メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第223回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日  2012. 9.14


■親としてどうすべきか、またその覚悟とは


これはハカセの身の回りで実際に起きた事件についての話である。

いや事件とすら、現段階ではまだ呼べないのかも知れない。

ただ、最悪の場合を想定すると、今後の展開次第では全国ニュースにもなりかねん可能性のある事やと言うとく。

しかも、それは現在の社会状況下では誰の身にも起こり得る事やと思う。

ハカセが被害者になる可能性もあれば、加害者になる事もある。予測がつかない。

その覚悟はすでにハカセにはできている。守るべき者のためなら、どんな事でもすると。その結果も甘んじて受けると。

もし、ハカセが加害者になった場合、新聞やテレビメディアは面白おかしく書き立てるかも知れん。

ハカセは新聞やテレビメディアで叩かれるほどの有名人ではないが、このメルマガやサイトは新聞業界では、そこそこ知られている。

新聞社からの受けも悪く、消えて欲しいサイトの代表やとも聞く。

ハカセ自身は新聞社に恨みがあるわけでも恩恵を受けているわけでもない。

ええ事も悪い事もありのまま書いとるだけのことやがな。

それに同調されている業界関係者の方々の情報に支えられて。

まあ、物事というのは、良い評価より批判的な部分の方が印象に残りやすいから、対象にされている方は公平に記述されているとは考えんやろうがな。

五分五分の記述なら間違いなく批判されていると受け取る。それは仕方ないと思う。

警察からは暗に事件の事を他言するのは控えるようにと忠告されていたが、事件から3週間が経ち、どうやら警察に任せるべき時は過ぎたとハカセは判断して、このメルマガで話しておこうという気になったわけや。

