」と認定している。

そのため、「新聞業における特定の不公平な取引方法(特殊指定)について」の第2項の『新聞の個別配達をする販売業者(新聞販売店)が、直接、間接を問わず、地域、相手により異なる定価や定価を割り引いて販売すること』の違反行為に当たると見られている。

これについては、多くの新聞社は禁止行為として各新聞販売店に通達している。

新聞各社は、その法律に違反すると「新聞の特殊指定」の見直しをされる口実を公正取引委員会に与えることになり、引いては「新聞の再販制度」撤廃にもつながりかねんさかい、真剣に禁止にしとるわけや。

容認している新聞社は、まずない。

新聞社は、この無代紙サービスと同時に、直接的な値引き行為も同じ理由で禁止にしている。

たいていの新聞販売店は、それを承知の上で新聞社には内緒でしとるわけやがな。

少なくとも大ぴらに新聞社に「無代紙サービスをします」とか「値引きして売ります」てなことを届けてやっているケースはない。

少なくともワシらは知らん。

その実態については公正取引委員会でも把握してはいるが、販売店が個別にしているということで半ば黙認状態にあると、ワシらは考えている。

事実、無代紙サービスをしているということで公正取引委員会が調査に入った新聞販売店は皆無やさかいな。

まあ、それには無代紙サービスをやっている新聞販売店が、あまりにも多いということで公正取引委員会の組織程度では手が回り切らんさかい、半ば黙認状態になっとるのやとは思うがな。

違反と承知の上でしているにしろ、黙認されているにせよ、無代紙サービス分の新聞代金を販売店は新聞社に支払っている。

しかし、実際の売り上げにはなっていない。

押し紙行為を指摘する人たちの多くは、売り上げイコール、実売部数やという論法で新聞社からの仕入れ部数との開きを「押し紙」と断定している。

その論法でいくと、1年契約で3ヶ月の無代紙サービスをしている販売店の場合、25%が「押し紙」ということになってしまう。

そんなアホな言いがかりはないわな。

余剰紙(残紙)の観点から言うと、いつ何時、無代紙サービスの顧客を確保できるか分からんから、常にそのために余分な新聞の用意をしておく必要があるということや。


5.積み紙というのがある。

「積み紙」は、「押し紙」とは逆で、新聞販売店が自らの見栄のため、あるいは成績不良を隠すため、改廃逃れのためなどの理由で、新聞社には内緒でウソの獲得部数を申告して、余分な新聞を仕入れることを指して言う。