もちろん関係者がどこの誰の事かは分からないように配慮して話すつもりや。

いつも、そうであるように。

もっとも、今回の場合はメルマガの読者にはハカセの事と言うてるから、そうしてもあまり意味がないかも知れんがな。

それでも警察やこのメルマガの存在を知らない第三者には、それなりに匿名性は担保されるやろうと思う。

今回のメルマガの内容と酷似した事件が実際に起きたら、この話を思い出して、「そういうことだったのか」と分かって頂けたら有り難い。

やむにやまれない事情があったのやと。

もっとも、如何なる事情、理由があれ、招いた結果の責任は取る。逃げるつもりはないとハカセは言うとるがな。

それでは今から、事の発端と今後予想される展開について話すことにする。

8月23日。

ハカセの子供で次男のコウに、それが突如として降りかかった。

コウについては小学生低学年の頃から度々、メルマガに登場しているからご存知の読者の方も多いと思う。

現在、高校2年生になっている。

そのコウが、小学生時代に同級生だったというMにカツアゲされた。「千円渡さないと殺すぞ」と脅されて。

コウは、Mの一瞬の隙をついて自転車に飛び乗って逃げた。

コウは人と争うことが嫌いということもあるが、Mとは争っても勝てないという思い込みもあったからだ。

Mは身長180センチ、体重90キロ超の巨漢で、身長165センチ、体重60キロの小柄なコウとは相当な体格差がある。

また昔からMは素行が悪く、典型的な不良というのは良く知っていたから、関わりたくない一心で逃げたという。

その後から「待て!! 待たんと殺すぞ!!」と喚きながらMが同じく自転車に乗って猛追して来ていた。

中学時代サッカー部に所属していたコウは脚力には自信があった。滅多なことでは負けないと。

しかし、Mはそのコウに勝る勢いで猛追してくる。

災難と呼べるのか、起こるべくして起こった事なのかは定かではないが、少なくとも、その時、コウは命の危険を感じながら必死になって逃げていたという。

翌日、ハカセはT警察署の刑事たちと一緒に現場検証に立ち会った。

その状況を詳しく知った後、コウが大した怪我もなく無事に帰って来た事が奇跡に近い幸運だったとハカセは知った。

一歩間違えば取り返しのつかない事になっていたかも知れない。その可能性は十分すぎるほどあったと。

正直、最初、コウにその話を聞かされたハカセは、友達同士のちょっとした、揉め事、いざこざ程度の事としか考えていなかったという。

しかし、コウの話を聞くにつれ、「これは普通ではないな」と感じるようになった。

このまま単に友達同士の揉め事として済ますには危険ではないかと。事がエスカレートしていく恐れがあると。

そうなってはコウはもちろん、そのMのためにもならないと考えた。

ハカセは若い頃から、命の危険に晒されることが多かったから、危険については敏感に反応して察知するという。

そうなる原因の大半は、ハカセ自身、短気で向こう見ずな性格と自分勝手な正義感に囚われすぎるからだと自覚している。

サイトの『新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第2話 男の出会い
』(注1.巻末参考ページ参照)に、それが良く表れている話がある。

これはワシとの初めての出会いでもあったが、この時、元ヤクザの組員でもあった拡張員相手に本気で喧嘩をしかけとったさかいな。

正確には売られた喧嘩を買うという構図やったが。

まあ、その頃のハカセは腕に覚えがあったという事と、当時、心臓病で入退院を繰り返していて、余命がそれほどないと思い、ヤケになっていたということもあったようやがな。

加えて言えば、ハカセは自分なりの正義というのを強く持っていて、それを貫くためには、自身が傷つく事も相手を傷つける事も厭わないというところがあったのも災いしていたようや。

自分の方から仕掛ける事などまずないが、不当な暴力には暴力で対抗するという腹はいつもあると。そのための技は常に磨いていると。

それに関連した話もメルマガの『第28回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■クリスマスソングが歌いたい』(注2.巻末参考ページ参照)にある。

ハカセの祖父は、ある剣術流派の道場を経営していた。

祖父は、ハカセを自身の後継者として育てた。行く行くは道場を継がせるつもりだった。

そのため、物心つくと同時に剣道の修行をさせられていた。幼い頃からのオモチャは、竹刀であり木剣やった。

真冬でも裸足で走らされ、血豆ができるまで素振りを繰り返し、竹刀による生傷の絶え間がなかった。前時代的な剣術修業というやつである。

しかし、ハカセはそれを厳しいとか辛いと思ったことは一度もなかった。むしろ、当たり前なことやと捉えていた。

そのお陰で強くなったという思いが今もある。

その話の中に、ハカセがまだ11歳の頃、大型ナイフを手にして襲ってきたチンピラ相手に小太刀の木刀で叩き伏せたという場面がある。

良くも悪くもその時の経験が自信になったのは確かやという。

ハカセは祖父が死んでからも、その剣の修業は今に至ってもずっと続けている。滅多なことで人に遅れを取ることはない。

その自信が誰と対しても引けはとらない、引き下がらないという向こう見ずな性格にした。

現在ハカセは、元ヤクザの組員でもあった拡張員相手に本気で喧嘩を仕掛けた昔の事については深く恥じ入っている。

暴力で解決できることなど何もないと百も承知していたはずなのにと。

しかし、そんな反省はしても無駄で、ハカセの短気で向こう見ずな性格はおそらく死ぬまで治らんやろうと思う。

そういう場面に遭遇すると、常の思慮深さなど微塵もなくなる。無法者に対しては瞬間湯沸かし器のようになってキレるからや。

ただ、今回のようなケースは勝手が違う。

相手が大人であれば、例えヤクザのような人間であろうと戦える。

しかし、いくら相手が素行の悪い不良少年だと聞かされても、所詮は自分の息子と同じ年頃の子供である。

いくら気が短いハカセでも子供に手をかけるわけにはいかない。そのために技を磨いてきたわけではないからだ。

今回の場合、結果だけを考えれば、警察沙汰にするのは少し大袈裟だったかも知れないが、直接自身が関わりにくい分、取り敢えず警察署の市民安全課に相談くらいしておいた方がええと判断したわけや。

警察署の市民安全課なら話を良く聞いて貰えると知っていたからでもある。

サイトに「新聞勧誘・拡張問題なんでもQ&A」というコーナーがあり、日々数多くの一般読者、新聞業界関係者の方々から相談が寄せられてくる。

その中で、悪質でヤクザな新聞拡張員や新聞販売店の従業員に脅かされて怖いので警察に相談されたいという相談者の方には、まずこの警察署の市民安全課(地域により呼び名は異なる)という部署に相談するよう勧めている。