新聞社は、それを販売店の「虚偽報告」部数と位置づけている。

この「積み紙」には新聞販売店が何も知らず、従業員が独自にウソの部数報告をしている場合もある。

ひどいケースになると、出入りの拡張員と結託してしていることもあるという。従業員が拡張員に架空の客を作り売りつけていると。

その実態は当事者が、それと告白せん限りは絶対に分からない。

その多くは、実態のない正規の顧客として顧客名簿に記載され集金も成されているから、よけいや。

その集金の出所は販売店の従業員であり、出入りの拡張員なわけや。

それについても、そういうのが行われている販売店もあれば、まったくない販売店もある。

雲を掴むような話に思われるかも知れんが、サイトに送られてくる当事者の告白とその詳細な実態が、それを証明しとる。

ただ、新聞業界全体として、どれだけの部数、それがあるのかは、まったく分からない。というか、分かりようがないと言うた方が正しいやろうと思う。

当然のように、その新聞の行き先などないわけやから余剰紙(残紙)ということになる。


6.背負い(しょい)紙というのもある。

「押し紙」、「積み紙」は一般の人でも知っておられる方も多いが、この「背負い紙」の存在を知っている人は少ない。

また、問題にされることも殆どない。

「背負い紙」とは、「押し紙」、「積み紙」のある販売店で、さらに強制的に買い取るよう押しつけられている新聞のことをいう。

販売店の中でも立場の弱い従業員たちに、それが多い。

世の中の仕組みすべてについて言えることやけど、理不尽な事というのは、常に立場の強い者から弱い者へ順繰りに押しつけられていくという現実がある。

新聞社から販売店へ。販売店からその従業員へ。

そして、従業員の中でも、店長、主任クラスから一般従業員へと、より立場の弱い人間に、その負担がのしかかるという構図になっとるわけや。

販売店の従業員にも当然のように勧誘のノルマがある。そのノルマが過酷な販売店も多い。

ある販売店では、月最低でも新勧(新規勧誘契約)で10本のノルマがあるという。

それに加えて止め押しという担当地域の継続客の契約更新を100%要求される。

そのノルマがクリアーできたら問題はないが、なかなかそれが難しく、できん者の方が多い。

きつい販売店やと、そのノルマが果たされへんかったら、かなり厳しく叱責されるということや。

その叱責を逃れる目的で「背負い紙」というのをする。また、それを強要する販売店もあるという。

つまり、「背負い紙」とはノルマの不足分を補うために、身銭を切って新聞を買い取る行為のことなわけや。

これについても新聞社と同じ理屈で、これをやっている新聞販売店は従業員の「虚偽報告」、「てんぷら(架空契約)」として処理する。

責任は従業員個人にあると。新聞販売店は預かり知らんと。

ある新聞販売店などは、一旦、給料の全額を支払った後、改めてその「背負い紙」分の新聞代金を徴収するのやという。

本人の意思でという形にすれば法律には触れにくいからという理由で。

その実態は強制以外の何ものでもないと嘆く従業員の方が実際におられる。

「背負い紙」を支払ってしまうと、手元に殆ど金が残らないと。

この「背負い紙」についても実態のない数字があるだけで、その新聞はどこにも配られず余剰紙(残紙)の中に埋没する。


上記で列挙した部数に「押し紙」が加わったものが、新聞販売店の余剰紙(残紙)になるわけや。

『たとえば新聞を1000部しか配達していない販売店に、1500部を搬入して卸代金を徴収した場合、500部が「押し紙」である』というK氏の主張が間違っているとワシが指摘する理由が、そこにある。

その500部の中には、予備紙、月内サービス分、試読サービス、無代紙サービス、積み紙、背負い紙など、さまざまな理由で余剰紙(残紙)になったものと、新聞社から押しつけられた「押し紙」が含まれているというのが正しい認識やと。

いみじくもK氏は『社会通念からして、配達予定のない新聞を販売店が自腹を切って購入するはずはないから、「残紙=押し紙」という概念が生まれたのだ』と言い切っておられるが、そうではないということや。

それについては、ワシが示した上記の内容で証明されると考える。

「押し紙」行為を弾劾するのなら、『新聞社が専属の新聞販売店に、強制的に部数を買い取らせる行為』の証明とその「押し紙」分の部数を明らかにする必要がある。

「押し紙」行為が詐欺行為、犯罪行為に当たるとした場合、裁判という司法の場で勝利を得るためには、「押し紙」行為の立証とその被害金額、さらにはその的確な部数の把握が不可欠になる。

新聞社全体の「押し紙」行為の立証とその被害金額、さらにはその的確な部数の把握については、当メルマガ『第189回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■「押し紙」行為を暴くことは果たして可能なのか?』(注1.巻末参考ページ参照)で検証したところ、ほぼ不可能であることが判明している。

また、その「押し紙」行為によって水増しされた部数に対して、その分の新聞紙面広告費をよけいに支払わされたであろう広告依頼業者や折り込み依頼業者からの訴えが皆無ということもあり、詐欺行為の立件も難しいのが実情や。

広告依頼主の中には、官公庁や地方自治体からの広告も含まれていてそれに税金が使われているさかい、市民の立場で「押し紙」行為による過払い分の新聞代金について糾弾することは可能や。