親切に対応してくれるからと。少なくとも話を聞かず追い返されることは殆どないはずだと。

どんなに些細な揉め事であっても、当人にとっては大きな出来事だと考えるのが普通である。

しかし、事件事故に慣れきっている警察官にすればたいていの事は日常茶飯事で、よほどのことでもない限り「その程度の事」でしかない。

刑事課へ先に相談すると、すべてではないやろうが、「その程度では事件にはなりませんよ」とニベもない対応をされ、追い返されると聞く。

その点、警察署の市民安全課という部署は、市民サービスを目的に設置されいるため話は親切に聞いてくれる。

もちろん、話を聞いてくれたからといって、すぐに動いて貰えるということでもないがな。

ハカセは、今回は相談して聞いて貰えるだけで十分やと思った。相談したという事実が残ればそれで良いと。

それによって、何らかの形で相手に今回の事が伝わるだけで目的の大半が達せられる可能性が高いからと。

その日、コウは通っているS市のS高校の夏期講座に出席していた。その夏期講座はS高校では大学受験のための特別授業という意味合いがあった。

参加は名目上、自由である。コウのクラスだけは実質的には全員参加やったが。

それもあるが、国立大学を目指して勉強中のコウはその夏期講座に参加するのは当たり前と思っていた。

1時限100分授業の2時限。その日は夏期講座8日間の最終日やった。

その夏期講座が終わって、コウがいつも通学に利用しているK私鉄で自宅近くのS駅に降りたのが、12時45分。

コウはS駅の駐輪場に停めていた自分の自転車に乗り、S書店に向かった。

S書店は、この辺りではレンタルDVD、CD、ゲームソフトなどを置いている唯一の大型総合書店である。

特に欲しい物があってというのではなかったが、夏期講座の帰りには、ほぼ毎日のように立ち寄っていたということもあり、その日もそうするつもりだった。

その途中、コウはMに呼び止められた。

「おうコウ、どこに行くんや?」

「別に」

コウは、そっけなくそう答えた。

Mは現在、Y市の高校に通っている。コウのS高校とは同じ方角にあり、通学電車で見かけることは多かったが、話したことは殆どなかった。

小学校時代からコウはMを嫌って避けてきた。問題ばかり起こしているタチの悪い不良という印象しか持ってなかったからだ。

Mは、その体格にものを言わせて同級生たちを、まるで家来のように扱っていた。コウに対しても時折、そういう態度を取ることがあった。

とても友達づきあいのできる人間ではない。

「俺、今からS書店に行くんやがお前も一緒に来い」

「……」

コウもS書店には行くつもりやったが、Mと一緒に行く気にはなれない。

そう考えて返事を渋った。

すると、「一緒に来ないと、殺すぞ」と脅かされたということもあり、仕方なくついて行った。

大人の世界で「殺すぞ」と言えば立派な脅迫罪が成立する。今はヤクザでもそこまでは言わない。

しかし、T警察署で少年補導に携わっている刑事の話では最近のちょっとやんちゃな子供たちは、軽い調子で「殺すぞ」と言うケースが多いという。

本気でそう考えているわけではないのに、つい口にするのだと。

そうはいってもコウは、他人から「殺すぞ」と言われた経験など皆無だったので、かなりショックを受けたようや。

そして、このMなら逆らえば本当に、そうしかねない人間だと考えた。少なくとも暴力をふるうくらいのことは平気でする男だと知っていた。

ここは大人しく従っておいた方が良い。

S書店の中に入ってから別々に行動すれば済む。逃げるのなら、その隙はいくらでもあるはずだと考えた。

しかし、そのアテが外れた。

S書店の中に入っても、「一緒に来い」と、コミック・マンガの売り場に強引に連れて行かれた。

コウは幼い頃からテレビアニメは見てもコミック・マンガは好きではなく殆ど読まない。その場にいるだけで苦痛を感じるのだという。

そのS書店ではスポーツ雑誌売り場か、勉強のための参考書売り場に行く程度やった。

「おい、サムライ・ソルジャーの新刊が出てないのか店員に聞いて来い」とMが命令口調で言った。

「自分で言いに行けよ」と、コウが不満げに抵抗した。

コウは一見、女の子っぽく気弱で大人しそうに見られがちやが芯は強い。

そのあたりはハカセの性格に似ている。ただ、ハカセとは違い、人と争うことを好まない。喧嘩をしたことも殆どない。

「何を!! 聞いて来んかったら、殺すぞ」と、M。

コウは仕方なく、カウンターの中年の女性店員に「サムライ・ソルジャーとかいうマンガの新刊はありませんか」と聞いた。

「ありませんね」という返事だったので、コウは、そうMに伝えた。

「ないんかい。面白うない。帰るぞ、俺の家に一緒に来い」とMが言う。

「嫌や。行きたくない」とコウは拒否した。

「それなら千円出せ。出さんと殺すぞ」

「……」

コウは、このままついて行ったら何されるか分からないという恐怖に取り憑かれた。何とかして逃げることしか頭になかったという。

MはS書店を出たところで、「缶ジュースを買ってこい」と命令してきた。

当然のようにMはジュース代など出そうとはしない。コウに出せということだ。

Mは自転車置き場に向かった。コウの自転車はMの自転車の隣に停めてあるため乗って逃げることはできない。

コウはS書店前の自販機で120円のジュースを買ってMに手渡した。

Mが、それを受け取り缶ジュースの蓋を開け飲んでいた隙を見計らい、急いで自転車に飛び乗って逃げた。

多くの場合、コウのように災いからは逃げるという選択が一番賢い。

しかし、時として、それが通用せん場合がある。

Mは逃げたコウの後を執拗に猛追してきた。

コウは信号機など確認することなく走った。その道中にあった幾つかの信号機が赤だったか青だったか定かには覚えていないという。

その辺りは交通量も人通りも多い。事故を起こさなかったのが不思議なくらいである。

コウはとにかくMを振り切りたい一心で逃げることに徹していた。

その逃走劇が約1.3キロメートル続いた時点で追いつかれ、Mの左手で右手首を掴まれ引き倒されそうになって停まった。

Mは物凄い形相をしている。ただ疲労も見える。スタミナはなさそうやった。

コウは思い切り、Mの手を振りほどいて再度逃げた。

さらに200メートルほど先の角を曲がったすぐの所にあるS駅前駐車場に停めてあった数台の自動車の陰に素早く隠れた。

コウの隠れた前の道をMが猛スピードで駆け抜けて行った。

Mをやり過ごしたコウは急いで家に帰り、事の顛末をハカセに話した。

話を聞いたハカセは、すぐにS駅前やS書店近辺を探した。

まだ、そのMがそこらを彷徨いているかも知れないと考えたからだ。

ただ、ハカセ自身はそのMは知らないので、コウから風体を聞いた上で、それらしき人物がいれば声をかけるつもりやったという。

そのS書店の女性店員に、コウが言っていたことを確認した。女性店員はコウのことを覚えていた。

該当しそうな若者はいなかった。いれば話を聞いて注意することができる。たいていの場合、それで終わる。

ハカセは、そう思った。

しかし、そのMがいないのではどうしようもない。コウもMの家は知らないというから乗り込むこともできない。

いずれにしても、このまま済ますのはまずいとハカセは考えた。

普通に考えて、延べ1.5キロメートルも執拗に追いかけ回すというのは常軌を逸している。

そんな人間は同じことを繰り返す確率が高い。それをさせるわけにはいかない。

T警察署の生活安全課に電話をし、翌日の午後1時に相談に行くと伝えた。

翌日の8月24日の午後1時。

T警察署の生活安全課では、コウの話を聞いた上で、そのMと保護者を呼び出して厳重注意するということになった。

はっきりとした事は言わなかったが、どうやらT警察署でもMは要注意人物としてマークしているようやった。

担当刑事はコウにその日の行動と何があったか時系列に沿って詳しく質問してきた。

コウの答えを克明に書き始めた。後日、事件化したときの調書を作るためにと。

Mのその日の服装まで事細かく聞いてきた。

警察は話を聞くだけで、その信憑性について殆どの事が分かるという。