その場合は、その広告が配布された地域全体の新聞社、および新聞販売店すべてを調べて「押し紙」行為が確かにあり、その部数を確定する必要がある。

その上で、該当する官公庁や地方自治体から新聞社を訴えさせる、あるいは当該の警察署を動かす必要がある。

該当する官公庁や地方自治体や当該の警察署が、どう判断するかは、それぞれの判断次第ということにはなるがな。

新聞社の「押し紙」行為を摘発したいのなら、どれだけ困難であろうとも、そこまでせなあかんと考える。

憶測の域の出ない数値をいくら計上しても、どうにもならない。司法の場では、そういうのは証拠能力なしということにされてしまう。

ただ、特定の新聞販売店と新聞社との間であれば、その証拠如何によっては「押し紙」行為の立証は可能やと思われる。

「押し紙」裁判に関わっている人たちにとっては、それが唯一の突破口だと考えて取り組んでおられるのやろうと思う。

しかし、その殆どで敗訴になっているという現実がある。

なぜなのか。

ある裁判でK氏は敗訴されている。

その裁判での焦点は、ある週刊誌上で、K氏が新聞社を名指して『実際には読者に配達されない押し紙が、販売部数の30〜40%あり、それにより年間約360億円の不正な収入を上げた」との表記が事実と異なる』というものやったという。

その記述が新聞社の名誉毀損に当たるとして訴えられ敗訴した。

客観的に見て、上記に示された内容では裁判で負けても仕方ないと思う。

何度も言うが、裁判の場では的確な数字を示し、その根拠と数字の立証をせん限り勝つのは難しい。

『押し紙が販売部数の30〜40%あり』というのは、筆者の憶測だと思われ、『年間約360億円の不正な収入を上げた』というのは、その憶測に基づいて計算された数字やと認定されやすい。

いくら「押し紙」が存在するのは事実だとしても、憶測と受け取られる表現は避けなあかん。特に相手側を名指しする場合はな。

憶測には何の証拠価値もない。ただの意見陳述で終わる。

揚げ足を取ろうとする者は必ず、そこを突いてくるさかいな。その裁判が、そうであったように。

もっとも、K氏は「新聞社なら言論には言論で反論すべきだ」と言っておられたが、新聞社はそれをせず、有無を言わせず裁判に持ち込んだのは感心せんがな。

言論には堂々と言論で、自身の正当性を主張するのが筋や。

しかも、『5500万円もの高額な損害賠償と謝罪広告を求めた』というのは、恫喝に近い行為や。

同じ新聞業界の人間として残念やと言うしかない。

結果、判決での賠償額は100万円程度になり、謝罪広告の掲載は退けられたらしいがな。

ただ、新聞社がそういった行動を取ったことで、その事実を知る人にはマイナスのイメージにしかなっていないと考えられるさかい、ある意味、負けたのは新聞社の方かも知れんという気はする。

言論でのことを言論の雄を自負している新聞社が言論での戦いを放棄して、裁判所に駆け込んだわけやさかいな。

K氏が裁判で負けても、世論の評価、風聞で勝ったと思えれば、それはそれでええとも言える。

しかし、今後も同じように「押し紙」で争われるおつもりなら、憶測に基づく記述は避けられた方が賢明やと思う。

いくら難しくても、正しい「押し紙」部数の把握に努められることやと。

『「押し紙」とは、新聞社が新聞販売店に搬入する余分な新聞のことである』という無茶な論理は捨ててな。

そう考えとるうちは、正しい「押し紙」部数の把握をすることは無理やと考えるさかいな。

ある読者の方から、


NN新聞の元販売店主が起こした「押し紙」裁判の第1回口頭弁論 が、8月9日、福岡地裁で開かれ、NN新聞社の弁護団に、同社の代理人のほか、Y新聞社の販売店訴訟を担当してきた3人の弁護士が加わっていることが判明した。