ごく稀に、事件をでっち上げて被害届けを出す輩がいるというが、時系列にその日の本人の動きと加害者の行動を聞くことで、その矛盾は簡単に暴けるのだと。

ウソをつけば必ず綻(ほころ)びが出て、辻褄が合わなくなるとも。

警察署に行く前にコウが、「お父さん、警察の人には、どう話したらええと思う?」と聞いてきたから、ハカセは「聞かれたことには、ありまま正直に答えろ」と言った。

真実は何よりも強いからと。事実に綻びなどないからと。

その後、コウの話を裏付ける意味もあり、T警察署の生活安全課の刑事二人と同伴して現場検証と現場の写真撮影を行った。

「君はどうして自宅とは反対の方角に大回りしながら逃げたんや」と刑事。

「Mに家を知られたくなかったからです」と、コウ。

それも理由の一つやったが、本当は自宅に逃げ帰ってハカセに助けを求めたら大事になると考え、それが嫌だったと後に語っている。

Mは大人相手でも平気で喧嘩をするような人間やったし、ハカセの気の短さを良く知っていたから、絶対に揉めるだろうと思ったと。

そうなればロクな結果にはならない。それだけは避けたかったと。

その判断は正しいとワシも思う。

コウが人と揉めたくないというのは幼い頃から親であるハカセを見ていて、そう思ったのやないかとワシは見ている。

ああいう風にはなりなくないと。

T警察署の生活安全課の刑事はコウの話に納得した上で、「どうされたいですか?」と聞いてきた。

今回の件は恐喝されたとはいえ、何かの武器を手にして脅かされたということではない。

実際の被害額は缶ジュース代の120円だけで、暴力をふるわれたわけでもない。というか、その直前に逃げ出して事なきを得ていた。

外見的には大した被害はない。

ただ、それでも「殺すぞ」と脅し、延べ1.5キロメートルも追いかけ続けたというのは異常やから、ハカセとコウがその気になれば某かの罪に問うことはできる。

しかし、その程度では大した罪にはならない。せいぜい始末書を書かかせて親に注意する程度で終わる。

ハカセもそれは良く知っているので、「相手方に注意して頂けるだけで結構です。分かって貰えれば、それで良いので」と言った。

コウに何かすれば警察沙汰になると知るだけで、そのMは自重するはずだからと。

ただ、その執拗さについて少しばかり気になったので、ハカセは担当刑事に「どうして、あそこまで必死になって追いかけて来たのでしょうか。普通だったら、逃げられた時点で無理してまで追っては来ないと思うのですが」と尋ねた。

逃げる方も危険なら、追う方も相当に危険やったのやないかと考えられるからや。

担当刑事曰く、「ここで逃げられたら警察に通報されてまずいことになると思ったのでしょうね」ということやった。

こういうことを繰り返している不良や犯罪者は、そういう心理になりやすいのやという。

良くヤクザな人間が「警察に知らせたら殺すぞ」と脅かすケースがあると聞くが、それは本当に警察に通報されたら困るからで、実際に警察に通報したという理由で殺されたケースは殆どない。

仕返しをしたというケースならあるが、警察に通報している場合、たいていはすぐに捕まっている。

少なくともワシらが調べた限りでは、そうやった。

そうは言うても「警察に知らせたら殺すぞ」と脅かされると怖くて通報するのを尻込みする人は多いようやがな。

実態は逆で警察に通報することで、それが罪として立件され懲役刑になりそうなものなら、その脅した人間は被害者に告訴を取り下げて貰うためにも、卑屈なまでに低姿勢なって接してくるのが普通やという。

どんなに怖そうで偉そうにしている者でも刑務所暮らしは嫌で怖いというさかいな。

軽い刑でも受刑者にとっては死にたくなるほど過酷な刑務所などザラにある。

その実態については過去のメルマガ『第39回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ある拡張員が語る刑務所残酷物語』(注3.巻末参考ページ参照)で詳しく話しているので、それを読んで頂ければワシの言う意味が良く分かって貰えるはずやと思う。

通報者に手を出せば、その罪が倍加すると考えるのが普通やさかい、仕返しを考える者の方が圧倒的に少ない。

もっとも、世の中にはその程度の計算すらできない者が存在するのも事実やから、絶対安全とまでは断言できんがな。

いずれにしても「殺すぞ」と脅された場合、警察に通報したことによるリスクは少ないはずやと思う。

担当刑事が、「相手とその親を呼び出して厳重注意をしておきます。二度と何もしなければ被害者側は穏便に済ますと言っていると伝えますので、それで大人しくなるでしょう。それでよろしいのですね」と言ったので、ハカセは任せることにしたという。

それにより、申し分のない結果になるはずやった。

「お父さん、Mは絶対、あんな事があったとは認めないと思うよ」

「大丈夫や。所詮、自分より弱そうな人間にしか手を出せんような者は、自分より強い者の前では弱いもんや。そんな人間が警察でシラを切り通すのは無理やと思うで」

刑事は取り調べのプロや。コウの話を納得した以上、その線に沿ってMを追い詰めるのは、まず間違いない。

その手練手管にかかれば16、7歳の少年ではどうしようもないやろうと思う。

たいていは謝って済むのならとあきらめる。普通はそれで終わる。

ハカセは念のために、「今後何もなければ、こちらから何も言うつもりはありません。しかし、もし万が一にも、コウに仕返しを企むようなことがあれば絶対に赦さないとコウの親がそう言っていたとお伝えください」と担当刑事に言った。

そこまで言って分からないような相手なら、もう16、7歳の少年とは思わない。ただの無法者として相手をする。

ここまでの話で触れてなかったが、5歳上の比較的温厚な兄、シンもこの件ではかなり怒っていた。

シンはコウとは違い、185センチ100キロ超の巨漢でMより一回り大きい。

しかも社会人ラグビーで鍛えていて毎日、とんでもない外人の巨漢選手たちと練習や試合をしとるというから、単純な戦闘力だけでも比較にならない。

もっとも、ハカセはシンには、「お前は何があっても手を出すな」と釘を刺したというがな。

ハカセ以上にシンが手を出せばニュース沙汰になりかねんからと。勤めている会社にも迷惑をかけるおそれがあるからと。

ただ、シンはそれでも「コウや父さんに何かあれば黙っているつもりはないよ」と言う。

「俺にとって一番大切なのは家族やから」と。

「大丈夫や。そんなことにはならんよ。多分」

九分九厘、本気でハカセはそう思っていた。

しかし、その4日後の8月28日、T警察署の担当刑事から電話がかかってきたことで状況が変わった。

「実は詳しいことは言えないのですが、現在Mは家には帰っていないとのことですので、帰り次第、事情を聞くつもりにしていますから、しばらくお待ちください」ということやった。