というのがあると知らせて頂いた。

これを見ても分かるように、新聞社は「押し紙」問題ということになると一致協力して事に当たっている。

これは「押し紙」問題を新聞社は軽く考えていないという証しでもある。

つまり、それに勝利するのは並大抵のことやないということや。

それにK氏も関わっておられるという。

ワシらは、その裁判のことを詳しく知らんさかい軽々なことは言えんが、元販売店主が起こされる「押し紙」裁判の場合、その方も血を流すくらいの覚悟が必要やろうと思う。

もっと言えば、新聞社と差し違えるくらいの覚悟やな。

新聞社が悪い、自分には非はないと考えておられるようやと、過去の「押し紙」裁判同様、その元販売店主の方にとって分の悪い結果になる可能性が高い。

新聞社の「押し紙」を指摘する場合は、必ず元販売店主の方にも非が存在するはずや。

「押し紙」があるということは、その新聞販売店には、「押し紙」分の部数を含む公売部数で折り込みチラシを依頼業者から納入させているケースが多い。

その場合、「押し紙」分の折り込みチラシは配達されないわけやから、業者に偽って納入させていることになる。

しかも、折り込みチラシが余っているからといって、それを業者に返品したり、その分の代金を返したりすることは、まずない。

それどころか、その余った折り込みチラシを残紙で包んで、それと分からなくして古紙回収業者に引き渡すということまでしているケースが大半を占める。

新聞社の「押し紙」で被害を受けた分の某かは、その新聞販売店も折り込みチラシ依頼業者から不当な利益を得て補填しているということにもなるわけや。

押し紙裁判で、原告側が折り込みチラシを依頼業者から不当な利益を得ていたことを認めたという話は聞かんさかい、それは言うてないのやろうと思う。

新聞社も、ヘタにそれを指摘すると、「押し紙」があると自ら認めヤブヘビになる恐れがあるということで黙っている。

原告側の押し紙裁判を支援する人たちも悪いのは新聞社だけであって、被害者はあくまでも原告側の新聞販売店であるという構図にしたいという意図もあってか、そのことに触れるケースは少ないようや。

あまり問題にされている人を知らない。

週刊誌などでの「押し紙」バッシングの大半が「新聞社が一方的に悪い」という論調にしかなってないというのも、狙いが新聞社やからやと思う。

真実に蓋をしたままでは如何なる真実も暴くことはできん。

正しくは、「押し紙」をする新聞社も悪いが、原告側にも落ち度が大きいということや。

事、「押し紙」に関して言えば、新聞社も新聞販売店も同じ穴のムジナ状態やと言える。

新聞社は「押し紙」をすることで、新聞紙面への広告掲載業者から余分に広告費を受け取り、新聞販売店は折り込みチラシを依頼業者から不当な利益を得ているだけの話ということになる。

五十歩百歩やと。

傍目には、新聞販売店が折り込みチラシを依頼業者から得ていた利益が、新聞社からの「押し紙」分の負担から比べて大きく下回り、それで経営難に陥ったさかい新聞社を訴えたように映る。

もっとも、実際に「押し紙」に苦しめられている元新聞販売店経営者の方々の事情を良く知っているワシらには、そんな生やさしい問題やないことくらいは分かるが、一般論としては、そういう見方になりやすいということや。

『新聞社と差し違えるくらいの覚悟』が、必要やと言うたのは、その点や。

自らの汚点を正直に告白する気持ちがなければ、新聞社を相手に勝利するのは無理やと思う。

身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もある。

「押し紙」分で折り込みチラシを依頼業者から得ていた利益の他に、「積み紙」や「背負い紙」などの行為があれば、それらをすべて洗いざらい正直に話す。

それにより何らかの罪に問われることになるかも知れんが、「押し紙」裁判で勝つためには、そこまでせなあかんと思う。

そこまで腹を括れば何も怖い者はなくなるはずや。その上で正直に新聞社とのやり取りをぶちまけたらええ。

必ず大きな説得力が生まれるものと思う。

そうすれば、持って行き方次第で勝てる可能性も見えてくる。

そのための策ならいろいろ考えられるが、それについては具体的な事例で困っているという方からの相談があった場合に話すことにする。

ここで話し出すと長くなるということもあるが、今回のテーマは『押し紙裁判の多くはなぜ敗訴するのか?』ということでもあるし、これ以上は別の話になるさかいな。



参考ページ

注1.第189回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■「押し紙」行為を暴くことは果たして可能なのか?


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2011.4.28
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