担当刑事は、その後どうなったかハカセたちが心配していると思い電話してきたと言う。

ハカセは、それを「気をつけてくださいよ」と受け取った。

担当刑事にMが不在やと分かったのは、Mの家に連絡をしたからや。その際、当然、その事情を家族には伝えたはずである。警察に事情聴取に来て欲しいということも。

家族はそれをMに伝える。Mの家族がどんな人たちかは分からないが、普通ならMに対して怒る。詰(なじ)ったかも知れない。

それでMが家出した。恨みに思ったMがコウに仕返しを考える可能性がある。

単純なストーリーなら、そうなる。それを危惧した担当刑事が警告のつもりで連絡してきた。直接的な表現を避けて。そう考えられる。

もちろん、考えすぎということもある。

Mは単に警察に行くのが怖くて逃げた、あるいは家族と仲違(なかたが)いして家出したということも考えられるからや。

ただ、そうなると生活力のない16、7歳の少年の逃げ道など限られてくる。すぐに見つかるはずや。

ハカセがそう思っていたところに「Mは財布に10万円以上の金を持っていたよ」と、コウから意外な話を聞かされた。

「お前、何でその事を警察で言わんかったんや?」

「警察では何も聞かれへんかったし、Mがいくら持っていても関係ないと思ったんや」

確かに刑事は時系列に沿って細かく聞いてきたから、それに答えるのに精一杯やったというのは分かる。

言い出せるタイミングがなかったことも。

また、Mが金を持っていようが持ってなかろうが、コウにした事は事実で関係ないという思いも分かる。

S書店の中でMは自慢げに財布の中身をコウに見せたという。

「そんなに金を持っていながらお前に、千円出さな殺すと脅したのか」

「僕がそれしか持っていないと知っていたから」と、コウ。

その少し前、Mはコウに「財布の中身を見せろ」と言った。コウが見せた財布には千円しか入ってなかった。

学校に行く時には、いつもその程度の金しか持って行かないのやという。

つまり、千円というのは、その時の有り金全部だったということになるわけや。

「そのMはアルバイトでもしとるのか」

「してないと思うよ。そんな話聞いたこともないし……、第一、アルバイトをしているような真面目な奴がそんなことすると思う?」

「すると、その金は……」

悪いように詮索すればいくらでもできるが、ここでは止めておく。どこまでいっても憶測の域を出ることはないさかいな。

いずれにしても、その金があればしばらくは逃げられるはずだ。

ただ、そうなるとMへの考えを変えないといけなくなる。

この時点までハカセは、まだ甘く考えていた。Mをちょっとした不良程度と思っていたからや。警察から注意されれば分かるやろうと。

しかし、すでにMはコウの件以外にも犯罪を犯している可能性がある。

すぐに警察から何らかの連絡が入るやろうと思っていたが、最後に電話があった8月28日から3週間近くになるが、まだ何も言って来ない。

Mは未だに行方不明ということになる。これはどう考えてもおかしい。何かある。そう考えといた方が自然や。

担当刑事の言葉を警告、注意と受け取ることにしたとハカセは言う。

もともとハカセという男は油断することはあまりない。常に周りに対して注意を払った生活をしている。

街中での道、ビルや地下街の階段を下りる際や駅のホームなどでは、必ず背後にどんな人間がいるかを確認しながら歩くという。

僅かでもおかしな動きをする者がいれば、その場を素早く移動するか、やり過ごして背後に立たせないようにする。

それができない状態であればワザとその人間の顔を見る。睨みつけるというのやなく、そうすることで辺りに注意を払っていると分からせるわけや。

良からぬ事を考えている人間はターゲットの不意や油断を突こうとするさかい、これは結構、効果がある。

なぜハカセがそんなことをするようになったのか。

それも祖父の教えの一つで、常に自身の周りに気を配って生活することが、そのまま剣の修業につながるからやという。

それを物心ついた頃からしていた。つまり、心がけてそうしているというよりは習慣になっているわけやな。

そのおかげで視野が自然に広くなり、極端な話、背後での人の動きを見なくても感じ取ることができるようになったという。

マンガみたいな話やが現実にそうらしい。

その剣の修業もあり、子供の頃から剣道の試合で負けたことは殆どない。相手がどう動くのか手に取るように分かるからと言う。

ワシも子供の頃から柔道を強制的にやらされていたから、相手の動きが分かるというのは理解できる。

柔道では、相手の足とか手の動きを見るのやなく、相手の目を見ろと良く言われていた。目の動きは正直に次の行動に出るからと。

それは喧嘩でも同じで相手のパンチや蹴りだけを見ていては防ぎきれない。相手の目を見ていれば次の攻撃の予測がつきやすくなる。

ハカセにはそれが自然に身についているようや。

Mに対して注意を払うということは、最早、16、7歳の子供としては見ないという意味になる。

我が子を襲いかねない危険な存在として相対する。甘くは見ない。

Mがこのまま何もしなければ問題はない。ハカセも相手にするつもりはないからだ。

しかし、そうでない場合は……。

自分の子供以上に大切な存在はないから、子供を守るためにはどんな事にも躊躇はしないと決めている。

如何なる結果になろうとも。

何度も言うが、今回の件で言えば、いち早く逃げたコウが一番賢いのは間違いないと思う。普通はそうした方がええ。

今後、どうなるかは分からんが、ハカセは何が起きても対処できるように、その備えと心づもりは、これからも続けるつもりやと言う。



参考ページ

注1.新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第2話 男の出会い

注2.第28回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■クリスマスソングが歌いたい

注3.第39回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ある拡張員が語る刑務所残酷物語


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